2023年6月25日日曜日

シャフナザーロフ映画祭2023


 もー!毎度毎度シャフナザーロフばっかりでさー!いい加減にしろー!

と思いながらも、「蒼ざめた馬」以外は観ていないかな、と思って観に行った。

6/23(金)「皇帝暗殺者(Цареубийца)」「満月の日(День полнолуния)」という平日プログラムの方が、6/24(土)「蒼ざめた馬(Всадник по имени смерти)」「失われた帝国(Иечезнувшая империя)」より人の入りがよかったが、土曜の2本は以前上映したことがあって(「蒼ざめた馬」はユーロスペースで一般公開もされている)、金曜の2本が初上映?だったからなのか。もっとも、「失われた帝国」は観たことがあるのを忘れ去っていた。2012年段階では覚えていたようだが。

一緒に観た「蒼ざめた馬(死という名の騎士)」の方はほぼきちんと記憶しているのにね。といっても女性テロリスト役のクセニヤ・ラポポルトは久々に見ておおお!と懐かしかった。「蒼ざめた馬」、このとき友人Kは「季節感が全然ない」と評していたが、なんか全般的に汗ばむような暑苦しさがある。大公暗殺に取りつかれた主人公の焦燥感がみなぎっているような。

もっとも「失われた帝国」の方は、以前観たというのは2010年だから2007年版の「失われた帝国」"Нечезнувшая империя"(ロシア語原題のまま)で、昨日のは2013年再編集したという「ソ連での恋愛」"Любовь а СССР"と改題されていた。

闇レコード売買場面(西欧ポップスグループに憧れ、ソ連歌謡の名曲「僕の住所はソヴィエト連邦」を袖にする主人公、いや君はわかっておらんのだな!とどやしつけたくなるが)と遺跡のシーンくらいしか覚えているところはなくて、だいぶ変えたのかなあ。もしかしたら、再編集前の方がよかったかもしれない。一緒に観た友人が主人公はボドロフ息子そっくりと言っていたが、格別美男子でもないし、才能があるわけでもないソ連男子なのに、いい加減で不誠実でなぜあれで許されると思うのかなあ。相手の女の子、可愛いですよね。なので、ああ、そういう青春なのね、という程度の、同情を禁じ得ないことなんてない(=同情なんかするか)主人公だったけど、風の街(ホレズム)の遺跡シーンとソ連での青春回顧を絡めつつ、前作はもう少しノスタルジックな雰囲気だったんじゃないかな。

主人公が今は通訳で、みたいな話だったのではないかと、思い出して、ウィキ先生を見たら、やはり前作は現代(2000年代?)部分があってセルゲイ・コースチャ・ステパンのその後が語られているのだった。・・・シャフナザーロフ、なぜ改作したのだろうか???

あと、シャフナザーロフ監督は、やはりお気に入りの俳優枠を持っていて、繰り返し起用する傾向は強いのかな。

「ジャズメン」「ガーグラの冬の夜」「六号室」のアレクサンドル・パンクラトフ=チョールヌィさん

「蒼ざめた馬」「満月の日」のアンドレイ・パニンさん

「皇帝暗殺者」「失われた帝国」のアルメン・シガルハニャンさん

2023年6月21日水曜日

スーツ(Шик) Шик 2003 год Get Movies

ロシア映画好き仲間からいただいた大切な写真
東京国際映画祭で上映後挨拶するフドイナザーロフ監督、イワン・ココリンさん、アレクサンドル・ヤツェンコくん
アルトゥールくんはスケジュールの都合で先に帰国してしまったそうだ。
下のアルトゥールくんの記事は、当時私が検索してプリントしていたもの

梶山先生のトークで使われた資料
シティルとゲーカは工具の名称だった!


