2013年5月31日金曜日

終わらない春その1

入替戦の第一戦はプレミアのチームがホームで行われ、ともにプレミアのチームが勝つ。
スコアまで2-0と、一緒。
ひとまずほっとする。

クルィリヤは直前のテレク戦が1-4と壊滅的だったので、一部リーグのクラブが相手とはいえ、チームの士気低下が恐ろしかった。(リザーブチームに至っては0-5の完敗だった!)

ロストフも、スコア上は危なげなく勝っている。

と、やはり馴染のあるプレミアのクラブを応援してしまう。
元々ロシアの(○○共和国ではない)地方都市クラブが好きなので、サマラのクルィリヤに加え、ロストフもプレミアにいて欲しいと切望している。

2013年5月30日木曜日

プチ・リユニオン

先生を含め5名のみだったが、楽しい「クラス会」だった。

先生が乾杯用に提供してくださったのが
←グルジア文字も書いてある!

キンズマラウリ!
しかも、グルジアの素焼きの瓶入り!!
感激です。


ハバロフスクに赴任していて、一時帰国している方からのお土産。
クノールとマギーのインスタント食品。
プロフ用やらビーフストロガノフ用やらアズー用やら。
それとカップスープ。
この他に、ペンマンシップ用のノート、例のりすちゃんチョコレート、北極のミーシカ、お伽噺(火の鳥)チョコと、山のようにお土産を持ってきてくださった。

お土産話も楽しかった。
凍てつくアムール川の川面の写真、川がとてつもなく広い!

2013年5月29日水曜日

本気モードで向かう

この間のお呼ばれのあった面々から、正式にヨーロッパ選手権に出場するメンバーが絞られた。

Вратари: Николай Заболотный («Ростов», 1990 г.р.), Станислав Крицюк («Брага» Португалия, 1990), Александр Фильцов («Краснодар», 1990).
GK:ニコライ・ザボロトヌィ(ロストフ、1990年生まれ)、スタニスラフ・クリツュク(ブラガ(ポルトガル)1990年生まれ)、アレクサンドル・フィリツォフ(クラスノダール1990年生まれ)
※外されたのは95年生まれのミロスラフ・ロバンツェフ(ロコモチフ)。次回に期待!

Защитники: Максим Беляев («Ростов», 1991), Тарас Бурлак («Локомотив», 1990), Иван Князев («Торпедо», 1992), Ибрагим Цаллагов («Крылья Советов», 1990), Никита Чичерин («Динамо» М, 1990), Георгий Щенников (ЦСКА, 1991).
DF:マクシム・ベリャエフ(ロストフ、1991年生まれ)、タラス・ブルラク(ロコモチフ、1990年生まれ)、イヴァン・クニャーゼフ(トルペド、1992年生まれ)、イブラギム・ツァラゴフ(クルィリヤーソヴェートフ、1990年生まれ)、ニキータ・チチェリン(ディナモ、1990年生まれ)、ゲオルギー・シチェンニコフ(ツェスカ、1991年生まれ)
※アルセニー・ロガショフ(アンジ、1991年生まれ)は怪我のため招集見送り。
※外されたのはマクシム・ジェストコフ(ヴォルガリ=ガスプロム、1991年生まれ)、イリヤ・ズエフ(トミ、1994年生まれ)、アレクセイ・ニキーチン(エニセイ、1992年生まれ)、デニス・テレンチエフ(トミ、1992年生まれ)、ヴィタリー・ウスチノフ(ネフテヒミク、1991年生まれ)。

Полузащитники: Шота Бибилов («Волга», 1990), Сергей Брызгалов («Спартак» М, 1992), Максим Григорьев («Локомотив», 1990), Алан Дзагоев (ЦСКА, 1990), Роман Емельянов («Ильичевец» Украина, 1992), Александр Зотов («Томь», 1990), Юрий Кириллов («Динамо», 1990), Сергей Петров («Краснодар», 1991), Денис Черышев («Реал» Испания, 1990), Олег Шатов («Анжи», 1990).
MFショタ・ビビロフ(ヴォルガ、1990年生まれ)、セルゲイ・ブルィズガロフ(スパルターク・モスクワ、1992年生まれ)、マクシム・グリゴリエフ(ロコモチフ、1990年生まれ)、アラン・ザゴエフ(ツェスカ、1990年生まれ)、ロマン・エメリヤノフ(イリイチョーヴェツ(ウクライナ)、1992年生まれ)、アレクサンドル・ゾトフ(トミ、1990年生まれ)、ユーリー・キリロフ(ディナモ、1990年生まれ)、セルゲイ・ペトロフ(クラスノダール、1991年生まれ)、デニス・チェルィシェフ(レアル・マドリード(スペイン)、1990年生まれ)、オレグ・シャトフ(アンジ、1990年生まれ)
※外されたのはニキータ・ベズリホトノフ(トルペド、1990年生まれ)、ドミトリー・カユモフ(スパルターク・モスクワ、1992年生まれ)、アレクセイ・ミランチュク(ロコモチフ、1995年生まれ)、アレクセイ・ポメルコ(ヒムキ、1990年生まれ)、イヴァン・ソロヴィヨフ(ディナモ・モスクワ、1993年生まれ)、アントン・ソスニン(クバン、1990年生まれ)、アルセン・フブロフ(アラニア、1990年生まれ)・・・華々しいデビューを飾ったミランチュクや、そこそこ名の知れたソスニン、カユモフもですか。

