2014年4月29日火曜日

ロシア芸術館その2

97年?のTVロシア語講座(亀山先生)を録画したVHS(「ロシア芸術館」と歌の部分しかとっていない)を、これで全部(たぶん)DVDに移したので、VHSは捨てられる!

DVDは2枚になり、2枚目にかかってからが長く放置されていた。
2枚目
♪バラガン・リミテッド(テクノポップのアレンジをした民謡のグループ)
♪オットー・ラチス(経済学者)
♪ザラトエ・カリツォー(こちらも現代風な民謡グループ)
♪ヴァジム・レーピン(ヴァイオリニスト)
♪ボリス・ベレゾフスキー(ピアニスト)
この二人は「東京の夏」で共演した模様が入っている。
♪ラリサ・ヌルメハメドーエワ(歌手)
♪イリヤ・カバコフ(画家、画家に留まらない総合芸術家だけど一応画家にしておく)
♪アレクサンドラ・マリーニナ(作家)

残りに99年の講座のロシアの歌コーナー(ニキータ山下さんとナターリア粟沢さん)
♪ウラルのグミの木
♪ラベンダー
♪百万本のバラ
♪出会い
♪ロシアの草原
♪鶴

ニキータさんは毎回「是非皆さんのレパートリーに加えてください」とおっしゃるのだが・・・、歌う機会はあるのか?

1本目のDVDについては、たぶん前に書いているだろうけれど、
♪ボリス・ポクロフスキー(芸術監督)
♪インナ・チュウリコヴァ(女優)
♪ゲンナジー・アイギ(作家)
♪ソフィア・グヴァイドゥーリナ(作曲家)
♪アレクサンドル・ベラショフ
♪ニーナ・アナニアシヴィリ(バレリーナ)
♪アレクサンドル・ソルジェニーツィン(インタビュアー:アレクサンドル・ソクーロフ)
♪ナウム・クレイマン(映画研究家、特にエイゼンシュテイン研究の第一人者)
♪ボリス・グレベンシュコフ(ロックグループ「アクヴァリウム」)
♪アマーリヤ・モリドヴィーナ(女優)
♪マイ・ミトゥーリチ(画家)
♪ブラート・オクジャワの家博物館館長マラートさん
♪ウラジーミル・トルストイ(レフ・トルストイの子孫で、ヤースナヤ・ポリャーナのトルストイ博物館館長)
♪バラガン・リミテッド(途中)
を入れていました。
(結構故人が多い。)

90年代末期のロシアは、今観るとこんなに世相が暗かったのか~!というほど、亀山先生の解説の声もぼそぼそしているし、こんなんで私も良くロシア語をやめなかったな、と思うくらい、希望がなかなか見えてこない話が多い。
皆頑張っているけど。
2000年代で、プーチンが現れて、あれよあれよという間に、ロシアは経済的には発展し、2007年くらいまでは芸術の分野も勢いがあって明るかった。
まだそうなる前のどん底の時代のロシアが映っている。

2014年4月27日日曜日

ゲルマンはつらい

観てきましたよ、いきなり新宿パークタワーホールで、ゲルマンの遺作「神様はつらい」を。

ボンダルチュクの「収容所惑星」映画化作品(「パワー」何とかという邦題になっていた、ヴァシリー・ステパノフがマクシムを若々しく演じてる、やたら怒鳴り声で。)もこんな風にじっくり全編をみせてくれるとよかったのにな。

予想されたことではあるけれど、ストルガツキー兄弟の原作にはかなり手が加えられて、やはりゲルマンの、特に「フルスタリョフ、車を!」の続きっぽい作風で、モノクロだからまだいいけど、汚さが満載で、なかなかに辛い映画でしたよ。
そんな意味で問題作なのか??
ゲルマンは、最初のうちの静かな作風が好きだったので、「フルスタリョフ」でどうしちゃったの?という感じだったけど、「イワン・ラプシン」でも実はそんな傾向があったんですね。