@横浜シネマリン

やっぱりアルトゥール君、スモリヤニノフ名義になっているな。

でも東京国際映画祭では父方の苗字の表記(ポヴォロツキー)になっていた。

こすまはInstagramを利用しています:「#フドイナザーロフ の「スーツ」上映後の梶山先生のトークで主人公達の名前(ニックネーム)の由来を知る」

これによると、シティルとゲカは工具の名称から取っていて、人名の略称・愛称(ペーチャとかワーニャとかですね)ではないそうなのである。

但し、彼らの中でも本名がわからないのはネモイ(ダンボ)だけで、シティルは父に「幼かったコースチャが」と言っているし、ゲーカは捜査官に「パヴレンコ」(たぶんイーミャはユーリかゲオルギーかな、と思って自動製作字幕によればゲンナジーだった)と呼ばれているから、全くの匿名ではない。ゲンナジーの略称ゲーナからの連想もあってゲーカになったのかな、と思う。工業高校みたいなところに行っていたのかな。※
こちら の方の考察によれば、シティルは技術中等専門学校(технический техникум)の卒業章をしていることがあるそうで(気が付かなかった!)、シティルとゲーカはこのときのクラスメートなのかしらん。ボチャとのやり取りの場面からして、幼馴染ではなさそうと思ったのだけど。
ネモイはディーナからアルトゥールへの当てつけでセルゲイと呼ばれ(その繋がりでアルトゥールにもセリョージャとかなんとかと言われる)、「セルゲイではない」と言うがディーナからは「そんなのどうでもいい」という態度を取られる。

梶山先生によれば、少年たちは匿名なのに対して、女性には名前が与えられているとのことだったが、敵役のアルトゥールとスーツのお店の人がフェリックスという具合に名前は与えられている。シティルの兄貴分のボチャはやはりあだ名なのかも。
シティルの母の名前は不明だが、父はプラトンとなっていて、梶山先生が示した「女性は名前を持ち男性は匿名」では必ずしもそうではないように思える。

フドイナザーロフ、これは監督本人は十分自覚していたと思うが、「切ない夢」的なのってあくまで男性目線であって、彼のどの作品でもどの女性でも境遇が苛酷で観ているととても辛い。
ゲーカ父子の犠牲になるアーシャは言わずもがな。シティルの母もネモイ(ダンボ)の祖母も一人取り残される。
そしてほんとにろくな父親が出てこないのがフドイナザーロフ映画(旧ソ連圏の映画ではよくあるが)。なかでも最悪なのはゲーカの父。うわべだけ良き父ぶろうなんて最低(バナナ買ってきたシーン)。ゲーカは三人の中でも言動が幼くて、ゲーム店の身重の女性に対する態度も酷い。それでも父だけは庇おうとするんだよね。

東京国際映画祭で会ったとき、とにかくやたら笑い上戸で上機嫌だったアルトゥールくん、苗字のことは疑問に思ったけれど、家族の問題についてはさすがに質問はしなかった。
アルトゥールくんは、ウィキ先生によると5歳の時に父が家族のもとを去ったそうで、ゲーカというよりシティルみたいな体験があったのかもしれない。子役から活躍し、この作品以降は父方の姓であるポヴォロツキーは使わず、母方姓のスモリヤニノフ名義になる。
彼は調子よく怪しげは英語を交えつつ、実際にも年上の女性に恋しているのだということ(その後、このとき話していた女性なのかどうかは不明だが、実際年上の人と結婚したが、数年前に離婚している)、でも実体験だけではなく、経験外のことでも演技して表現するのが俳優だからね!と熱をこめて語っていた。

今回改めて何回も何回も観なおして、アルトゥールくんをはじめサーシャ・ヤツェンコくん、パニンさんらの俳優の所作・身体表現が舞台演劇っぽいのにとても惹かれる。
特にシティルと父、ゲーカとアーシャ、二組の別れの場面、ネモイをプロポーズに送り出すシティルとゲーカ、スーツ入手直後の場面。
舞台っぽいといっても、実際ロシアの人ってあんな風に踊るような仕草をしていることもよくあるのだけれど。
これはフドイナザーロフの演出というより、個々の俳優の力量とアンサンブルの賜物なのだろう。

2023年6月11日日曜日

インフル病みのペトロフ家

 LETOの監督さんの全く別テイストの作品だった。

13日にもWOWOで再放映