2014年9月30日火曜日

そろそろクリスマスプロジェクト始動

プラン・ジャパンで文通しているジンバブウェの女の子宛てに、カレンダー付きグリーティングカードを送るキャンペーンの締め切りが今日、9月30日だったじゃないかと思いだして、さっき慌ててプラン・ジャパンにアクセスした。

そしたら、締め切りは一カ月先の10月31日までに延長されていた。

まあよいことよ。
羊のカードを選んで送信。

あとで直筆のカードも送ることにしよう。

2014年9月28日日曜日

今週の読書予定

『ビジュアル版バレエ・ヒストリー バレエ誕生からバレエ・リュスまで』芳賀 直子世界文化社
『変貌するイラン―イスラーム共和国体制の思想と核疑惑問題』駒野 欽一明石書店
『ルポ 刑期なき収容―医療観察法という社会防衛体制』浅野 詠子現代書館
『やっぱり九条が戦争を止めていた』伊藤 真毎日新聞社

じゃがいものお焼きドラニキ

ベラルーシのお料理は、一にじゃがいも、二に豚肉。
今日はドラニキを作ってみた。
中にお肉を入れないタイプのドラニキです。

 
Драники
 
ベーコンとバジルを載せ、サワークリームをつけます。





2014年9月26日金曜日

タイミングの良い贈り物

誕生日でも何でもないのだけれど、友人からプレゼントが届いた。
先日のお茶飲みチェブに続いて嬉しいことよ。

それも、ちょうど昨日夏ミカンジャムを大量につくったところで、それを御茶請けにするようにとの展のお達しか、カレル・チャペック紅茶店の可愛い紅茶。

黒猫ピーチティーが可愛い(友人もお薦め)。
スパシーバ!

別の友人からチケットを譲られ、修道院聖歌とロシアロマンス・ロシア歌謡のコンサートに、浦和まで行って来た(遠かった)。

聖歌と歌謡曲それぞれCDを販売していた。
チケットを譲ってくれた友人に、それらを買ってきた。
 
修道院付きというだけあって、あまり派手な演出はなく、上品な歌い方だった。
ギリシャ語の聖歌がすばらしかった。
グルジアの聖歌は、しかしあまりグルジアっぽく聞こえなかった。


2014年9月24日水曜日

ジャム作り

知り合いから頂いた野生夏ミカンがいよいよ危なくなってきたので、ジャムをつくることにした。
荻野さんの所からは何度かヴァレーニエを入手している。
その瓶が活躍することになった。

ヴァレーニエ、ロシア風ジャムは、実は荻野さん推奨のロシア料理なのだ。
が、私が挑戦するのは初めて。

まあ、とにかく果実と「甜菜糖だけでサッと煮た大変リッチなロシアのジャム」という本来のレシピなのだが、普通の砂糖(実はかなり古い)を使った。

果実の重さに対して砂糖はその3~5割、それにレモン汁を加え(あったのでカボス汁も加えた)、煮る。
夏ミカンは種だけ除いて、皮も袋も実や汁と一緒に鍋へ投入し、砂糖・レモン汁・カボス汁と一緒にした。

思ったより水分が多い。
水はちっとも入れていないのに。
10分煮てもまだ水分が相当残っているのであと5分くらい余計に煮て、サロン・ド・キュイジーヌのヴァレーニエ瓶に詰めた。

もっと詰め詰めにした方がよかったのか?
夏ミカン2つで瓶7つ分できた。
現在、瓶を逆さにして冷ましているところ。

ビトチキ

ロシア風ハンバーグ


どこが「ロシア風」なのかはよくわからない。
別にウォッカを混ぜたとかいうわけではないです。

2014年9月23日火曜日

書棚について

本棚登録を続ける。
やりやすいところから、つまりDVDのうち「オデッサ・スタジオ」にレビューを書いたサッカー映画の数々(観たサッカー映画のうちDVDになっていないものも多いので、28本だけなので、すぐに済んだ)。
ブログパーツも入れ替えた。

クリスマス本(これもブログにレビューあり)を入力した。
こちらもブログパーツを替えた、というより今のところは加えたことになっている。
従来のものと比べてブクログの本棚は同じような仕様なのに大きい!

あとは、現実の本棚の整理もしないと。
そして衣替えも。

続きの作業

ブクログへの登録作業、今晩はサッカー映画のDVDを中心に。
感想はほぼ皆「オデッサ・スタジオ」に書いたものをそのまま載せている。

2014年9月21日日曜日

大変な作業

今まで読んだ本のリストは
1.エクセルに入力

2.以前のMSNブログのサイドメニューのブックリストに入力
(1.は更新をやめる)

3.MSNブログ廃止にともない、データはどこかに保存した(はず)だが、新たにネット上の読書記録を利用(ブログパーツも使っていた)
と変遷していたのだが、そのサイトがしばらく前から画像が表示されなかったり、各所のリンクが切れていたりと不具合が続いており、どうもおかしいなと感じていたが、案の定いきなり

この度、2014年9月30日をもってボッサブックスを閉店し、サービスを終了させていただくこととなりました。

ここしばらくは運営が滞っておりご利用のお客様にはご迷惑をおかけしていましたが、
今後の運営が困難となり、閉店の判断をさせていただくこととなりました。
ご愛用いただいてきたお客様には、大変申し訳ございません。


これまでボッサブックスをご利用いただき、支えていただき、誠にありがとうございました。

というお知らせが!
引き継ぐサイトがあるわけでなく、データをダウンロードしたらあとは自力でどうにでもしろと。
やっぱり自分でエクセルへの入力を続けていた方がよかったんじゃないか。
とも思わないでもなかったけれど、ともかくデータのダウンロードに着手する。
これも一筋縄ではいかない。
注意書きにあるとおり、エクセルにそのままだと文字化けするので、
  1. Excelでテキストファイルの取り込みを選択
  2. 「元のファイル」プルダウンでUTF-8を選択
  3. 区切り文字はカンマを選択
という方式をやってみる。
DVDのデータの方はこれでほぼ上手くいったが(なぜか最後の(最初に入力した)データが漏れていたが)、本のデータは何度やっても『くろうまブランキー』しか表に出てこない。
えー、あとは自分で入力するしかないのか?!
と絶望的な気持ちになったが、Google スプレッドシートとやらでやってみた。
英語なんだね。

それから、新しい読書記録はもうマイナーなところだと、再びこういうめに遭いかねないから、今度はメジャーどころで「ブクログ」にしました。
まだ6冊しかありません。

2014年9月20日土曜日

夏から秋へのメニュー

・Сур молочный с карусты
・Салат из баулажанов

ナスのサラダは、ナスを多めの油でさっと炒め、賽の目切りのトマトとみじん切りの玉ねぎと摩り下ろしにんにくを混ぜて塩・胡椒、クルミをかけて出来上がり。
クルミは夏旅行の長野で買ったすりクルミ。
ドレッシングはいらない。

 

キャベツと牛乳のスープはバターが香ばしい。
ジャガイモやベーコンはこんなに細かくしなくてもよかったかもしれない。

2014年9月19日金曜日

仲間が増えた

清水の友人からプレゼントが届いた。
 
 
旅するチェブラーシカ
静岡限定版のお茶のみチェブラーシカ

 
Спасибо, Андрей!

