2018年12月30日日曜日

録画メモ 中国映画

NHK教育テレビのアジア映画特集とかでやっていたのを録画したもの

「麻花売りの女」1994年97分
麻花(まあほわ)は横浜の中華街に行くたびに買ってくる巨大かりんとうみたいな中国菓子なんだけど、長崎では「よりより」って名前で売っているらしい。
長崎に里帰りした方にお土産でいただいたら、それも美味しかった。
この映画は隣家に対抗してTVを買うために、元々の麻花売りに加えて出稼ぎに行って稼ぎ、売血して稼ぎ、してとにかく頑張るがむしゃらな逞しい地方女性のお話。すさまじい・・・が、当時の中国女性のパワーを感じる。そしてやはり麻花が美味しそうである。

「スパシシー・ラブスープ」チャン・ヤン監督1998年中国120分

おまけで
「ロシアの歌~ひばり」
「ロシアの歌~黒い瞳」
「ロシアの歌~郵便トロイカが走るよ」 

「恋する惑星」ウォン・カーウェイ監督1994年中国110分
麻花売りと同じ年の作品だったのか。今は亡きバウスシアターで散々予告編を観たような記憶がある。金城武を観て個性的な人だなあと印象に残った。
「君さえいれば」ピーター・チャン監督1994年中国110分

TBS「世界遺産 グルジア・ゼモスワネチ」
先日、岩波のグルジア映画特集で観た秘境(といってよいのだろうか)

2018年11月25日日曜日

録画メモ ソ連・ロシアの宇宙もの

スペース・ウォーカー
サリュート7

どちらも録画しただけで、まだ観ていないんだけど、楽しみ。
サリュートはヴォトカの名前でもあって、サッカー勝ったり、選挙でいい結果出た時に祝杯を挙げるときのお酒です。

2018年10月31日水曜日

グルジア映画の友


はらださんのグルジア愛溢れる筆致がよい。グルジア映画大好きなので、グルジア映画史紐解くこの解説書はとても有り難い。

2018年10月29日月曜日

パヴロフ―脳と行動を解き明かす鍵


伝記としてなかなか面白かった。奥さんもナロードニキの系譜の人だとは。
犬の実験の箇所は、現代の感覚だと残酷で辛い。

2018年10月4日木曜日

録画メモ ボブとセリョージャ

 「ボブという名の猫 幸せのハイタッチ」
かの猫登場のビッグイシューは二つとも入手。
新宿西口小田急デパート前の販売員さん、この頃見ないなあ。
お元気だろうか?

「オリエント急行殺人事件」
ポルーニンが出ている最近作。
ジョニデもよろし。
しかし、「特急」じゃなくて「急行」なのか。

2018年9月30日日曜日

録画メモ 欧州

「スパニッシュ・アパートメント」
続編の「ロシアン・ドールズ」も続いて放映するのかと思ったけどそうじゃなかったみたいで、これしか録画していない。
「ロシアン・ドールズ」には当時マリインスキーの新星だったエヴゲニヤ・オブラフツォヴァが友人?の恋人役で出演していた。

「オリエント急行殺人事件」
去年公開していたもの。セルゲイ・ポルーニンがキレやすいダンサーで貴族、しかも外交特権持っている不自然な設定のルドルフ・アンドレニ役で出ている。その他のキャストも豪華。ジョニデはさっさと出番が終わる(残念)。

「チョコレートドーナツ」

録画メモ ミハルコフとソクーロフ

「太陽に灼かれて」
つくづく、続編を作るべきじゃなかった傑作。
オデッサ・スタジオにずっと前にメモしています。

「フランコフォニア ルーブルの記憶」
 
 


ソクーロフの新作は、「エルミタージュ幻想」のルーブル版ではなかった。
ドイツ占領下美術館の所蔵品を守ったほぼ無名の文化官僚についての再現ドラマ風を装いつつも意外とロシアノスタルジーが濃い。
驚いたことに、「エルミタージュ幻想」でも描かなかった包囲戦中のレニングラードの凄惨な光景もナレーションとともに示されるし、一方ルーブルは絵画は疎開していてがらんとした場面が多くフランスの威光よりもロシア愛感じる作品になっている。
🇷🇺 🇷🇺 🇷🇺
 「エルミタージュ 美を守る殿堂」も公開されたが、その謳い文句にあった<エルミタージュはロシアそのもの>は違うだろと思う。
むしろロシアの中の異質な、ロシア的ではないもの。
ソクーロフの「エルミタージュ幻想」は全然ドキュメンタリーじゃなくてファンタスチカなんだよね。
で、ルーブルを扱った「フランコフォニア」の方が却ってエルミタージュのドキュメンタリーだ。
エルミタージュとレニングラード封鎖についてなら、イギリス人監督の「エルミタージュ美術館 美を守る宮殿」よりソクーロフの「フランコフォニア ルーヴルの記憶」の方がずっしりきた。
ルーヴルについて撮ったようでありながら実は限りなくロシア、ペテルブルグ、エルミタージュ愛に満ちていた。
えええ?ソクーロフってこんなに愛国者だったの?
っていうのが観た直後の感想だった。

