2014年12月31日水曜日

С наступающим Новым годом!

大晦日は例年通り「運命の皮肉」のDVDを鑑賞。

お祝いメニューはゼリー寄せ。
伊勢丹で宣伝していたツァー・ニコライのサーモンフィレじゃなくて、シチーで煮込んただ残りものの牛肉を1センチ角に切ったもの、それに人参、きゅうり、チーズ、セロリなどとともに入れてみました。





藍について

みやこうせいさんの写真はいつもすばらしい!今までルーマニアについてやソクーロフの写真の印象が強かったが、日本の伝統的な風景もみやさんの写真で初めて観たような新鮮な美の発見が叶う。

2014年12月30日火曜日

我が人生最悪の年その2

昨年、つまり2013年はこれまでのほほんと生きてきた私にとって大きな試練の年だった。
受難週にボランティア活動を一緒にやってきた教会の友人、復活週の月曜日に20年一緒に生きてきた愛猫を天に送り、夏には身内も失った。
職場での問題もあって、”一身上のこと”では、間違いなく最悪の年だと言えた。
あんまり立ち直りも早くはなくて、黙ったまま事情を話せない、知人からの通知に返事ができない(事情を書こうとすると泣けてしまう)という状態でもあった。
不義理をした人たちには申し訳ないと思っている。

それで、今年はまあそこまでは酷いことは起こらないのではないか、もう少しいいことがあるのではないか、と思っていた。

でも、今年も、率直に言うとあまり良い年ではなくて、悲しいことがたくさんあった。
もう過去は戻ってこないのだと思い知らされる。

一身上のことはともかく、サッカーに関しては、去年以上に悪いことが起こり、間違いなく最悪の年となったのがこの2014年であった。

まず、贔屓のクルィリヤ=ソヴェートフ・サマラがとうとう降格してしまったこと。
プレミアから一部リーグになったことで、選手たちもかなりチームを去ってしまった。
それで一シーズンでプレミアに復帰してくれるといいのだが(かつてのチェルノモーレツ・オデッサみたいに)、現在4位。
予断を許さない。
そしてクルィリヤとともに、ヴォルガ・ニージニー=ノヴゴロドも降格してしまったのだ。
ロシアプレミアリーグ創設以来、ずっとその地位を守ってきたクルィリヤ(二都以外のクラブでは唯一降格を経験せずずっとプレミアにい続けていた)と違ってヴォルガは一部とプレミアを行ったり来たりのヨーヨー状態だったのだが、このところ元ロシア代表で固め、私が応援し続けていたカリャカをはじめ、ブルィキン、スィチョフら馴染みの選手が多かったから、クルィリヤの次に贔屓にしていたのだが、やはり経済力では地方都市のクラブはモスクワのお金持ちクラブに対抗するのは難しいのだ、今回もプレミアの座を守ることはできなかった。

そして、遂にカーリャが、アンドレイ・カリャカが、ヴォルガとの契約を終了した後、次の行く先を探すことができずに、現役を引退することになったこと。
ここ何年かは、そろそろかなあと恐れながら、冬と夏の移籍市場の時期を過ごしていた。
でも、その前にそういうニュースが目に入ってしまった。
好きな選手はたくさんいるけれど、引退して泣いてしまったという選手はこれまでカーリャを含めて3人である(たぶん)。
エスパルス一筋だった大榎克己さん。
清水在住の友人がメールで知らせてきた。
そのときはまだ大丈夫だという心情だったけれど、翌日の新聞で活字になったのを目にしたらなぜか涙がぽろぽろ流れ出てしまった。

あとはアジアのカリスマFW,、アリ・ダエイ。
彼はプレイング・マネージャーとして優勝を手にして、選手としては有終の美を飾っての引退だったはずだ。けど、その後の指導者としての実績はまだまだ評価されるようなものがない。

そして、カーリャだが、彼の故郷ドニエプロペトロフスクが(ドンバスほどではないにせよ)争乱に晒されたことを思うと、これまた心痛む。
ロシア国籍を得て、ロシア代表を選択したことで、カーリャが「現役最後のクラブはドニエプルで」などとは考えていなかったとは思うが、どんな思いであのあたりのニュースを見守っていただろうかと、考えれば考えるほど切ない。

そしてそして、最悪だったのはオデッサのジェノサイドだ。
その一端をライブ配信で観てしまったこと。
観ていても、そこで人が殺されようとされているのに、自分はまったく無力で、何をしてよいのか全く分からずに呆然としてしまったこと。
チェルノモーレツ・オデッサとメタリスト・ハリコフの試合を観るつもりだった。
その試合の前に計画された両チームのファンたちによる、ウクライナ統一維持を支持するデモンストレーションが、後の暴動、ひいてはクリコヴォ広場前の建物への放火、虐殺と直接の関係はない、と私は今でも信じているが、追悼の言葉を述べず、事件そのものがなかったかのようにふるまうチェルノモーレツの態度には非常に不信感を持った。
(これまでここここあるいはここに書いたが、まだ気持ちは整理できていない。)
ファンを辞めた方がいいのではないかと考えたし(それでもやめられなかったが)、しばらくはサッカーの試合を観ることに罪悪感というのだろうか、息苦しさと言うのか、一種のトラウマがあった。
今でも・・・そう、あの日で私のサッカー観戦はもはや無邪気なものではなくなったのだ。





