2017年12月23日土曜日

マルケータ・ラザロヴァー(チェコ映画の全貌より)


ヒロイン以外全部よかった。
ただチェコ映画史上最重要作品と言われてもそこまでの感じはしない。
「スタフ王の野蛮な狩り」(ベラルーシ)とか「ジプシーのとき」(クストリッツァ!) に似た雰囲気。
いや、「ジプシーのとき」よりは「ジプシーは空に消える」 (モルドヴァ)の方が近い。領主たちは皆さん追い剥ぎ。

惜しむらくはヒロインが「ジプシーは空に消える」のスヴェトラーナ・トマみたいな圧倒的な存在感あるわけじゃなかったこと。女優の力量というより演出の問題が大きいかと思いますが。他の人はよかった。
隻腕のアダムと、聖職希望だったクリスティアンを、ときどき見間違えた。

2017年12月16日土曜日

サンザシの樹の下で

日中友好協会渋谷支部からご案内のお手紙をいただいて、「映画のつどい」に行って来た。
観たのは「サンザシの樹の下で」

中国映画は久しぶりに観た。
張芸謀のメロドラマって、だいたいレアリズム薄いですね。
「初恋の来た道」は、いくら好きでも毎日そんな豪華弁当作れるわけない(経済的にも、時間的にも)とか、なんだ~それストーカーだよ!可愛いから許されるってのか?みたいな態度とかで、中国人のコメントは厳しかったが、この映画でも「そんなわけないだろ!」「それはいかんだろ!」といろいろ突っ込み入れたくなる。
生活費稼ぐためにか弱い体でこれみよがしに肉体労働かってでるのはいいが、恋人がやってくると昼休みに抜け出して水着に着替えて水浴び…昼休み何時間あるのか?何だか隠れ忍んで会っている風ではないなあ、大都会でもないんだから人目があるだろ、どこまで気にしないんだこの人たちは???
あと病院の廊下で時間外に騒いだらいけませんねえ。
いろいろ無理ある。

いや、ヒロイン可愛いですけどね。
相手役もかっこいいし、お母さんも、弟妹も、農村の一家もいい。
風景もいかにも美しく撮っている。
なので、もっと気持ちよく純粋メロドラマ堪能させてもらうために、主人公たちをここまで「恋に盲目」に描かなくてもよかったんじゃないかと思う。
健気なようで案外自分勝手なんだもん、この人たち。

2017年12月13日水曜日

ポーランド映画祭2017

今日の「ズヴィシェク」で、今年のポーランド映画祭の鑑賞終わり。
2回券*7の14回分観たことになる。
今年は解説本は作成されておらず残念。
スコリモフスキのセレクトは相変わらずよい。
存在感たっぷりの巨匠モフモフことスコリモフスキ監督

会場の写真美術館は恵比寿なのでかなり不便、平日はラスト1本も18時台スタートなので殆ど行かれず土日に観るしかなかった。
座り心地はそれなりにいいけど。

「夜行列車」(再見)

「早春」(再見のつもりだったが、以前観たのは「出発」だったので、初見だとだいぶ経ってからわかった)

◎「ソラリスの著者」+監督のインタビュー映像、短編「寄せ集め」

「ベクシンスキー家の人々」

「シヴォルスキドキュメンタリー」(「アイスホッケー」「人生の舞台」「クラシック・バイアスロン」「フェンシング選手」「フランツ・クラマーとスキーの風景」)

「プレイグラウンド」少年犯罪ものなんだけど、これは90年代にイギリスで起こった少年二人による幼児虐殺の実話を元にしているのでは?それともポーランドでも似たような事件があったのだろうか?特に実話を基にしているわけではなくて一般的な暴力衝動を撮りたかったのだろうか?少年たち二人は特に悪童と言うわけじゃなくて、どちらかというとスラヴによくいる天使みたいに可愛い容姿だったりする。障碍者の家族の面倒をみたり、母の恋人?に虐待受けてたりして家庭的にはなかなか過酷な中で少年たちの中にふっと悪魔が覆ってしまって…というホラー展開。言葉を失う。