Нападающие: Максим Канунников («Амкар», 1991), Александр Кокорин («Динамо», 1991), Федор Смолов («Анжи», 1990), Павел Яковлев («Спартак» М, 1991).
FW:マクシム・カヌンニコフ(アムカル、1991年)アレクサンドル・ココリン(ディナモ、1991年)、フョードル・スモロフ(アンジ、1990年生まれ)、パーヴェル・ヤコヴレフ(スパルターク・モスクワ、1991年)
※外したのはアルチョム・デリキン(クルィリヤ、1990年生まれ)、アンドレイ・パニュコフ(ヒムキ、1994年生まれ)、アレクサンドル・コズロフ(スパルターク・モスクワ、1993年)。

95年・94年生まれよりは実績のある年長さんたち重視のようだ。

2013年5月28日火曜日

ストラヴィンスキーはこうきたか

ナクソスのシリーズ第4弾はストラヴィンスキーで、

中二病がテーマのクラシックアルバム「ハルサイとか聴いてるヤバい奴はクラスで俺だけ。~「春の祭典」 初演100周年記念アルバム~」

「中二病」という言葉(ネット用語?)が実はあんまりよくわからないですが。
交響戦艦ショスタコーヴィチ ~ ヒーロー風クラシック名曲集
幻想魔神ハチャトゥリアン ~ ダークヒーロー風クラシック名曲集
魔法革命プロコフィエフ ~ ヒロイン風クラシック名曲集
ときて、ストラヴィンスキーが中二病のヤバい奴って、可哀そうなような、まあそんなものかなような。
次はスクリャービンか?ラフマニノフか?

2013年5月26日日曜日

プレミア最終節

多元中継で国歌斉唱を聴くと、結構感動する。

ところで、ウクライナの方でヴォルィン対クリヴバスが3-0なのは?

ロストフ、先制したなあと思ったら、ツェスカのGKは小心者のチュプチュゴフ君だ。
サメドがPKでゴール!

ロストフはポポズがゴール、続いてクバンはポポフがゴールだ。紛らわしい。

スパルタークはセットプレーからヤコヴレフ?おめでとう!
ロコは2点目がはいっているな。
残念。煙り始めた中でベレノフ、失点・・・?
(オフサイドだった模様。)

やっと写った、テレクとクルィリヤの試合は、どきどき心臓に悪い。
ああー、かなりとんでもない所に蹴っている。

荒れるな、ディナモ。今日は暴れませんように。

がっかりする選手たち、観るのが辛いな。テレクに先制された・・・。
独走された揚句、オウンゴールか。
この試合、勝つしかないんだが。

おっと、ロストフが2点目。
嬉しそう。

同点!
いいところにいた。偉い!カバリエロ。

ルビン、2点目。

あらら、ヴェレムコさん。2点目を入れられてしまいました。
勝つしかないのに。残り時間で2点とれるか???
セットプレイから簡単に決められ3-1に。
このところの調子良さは影を潜めた。というか、あれが何だったのか、という感じだ。

同様に冴えないのがディナモだ。
優等生のシュニンがかなり危険なプレイ。
イエローですんでよかったというレベル。
でもPKに。
しかししかし、ショタがPK失敗!若さが出た。

スパルターク、アナニーゼが追加点。

あああ、昨日のリザーブチームの試合みたいになってきた。つまり4点目を献上。

これがリーグ戦最後の得点になるのだろうか。
モルドヴィヤが1点返して2-1に。

クルィリヤ、終了。ナリチク戦は頑張らねば。

ディナモ・ヴォルガはスコアレスドロー、ということはディナモのELはないのか?
がっかりしたようすの皆さん(特にシュニン)。
そう、7位で逃したんだ。
クルィリヤは入替戦へ。
辛いシーズンだった。

2013年5月25日土曜日

88歳

今日は一部リーグの最終節の試合があるので、偶には観るかなと思って探してみたけれど、14:00から始まる試合の放映はないのだろうか?とにかく見つからなかった。
代わりにやっているのがロストフ対ツェスカのリザーブチームの試合。
1-1でハーフタイムに。

すると放送はお休みになり、画面は真っ黒になった。
今、再開した。後半開始。

さて、今日5月25日はゼニット・サンクト=ペテルブルグの創立記念日だそうだ。
1925年5月25日に創設されたということにしたとのこと。

"Зениту" сегодня исполняется 88 лет.

