2014年10月30日木曜日

期待に反し

期待に反して空虚な一冊。全編不定人称文で書かれたような、歴史の教科書の形式を模した本で、一作毎に辞書形式・クロスワード、前後から読めるなど工夫を凝らしたミロラド・パウ゛ィチの如く奇をてらったものだったが、内容は薄かった。

2014年10月27日月曜日

復習

今週は新しいメニューには挑戦せず(ピクルス類は別)、復習をした。

・ヨージク
・牛乳とキャベツのスープ


2014年10月23日木曜日

ピクルスを極める第一歩

せっかく荻野さんのサイン入りの『ロシアの保存食』が手元にありながら、このところ疲れがたまっていて、レシピに挑戦が遅れていたが、今日ちょっとやってみた。


手前(右)のがキャベツの発酵漬け
真ん中のが玉ねぎとにんじんの甘酢漬け
奥のはきゅうりの甘酢漬けとトマトの甘酢漬け

というのは、キャベツと玉ねぎを作る予定だったのが、甘酢漬けの汁が余ってしまったので、何となくキュウリとトマトをやってみた。

今日作っておいたら週末くらいから食べられるだろうか。

私もなんか言う クレドシアターの「外套」

世に聞こえたプーク人形劇場が創立者の川尻泰司さん生誕100年の今年招聘したプルガリアのクレドシアター、実は久しぶりの外国の劇団の招聘だったそうだ。
(直近は2008年のニコリーナ・ゲオルギエヴァ(ブルガリア)の「動物たちのカーニバル」。これも古典であり名作の舞台作品だ。手影絵。)

数ヶ月前の桑野塾で、プークの方からチラシをいただき、すぐに「これは観たい!」と思った、ちょっと変わった風のゴーゴリ作『外套』の人形劇には、ロラン・ブィコフの名演技が目に焼き付いているソ連映画の名作あり、70年代から取りかかりながらまだまだ完成していない(アカーキーさん、外套を買いましたっけ?)ノルシュテインの長編アニメーション等、これ以上はないのでは?という凝りようの選考作品がありながら、しかもロシアではなくてブルガリア、いったいどういうことに?と心惹かれたわけである。
観たところ、純粋な人形劇ではなく、出遣いのようだ・・・。

クレドシアター主宰のニーナ・デミトローヴァさんは、さほさんみたいな、そしてヨランド・モローのような堂々としたアーティストで、何をやっても凄い!の一言だった。
共演のステリャン・ラデフさんはなんと1991年生まれ!ココラと同い年?!
なのに、デミトローヴァさんによく食らいついていたし、踊れていましたねえ。

『外套』って、”小さな人々”の悲喜劇として、痛々しくて暗い面を描かざるをえないと思っていたのだけれど、クレドの舞台は終始笑いが絶えなかった。
最初から最後まで楽しめた。

さきほどツイッターに記したが(帰りの電車内で打った)、

パワフルで笑いが絶えないクレドシアターの「外套」、素晴らしかった!原作からはだいぶ逸脱しているが、ロシア人も決して文句は言うまい。
ウ゛ォルガの船曳きと黒い瞳のアップテンポのリズムに載せ、流暢ではない日本語で「陪審員の皆様!」と語りかけ。
道化二人の演技、踊り、パフォーマンス、そして人形も、全て想像を絶するものだった。ブルガリア人形劇界万歳!こんな外套、観たことないわ。ハラショー。

序盤はそれなりに楽しみつつも「はてさて、いつアカーキーさんは出てくるんだろう?外套の話はどこから?」と思いながら観ていたのだが、アカーキーさんはちゃんと誕生の場面から現れるのだ。
アカーキーさんは、そして仕立て屋のイヴァーノヴィチさんは人形だ。

「陪審員の皆様」
「お前もなんか言えよ」
等々つたないお二人の日本語の台詞が、実に味わいを醸し出していた。

3公演全て満席だったそうだ。
残念なことにもう一方の公演アンデルセン原作「お父さんのすることはいつもよし」は観に行けないが、24日から26日、まだ若干のお席の余裕があるとのこと。
都合の付く方は是非是非。