◎「影」ポーランド映画らしいクラシカルないい映画。

アニメーション「魔法のえんぴつ」より「山で大ピンチ」(再見)「魔法のボトル」(再見) 「ポレック&ロレック」シリーズより2本 「ツィーゲノルト」(再見)「黒」日本語、しかも自然な日本語で。宇宙船の中の男女二人、地上は滅びたらしい。SF短編としてよくできていると思う。日本人女性が不気味でちっとも可愛くない。

「オラとニコデムの家」

「二つの冠」コルベ神父についての記録映像+再現ドラマ。タイトルは幼少の頃コルベがキリストの母マリヤの幻を見て赤い冠(殉教)と白い冠(純潔)どちらを望むか聞かれて両方と答えたというエピソード等々割と宗教色の濃い映画。ポーランドのポーランド人のためのカトリック修道映画。日本、特に長崎も取材。被爆後に大浦天主堂で受洗した日本人信徒の話が心を打つ。上映後のトークでゼノ神父と親しかった方などコルベ神父の散髪をしたその毛髪が残っている話など(周知のとおりアウシュビッツで身代わりの餓死刑を受けて遺灰は撒かれて残っていないので”遺髪”の存在に監督も身を乗り出して聴いていた)比較的内容の有る話が聴けた。
遺灰が撒かれた町の市章は偶然にも二つの冠を表したものなのだそうだ。
一般公開あるか?オフシアターではかなり上映がありそう(特にカトリック絡みで)

監督さん(左)と脇役の大司教役の役者さん
監督さんは若く、俳優のようにカッコよかった
俳優さんは監督のように渋かった

◎「アート・オブ・ラビング」70年代カトリックで社会主義政権下のポーランドで『愛の技法』というセックスマニュアルを著した産婦人科医・学者のミハリナ・ヴィスウォツカの苦闘を描いた伝記もの、フェミもの。ミハリナさんはかつてのジェーン・フォンダみたいだった。ロマンスとしてはほろ苦い。濡れ場は結構多い。すごくいい男はあまり出てこないけど。

「残像」(再見)

◎「太陽の王子ファラオ」ポーランド版「イワン雷帝」っぽい歴史大作。ただし古代エジプトが舞台なので時代考証はこれでいいのかな~という雰囲気はあれど、権力闘争の怖さがひしひし。

◎「スビシェク」(再見)ポストカードプレゼントあった。ツィブルスキ没後50年なのだと。泣ける。何度観ても泣ける。

ユダヤ人を救った動物園 アントニーナが愛した命」は12/15~公開
「ゆれる人魚」は2月より公開
とのことで、今回は時間が合わなかったこともあったが、劇場公開の場で観ようと思う。

2017年12月3日日曜日

録画メモ

*メトロ42
「ガガーリン 世界を変えた108分」の主役ヤロスラフ・ザルニンが脇役で出ている

*ターゲット・ダウン ミッション1
*ターゲット・ダウン ミッション2

2017年11月19日日曜日

録画メモ

アルマゲドン・コード

あの頃エッフェル塔の下で

まだ観ていない

2017年11月6日月曜日

録画メモ

バタリオン ロシア婦人決死隊VSドイツ軍

録画しただけでまだ観ていない。
土曜日に、成蹊大学公開講座の後、重美さんと会って、そのとき彼女がお話していた。
”大祖国戦争”中の、「兄弟姉妹」みたいな話かと思っていたら、第一次世界大戦での話なんだ。

ラン・スルー・ザ・ナイト

2017年10月31日火曜日

録画メモ

BS世界のドキュメンタリー シリーズ 男子の本懐「囚人たちのエレジー」
 映画「赤いカリーナ」を地で行くようなドキュメンタリー、といったらいいのだろうか。

アーススキャナー 空白地帯の謎に迫る▽ソ連時代にタイムスリップしたかのような街

「知られざるロシア・アバンギャルドの遺産〜スターリン体制を生き延びた名画〜」

2017年10月23日月曜日

録画メモ

「みんなのアムステルダム国立美術館へ」
「ストリートオーケストラ」

2017年10月4日水曜日

好青年>ロシア映画祭

ロシア映画祭「好青年」、主役の男の子が誰かに似ていると思ったら、暴走特急君、ブィストロフじゃん!

