2017年5月28日日曜日

千島・サハリン・極東秘境巡り


著者 : 相原秀起
北海道大学出版会
発売日 : 2016-11-30

ロシア人との付き合い方に長けている、コミュニケーション力抜群の著者だからできた冒険の旅。
よかった。
ロシア秘境物としてもだが(手続きが煩雑な事以前に自分じゃ絶対に行かなそうな辺境)、この辺の歴史に極めて疎かったし。
終戦の後にこんなに激戦をする必要がどこにあったのだろうか、双方の犠牲があまりにも虚しい。

北千島の役人が「日本は北千島も返還請求してくれない?」と言ってる皮肉!
なぜかっていうと、日本政府が返還要求している南千島はロシア政府がどんどん援助もするし北海道との交流も進んでいるのに、領土問題がないとされている北千島は蚊帳の外、ある島民が「見捨てられている」と述べていた…
(注:日本共産党は千島列島の全島要求しているけどね)

ナルニア国ものがたり 馬と少年



何より挿絵がかなりのがっかり感を誘う。

2017年5月23日火曜日

桑野塾:ほとんど誰も観られなかったマリインスキー劇場初来日100周年展

(書きかけのメモ書き)

スミルノヴァは40歳代で亡くなっており、二人にお子さんがいたのかどうかよくわからず。
その後のボリス・ロマノフ、再婚とかしていないのか、別の女性とでもお子さんがいて、とにかく遺族がわかっていないのだろうか、と思って、帰宅してから調べたが、
・ウィキペディアには家族欄には妻がスミルノヴァであることしか載っていない
・セゾン美術館のバレエ・リュス展のカタログにもロマノフ、スミルノヴァの紹介欄はなかった。


スミルノワら 殆ど反響呼ばず(『舞踊と身体』『日本のバレエ』引用)は本当か

1922年アンナパヴロワ大反響
日本舞踊とも交流 ロンドンで関東大震災追悼の舞踊

ロシア側で研究
ペテルブルグマリインスキー劇場で6.15当日に展覧会 ゲルギエフ挨拶
駒木さんのツイッターで知る
その後ウラジオストクで巡回

妖精人形 ウィーン初演 流行った おもちゃのチャチャチャ エルミタージュ劇場ロシア初演 バクスト美術
パヴロワ ロマノフ スミルノワ チュッケティ写真
スミルノワ セゾンリュス ポロヴェッツ人の躍りに参加
ロマノフ ダンサーより振り付け師 来日前バレエリュス サロメの悲劇 夜鶯 小山内薫大田黒見ている
都新聞広告 展覧会バナー 現代芸術の精粋
午後1時 (休)な話で夜空いていなかった 帝劇男優劇
本郷座 ペトログラード名優 松井須磨子合同公演ウラジオストク
同年5月バリモント来日
瀕死の白鳥 ロマノフ振り付け
夢幻境の女王 せむしの子馬のなかの
ドリゴ 火花のワルツ?
インドの舞女 ラバヤデール
三國同盟 出演者二人?英語だと3人日露英
本野一郎 大使館に招待 政治家主導 日露戦争後の蜜月期 満州利権利害一致 手を繋ぐ 日露協約 4回 交渉しているのが本野 1916年スミルノワ提出の申請書3月 公務として 急に決まった 協約7月
国策 ファンレター東京初 帝国ホテル宿泊の外国人?
日本の皇族軍人 前年大正天皇即位式にゲオルギー大公来日の返礼で訪露 マリインスキーで主賓バレエ公演 せむしの子馬プログラム
ラスト戴冠式 ヤマトカサカ作曲ホクシュー ほくしゅう遊郭吉原のこと日本舞踊で有名 藤間トウゾウ?北州 アサフィエフ編曲

日本の民謡楽譜

ロマノフ振り付け スミルノワソロ
エレーナモチャロワ スヴェトラーナミハイロヴァ
隅田川を踊るスミルノワ 1917年絵葉書 兵庫県芸術文化センター 三越で買った?呉服
1916年の日本人はどう観たか
政治的意図を匂わせる新聞記事はない
帝国劇場初代の写真 民間 渋沢栄一ら 演目の殆どは歌舞伎