原作を読んでいないと、トーシャ=ルマータ(主人公)が何をしているのか掴めなくて不可思議な映画になってしまうのではないだろうか、と心配。
プロローグは全面カットしているし。(アンカはまったく登場せず、パーシカも存在感ない。)
何より「神様はつらい」というテーマ、<低開発>の人々に外部の者たちの「介入」が許されるのかという問題(ストルガツキーは一貫して否と言いたいようである)が暈けてしまうのではないだろうか。
「介入」―『収容所惑星』でマクシムがよかれと思って算段すること、『神様はつらい』でアントンが遂にブチ切れてやってしまうことは、欧米諸国が「人権が」とかなんとか言いながら、あるいはソ連やロシアも一種崇高な言説を掲げながら、結局は他人の庭に入ってやってしまっているあれこれを想定しつつ、私はストルガツキー兄弟のSFを読んできたのだけれど、今日観たゲルマンの作品に関しては、抑圧的な組織の面々がモンゴル帝国であるかのようで(←ソ連時代の作品ならそういうのもわかるけれど、15年かかってできた映画だというから、作り始めたのもロシアになってからなんだよね、なのに?と思った)、新鮮というか、驚いたものです。

う~~~~~む、ボンダルチュクに作りなおして欲しいなあ。
できればアルトゥールくんを出演させて。

でもでも、この作品を上映してくれて、イメージフォーラムにはБольшое спасибо!と言いたい。

2014年4月24日木曜日

連帯なんて忘れていた

というのが正直なところですね。

最近サッカー観戦もままならず、つまりこの私が気分的に「サッカー観戦どころじゃない」ところにきてしまっている、今の露宇情勢なのですが、ともかく忘却の彼方になっていた(←完了体)連帯の人、ワレサさんの映画を観てきた。

私の母はワレサさんと前教皇が嫌いなんである。
かつて私がレフ・トルストイを嫌っていたような嫌い方なのだ。
私が岩波ホールにワイダの「ワレサ」を観に行くと言ったら案の定いやーな顔をした。
何でそんなに嫌がるのか。

最初のところで何となく感じたのは、当時の労働組合の活動家にありがちなマッチョ体質というか、女性蔑視的なセンス(ワレサのイタリア人女性ジャーナリストに対する態度が最初はかなり酷い)を、直観的に拒絶してるのだろうか。

だけれど、映画は意外とおもしろかった。
ワイダの作品にしては珍しくレトロなロックミュージック(ヴィクトル・ツォイっぽい)を多用して、それでもって70~80年代の空気を出そうとしているみたい。
ワレサの奥さん役がロシア語講座に出演していたオクサーナさんみたいに綺麗で愛らしい女性だった。
ワレサ役は「ソハの地下水道」のソハおじさん。上手い。
欲を言えばワレサさんだけでなく、路面電車運転手の女性やアンナさんその他周囲の人たちの様子ももっと詳しく観たかった。
そうそう。
ソハおじさんのワレサが乳母車にビラを潜ませて、あっさりそれがばれてつかまって乳飲み子ごと勾留され、赤ちゃんが泣きわめいているところに現れる女性警官のエピソードなど、ワイダの作品にしてはとても珍しく女性が魅力的だった。

もっと詳しく書こうにも、今スラヴャンスクが暫定政権による攻撃を受けているようなので、このへんで。

付記
さほさんは「観客はおじさんが多かった」と書かれていたようだ(確かにポーランド映画の観客はなぜか高齢の男性が多い)けれど、やはり岩波映画好きのおばさまがたが主流に見えた。
結構混んでいた。

2014年4月23日水曜日

二重の驚き

本日の驚愕はこれでした。
憲法は最高法規ではない、ですって。
これでは零点でしょ。

同僚が上司宛に届いたFAXを読んで大呆れしていました。
その後、私が別の上司に話したら、その上司はまだこのニュースを知らなかったのですが、
「そのくらい凄くばからしい発言をした方が問題になってよろしいんじゃないでしょうか」
とおっしゃったのだけど。

私の第二の驚きは、上司はああおっしゃったけれど、まだこれがさほど「問題発言」として取り上げられていない、ということでした。
(たぶん他の上司らもまだ知らないのでは?)