Сегодня петербургский «Зенит» отмечает свой день рождения. Согласно официальной точке зрения, клуб был основан 25 мая 1925 года при ленинградском Металлическом заводе (ЛМЗ).

今シーズンはどうに歯車が狂ったようで上手くいかず、揚げ句に暴走するファンに足を引っ張られて優勝を逃してしまったゼニット。
立て直すことができるだろうか。

トミ対ロトルで、トミが先制。

後半開始直後、ツェスカが追加点、1-2.

トミは3-0でロトルを圧倒。

さて、シビリ対サリュートはTV放映がある。

トルペドの試合を観るつもりだったが、ウファも放映があるのでこちらを観よう。

Ёсукэ Сайто 45
だったり、
45 Сайто Йосуке (27)Уфа
だったり するが・・・。
ともかく、斉藤陽介選手、得点を挙げた。おめでとう。
1-0でウファが勝利。
画面は競技ダンス?大会に。

27人


Всего в списке значатся 27 футболистов:
вратари - Игорь Акинфеев (ЦСКА), Владимир Габулов ("Анжи"), Сергей Рыжиков ("Рубин");
GK
イーゴリ・アキンフェーエフ(ツェスカ)、ウラジーミル・ガブロフ(アンジ)、セルゲイ・ルィジコフ(ルビン)
この前のリストからはディナモのシュニンが外されてしまいました。

защитники - Александр Анюков ("Зенит"), Алексей Березуцкий, Василий Березуцкий, Сергей Игнашевич, Кирилл Набабкин (все – ЦСКА), Владимир Гранат ("Динамо" М), Алексей Козлов ("Кубань"), Дмитрий Комбаров, Евгений Макеев (оба – "Спартак" М);
DF
アレクサンドル・アニュコフ(ゼニット)、アレクセイ&ヴァシリー・ベレズツキー、セルゲイ・イグナシェヴィチ、キリル・ナバプキン(以上ツェスカ)、タラス・ブルラク(ロコモチフ)、ウラジーミル・グラナト(ディナモ・モスクワ)、アレクセイ・コズロフ(クバン)、ドミトリー・コムバロフ、エヴゲニー・マケエフ(スパルターク・モスクワ)
クバンのコズロフが初選出。この前のリストにも挙がっておらず、かなりの大抜擢。ユースや第二代表の経験はあります。
ところで、コズロフもアレクセイも、ロシアではありふれた名まえなので、アレクセイ・コズロフという著名人もたくさんいるようで、しかもサッカー選手にも1986年生まれのアレクセイ・アナトリエヴィチ・コズロフと1975年生まれのアレクセイ・ウラミロヴィチ・コズロフとがいるのですが、代表に選出されたのは86年生まれのコズロフです。
マクシム・ベリャエフ(ロストフ)、ゲオルギー・シチェンニコフ(ツェスカ)、アルセニー・ロガショフ(アンジ)、タラス・ブルラク(ロコモチフ)はU21専念ということになりました。

 полузащитники - Игорь Денисов, Виктор Файзулин, Роман Широков (все – "Зенит"), Денис Глушаков, Дмитрий Тарасов (оба – "Локомотив"), Александр Рязанцев ("Рубин");
MF
イーゴリ・デニソフ、ヴィクトル・ファイズリン、ロマン・シロコフ(以上ゼニット)、デニス・グルシャコフ、ドミトリー・タラソフ(以上ロコモチフ)、アレクサンドル・リャザンツェフ(ルビン)
ここで外れたのはロコのマクシム・グリゴリエフ。U21へ。

нападающие - Владимир Быстров, Александр Кержаков (оба – "Зенит"), Алан Дзагоев (ЦСКА), Артем Дзюба ("Спартак" М), Юрий Жирков, Олег Шатов (оба – "Анжи), Алексей Ионов ("Кубань"), Александр Кокорин ("Динамо" М), Александр Самедов ("Локомотив").
FW
ウラジーミル・ブィストロフ、アレクサンドル・ケルジャコフ(ともにゼニット)、アラン・ザゴエフ(ツェスカ)、アルチョム・ジューバ(スパルターク・モスクワ)、ユーリー・ジルコフ、オレグ・シャトフ(以上アンジ)、アレクサンドル・ココリン(ディナモ・モスクワ)、アレクサンドル・サメドフ(ロコモチフ)
フョードル・スモロフの代わりにクバンのイオノフ。
スモロフもU21専心で。
U21との掛け持ちはザゴエフとシャトフ。とココリンも。
※5月28日補遺 アルチョム・ジューバに替わってフョードル・スモロフを招集。

