2019年7月28日日曜日

きらきらしている

4/27~7/31の展示期間のところ、やっと観に行けた
「キャンバスに集う~菊池恵楓園・金陽会絵画展」

全生園には昨年春(桜満開だった)の肉球新党の見学学習会以来。

展覧会とかってなるべく会期の早いところで行った方がいいのはわかっているんだけど、やっぱりぎりぎりになってしまう。
こちらは前期後期で展示の入れ替えはなかったものの(イランの子どもの本展はそれで前期の展示を見逃したのが痛恨)、最初の方で観に行った友人がいただいたというポストカードはやはり好評につき品切れだったようだ。
図録はあります!無料です!是非受付でいただいてください!


台風で大雨が近づいているという不吉な予報の中。
都会とは天候違うかも。照っていて暑い。
(帰りのバスに乗り込んだ途端に激しく降り出した。)

明るくポップな画風が多かった。

「絶望あるところに希望を」
「闇あるところに光を」
「生きるため、描き続けた。」

そんな中にも「集団脱走」「鎖」といった胸つかれる絵がある。
・「集団脱走」
木下今朝義(1914-2014) 100歳という長寿を全うされたのか。
1998年の作品。
1932年に起こった職員留任陳情のために熊本県庁に行こうとして脱出を図った患者500人が途中消防団(一説では警官隊)に阻止された事件を描く。
「遠足」「家族」ともに谷内六郎のようなノスタルジックな画風・色彩。
・「鎖」
中原繁敏(1926-2014)
2000年の作品。
無断外出なのの規則違反をした患者が収容された監禁室を描いた。
1916年に法律で療養所長に患者を処罰できる権限が認められ(癩予防ニ関スル法律改正 4条の2)、1931年には国立癩療養所患者懲戒検束規定制定
扉の下から階段にかけて血が流れ出ている一方、右側の草原の斜面を猫が歩いている。夕焼けだろうか曙光だろうか、空と山の端がオレンジ色の光に染まっている。
あ、これ、全生園にもあった風景なのだよな。
近日中に草津の栗生楽泉園重監房資料館に見学に行かねば。
との思いを強くする。
・「根子岳」
森繁美(1930-2005)
色合いはセザンヌのサント・ヴィクトワール山を描いた数々の絵を、筆致はマティスあたりを思わせる。「納骨堂」「園内風景」は不自由な手で絵の具のチューブをキャンバスにそのまま押し付けて塗ったようだという。

出品作家のうち何名かご存命の方はいらっしゃるが、現役で描いていらっしゃるのは吉山安彦(1929-)現理事長のお一人とのこと。

絵画展を観た後、私はすぐに療養所の周辺で肉球新党のリーフレットをポスティングするつもりだったが、母が企画展の会場の隣にある図書室にとことこ歩いて行った。
「借りられるものなら借りたい本がある」と言って。

母はカウンターにいた司書さん(学芸員さん?)に尋ねた。
「『貧しき人々の群れ』みたいな題名の本なんだけど、あります?」
今どき宮本百合子の本を読むっていうのか?
しかもわざわざハンセン病資料館の図書室に来てどうして?
と、私は傍らで思ったのだが、さすがは司書さん、母のいい加減な言葉からもちゃんと望みの書籍を探してきてくれた。
『悲惨のどん底』という題名だった。
(全然違うじゃないか!まあ、雰囲気は似ているかもしれないが…。)
この本は昭和5年刊行の本で、最後の方のページが破れてしまったりしていて保存状態もよくない。
そのせいか禁帯出となっていて、借りたいという母の願いは叶わなかった。

が、帰宅してから調べたら、なんと国会図書館のデジタルアーカイブで読むことができる(プリントもできる?)のだった。

ロシア帝国に支配されたポーランド生まれのСерошевский, Вацлав Леопольдовичという作家・シベリア民俗学者・ポーランド独立の志士は、シベリア流刑でイルクーツクに来てポーランド語やロシア語でものを書いていて、第二次大戦が終わる直前にポーランドで亡くなっている。

『悲惨のどん底』の原題は«Dno nędzy» (Предел скорби)(悲しみの限界)
シベリアの奥地(ヤクート)に放置され、ひと月に一回食糧を遠くから投げ渡されるだけで放置される(熊に襲われたりする)、日本の隔離政策とは似ていないようで実は酷似しているんじゃないかという、悲惨の極みのハンセン病患者のことを書いた小説のようだが(母の記憶による)、これを訳したのは全生園のエスペラント部にいた黒川眸である。

ということは、エスペラント語から日本語に訳したわけで、セロシェフスキはエスペランティストだったのか?ロシア語またはポーランド語からエスペラントに訳したものがあったということなんだろうけれど、それはどういう経緯で日本に入っていたのだろうか。

母と別れた後、道を渡って向こう側の住宅街で肉球新党のリーフレットセット100部ポスティングしてからバスに乗って駅に戻った。

2019年7月21日日曜日