2011年8月30日火曜日

ロシアン・エレジー

アキンフェーエフの負傷はかなり重い。ツェスカではチュプチュゴフがこの際チャンスをつかんでくれってところだけど、代表選、つまりユーロ予選残り全試合も絶望とのことで、あーあ!と嘆息する次第。

以前彼が長期離脱した時には、彼より年長のマラフェーエフが代表デビューし、それとウラジーミル・ガブロフとで何とか持ちこたえて予選突破したのだった。
ツェスカの方はマンドルィキンが頑張った。
(マンドルィキンは昨年交通事故(それも自損事故、且つ妻ではない女性を同乗させていたというあまり同情できない状況が重なっていた)で重傷を負っている。選手として再起するのは難しかろうと思われる。)

今回は、またまた厳しいことになった。
実はそろそろアキンフェーエフより若いGKが出てきて欲しいところ。
候補としてはザボロトヌィあたり。
しかし、ここで試そうという局面ではなかろう。いくらなんでも。

ぱっとしないDF連中を中心に、持ちこたえてくださいよ、と。

2011年8月29日月曜日

シュニンが代表入り

昨日の試合でアキンフェーエフが負傷したことにより、アドフォカート監督はディナモのアントン・シュニンを招集したそうです。
ルビンのルィジコフじゃなくて、ディナモのシュニンか。
長身でおそろしく格好いい人ですが、大崩れすることもあります。
なので、ちょっと不安。

そもそも、ユーロ予選対マケドニア(2日@モスクワ)、対アイルランド戦(6日@モスクワ)に呼ばれていた選手たちは、というと、代わり映えせずいつもの人たちです。

Вратари: Игорь Акинфеев (ЦСКА Москва), Вячеслав Малафеев («Зенит» Санкт-Петербург).

Защитники: Александр Анюков («Зенит»), Алексей Березуцкий, Василий Березуцкий, Сергей Игнашевич (все – ЦСКА), Юрий Жирков («Анжи»), Роман Шишкин («Локомотив» Москва).

Полузащитники: Динияр Билялетдинов («Эвертон» Англия), Денис Глушаков, Дмитрий Торбинский (оба – «Локомотив»), Игорь Денисов, Константин Зырянов, Роман Широков (все – «Зенит»), Алан Дзагоев (ЦСКА), Игорь Семшов («Динамо» Москва).

Нападающие: Андрей Аршавин («Арсенал» Англия), Александр Кержаков («Зенит»), Роман Павлюченко («Тоттенхэм» Англия), Павел Погребняк («Штутгарт» Германия).
アンジからは初、であろう。

メモ書き『灼熱のシーズン』

『狂熱のシーズン』ティム・パークス(白水社)イギリス人作家が、セリエAのヴェローナの熱狂的サポーターと行動をともにしたルポルタージュ

今年の「ひろしま」

ロシア旅行の間に届いていた手紙の中に、宮城の友人からの先日のお見舞いに対するお礼状。
それに日本文学の先生をしている友人からは映画や書籍を紹介する丁寧な手紙。

彼女が紹介する映画
*教育学者大田堯のドキュメンタリー映画「かすかな光へ」 ポレポレ東中野
*関川秀雄監督「ひろしま」 オーディトリウム渋谷 26日まで上映予定が、延長されモーニングで9月4日までは上映されるようである。
*「はだしのゲンが見たヒロシマ」 オーディトリウム渋谷で上映していたが、26日で上映終了だった模様。

恥ずかしいことに、どれも観に行っていなかった。
映画館の予告編などでそれらの作品が上映されることは知っていたのだが、旅行に行くまでは気忙しくて観る余裕がなく、26日に帰国してからは少々疲れている。
だが、観ねばなるまい。

彼女の感想によれば、
「正直言ってどちらの作品も(『原爆の子』に触発されて撮られた新藤兼人監督「原爆の子」と上記の「ひろしま」を指す)傑作とは決して言えない」
「戦争と子どもと言うテーマだったらタルコフスキーの「僕の村は戦場だった」にはとうてい敵わない」
「核と子どもの問題だったら、コンスタンティン・ロプシャンスキーの「死者からの手紙」には遠く及ばない」
「映画としての文学性・芸術性・さらには社会性についても、ロシア映画に軍配が上がる」
「ただ、「ひろしま」は8万人以上の広島市民が被爆後(敗戦後)8年の段階で(中略)演じては泣き、泣いては演じたといわれる作品(であるので、そに意味で価値が高い)」
「最後の行進場面は印象に残る」
「子どもたちが方言で話していないのが残念」
とのこと。

「死者からの手紙」は、私もすごくいいと感心しました。
ソ連初の人類滅亡を描いた映画だという。
(ソ連は「絶対に発展する」社会のはずだったので、人類が滅亡する未来なんて描いてはならなかったのだ。)
ロラン・ブィコフ演じる老人の優しさに心が震えずにいられない。
この夏アテネ・フランセの特集映画でやっていたので、この状況下で再見し、やはり今再び観るべき作品であったとの認識を改めて持ちました。

「ひろしま」
長い間忘れられていた幻の作品だったそうだが、助監督だった方の尽力で、この夏日本各地での上映が実現したとのこと。

2011年8月27日土曜日

頭は一つ、身も一つ

昨日、無事ロシアから帰国しました。
行ったらまたまた衝動買いですよ。

90年に初めて行った時、モスクワからレニングラード(当時)への移動する際のシェレメチェヴォ空港の売店で、毛皮の帽子を衝動買い。
したのはいいけれど、東京でそれを被ると、暑くて頭ががんがん痛くなるので、一度も使わず、帽子箱に入れて箪笥の上の棚に置いたまま。

