①グランド・ブダペスト・ホテル ②善き人のためのソナタ
「 タレンタイム~優しい歌」
2019年ヤスミン・アフマド没後10周年記念特集@イメージフォーラム
他の映画もよかったが、遺作のこれは特に滲みる。
最近、友達がヴァイオリンの発表会で夫さんの二胡とのデュエットをしたと聞いて、この作品を思い出してしんみりした。音楽映画で、マレーシアの民族を超えた青春映画で、ほのぼのしみじみ、今観かえしてまた泣けてくる。
①グランド・ブダペスト・ホテル ②善き人のためのソナタ
「 タレンタイム~優しい歌」
2019年ヤスミン・アフマド没後10周年記念特集@イメージフォーラム
他の映画もよかったが、遺作のこれは特に滲みる。
最近、友達がヴァイオリンの発表会で夫さんの二胡とのデュエットをしたと聞いて、この作品を思い出してしんみりした。音楽映画で、マレーシアの民族を超えた青春映画で、ほのぼのしみじみ、今観かえしてまた泣けてくる。
「私は子どもたちからアラビアン・ナイトを取りあげる政府が出てきたら、命がけで戦う」
赤旗2007年4月6日付「文化の話題」欄より
以前に書いたことがあると思うが、高校卒業の折、恩師(世界史)からマカレンコを読むように勧められた。
素直に聞き入れ、母と、吉祥寺の美和書房に行って、マカレンコ全集を買った。
そして、素直に読んでいたのだが、「子どもにお伽噺なんて与えたらだめ」みたいな言葉にあたって挫折した。それは絶対に違うだろ!と思ったのだ。
後に就職して、職場の同僚と話していて、教育学部出身の彼女もマカレンコを読んでいて、同じ個所で躓いたのだと聞いた。
さらに後に、ロシア・ソ連の絵本の歴史を知ると、革命直後のロシア・アヴァンギャルドの時代には確かに民話とかに依拠したお話ではなく、身近なあれこれとか、あるいはもっとナンセンスだったり抽象的な題材の凄い絵本など児童文化の高揚期であったりもしたとわかるのだが・・・
お伽噺否定は直感的に「違う!」と思ったものだった。
その時代に生きていたらきっと粛清されるんだろうな。
マカレンコについてだが、後に恩師からは「あれを真に受けたのか?」と言われた。
何となく、日本人って戦後ずっと「やっぱり戦争だけは嫌だ」という思いを持ち続けたのかと思っていた。
母方の祖父母は言うまでもなく、治安維持法制下で戦争反対を言って弾圧され、戦後も一貫して平和運動をしていた。母は69署名を最晩年まで続けていた。
父方の過去にはあまり詳しくないが、台湾から引き揚げた前後大変苦労しているのは確かで、父も私が頼んだら戦争体験記を一応は書いてくれた。母が書くものほど強烈ではないが、その分正直に書いてくれたのだと思う。音楽の試験で、軍の飛行機の音を聞かされて飛行機の種類を当てるというもので、さっぱり聞き分けられず適当に解答したら評価は3だった、友人たちも皆そうだった、というもので、ネット上では「軍国少年だったから全部分かった」みたいな話が多い中で、父には珍しく法螺話ではなく実際の体感を思い出して書いてくれたんじゃないかなと思う。
今日(7月20日)の赤旗に「戦争はいやだ! 戦後日本の命脈をたどる」という連載記事の「上」が載っていて(毎月1回掲載だそうだ、次回は一か月先?上下になるのか、上中下になるのか)、日本国憲法草案の戦争放棄の支持は70%に及んでいた(1946年5月27日)→しかし、47~48年冷戦・朝鮮戦争を経ると早くも再軍備に賛成する人が多数になった、とこの記事にはある。
「自分の国を守るためにはやむを得ない」という条件付き戦争肯定が、戦争絶対否定を圧倒的に上回るようになったのだそうだ。53年で条件付き戦争肯定75%、戦争絶対否定15%。
これは意外だった。最初に書いたように、日本人は「戦争はもうこりごり」と思って「戦争は絶対嫌」と思い続けたと思っていたから。
ところが。
ここからまた風向きが変わったというのだ。
原水爆禁止運動・母親運動・基地闘争が起こり、活発化し、60年の安保闘争への発展する。
戦争絶対否定の日本は、むしろここからだったようだ。記事には「憲法の平和主義の定着」と書かれている。
1967年条件付き戦争肯定21%、戦争絶対否定77%
今日の記事は「敗戦から1960年代後半」までだったので、これ以降の時代の分析は8月後半になるようだ。