帝国劇場で上演の歌劇胡蝶の夢 ヴェルクマイスター作曲 柴田環後の三浦 1911年

1915年 夢幻的バレー 三越呉服店玩具部 人形の妖精と同じ ジョヴァンニヴィットリオローシー振り付け たかぎとくこ日本で初めてトゥーシューズでつま先立ち 特別出演

女性が舞台に立つ、女性のタイツ姿 もの笑いの種

名倉ぶんいち 坪内逍遙の教え子 瀕死の白鳥 ロードスワニング?バリモント? リアル過ぎてダメ

大田黒 音楽との融合

石井山田対談 技術的には凄いが、拒否反応

演芸画報に載ったスミルノワ女史の白鳥湖写真 舞台装置 帝劇のかきわり

杉浦ひすいのゾベイダ 演芸画報表紙 バクストとアメリカのぱくりを折衷 1913年一月号

小山内 サロメの悲劇に感銘

藤村 ダフニスとクロエに感銘

1914年夜鶯 ロマノフ振り付け フォーキン振付主体のリュス ベヌア美術 ジャポニズム 映像も舞台写真も残らず

与謝野晶子 動的現実的きびきびした生活律 女性の生き方

有島 ダンスやオペラはあまり観ていない 英語で日記 他人に読まれないように 絵まで描いている 滅多にない ディアナとパン 最終日演目差し替え シルヴィア?

大田黒 ロシアバレエ執筆

金鶏 ゴンチャロワ衣装

翌年プロコフィエフ来日

1923年ベルリンアポロ座ロシアロマンティック劇場 斉藤佳三遺品 公演パンフレット

パーヴェルチェリチシェフ

プロコフィエフにオリジナルバレエ依頼作曲空中ブランコ 19251106ゴータ初演

室内楽 シューベルト曲編曲 2002年発見

 

2017年5月16日火曜日

コンフェデ杯に向けての30名

http://www.rfs.ru/main/news/national_teams/86454.html
GK
1.イーゴリ・アキンフェーエフ(ツェスカ・モスクワ)1986年4月8日生まれ
2.アレクサンドル・ベレノフ(FKウファ)1986年9月13日生まれ
3.マリナト・ギレルメ(ロコモチフ・モスクワ)1985年12月12日生まれ
4.アンドレイ・ルニョフ(ゼニット・サンクト=ペテルブルグ)1991年11月13日生まれ
DF
5.ヴィクトル・ヴァシン(ツェスカ・モスクワ)1988年10月6日まれ
6.ゲオルギー・ジキヤ(スパルターク・モスクワ)1993年10月6日生まれ
7.ルスラン・カムボロフ(ルビン・カザン)1990年1月1日生まれ
8.フョードル・クドリャショフ(ロストフ・ロストフ=ナ=ドヌ)1987年4月5日まれ
9.イリヤ・クテポフ(スパルターク・モスクワ)1993年7月29日生まれ
10ロマン・ノイシュテッター(フェネルバフチエ(トルコ))1988年2月18日生まれ
11アンドレイ・セミョーノフ(テレク・グローズヌィ)1989年3月24日生まれ
12ロマン・シーシキン(FKクラスノダール)1987年1月27日生まれ
MF
13ユーリー・ガジンスキー(FKクラスノダール)1989年7月20日生まれ
14デニス・グルシャコフ(スパルターク・モスクワ)1987年1月27日生まれ
15アレクサンドル・ゴロヴィン(ツェスカ・モスクワ)1996年5月30日生まれ
16アラン・ザゴエフ(ツェスカ・モスクワ)1990年6月17日生まれ
17アレクサンドル・エロヒン(ロストフ・ロストフ=ナ=ドヌ)1989年10月13日生まれ
18ユーリー・ジルコフ(ゼニット・サンクト=ペテルブルグ)1983年10月13日生まれ
19ロマン・ゾブニン(スパルターク・モスクワ)1994年2月11日生まれ
20ドミトリー・コムバロフ(スパルターク・モスクワ)1987年1月22日生まれ
21アレクセイ・ミランチュク(ロコモチフ・モスクワ)1995年10月17日生まれ
22アレクサンドル・サメドフ(スパルターク・モスクワ)1984年7月19日生まれ
23イーゴリ・スモリニコフ(ゼニット・サンクト=ペテルブルグ)1988年8月8日生まれ
24ドミトリー・タラソフ(ロコモチフ・モスクワ)1987年3月18日生まれ
25マリオ・フェルナンデス(ツェスカ・モスクワ)1990年9月19日生まれ