だというのに、今度の旅行では、帽子を3つも買ってしまいました。
頭は一つしかないのに。
一つは耳当て付き(折り返せるタイプ)の白と美しい青色の帽子。
あとの二つはスーパーの園芸コーナーにあった、たぶん帽子であろう代物。フェルト製。
(母(旅行中、猫の世話をありがとう)に見せたら、「植木鉢カバーかもしれないよ」と言われたけれど、やっぱり帽子だと思う。)

そんなわけで一週間余り、ネット環境から離れて(私は外国旅行の時は携帯電話も置いていくのです)、旅行を満喫してきました。
今回は体調を崩すこともなく、無事終了。
旅行については、写真を整理しつつぼちぼち投稿していく予定です。
別ブログにしようかな。
写真は控えるつもりでいて、実際昨年ほどは撮らなかった(少なくとも終盤までは)のですが、帰国前日にペテルブルグの運河めぐりクルーズをすることになって、そのときにはばしばし撮ってしまいました。

今回のロシア猫事情についてメモ書き。
1.モスクワでは1匹も会えなかった。

2.エルミタージュの猫の本、昨年買ったものはロシア語版についてはどうも売り切れらしく、英語版のみ売っていて、今年はコンパクトな別の本が売られていました。


このように、表紙は日本猫です。

3.そして、エルミタージュでは本物の猫に会えた!!!

4.ペテルブルグには、24時間営業のコンビニがそこここにできているのですが、看板猫がおわしますお店がちらほら。

(書きかけ。)

帰ってきて、久々にネットサーフィンしていると、こちらでフルジャノフスキー監督来日のお話を知ることになりました。
入れ違っていたか!
おお、監督とお会いしたかった。
旅行も楽しかったけれど、監督とお話しする機会を逃してしまったのは残念!
身が一つなのが恨めしい。

沼辺さんが書かれているとおり、「一部屋半」は傑作です。
フルジャノフスキー監督のアニメーションは、すごいとは感じるものの、無気味で、特に好きではなかったのですが、「一部屋半」は観て目眩がするほど圧倒させられ、「この人はこの作品を撮るためにこの世に生を授かったのだ」と確信しました。

旅行中最も気がかりだったのは、うちの猫が暑さでやられていないかどうか、でしたが、元気に玄関まで迎えに出てきました。

旅行のブログつくりました。
ファンタスチカ・オデッサ
写真はオデッサ駅(2007年Kocmoc Kocma撮影)

2011年8月19日金曜日

ニニーゼを観に行ったが

あまりおもしろいとは言えない出来だった「宇宙飛行士の医者」。
暗くて、いい男じゃなかったし。
(「懺悔」で演じた高校生が長じると、こんな風か?)
チュルパンみたいな素敵な妻がいてなぜ?

でも、ラストに自転車で突っ走るシーンは、「ニニーゼ、美しい!」だった。
あのシーンだけ、ほんとにあのシーンだけ。
見ごたえがあったのは。
ゲルマン息子、お父さんに作風似すぎだと思える。
スターリンの死の背後で医者がどうしたこうしたという「フルスタリョフ、車を!」と同じ趣向、というか二番煎じじゃないか。

2011年8月17日水曜日

サッカーのない週末

土日とも立て込んでいて、サッカーの試合を1つも観られなかった。
あんまりいい話はなかったが。
今更振り返る。

数少ないよい話題。
コッカー、ことハノファーのラウシュは得点していた。
開幕戦である前節は途中交代だったので、気になっていた。
(ドイツブンデスリーガの試合は、たとえ暇でも観ることはない※が、ハノーファーの結果はチェックするようになっている。)

チェルノモーレツ、ここまで未勝利。
一部リーグでは断然強かったような気がするが(←そんなことない)。

ディナモ、どうした??!!
この前大敗したと思ったら、信じ難い大量得点。
セムショフが『運命の卵』のロック光線を浴びてしまったかのよう。
でも、カリャカが得点しなかったからあんまり嬉しくない。
いや、全然嬉しくない。
PK失敗しているのだ。GKにセーヴされて。
監督は試合後のインタビューで「カリャカは通算100ゴールまであと2つだからPK蹴らせたけどだめでしたね」みたいなことを述べており、なかなかシビアな見解を示している。

シェヴァはお怪我。

※昨年のロシア語教室の打ち上げで、かなり遠方から(静岡県)通っているクラスメイトが、私がサッカーの試合をほぼ毎週観ていると話したら、「ウチダは教えたことがある」とかなんとか。
その人は塾の先生なのかな?
でもその人はサッカー自体にはあまり関心がないらしく、私の方は観ている試合はロシアかウクライナに集中しており、ウチダさんについては名前を聞いたことがあるかな、という程度でしかなかった(どうやらドイツでプレイしているらしい)ので、それ以上話は弾みませんでしたとさ。

2011年8月14日日曜日

あなたはどこにいたのか

『キリスト教とホロコースト 教会はいかに加担し、いかに闘ったか』

結論から言うと、メモ書きの羅列という印象で、「教会はいかに加担し、いかに闘ったか」を網羅的に知るにはほど遠い。
しかし力作であることに変わりはない。

6章 ポーランド編
7章 リトアニア編

342ページ
リトアニアのユダヤ人はガス室で殺されはしなかったが多くの場合、墓穴を自ら掘らされた後に大量射殺によって殺された。リトアニアは、占領の第一段階の期間中、しかもこの国の地元民にユダヤ人の大半が皆殺しにされた最初の国だった。
8章 ロシア・ベラルーシ・ウクライナ編
9章 中南東部ヨーロッパ(チェコ、スロヴァキア、スロヴェニア)編
10章 ハンガリー編
11章 バルカン諸国(クロアチア、セルビア、ブルガリア、ギリシア)編

ユダヤ人側から、ユダヤ人救出に尽くした人たち、特に聖職者たちの名前をどんどん挙げていっている。
ナチスに協力的な聖職者の方が多かったし、ウクライナのシェプティッキーのように、ナチスにかなり積極的に協力しつつユダヤ人救出にも関わったという複雑な経歴の人もいる。
ナチス占領下を、その勇気ある行為を続けたにもかかわらず、生き延びた人たちの名が、この本のリストには多くて、その行為ゆえに命を犠牲にした同業者たちの名はあまり明らかにされていないのは不思議な気もする。

365ページ

イズヴォーリスキ神父は、近くの村のある司祭がユダヤ人に明快に肩入れする発言をし殺害されたにもかかわらず、幸運にも危害は加えられなかった。
のような例にあるとおりり。

私はブリギーダの猫です

『ブリギーダの猫』

お話もよかったが、まず表紙のみやこうせいさんの写真が好き!