「サンストローク 十月革命の記憶」
ミハルコフが作ったTV映画。未見。

ミハルコフとソクーロフを同じブルーレイディスクに録画してしまった。
何だか申し訳ない。

2018年9月29日土曜日

憲法さん、こんにちは

高校の時、副担任だったI先生。
専門は経済(大学卒業後は経済官僚になるか都市銀行など大企業に勤めて日本の経済を支えたい、変革したいと考えていらっしゃったそうだ)ながら、最初の授業は「地域学習」だというので

というと、多摩地区の学校としては地域学習の定番は
・玉川兄弟
・鎌倉街道
あたりが定番なのだけど。

I先生は五日市在住だということで、テーマはいきなり「五日市憲法草案」だった。
それが私と五日市憲法との出会いだ。
(その後の再会はあまりない、少なくともあまり記憶に残らず)
明治維新から近代国家建設の様々な課題をこなし、ではいよいよ憲法制定という流れになって、近代日本にはどのような憲法がふさわしいのか、国家の動きだけでなく、在野での議論もいろいろ行われていて「自由民権運動」が日本各地で繰り広げられる。
そんな中で、今は都心から遠い遠い五日市線の終点の地、東京西多摩は五日市の地で、様々な年代層の人達が議論をたたかわせて自主的に憲法草案を起草していた。
というようなお話だったと記憶している。

高校生の頃の私は、飲みこみは早くて試験では正答するけど、それ以上のことを貪欲に知りたいと欲するような深い思索型ではなく、まあ適当ないい子ちゃんだった。
そんなでも先生は可愛がってくれた。
多少依怙贔屓もしてもらっていたような気もする。

地域学習に関していえば、五日市憲法より、国分寺・国分尼寺や府中や調布の話が出てくる天平時代の話の方が心惹かれた。

それはともかくも、「五日市憲法草案」という言葉は脳裏(の片隅)には引っかかったのだった。

憲法さん、私たちの考える憲法さん、こんにちは!
(今の私ならあほ~~~~い!と言ってしまう)

今年は五日市憲法草案が旧家深澤家の土蔵から見つかってから50年なのだそうだ。

そして、五日市憲法草案ゆかりの地をゆく小旅行というかハイキングというかがちょくちょく行われているようで、 春に多磨全生園に見学に行ったように、肉球新党でも見学会第二弾企画しようかなあと考えついた。

全生園は社会科見学で行ったことあったし、紹介者もいたので、企画してから実行までは、あまり苦労することもなく、さくさく進んだのだけど、今度は全然勝手が違う。
五日市憲法の名を初めて聞いた高校生の頃、クラスメイトには五日市線を使って通学している子がいたのだけど、彼は日の出村在住で最寄り駅は武蔵増戸ということだった。彼の家に行ったクラスメイト達は「すぐ山がある!」と驚嘆していた。
五日市、一体どんなところだろう???
あの後、そう言えば青年の家で合宿学習会をしたこともあったような記憶が…。

まあ、とにかく、五日市、よくわからないので、まずは下見!
とばかりに、
五日市憲法草案所縁の地ぼっちハイキングに行って来た!
母が参加したというガイドツァーを参考にして、廻る場所をピックアップして所要予想時間を考えてみた。

しかし、勿論予想通りには行かなかった。
まず、当日何だかんだで家を出るのが遅くなって、武蔵五日市駅に着いたのが11時近くになってしまった。

当初のプラン
①武蔵五日市駅
↓ 4分
②五日市勤能学校跡
今はお堂になっている
 
 
↓ 
③内山安兵衛屋敷跡(現西東京バス車庫)


④内山安兵衛墓
 これがなかなか見つけるのが大変で、実のところかなり迷った。


(阿伎留神社)👈ここの方が先に見つかる。そしてこの周辺をうろうろ。

⑤土屋権左衛門屋敷跡(現りそな銀行)

⑥土屋勘兵衛屋敷跡(現栗原呉服店)