主人公は英語の先生と上級生にモテモテ(←死語)ませた高校生。
インド映画みたいに皆で踊りまくって終わり。
ロシアだなあ、踊るの皆大好き。

面白いことにロシア人は「面白かった、割とソ連っぽくて」と言い、年配の日本人は「面白かったけどグローバルな面白さ。ロシアらしさはどこに?」という感想だったこと。
井上イリーナさんがどこがロシアっぽいか解説してくださった。
このへん、何となくわかる、不思議感覚コメディ

国際映画祭で賞をとるズヴャギンツェフみたいな無国籍性?映画よりは、普通のロシアで好まれるライトコメディーなのだが、ロシア・ソ連映画じは真面目で文学的(で長い)という思い込みが強いと「あれ?!}という感覚になるのかもしれない。
こういうの私は全然悪くないと思うが、ピーテルFM観たときも「何これ、下らない、何が言いたい?」と年配の方には酷評されていたから、ロシア・ソ連映画は真面目じゃなければならないと思っている日本人、割といるんだな、と。

2017年10月3日火曜日

Пусть не будет войны никогда

この反戦詩、メモしとかないと。

Пусть не будет войны никогда
Пусть спокойные спят города,
Пусть сирены пронзительный вой
Не звучит над твоей головой.
Ни один пусть не рвется снаряд,
Ни один не строчит автомат.
Оглашают пусть наши леса
Только птиц и детей голоса.
И пусть мирно проходят года
Пусть не будет войны никогда.

https://www.youtube.com/watch?v=guNNA-ICX7o

2017年9月30日土曜日

録画メモ

世界の車窓から ロシア・ウクライナ・ユーラシア
美の巨人たち エルミタージュ
NHK アレクシェーヴィチ

2017年9月24日日曜日

録画メモ

*ウィークエンド・チャンピオン モンテカルロ1971
 なんたってロマン・ポランスキ先生によるF1モナコ・グランプリ

2017年9月23日土曜日

2017年9月12日火曜日

アガタ・クレシャの「夜明けの祈り」

アガタ・クレシャはポーランドの女優で「イーダ」ではヒロインの伯母で”赤いヴァンダ”と呼ばれた共産主義に忠実な検察官を演じていたし、去年観た「ルージャ/薔薇」では少数民族マズールィのヒロインを熱演していた。
今日観たポーランド・フランス合作映画「夜明けの祈り」"Непорочные"では女子修道院長役。
圧倒的存在感である。

修道院がどういうヒエラルキーを持っているのかよくわからないが、院長に準じるような役割をしている修道女マリア(ストーリーの都合上フランス語が達者。上流階級の出身という設定か)を演じるアガタ・ブセクは特徴的な美貌の持ち主で、プログラムを読むまで思い出せなかったが、私がワイダ作品の中で最も好きな「仕返し」のヒロインで、最近ではスコリモフスキの「イレブン・ミニッツ」にも出演していたと。

その他修道女のポーランド女優は清楚な美女が溢れていていい。

ナチス・ドイツ敗退後ポーランドを占領したソ連兵が各地で狼藉を働き、女子修道院にも押し入って修道女たちをレイプして妊娠させた(加えて性病を感染させたりもした)。
彼女らの出産が近づき、修道女マリアが思い余ってフランス赤十字の女医マチルドに助けを求め、マチルドは最初は断るけど助けざるを得ない…