ポルトガル戦、負けると首位交代。
でも、北アイルランドでの試合が延期になったせいで、試合消化が2試合も少ない。
なので、取りこぼしをしなければ挽回のチャンスはある。
それにしても、もちろん勝っておきたい。

2013年5月23日木曜日

古儀式派・プロテスタント・資本主義の倫理・ロシア革命、そしてサッカー

『ロシアとソ連 歴史に消された者たち 古儀式派が変えた超大国の歴史』
冬に東洋文庫で行われた講座の一つに、下斗米先生の古儀式派研究についてのものがあった。
ロシア革命には古儀式派関連の人たちが重要な役割を果たしていたという。

すっかり鵜呑みにはし難いのだが、革命と宗教について、今まで最も釈然としない思いだったのは、「教会の破壊を、無神論者の人たちがあんなにも熱心にするものだろうか?」という点だった。が、正教徒(その正統を自認する人々)に対して、ちょっと違う宗教的マイノリティーがそれまでの弾圧政策の意趣返しをする。その一環としての教会や鐘やイコンなどの破壊行為に至った。
というのなら、要するに、同じ正教徒でも、セクトの違う者が相手を徹底的に否定するという行為だったのだと考えれば、何となく納得できるような気がする。

ロシアにおける古儀式派の位置づけを、プロテスタント(カトリックに抵抗する人々、資本主義を担った)に相当するという指摘もおもしろかった。

P188
「ロシア最初の映画製作やサッカーも、古儀式派の商人たちにより慈善事業として展開した。」
具体的には?

『ロシア・サッカー物語』を読みなおしてみたが、
・19世紀末にブリテン島からロシアに来た人たち(技師・商人)がロシアにサッカーを伝えた。
・1894年ペテルブルグでロシア初のサッカークラブ«ヴィクトリヤ»結成される(イングランド人とドイツ人中心)
・1897年ペテルブルグにロシア人チームが結成される
などと書かれているが、草創期のロシア資本家(多くは古儀式派信徒だったというのが、この本での下斗米先生の主張である)が行った慈善事業の一環であったという風には書かれていなかった、

2013年5月22日水曜日

記念に

イラン映画祭で「牛」や「駆ける少年」をユーロスペースで観たせいなのだろう、アッバス・キアロスタミの「友だちのうちはどこ?」もユーロスペースで観たのかと思っていた。
(ユーロスペースと言っても、渋谷南口に会った頃の話。)

VHSからダビングしたDVDに画像を印刷するために、イラン映画関連ファイルを出してみてわかったのは、「そして人生はつづく」はユーロスペースだったけれど、「友だちのうちはどこ?」は銀座テアトル西友(当時)だったということ。

そのときピックアップしたペルシャ語のチラシ

読めないけれど。

この映画が上映されていた90年代前半には今よりも街中にイラン人がたくさんいて(怪しげな人が多かったのも事実だが)、キアロスタミの映画を観に行くと、彼らが前の方の座席を占拠して実に嬉しそうに観ていたものだった。
日本でペルシャ語の映画が観られるとは思っていなかったのではないかな?
日本人は、特にミニシアターを観に行く人は、前方より後方の座席を好むものだから、何となく遠巻きに彼らを観ていた。
微笑ましいものだった。

この映画館が5月いっぱいで閉館なので、記念に載せておきます。

2013年5月20日月曜日

ココラ,あなたも?

ココラ、あなたもなの?
足裏攻撃なんて、ザーガじゃないんだからさあ。
怪我から復帰したと思ったら、これだもの。
と、何とも苦い味を残した昨日の試合だった。
ディナモはEL枠をかけての大事な試合を落としただけでなく、主力数名を今シーズン最終戦を含め更に数試合欠くような、最悪の結果に。
ココラがネコに悪質タックル、ネコが怒る(これは当然)。
それから両チーム入り乱れ、平手打ちやら唾吐きやら、とてもお下品な状況が繰り広げられ、ココラ・ネコ・チャントゥリヤ・ジュジャク(別のところで暴れていた)に一発レッド、クラニー・シュニン・ジャナエフにイエロー(この人たちの動向はよくわからない、他の人と比べてそんなに悪かったのか?)
アラニヤ対ディナモ
大量退場の前にも、イエローカードが多発される、荒れた試合だった、というよりも、先制されてしまってから、ディナモの面々は焦燥を露わにして、我を失っていた。