酷い年だった、としかいいようがない。

せめて、エスパルスがどうにか残留を決めたのが救いだ。
でも、ゴトビさんが去って、大榎さんが後任になってのこと。
ゴトビさんは試合会場でジュビロファンからいわれなき誹謗中傷を受けたこともあったし(ジュビロファンの方には蒸し返すようで申し訳ないが、やはり忘れえないことだ)、東日本震災と福島原発事故後Jリーグの外国人選手・スタッフが相次いで日本を離れる中、ずっと清水に留まってエスパルスと共にいてくださった。感謝する。
この先のゴトビさんに栄光と平安とを切に願う。
この、ゴトビさん解任と大榎さん監督就任に関しては、元野球選手の高木豊さんのブログを読んだ(ヤフーニュースかなんかで知ったのだと思う)。現在高木さんの息子がエスパルスにいるのだということだ。
高木豊さんは俊足のスター選手だったという印象と持っていた(私はパ・リーグ、特に今は亡き近鉄バファローズのファンだったのでセ・リーグのことはあまりよく知らない)が、ゴトビさんへの感謝の念と大榎さんへの期待をこめた感動的な文をものしていた。
高木さんがこれだけの名文を書くような人だとは、正直言ってとても意外だった。見直した。高木さんのお子さんがすばらしいサッカー選手になってくれればよいと願う。

それにしても。
来年は、もうカーリャはいないのだ。
もうすぐそういう日が来る、と知っていたのに、やはり全然覚悟ができていなかった。

今年の映画

今年の映画12
ロシア「メトロ42」「ガガーリン」「草原の実験」
ソ連「石の上の花」
イラン「夜行バス」「ゼロ地帯の子どもたち」
ポルトガル「家族の灯り」
フィンランド「白夜のタンゴ」
ポーランド「裏面」
ハンガリー「悪童日記」
アゼルバイジャン「ナバット」
スペイン「ジプシー・フラメンコ」


ここから映画祭上映の作品を除き
「メトロ42」
「ガガーリン」
「家族の灯り」
「白夜のタンゴ」
「悪童日記」
「ジプシー・フラメンコ」

トップ3は「メトロ42」「ジプシー・フラメンコ」「ガガーリン」。
「ガガーリン」は観た直後は地味で抑制的だと感じたが、じわじわいい

ジャルニンさんは「ガガーリン」で主演し、「メトロ42」にも出演しているんでしたっけ。「メトロ42」は感動的!というのではなくて、単純におもしろかった。不倫云々の場面は要らなかったが。

気がつくと、トップ3のうち2本がシネマカリテ。
実は結構通っていたんだ。
「ホワイトタイガー」と、ソ連兵がナチスのゾンビと闘うホラー系?のキワモノ映画(タイトル失念)、「悪童日記」もカリテで観たっけ。
ユーロスペースとイメージフォーラムには足しげく通った。

(まだ途中)

動物の鳴き声

図書館のリサイクル本として入手していた『マルシャークのこどもの芝居の本2』を読んだ。
収録されているのは
●魔法の笛ふき
●コーシカの家
の2編。

『コーシカの家』はとても有名な詩の形式の戯曲だが、この日本語訳だと、ある程度は調子を整えているのだけれど、リズミカルにすらすら台詞が言えるようになっているかと言うと残念ながらそこまではなっていない。
また、雄鶏がククリクーとか、豚がフリューフリューとか、ロシア語の擬音を説明なくそのままカタカナ書きしているが、日本の子どもに通じるのだろうか?とちょっと疑問。
この点がなんだか中途半端(タイトルの「コーシカ」からして、ロシア語の猫のことで、他の訳では『ネコさんの家』とでもなっていたかと思うが、固有名詞扱いのようでもありそうでないようでもあり、もやもやした気持ちになる)、ではあるものの、マルシャークのお話を今さらながら楽しめた。



2014年12月28日日曜日

ヒロシマの虹

録画していた映画「父と暮らせば」を観る。
米原万里訳のロシア語版だと”Жизнь с отцом”.