2014年9月18日木曜日

1942年8月9日

今さっき、元クルィリヤ=ソヴェートフ選手、去年までコーチをしていたアンドレイ・グーシンさん(元ウクライナ代表)の逝去を知り、呆然としている。

でもここでは別の話題を書く。
ひのまどか著『戦火のシンフォニー レニングラード封鎖345日目の真実』を読了した。

ドミトリー・ショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」のレニングラード初演を行ったレニングラード・ラジオシンフォニーの人々についてのノンフィクションだ。

交響曲第7番「レニングラード」の世界初演は1942年3月5日クイビシェフ(現サマラ)でサムイル・サモスード指揮のボリショイ劇場管弦楽団。
対ファシズムの正義の戦いを鼓舞するため、初演の模様はソ連全土、イギリスとアメリカに中継されていたが、ドイツ軍による封鎖の最中での電力不足のために、当のレニングラードでは放送されていなかった。のみならず、初演の情報さえ届いていなかった。

その後、この本の著者ひのまどかさんによれば、作曲家が最も信頼し最も演奏してもらいたがっていたエフゲニー・ムラヴィンスキーとレニングラード・フィルハーモニー交響楽団が疎開先のノヴォシビルスクで7月7日に演奏した。

承知の通り、この曲は作曲家によって「故郷レニングラードに捧げ」られたものだ。
それなのに。

レニングラードでの初演は困難を極めた。
レニングラード封鎖中に餓死した市民は途方もなく多いが、疎開せずに市内に残っていた楽団員もまた多くが命を落としている。
生き延びた楽団員に、軍楽隊から戻った者、加えて生き残った町の音楽家、OB、音楽院生らを掻き集め、大編成のこの交響曲に着手する。
スコアがなかなか届かない、届いたがパート譜がなかったなどなどの困難を克服し、リハーサルを重ねて迎えた初演の日は、1942年8月9日。

ああ、この日だったのか。
この日、キエフでは、FKスタルト(ディナモ・キエフとロコモチフの選手だった者たちの混成チーム。当時彼らはパン工場で働いていた)とドイツ空挺軍のチームフラッケルフとの対戦、後の「死の試合」と呼ばれる試合が行われた。

対ファシズムの象徴ともなる二つの出来事が同じ日に行われていたのだ。
キエフと、レニングラードで。

この日はレニングラード封鎖345日目。
封鎖は未だ続き、1944年1月27日に解けるまで881日続いた。
だからこの日はまだ封鎖の日々の半ばに達していない。
が、封鎖の中で音楽を続けていることが、どれだけ市民にとっての支え、ドイツ軍にとっての脅威になったかを、この本は熱を込めて語りかける。

この日レニングラード初演をしたが、電力不足のために録音はできなかった。
だからこの日の演奏は証言者の激賞が残るのみの幻の名演となっている。

(ショスタコーヴィチは、ラジオシンフォニーからの要請にもかかわらず、結局このレニングラード初演をはじめ8月中5回の演奏の度の回にも現れず、指揮者カール・エリアスベルク宛てに慇懃な電報を送っただけだった。著者によれば、ショスタコーヴィチにとっては7月7日のムラヴィンスキー指揮のノヴォシビルスクでの演奏で一応の完結をみていたのではないか、という。)

その後、この曲はムラヴィンスキーとレニングラード・フィルとともに語られるようになり、エリアスベルクとラジオ・シンフォニーの偉業は不当に低く評価され、市の「防衛・封鎖博物館」でさえ語られないということとなった。(エリアスベルクがユダヤ系だったからだという。)

レニングラードは戦後、レニングラード攻防戦関連の博物館がたくさん作られた。
レニングラード交響曲レニングラード初演を記念する博物館「戦争博物館 しかし、ミューズは黙らなかった」は、正式名称「ショスタコーヴィチ記念第235番中学校内、民間博物館」といい、ソ連時代によくあった学校内に設けられた博物館だ。
レニングラード封鎖の間のこの街の文化と芸術を記録する博物館を作ろうという学校の教師と生徒たちのアイディアから、親や親戚、知人に呼びかけ、封鎖の時に使っていた品々を持ち寄って、この博物館は1968年3月16日に開館した。
ロシア語の諺「大砲が鳴る時、ミューズは黙る」を踏まえ、「しかしミューズは黙らなかった」と名付けた。
当時まだ健在だったショスタコーヴィチやエリアスベルク、その他のラジオ・シンフォニーのメンバーも資料や楽器や証言を寄せた。

著者のひのまどかさんはあとがきに、「この博物館を日本に招聘したいと強く願っている。」と書いている。
その願いが叶って欲しい。
また、私はこれまでレニングラードだった街に4回訪れている(レニングラードだった時は1回)が、この街が被った戦争被害をつぶさに感じられるような旅はまだしていない。
(ネヴァ川からやや引っ込んだ位置にあるイサーク寺院に残る銃弾の跡を見たりした程度だ。)
エルミタージュやエカテリーナ宮殿やカザン寺院やマリインスキーや、今やロマノフ王朝のきらびやかな遺跡を殊更に観光するのが主流だし、それにも尽きせぬ魅力があるのだけれど、レニングラード歴史博物館の『ターニャの日記』も、第35学校ターニャ記念室も、防衛・封鎖博物館も観ていない。
今度訪れる時は、圧倒的に膨大なこの街の戦争の犠牲者たちを記念する施設に立ち寄りたいと切に思う。

それに、何とか舞台化したものを観ることはできないだろうか?
80人編成のオーケストラの話なんて脚本にするのは何とも大変そうだけど。

2014年9月17日水曜日

スープのシャーベット

運よく地元産のプルーンが手に入り、8月末に長野で買ったあんずもまだ残っていて、さらに知り合いから庭になったという夏ミカンをいただいたので、荻野恭子先生の『ロシアのスープ』に載っていたドライフルーツのスープを作る。