私、オデッサのパスチェル通りで会った、この猫(↑窓のところ)のことを思い出したの。

ブリギーダの猫は、主人公の少女へレナの父の知人(というか使用人)の妹ブリギーダに飼われていた猫。
なので、ユダヤ人がゲットーに移らされた時に、へレナの家で猫を預かることになったのだけれど、ブリギーダがつけた名前がわからない。

作者は元々SFジュブナイルの作家(『竜の年』『パパは異星人』等の邦訳あり)。
1939年から1945年ワルシャワ、両親がユダヤ人を匿っていた、また父がゲットーの現実を敢えて娘に見せて記憶にとどめておきなさい、と言ったという実話をもとにした物語で、それだけに見えてくる現実はシビアだ。
“天使のような”幼い少女は、善意の人たちの祈りと努力にも関わらず、二度とへレナの前に現れることはなかった。
軽く“婚約”を承諾した近所のハンサム少年は、ゲットーで見かけたときにはもうすでにハンサムではなかった(ゆえに“婚約解消”を考えるへレナ、うーむちょっと残酷な乙女心だ。)
戦後、へレナが成長し、亡くなるまでを扱った原作と違って、作者の意向で、終戦直後の話までしかここでは訳されていないせいかもしれないが、慌ただしくへレナの前から姿を消していったユダヤ人の知人たちが結局無事だったのかどうかは殆ど明かされない。
猫の飼い主のブリギーダもしかり。
ポーランドの人にとってはあえて書くまでもないことだから、だろうか。

SF的手法で、というか、へレナに向かって猫が話しかけたりして、タイトな現実の中に、どこかほっとする雰囲気が漂う。
「わたしはただの猫ではありません」
「猫は猫でもメス猫です」
(メス猫ってただの猫じゃないのか?この猫、きれいな毛並みの三毛猫なのだ。ヨーロッパでは、日本ほど三毛猫がいるわけではないのだろうか、やや珍しがられているようだ。そして、表紙のみやさんの写真にも、しっかり三毛猫がいる。)
猫との再会はなにとなくSF(Sukosi-Fusigi)的だ。
この猫自体、ほんとうに戦争を生き延びたのだろうか?

終戦後、へレナの父は、それまで助けていたユダヤ人の使用人を去らせてしまう。
このあたり、どうも高度に政治的な事情が絡んでいそうだが…。

mikeさんへ


反応が遅くてごめんなさい。
そして、さらに申し訳ないことに、なぜか私自身がコメントをつけることができません。
(何度試みてもアカウントを変更しろという指示が出る…)

こちらに「ソスラン」の元投稿及びmikeさんのコメントを移記いたしましたので、お手数ですがそちらをご覧くださいませ。

疲れる夏

ヒューマントラストシネマ渋谷。
出口13。
やはり初めての映画館だった。
遠いです。

「夏の終止符」
北極海の島が舞台で、映像は美しい。
「父、帰る」のズヴャギンツェフって感じ。
いまどきのロシアの映画監督には実によくありがちなことだが、早回しの多用が目につく。
荒涼とした美しい風景。
登場人物は島の観測所の二人だけ。
ノーヴァヤゼムリャ島で知られるように、北極海は放射性物質で酷く汚染されているらしく、その測定をする観測所であるらしい。
ただ、地道に観測しているのは前半だけで、「早く言えよ!もう全く!言えばいいでしょ!」という出来事が起きてから、観測はどうなっちゃったのかなあ…と心配な状況に。
若い観測員(←一応学者なんだろうに)が陥っていく狂気の世界が延々と続き、あれです、ロゴーシュキンの「護送兵」。
どういうオチになるのか、甚だ不安になり、案の定すっかり疲労して帰ってきたのだった。
若くない方の行動もかなり理解不能だ。

2011年8月13日土曜日

今日もチェブに会えた

神保町 「おじいさんと草原の学校」
有楽町交通会館「RUSSIAN NOW写真展」及び「小川芙美子油彩画展」

アフリカって、人生の先輩方に敬意を示す土地柄かと思いきや、勉強したいと自ら制服の半ズボンを作って履いて登校してくる、ケニア建国の闘士=今は貧しい山羊飼い?の老人に、周囲の大人が邪魔しまくりなのに、驚きを禁じ得なかった。
独立闘争の際の犠牲に対して一応国家補償のようなものは出されるようで、その点ケニアは日本よりはましのようだが(日本は治安維持法の犠牲者、中国帰国者(いわゆる「残留孤児」「残留婦人」)、原爆等の戦災被害者、シベリア抑留者などに対して、謝罪や補償はしていない。←言うまでもなくお見舞い金的なものと補償金は異なる。)、独立を果たした後の難題、欧米流に言えば「部族主義」という過去とどう向き合うのかが、重くのしかかっていることが随所にうかがえる。
主人公は、偏屈な独り者で、授業妨害に来たチンピラの若造らを一人で追い払ってしまえるほど健啖な(結構暴力的にも見えてしまうが)老人。
独立と自由の獲得に払った犠牲はあまりに大きく、単なるほのぼの映画ではなく、逆に厳しい描写も多い。ところどころユーモラスで、特にラストの脱力ものの笑いを誘うDJの台詞、なんてのもあるが、総じてまともで真面目な作品。
・彼に続く者はいなかったのだろうか?
・成人学級の質の低さも、何とかしないとまずいでしょ!