"Жизнь с отцом, или радуги над Хиросимой"「父との生活、または広島上空の虹」
"Когда живешь с отцом..."「君がお父さんと暮らしている時に・・・」
 «Если бы жить с отцом»「父と暮らしていたら」
といったロシア語訳もあるようだ。

宮沢りえ主演の映画はもちろんよいのだが、舞台の方が好き。
戯曲だとヒロインは特に美人ではないが笑顔が素敵、でも被爆して以来あまり笑わなくなっている幸薄い女性という設定。
宮沢りえはなんといっても美人女優だからねえ。
(彼女の広島弁は拙い、という声も聞く。私が聞くと”怖く聞こえない広島弁”だが。)
相手の男性(映画では浅野忠信)は現れなくていい、現れない方がいいと思うのだ。
シンプルがよい。

2014年12月27日土曜日

今日はもう何もしたくない

録画していた「オーケストラ!」と「ザ・エッグ」をDVDにダビングした。
「美男料理」のボルシチ・ピロシキ編もついでに。
 ↑
「びなんりょうり」ではなく「イケメンクッキング」と読むようだ。
もう終わっている番組。

「オーケストラ!」は「がんばれベアーズ」のオケ版みたいなお話。
ベアーズは少年少女野球だからまだしも、プロのオーケストラがそりゃないだろう?!というシーン続出で、いろいろ突っ込みどころがある。
「ザ・エッグ」の方はまだ観ていない。

年賀状と、お歳暮のお礼(いつも新年用の和菓子を贈ってくださる元クラスメイトへ)と、諸々雑用と、いろいろ残っているが、年内の仕事を今日はとても疲れたので、もう何もしたくない。

だからおしまい。

2014年12月25日木曜日

クリスマス・メニュー

といっても、クリスマス向けに特別に作ったのは鶏ハムだけです。


テリーヌは生協で購入。
スープはいつものシチー(キャベツスープ)。

そしてもうこの時刻。
あしたも仕事が山のようにあるので、あまりクリスマス気分に浸れない。
クリスマス礼拝のお説教の復習というか聖書を読みなおしたいのだが。

ピンクのツリー型ろうそくは、旧中野サンプラザでウェディングケーキなどの使いかけろうそくをリサイクルしたものだそうだ。



2014年12月21日日曜日

ソ連のイケメン宇宙飛行士たち

映画「ガガーリン 世界を変えた108分」が昨日から新宿・有楽町・横浜等で公開されています。
レビューはおいおいするとして(早めにしないとなあ。でも今ポーランド映画祭で忙しいのだ)、宇宙飛行士候補生を演じた俳優さんたちのプロフィールを簡単に載せておきます。
(ほんとに簡単なものです。)
宇宙飛行士候補者のプロフィールは書籍『ロシア宇宙開発史』やサイト「ロシア宇宙開発史」を参照。

ついつい「イケメン」とか書いちゃいますが、そりゃガガーリン(本物)は笑顔がものすごくチャーミングな人だったようで、勿論超人的な努力をされ、時代と運が味方し、というのもあったにせよ、「シンパチーチヌィ(共感できる)」魅力が、たった一つの「人類初の偉業」の椅子を勝ち取るうえで大きなポイントになっただろうと、私も思います。
(何せ人類初です、ソ連としても見栄えの悪い人を選ぶはずがありません。)
ガガーリン役を演じたヤロスラフ・ジャルニンも、これで観ると素敵な若者で、完璧な美形くんですね。

この手の映画を作るにあたって、絶対的売れ筋を狙うなら、候補生たちを超絶イケメンで固め、集団的美男攻撃をするべきですが、この「ガガーリン」はそんなにあざとくはありません。抑制的です。

ここで奥ゆかしい「ガガーリン」の出演者たち(ひとまず宇宙飛行士候補生たちに絞りました)をチェックしましょう。

ユーリー・ガガーリン役のヤロスラフ・ウラジーミロヴィチ・ジャルニン
1986年3月25日、美形の産地ニージニー・タギール出身。
17歳でモスクワに出てモスクワ芸術座付属学校に入るが卒業はせず、2004年に全ロシア映画大学俳優コースに入学し、アレクサンドル・レンコフ及びセルゲイ・アルドニンに師事、2008年に卒業。
2010年より「ブルガーコフの家」付属テアトル・ブー( «Бу...» при Булгаковском доме)所属。
2013年6月、女優で歌手のエロナ・カザコヴァと結婚。
映画デビューは2005年「マンガ」(主演)、2008年「カラシ」「パリへ!」等で主演等、数々の映画(TV映画シリーズ含む)に出演。
「メトロ42」ではオタクっぽい地下鉄職員役(見逃した人はDVDでご覧ください)、「エレナの惑い」ではカメオ出演?
※追加情報:ズウ゛ャギンツェフの「エレナの惑い」では食料品店の配達のお兄さん役か。この人ならたくさん買い込んで運ぶの手伝ってもらうなという感じのよい若者。実際にはロシアでは若者より年配者の方が親切だと感じる。
髪の毛を額に下ろすと、案外ココラに似ているかも(ロシア・サッカー期待の若手、というより主軸のアレクサンドル・ココリン←実はぶちゃいくだと思っていた)。