憲法よりも行政法が重要(とこの人は言いたいらしい)なんて、行政法の先生でもおっしゃらないだろう。
憲法学が不要なんて議論は聞いたことないなあ。
少なくともよほどの独裁国家でもない限りあり得ないだろ。

不思議だ。
これの発言者は安保法制懇とかいうものの座長代理とかいう肩書をお持ちなのだけれど、そんなまともじゃない人の意見を聞こうという人がどこかにいるのだろうか。


さて、中断していたオデッサコスモスのソヴィエトフィルム・クラシックスの作品紹介の続きでグルジア映画部分を追加した。
あと4本。

愛国者と裏切り者は紙一重

「僕の村は戦場だった」で危険な斥候役を買ってでて命を落とすイワン少年を演じたニコライ・ブルリャーエフは数年後には「道中の点検」でわけもわからぬままに祖国を裏切る少年役を演じる。
(前後して「アンドレイ・ルブリョフ」で、鐘作り少年役)

あの二つの役を同じ人間が演じているのは感慨深い。
イワンくんだって、まかり間違えば崇高な愛国少年ではなくて、卑劣な道を選ぶようになったのかもしれない。

>下は…ご存じの方いたらご教示下さい。

「道中の点検」のブルリャーエフか、「処刑の丘」のややお調子者の主人公を思い出した。

教会学校で、イースターの直前だったと思うが、先生に
「イスカリオテのユダも救われますか?」
と質問した。
先生はしばし考え込んでいたけれど、
「ユダも救われると思います」
と答えてくださった。
(そのおかげで私は信仰を失わないですんだ。キリスト教徒の中には、ユダを許さないという見解もあるだろうけれど、私としては世の中の最後の一人までも救われる可能性があると示されなければ自分が救われる気がしないと感じたのだった。)

復活祭の停戦合意を破って襲撃を行ったのは酷いと思う。
けれども、立場は容易く逆転し得ると考える。

もう一度見直したかった「道中の点検」だが、明日18:30~に間に合うだろうか?

 

2014年4月21日月曜日

違いがわかる

ずっと長い間の疑問だった。
復活祭(イースター、パスハ)の日にちが、カトリックやプロテスタントと東方正教会で、2週間ばかりずれている年があるかと思えば、同じ日に祝う年があること。

クリスマスが違う日になるのはわかる(違う暦を使っているから)し、それは毎年のことだ。

が、復活祭は「春分の次の満月後の最初の日曜日」という移動祭日で、「春分」「満月」「日曜日」のどれが原因で、年によって同じ日になったり違う日になったりするのだろう?????
と思っていた。

http://www.orthodox-jp.com/nagoya/msj3.htm#date

http://www.calvin.org/misato/easter/easter04.htm
正教会が用いている復活祭の決定方式が古代教会の方式をそのまま引き継ぎ、他の教派と異なるからです。
「春分の次の満月後の最初の日曜日」というのが復活祭の日付の決め方の原則ですが、正教会では天文学的な春分ではなく、この決定がなされた第一回全地公会議(ニケヤ)の年(325)の春分の日をユリウス暦上に固定して計算しています。また、ユダヤ教のパスハとともに祝わないという規定(使徒規則7条、アンティオキヤ地方公会規則1条)も守り続け、この二つの要因が複合して他教派の日付と異なるのです。