これは以前につくったときは熱いうちにいただき、翌朝冷やしたのをいただいた。

今回は冷蔵庫で冷やすのと、冷凍庫で凍らせておくのを分けた。
そして、シャーベットになったものに冷やしたスープをかけて、デザートでいただいた。
これは美味しかった。
見た目は良くないかもしれないけれど美味しいドライフルーツスープシャーベット

前回つくったときはほぼレシピどおりにジャムに加えて砂糖も入れていた。
サワークリームに卵黄を混ぜたのが入るからスープ部分はかなりこってりしているのだ。
今回は砂糖は入れなかった。
そして、ほぼ野生の夏ミカン(酸味が強い)も入れているので、甘味が不足することにならないかと案じたが、そんなことはなくこくがありながらもさっぱりした酸味のある美味しいデザートになった。

これで長野のあんずは全部使ってしまった。
地元のプルーンやベリーももう季節が終わりなので、当分ドライフルーツスープの材料は手に入らないかもしれない。
店頭に並んでいるドライフルーツはほとんど某国産だが、私はこういう点ではナショナリストなので、結構国産にこだわるのだ。
(イラン産のイチジクやマルベリー(桑の実)は別である。せっせと買っては食べている。)
長野に行ったら多少高くてもあんずやクルミを買ってこよう。

さよならスタンラン

お昼休み、食事を終えて歯磨きをしていたら、ゆらゆらと揺れを感じた。
職場では携帯電話の警報は誰のも鳴らなかった。
しばらくしてから、家からメールが届いた。
「絵鏡が割れた。」
電話で話してみて、家人に怪我はなかった。
が、絵鏡が倒れて端の部分が粉々になったと言い、そのほか玄関に飾っていたネッシーと猫も落ちちゃったよ、と。

帰って来てみたら、果たして絵鏡は割れてしまっていた。

だいぶ前に誕生日のプレゼントでもらったスタンランの猫の絵がついた鏡だが、これはもう諦めるしかない。
上司がイギリスに留学中にお土産に買ってくれて、部下たち3人で15分くらいかかって壮絶なじゃんけんの末に勝ち取ったネッシーも、尾の部分がちょっとかけちゃっていた。あーあ。
猫のマトリョーシカ(これももらいもの)は無事。
あと、プーシキンの家博物館で買った絵本が落下していた。

東日本震災の時はもっと揺れは酷かったはずだが、不思議と物の落下や損壊はなかったのに、今回被害があったのはどうしてだろう。
倒れたりしないように、細工をしておかないといけないということだろう。
反省する。

2014年9月15日月曜日

ありがとう、フィールドの招き猫

13日、クルィリヤ=ソヴェートフ・サマラの選手たちは翌日のヴォルガ・ニージニー=ノヴゴロドとの試合を控え、トレーニングをしておりました。すると、当地の主が現れ、選手たちの間を謁見して回りました。

ロシアの人たちはこういうことくらいでは驚きません(たぶん)。慣れた手つきで喉をなでています。
そのおかげかどうか、14日の試合では、珍しくアウェイながら4点もとって地元ヴォルガに圧勝しました。
主はクルィリヤの味方をしてくれたようです。

ご尊顔はこちらでどうぞ。
 ↓
«Крылышки» на просмотре у кота

彼の名前は不明です。

ソフスポルトは,それから続報として,今度は雄鶏が・・・という記事
Саранча, пчелы и пес, которому не понравился матч
を掲載しています。

猫・犬の他に、鳥・りす・バッタ(このあいだのハメス・ロドリゲスの肩に止まっていたのとか)・ミツバチなど、ピッチに登場した動物たち特集です。

ツェスカ対スパルタークの試合では、ちょっと退いているヴァグネル・ラヴちゃんと対照的に、冷静にピッチから去るように説得を試みている審判の姿に感動を覚えます。

「ウクライナの猫」と書かれた写真は、ウクライナではなくてイスタンブールでのできごと。最後のUEFAカップ決勝で、シャフチョール・ドネツクがブレーメンを下して優勝したときのことで、途中出場してピッチを走り回り、報道席を掠めて、客席を駆け上がっていったずんぐり猫君。
私はイスタンブールのヤンと名付けました。

ここには出なかったけれどアンフィールド・キャット等々の例を伺うに、スタジアムに住みついている動物は珍しくはないようで(ロシアは美術館や図書館に職員猫がいるからスタジアムにいてもおかしくない)、これからも時おり姿を見せてくれるのではないでしょうか。
それにしても、ニージニー=ノヴォゴロドの招き猫は、ズベルバンクのレンタルリストにもいそうなりっぱな毛並みの素敵な猫ですね。




2014年9月14日日曜日

ヨージキ(はりねずみ)

今晩のお料理はヨージキЁжики、ロシア風ミートボール。
レシピは荻野恭子先生の『家庭で作れるロシア料理』より。

 
スープはトマトとパプリカのヨーグルトスープ。
(ヨージキもトマトベースなので被ってしまった。スープの方は生の完熟トマトを皮ごと摩り下ろします。)
 
ミートボールは合挽肉とみじん切りした玉ねぎ、それにお米で作ります。
粉類は入れていません。

 
玉ねぎの細切りと人参の短冊切りを炒め、トマトの水煮とともに20分煮ます。
するとミートボールに入れたお米がツンツンと出てきてはりねずみみたいになります。
(写真でわかるでしょうか?)
というわけで、「ヨージキЁжики」。
いただくときに、スメタナとハーブを添えます。
 
 
これはたいへん好評でした。

2014年9月12日金曜日

今週のロシア・ソ連映画 から「皇帝暗殺者」

一昨日の「皇帝暗殺者」は、これまた豪華にヤンコフスキー主演。
なので、友人マリーナが遠くからこれだけは観なきゃと来ていた。

やはりヤンコフスキー、それに相手役のマクダウェルの演技を観ているだけでもお得な気分だ。

暗殺者ものというと「蒼ざめた馬」(「死という名の騎士」)という前作がシャフナザーロフにあるじゃないですか。
これはそれに「六号室」を足した感じ。

皇帝暗殺者の生まれ変わり(と自認する)精神病患者だが、アレクサンドル二世の暗殺者に関しては冒頭だけで、あとはニコライ二世一家の暗殺者が憑依してしまうというものでした。
私自身はこういう設定は苦手。
「ホワイトタイガー」もそうだけど、ああそうですか、よくわからないんですけど、という感想です。
まあおもしろかったけど。
というレベルに保てるのはシャフナザーロフの才能です。