監督・撮影監督とも女性で、いい映画だけど、フランス人が他国のことを撮った映画にありがちな上から目線が感じられることは引っかかる。
修道女と子どもたちを救った彼女の行為は尊いが、ユダヤ人にビザを発行して救った杉原千畝の行為を日本人(一般が)偉かったイメージで報じるのと同様の路線になってしまうとあれだなあと思う。
ポーランド人監督が撮ったら(それこそホラントとかケンジェジャフスカとか)よかったのではないかなあ。

マチルドは親が共産党で自身は党員ではない(けれど多分に無神論者っぽく、修道女たちの思考や行動には違和感を持つ)設定で、労働者階級で苦労して医者になった人として描かれているが、モデルになったマドレーヌ・ポーリアックは戦中はレジスタンスに身を投じていたとある。
多少濡れ場はあるものの、余分なメロドラマがないのは清々しい。
(たぶん女性監督だからあっさりしているのだと思う。よかった。)
映画では任務終了後帰国して修道院から報告を受けるところで終わっていたが、実話はより悲劇的で1946年2月にワルシャワで事故死しているという。
…というと、アグニエシュカ・ホラントの「ソハの地下水道」主人公のソハみたいな最期だったのか。

戦争中や戦後のポーランドにおける女性の受難、特に強姦の被害者という点に焦点をあてたものとしてはやはり「ルージャ/薔薇」の方が強烈で且つきめ細かかった。
思うに、監督の思うところはマチルドにかなり投影されていて、こんなときに信仰心に拘っているなよって言いたげに思え、修道女の信仰や行動様式には割と冷めた目て見ていると思う。



でも、この撮影監督さんは好きだなあ。
白樺林の場面はとても綺麗だ。

あと、やはりソ連兵の描かれ方は酷い。
ソ連兵の狼藉に関して、仕方なかったとか何が悪いという認識なのだろうか、当人たち及び現在の国民は。
昔も今もきちんとした反省はしていないように思うが、そんなことでこの先もいいのか。
それともどこかの国みたいにそんなことはなかったと主張するのだろうか。

夕焼けもきれいだった。
小雨降る中、近くの野原に撮りに行った。





←副虹見えますか?




2017年9月11日月曜日

録画メモ

クルーズシリーズ?
①②ヴォルガ
③バルト
④サハリン
⑤⑥エニセイ
⑦カムチャツカ 

録画メモ

ノスタルジア
らららクラシック チャイコフスキー
命懸ける恋 岡田嘉子
戦火のマエストロ 近藤秀麿

2017年9月9日土曜日

夏の広島⑥旧日銀広島支店

袋町小学校平和資料館では、友人が広島市内巡りをしているのに出会って、彼女からの情報で、日銀に行ってみた。(2017.8.5)

外観の写真を撮り忘れたのだが(迂闊)、日銀は爆心から380メートルだったが、その堅牢な造りのために、ほぼ当時のままの姿で建っている。
「そのとき」支店内にいた28人のうち18人が生き延びたとのこと。

現在は市民ホールとなっているようで、1階ではコンサートと展示が、地階では原爆写真展が行われていた。


 
イランの「メヘルナワ」というグループによる演奏
おお!女性ヴォーカル!
かの地では女性の声は誘惑だとか言って、人前で歌うのが許されないみたいなことが映画「ペルシャ猫を誰も知らない」では言われていたのだが・・・。