ゲルマン・チトフ役ヴァジム・セルゲエヴィチ・ミチマン
(パンフレットには「ミシマン」となっていたが、キリル文字を文字通り起こすと「ミチマン」になる。)
1986年6月16日、おお、なんとクイビシェフ(現サマラ)生まれではないか!
ヴォルガ河畔の航空産業の町、サッカークラブが「クルィリヤ・ソヴェートフ(ソヴィエトの翼)」となっていることからも、空と宇宙とに大いに所縁のある土地柄です。
2003年にモスクワに出て現代芸術大学の軽音楽・ジャズ歌唱学科に入学、2008年卒業。
モスクワオペレッタ劇場の「モンテ・クリスト伯」や、「マンマ・ミーア」出演などオペレッタやミュージカルに多数出演。
映画出演は2011年の「ステップ・バイ・ステップ」と2013年「ガガーリン」の2作。

グリゴリー・ネリュボフ役のダニイル・ウラジーミロヴィチ・ヴォロビエフ
1981年8月30日生まれ
この人もキャリアは長くて多作です。
しかし、ネリュボフはこのあと非常に可哀想な人生を送ることになってしまったのですよね。


アンドリヤン・ニコラエフ役のアナトリー・セルゲエヴィチ・オトラドノフ
エンドクレジットのトップに、囲い文字で記されていたのがこの人。
(亡くなられた方なのだと思ったが、まさかこんなに若い俳優さんだったなんて。)
1982年3月6日レヴダ生まれ、2012年1月30日没(亨年29歳)。
エカテリンブルグ演劇大学卒業後、エカテリンブルグの劇団、ニージニー・ノヴォゴロドの劇団「コメディア」で活躍した。映画にも多数出演していた。
人と会いに行って家に戻らなかった翌朝にモスクワ郊外の村で意識不明で発見され、病院で死亡が確認された。アルコールと薬の過剰摂取だが、他殺かも…。残されたご家族に癒しと慰めを。
彼が演じたニコラエフはその後順調に宇宙飛行士になり、また女性初の宇宙飛行士テレシコヴァと結婚、そして離婚している。

アレクセイ・レオーノフ役のアナトリー・アレクサンドロヴィチ・グーシチン
1976年11月30日チュバシ出身(お母さんがチュバシ人)。
モスクワに出てシューキン演劇学校を卒業し、ニコライ・グベンコのもとでタガンカ劇場で演じていた。
レオーノフさんはその後人類初の宇宙遊泳(船外活動)をするなど宇宙で大活躍、ソ連・宇宙分野での第一人者となり、来日もしていて、ご存命。

パーヴェル・ポポヴィチ役のセルゲイ・ヴィクトロヴィチ・カラシニコフ
1974年5月9日生まれ。まあ、対独戦勝記念日のお生まれですね。常に国中がお祝いムードなんだ。
「ナイト・ウォッチ」等に出演。キャリアは2003年から。
ポポヴィチさんもご存命。

(敬称一部略。追補するかも。なお、科学者編は追って記述予定。ベテラン俳優さんたちはキャリアを調べるのがそれなりに大変なので。)

2014年12月19日金曜日

猫のトスカのクリスマス

猫にいがちなちょっとすねた表情が可愛いトスカ。すてきなクリスマスになってよかったね。

竹の盛り籠



裏面

ポーランド映画祭「裏面」 スターリン影響下のポーランドでのいけてない青春女子編(恋人はうさんくさすぎる・・・これが昨日のミハウ役の人だったら泣けてくるが)かと思いきや突如スリリングな犯罪ものか?女って怖いと思う人がいるかも。ブラックコメディーと呼ぶにはラストの現代部分がなんとも美しい。ポーランド映画界、底力がまだまだ計り知れない。

ポーランド映画強力な味方

ポーランド映画祭「裏面」 スターリン影響下のポーランドでのいけてない青春女子編かと思いきや突如スリリングな犯罪ものか?女って怖いと思う人がいるかも。ブラックコメディーと呼ぶにはラストの現代部分がなんとも美しい。ポーランド映画界、底力がまだまだ計り知れないなあ

2014年12月18日木曜日

暁のふたり・・・

ポーランド映画祭 「真夜中のふたり」 大変な美形…でない方が主人公クバ(ヤコブの愛称らしい)で両刀遣いでマザコンで話がややこしく(美系の方はミハウ)。
スコリモフスキ好みのスタイリッシュな映像。
クバとミハウがなにゆえ惹かれあったのかは謎。
結構あからさまなラブシーンがあり、どうなんでしょうと思った。よりによってポーランドなので。
個人の嗜好は自由でしょ、ではすまなくて、幸せには誰もなれない。
クバ、スポーツ選手なのに喫煙?マリファナ?と不健康この上ない。

2014年12月14日日曜日

猫には甘いロシア人

ウラジオストク空港の海産物の売店で60000ルーブル相当の被害がありました。
犯行を行ったのは縞しまの雄猫で、イカの燻製などの夕食を「食べつくした」後に、一時行方をくらましていたものの、その後出頭した模様です。
参考記事)(参考記事
しかし、猫に商品を食べられちゃうお店ってどういう警備をしているやら。
なんか、普段から餌をやっていそうな気も・・・。