ということなんだって。

今年は同じ日になり、4月20日、つまり昨日だった。
昨日は世界中の教会が主の復活を祝った。

混迷の続くウクライナでも、パスハのために休戦の合意がなされていた。
が、スラヴャンスクで、いかにも正教らしい名のこの町で、検問所の一つが奇襲を受けて、双方に死傷者が出たという。
パスハの休戦を破って奇襲をかけたのは暫定政権側の右派セクターの人たちらしいのだが、彼らの装備はウクライナ軍が使用しているもの以外の外国製のものがあったり、ドル紙幣をお持ちだったり。

日本の報道では流されているけれど、パスハの休戦破りはかなりの非道であると、私なんぞは憤慨している。

2014年4月20日日曜日

2014年4月19日土曜日

マリャキのウクライナ名

チェルノモーレツ・オデッサの選手たち(愛称マリャキ)はオデッサ出身が多く、ウクライナ国籍の人が殆どです。

つい最近、外国籍の選手たちがごそっと退団してしまいました。
「チョルノモレツ(※1)は破算(ママ)して外国人選手が全員辞めた」という書き込みが日本のネット上に散見するのですが、公式サイト上では選手と家族の安全を保障できないので辞めてもらったみたいなことが書かれており、少なくとも公式に破産手続きをしている風ではありません。クラブ経営は苦しいだろうけど。
もし破産しているなら管財人が新たな選手獲得を制限するだろうけれど、カメルーン人のタイクとか補強もしているし、レオは残っているので「外国人全員」が去ったわけでもなく、何を根拠にそういう書き込みがされているのかちょっとよくわかりません。
※1チェルノモーレツのウクライナ語による表記。

ひところはニキフォロフみたいにロシア人プレイヤーもいたのですが、今はロシア国籍の選手はいないんじゃないかな?
ウクライナリーグ全体を見ても、ロシア人は殆どいません。
ロシアの方が条件がいいから、なかなかウクライナに来ようとしないのではないだろうか。

さて、チェルノモーレツ・オデッサのトップチームの選手たち(殆どウクライナ国籍)が、ウクライナ名ではどうなるのか、をちょっと調べてみました。
愛称だとどうなるのだろう?
それは今後調べます(たぶん)。

Основной состав


Вратари
キーパー
12 Дмитрий Безотосный
ドミトリー・ベゾトスヌィー
(ウクライナ名:ドミトロ Дмитро)

13 Юрий Мартыщук
ユーリー・マルティシチュク
(ウクライナ名:ユーリー Юрій)

44  Евгений Паст
エヴゲニー・パスト
(ウクライナ名:エフヘン Євген)

Защитники
ディフェンダー
2 Петр Ковальчук
ピョートル・コヴァリチュク
(ウクライナ名:ペトロ Петро) 

25  Евгений Мартыненко
エヴゲニー・マルティネンコ
(ウクライナ名:エフヘン Євген)

42  Евгений Зубейко
エヴゲニー・ズベイコ
(ウクライナ名:エフヘン Євген)

52 Адольф Тейку
アドリフ・テイク(カメルーン)
※カメルーン人なのでウクライナ名はなし。最近メタルルグ・ザポロジエから補強したDFです。

77 Павел Кутас
パーヴェル・クタス
(ウクライナ名:パヴロ Павло)


Полузащитники
ミッドフィールダー
6 Леонардо Де Матос(ブラジル)
レオナルド・デ=マトス
※ブラジル人なのでウクライナ名はなし。愛称はレオЛео。

7 Торнике Окриашвили
トルニケ・オクリアシヴィリ(グルジア)
※グルジア人なのでウクライナ名はなし。グルジア人の愛称も可愛い(例:カハベル→カハ)から覚えたいなあ。92年生まれの若手ながらグルジアのフル代表に既に10試合出場1得点を挙げています。