「RUSSIAN NOW写真展」
よい写真展だったが。
スポーツ部門で、サッカー選手がいないのが残念。
プリュシェンコ以外は皆女性(美女)選手の写真。
会場にはチェブがいた。

(書きかけ)

前項書きかけのまま、渋谷のレイトショーへ。

2011年8月11日木曜日

ロコモチフスタジアム

セルビアの控えの選手がたくさんいる。

そう言えば、ジルコフを観るのは久しぶり、のような気がする。
アルシャーヴィンとかも。

さっきから痛そうにしていたケルジ、遂に交代。
心配だ。
ポグレブニャクが入る。

アルシもだめか?
顔のどこか切った模様。
治療のためピッチ外へ。

結局アルシ→トルビンスキー??
違った、アルシ→ビーリャ
試合が始まってすぐさまケル・アルなしのロシア代表に。

グルシャコフ、コロジン並のロングシュートを試みる。

ジルコフ旨さを見せるが、シュートまでは持ち込めず。

今度はポグ。

クラシッチ走る!けれど走っただけに終わる。

前半終了。予想通りの0-0.

ハーフタイムのコマーシャルで、なぜかヴィクトル・ツォイが。
レトロ。
「僕の無事を願ってくれ」のDVDでも発売になったのかな。

後半開始。
アニュコフ→シシキン

キーパーがこぼしたボールをポグが押し込んで先制ゴール。1-0

ジルコフ→イグナ、その前にクラシッチ→ヤンコヴィチ
ジルコフはなかなかよく動き回っていたけれど、クラシッチは…。

まーた、イグナは!
外したよ。

あ、ロシア2対ロシアU-21の出場選手が発表になっている。
え?この人?みたいな人もいますね。ロシア2は。

ズィリャーノフ→トルビンスキー
皆出すつもりか?
パヴリュチェンコ→シロコフ
出ていないのはマラフェーエフとザゴエフだけか。

今度はベレズツキー(4の方)がネトーチヌィ(正確でない)シュート。

ポグ、足を引きずる。
ビディッチが猛タックルでした。

おしまい。
1-0

ケル&アル、大丈夫だろうか?

なんか、ビーチサッカーに画面が変わった。

復讐:http://www.gazeta.ru/sport/nm/online/football/matches/29585.shtml

2011年8月10日水曜日

Россия 2

今晩は19:00、つまり日本時間0:00からロシア対セルビアの親善試合がある。
その後、21:00(日本時間2:00)からРоссия 2 対Россия U-21の試合がある。
スポルト・エクスプレスによれば。

Россия 2というと、普段はいつも試合を中継してくれていてお世話になっているTV局、だが、この場合は無論Вторая сборная России(ロシアの第二代表)。

U-21の方は、Бомбардиры(得点者)として、
アラン・ガタゴフ4点
タラス・ブルラク2点
マクシム・カヌンニコフ2点
という名が挙げられています。
彼らが今日も出場するのだろうか。
Россия 2は誰が出場するのだろう?

A代表は何だかなあのメンバーなので、こちらの方が気になる。
ガゼータ・ルーによれば、この試合はニージニー・ノヴゴロドのロコモチフスタジアムで行われる。
監督はロシア2が元ロコモチフ監督のユーリー・クラスノジャンさん、U-21がニコライ・ピサレフさん。
ルビンのセルゲイ・ルィジコフはプレイしない。
あら、なんだ。

その他の試合
18:00 カザフスタン対シリア
19:00 アゼルバイジャン対マケドニア
20:00 リトアニア対アルメニア
20:35 ラトヴィア対フィンランド
21:00 キプロス対モルドヴァ
21:00 ベラルーシ対ブルガリア
22:00 ウクライン対スウェーデン
22:30 トルコ対エストニア
22:30 ポーランド対グルジア

ロシアと同組のグループBの国々は
22:45 アイルランド対クロアチア
22:30 オーストリア対スロヴァキア
アンドラは試合なしか?

ウズベクやイランもなし?

で、ロシア2ですが、
ОСНОВНОЙ СОСТАВ
Антон Шунин
Камиль Агаларов
Али Гаджибеков
Расим Тагирбеков
Евгений Макеев
Алексей Ионов
Александр Сапета
Евгений Баляйкин
Владислав Игнатьев
Павел Голышев
Артем Дзюба

U-21の方は
Россия (мол)
ОСНОВНОЙ СОСТАВ
1 Николай Заболотный
2 Ибрагим Цаллагов
3 Юрий Кириллов
4 Никита Чичерин
5 Тарас Бурлак
6 Александр Зотов
7 Магомед Оздоев
8 Алан Гатагов
9 Александр Кокорин
10Павел Яковлев
11Максим Канунников

というわけで、ガタゴフ、ブルラク、カヌンニコフのトリオはいらっしゃいますね。
お馴染の面々。

ありたがい。放送がある。
ユーズの方が攻めていて、シュニンが忙しくしている。

ジューバがシュートまで持ち込むが、ニェトーチヌィ。

ガタゴフにイエロー(シミュレーション)

ミドルが決まった。
イグナチエフ。U-21 0-1 ロシア2
U21のキーパーはザボロトヌィ。

パーヴァが決めた!

後半。
パーヴァ→セルゲイ・ペトロフ

ガータ→エメーリャ!ダヴァーイ、ダヴァーイ!!