 どちらも檜原街道五日市出張所入口信号
 ①からここまでで50分

⑦五日市郷土館/旧市倉家住宅


元々中に入る時間はなかったのだけど、水曜は定休日だった!
(何という調査不足!)
↓10分
⑧開光院:内田兄弟墓/土屋常七の碑


内田兄弟の墓は確認せず(ガイドいないと無理だと思う)
↓10分
⑨五日市憲法草案の碑(五日市中学校の一角)
 
 (萩原タケ胸像/五日市出張所の一角)


↓55分
⑩真光院:憲天協会

⑪深澤家屋敷跡
  草案が発見された土蔵しか残っていない。土蔵も改築済みのもの。
 ⑫権八深澤氏墓

↓50分
⑬五日市図書館

↓4分
⑭武蔵五日市駅


単純計算で3時間余り(見学時間含まず)
食事とかする時間とれないなあ。
食事する場所だって限られる(たぶん駅前とか檜原街道沿いだろう)

こんな感じで実際どうだったかと言うと
*内山安兵衛墓をなかなか見つけるのが大変で、実のところかなり迷った。
阿伎留神社👈ここの方が先に見つかる。そしてこの周辺をうろうろした。
*坂は結構多い。きつい坂もある。
*迷ったりして武蔵五日市駅に戻って来たのは4時半頃だったか。
*曇りでそんなに暑くはなかったがうろうろしていたらまあまあ汗はかいた。
*9月中旬で4時過ぎでもまだ明るかったけれど、深澤氏屋敷跡に行く道は秋川渓谷への一本道で平日だったせいもあるだろうけど、だ~~れも通らない。暗くなったら一人だときっと怖い。

今度はガイド付きでしっかり回ります!

https://twitter.com/KocmocKocma/status/1039878604975292418


2018年9月28日金曜日

録画メモ ウクライナとかアメリカ合作映画編

どれも未だ観ていない

ソルジャーズ・ヒーロー・ネバー・ダイ」2017年ウクライナ
社会派っていうより現ウクライナ政府のプロパガンダ作品の香りが漂いますなあ。
セブンス・サン」2014年米=英=カナダ=中
あらまあ、監督があのセルゲイ・ボドロフ父なんですねえ。
いい監督だったんだけど(アルトゥール・スモリヤニノフくんも起用されたことがある)、アメリカに行っちゃってからロシアでは受けない…し、実際つまらなくなった。
これは英語だしあちらの人が出てきてロシア要素たぶん薄い。
レジェンダリー・ストーン」2017年ウクライナ
ウクライナのタイムスリップ物。
Mr.&Miss.ポリス」2014年アメリカ・ロシア
監督・主演のアクションスター、アレクサンドル・ネフスキーって芸名かって思ってしまうがたぶん本名だよね。ノヴゴロドの英雄じゃなくて。かつてのシュワルツェネッガーの「レッドブル」みたいな映画なのだろうか?

2018年9月9日日曜日

武器よさらば

ちょっと前になってしまったが、夏休み後半(今年は二回に分けてとった)の最初の日に、川崎方面に行く予定にしていたので、こちらにも行って参加した。

#2018_anti_isdef #イスラエル軍事見本市大抗議行動






会場となったとどろきアリーナ(のメインスタジアム)に入って行く人には、抗議者たちが「人殺しに手を貸すな」みたいなこと声をかけていき(というか殆ど罵声)、当然多くの人は能面みたいに顔を強張らせて通り過ぎようとするのだけど、中にはフライヤーを受け取ってくれた人がいた。二人くらい。
まあ中には会社から言われて仕事だからやって来てる人もいるだろう。欲を言えばそれでも何らかの抵抗(サボタージュ)をして欲しいものだが、せめてこちらの主張を読む気になってくれたならそれ以上罵声を浴びせるようなことはしたくないなと思った(甘い?)