1階に展示されていたのは「起き上りこぼし展」
呼びかけ人は漫画家のちばてつや氏か。
真ん中の白いのがちばてつや氏作の起き上りこぼし



有名無名の方たちの作品が並ぶ。

有名、とはいえ、ちばてつやさんの作品をちゃんと読んだことはなかった。
なので、昨日(9月9日)西新宿に観に行って来た。

まあ、これについては別項で書くと思うが、満州からの引き揚げで壮絶な体験をしてきた方だ。

あれですよ、”僕たちの人生は 平和と自由求めて 生きていけばいいのさ”って、歌もあるように、何度でも起き上って諦めないで(オラシャヤーン)生きていくのだ。

地階では、うちの地元でもやっていたような原爆写真パネル展が行われていた。
(ただパネル写真の貸し出しは今後は難しいとのことで、これからは観られないかもと言われているので。)
原爆の前にはどんな町だったかを示すものも。
外国の人が多く展示を熱心に見入っていたのが印象的だった。
 

2017年9月8日金曜日

夏の広島⑤原爆と戦争展

いっけな~い。
旅行記、途切れていました。
夏が終わり気味だ。急げ。

袋町小学校平和資料館に入る前、入り口でフライヤー配っていた人がいて、隣の公民館みたいな建物で展示をやっているので見ていってください、というので、どうせだから覗いてみた。
(外はとにかく暑くて出歩きたくなくて、室内に避難。)

涼しい室内で見学だ。

第16回広島「原爆と戦争展」

これ、ほんとに充実した展示でした。
8月に戦争展、原爆パネル展示だったら、私の住んでいる市でも毎年やっているのだけど(ところが今年は、広島長崎どちらからかは「傷むので今後はもう貸し出せない」と言われてしまったらしい。「毎年同じような展示だな、少しは工夫しないと今どきの人は見なくなるぞ」とか思っていたら、同じパネル展示でもいいから記憶風化させないためにとにかく続けろって気に俄然なった)、そういったいつもの見覚えのあるような戦争についてのパネル展ではなかったのだ。

エグかった。
日本・アメリカ双方の、戦中戦後の犯罪的な行為を、冷静に指摘していた。
その後、NHKで放映されてかなりの反響を呼んだインパール作戦に関しても
「飢えと自決で死体散乱 ビルマ・インパール作戦」
「米軍は残虐だった 皆殺しする作戦だった」

アメリカの戦争犯罪についても
「終戦まぎわまで空襲」
「戦後支配の野望のために虫けらのように焼き殺した」(下関空襲)
「無差別の県民大虐殺」(沖縄戦の真実)
「基地を奪い取るための大量殺りく」(同上)
「戦争を忘れさせよ 慰霊碑許可せぬGHQ」(語られなかった東京大空襲の真実)
「原爆は戦争終結のためには必要なかった」(原水禁運動)
「原爆使用が正しいとはいわせぬ力をつくった」(同上)
と、厳しく見ている。アメリカ=正義の味方、ではない。
ああ、私の市ではとっても無理そうな展示だわ。
でも、はっきり言ってこちらの方が正しい原爆・戦争パネル展だと思うわ。

2017年8月31日木曜日

猫いるいるいる日本史

鳥獣戯画に猫絵もあった(しかも可愛い)、お公家さんが猫を所望するお手紙、などなど猫にまつわる日本史の読み直しが楽しい。猫好きの小林一茶の話はもっとあって欲しかった。

カリスマ、カメジロー

南アフリカ、反アパルトヘイトの闘いで言えば、マンデラ氏にあたるのではないかと思うが、瀬長亀次郎さんが国会議員だった頃のことはおぼろげながら覚えている。

マンデラさん以上に尊敬するのは、非暴力であり、法に則った闘いを、ずっとずっと粘り強く続けたこと、そして沖縄の人々がそれを支えたこと、否、お互いが支えてきたこと。

とはいうものの、南アとか、或いは私がこれまで担当した地域であるシリア・エジプト・ギリシャ・イランといったところの人権状況ほどには知識も薄かった、沖縄。

薄かったなりに、教会で行ったセミナーで教わったことで(もう二昔ほど前になるが)米軍統治下の沖縄は知っているつもりになっていた私だが、酷く打ちのめされるくらい、米軍の沖縄に対する仕打ちは酷かった。
ユーロが連日満席に近いのはよいことだけど、沖縄について心無い言葉を投げつけるような人にこそ観て欲しい映画なのだが、それにはどうしたらいいのでしょうか。