左の上下の写真が「外套」、右が「お父さんのすることはいつもよし」
中央はポスター

創立85周年・川尻泰司生誕100年を記念?
パネル写真が数多くかかっていたが、こちらは懐かしい!「うさぎの学校」

川尻泰司さんの人形にプー吉とチビ(犬)、たぶん「十二の月のたきび」のマルーシャ等
NHKのパペットエンターテイメント(←人形劇って言わないんだよ)「シャーロックホームズ」のポスターがあった。そうか、スタジオ・ノーヴァ作品なのだ。



2014年10月20日月曜日

アクロバティック・イラン

イランの近過去(特にアフマディネジャド政権)に詳しく、非常に解りやすい良書(著者は元イラン大使でスペシャリストと言ってさしつかえない)。
注目点をいくつか。
1.著者が大使としてテヘランに着任した際、各国の大使の中で最も印象的なイラン情勢の見識を示したのはロシア大使であった。それは、イスラーム共和国体制作りの基本的考え方として、独裁者を生む余地をなくすための相互監視メカニズムだという。
2.アフマディネジャード大統領(当時)はマシャイ氏とのコンビで「プーチン・メドヴェージェフ・モデル」を模していた。
イランとロシアの興味深い関係が垣間見える。
(とはいえ、イラン・ロシア関係への言及はこの2点くらいしかなかったが。)

オデッサ・スタジオ

難民映画祭で「FCルワンダ」を観たので、大変久しぶりに「オデッサ・スタジオ」に新しく記事を書いたのでした。

今日の夕食はキャベツと牛乳のスープ及びアズーでした。


2014年10月15日水曜日

ロシアから観たイラン、イランから観たロシア

まだ途中だが、注目点をいくつか。
1.著者が大使としてテヘランに着任した際、各国の大使の中で最も印象的なイラン情勢の見識を示したのはロシア大使であった。それは、イスラーム共和国体制作りの基本的考え方として、独裁者を生む余地をなくすための相互監視メカニズムだという。
2.アフマディネジャード大統領(当時)はマシャイ氏とのコンビで「プーチン・メドヴェージェフ・モデル」を模していた。
イランとロシアの興味深い関係が垣間見える。

2014年10月13日月曜日

ロシアは暗いのか または神楽坂で遇った人

今日は家族の誕生祝いでご馳走をふるまおう!
というわけで、一日ロシアカフェ«スバボーダ»(主催:ロシア雑貨店マリンカ、ロシア雑貨店パルク←いつもお世話になっています!)に行ってきました!
場所は神楽坂のア・ポワンというフランス料理のレストランです。
私は学生時代飯田橋でアルバイトをしていたので、このあたりはとっても懐かしいです。
神宮からの優勝パレードも神楽坂のこのあたりをねり歩いたものです。
(当時ア・ポワンはなかったと思いますが。というか、その頃そんな高価なお店には全然入らなかったし。)

荻野恭子先生の新著『ロシアの保存食』刊行記念トークもあるので、久しぶりに先生にもお会いしてきました。



ロシアのお料理の良さ、ロシア人のもてなしのよさについてのエピソードもさることながら、そうだよなあと思ったのは、サモワールは勿論「自分で沸く」というロシア語から作られたロシア発祥の湯沸かし兼ティーポットなのだけど、今のロシアではお茶を入れるのに使われている場面は殆どない(シベリア鉄道車内とかレストランとかに限られる)、今やインテリアとなっているが、イランでは今でも普通にお茶を入れるのにサモワールが使われているというお話。確かイランでも「サモワール」っていうんでしたよね。(で、イラン人もお茶の時間をとても大切にする、喧嘩していてもお茶の時間には一緒にいただく。)

ロシア料理店ではなく、フランス料理のレストランでのロシアカフェでしたが、メニューはいたってロシア的でした。
写真とともに紹介します。

1.ビーツのサラダСалат из свёклы サワークリーム和え 色が美しいピンクです。

2.シチーЩи キャベツの発酵漬けと牛肉のスープ 最も伝統ロシアっぽいスープですね。


3.クレビャーカКулебяка サーモン、カッテージチーズ、ほうれん草入りロールパン
 
拡大して見ましょう。

 
4.紅茶Чай и моложеное с вареньем ブルーベリージャム添えアイスクリーム


 