今週のロシア・ソ連映画 から「満月の日」

昨日のシャフナザーロフ監督作品映画祭の1本目、「満月の日」は、例のとおり«途中出場»だったのが残念。
最初から観たいので、再映の機会を求める。
いろいろな時代のロシア内のいろいろな場所の様々な人たち(+犬←大好演!)の細かいエピソードが連なっていく、不思議な映画。
ただただ日常・非日常の出来事がそれぞれほそーーーい糸で繋がっていく。
それは直接の加害被害だったり、間違い電話だったり、思い出だったり、単なる行きずりだったり。
特に印象的なのは老犬の思い出シーンとウェイターの回想話、プーシキン。
ほとんどのエピソードはそれっきりなので、豪華キャストが贅沢にこれっきりで登場。
特に主張はないが、しんみり素敵だ。

今週のロシア・ソ連映画 からまずは「善人たち」

月火水木と4日連続で、築地市場の浜離宮朝日ホールに通っていた。
ロシア音楽映画祭とカレン・シャフナザーロフ監督作品映画祭Ⅲだ。
4日間仕事を定時に終わらせて会場に駆け付けるが、1本目の作品は45分くらいは見逃してしまう。
なぜだかいつもの客層とは違って(今回いずれも開始が17:00からという、勤め人を無視したものだったから観客は必然的に年配者が主だった。まあ、年配者中心だというのはロシア映画の企画ではいつものことだけど)とっても騒がしかった。
上映中でも大声で話し、大きな音をさせてパンやおにぎりを食べ、まだエンディングのクレジットがスクリーンに映し出されている段階で席を立って出てゆく。一言で言って呆れた一団がいた。
映画を見慣れている人にも、特にロシア方面に関心があるようにも思えず、そういう人たちが連日見に来ているのは不思議だった。
まあ、とにかく最終日の木曜は彼らがいなかったので、比較的快適に観ることができた。
もうほんとに!頭にきた!なんなの、あのひとたち?!

すでに初日にツイートしたことだが、ロシア文化フェスティバルの今年の映画上映についても非常に不満がある。
平日の昼間の上映ばかり。
この時間帯に観に来られるのは言わずもがなフリーの人に限られる。年金生活者とか自由業者とか(この時期であれば休暇中の学生もありうるが)。
9時5時で働いているような勤労者は観客としては切り捨てられたということだ。
これも非常に頭にきている。
5月にあった「現代の英雄」もそうだし、12月にあるモスフィルム創立90周年記念映画祭もそうだ。
作品の選定としても、例年最近のものが極端に少ないこと、モスフィルム社長のシャフナザーロフ作品ばかりであることにどうかという思いを抱いている。
確かにシャフナザーロフはおもしろいのだが、他の監督作品も紹介してほしいし、是非そうするべきだろう。

初めて観るのは二日目の「作曲家・ハチャトゥリアン」(マリアンナ・タブロフ監督1964年)、シャフナザーロフの「皇帝暗殺者」「満月の日」「善人たち」。

昨日の2つはよかった。いろいろ不満を述べてきたが、この2つはさすがシャフナザーロフ、さすがロシアだ。
特に「善人たち」。
原作はレオニード・ゾリン。
無学で無教養な輩が由緒ある研究所で出世し君臨してしまう様子が、コミカル、というよりグロテスク。
主役のブルコフは一見井上順。周囲の学者たちは泣きつかれて学位論文をパスさせてしまうがこれが運のつき。無学だから無能というわけではないのだ。手元に置いてコントロールしておこうとした学者たちは、「彼は頭悪い人だから」と馬鹿にしていると、逆に相手の術中にはまってしまう。
翻弄され、駆逐されてしまいそうになる。
しかしいよいよ彼の命運も尽きたかのように思えたが…。

私自身は頭の良い人センスのいい人が大好きで逆にこの人頭悪いなと思うとなかなかその人のことを好きになれなくなる傾向があるので、こういう人を目の当たりにするといらいらして腹が立ってしかたなくなる。
しかもなぜだかこの手の人は異性受けが良い。不思議にもてる。
『ワーニャ伯父さん』のセレブリャコフ教授を想わせる。
たちが悪いぞ!
かなりぞっとしつつ鑑賞した。
しかし、この映画は1979年制作、つまりソ連時代の、ペレストロイカ以前の「停滞の時代」の作品だ。
「これ、上映できたの?」と帰途に友人と話した。
「制作しても上映はできなかったかもね」と友人。
後に確認したい。
こんな連中がソ連の知識層を管理支配していたなんて、ソ連当局が喜ぶような作品では全くない。
ほのめかしではなく、相当直接的な当てつけであり、皮肉に満ちた映画で、無論当時のソ連社会限定の批判ではなく、ゴーゴリの市長の台詞が響くような、時を超え所を超えた風刺がぐさっとくる快作だ。
シャフナザーロフ、マラジェツ。


2014年9月6日土曜日

片づけへの第1歩

最近録画した「汽車はふたたび故郷へ」+「しあわせの雨傘」(←これはジェレミー・レニエ出演作)及び「アンナ・カレーニナ」(キーラ・ナイトレイの)「ロリータ」のDVDをプリントした。
教育テレビで放映したバレエやコンサートを録画したVHSを1本廃棄。

2014年9月1日月曜日

今週のロシア代表

9月3日の親善試合の対アゼルバイジャン戦と9月8日のユーロ2016予選対リヒテンシュタイン戦(ともにアレーナ・ヒムキにて)のロシア代表25名

Вратари: Игорь Акинфеев (ЦСКА Москва), Юрий Лодыгин («Зенит» Санкт-Петербург), Артем Ребров («Спартак» Москва).
GK
イーゴリ・アキンフェーエフ(ツェスカモスクワ)
ユーリー・ロディギン(ゼニット・サンクトーペテルブルグ)
アルチョム・レブロフ(スパルターク・モスクワ)

Защитники: Василий Березуцкий, Сергей Игнашевич, Кирилл Набабкин (все - ЦСКА Москва), Владимир Гранат («Динамо» Москва), Дмитрий Комбаров, Сергей Паршивлюк (оба - «Спартак» Москва), Андрей Семенов («Терек» Грозный), Игорь Смольников («Зенит» Санкт-Петербург).
DF
ヴァシリー・ベレズツキー(ツェスカ・モスクワ)
セルゲイ・イグナシェーヴィチ(ツェスカ・モスクワ)
キリル・ナバプキン(ツェスカ・モスクワ)
ウラジーミル・グラナト(ディナモ・モスクワ)
ドミトリー・コムバロフ(スパルターク・モスクワ)
セルゲイ・パルシヴリュク(スパルターク・モスクワ)
アンドレイ・セミョーノフ(テレク・グローズヌィ)
イーゴリ・スモリニコフ(ゼニット・サンクト=ペテルブルグ)