そういう意味では配給の彩プロ、超キワモノ映画特集するとか変な邦題・パッケージで旧ソ連圏の戦争映画を玉石混交でDVD発売という印象しかなかったんですが、こんな真っ当なお仕事もされているのですか。
ミリオタの落としたお金の有効活用、喜ばしい限りです。
一味違った層が観に来るということがちょっとでもあったらなあと思います。
(以前、東京ロシア語学院でやっていたロシア映画近作紹介の会で、いつも年齢層が高かったのに、アルトゥール・スモリヤニノフくん主演の「第九中隊」をやったとき、軍装??めいたミリオタっぽい若者(じゃない人もいたけど)がどどっと来ていて、新鮮っていうかちょっと驚いたことがありましてね。)


あら、と不思議に思ったのは沖縄が日本に復帰する前の1970年に、既に瀬長さんが国会議員になっていたということ。
そりゃあ、選挙すれば沖縄では絶大な支持を得ているのだから当選しますよね。
よくわからないけど、「本土復帰」の前に沖縄で日本の国政選挙があったということなんですね。


2017年8月30日水曜日

録画メモ

「コロニア」
「アルバート氏の人生」

「コロニア」はピノチェト政権下に実在した狂気のナチス残党の巣窟の話。怖いよ~。でも、普通の人達に紛れ込んで生き延びたナチス残党ももっと怖いかも。

チリの闘いからノスタルジーまでの狭間で

 去年「チリの闘い」を観て振り返るのによい頃だったのみならず、起こったことをなかったことにする、忘却させようとする何やらが蠢くのを感じる今日この頃誠にタイムリーな企画になってしまったこと。「ピノチェト・ケース」「チリ、頑固な記憶」「サルバドール・アジェンデ」のDVDも是非作って!

圧倒的な情熱を込めた「チリの闘い」から癒しと慰めにフォーカスされていくような「光のノスタルジー」「真珠のボタン」に至る途上にあるこれらの作品、再見して改めて感動する。DVD化望みます。

「チリ、頑固な記憶」ようやくピノチェトが失脚して、作家オルテガが送った楽譜で若い楽隊がベンセレモスを演奏して街を歩く。涙ぐむ人、Vサインする人、物珍しそうに見守る若い人。23年ぶりだったと。
「チリの闘い」上映前後の若者達の発言も興味深い。ネタばれすると、ショックで泣き出す。
ドキュメンタリー観る前は「共産主義者を駆逐するためには犠牲もやむなし」みたいなこと言う人もいるのだ。ピノチェト政権下で生まれ育った若者の中には。(「ピノチェト・ケース」ではピノチェトの友人が他の南米の国と比べると犠牲はちょっとだった」と堂々と言っているけど。)観た後の衝撃の涙は尊い。

「ピノチェト・ケース」において、ピノチェト告発に関しては、当初チリ本国で人身保護命令申立をすれどもすれども却下され続け、英国滞在中のスペインでの告訴で事態が動き、英国でも引渡に関して司法界で綱引きが行われ…と、人権の国際化の流れと法曹の国を越えた連帯が感動もの。
このドキュメンタリーには、当然ながら、アルゼンチンの独裁政権に対する言及もちらっと出てきます。
ただ、少なくとも日本では(世界的には不明)ピノチェトに比べてビデラの悪の知名度はかなり低いですね。告発側の文化人に、チリには大物が多いようなのが、その差になっているのでしょうか…。
この私のツイートに関して、ピノチェトがほぼ単独の独裁だったのに対して、アルゼンチン等は陸軍による集団的なものだったからではないかとの興味深い示唆をいただいています。
そう言えば、私がアムネスティに入った頃(1990年代)は、中南米独裁政権への抗議と彼の地の良心の囚人支援が盛んに行われていたのだけれど、責任者を明らかにして処罰してくださいという手紙を何度も書いていた…。
あと、スペインのフランコ独裁とポルトガルのサラザール独裁の違いについては、市之瀬先生が書かれていたなあ。