この猫に対し、「空港には猫をほしいという電話が殺到した」(空港の報道官による)のですが、地元の人気ホッケークラブ、アドミラル・ウラジオストクのマスコットとして引きとられることになりました。アドミラルは彼の夕食代を弁償し、アニメーションで旧ソ連圏地域につとに知られている縞猫にちなんで”マトロスキン”という名を付けました。

※マトロスキンは、”マドロス君”というような意味ですが、チェブラーシカの原作者エドゥアルド・ウスペンスキーさんの絵本『フョードルおじさんといぬとねこ』に登場するしっかり者の雄猫です。このお話、アニメーションも大人気で、特にマトロスキンはプロスタスワーシャの乳製品のキャラクターも務めています。

アドミラル・ウラジオストクは、今年1月、チームのマスコットをファン投票で決定していますが、アドミラル(海軍省)という名にちなみ、”海の男”のキャラクターの中から選ばれたのが、実はこのマトロスキンだったのです。これも旧ソ連圏の人気アニメ「今に見ていろ!」のオオカミくん(氏名不詳)やポパイ(最下位)らを抑えての第1位です。(参考記事

なので、アドミラルではきっと可愛がってもらえるでしょう。
食べすぎには要注意。
それに、ほんとはイカくんは消化に悪いぞ、マトロスキン!

なお、マトロスキンくんは、なぜかペテルブルグのコミュニストグループから名誉党員の称号も頂戴しています(参照記事)。

まったく、猫には甘いんだから!

続報続々

実はマトロスキンは雄ではなく、雌であることが判明!
「でも、名前は変えない」と言っていたアドミラルですが、マトロスカという女性名になったようです。
加えて、妊娠しているかも、という記事も。
ああ、だから大食いなのか。
これで子猫が産まれたら、また大騒ぎだろうなあ。
マトロスカを引き取れなかった方たち、ククラチョフ猫劇場などなども、マトロスカの子どもたちの争奪を行うことになるかもしれません。
(2014.12.17)


ポーランド映画いまだ滅びず

って、前にも使ったフレーズだったかもしれない。

「木漏れ日の家で」
「太陽の年」
「借金」

「木漏れ日の家で」は数あるポーランド映画の中でも格別にお気に入り作品。
何度観てもいい。美しい。アニエラがいい。犬のフィラが好き。ただ今回ドストエフスキー君が前に観た時ほど限りなく愛しとは感じなかった。
やっぱりよかった。
紅茶のシーンにほろっとする。

「太陽の年」と「借金」は以前観たことあるような気もしながら観た。
たぶん「太陽の年」は初めてで、「借金」は観たことがあった。

「借金」は「私のニキフォル」のクラウゼ監督の作品で、今度岩波ホールで上映される「パプーシャの黒い瞳」(入り口でチラシを配っていた)も控えているのだが、この監督の作風の幅の広さには舌を巻く。
以前観た時、感心しつつもう二度と観たくない(辛い映画なので)と思ったのに、また観てしまったよ。
スコリモフスキ監督推しの現代ポーランド映画。

大物感を醸し出しているスコリモフスキ監督(左)




「太陽の年」は、叶わぬ恋の物語だが、美男美女でないところがよい。
アメリカ兵も、アメリカ映画だったらきっとこうは描かないだろう、情けなさがあって、それは好感が持てる。

2014年12月11日木曜日

昔のモスクワ

ロシア文化フェスティバルの映画は今回もウィークデイの昼間。
失礼しちゃうよなあ。

まあ、今日は無理して観に行ったのだけど、明日の「ヨーロッパの開放」は無理。
残念だが、恨むならロシア文化フェスティバルだ。
それと、長時間の鑑賞に、浜離宮朝日ホールは向いていない。
9月の映画の時、腰が辛くなったと、大いに懲りて、母は今回はやってこなかった。
それは正解だったかも。
いや、観た甲斐はそれなりにあるのだけれど、人に勧められるかと言うとねえ。

栗原小巻主演の「モスクワわが愛」"Москва, любовь моя"は40年前の日ソ合作映画だが、メロドラマで、森田健作ばりの青春とは何だ~系映画で、それに申し訳程度にヒロシマを混ぜたものという、あの時代に日ソ合作したという以外に価値があるのかはなはだ疑問、という代物だった。
栗原小巻は適当に老け顔なので、40年前のこの作品もたいして不自然には感じない・・・いや、勿論設定やストーリーの流れや演出には突っ込みどころ多くて困るのだが。

一番良かったのは、あの時代のモスクワの風景、それに大サービスでサマルカンドやソチまで観られることだが、いかんせん現代の視点で観るといろいろと不自然(強力なコネがない限りいくら才能があっても日本人でいきなりボリショイバレエ団に入るなんて無理、しかもあんな程度の実力でさ、とか、モスクワに行かせて~他の都市も観たい~という民謡収集を仕事とする怪しい日本人に天下のソ連政府がほいほい許可を出すかいね、とか)で、そこで描かれる人々の生活も残念ながらうそくさい。
社会主義リアリズムの時代の、リアリズムを取り去って、おもしろくなさ(突っ込みの楽しさを除く)だけが残ってしまった、残念で不思議な作品。