そういう人たちと比較しても、イスラエル人達(軍事会社の人?)は全部感じ悪かった(←極めて穏当な表現に努めた)



こちらはUPLANさん(国会前や日比谷野音での集会でよくお会いする肉球新党の方。いつも自転車。この日も2時間以上かけていらっしゃっていた)作成の動画

57分頃登場する男性、パレスチナ人は子どもも含めテロリストと断じ、だから殺すのだと。抗議者を老人ばかりと断じ最後まで侮辱の姿勢を崩さなかった。

抗議行動参加は自由意思に基づく行為なので、皆ばらばらにやってきていて、どういう構成になるのかは当人たちだってわからない。
それが老人ばかりになったところで、それはそれで一向に構わないとは思うが、実際にはその場には若い人もそれなりにいて、見本市に向かうジャパニーズビジネスマンに非難の声を激しく浴びせるのはそういった若い層中心だったので、その発言をした彼は偏見のあまり目の前のことも見えていないんだなと悲しくなった。

彼がパレスチナ人の子どもを見てテロリストだと思うのもそれなんだ、目の前の事なのに見たくないことは無視して見えてないことにしてしまうのだと思うと哀れになる。日本も決して他国の事を嗤えないが、そんな彼らの態度を目にすると、イスラエルはこの先真っ当な方向に転換できるのだろうかと案じてしまう。
元々用事があった※からとは言えはるばる等々力までやってきたのは勿論イスラエルに抗議する機会があったから(抗議する意思が大いにあった)で、改めてイスラエルの「死の商人」たちの姿を現実に見て、やっぱりこんなかと思った次第。

壁に見立てた横断幕に記された犠牲者の方々のお名前を目にして心が疼く。







※本来はアリーナの先の川崎市市民ミュージアムで開催していた「かこさとしのひみつ」展とロシアアヴァンギャルドを観るのが目的の武蔵小杉行きであった。

イスラエル軍事会社の見本市、一応武器ではなくてセキュリティー関係の商品の売り込みってことで、武器展示はしないという約束を川崎市としていたというが、事前の打ち合わせでは見せなかった(隠した?)”どう見ても武器”のパンフレットを置いているということが潜入取材した人によって明らかになった。




 


あと、ダイインのことがある。
寝そべっていたので自分では写真撮れなかった。
スタンディングや野外集会に参加するときいつもならレジャーシートを持って行くのだが昨日は持参しなかった…ら、まさかのダイイン!
直接寝転がることになった。
十年以上前の広島か長崎の平和公園以来だったろうか。
時間的にも結構長かった。
ダイインの様子をイスラエル軍事会社の女性(入る時にイスラエルに来たことあるのかとか抗議者に言って警備員が取り合わないように促すもしきりに撮影してた)がまたも撮影していたようだ。

ダイインをやる意味は、彼らへの当てつけというより、虐殺される側に身を置いてなすすべなく大地に伏すしかなかった犠牲者たちを我が身で感じることであり、視界に入る芝生や流れゆく空の雲を見てそれでも今自分が生を得ていることを実感することなのだと、その昔クラスメイトが言っていた。
ダイインするたび思い出す。

 
展覧会を観終わって(時間いっぱいまで観た)、見本市の方も初日の展示が終了した時間だったらしく、見本市参加者のバスも帰途につく参加者を乗せるべく待機していた。 
 
 
市バスにもアリーナ前からそれらしき人が乗り込んで来た。
プラカはトートから出しておいた。
 

そう言えば、一緒に抗議活動に来ていた方がおっしゃっていたが、イスラエルが軍事見本市をするのはロシアに次いで2番目なのだそうだ。
(イギリスでは抗議によって撤退になった。)
あー、ロシアか。
そうか。ロシアか。
もはやイスラエル人口の約15%はロシア語話者だというし、なかなか結びつきは強いんだな。
(ソ連時代はパレスティナ側に加担してたが、今や時代は変わった。)

2018年9月6日木曜日

録画メモ 今を時めくファルハディ

彼女が消えた浜辺

別離

ある過去の行方

セールスマン
今までの作品よりシンプルで、イランのネコ達出演していてよかった。彼の作品は一貫して結構な中流家庭で明るい話ではなくて閉塞感が去らないが、奥さんを非難する向きが出てこなかったのは救い

ショーレさん字幕監修じゃないのがあるのに気が付いた。
劇場公開のときはショーレさんだったと思うのだが。

2018年8月31日金曜日

かこさん・セツル・ソビエトアヴァンギャルド 過ぎ去った美しい過去について

30日木曜日、かねてより行きたいと願っていた川崎市市民ミュージアムの展覧会を観てきた。
どうせだから、その前にとどろきアリーナで行われていたイスラエル軍事見本市ISDEF-2018の抗議にも行ったが、それは項を改める。

  のお仲間と市民ミュージアム前で別れて私はかこさとしのひみつ展へ。


堀内路子さん(旧姓内田。うちだりさこさんの妹)はかこさんを福音館の松居直さんに紹介されたそうだが、姪の早未恵理さんはかこさとしふるさと絵本館と関わっているのか。かこさんも堀内・内田ラインと繋がる。

絵本原画の数々を間近に目にすることのできる有り難さ。特にかこさんの絵は細かく正確でそれを確認できたのは嬉しい。
ただ図録がないのが惜しい!
関連企画もほぼ終わってしまっていたし。
やはり展覧会は早いうちに行かねばならない。今回も反省。

ワンピース大人サイズ完売
カラスのパン屋さん柄ブルーのエプロンも完売
私が購入したのはクリアファイルとハガキセット

かこさとしのひみつ展 何が秘密なのだろうか?絵本作家になる前、軍国少年だった頃の 
多くの例にもれず、かこさんは小学生の時からあのかこさんだった。天才。日記帳の画面構成が工夫の嵐!