Полузащитники: Денис Глушаков («Спартак» Москва), Игорь Денисов («Динамо» Москва), Алан Дзагоев (ЦСКА Москва), Магомед Оздоев («Рубин» Казань), Виктор Файзулин, Олег Шатов (оба - «Зенит Санкт-Петербург).
MF
デニス・グルシャコフ(スパルターク・モスクワ)
イーゴリ・デニソフ(ディナモ・モスクワ)→負傷によりセルゲイ・ガリツキー(FKクラスノダール)と交替
http://rsport.ru/football/20140831/769188586.html
アラン・ザゴエフ(ツェスカ・モスクワ)
マゴメド・オズドエフ(ルビン・カザン)
ヴィクトル・ファイズリン(ゼニット・サンクト=ペテルブルグ)
オレグ・シャトフ(ゼニット・サンクト=ペテルブルグ)

Нападающие: Артем Дзюба («Спартак» Москва), Алексей Ионов, Александр Кокорин (оба - «Динамо» Москва), Максим Канунников («Рубин» Казань), Александр Кержаков («Зенит» Санкт-Петербург), Дмитрий Полоз (ФК «Ростов»), Александр Самедов («Локомотив» Москва), Денис Черышев («Вильярреал» Испания).
FW
アルチョム・ジューバ(スパルターク・モスクワ)
アレクセイ・イオノフ(ディナモ・モスクワ)
アレクサンドル・ココリン(ディナモ・モスクワ)
マクシム・カヌンニコフ(ルビン・カザン)
アレクサンドル・ケルジャコフ(ゼニット・サンクト=ペテルブルグ)
ドミトリー・ポロズ(FKロストフ)
アレクサンドル・サメドフ(ロコモチフ・モスクワ)
デニス・チェルリシェフ(ビジャレアル(スペイン))

知識の日

С днем знаний!

今日は「知識の日」、新学年の日です。
写真は2007年9月1日のオデッサのレストランで。
「知識の日」をお祝いするカードです。

女の子用


男の子用

お隣で悪ガキ達・・・もといお子様たちの入学祝が行われていましたが、当人たちは途中で退屈してレストランを走り回っていました。
TVではツェハノフスキーのアニメ「金の鍵」(ソ連版ピノキオ)をやっていました。
学校サボるとだめだよというメッセージか。

また、オセチアのべスラン(アラン・ザゴエフの故郷)で武装勢力が学校を占拠、多くの犠牲者を出した事件があった日ということも忘れられません。
ザゴエフ自身は2000年にサッカー留学でウラジカフカス、モスクワへと転居していますが、犠牲になった子どもたちもサッカーその他才能と可能性を秘めた子たちだったろうと思うとやりきれないものがあります。

ロシアプレミアリーグ2014年夏移籍情報2(2014年8月31日現在)

7月末時点での情報を更新します。
ФНЛの移籍情報欄を元に少しコメントを勝手に加えています。
♪が新情報。
人名・地名はキリル文字からの書き起こしなのでちょっと変かもしれませんがご容赦を。

1.アムカル・ペルミ
加入
ウラジーミル・カメシュ(ラトヴィア) FKネフテヒミク→
アレクサンドル・セリホフ FKオリョール→
ブライン・オラダポ・イドヴ ディナモ・サンクト=ペテルブルグ→
 ※ロシアとナイジェリアとの二重国籍者(父がナイジェリア人、母がナイジェリアとロシアのハーフ)。ペテルブルグに生まれ育つ(3歳から6歳までナイジェリアに住んでいた)。
♪ダヴィド・ザホフ FKネフテヒミク→
 ※苗字・風貌ともカフカース系を想わせますが、ツェスカ・ユース出身、スパルターク-2にも在籍していました。
♪パーヴェル・ソロマチン ディナモ・モスクワ→
♪イーゴリ・キレエフ スパルターク・ナリチク→
♪アンドレイ・プリデュク FKタンボフ→

移籍
マクシム・カヌンニコフ →ルビン・カザン
ジャマルジン・ホジャニヤゾフ →ゼニット・サンクト=ペテルブルグ
 ※トルクメニスタン生まれで、トルクメニスタンとの二重国籍者。アカデミヤ・トリヤッティ出身。
イヴァン・ソロヴィヨフ →ゼニット・サンクト=ペテルブルグ
ドミトリー・カユモフ →スパルターク・モスクワ
パトリック・トヴマシ(ガーナ) →アスタナ(カザフスタン)
♪アレクセイ・レプコ →ロフトフ・ロフトフ=ナ=ドヌ
ジャンルカ・ニイホルト(オランダ) 契約解除
♪ブラゴイ・ゲオルギエフ(ブルガリア) →ルビン・カザン

2.アルセナール・トゥーラ
加入
アレクサンドル・ゾトフ シンニク・ヤロスラーヴリ→
エヴゲニー・オシポフ FKウファ→
マクシム・ヴォチノフ バルチカ・カリーニングラード→
アルトゥール・マロヤン シンニク・ヤロスラーヴリ→
イヴァン・バクラノフ ロストフ・ロストフ=ナ=ドヌ→
♪マラート・グブジェフ スパルターク・ナリチク→
♪ロマン・サリモフ クバン・クラスノダール→

移籍
リナート・チモヒン 契約終了
プレドラグ・カシチェラン(モンテネグロ) →ヒミク・ジェルジンスク
ドミトリー・シロフ →ヒミク・ジェルジンスク

3.ディナモ・モスクワ
加入
フョードル・スモロフ アンジ・マハチカラ→
 ※名うての遊び人がモスクワに帰ってきました。噂になるくらいココリンと仲よしですので、再び一緒にプレーできてよかったですね。
パーヴェル・イグナトヴィチ トミ・トムスク→
スタニスラフ・マノレフ(ブルガリア) クバン・クラスノダール→
アレクサンドル・ビュトネル(オランダ) マンチェスター・ユナイテッド(イングランド)
ヴィリアン・ヴァンクール(フランス) スタンダール(ベルギー)→
♪マチエ・ヴァリブエナ(フランス) マルセイユ(フランス)→
 ※マチュウ・ヴァルブエナが一般的な表記になるでしょうか。
アレクサンドル・プルドニコフ ルビン・カザン→
♪トマシュ・グボチャン(スロヴァキア) ゼニット・サンクト=ペテルブルグ→