8 Кирилл Ковальчук
キリル・コヴァリチュク
(ウクライナ名:キリーロ Кирило)
オデッサ生まれだけど、キリルはウクライナとモルドヴァの二重国籍者(モルドヴァのクラブでプレイしていたこともある)。モルドヴァ/ルーマニア名も持っているはずですがここでは略。弟のセルゲイ(現在カザフのアクトベでプレイしている)はロシアとモルドヴァの二重国籍。DFのピョートル・コヴァリチュクは兄弟ではありません(父称も出身地も違う)。

10 Алексей Гай
アレクセイ・ガイ
(ウクライナ名:オレクシー Олексій)

11  Иван Бобко
イヴァン・ボプコ
(ウクライナ名:イヴァン Іван)
苗字、ウクライナでは無声化せずに「ボブコ」なのだろうな。

17 Владимир Аржанов
ウラジーミル・アルジャノフ
(ウクライナ名:ヴォロジミル Володимир)
名前からするとロシア系ですね。

82 Павел Ребенок
パーヴェル・レビョーノク
(ウクライナ名:パヴロ Павло)

88 Ринар Валеев
リナール・ヴァレエフ
(ウクライナ名:リナル Рінар)


Нападающие
フォワード
9 Анатолий Диденко
アナトリー・ディデンコ
(ウクナイナ名:アナトリー Анатолій?Анатолий)

69 Алексей Антонов
アレクセイ・アントーノフ
(ウクライナ名:オレクシー Олексій)

監督さん
Роман Григорчук
ロマン・グリゴルチュク
(ウクライナ名:ロマン Роман)

2014年4月18日金曜日

明日のネコ歩きが

実家からTVがやって来て、久しぶりにTVのある生活をする、つもりだった。

今まで見たい番組は実家に赴いて録画予約をし、DVDにダビングして、自宅のPCで観るという面倒なことをしていたのが楽になる。
と思ったら、ケーブルテレビの作業員のお兄さんが設定して行ったのが、何か間違っているのか、録画予約ができず、悲しかった。
(作動はするが、ただ黒い画面が録れているだけだ。)

明日の朝のネコ歩きもだめなのか。
悲しい。

あと、これも不思議なことに、DVD-Rのファイナライズもできない。
あのお兄さんは何をしていったのだろう?

まあ、たかがTVだ。
今までなくても生きていた。
だからどうってことない、と思うべきなのだろう。
でも、ワールドカップは観るつもりでいた。
ネットではなくて。
映像はTVで観て、ネットでロシア語の音声を聞くつもり。
その目算が外れると、痛い。

2014年4月15日火曜日

悲しみの25節

うわあ、ヴォルガが。
0-5でディナモに負けている。
カリャカはヴォルガの前にはディナモにいたのだけれど、完璧にやられているわ。
直近上位のトミとの差も3に開いて、危ない。

オデッサや、カリャカの故郷のドニエプロペトロフスクでも、«アンチマイダン»の動きが活発化しているようだ。
行政機関の占拠まではしていないようだが。

襲撃→占拠をしているのはより東部のドネツク周辺の都市のようで、オデッサあたりは広場に集まる、デモをするといった行動をしている。

彼らが掲げる旗は、「ドネツク人民共和国」のもの、その地方の旗?、ソ連国旗、聖ゲオルギーなにやらのロシア帝国のものなど雑多なもので、仮に願い通りにウクライナから分離したとして、一緒にやっていくのは難しいだろうなあ。

チェルノモーレツには、現在ロシア国籍の選手はいなかったはず。
それにロシアのリーグでプレイする選手でも、オデッサ出身だったり、チェルノモーレツ出身だったりの選手はあまりいなかったように思う。
ロシアリーグでプレイするウクライナ人はちらほらいるが、ウクライナでプレイするロシア国籍の選手はかなり少ない。
それでもウクライナに縁がある選手は多いはずで、彼らの心境がいかばかりかと思うとほんとうに心が痛む。

