家人の知り合いに貸し出す本
オデッサ海岸通り
2023年12月13日水曜日
2023年9月23日土曜日
EUフィルムデーズ2009
観たのは
*アイルランド「ジョジーの修理工場」
小品ながら衝撃作だった・・・。
*イタリア「マイ・ブラザー」
イタリアの家族の歴史描く映画というと長時間でじっくりというのが多いがこれは100分だったか。割としんみりな作品だった。
*スウェーデン「クリスマス・オラトリオ」
初見は1990年代後半の北欧映画祭だったが、あの映画祭に通底した暗さが記憶に引っかかっていたところ、10数年ぶりに観る機会を得て、主演男優が来日して挨拶、その際実は彼はこの映画の後メンタル面で俳優業を休んでいたということを言っていて、映画の内容をなぞるような人生送っていたのかもしれない。その後回復しているんだろうか。
*イギリス「世にも憂鬱なハムレットたち」
劇中劇で、好みの映画。当時は意識しなかったが監督はケネス・ブラナーだったか。
*チェコ「カラマーゾフ兄弟」
これも劇中劇タイプの作品で、この年のEUフィルムデーズ中のベスト。一般公開して欲しかったな。
*デンマーク「ファイター」
当時のEUフィルムデーズには多かった移民二世とヨーロッパ側の受容のあり方を問うタイプの作品(今年のフィルムデーズのにもあったような)。でもこの頃はまだ前向きな未来志向な作品作りだったよなと回想してしまう。
*ポーランド「神さまの小さなお庭で」
警官主役のコメディーで面白くはあったが、英語字幕のみだったので、内容についていけないところが多々あって残念。
*ドイツ「耳のないウサギ」
サッカーシーンがあったと思う。
*ラトヴィア「バトル・オブ・リガ」
つまらなかったけど、ラストの俯瞰シーンは美しかった。
*リトアニア「永久機関」
内容覚えておらず、バルトの国々はまだおもしろい映画作れないでいるのかなと思ったのが記憶に残っている。
2011年の映画ベストテン投票用紙
投票用紙が手元に残っているということは投票しなかったのかしらん。
日本映画
1 ひろしま
2 沈黙の春を生きて
3 ショージとタカオ
4 百合子、ダスヴィダーニャ
5 かすかな光へ
※たぶん、そもそもこの5本くらいしか邦画は観ていないだろう。
5の「かすかな光へ」は2023年現在内容を全く覚えていなかったが、HP観たら教育学者太田堯先生についてのドキュメンタリー映画だった。
外国映画
1 木洩れ日の家で(ポーランド)
2 蜂蜜(トルコ)
3 バビロンの陽光(イラク)
4 花嫁と角砂糖(イラン)
5 おじいさんと草原の小学校(南アフリカ)
※今でも印象深く心に残っているのは「木洩れ日の家で」と「花嫁と角砂糖」
やはりこの2国は映画大国でどんな時にも傑作を世に出してくる。
イオセリアーニについてのメモ(2005年頃?)
アテネ・フランセ文化センターで特集上映があった際のレクチャーのメモなのではないか?
或いはエイゼンシュテインシネクラブで山田和夫先生か井上徹さんのお話だったかな。
*1934年トビリシ生まれ→音楽院→モスクワで教育 工学→映画大学
*現在はフランス在住
*2004年「イオセリアーニに乾杯」
*「四月」 実験的 卒業制作のつもりだった ”印象主義的象徴主義”
→身を隠し、労働者で働く 何か月か→卒業制作「鋳鉄」→卒業 監督となる
しかし
*「落葉」カンヌ受賞 ロシア語版を監督が禁止
*グルジア表記は嫌い→”ゲオルギア”「唯一ゲオルギア」「ゲオルギアの古い歌」
「歌うつぐみがおりました」
「田園詩」
*1979年移住 「グルジア語を母語とする」条項を削除する憲法案
*1984年 グルジアの人民芸術家を受賞
「月の寵児たち」ソ連で一般公開
(ここまでメモ書き)
イオセリアーニ、昔からソ連が嫌い、ロシアが嫌い、だけど映画教育受けたのはモスクワの映画大学なので、講義するとき例に挙げるのはエイゼンシュテインとかソ連の映画だったりするんだよね、と山田和夫先生がおっしゃっていた。
グルジア呼びが嫌いな人がいるのか、というのを知ったのはイオセリアーニがきっかけだったと思う。あの当時既にそれを主張してタイトルに「ゲオルギア」を入れていたから。ゲオルギアで良いと思う。アメリカの州名で呼ぶよりずっといい。あと、「じょるじあ」でしたっけ?昔の日本の書物に出てくる国名、それでもいいと思う。
ミハルコフとは思想信条まるで違いながらもテクニシャンで映画作りが実に上手く天才、とにかく面白い作品を作りはする。ただ、やっぱりフランスに行ってからの作品よりソ連時代に作ったものの方が100倍いいと思う。そういう意味でイオセリアーニはソ連あっての映画監督なのだと思うのだ。本人にとっては嫌だろうけど。
2023年9月18日月曜日
「ロシア」は、いかにして生まれたか:タタールのくびき を読了
薄目でハンディー(全157頁)だが内容の濃い貴重な書籍。
「父祖の土地(の回復)」というスローガン、それに至る観念は当時から既にあったものではなく後から形成されてきたものだということに気づかされた。
※キプチャク・ハン国が当時の名称ではなく俗称のため、現在は使われず「ジョチ・ウルス」となっていることから知らなかった。
※この時代はリトアニアが大国だった!