うとうとしていたら、ゼニットのイオノフに入れられていた。

オゾエフ→クチェロフ

http://www.gazeta.ru/sport/nm/online/football/matches/29589.shtml

2011年8月9日火曜日

ソスラン

週末のサッカーの試合、土曜のツェスカ・モスクワ対ゼニット・サンクト=ペテルブルグ戦とクバン・クラスノダール対ディナモ・モスクワ戦、その2試合しか観られなかった。

ゼニットの試合はよかったが(ゼニットがいいというより相手が適当に悪かった)、カリャカが先発していたので惰性でディナモの試合を観てしまった。
これがぼろぼろであった・・・・・・・。
シュニン、どうしたのよ。
無論GKだけがだめだったわけではないが、明らかなミスもあり。

日曜は疲れてどの試合も観ることなく、早寝したのだが、夜が明けて試合をチェックしてみて、

http://football.kulichki.net/russia2011/19/6.htm
テレク対スパルターク

47分にソスラン・ジャナエフが退場。
何やってんの?


おまけに、79分から81分まで、何が起こった?
アディショナルタイムは10分余り。
(書きかけ)

2011年8月8日月曜日

はりねずみとうさぎとくまとチェブ

劇場の入り口で、チェブラーシカがお出迎え。プリヴェット!

売り物ではないと思いますが、ムーミンの登場人物小さなミーがいました。
(左下にチェブラーシカもいます。)

人形劇専用劇場であるプーク人形劇場。
でも、ロシアものの上演は久しぶりだったように思います。
チェコやブルガリア、ハンガリーの作品はたびたびあったけれど。

モスクワ人形劇場は、オブラフツォフ名称人形劇場の次に伝統あるロシアの人形劇場。
でも、作風は実に賑やか(人形や舞台のデザイン、演出とも)で、ロシアの児童文化の枠を破っているかもしれません。

上演に先立って芸術監督のイリーナ・クリャチュンさんから、人形劇の人形について簡単に説明という時間があり。
舞台の袖から人形が現れ、それをクリャチュンさんが受け取って操演しながら説明し、日本人通訳がすばやく通訳という手順。
(すばやく、というのは本当に咄嗟に、澱みなくしないと、相手は子どもなので舞台に惹きつけられないことになってしまうので、実に大変そうだった!)
最初に現れたのが…
「Кто?(誰かしら)」
「うさぎー!」
「うさぎじゃないみたいですよ」
えー、茶色くて耳が長い動物なんですけど。
全体が現れると、大きなしっぽが。
「答えはりすです!」
(でも、一見うさぎですよう。)
これは片手遣い人形でした。
つぎはネコの棒遣い人形。
「ネコですけど、ただのネコじゃなくて、長靴を履いていますよ。あら!ああ、劇に出演すると行ってしまいました!」

でも、今日の人形劇は糸操り=マリオネットです。
という風に始まりました。

はりねずみ(若干はりねずみに見えなかったり…少なくともノルシュテインのはりねずみには似ていない)とくまがシーソーで遊んでいるところに、うさぎが現れ一緒に遊び始めるのだけれど、一方的に止めてあとの二人を怒らせる。
そのあと、うさぎは自分の誕生日に皆を招待。
皆はうさぎへのプレゼントの相談をし、うさぎはパーティーで皆をもてなすための自家製野菜の面倒をみるべく畑で草刈りを始める。
(あら?皆さん、野菜でもてなされるの?喜ばれるのだろうか?)
しかし、畑には野菜を食べようとする輩が次々やってくる。
さあ、どうなる?
(結構畑は荒らされた(はず)なのだが、無事誕生日を迎えるのであった。)
誕生日パーティーは楽しいぞ。
なぜか女装してダンスするくま。
最後はコサックダンスだったが。
子どもたちとの応答も随所にあって、賑やかで楽しい劇でした。

7日が楽日だったので、芝居がはねてから、ご挨拶。
そして、プーク人形劇場から、出演者とスタッフ(2階(劇場自体が地下1階にあるので、地下中2階になるのか?)にいる音響と照明の人)、それに通訳の児島さんにプレゼント贈呈。

プレゼント贈呈場面。
大人席からは人形の全体像は撮れず。

このあと、クリャチュンさんから、プーク人形劇場にこの劇で使われた糸操り人形(チョウチョウ…トンボみたいだったけど)が贈呈されました!

さて、なぜ劇場入り口にチェブラーシカがいたかというと。
プログラムの後半は、チェブラーシカの新作アニメーション(昨年12月公開)の上映があったから。
冬に私が観たのはロシア語の、つまりオリジナルだったのですが、こちらでの上映は日本語吹き替え版でした。
ロシア語版に比べて日本語吹き替え版の評判はかなり悪かったのですが、観るとそれも納得です。
ナレーションなんて要らないのに。
うるさいだけだ。
映像を見ていればわかることに、説明などつけなくていいのに。
日本の映画界というのは、子供向けというとこんなにお節介になるのか?
ナレーション抜きのものをつくってほしいなあ。
って、すでにDVDはできてしまったのね。

帰りには再びチェブラーシカに挨拶をして、雷が鳴る中、駅まで走りました。
ダスヴィダーニャ。

このあと「ゆうびん屋さんのお話」とチェコアニメのカレル・チャペック特集がありますよ。
郵便局には郵便局の妖精がいるのです!(少なくともチェコには)
3プログラム皆観たいですね。

2011年8月6日土曜日

チェリョームハ、シベリアの桜




満員御礼、追加公演決定!

ロシア人向け?ロシア語の分別ごみ案内

シアターΧでネリ・マトハーノワ作「シベリアに桜咲くとき シベリアにおける日本人抑留者の生活劇」を観る。

シベリア抑留ものの演劇を観るのはたぶん3本目。
とてもわかりやすくできていて、まあおもしろいといえた。
ロシア人作家によるものだから、収容所のロシア人は大体いい人だし、メロドラマ率高くて、現実そんなに簡単なわけないだろ、と、特に経験者からすれば「そんなもんじゃない!!」と感じるであろうところが各所にあり、牡丹灯籠場面はとてもシュールだったが、日露合作でこういうものができてよかった、と心から思う。

トカレフ軍曹は、エセーニンの詩なんか口にするインテリ且つハンサム青年。
いい人なので、“やな奴”から「しかるべきところに報告するぞ」と脅され、とんでもない悲劇が?!
と気を揉んだが、大丈夫!