しかし、敗戦を経て変わり身早かった大人たちを見てかこさんは大人よりも子どもを信じる。
この敗戦の反省と平和の希求こそ絵本作家かこさんの源泉。
東大セツルメントで子ども会と関わる。
就職後も近所のセツルで活動、紙芝居、人形劇。
というわけでアートギャラリーで開催されている川崎セツルメント展は関連展示なのだった(後述)。

かこさとしのひみつ展 未来のだるまちゃんへコーナーが愁眉。
「敗戦のとき、僕は十九歳でした。僕は『終戦』と言わないで『敗戦』と言うのですが、それは戦争に負けて、てのひらを返すように態度を変えた大人たちを見て、ものすごく失望憤激したからです。」



科学の視点からわかりやすい理系の本を送り出していたかこさん、素敵なストーリーの”文学”を子どもたちに贈ってくださったかこさん、原画を目の前にして感無量だった。平和を希求する態度も示されていた。強いて言えば日本の伝統遊びを紹介し続けていた面が薄かったかも。


川崎セツルメント展-地域に根差した社会事業-はかこさとしのひみつ展の関連企画。かこさんが学生時代から昭和電工で働いていた青年時代に参加していた古市場でのセツルメント運動に関連し、とはいえ、そもそもセツルメントとはということでイギリスのセツルメント発祥から展示が始まるという丁寧さ。

正直「時代が違うな」と感じた。エリート大学に学び企業に勤めながら地域の子ども会活動に打ち込めるなんて。高校の恩師から『氷川下セツルメント史』を送っていただいたのだけど、かこさんが活動していた川崎古市場は一大拠点だったがセツルメントの活動は80年代以降は急速に衰退してしまったようだ。


川崎セツルメント展-地域に根差した社会事業-は、セツルメント運動の始まりから日本の学生セツルメントの資料、川崎セツルメントの写真の数々を展示、さらに終章では川崎の成人教育の資料が陳列されている。「~学級」という数々の教室は現在公民館などで行われている各種講座とは何とはなく違う気が。



川ミューのアートギャラリーの企画展「ロシア革命とグラフィック表現-ソビエト絵本とその時代」展も実は「かこさとしのひみつ」展の関連展示なのだ、ということが「ひみつ」展1.コーナーでわかる。
彼が収集していたソ連の児童雑誌の展示があるのだ。
おお、これこそ2003年にここで行われていたあれだ!と思った。

今回の「ロシア革命とグラフィック表現-ソビエト絵本とその時代」展展示のポスターは2003年開催「ポスターのユートピア ロシア構成主義のグラフィックデザイン」で展示されたものかと思ったら「社会主義の建造物」※とか図録になくて。



そうか、今回は「当館蔵」のポスター+町田市立国際版画美術館の絵本。

対して「ポスターのユートピア」はペテルブルクのロシア国立図書館所蔵作品なんだ。共通した作品もあるけど。有名な「君は義勇兵に登録したか」とか

ペトのロシア国立図書館って、WOWOWの「もしも建物が話せたら」に登場するロシア文学朗読の建物でしたね。

「かこさとしのひみつ」展には図録がないので出品作品リスト「ロシア絵雑誌7点」としか書かれていなかったのをリストアップ
①Весёлые картинки №5 май 1964
②Мурзирка №5 май 1955
③Весёлые картинки июль 1967
④Арбузная бригада
⑤Чижик, Пыжик, Рыжик и Женя Жукова
⑥Весёлые картинки №10 окт 1961
⑦Говорит и показывает

あと出品作品リストには掲載なかったが『ソヴェト芸術の二十年』昇曙夢著大東出版社, 1937年と『ソウェートロシヤ映畫大觀』辻恒彦著原始社1928年の展示とジガ・ヴェルトフ「キノ・プラウダ」スライド上映があった。
 
さよなら三角また来て四角
会期はあと1週間くらいだがもう一度来たいものだ