2014年4月13日日曜日

東京大学出版会の猫についての本

東京大学出版会から『ヒトとともに生きる動物たち アニマルサイエンス』という全5冊の本が刊行されている。
いずれも『○○の動物学』というタイトル。

①ウマの動物学
②ウシの動物学
③イヌの動物学
④ブタの動物学
⑤ニワトリの動物学

«ヒトとともに生きる»というのは、愛玩動物というより、家畜のことを意味するらしく(③のイヌは家畜とは言わないかもしれないが、「人のために働く動物」ではある)、5冊の中にネコは入っていなかった。

が。

このシリーズのラインナップではないが、このたび『ネコの動物学』が刊行された。
でも、上記のシリーズが3200~3400円であるのに対し、この本は2600円(本体価格)なので、おそらくより一般向けに書かれたのだと思う。
東京大学出版会の書籍は、一冊読むとそれなりに知識が得られた、賢くなったような気にさせられる、一種知的満足感が得られる。
(誤植が多かったにせよ『ロシア宇宙開発史 気球からヴォストークまで』とか。)
なので、この本についても、ネコに関してちょっとした知識やより体系的な理解を得ることができるのではないかと期待して手に取ったのだった。

しかし、感想としては、お値段相応のライトな読み応えといったところ。
最初の方は猛猫や猫の写真が、モノクロながらふんだんにあって、素敵。
性格と毛色の関係などは、一般的には関心の高いことだろうか。
実験と通説は概ね一致したようだ。

芸術作品に登場するネコの紹介については、全く網羅的でなく、中途半端な印象を受けるが、まあしかたないかな。
挙げていったらキリがないもの。

 
(例:エルミタージュ所蔵のネコを題材にした作品集)
 
 
また、現代では愛玩が主目的となっているネコであるが、本来の害獣駆除の働きについて、特にエルミタージュの約50匹のネコたちの活躍が挙げられている(83ページ)。
これについても、私は繰り返し書いているが、美術館・博物館・図書館その他官庁も含め公的な場所で働くネコは、決してエルミタージュだけではないと思う。
(去年の秋に話題になったノヴォロシイスクの児童図書館員猫のクージャは元気だろうか?)
 
 
それと、「ネコは芸ができる」という項目では、ククラチョフ猫劇場が紹介されている。
(ククラチョフさんは昨日お誕生日だった由。)
ネコは芸ができなくても単に可愛いだけでポイントになる、というか、おとなしくじっとしているだけでもかなりお利口だと思いますわ。
 
読み終ってみて、どんな読者層を狙って書かれたのかはやや疑問を持った。
ネコの飼い主向けのガイドブックではないし、ネコについてのアラカルトとしては物足りないし、動物学の専門書としては勿論欠けが多いだろう。
でも、一冊さっと読みとおせるように、平易に書かれているのはよかった。
 
過剰なスキンシップはよくないという、もっともな注意書きもあったが、一緒に布団の中に入るのもいけなかったのか。
毎晩やっていたわ。
(でも、そのうち温まるとふとんの中からふとんの上に移動するけどね。)

2014年4月6日日曜日

イーゴリ公の夢

ネトレプコ出演の「エヴゲニー・オネーギン」、アヴァンギャルドなアニメーションを駆使した「鼻」、幻想的になりきれていない「ルサルカ」と、METライブビューイングを観てきたが、遂に新演出(METでは100ぶ年ぶりだという)「イーゴリ公」を鑑賞してきた。

どうもこの歌劇団の演出には違和感を覚えてしまうのだが、それも今回が最高潮に達する。
ここ、オペラの歌の技量はあるのだろうが、バレエがね、ということなのかもしれない。
「イーゴリ公」と言えば、「ポロヴェッツ人の踊り」が有名で見せ場。
しかし、その場面がちっとも沸かないのだ。
逆にさーっと退いてしまう。
残念ながら血沸き肉躍るとはならない。
歌は上手いのだが…。
あと、コンチャーコヴナ役のラチヴェリシュヴィリはミス・キャストだな。
あまりに恰幅がよすぎるよ。
(来季はカルメンを演じるそうで、それは合っていそう。)
悪役ガリツキーらの酒宴場面も「もっと盛り上げてくれ~~~!!!」でしたね。