移籍
アラン・カサエフ →ロコモチフ・モスクワ
♪リュック・ウィルクシー(オーストリア) →フェイエノールト(オランダ)
アンドレイ・ヴォロニン(ウクライナ) 契約終了
マルコ・ロミチ(セルビア) →モルドヴィヤ・サランスク
レアンドロ・フェルナンデス(アルゼンチン) 契約終了
アレクサンドル・イリイン →サハリン・ユジノ=サハリンスク
 ※サハリン・ユジノ=サハリンスクは今季一部リーグに昇格し、ルチから最東クラブの座を奪いました。
ウラジーミル・ジャジュン →ルビン・カザン
♪パーヴェル・ソロマチン →アムカル・ペルミ

4.ゼニット・サンクト=ペテルブルグ
加入
エセキエリ・ガライ(アルゼンチン) ベンフィカ(ポルトガル)→
ジャマルディン・ホジャニヤゾフ アムカル・ペルミ→
イヴァン・ソロヴィヨフ アムカル・ペルミ→
ミラン・ロディチ(セルビア) ヴォルガ・ニージニー=ノヴゴロド→
ルカ・ジョルジェヴィチ(モンテネグロ) トウェンテ(オランダ)→
♪ハビエル・ガルシヤ(スペイン) マンチェスター・シティ→
♪パーヴェル・モギレヴェツ ルビン・カザン→

移籍
コンスタンチン・ズィリャーノフ 契約終了
♪クリスティアン・アンサルディ(アルゼンチン) →アトレチコ
♪アレクサンドル・ルコヴィチ(セルビア) 契約終了
♪トマシュ・グボチャン(スロヴァキア) →ディナモ・モスクワ

5.FKクラスノダール
加入
マラト・イズマイロフ ガバラ(アゼルバイジャン)→
 ※懐かしいですね!久々のロシアリーグ復帰。
ウラジーミル・ブィストロフ アンジ・マハチカラ→
オジル・アフメドフ(ウズベキスタン) アンジ・マハチカラ→
ニキータ・ブルミストロフ アンジ・マハチカラ→
♪ルスラン・アジンジャル クルィリヤ=ソヴェートフ・サマラ→
 ※クルィリヤから大ベテランの移籍。まだまだ頑張って欲しいです。
アンドレイ・ジカン(ロシア/ウクライナ) スパルターク・モスクワ→

移籍
♪ネマニヤ・トゥビチ(セルビア) →バテ・ボリソフ(ベラルーシ)
ドゥシャン・アンジェルコヴィチ(セルビア) 契約終了
♪マルシウ(ポルトガル) 引退
 ※7月末の情報ではトルペド・モスクワへ移籍となっていたのですが。イサエル(ブラジル) →カイラト(カザフスタン)
オレグ・サムソノフ 契約終了
アレクサンドル・フィリツォフ →ルビン・カザン
ジェラール・ゴウ(コートジヴォワール) カイラト(カザフスタン)

6.クバン・クラスノダール
加入
ウラジスラフ・クリク ルビン・カザン→
アンドレイ・エシチェンコ アンジ・マハチカラ→
セク・オリセ(リベリア) PAOK(ギリシア)→
ダニーロ(ブラジル) ザリャ・ルガンスク(ウクライナ)→
エヴゲニー・ポマザン アンジ・マハチカラ→
トニ・シュニチ(ボスニア) ザリャ・ルガンスク(ウクライナ)→
 ※ザリャからのお二人は政情不安もあるのでしょうか。

移籍
スタニスラフ・マノレフ(ブルガリア) →ディナモ・モスクワ
♪ニキータ・ベズリホトノフ →FKウファ
テムリ・ブキヤ →ヴォルガリ・アストラハン
♪ロマン・サリモフ →アルセナール・トゥーラ
♪アンヘリ・デアリベルト(スペイン) 契約解除

7.ロコモチフ・モスクワ
加入
アラン・カサエフ ディナモ・モスクワ→
アルセニー・ロガショフ ロストフ・ロストフ=ナ=ドヌ→
マヌエル・フェルナンデシュ(ポルトガル) ベシクタシュ(トルコ)→
ネマニヤ・ぺイチノヴィチ(セルビア) ニース(フランス)→
ウマル・ニヤッセ(セネガル) アクヒサル・ベレディエ(トルコ)

移籍
アリベルト・サパテル(スペイン) 契約終了
マゴメド・オズドエフ →ルビン・カザン
ミハイル・マルティノフ →ロストフ・ロストフ=ナ=ドヌ
♪マクシム・グリゴリエフ →ロストフ・ロストフ=ナ=ドヌ
♪ラッサナ・ディアッラ(フランス) →クイーンズ・パーク・レンジャーズ(イングランド)
 ※ヴォルガにローン移籍していたドミトリー・スィチョフは戻って来たもの、早くもロコでは構想外と監督に言われ、こちらのリストには載っていないようです。

8.モルドヴィヤ・サランスク
加入
マルコ・ロミチ(セルビア) ディナモ・モスクワ→
オレグ・ヴラソフ トルペド・モスクワ→
ロレンツォ・エベシリオ(オランダ) ガバラ(アゼルバイジャン)→
イリヤ・チェバヌ(モルドヴァ) トミ・トムスク→
アスラン・ドゥジエフ エスカー=エネルギヤ・ハバロフスク→
ダニーロ(ブラジル) メタルルグ・ドネツク(ウクライナ)→
ドミトリー・スィスエフ バルチカ・カリーニングラード→
ルスラン・ムハメトシン ルビン・カザン→
イブラギマ・ニアッセ(セネガル) ガバラ(アゼルバイジャン)→
ダミアン・ル=タレク(フランス) ゴヴェルラ・ウジゴロド(ウク
ライナ)→
ヴィクトル・ヴァシン ツェスカ・モスクワ→
ミッチェル・ドナルド(オランダ) ローダ(オランダ)→