一方、クルィリヤ=ソヴェートフ対ルビンは、セルゲイ・ヴェレムコ対セルゲイ・ルィジコフのGKセリョージャ同士で、やはりある程度対抗意識はあったのだろうか。
クルィリヤはかなり久しぶりにルビンに勝った。
しかも快勝。
マクシモフが2点(最後の得点はPK)。
正直言ってここでルビンに勝てるとは、ファンの私さえ予想していなかった。
今度の試合に勝ったら、プレーオフからも逃れられるというところまで来た。

ゼニット対ヴォルガ
ヴォルガが先制点をとって、先の二試合に続いて下位が上位を食うか、と思われたけれど、ゼニットは落とさなかった。

2013年5月18日土曜日

Юношеская сборная России в Японии(ロシアユース選抜@日本)

全ロシア音楽コンクール優勝者コンサート

Елена ЛОСБ(рояль)
Дмитрий СМИРНОВ(скрипка)
Александр РАММ(виолончель)
Наталья ДМИТРИЕВСКАЯ(сопрано)

エレーナ・ローシさんは1989年カザン生まれ、ラフマニノフを2曲、それにスクリャービンと手堅くきたので、優等生タイプのお嬢さまかな、と思いきや(ずっと前に津田ホールで聴いたエカテリーナ・リヒテルを思い出させた)、アンコールはなんとカプースチン!
この間府中で聴いたばかりの「8つの演奏会用練習曲op.40」第7曲間奏曲 Интермеццо
軽やかにカスプーチンを弾きこなすエレーナさん、いとも簡単そう、且つ楽しそうで、こういう路線が意外にもあっているようだ。

ナターリヤ・ドミトリエフスカヤさんはこのメンバーでは最年長、ラフマニノフ名称国立ロストフ音楽院卒業、ロストフ国立音楽劇場ソリスト。
というわけでさすがプロ。堂々としていた。
写真よりずっとお美しかった。
ベッリーニ、プッチーニ、ヴェルディとイタリアオペラがお得意のようだ。
発声がとても美しいが、これも以前ロシアのアカデミーの学生さんの歌を聴いたときに思ったことは、日本人の歌手より日本語の歌詞の発音が美しい。なぜなんだ?
声量がありつつ、特にサ行の音が耳障りに響かない。

アレクサンドル・ラムさんは、若きミッシャ・マイスキーかと思わせるような風貌だった。
1988年ウラジオストク生まれで、現在国立モスクワ音楽院在学。
ラフマニノフ、それに若きロストロポーヴィチの超絶技巧の曲、それにカサド、豊かな響きだ。
それから、アンコールで年下のドミトリーくんを一所懸命盛りたてようとしている姿が健気だった。

ドミトリー・スミルノフくんは一番若くて1994年サンクトペテルブルグ生まれ、国立サンクトペテルブルグ音楽院付属中央音楽専門学校在学。
小柄で、他の人たちと比べても「若い!」っていう感じだ。
写真と違って髪の毛はくしゃくしゃだった。
ペルト、それにチャイコフスキーを2曲。特にチャイコフスキーの有名曲はよかった。

アンコールの一曲目は上記のとおりカスープチンだったのだけれど、二曲目はジーマくんのヴァイオリンとラムさんのチェロによる「さくらさくら」で、山之内重美さんは以前から「さくらさくらを日本の国歌に」と封筒に印刷したりして主張していらっしゃるが、確かにこういった時に聴かせてもらって嬉しいのは「さくらさくら」だ。
あとからナターリヤさんが素敵な歌声で(そして素晴らしい発音で)歌ってくださった。
よい演出だった。

ロビーでは例のごとくマトリョーシカやチェブラーシカやゲーナのグジェリなどが売られていた。
変わり映えしないものだったにもかかわらず、驚いたことにこの会場では結構な人だかりがしていて、しかも実際に割と売れ行きもよかった。
あれって売れるんだ…。

PK戦に強い!U17の選手たち

ウラーーーーーーーーー!マラッツィ!
U17の子たちが優勝した!
決勝もPK戦になって、イタリアを破って見事に優勝!


Чемпионат Европы среди юношеских сборных (игроки не старше 17 лет)
Финал
17 мая. Жилина. Стадион «Под Дубнем». 4000 зрителей.
Судья - А.Сидиропулос (Греция).
Италия – Россия – 0:0. Пенальти – 5:6.
Италия: Скуффет, Калабрия, Димарко, Пульезе, Капрадосси, Шакка, Тутино (Ди Молфетта, 67), Палацци, Черри, Стеффе (Париджини, 80+1), Видо (Бонаццоли, 63).
Россия: Митрюшкин, Паршиков, Лихачев, Ходжаниязов, Якуба, С. Макаров, Жемалетдинов (А. Макаров, 41), Баринов, Головин (Буранов, 62), Зуев (Гасилин, 49), Шейдаев.Предупреждения: Паршиков, 22. Жемалетдинов, 36. Видо, 53.