新演出を全否定する気はない。
12世紀ロシアではなく、いと不思議な衣装(長いコートに銃を捧げる兵隊たち、「スペードの女王」のゲルマンみたいな服を着たガリツキー、古代ギリシャ風?の白い衣装をぼてぼての肉体にまとっているラチヴェリシュヴィリ、まるでレーニンか!という剃った頭できっちり軍服をきこなすコンチャク汗)も許そうか。
でも、兵隊たちの着こなしチェックをしている割には、イーゴリ公、自分がファー付きの皮の短コートの前をはだけて着崩しているのって、これから戦いに出掛けようとしている軍の司令官としてどうなのよ、って気がしてならなかった。
というわけで、前半はなかなか登場人物たちの心象に迫れないでいた。

後半の、というか、最終盤の荒廃した公の故郷プチヴリで、民衆はこの戦争の最高責任者でもあるイーゴリを熱狂的に迎えて「彼が帰って来てくださったからにはもう大丈夫」的なハッピーエンドになりそうなところで、この主人公、暗い面持ちのまま、もしかして発狂してしまうのか?などと訝っていると、若干メッセージ性のありげなラストであった。
まあ、これから大変だろうけど、頑張ってね、と声をかけたくなる。

ニューヨークでばりばりのロシア語オペラを取り上げるのはとても意味があることだろうが、ロシアオペラの香りはかなり抑えられ、かといってまったくの現代風の演出に徹したわけでもなく、上級者向けのバリエーションであったように感じる。

好みで言うと、やはり最近BSプレミアムで放映していたボリショイオペラの「イーゴリ公」の方が安心して観ていられた。
ポロヴェッツ人のところでは歌いだしたくなるしね。

イーゴリ公を演じたのはイリダル・アブドラザコフという、いかにもタタールっぽい名前の、ウファ歌劇場出身の歌手。
ウファでは「イーゴリ公」でイーゴリのおつき役をやり、METでは「ホバンシチナ」に出演したことがあり、いつか「ボリス・ゴドゥノフ」のタイトルロールをやりたいと、幕間のインタビューで語っていた。
彼の夢が叶いますように。(来季のプログラムは既に発表済みだが、「ボリス」はなかった。)

難問

おお、EUフィルムデーズ2014とソヴィエト映画クラッシクス、日程が被っているという大問題が発生。
去年初冬のポーランド映画祭とスウェーデン映画祭が重なったときみたいだ。
あのときは上映会場がユーロとイメージフォーラムと両方渋谷だったが(15~20分くらいかかる)、今回のEUとソヴィエトのはしごは難しい。京橋と渋谷だからなあ。

ソヴィエト映画クラシックスの作品は別の機会があるだろうか、あるかもしれない。
(この上映会自体、去年神戸でやっていたものの巡回ではないだろうか。)
EUフィルムデーズの方は、その後一般公開というのはなかなか難しいようだ。
「カラマーゾフ兄弟」(チェコ)のような傑作でもあれっきりのようだし。

それにしても、ソ連時代の作品の回顧上映はこうしてたびたびあるけれど、90年以降のロシアになってからのレトロスペクティヴとか、あるいはごく最近のロシアでヒットしたロシア映画とか、そういうのの特集上映がないのはとても寂しい。
大型連休中に毎年やるイタリア映画祭や、横浜を基盤にしているフランス映画祭のように、きっちり最新作を売りこむ国々が羨ましい。
(最近のドイツは息切れか?)
ロシアフェスティバルでもシャフナザーロフ(彼はモスフィルムのトップなのでできたのだと思われ)以外に誰か最新作の上映をやりましたっけ?
びっくりするほどいつもいつも旧作上映で「映画祭」と銘打ってしまうのだ、ロシアは。
私は新しい作品が観たい(できれば戦争映画以外で)。