FW
26アレクサンドル・ブハロフ(ロストフ・ロストフ=ナ=ドヌ)1985年3月12日生まれ
27アルチョム・ジューバ(ゼニット・サンクト=ペテルブルグ)1988年8月22日生まれ
28マクシム・カヌンニコフ(ルビン・カザン)1991年7月14日生まれ
29ドミトリー・ポロズ(ロストフ・ロストフ=ナ=ドヌ)1991年7月12日生まれ
30フョードル・スモロフ(FKクラスノダール)1990年2月9日生まれ

2017年5月14日日曜日

オデッサ・コスモス: 不肖の教え子なので買った黒田本『初級ウクライナ語文法』

オデッサ・コスモス: 不肖の教え子なので買った黒田本『初級ウクライナ語文法』: CD付 初級ウクライナ語文法 著者 : 黒田龍之助 三修社 発売日 : 2017-04-25 ブクログでレビューを見る» 黒田龍之助先生の新著『初級ウクライナ語文法』買ってきた。もし再びウクライナに行くことがあったらちょっと真面目...

2017年5月13日土曜日

可愛いチェコが好きな私が好きな本

スロヴァキア在住する日本人親子によるチェコとスロヴァキアのグラフィックデザインについて、丁寧に取材・関係者へのインタビューをし、飾らない平明な言葉で(あまり文学的に凝っていないのが読みやすくて良い)紹介してくださっている貴重な本。切手や映画ポスター以外は無名性(アノニム)が殆どだった分野で、人脈を生かして多くのアーティストたちにコンタクトしていて感激する。
体制が変わって、ビアホールもプラハの街並みも当地の「応用美術」の世界も激変、閉鎖や解体の憂き目も綴られながら、若い世代の逞しい志向も示される。
それにしても、第二次大戦中のこの国の画家たちの運命はソ連以上に苛烈であったかもしれないと、認識を新たにする。

これ、ミュシャ展のお供にもいいと思うよ。

2017年5月6日土曜日

録画メモ

博士の異常な愛情
日本バレエの母を求めて

録画メモ

ゴーストライター
ペトロフカの娘
https://www.thecinema.jp/detail/index.php?cinema_id=03646

一緒のDVDにしてしまったので、分類に困るが、やはりポランスキに敬意を表してポーランド部門か。


作家とサッカー21 タデウシュ・ボロフスキ『去った人びと』

一つのコーナーキックと次のキックのあいだにぼくの背後では三千人のガス死が執行された。

『去った人びと』は『ぼくらはアウシュビッツにいた』の中の短編。
映画「戦いのあとの風景」プログラム(欧日協会「ユーロスペース」発行1983年刊)44~45ページより

2017年5月5日金曜日

オデッサ・コスモス: 猫グッズいっぱいの大エルミタージュ美術館展

オデッサ・コスモス: 猫グッズいっぱいの大エルミタージュ美術館展: 六本木の大エルミタージュ展、なんかオールドマスターとやらの絵を鑑賞したっていうより、ミュージアムショップで猫グッズ買いまくり!という印象の、しかし充実の一日だった。 絵の方はペテルブルグに行った時に一応観ているんじゃないか? レンブラントは別として、ルーベンスあたりにな...