Москва, 1990 г

ノスタルジーを感じるといえば、原タマーラ先生がお変わりない様子でいらっしゃっていたのをおみかけした。



2014年12月9日火曜日

ロマノフ御用達

かつてトマトの先生とともにロシア語を習っていた。
そのクラスには、大学の先生が何人もいて、ピアノの先生、数学の先生、中国語の先生がいらしたが、トマトの先生は某大学の農学部の先生で、四角いトマトを作るために奮闘されているのだと言う。
四角いトマトの他にも、腐りにくいトマト、甘いトマトなど、いろいろ品種改良を重ねているようだった。
(腐りにくいトマトを試食させていただいた。「原種に近いので不味いです」とのことだが、特に不味くはなかった。)
星を発見したら命名権があるのと同様に、新しい品種を作ったら名前を付けることができるそうだ。
トマトの先生はこれまで「ハラショー」と「スパシーバ」と名付けたトマトを世に送り出したのだが、今度のトマトにはどんな名前をつけたらいいでしょうかね?と皆の意見を求めたのだった。
誰かが「女性の名前がいいんじゃないですか?」と言った。
すると中国語の先生が「エカチェリーナとか皇室御用達っぽくていいですね」とおっしゃったら、トマトの先生は「あ、それいいですね」と賛同し・・・・、で、結局トマトの「エカチェリーナ」は誕生したのだろうか?ということをふと思い出す。

昨日、ある食材を求めて伊勢丹の食品売り場を彷徨っていたら、スモークサーモンのゼリー寄せのレシピがあったのでいただいてきた。


レシピを観ると、お料理自体は簡単そうに思える。
料理をする過程はね。
しかし、問題はそれじゃなくて、普通のスモークサーモンではなくてご指定のスモークサーモンフィレを使うのがおいしさのコツであり、ポイントだと書いてあり、そのおすすめ食材が「キャビアハウス&プルニエ」の「バリックサーモンフィレツアーニコライフォーワン(110g)・・・・・・・・・・・・・・・・7,776円」とのことだった。
おー、さすがにデパート価格だ。
そんなの、使うか!やめとこ。

それはともかく、ツアーニコライ(ツァーリではないところがちょっと悲しいが)って、一世なのか二世なのかわからないが、「ニコライ皇帝の宮中レシピに従ってつくられた、厳選されたサーモンと燻製技術と塩の完璧な調和が生み出す絶妙な味わいが特徴」だそうです。

まあ、とにかくロマノフ家の箔を付けた食材だということなんだけど、ニコライ皇帝ね~。

以前、アンドレイ君(黒田龍之助先生の『外国語の水曜日』で活躍するあのアンドレイ君)に、「何でロシア名をアンドレイにしたの?」と尋ねたら、「アレクサンドルやニコライだと暗殺されそうだから」と言っていたのを思い出したりするので、同じロマノフ御用達系でも、エカチェリーナとかエリザヴェータとかアンナとか、女帝の名前を冠した方が美味しそうな、有り難そうなイメージがするのだけどなあ、勝手な印象だけど。

そういえば、私が最初に入手したロシア料理の本は1994年刊の『きょうはロシア料理』なのだが、レシピの中に「ピョートル大帝のステーキ」「イワン雷帝の魚料理」という皇帝様のお名前のお料理があっておもしろかった。あと、ビーフストロガノフとかオリビエサラダとか人の名前の付いたお料理、結構ありますね。

だけど、私見ながらやはりサーモンもニコライよりはアレクサンドラの方が美味しそうに思えるな。

それで、私はレシピを見ながら、ニコライじゃないサーモン(『ロシアの保存食』を参照して)で、ヤングコーンの代わりに好きなセロリでも入れて作ってみようかと思う。

2014年12月8日月曜日

やっぱり美味しいグルジア

今日のお料理は、Чахохбилиチャホフビリ。
お肉のワイン煮、今回は鶏のもも肉を使いました。
名前からもグルジアっぽいですね。
美味です。



これは先週作った昆布サラダ。
昆布のこと、ロシア語では海のキャベツって言うんですね。
これ、結構日本人好みの味になって、ほんとにロシア料理?という感じです。
ロシアと言っても極東の味でしょう。
昆布とイカ(簡単にするためいかくんを使いました)とキュウリのピクルス、人参、玉ねぎ。
ただし、味はいいんだけど、昆布はちょっと戻し過ぎでした。どろどろ。




2014年12月7日日曜日

語劇

今年も12月は上智外国語学部主催の語劇祭があるとご案内をいただき、ロシア語劇は日曜の5時開演とちょっときついタイムスケジュールだったが、なんとかぎりぎりで間に合って、講堂に滑り込む。