これまでロシア料理を食べに行くというと、あまりのボリュームにおなかがくちくなり(ベンジャミン・バニー氏状態)苦しくなるところですが、ザクースカやいわゆるメインディッシュの肉料理なしのこのくらいのメニューでちょうどよい満腹感が味わえました。
具だくさんスープとこれまた具だくさんのロールパンで充分な量です。

(ただ、このお店、なぜかお料理を持ってくる際にお盆を使わず、両手に持って運んでくるので、一度に二つずつきりで行ったり来たり。お料理が行き渡るまでに膨大な時間がかかっていました。あまり能率的でないように思うし、某友人だったら「お皿の縁に指が触れていて気になる、替えてきて!」とかクレームをつけそうな危うさがありました。)
これは荻野先生のお持ちになったハーブ。
容れ物は元クラスメートのリューダさんがプレゼントしたものではなかったか。
13日追記:
リューダさんのプレゼントはこれではなく、新著『ロシアの保存食』扉頁の写真に写っているマトリョーシカの調味料入れセットですね。
私も最初にソ連に行った時にモスクワのベリョースカ(インツーリストホテルの1階にあったもの?)でお土産に買いました。

お食事の後、TVロシア語講座などでもお馴染みの民族音楽アンサンブル«ガルモーシカ»のマキシム・クリコフさん(東洋文庫の講座でお会いしたことがある、小説で賞をとったこともある、極めて多才で日本通の凄いアーティストにして学者!)とイリーナ・コルネワさん。
このミニライブはなかなか選曲がよく、いかにもいつもこういうコンサートで演奏されるいわゆる“ロシア民謡”ばかりではなくて、明るい曲調で軽いノリの、ロシアでとてもポピュラーなものが多く、これはロシアの歌謡と言うと短調で暗いムードというのをおそらく意識して避けたからなのだと思います。

「私のバグパイプ」 牛を集めるときにやはりバグパイプを使うとのこと
「トゥー・ステップ」 1920~30年代の社交ダンスの曲。現在ではダンスを離れてよく知られている人気曲。(日本人でも聞いたことがあると思う。)
「月は輝く」
「おお、カリーナの花が咲く」 好きな男性にまだ思いを伝えられない娘の切ない気持を歌っている
「カマーリンスカヤ」
ロシアと日本の曲のメドレー「カチューシャ」「恋の季節」「カリンカ」「?(たぶん日本の歌謡曲)」「ポーリュシカ・ポーレ」「泪そうそう(たぶん。私はよく知らないので)」「一週間(チュリャ)」「泳げたいやきくん」「上を向いて歩こう」「モスクワ郊外の夕べ」

ライブ終了後、できたての『ロシアの保存食』を入手し、『パンとお菓子』『スープ』(持参してきた)とともに荻野先生にサインもいただきました!(並んだ。先生はもはやすらすらとサインをこなしていらした。)

また、荻野先生から、誕生日の家族にプレゼントをいただきました。
どうもありがとうございます!

そして、ちょうどお店を出たところ、ちょうどお祭りの行列が通るところでした。
先頭には火消の○組みたいな装束の人たち。
でも時代劇に出てくるような人(近世以前)はおそらくそこのところだけで、そのあとにはこのとおり明治以降近代日本の文化人に扮した人たちが続きます。(人力車もあり。)

まず目についたのが、温かそうな毛皮の帽子とマントの二葉亭四迷。
おやおや、架空の人物もいますね(坊っちゃん等)。
高浜虚子は随分お爺さんだな。
神楽坂所縁の夏目漱石先生もいらっしゃる。
(猫はいないなあ。)


あら、さほさん、ほら!
『女三人のシベリア鉄道』のヒロインの一人、与謝野晶子もいますよ。
見物していてなかなか楽しかった。
それぞれ似ている具合はどれほどなのかちょっと微妙でしたが、あんまり大袈裟じゃなくて楽しんでいる感じで。

荻野先生は相変わらず笑顔が素敵でした!