なぜかロシア人より日本人俳優の顔立ちの方が見分けがつきにくかった。
タイプが似ている人ばかり。
お露/ミチコ役の人が気の毒なくらい浮いていた。
綺麗な女優さんだったが。
しかし、ああいうのがロシア側の日本(女性)のイメージなのだろう。

まさに“待たれていたロシア側からの視点”なのだろう。
実際の収容所の中の生活は、日本軍の上下関係がそのまま持ち込まれ、ソ連の官僚体質もまたそのまま蔓延る、筆舌に尽くしがたい悲惨なものであっただろう。
(井上ひさしの遺作『一週間』を読むまでもなく、いろいろな証言からそれは指摘されているものだ。)
が、この劇では日本の上官は全く問題ないまともな人格者だし、ロシア人も基本的にすごくいい人ばかりだ。
トカレフ軍曹にしろ、一晩中介抱してくれた見知らぬ女性にしろ、実話でありモデルはいるというのだから、もちろん事実ではあるのだけれど、「いい話ですね」の積み重ねでこの劇は成っている。
それに、「戦争はとにかく人を傷つける、もう戦争は嫌」という、ソ連/ロシアの人たちの、それは実に本音が貫かれている。
特にそれは収容所長の妻、や看病してくれた見知らぬ女性、郵便配達の女性といった女性たちの言動に表れる。

チャンピオンズリーグプレーオフ組合せ

ルビン、あと一息。
が大変なんだけど、ダヴァーイ!

ЛИОН (Франция) - РУБИН (Казань, Россия)
リヨン(フランス)対ルビン・カザン
БАВАРИЯ (Германия) - ЦЮРИХ (Швейцария)
АРСЕНАЛ (Англия) - УДИНЕЗЕ (Италия)
ТВЕНТЕ (Голландия) - БЕНФИКА (Португалия)
ОДЕНСЕ (Дания) - ВИЛЬЯРРЕАЛ (Испания)

БАТЭ (Беларусь) - ШТУРМ (Австрия)
КОПЕНГАГЕН (Дания) - ВИКТОРИЯ (Плзень, Чехия)
ДИНАМО (Загреб, Хорватия) - МАЛЬМЕ (Швеция)
МАККАБИ (Хайфа, Израиль) - ГЕНК (Бельгия)
ВИСЛА (Краков, Польша) - АПОЭЛ (Кипр)

バーーーテーーー、バーーーテーーーのBATEボリソフ(←という風に応援するのです)、今季もグループステージで暴れてほしい!
リーグ戦では首位独走中!

2011年8月5日金曜日

ヨーロッパリーグプレーオフ組合せ

コッカーことコンスタンチン・ラウシュのハノーファー、いきなりセビージャと対戦か。

アラニヤ(いまのELの仕組みがわからないのだけれど、なぜアラニヤが出てくるのだろうか?昨季のリーグ戦では一部に降格したのに…ロシアカップ準優勝だから?という疑問を解決しないまま)はアクトベ相手に辛くも勝ちをおさめ(PK勝ちした)、プレーオフへ。
まあ一応マラッツィ。

グループ7
СТАНДАРД (Бельгия) - ХЕЛЬСИНГБОРГ (Швеция)
БРАГА (Португалия) - ЯНГ БОЙЗ (Швейцария)
ГАЗ-МЕТАН (Румыния) - АУСТРИЯ (Австрия)
РЕНН (Франция) - ЦРВЕНА ЗВЕЗДА (Сербия)
ДИНАМО (Тбилиси, Грузия) - АЕК (Греция)
ХИК (Финляндия) - ШАЛЬКЕ-04 (Германия)

グループ6
ГАННОВЕР (Германия) - СЕВИЛЬЯ (Испания)
ハノーファー(ドイツ)対セビージャ(スペイン)
ЗЕСТАФОНИ (Грузия) - БРЮГГЕ (Бельгия)
ОМОНИЯ (Кипр) - ЗАЛЬЦБУРГ (Австрия)
ВАСЛУЙ (Румыния) - СПАРТА (Прага, Чехия)
ОЛЕСУНН (Норвегия) - АЗ (Голландия)
ТУН (Швейцария) - СТОК СИТИ (Англия)

グループ5
ПСВ (Голландия) - РИД (Австрия)
НАСЬОНАЛ (Португалия) - БИРМИНГЕМ (Англия)
ЛАЦИО (Италия) - РАБОТНИЧКИ (Македония)
ЛИТЕКС (Болгария) - ДИНАМО (Киев, Украина)
ШЛЕНСК (Польша) - РАПИД (Бухарест, Румыния)
СЬОН (Швейцария) - СЕЛТИК (Шотландия)

グループ4
ЛОКОМОТИВ (Москва, Россия) - СПАРТАК (Трнава, Словакия)
ロコモチフ・モスクワ対スパルターク・トルナヴァ(スロヴァキア)
ДНЕПР (Украина) - ФУЛХЭМ (Англия)
НОРДШЕЛЛАН (Дания) - СПОРТИНГ (Португалия)
СТЯУА (Румыния) - ЦСКА (София, Болгария)
МАРИБОР (Словения) - РЕЙНДЖЕРС (Шотландия)