開演前
「シャルダン・サーカス」
不条理作家ダニイル・ハルムスの戯曲より


終演後
演目はハムイルの後、テッフィの「ダイヤモンド・ダスト」も上演し、2本立て

左から村田真一先生・今年で退職される吉住エレーナ先生・実行委員長兼ロシア語劇座長(同時通訳もこなす)、そして出演者の皆さん

ハムイルのは、やっぱりわけわかんない戯曲だった。
犬の鳴き声、牛の鳴き声、エトセトラ、ちょうどよい復習になる。


上智は、先週金曜の夜には講堂ではプレセピオを作りかけていました。




今週になると、マリヤとヨセフ、博士たち、羊飼いが来ていました。
動物たちは・・・羊です。

クリスマスツリーも点灯

キャンドル



 一方、お隣のイグナチオ教会では、まだつくりかけ。

(書きかけ)



いつのまにか失って二度と帰ってこない

家族が雑技団を楽しんで観てきた。
 レパートリーに変面があったというので、「變臉(へんめん)~この櫂に手をそえて~」を見せた。
 見せたはいいが、ずっと前にNHK教育テレビで放映していたものをVHSに録画して、ずっと放置していたものを去年か今年になってDVDにダビングしたものだったので、音声は消えてしまって、映像もかなり乱れて悲惨な状態、サイレント映画を字幕で観るような感覚になってしまった(貴重な芸能シーンもあるのに音声がないのはたいへん残念なことだ)が、ストーリーだけでもおもしろくて、割と楽しんでもらえた。

 この作品では変面は男性だけに伝えることになっているが、雑技団で変面の技を披露したのは女性だったそうだ。

 手持ちのDVDがそんな感じなので、まともなDVDがあったらそれをもう一回見せた方がいいのではないかと思って調べたら、この作品は1995年制作なのだが、当時はVHSの時代で、その後DVDは出ていないことが判明。
えーーーーー。

教育テレビでアジア映画の傑作を佐藤忠男さんの解説で放映していた「アジア映画劇場」。
あれはほんとに貴重だった。
そして贅沢な番組だった。
見逃したのもあるし、録画し損ねた傑作も多い。「カップ・ファイナル」とか。
いつまでもあると思っていたのに、もう二度と手の届かないところに行ってしまった。 

この映画は、確かこの年(1995年)の5月頃に、新宿西口の安田生命ホール(当時)で行われた試写会で観た。
劇場公開の時に観たのではないので、パンフレットを買っていない。
一緒に観たのは家族ではなくて、そうだ、クラスメイトのカーチャさんだったのだ。
彼女とももう二度と会えない。 

DVD1
「紅粉」李少紅監督1994年中国・香港
「變臉(へんめん)~この櫂に手をそえて~」呉天明監督1996年中国・香港
呉天明監督は今年3月に亡くなられた。 

DVD2
「冬冬の夏休み」侯孝賢監督1984年台湾
「愛情萬歳」蔡明亮(ツァイ・ミンリャン)監督1994年台湾

2014年12月3日水曜日

2014年12月1日月曜日

近所の怒りんぼう猫ちゃん

いつも会いに行くと怒られます。
シャーーーーー!と言って猫パンチです。

Щの音です。

窓辺のケージの中にいつもいる。


この直後、大口を開けて怒った



祖国喪失物語

今年の東京フィルメックスは3本。

「プリンス」 
第1回受賞作主演の若者のその後を追ったドキュメンタリー。アフガニスタンからイラン、そしてドイツに移住したジャリル・ナザリさん、つつましく元気に生きていてほっとした。が、本当の苦労についてはなかなか伝わってこないなというのが正直なところ。むしろ前作で共演し、その後の彼を援助し、作品化した監督さんのことを知りたい。※
それにしても何だな、ハンブルク映画祭主催者は難民の彼を招待するからには後のことまで責任持ってケアするべきではないか?収容所管理人の露骨もとい率直な発言にもショック
※その後、プログラムに記載されてわかった情報
マームード・ベーラズニア監督は「ジャメ」でジャリルさんと共演、またマジット・マジディ監督「少女の髪どめ」にも出演している。その後ドイツで映画を学び、これが長編デビュー。その前に、まさにジャリルさんのビザ問題を扱った短編ドキュメンタリーを2001年に撮っている。



「プレジデント」 
マフマルバフがグルジアで撮った。
特定の国・時代を想定するものではないというが、やはりソ連テイスト。「懺悔」に雰囲気似ている。上映前に監督メッセージがあり、「パンと植木鉢」の頃から反復讐主義、非暴力の主張は変わっていないことはわかった。
”特定の国・時代を想定するものではない”…それでもマイダン及びドンバスが視野に入ってこざるをえない。ウ゛ィソツキーっぽい歌も出てくるし。
もはや殆どイラン映画らしくはないが、でも監督自身はイランを想起していないわけはない。
革命、そしてその後のすさまじい権力闘争が繰り広げられたというイランを。