移籍
アレクサンドル・ヂミドコ →トミ・トムスク

9.ロストフ・ロストフ=ナ=ドヌ
加入
アレクサンドル・ブハロフ アンジ・マハチカラ→
アレクサンドル・トロシェチキン アンジ・マハチカラ→
ルスラン・アバゾフ スパルターク・ナリチク→
♪アレクセイ・レプコ アムカル・ペルミ→
ソスラン・ジャナエフ フリーエイジェント
コルネル・サラタ(スロヴァキア) トミ・トムスク→
ヤン・ゴレンダ(チェコ) トミ・トムスク→
ムサ・ドゥムビヤ(マリ) レアル・バマコ(マリ)
ドミトリー・トルビンスキー ロコモチフ・モスクワ→
ミハイル・マルティノフ ロコモチフ・モスクワ→
♪マクシム・ボルダチェフ(ベラルーシ) トミ・トムスク→
♪レジナリ・ゴリョ(ハイチ) フリーエイジェント
♪マクシム・グリゴリエフ ロコモチフ・モスクワ→

移籍
アルセニー・ロガショフ →ロコモチフ・モスクワ
アルチョム・ジューバ →スパルターク・モスクワ
ジャノ・アナニーゼ(グルジア) →スパルターク・モスクワ
イーゴリ・フドビャク(ウクライナ) カルパティ・リヴォフ(ウクライナ)→
フロラン・シナマ=ポンゴリ(フランス) 契約終了
イヴァン・バクラノフ アルセナール・トゥーラ→
♪ゲオルギー・ガブロフ クルィリヤ=ソヴェートフ・サマラ→
 ※ロシア代表GK、ディナモのウラジーミル・ガブロフの弟です。

10ルビン・カザン
加入
マクシム・カヌンニコフ アムカル・ペルミ→
マルコ・リヴァイヤ(クロアチア) アタランタ(イタリア)→
ショタ・ビビロフ ヴォルガ・ニージニー=ノヴゴロド→
 ※ロシア期待の星ビビロフはヴォルガからルビンへ。もうちょっとずうずうしくなってもいいのに。
アレクサンドル・フィリツォフ FKクラスノダール→
♪セルゲイ・ダヴィドフ FKアクトベ(カザフスタン)→
イーゴリ・ポルトニャギン トミ・トムスク→
カルロス・エドゥアルド(ブラジル) フラメンゴ(ブラジル)→
ギョクハン・チョレ(トルコ) ベシクタシュ(トルコ)→
♪ウラジーミル・ソボレフ アンジ・マハチカラ→
マゴメド・オズドエフ ロコモチフ・モスクワ→
ウラジーミル・ジャジュン ディナモ・モスクワ→
♪イヴァン・マルカノ(スペイン) オリンピアコス(ギリシア)→
♪ブラゴイ・ゲオルギエフ(ブルガリア) アムカル・ペルミ→
ヴィタリー・ウスチノフ ロトル・ヴォルゴグラード→

移籍
ドミトリー・トルビンスキー 契約解除(その後ロストフ・ロストフ=ナ=ドヌと契約)
ウラジスラフ・クリク →クバン・クラスノダール
ルスラン・アブィショフ(アゼルバイジャン) →ガバラ(アゼルバイジャン)
アレクサンドル・オレホフ →トミ・トムスク
ゲドリュス・アルラウスキス(リトアニア) →ステアウア(ルーマニア)
ロマン・シャロノフ 契約終了
ルスラン・ムハメトシン →モルドヴィヤ・サランスク
マクシム・ジェストコフ →ヴォルガ・ニージニー=ノヴゴロド
ヤン・エムヴィラ(フランス) →インテル(イタリア)
アレクサンドル・プルドニコフ →ディナモ・モスクワ
ヴァギス・ガリウリン(ウズベキスタン) →FKウファ
♪ゲオルギー・ヌロフ →ウラル・エカテリンブルグ
♪ロマン・エリョーメンコ(フィンランド) →ツェスカ・モスクワ
 ※遂に出て行きましたが、その前に勝手な行動があったので、ツェスカとの試合は因縁めいたものになりそう。
♪パーヴェル・モギレヴェツ →ゼニット・サンクト=ペテルブルグ
♪ムバラク・ヴァカソ(ガーナ) →セルティック(スコットランド)
♪クリス・マヴィンガ(フランス) →レイムス(フランス)


11スパルターク・モスクワ
加入
ディニヤル・ビリャレトジノフ アンジ・マハチカラ→
アルチョム・ジューバ ロストフ・ロストフ=ナ=ドヌ→
ジャノ・アナニーゼ(グルジア) ロストフ・ロストフ=ナ=ドヌ→
ドミトリー・カユモフ アムカル・ペルミ→
ロマン・シロコフ FKクラスノダール→
 ※ワールドカップ欠場でがっかりさせ、スパルタークへ去ったとあれば、ゼニットファンにとっては怒り心頭なのでは?キム・チェリストレム(スイス) アーセナル(イングランド)→
フアン・マルエル・インサウルラジェ(アルゼンチン) PAOK(ギリシア)→
ドミトリー・クドリャショフ ルチ=エネルギヤ・ウラジオストク→
♪マジド・ウォリス(ガーナ) ヴァランシエンヌ(フランス)→ 
♪クウィンシー・プロメス(オランダ) トウェンテ・エンスヘーデ(オランダ)→

移籍
アンドレイ・ジカン(ロシア/ウクライナ) →FKクラスノダール
ソスラン・ガタゴフ 契約解除
ラファエフ・カリオカ(ブラジル) →アトレチコ・ミネイロ(ブラジル)
♪ルカス・バリオス(パラグアイ) →モンペリエ(フランス)
♪キリル・コムバロフ →トルペド・モスクワ
 ※双子の片割れのキリル(髭なしの方)が移籍。でも同じモスクワ内。ツイッターは共通のアカウントで続けています。

12テレク・グローズヌィ
移籍
イヴァン・テムニコフ →トミ・トムスク
マゴメッ・ドミトリシェフ →アンジ・マハチカラ
オレグ・ポリャコフ 契約解除

13トルペド・モスクワ
加入
アレクセイ・プギン ロトル・ヴォルゴグラード→
アダム・ココシュカ(ポーランド) シロンスク(ポーランド)→
セミョーン・フォミン ロトル・ヴォルゴグラード→
アンドレイ・ルネフ →FKカルーガ
セルゲイ・エフィーモフ ゼニット・サンクト=ペテルブルグ→
デニス・ヴォイノフ ファケル・ヴォロネジ→
♪ユーリー・ジェヴノフ(ベラルーシ) フリーエイジェント
♪ダリボル・ステヴァノヴィチ(スロヴァキア) フリーエイジェント
♪キリル・コムバロフ スパルターク・モスクワ→