MVPはGKでキャプテンのアントン・ミトリュシキン。
 

黒蜘蛛伝説

私自身は日本公開を待ち望んでいるロシアのサッカー映画「その試合」(仮題)は伝説の試合、ディナモ・キエフの死の試合という、サッカーファンならすぐ飛びつきそうな題材を得ておきながら、且つ主演もそこそこの俳優が演じていながら、あまりヒットしなかったらしい。
当然日本公開もされておらず、DVDでもまだ日本では発売が予定されていない(と思う)。

「その試合」の興行的失敗にも懲りず、ロシア映画界は今度はまさに伝説の選手、現在までのところ唯一のバロンドール獲得GKであるレフ・ヤシンの映画を撮ることにしたわけだ。

Фильм о Льве Яшине будет называться "Они играли за Родину"

監督はアルメニア生まれのカレン・オガネシャン。
レフ・ヤシンを演じるのはマクシム・マトヴェエフであるらしい。
マトヴェエフは「スチリャーギ」に出演していた人。
モスクワ芸術座(チェーホフ名称)では「リア王」、チュフライの映画で知られる「女狙撃兵マリュートカ」(原題は「41番目」)等に出演している(タバコフ劇場にも出ている)若手俳優。

でも映画のタイトルが「彼らは祖国のためにプレイした」って…身も蓋もないような、全くセンスないなあ。
この映画会社は「背番号17のレジェンド」というアイスホッケーの試合の映画をヒットさせているらしいけれど、ヤシンの映画がこんなタイトルではソ連以外では退いてしまうぞ。
(ロシア人はこれで感動するとでもいうのだろうか?)

まあいいか。映画が完成したら(今秋の予定か)、試写会にシュニンを始め、ディナモの面々が招待される、とかないだろうか???

2013年5月17日金曜日

日曜の夜

VHS→DVDへの作業は、アジア映画にちょっと飽きがきてしまい、ヨーロッパ方面に進出している。
今週は特に
「隊長ブーリバ」
「アンナ・カレーニナ」(ソフィー・マルソーの)
と、ご当地でないロシア文学の映画化作品、それに容量がまだあったので、ポクロフスキーのインタビュー番組(30分)と、まだ時間があったのでイジー・トルンカの「手」を入れた。

あとまだいろいろ録画してあるバレエとかオペラ、NHKの「芸術劇場」もこれから取り組む。

今年度から日曜の夜に「らららクラシック」を観ないで済むようになって、「芸術劇場」っぽく演奏をじっくり聴かせてもらえるタイプの番組になってよかった。

そんなことを思いつつ、昔々の音楽番組をとても懐かしく思って、粛々と続けよう。

2013年5月16日木曜日

西の果てへ

ポルトガル戦候補32人、割といつもの。

Капелло определился с кадидатами в сборную на матч с Португалией.

Тренерский штаб национальной сборной России определился с расширенным списком игроков, которые могут быть вызваны для подготовки к матчу отборочного турнира чемпионата мира-2014 с Португалией. Встреча пройдет 7 июня в Лиссабоне на стадионе "Эштадиу да Луш" (начало – в 23:45 по Москве).
На данный момент в списке Фабио Капелло значатся 32 футболиста.

Вратари: Игорь Акинфеев (ЦСКА), Владимир Габулов ("Анжи"), Сергей Рыжиков ("Рубин"), Антон Шунин ("Динамо" М).
 
GK
イーゴリ・アキンフェーエフ(ツェスカ)、ウラジーミル・ガブロフ(アンジ)、セルゲイ・ルィジコフ(ルビン)、アントン・シュニン(ディナモ・モスクワ)
 
いつもの人たち。若い人、出てこないかなあ。

Защитники: Александр Анюков ("Зенит"), Максим Беляев ("Ростов"), Алексей Березуцкий, Василий Березуцкий, Сергей Игнашевич, Кирилл Набабкин, Георгий Щенников (все – ЦСКА), Тарас Бурлак ("Локомотив"), Владимир Гранат ("Динамо" М), Дмитрий Комбаров, Евгений Макеев (оба – "Спартак" М), Арсений Логашов ("Анжи").
DF
アレクサンドル・アニュコフ(ゼニット)、マクシム・ベリャエフ(ロストフ)、アレクセイ&ヴァシリー・ベレズツキー、セルゲイ・イグナシェヴィチ、キリル・ナバプキン、ゲオルギー・シチェンニコフ(ツェスカ)、タラス・ブルラク(ロコモチフ)、ウラジーミル・グラナト(ディナモ・モスクワ)、ドミトリー・コムバロフ、エヴゲニー・マケエフ(スパルターク・モスクワ)、アルセニー・ロガショフ(アンジ)