アモス・ギタイ監督「ツィリ」
主にイディッシュ語。ユダヤ人少女がウクライナ西部の森に潜み、生き残る。ギタイ監督なのでワンショットが長~~い!そこは正直言って辛いが、台詞もイディッシュで当時の再現にこだわる必要があったのだろう。
出演した男優アダム・ツェフマンさんが上映後のQ&Aに登場。
彼自身はトロント出身ロスアンゼルス在住だが、祖父母がウクライナの”チャーナリッツ”(←チュエルニーゴフとは別の地名だろうか?)出身で、彼は祖母からイディッシュの特訓を受けたとのこと。
プログラムにサインをいただいた。





写真はいずれも今日有楽町朝日ホール撮ったもの


2014年11月29日土曜日

プレセピオ制作中

上智の講堂入口付近に、例年通りクリスマスツリーとプレセピオが作られるようです。
というのは、アドヴェントが始まるのは30日からなのだが、今日は作りかけ、飾りかけでした。

クリスマスツリー

舞台となる家畜小屋の枠のみ

イグナチオ教会の方は、まだ全然作っていませんでした。

2014年11月26日水曜日

Gallery&Cafeの九州クラフト展

仕事帰りに、赤坂のJalonaというカフェ併設のギャラリーに行って来た。
 

こんな素敵なところがあるとは知らなかった!
赤坂・赤坂見附・溜池山王の3駅から行ける。

やっていたのは九州クラフト展。

竹細工の籠

ねじり編みという独特の方法で編まれた籠


木の葉型の箸置き



木工クラフト(炒めへら・皿)
こちらを制作された小野寺さんが在廊されていた。
母がへらを買い上げ。
(一番良さそうなものは売約済みであったが。)


陶器(鳥のオーナメント)

会場となったギャラリーと、クラフトがとてもよく合っていた。
(クラフト展はよくデパートの展示場や大きめの会場(丸ビルとか)などで観てきたのだが、こういう小さなギャラリーで一つ一つ手にとって観られるのはよかった。)







2014年11月24日月曜日

映画鑑賞メモ書き

東京国際映画祭の記録もできないでいる中、ポーランド映画祭と東京フィルメックスに突入してしまった。

ポーランド映画祭 「罪物語」
昼ドラっぽい話でちょっと退屈。その手のストーリーとしては王道を行くようでいいんだけど、なら90分以内にしておいてよ。
ポーランドの歴史がわかっていればもっと楽しめるのだろう(19世紀末という設定らしい)。ルーブル使っていたりロシア語が出てきたり、でも政治的にうごめいている様子は表れない。
美貌にして薄幸のヒロインはねえ…。あまり共感はできないな。

東京フィルメックス映画祭 「プリンス」 
第1回受賞作「ジョメー」主演の若者ジャリル・ナザリのその後を追ったドキュメンタリー。私は「ジョメー」を観ていないが、元気に生きていてほっとした。イランを代表するような美形というわけではないが、丸顔で親しみやすい笑顔が魅力のジャリルくんである。
が、本当の苦労についてはなかなか伝わってこないなというのが正直なところ。
むしろ前作で共演し、その後の彼を援助し、作品化した監督マームード・ベーラジモアさんのことを知りたい。
それにしても何だな、ハンブルク映画祭主催者は難民の彼を招待するからには後のことまで責任持ってケアするべきではないか?勿論不用意に出国してしまった彼も甘いと言えばそうなのだけど。
収容所管理人の露骨、もとい率直な発言にもショック。


2014年11月23日日曜日

最近の料理


今日の夕食
シチー・ポークストロガノフ・付け合わせのトマトピラフ・セロリのマリネとキャベツのサラダ


鶏ハム(中央)・セロリのマリネ・キャベツ発酵漬け

牛乳とベーコンのスープ

シチー・ビーフストロガノフとイタリアンパセリのピラフ・ワイン・サラダ

2014年11月22日土曜日

ツィーゲノルト/ジーゲノート

ポーランド映画祭 「手を挙げろ!」上映後のサプライズ。
短編アニメーション「ツィーゲノルト」上映前に監督挨拶。若者だった。フルジャノフスキーみたいな残酷な哲学アニメ。
こういう機会でないと観るチャンスは殆どないから幸いだった。
このアニメーションは新千歳空港国際アニメーション映画祭のグランプリ受賞作。
ここでは「ジーゲノート」というタイトルになっているが、ポパクル監督自身の発音だと「ツィーゲノルト」Ziegenort

イメージフォーラムフェスティバルでも上映されていたのか。
ツィーゲノルト:トマーシュ・ポパクル
メモ
トマーシュ・ポパクル『Ziegenort』(2013年ポーランド) 

半袖姿のポパクル監督。

ツィーゲノルトは監督の生まれ故郷のドイツ名(旧ドイツ領なのだ)とのこと。

2014年11月21日金曜日

ハムの復習

鶏ハムにキャベツの発酵漬け(塩辛い…)といろいろ。




明日はキャベツの発酵漬けを元にシチーを作るつもり。
家人には「スープがつくってあると朝楽でいい」と評判がよい。