2014年10月9日木曜日

遠い日のモディアノ

今年のノーベル文学賞はパトリック・モディアノだったのか。 これまで『1941年。パリの尋ね人』と『八月の日曜日』の2冊読んだことがある。

あと、映画の戯曲も書いているんですね。
結構有名なのを。(あまり観ていない。)

読むとだいたい暗欝な気持ちになるのだけど、戦争という御しがたい不正義の時代においてそれなりに幸せを求めていたであろう市井の人々を思うと、胸に迫るものがあったと記憶している。

新聞広告の一文から、1941年のパリに生きた一人の少女の行方を追ったスリリングな、そして型破りの文学だった。…といっても、読んだのが大変昔のことなのでよく覚えておらず、再読しようと思う。
『1941年、パリの尋ね人』がよかったので、モディアノに惹かれてこれを読んだのだが、暗い!そしてぞっとするような残酷さについていけず、萎えた。以後モディアノには手を出さなくなったのだった。

皆既月食で冷めたチキン・ストロガノフ

 



料理の途中で皆既月食が始まった。

18:42



なので、料理中にも食事中にも写真を取りにベランダに出たりしていたら、お料理はすっかり冷めてしまった。




 


 

19:53




20:23
 
21:01
 

21:12
だいぶ復元してきた
 
雲間から満月
 

21:29
月食ではなくて、雲に隠れてしまった

2014年10月8日水曜日

よりソフトに、よりグロテスクに

アゴタ・クリストフの『悪童日記』映画化作品(同名)を観た。
ハンガリー人サース・ヤーノシュ監督のハンガリー語の映画だ。
(ドイツ人はドイツ語だが、ソ連人登場シーンに台詞はなく、ロシア語は聞かれない。)

映画化の権利は「ヨーロッパ、ヨーロッパ 僕を愛した二つの国」のアグニェシュカ・ホランドらが得いていたが実現には至らなかったという。
ホランドの「悪童日記」、観てみたかったな。

原作は天才的に魅力ある作品だが、割と普通の映画になっていた、というのが全体的な印象。
おばあちゃんは迫力があって素敵。
彼女がさりげなくユダヤ人に食べ物を与える箇所は省かないで欲しかった。

説明過多の部分と描き足りていない部分があってもどかしい。
日記には真実のみ記す、主観的記述を排する点は守るべきでは?
日記はかなり当世風にデコレーションされた帳面みたいになっていた。
戦争中の、かなり物不足の田舎町にしては、という気がするが、これも演出の範囲かな。

まあ「第九軍団の鷲」ほどがっかりはしなかったけど。

(まだ書きかけ)

言わずもがなの立憲主義


アメリカがイラクに攻撃を行ったころから、「正義のための戦争」「人道のための戦争」という具合に、戦争が肯定されるようになりました。自国民に被害がなければ、戦争をしても別にどうってことないというわけです。  しかし、私はどのような理由があっても戦争には反対です。それはどんな理由をつけても戦争は人殺しだからです。私たち国民が、税金で人殺しに加担することになるからです。ー 56ページ


選挙で選ばれた以上、その人はルールに縛られずに自由に権力を行使できると考えるのは、中国のような「人治」の国の政治です。いかに民主的な権力でも、それを行使するときには「法治」、つまりルールによってコントロールを受けるというのが立憲主義なのです。-20ページ

選挙で審判を受ける覚悟さえあれば、自分の責任で何をやってもいいというのは、「人治」の政治であり、立憲主義に関する知識不足と言わざるを得ません。-21ページ

そうそう。
安倍氏の「最高の責任者は私です」「私たちは選挙で国民の審判を受けるんですよ。審判を受けるのは、法制局長官ではないんです、私なんです」⇒だから権力の長たる私、首相の考えで憲法解釈を変えてよいという主張は、本気で考えているとしたら、立憲主義を全く理解していない全くのアナクロニズムのおつむの持ち主ということになる。

2014年10月7日火曜日

難しくて、とても暗欝な読後感…

「重大犯罪におよんだ精神障害者の再犯率が、一般の犯罪者に比べ、きわめて低いというデータ」は「精神保健福祉に関心のある人の間では、有名な数字」なのだそうだ。(関心がなかったせいもあり、全く知らなかった。)
それはともかく、著者の述べることには「う~ん、それでいいのか?」という思いが最後まで去らなかった。多害行為をしてしまった人に対してはやはり「怖い」という印象を持ってしまう。著者は多害行為をした精神障害者に対して終始同情的(「~してしまった」と叙述)、しかし精神科受診歴のある人の多害行為の被害者の大半が親族であり(そして警官に対する«公務執行妨害»)、第三者が少ないというデータがもっと公表されれば、精神障害者は危険という偏見を少しは払しょくできるのではないかという発言も取り上げられていたが、それで払しょくできるようには思えない。親族だって傷つけられたら犠牲者だもの。個々のケースも読んだ限りではあまり同情できないものが多かった。難しい。もちろん医療観察法という制度にいろいろ問題や矛盾があることは何となくわかったのだが…。