2017年5月3日水曜日

三國志・桃園のつどい

(書きかけ)
放送聴いたときは、「何これ。つまんないな」と思ったのですが(失礼)、

昨日の  出演の渡辺先生が講師というので、100分de名著 陳寿『三国志』を観たのだけど、第1回に関してはちょっと期待外れ。古代の歴史書から「この混迷の時代に通じるリーダー論」みたいな持って行き方だったので、よくビジネスマン向けの雑誌に載っている記事みたいで。

テキストは面白い!
やはり100分(一回あたり25分)では語りつくせないのが名著なのでありましょう。
なんか池上彰みたいに妙に簡略化した解説で、無理無理現代にあてはめているようで、そこらのビジネス誌の見出しみたい→「真の英雄とは何か」「乱世のリーダーの条件」
桃園のつどいでお話されていた渡邉先生はこんなじゃなかったのに・・・
という気がして放送を観ていたけれど、昨日テキスト買って、帰りの電車の中で拾い読みしてみたら、割とおもしろかった。
放送も楽しみになってきた。



4/30の 桃園のつどいについては、おいおい書いていく。

5月2日オデッサ、チェルノモーレツ

3年前の惨劇を、どうして忘れようか。

 
 
日本ではもはや全く報じられることもないようですが、あの日夜11時から、チェルノモーレツ対メタリストの試合を観ようと思って、ネット上をふらふらしていたらオデッサの見覚えのある通りが映っていて、試合前のニュース映像なのだと思って観ていたのですが…(当時、ウクライナは、特に東部・南部は、分離・連邦化を進める勢力とウクライナ統一派が激しく対立するようになっていて、遂にドネツク・ルガンスクに続いてハリコフやオデッサでも「独立」を宣言する勢力が現れ、騒然としていました)オデッサの市役所庁舎、交響楽団会館、西洋東洋美術館といった街の中心部で人々がどうも暴動を起こしている様子です。

そして、気が付きました。私が観ているのはニュース映像ではなくて、暴動を起こしている人たちによるライブ配信なのだと。
最初の頃は青*黒ストライプのチェルノモーレツのユニを着た若者が数人中心にいて、苦々しい思いになりました。
チェルノモーレツのファンと言えば普通に優しい若者という思い出があって、彼らについての記憶ゆえに私はチェルノモーレツのファンになったのに。
ああした場にチェルノモーレツファンがいて実際に犯罪行為を行っているのを目にしているのだと思うと、腹だたしく、ファンである自分が揺らぐ思いがしました。
割と若い人が多く、カップルで来ている人もいるようです。
女性たちは楽しげに、ピクニックにでもきているかのような表情で火炎瓶を作っていたのです。
暴動はデモとは違って、不満や抗議を他者に伝えようとするプラカードとか横断幕とかのぼりとかはなかったし、スピーチもシュプレヒコールもなく、無言でただ破壊することが目的化しているかのような群れでした。
だから彼らの行動を観ていても意図・目的がわかりかね、事態の収拾もどうしたらつくのやら皆目わかりませんでした。
彼らが消防車を乗りまわしていたのは、あのとき既に労働会館を放火していて、消防車がそこへ向かうのを阻止して消火活動を妨害していたのだ、というのは後からわかりました。
すぐ近くに消防車がありながら、建物は燃え続け、多数の人が焼き殺されたのでした。
 
オデッサの虐殺、オデッサのジェノサイド、オデッサ-ハティニなどのロシア語が溢れたのですが、日本では私が観たのとは全然違う報道がなされました。
労働組合会館に籠った分離派の人達が自ら火をつけたとか。
火炎瓶を投げ込んでいたのはマイダン派の若者たちであるを私は実際に観ましたが、そういう風には報道されない、ということにいささか驚きました。
 
後から知ったのですが、そもそもこの暴動は、チェルノモーレツとメタリストの両クラブのサポーターがともにウクライナとウクライナリーグの統一維持を願って、鉄道駅からスタジアムまでをデモ行進したのがきっかけだったらしいのです。
(が、私はこのデモ自体は観ていません。後日メタリストの公式サイトが述べたところによれば、彼らは余計なことはせずに、まっすぐスタジアムに向かったので、暴動とは関係ない、とのこと。)
私が意識せずに暴動のライブ配信を見始めた頃には、チェルノモーレツカラーの青と黒のシャツを身につけている人が数人いたのは確かですが、試合が始まった頃にはもういませんでしたし、メタリストファンらしき人はいませんでした。
なので、サポーターが暴動を始めたというような報道も事実とは違うと思います。
彼らは真っすぐスタジアムに行き、デモの暴徒化であるかのような報じられ方は間違っていると。