移籍
オレグ・ヴラノフ →モルドヴィヤ・サランスク
デニス・スケプスキー(ウクライナ) →サハリン・ユジノ=サハリンスク
 ※ウクライナからサハリンへ。実際、今般の騒乱で東ウクライナからロシアへ逃れた難民のうち何十人かが最近サハリンへ移住したとのニュースがありました。彼らの心の支えとなって活躍してほしいです。
マチヤ・ドヴォルネコヴィチ(クロアチア) →ヴォルガ・ニージニー=ノヴゴロド
デニス・ボリシャコフ 契約終了
エヴゲニー・コニュホフ →クルィリヤ=ソヴェートフ・サマラ
♪ヴィクトル・スヴェジョフ →クルィリヤ=ソヴェートフ・サマラ→シビリ・ノヴォシビルスク
 ※若手の星とも言われたスヴェジョフはクルィリヤに戻って来た、と思ったらシビリへ行ってしまいました。

 ※7月段階の情報でFKクラスノダールから移籍したことになっていたマルシウ(ポルトガル)は今回は「引退」となっています。
 ※7月にアクトベから加入したセルゲイ・ダヴィドフはルビン・カザンへ。


14ウラル・エカテリンブルグ
加入
マルクス・ベルゲル(オーストリア) スタルト(ノルウェイ)→
ニキータ・チチェリン ヴォルガ・ニージニー=ノヴゴロド→
コンスタンチン・ヤロシェンコ FKセヴァストーポリ→
 ※ヤロシェンコはシャフチョール・ドネツク所属ながらメタリスト・タヴリヤ・チェルノモーレツなどウクライナのクラブを転々とし、主にイリイチョーヴェツ・マリウポリで活躍していた選手。
 ※FKセヴァストーポリはクリミアのクラブで、ロシアでは既にロシアのクラブ扱いしていますが、昨シーズンウクライナプレミア9位で終えました。今季はSKCHF(黒海艦隊スポーツクラブ)と改称し、ロシア二部リーグ南地区で試合をしています(FIFAやUEFAはウクライナリーグからロシアリーグへの移籍を認めていないけれど。←とはいえ「困難な状況で人々の支えになるから試合すること自体は禁止しない」と実質容認ともいえる裁定です)。

パブロ・フォンタネリオ(アルゼンチン) チェルノモーレツ・オデッサ(ウクライナ)→
ヴャチェスラフ・ポドベレズキン FKヒムキ→
ゴル・オガネシャン FKコロムナ→
イーゴリ・ラムバルスキー エニセイ・クラスノヤルスク→
♪ゲオルギー・ヌロフ ルビン・カザン

移籍
デニス・トゥマシャン →FKウファ
アンドレイ・ボチコフ →FKトスノ
アンドレイ・チュフレイ(ベラルーシ) 契約終了
ラシャ・グヴァリヤ(グルジア) 契約終了
ウラジーミル・コマン(ハンガリー) 契約終了
アレクサンドル・エロヒン →エスカー=エネルギヤ・ハバロフスク

15FKウファ
加入
ドミトリー・ヴェルホヴツォフ(ベラルーシ) クルィリヤ=ソヴェ
ートフ・サマラ→
デニス・トゥマシャン ウラル・エカテリンブルグ→
アレクサンドル・ヴァシリエフ シビリ・ノヴォシビルスク→
♪ハリス・ハンジチ(ボスニア) ボラツ(ボスニア)→
マルシーニョ ツェスカ・モスクワ→
♪赤星貴文(日本)ポゴン・シチツィン(ポーランド)→
 ※トライアウトで数試合に出場してからしばらく音沙汰なかったのですが、7月24日にようやく加入が発表されました。http://fcufa.pro/allarticle/lenta/58-news-komanda/1707-takafumi-akakhoshi-perekhodit-v-ufu
クラブのサイトでのキリル文字表記はТакафуми Акахошиです。イヴァン・パウレヴィチ(クロアチア)フォルトゥナ・デュッセルドルフ(ドイツ)→
ニキータ・ベズリホトノフ クバン・クラスノダール→
フェリシオ・ブラウン・フォルブス(ドイツ) クルィリヤ=ソヴェートフ・サマラ→
セルゲイ・ヴェレムコ(ベラルーシ) クルィリヤ=ソヴェートフ・サマラ→
ヴァギズ・ガリウリン(ウズベキスタン) ルビン・カザン→

移籍
エヴゲニー・オシポフ →アルセナール・トゥーラ
ミハイル・バラノフスキー 契約終了
ドミトリー・グラチョフ →ルチ=エネルギヤ・ウラジオストク
アントン・ザボロトヌィ →FKチュメニ
イヴァン・ナギビン →シビリ・ノヴォシビルスク
斎藤陽介(日本) →スルツク(ベラルーシ)

16ツェスカ・モスクワ加入
キリル・パンチェンコ トミ・トムスク→
ビブラス・ナトホ(イスラエル) フリーエイジェント
ロマン・エリョーメンコ(フィンランド) ルビン・カザン→
※ルビンの欄にも書いたように、移籍に際してやや揉めた経緯がありますが、「ルビン戦には出さない」という契約はないようで、出場したら必ずやブーイングはあるでしょう。

移籍
エルヴェル・ラヒミチ(ボスニア) 引退
※38歳、お疲れ様でした。ツェスカのコーチはそのまま続けます。
ヴャチェスラフ・カラヴァエフ →ドクラ(チェコ)
ヴィクトル・ヴァシン →モルドヴィヤ・サランスク
♪スティーヴェン・ツーバー(スイス) →ホッフェンハイム(ドイツ)
♪ミハイル・アムバルツミャン →ゼニット・ペンザ
♪セルゲイ・セレジン →FKストロギノ
♪トマシュ・ネツィド(チェコ) PAOK(ギリシア)→ツェスカ・モスクワ→ズウォレ(オランダ)

ひとまず昨日までの情報ではこんなところ。
相変わらずスパルタークやディナモが大枚使って派手に動いたという印象ですが、毎度それでも優勝に手が届かなかったりするのが難しいところ。
一部リーグから昇格してきたウファは斎藤陽介選手が去った後、赤星貴文選手が加入し、ロシアプレミアは日本人選手がまだいます、という状態を保持しています。
スパルタークで篠塚選手があがってこられるかもしれませんしね。
そして、コムバロフ双子が遂に別々にクラブになりました。それぞれの場所で輝いて、また一緒にプレイできるといいですね。
ズィリャーノフ、カリャカ、スィチョフらベテランでフリーになっている選手たちの所属が決まりますように。