2014年10月5日日曜日

遅い夕食

今日は会議があって帰りが遅くなった(台風が近づいていて雨が強くて肌冷えがする)。
が、買い物をして帰宅してから、宣言していたとおりに、肉入りドラニキを作った。


しかし、なぜか具(挽肉+玉ねぎ+ニンニク)が余ってしまった。
なので、そのあとお米を混ぜてヨージキ(肉だんご)も作った。

前進、前進!(書きかけ)

ばりばりの革命映画「聶耳(ニエアル)」は楽しかった!

聶耳は中国国歌となった「義勇軍行進曲」作曲者。主演の超丹は作曲者をよく知る人で、撮影当時44歳ながら19~20代前半の聶耳を演じる。これは「シベリアの理髪師」でのメンシコフみたいだった。なのであんまりレアリズム演技・演出ではない。
(屋台みたいなところでヴァイオリンを購入(仕事をくびになった際のお見舞い金みたいなので)したら、すぐ名曲を弾くようになる。ピアノもすぐに弾ける。さすが大天才である。)

「聶耳」上映に際し、詳細な資料と丁寧な解説も有り難かった。謝々!
聶耳は1935年に23歳で亡くなっている@鵠沼海岸のだが、周囲の映画人は悉く文化大革命のときに酷い目に遭っている。
文革って何だったのか?
ある意味では延安から武力で革命を進めた勢力による、上海あたりのインテリたち排除だと。

1937年の第二次上海事変後、上海の映画人は4グループに分かれる。
上海に残ったグループ・香港へ行ったグループ・延安、そして重慶。延安に向かった中にさっぱり売れない女優だった江青がいる。自分が映画で大成しなかった恨みか、文化革命で映画人たちを大弾圧した、というのだが、それだと話が上手過ぎて却って信じがたいが。

それと聶耳は(というかこの時代には)素直に「中共万歳!」「ソビエト万歳!」を同時に口にし、ソ連の記者からグリンカ、ムソルグスキー、チャイコフスキーのオペラの楽譜を贈られて目を輝かしている。
そういう映画なので、後の不遇が容易に予想できる。
しかし作品自体はお約束的に明るい青春映画だ。

野戦病院の慰問に行って大衆歌ではそっぽ向かれラ・マルセイエーズを歌って大拍手(→そして「僕達のラ・マルセイエーズが必要」となる)とか、官憲により上映禁止になった舞台上でインターナショナルをヴァイオリンで弾いて観客の心を鷲掴みとか、直情的革命熱血音楽青年の聶耳さんに乾杯!

この中国の義勇軍行進曲も、ラ・マルセイエーズも、ソ連そしてロシアの感動的にカッコいいあれとかも、星条旗よ永遠なれも、勇ましい国歌が羨ましいなあ。

中国はロシア以上に近くて遠い国だと感じる。
普段から中国に関する知識や関心が薄くて、最近はある種の反発も持ってしまっている。
知らないゆえの違和感がまずあるのだと思う。
観ている最中、ずっと何だか違和感が消えない。
すごく文化的なところと野蛮?な面とがないまぜの国。


大きい子猫

この子はネズミ捕りの罠に引っかかっているところを救出されたのだそうだ。
このことは大きな傷を与えてしまい、ものすごく怖がりで、ケージの中から絶対に出ない。
ケージに囲まれたところにいないと心が落ち着かないようだ。
箱入り娘。
で、近づくと「シャーーーーー!!!!」と言って大威嚇する。
По-русски "Щааааааааааааа!!!!!!!!!"