イメージフォーラム・フェスティバルではゲルマンの遺作「神様はつらい」をやるのか。
去年はバラバノフを2本観て、相変わらずいっちゃってるな、と呆れつつも「私は幸せになりたい」では今まで大反発を感じていた彼の作風の中にも微かに訴えたかったがなんであるかの片鱗がつかめたかのような気がして、初めて次回作が楽しみと言えそうだったのに、突然訃報を聞いて驚いたのだった。
ゲルマンの遺作も観るのはやはりちょっと勇気がいりそうだ。
(頭痛がした「フルスタリョフ、車を」の路線だという噂を洩れ聞く。)

意味を求める

友人が亡くなって1年、今日は教会で記念会があった。

彼の短い生涯のその後半はまさに病との闘いだったが、決して愚痴を言わず、恨みごとも言わず、淡々と生きていたのが、今でも強い印象を残している。

教会の人たちって意外と人間関係が難しくてあちこちで陰口…みたいなものも飛び交うもので、そしてなぜだか彼の前では人は皆一種無防備になって本音を言ってしまうことがあるらしく、何か不思議な癒しの力が彼にはあるのだろうか、実は彼は教会の人たちの噂話の集積所になっていた感がある。(他人の目を気にしない性質の私は噂にもおそろしく無頓着で疎かったが。)

昨年イースターの前日、彼を天に送る礼拝で、随分涙を流した。
翌日のイースター礼拝でも泣いていた。
今日のこの日もまだまだ辛い。
あの前にもあの後にも、身を切られるような辛い思いを味わって、去年は全くヨブ記のような体験をすることになったのだった。

彼の辛い、でも敢えて言うが豊かで実り多かった生涯をともに語り合える友人たちと、今日ひととき話しあえたのはよかった。
繰り返しになるが、まだまだその先にも悲しいことがあったから。
酒井啓子先生が新聞に書いていたことだと思うが、残された者たちはどうにかしてその人の人生が意味あるものだったと納得したく、それによって悲しみから、喪失感から立ち直りのきっかけを得るのだ。

やや安易な方法ではあるが、その後渋谷に行ってカウリスマキを観た。
大好きな「トータルバラライカショー」を観た。
何度観てもやはり好きだ。

2014年4月4日金曜日

三たび、上司の勧めで

シネマヴェーラで「帝国オーケストラ」を観る。

何年も前に上司が観て感動したと言って、プログラムも見せていただいた。
ベルリンオーケストラがいかにナチスと結びついていたか、しかし当時の団員にはそんな自覚はなかったり、実はややあったりで、あれです、現代書館の『ナチス第三帝国とサッカー』みたいな感じね。
戦後、ナチス政権下で禁じられていた曲を披露した、というから、まずはメンデルスゾーンとは誰しも思うが、もう一曲はチャイコフスキーだったのだと。
まあ、そうかな。
«チャイコフスキーがなぜか好き»な私には、やっぱりファシズムのもとではそれだけで暮らしたくない理由になる。
但し、それには自覚的に「私はチャイコフスキーが聴きたいのに、なぜ禁止しようとするの?!」と、時流に流されずに主張して行かなければいけない。
チャイコフスキーがだめならリムスキー=コルサコフを聴いて凌ごう、なんて考えていてはいけないのだ、きっと。

「僕の村は戦場だった」との二本立て。
タルコフスキーの初期傑作は勿論よかった。
ブルリャーエフ、可愛かった。
マーシャの態度は今観ると不思議だ。
好きな映画かというと、「誓いの休暇」や「私は二十歳」や「モスクワを歩く」に対して抱く親愛の情があるわけではないが、いい映画だ。何度見直してもいい。