8月27日日曜日夕刻、渋谷ハチ公前でヘザー・ヘイヤーさん追悼集会に参加しました。
「チリ、頑固な記憶」でのピノチェト政権下友人を殺された人が言う「過ちは多くのことを忘れようとしたこと。彼の死をもっと泣けばよかった。」という言葉が思い出されてならないのです。

2017年8月27日日曜日

オデッサの春 ユモリーナと「コメディアーダ」報告を聞く

久々の桑野塾でオデッサでのクラウンフェスティバルのレポートを聞く。
そしてクラウン達の映像も見せていただいた。
ククラチョフさんが猫劇場でやっているようなことを鶏でやる人とか、皿回しとフリスビー犬の同時並行とか、コッペリアの男性版←完璧!等々、素敵なクラウン沢山見てただただ幸せ。
紛争越えての開催実現とあって感動もひとしおでした。

で、最後にやや唐突にサバトラの猫の写真が映し出され、

講師曰く「岩合さんに教えてあげたい、オデッサは猫が多くて、しかも可愛い!
それ、知ってた。

10年前のオデッサだけど、素敵な猫たちに会えた。
私的ネコ歩き向け№1の街オデッサ。


ペテルブルグでもそうだけど、ネコの気配に満ちた街。
足元にも、

見上げても、

ねこいるいるいる。

日本で言うと尾道。
だが、こちらは美術館内にも猫様は住まうのだ。




(尾道だと折角訪ねてきた美術館を追い返されてしまう。)

オデッサと言えばあの階段…
 





なのに、それが崩落してしまったんだそうです。
その後しばらく放置されていた!
けれど、ようやく修復に乗り出し、この8月には直っていたというのですが、今度はコンクリート造りになっているっていうので、あの映画の風情を求めて訪れると厳しいのかも。

オデッサは4月1日をユーモアの日として祝日にして、愚者を祝う。
1997年当時のユモリーナでは、市民たちは市役所前から海岸通りをリュシュリュー像がある辺りまで練り歩く。これが楽しい、とおっしゃる。
ソ連圏伝統のグリャーニエ(練り歩き)なのですね。

今年のユモリーナでは、仮装大会化しており、コスプレイヤーがパレードして市民は沿道で撮影する感じに変化したとのこと。

2014年冬以来のウクライナとロシアの紛争はウクライナ南東部のオデッサにも深く傷を残し、伝統のユモリーナも2回の中断を余儀なくされ、2016年に復活。
クラウン・フェスティバルであるコメディアーダも開催が危ぶまれたのですが「こんな時だからこそ笑わせてくれよ!」という強い要望があって無事開催されました。

オデッサはロシア帝国内ではかなり新しい都市で(オデッサ>ペテルブルグ>ニューヨーク順で歴史が浅い)、国際的な港町、多民族・インターナショナルで華やかで明るくユーモア好きな人びとのいる街として発展してきました。
ソ連の中でも独特の文化が花開き、文学・演劇・映画で確固たる地位を築いてきました。
(ちなみにロシア語圏であり、ウクライナ文学の中での位置づけはちょっとわからないです。)
ソ連ジャズ発祥の地としても有名ですね。

しかし、一方で度々の戦禍に見舞われ、
 
ポグロム(ユダヤ人虐殺)も起き、犯罪率は相当に高いらしく、最近では東ウクライナ分離紛争絡みでチェルノモーレツ・オデッサ対メタリスト・ハリコフとのサッカーの試合後の暴動から多くの人が焼き殺されるという何とも凄惨な事件が起こったあの日を忘れることはできません。
(どうしよう、どうしようと思いながら何もできず、どうしてあんなことが起こってしまったのか未だに理解できない。だからだからです、考えが違うからとその存在を否定するような差別主義者を放置していたら、本当に人を焼くようになってしまうと、強く戒めて、レイシズムには抵抗していくことにしたのは。)