飼い主さんは「子猫」と言っているが、どっちかっていうと充分大猫だ。
飼い主さん曰く「拾った時(去年の暮れ)は小さかった」そうだが(そりゃそうだろう)、それからずっと家の中で過ごしているのだから、肥えてくるだろう。

 
怖くてたまらない
今日も激怒させてしまった。ごめんね。
 
私はこの子のことはネズナイカと呼んでいる。
が、「シャーちゃん」が通称になりつつある。

2014年10月4日土曜日

おいしいロシアの旅

代官山駅を降りたら、以前お芝居を観に来たことがあるのを思い出した。
ロシアの子ども向けの劇で、同行者によれば「ヤギが出てきた」。
何年前だったろう?
夏だった。

さて、今日はもう日が暮れていたが、蔦屋書店を目指す。
あてずっぽうに歩いたが、運よく辿りついた。

お目当ては、台所から食卓へ調味料類を運ぶ時に使う小さなお盆があればと、ロシア雑貨を求めてのものだったが、


 
思ったより雑貨類はなかった。
荻野さんのヴァレーニエ
マトリョーシカ
ランチョンマットくらいの大きさのリネン
などなど、でした

2014年10月2日木曜日

しばしお別れペルシャ絨毯

8月21日から隔週木曜日に通っていた「知って楽しむイラン映画の歴史」講座の最終回だった。
白金台のイラン文化センターのペルシャ絨毯を再び踏むことがあるだろうか。
そう願っているが。
イラン文化センターは駅からすぐのとあるビルの2階にあって、靴を脱いで入るとペルシャ絨毯なのですよ。
そこでイラン美男子がかいがいしくお飲物を配ってくださって、舞い上がってしまいたくなります。
(たぶん、柘榴ジュースではなくて、普通のオレンジジュースかなんかだった。)

講師は鈴木均先生で、
第一回 革命前
第二回 革命とイラン・イラク戦争時
第三回 90年代のイラン映画の興隆と国際的受容
第四回 現在(イラン国内から国外へ)とドキュメンタリー、鈴木先生の自作
というバランスもとてもよかった。
最初の二回は未知の映像・情報も多く、特にイラン・イラク戦争を描いたイラン映画を実はあまり知らなかったことに気づかされ、良い作品に触れることができたと思う。
三回目と四回目は割とお馴染みの作品が多く、わくわくしながら観た時のことを振り返りつつ楽しめた。
そして、特に有名な「友だちのうちはどこ?」については細かくその象徴性を指摘してくださって新たな感動を呼び起こすことができた。

しかし、この講座全般、イラン映画を観倒しているような結構コアなファンが対象だったかもしれない。
質疑応答の時間は結局殆どなくて、普段旧ソ連圏の映画についての疑問点をオーソリティーに気軽に尋ねているような、«痒い所に手が届く»ような解説と言うわけではなく、前々からの最大の疑問「圧倒させる作品を次々と世に放つイラン映画人たちは一体どこから沸いて出てきたのか?」(つまり映画人育成のシステムが、映画大学なり専門学校のようなものなり教育機関があるとか、監督の元で修行して独立していくような仕組みなのか、国外で学んできたものなのか等々)についてはよくわからないままで終わった。

最後、鈴木先生のコレクション「イランにおけるおしんグッズ」の写真を撮らせていただいたので、ここに載せておきます。

 
水筒・チリトリ・マッチ・筆箱など

靴下とか靴とかカチューシャ?とか



OSHINとローマ字書きのが多い中で、ペルシャ文字のものも。

アフマディネジャド政権末期の締め付け、文化人たちの亡命、移住も重なって、最近はちょっと翳ってきたかと思いきや、ファルハーディーという大物が出現してきましたからね、まだまだイラン映画人たちは健在です。

2014年10月1日水曜日

作家とサッカーのナボコフについて

拙ブログ中の「作家とサッカー」シリーズ、その第一回はウラジーミル・ナボコフ教授だったのだ。ナボコフは英国贔屓のサッカー好きなのだ。『孤高の守護神』にも出てくるが。この小説にもサッカーネタが出てくるよ、ということを書きました。

ナボコフのロシア文学講義


ティビーエス・ブリタニカ
発売日 : 1982-07
案の定、貴族主義のナボコフは粗野なゴーリキーや情念どろどろのドストエフスキーが大嫌い。亡命駄洒落おじさん作家によるロシア文学講義、実際に受けた学生が限りなく羨ましい。