グループ3
ХАРТС (Шотландия) - ТОТТЕНХЭМ (Англия)
ТРАБЗОНСПОР (Турция) - АТЛЕТИК (Бильбао, Испания)
ПАОК (Греция) - КАРПАТЫ (Украина)
ЭКРАНАС (Литва) - ХАПОЭЛЬ (Тель-Авив, Израиль)
ЛЕГИЯ (Польша) - СПАРТАК (Москва, Россия)
レギヤ(ポーランド)対スパルターク・モスクワ

グループ2
ОЛИМПИАКОС (Волос, Греция) - ПСЖ (Франция)
РОМА (Италия) - СЛОВАН (Братислава, Словакия)
БУРСАСПОР (Турция) - АНДЕРЛЕХТ (Бельгия)
ВОРСКЛА (Украина) - ДИНАМО (Бухарест, Румыния)
РУСЕНБОРГ (Норвегия) - АЕК (Кипр)

グループ1
БЕШИКТАШ (Турция) - АЛАНИЯ (Владикавказ, Россия) 
ベシクタシュ(トルコ)対アラニヤ・ウラジカフカス
МЕТАЛЛИСТ (Украина) - СОШО (Франция)
ШЭМРОК РОВЕРС (Ирландия) - ПАРТИЗАН (Сербия)
АТЛЕТИКО (Мадрид, Испания) - ГИМАРАЙНШ (Португалия)
МАККАБИ (Тель-Авив, Израиль) - ПАНАТИНАИКОС (Греция)

キエフ さんのコメント... 2011年8月5日2:26

「ベルリン陥落」の衝撃 にキエフさんがコメントを入れてくださったのですが、依然として、コメントをお返ししようとしても、入れられませんでした。
???
なぜ?

>別に主張は自由ですから主張したって構わないと個人的には思いますよ。
はい、勿論自由です。

>そんなに気になるのならご自分で編集なさったらどうですか?
嫌です。
そういう意向は全くありません。
きりがなくなるじゃないですか。
変な記述は山のようにあるのに。

2011年8月4日木曜日

砕かれた8月

名前を聞いて顔が思い出せる、数少ない日本人選手の一人。
理不尽。

2日前に倒れた段階で、ロシアでもウクライナでも記事になっていたが、目にはしても紹介するのは憚られた。

昨日も途中経過を報じる。
「いまだ意識は回復していない」

それが今日の午後には、速報として流れていた。

いやでも目に留まってしまう。

神様、なぜそんなに彼を愛して、お近くに召してしまわれたのですか?
(なぜ彼だったのだろうか?)


どうしたら、再発を防げるのだろうか?
もう二度とあってはならないことだから。

2011年8月3日水曜日

「誓いの休暇」の青い空

オデッサ・コスモスに「100年のロシアPartⅡ」上映作品について書いた。

そのうちの一つがグリゴリー・チュフライ監督の「誓いの休暇」。
私の“生涯ベスト5”作品の一つ。

最初に観たのは、今はなき池袋のACT-Seigei Theater。
ノルウェー映画「イワン・デニーソヴィチの一日」との二本立て。
感動した。
帰りに受付の人に「アリョーシャのポスターを持って帰りたい」とねだった。
(勿論断られた。)

2回目に観たのは草月会館でタルコフスキー特集(といっても他のソ連映画の巨匠たちの作品と抱き合わせ特集)だったのではないか。
すごく好きで思い入れが強くてストーリーも大体分かっていてここで感動するぞというところもわかっているつもりだった。
しかし、上映が始まって
「???これ、カラー映画じゃなかったけ???」
私の脳内には、最初と最後のシーンは、真っ青な空と黄金色の小麦畑。
クライマックスではその中で母とアリョーシャがひしと抱き合う感動シーン…というのが出来上がっていたのだったが。

いや、勿論「誓いの休暇」はモノクロ映画なのだ。
私は、モノクロ映画に色彩を施したバージョンを勝手に記憶していたのだった。
まったく、いくら感動したからって自分で色を作るな!と苦笑した。

ということから数年、3回目に観たのはVHSテープを入手してのこと。
観てびっくり。
「あれ、これってカラー映画じゃなかったっけ?!」
何とまあ、私は再びアリョーシャと母親が最後に会って別れるシーンを“青空のもと、黄金の小麦畑の中で”と記憶してしまっていたのだった。
「ああ、そうだ。2回目に観た時、違った違ったって思ったじゃないか」
でもそのことを忘れて、間違った思い込み(というか自分の創作)の方を記憶していた。
再び苦笑。

なぜ間違って記憶するのだろう?
という最も鮮烈な体験、というか“記憶”がこれである。
思い入れが強いというのは思い込みも激しくなりがち、ということを悟る。

「ベルリン陥落」がソ連最初のカラー映画云々(註:これは誤った情報です)ということを書いていながら、どんなふうに人は事実から離れてしまうのかということにも関心が向いて、ということでもなくって、偶々新刊コーナーで目に留まったから手に取ってみた。

『子どもの頃の思い出は本物か 記憶に裏切られるとき』

アメリカではひとときUFOに誘拐されてエイリアンに虐待されたという記憶を持った人々が相当数表面化し(エイリアンはなぜかアメリカ人を好んで誘拐するらしい)、その後90年代には幼少の頃身近な人から性的虐待を受けた、それをずっと後になってから思い出したとして身内の人を告発する人々が出てくる。
特に後者の場合、心理療法家などの誘導によってそんな忌まわしい過去を“思い出した!”という場合が大変多いのだが、このセラピーが大いにいかがわしいのだ…。
いずれにしろ、記憶は過去をそのまま再現しているものではない。
本人に確信があっても、真実とは限らない。
(むしろそういう場合の方が事実かどうか怪しいのだが、陪審員などは漠然とした自信なさげな証言より、詳細で断定的な証言を信じがちなのだという記述があり、心に留めておくべきだと思った次第。)