Полузащитники: Игорь Денисов, Виктор Файзулин, Роман Широков (все – "Зенит"), Денис Глушаков, Максим Григорьев, Дмитрий Тарасов (все – "Локомотив"), Александр Рязанцев ("Рубин").
MF
イーゴリ・デニソフ、ヴィクトル・ファイズリン、ロマン・シロコフ(以上ゼニット)、デニス・グルシャコフ、マクシム・グリゴリエフ、ドミトリー・タラソフ(以上ロコモチフ)、アレクサンドル・リャザンツェフ(ルビン)

Нападающие: Владимир Быстров, Александр Кержаков (оба – "Зенит"), Алан Дзагоев (ЦСКА), Артем Дзюба ("Спартак" М), Юрий Жирков, Федор Смолов, Олег Шатов (все – "Анжи), Александр Кокорин ("Динамо" М), Александр Самедов ("Локомотив").
 
FW
ウラジーミル・ブィストロフ、アレクサンドル・ケルジャコフ(ともにゼニット)、アラン・ザゴエフ(ツェスカ)、アルチョム・ジューバ(スパルターク・モスクワ)、ユーリー・ジルコフ、フョードル・スモロフ、オレグ・シャトフ(以上アンジ)、アレクサンドル・ココリン(ディナモ・モスクワ)、アレクサンドル・サメドフ(ロコモチフ)
 
こちらも暴走特急君やケルジ大先生が君臨し、ザーガはU21の大会と兼任か、忙しそう。
 
ツェスカ(7人)
アキンフェーエフ、ベレズツキー双子、イグナシェーヴィチ、ナバプキン、シチェンニコフ、ザゴエフ
 
ゼニット(6人)
アニュコフ、デニソフ、ファイズリン、シロコフ、ブィストロフ、ケルジャコフ
 
アンジ(5人)
ガブロフ、ロガショフ、ジルコフ、スモロフ、シャトフ
 
ロコモチフ(5人)
ブルラク、グルシャコフ、グリゴエフ、タラソフ、サメドフ
 
ディナモ(3人)
シュニン、グラナト、ココリン
 
スパルターク(3人)
コンバロフ、マケエフ、ジューバ
 
ルビン(2人)
ルィジコフ、リャザンツェフ
 
ロストフ(1人)
ベリャエフ
 
 
 

2013年5月15日水曜日

ヤンが応援していたはずだから

忘れないように書いておこう。
カップ戦はウィークデーに行われるのであんまり観ないのだが、贔屓のチームが決勝に進んだとあっては何としても観なければと思うのだ。
古くはツェスカがUEFAカップで優勝した時(普段は決して贔屓のチームではないがさすがに決勝なので特別に応援することにした)、ゼニットが優勝した時、それからシャフチョールが最後のUEFAカップで優勝した時(イスタンブールのスタジアムを猫が疾走した)、頑張って観ていましたわよ。

でも、今回のウクライナカップ、相手がシャフチョールなので、雰囲気は母校が帝京高校と対戦した時のようなものになるのではないだろうか?
(2年上の同窓生は「実況中継を観ましたか?完全に帝京寄りの解説で気分が悪くなりました」と年賀状に書いていた。私はその試合を観ていなかったけど、様子については想像はつく。)
とにかく決勝は5月22日だ。
決勝ぐらい日曜日にしてくれればよかったのに。

ところで、決勝戦の相手のシャフチョールは既にリーグ戦の優勝を決めているので、チェルノモーレツは決勝進出を決めた時点でスーパーカップの出場も決めた。
それにヨーロッパリーグ出場も決定なの?
ウクライナカップ準優勝でもヨーロッパリーグに行けるのか。
リーグ戦の方も、現時点で何とかすれすれで出場圏内(6位)だけど。

Кубок Украины: «Черноморец» – «Днепр» (Днепропетровск) – 2:1

С помощью по-одесски эмоционально поддерживавших команду трибун «Черноморец» выстоял, отбил все атаки «Днепра» и удержал свою волевую победу, сделавшую нашу команду финалистом Кубка Украины, Суперкубка Украины и уже точно участником Лиги Европы.

