ロシア映画好き仲間からいただいた大切な写真
東京国際映画祭で上映後挨拶するフドイナザーロフ監督、イワン・ココリンさん、アレクサンドル・ヤツェンコくん
アルトゥールくんはスケジュールの都合で先に帰国してしまったそうだ。
下のアルトゥールくんの記事は、当時私が検索してプリントしていたもの
梶山先生のトークで使われた資料
シティルとゲーカは工具の名称だった!
@横浜シネマリン
やっぱりアルトゥール君、スモリヤニノフ名義になっているな。
でも東京国際映画祭では父方の苗字の表記(ポヴォロツキー)になっていた。
これによると、シティルとゲカは工具の名称から取っていて、人名の略称・愛称(ペーチャとかワーニャとかですね)ではないそうなのである。
但し、彼らの中でも本名がわからないのはネモイ(ダンボ)だけで、シティルは父に「幼かったコースチャが」と言っているし、ゲーカは捜査官に「パヴレンコ」(たぶんイーミャはユーリかゲオルギーかな、と思って自動製作字幕によればゲンナジーだった)と呼ばれているから、全くの匿名ではない。ゲンナジーの略称ゲーナからの連想もあってゲーカになったのかな、と思う。工業高校みたいなところに行っていたのかな。※
※こちら の方の考察によれば、シティルは技術中等専門学校(технический техникум)の卒業章をしていることがあるそうで(気が付かなかった!)、シティルとゲーカはこのときのクラスメートなのかしらん。ボチャとのやり取りの場面からして、幼馴染ではなさそうと思ったのだけど。
ネモイはディーナからアルトゥールへの当てつけでセルゲイと呼ばれ(その繋がりでアルトゥールにもセリョージャとかなんとかと言われる)、「セルゲイではない」と言うがディーナからは「そんなのどうでもいい」という態度を取られる。
梶山先生によれば、少年たちは匿名なのに対して、女性には名前が与えられているとのことだったが、敵役のアルトゥールとスーツのお店の人がフェリックスという具合に名前は与えられている。シティルの兄貴分のボチャはやはりあだ名なのかも。
シティルの母の名前は不明だが、父はプラトンとなっていて、梶山先生が示した「女性は名前を持ち男性は匿名」では必ずしもそうではないように思える。
フドイナザーロフ、これは監督本人は十分自覚していたと思うが、「切ない夢」的なのってあくまで男性目線であって、彼のどの作品でもどの女性でも境遇が苛酷で観ているととても辛い。
ゲーカ父子の犠牲になるアーシャは言わずもがな。シティルの母もネモイ(ダンボ)の祖母も一人取り残される。
そしてほんとにろくな父親が出てこないのがフドイナザーロフ映画(旧ソ連圏の映画ではよくあるが)。なかでも最悪なのはゲーカの父。うわべだけ良き父ぶろうなんて最低(バナナ買ってきたシーン)。ゲーカは三人の中でも言動が幼くて、ゲーム店の身重の女性に対する態度も酷い。それでも父だけは庇おうとするんだよね。
東京国際映画祭で会ったとき、とにかくやたら笑い上戸で上機嫌だったアルトゥールくん、苗字のことは疑問に思ったけれど、家族の問題についてはさすがに質問はしなかった。
アルトゥールくんは、ウィキ先生によると5歳の時に父が家族のもとを去ったそうで、ゲーカというよりシティルみたいな体験があったのかもしれない。子役から活躍し、この作品以降は父方の姓であるポヴォロツキーは使わず、母方姓のスモリヤニノフ名義になる。
彼は調子よく怪しげは英語を交えつつ、実際にも年上の女性に恋しているのだということ(その後、このとき話していた女性なのかどうかは不明だが、実際年上の人と結婚したが、数年前に離婚している)、でも実体験だけではなく、経験外のことでも演技して表現するのが俳優だからね!と熱をこめて語っていた。
今回改めて何回も何回も観なおして、アルトゥールくんをはじめサーシャ・ヤツェンコくん、パニンさんらの俳優の所作・身体表現が舞台演劇っぽいのにとても惹かれる。
特にシティルと父、ゲーカとアーシャ、二組の別れの場面、ネモイをプロポーズに送り出すシティルとゲーカ、スーツ入手直後の場面。
舞台っぽいといっても、実際ロシアの人ってあんな風に踊るような仕草をしていることもよくあるのだけれど。
これはフドイナザーロフの演出というより、個々の俳優の力量とアンサンブルの賜物なのだろう。
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