オデッサは試練を笑いで乗り越える。
やはりそうだったのだとわかって、すごくほっとしています。
今でも猫に優しい猫の街だっていうことにも。

2017年8月24日木曜日

夏の広島④袋町小学校平和資料館

三瀧寺から中心部にバスで戻って、市内散策ですが、これまでは平和公園周辺の記念碑めぐりすることが多かったので、今回は公園から少し離れたところの遺跡や碑などを訪ねてみることにしました。

真心像
原爆の洗礼を受けた広島市に本拠を置く広島市信用組合が本店新築を記念してここに清純な古代の乙女の像を設置して永遠の平和と繁栄を祈念します。
昭和三十八年十月十三日   今井稔 撰
 

アストラムライン「袋町」駅地下道出入り口にある説明

昼食はショップ併設のカフェのようなところで冷製パスタ。
しかし、注文してから前日夜もスパゲティだったことを思い出したのですが。


道の向かいに袋町小学校平和資料館が見えます。
続々と入館する人。
先生に引率された小中学生や、グループ行動らしき生徒さんたち、大人たちも集団で、次々に入っていくのが見えます。




リーフレット、日本語のものは品切れになっていました。
残っているのは英文のみ。
先生なのかな?生徒さんたちに説明をしていた男性が「土日は小学校が閉まっているので補充できなくてすみません」とおっしゃっていたけれど、5日土曜にお昼になくなってしまっていて、明日も続々訪問者がありそうなのに…。
Webからダウンロードしてプリントアウトすることは可能(私はそうしていた)ですが、残念なことです。

袋町小学校は爆心地から約600メートル。
1945年8月6日当時、学校にいた児童160人と教職員16人、うち生き残っていたのは校長・教頭と児童3人のみ。
当時としては珍しかったのではなかったかと思われますが、西校舎は地下室付きの鉄筋コンクリート造りの校舎で、ここの地下室にいたり、グラウンドから運動靴を取りに戻ったという偶然により生き延びたようです。
(地下室に詳しい証言や説明の展示やビデオがあります。)
木造校舎部分は当然ながら倒壊・焼失しました。

焼け残った西校舎は翌日から救護所となりました。
そして、壁には、被爆者の消息を知らせる伝言が数多く残されました。
それが現在でも保存されています。

伝言について詳細な説明をしてくださった。

壁に残る伝言文字現物

地下の扉

各地の学校から折り鶴や寄せ書きが送られている。
ここでも折り鶴を捧げて来ました。

袋町小学校の校庭では盆踊りの準備が進められていました。

2017年8月20日日曜日

作家とサッカー23 鬼才エミール・クストリッツァ

『夫婦の中のよそもの』23ページ「すごくヤなこと」
 その渦から逃れるように、ゼコはセーターの袖の石油の染みが付いた部分を隠しながら台所へ。そうやって袖の先を引っぱり伸ばして握りこむというのは、パルチザン・ベオグラードのフォワード、ヴコティッチが試合に絶対勝つと決意を固めたときにやるのと同じだ。

夫婦の中のよそもの
夫婦の中のよそもの

夏の広島④三瀧寺(続続)

先を急ぎましょう。
三瀧寺の残りの写真です。
その名の由来の三つの滝(駒ケ滝、梵音の滝、幽明の滝)、被爆建物(鐘楼・三鬼権現堂・鎮守堂)。


補陀落の庭に注ぐ滝は枯れちゃっていた。
本堂下から参道の方に水が流れるように誘導されている。
確かに涼し気な雰囲気だが、(日陰だし)それでも汗が噴き出てくる。
夏は暑い。(結論)