メモ:誘導的な面接から偽りの記憶を作り出すとは(185頁:この部分はM. Bruck et al., Developmental Review 22 (2002), 520-54.からの引用(つまり孫引き)である)
…自分の先入観に一致する話だけを採用し、一致しない話を無視するのは、バイアスのかかった面接者にみられる顕著な特徴だ。自分の念頭にある考えとは別の可能性について質問することはしない。自分が持っている仮設に一致しない事実を引き出すような質問はおそらくしないだろう。さらに、子どもが自分の先入観と一致した答えをした場合には、その真偽を確かめることもしないだろう。もし、子どもが自分の先入観と一致しない話や突飛な供述をした場合には、その話を無視するか、面接者の先入観に合致するように歪めて解釈する。また、面接者の先入観に一致する答えが出るまで質問をくり返し、証言をまとめようとするだろう。

『無実を探せ!イノセンス・プロジェクト―DNA鑑定で冤罪を晴らした人々』を読んだときに、ものすごく驚きあきれてしまったことなのだが、人の記憶はそれだけでは(他の証拠なしには)かなり“怪しい”ものなのだ。
目撃証言も、故意ではないにしても、その人の思い込み・先入観にかなり左右されたものになっている。

ここでは“記憶”に焦点をあてたが、事実を曲げたり他人を誹謗中傷する類の思い込みを避けるべく、冷静に冷静に、と常に心がけるべし、と改めて誓うのでありました。
人間、予断・偏見から100%自由であるのは不可能であるにしても、それに陥らないように可能な限り努力すべきだ。

2011年8月1日月曜日

「ベルリン陥落」の衝撃

ミハイル・チアウレリの「ベルリン陥落」が、“ソ連初のカラー映画”と書いてあるのを見てびっくり、というのは、昨日が初めてではありませんでした。

昨年のオーケストラ・ダスビダーニャの演奏会のプログラムノートに書いてあったのです。
「へんなのー、ソ連初のカラー映画はエックの「うぐいす」なのに。1,2年違うならともかく、「ベルリン陥落」は戦後の作品でしょ?何と間違えているのだろう???」
と、そのときたいそう訝しく思ったものでした。
演奏会の感想はこちらです。→「ショスタコーヴィチ、疾走」

昨日、「100年のロシアPartⅡ」のプログラムに「ベルリン陥落」が入っていたので、「オデッサ・コスモス」で紹介しようと、原題は何だったか確認しようと、ネットで検索してみたら、最初にウィキペディアが挙がっていたので(普段私は「ウィキペディアなどあてにならない」と端から信用していないので、特に日本語のウィキペディアは見ないし、仮に見ることがあっても他で裏を取らない限り、“証明済み”とはしないのだが)、ちらっと覗いてみたのです。
そこで

その他 [編集]
  • ソ連初のカラー映画であった。ソ連占領地区にあったアグファ社の工場で製造されたフィルムを使用して撮影した。カメラテストの結果、安定した色彩を再現できるのは曇天時のみであることが判明し、曇り空の時を伺い撮影を行った。
との件があるのを目にしたのでした。
オーケストラ・ダスビダーニャのプログラムノートを書いた方はここを参照されたのでしょうか。

では、この件を書かれた方は、何を参照してこのように書かれたのでしょうか。
ここからは私の想像です。
やはり日本語のウィキペディアで「カラー映画」を見ると、

また東側諸国でも第二次世界大戦後、ナチス・ドイツから奪ったアグファカラーフィルムを使い、1949年のソ連映画『ベルリン陥落』などのカラー映画が登場した(余談であるが、小津安二郎はアグファ・カラーの色彩を好んでおり、『彼岸花』以降のカラー作品にアグファ・カラーを用いている)。

という一文があります。
ここには、「ドイツのアグファカラーの方式でソ連が1949年に「ベルリン陥落」を撮った」旨記載されています。
一見、東側諸国がカラー映画を作ったのは戦後(ドイツからアグファを接収して以降)であるかのようにも読める文ですが、「ベルリン陥落」が「ソ連初のカラー映画である」とは書かれていません。

カラー映画を撮る方式はアグファの方式に限ったことではなく、ソ連はアグファを接収する以前に独自の方法で、「うぐいす」(1939年)や「イワン雷帝・第Ⅱ部」をカラーで撮っていました。

「ベルリン陥落」のウィキペディアを執筆された方は、もしかしたら上記の一文を、「ベルリン陥落」がソ連初のカラー映画であるかのように誤読してしまったのでしょうか。

そこには、「当時のソ連の技術ではカラー映画など作れまい」というような思い込み、偏見が入りこんでしまったのかもしれません。

殆どの人にとっては、ソ連初のカラー映画を撮ったのがニコライ・エックであろうがミハイル・チアウレリであろうがどうでもいいことでしょうから、敢えて「大間違いだ、書き直せ!」と主張しようとは思いませんが、できるだけ正しく文章を読みこむことができるように、心掛けたいものです。

ニコライ・エックは、ソ連初のカラー映画を撮り、またソ連初のトーキー映画「人生案内」を撮った人でもありました。


補遺(2011年8月6日)
キエフさんのコメント後の補足

ウィキペディアの「ベルリン陥落」について、「そんなに気になった」のは、なぜこんな、一見ありえなそうな間違い(ソ連で実際にカラー映画が制作・上映されてから10年以上たった頃の作品をそうだと思ってしまった)が起こるのか、を考えてみた、ということです。
少なくとも自分はそういうことをしたくないので。
この場合は、私の推測では、「ベルリン陥落」執筆者が日本語ウィキペディアの「カラー映画」中の記載を勘違いしてしまったのが原因であろうと。

自戒
*文章を正しく読むこと
*書かれていることが正しいのか検証すること
*書かれていないことを推測する場合、とりわけ慎重になること
(推測・解釈を事実と混同しないこと。事実と、評価・感想と、推測とは、別物である。)