2013年5月13日月曜日

双子のアントンくん

飛び級でU21ロシア代表候補になっている、95年生まれのロコモチフのMFアレクセイ・ミランチュク。
彼の双子の片割れ、アントン・ミランチュクの方は、明日と16日にモスクワのイーゴリ・ネット名称スタジアムで行われるドイツU17代表との試合にも呼ばれている。

вратари – Александр Васютин ("Зенит"), Мирослав Лобанцев ("Локомотив" М), Сергей Ревякин (ЦСКА);
GK
アレクサンドル・バシュチン(ゼニット)、ミロスラフ・ロバンツェフ(ロコモチフ・モスクワ)、セルゲイ・レヴャキン(ツェスカ)
 

защитники – Данила Давиденко, Степан Ребенко (оба – "Зенит"), Александр Каляшин ("Динамо" М), Виталий Лысцов ("Локомотив"), Вячеслав Караваев, Денис Масютин, Андрей Налетов (все – ЦСКА), Эльмир Набиуллин ("Рубин");
DF
ダニーラ・ダヴィジェンコ、ステパン・レベンコ(ともにゼニット)、アレクサンドル・カリャシン(ディナモ・モスクワ)、ヴィタリー・ルィスツェフ(ロコモチフ)、ヴャチェスラフ・カラヴァエフ、デニス・マシュチン、アンドレイ・ナレトフ(全てツェスカ)、エリミル・ナビウルリィン(ルビン)

полузащитники – Максим Ермаков, Владислав Мастерной (оба – "Спартак" М), Дмитрий Ефремов, Максим Мартусевич (оба – ЦСКА), Евгений Козлов ("Рубин"), Аршак Корян, Антон Миранчук (оба – "Локомотив" М), Александр Моргунов, Валерий Сарамутин (оба – "Динамо" М);
MF
マクシム・エルマコフ、ウラジスラフ・マスチェルノイ(スパルターク・モスクワ)、ドミトリー・エフレモフ、マクシム・マルトゥセヴィチ(ともにツェスカ)、エヴゲニー・コズロフ(ルビン)、アルシャク・コリャン、アントン・ミランチュク(ともにロコモチフ・モスクワ)、アレクサンドル・モルグノフ、ヴァレリー・サラムチン(ともにディナモ・モスクワ)

нападающие – Денис Давыдов ("Спартак" М), Александр Носов ("Салют").
FW
デニス・ダヴィドフ(スパルターク・モスクワ)、アレクサンドル・ノソフ(サリュート)
 
マスチェルノイなんて、ニックネームはどうせ«巨匠»だろう。

一部リーグのウファの試合は今日も観られなかった。
2-0で勝った。
斉藤選手は63分に出場、でも68分には交代している。
怪我か?
これが3試合目。
 
 
 

2013年5月12日日曜日

さすがシュヴェイクの国の大統領

戦勝記念日でチェコ大統領酩酊(ビデオ): The Voice of Russia

ロシア大使館、鬼門ですかね。
古典的なもてなしをしたのでしょうね。

さて、昨日は早稲田でモスクワの可愛い犬のお話(前項参照)を伺い、桑野先生のバフチン本の翻訳秘話をお聞きして、急いで次の予定の場所に急いだのです。
チェッコとはしご。
ぎりぎりで到着。
しかし講師が到着していなかった!

「はじまりのチェコアニメ」
トルンカ、ポヤル等々綺羅星のごとくの戦後チェコアニメはすでに日本でもお馴染だが、黎明期のチェコアニメは、というと、かなり印象は違った。
戦前、チェコスロヴァキアの共和国時代、またナチス・ドイツ占領時代とも、社会主義体制ではなかったので、戦後のチェコアニメとも、同時代のソヴィエトアニメとも違って、宣伝臭がぷんぷんなのだ。
素朴に商品をアピール!というもの(これが社会主義体制のものだと「プロパガンダ」と言われるが、どちらにせよ微笑ましい範囲内だ。)
ストーリーやキャラクターの作りはさすがにいろいろ無理があって、難なく入りこめるというわけでもないが、楽しいアニメだった。(チェコ独特のひねりはまだ見えていない。)
それとディズニーやドイツ前衛芸術の影響が濃くて、チェコらしさはまだまだ。
ただこういう下地があってのその後のあの興隆なのだということは漠然とわかった気がする。

今日もチェコ日和です。
ナズドラヴィ・フィルハーモニー第8回コンサートに行ってきた。
スメタナの「わが祖国」全曲公演、だいぶ前にチェコフィルのを聴いたことがある(指揮は小林研一郎)。
チェコ語で「乾杯」を意味するこのアマチュアオーケストラは、チェコ音楽の演奏と普及が目的のアマチュアオーケストラなので、プログラムは全てチェコ音楽。
で、今日はスメタナの命日で、「わが祖国」だった。
ありがたいことに、プログラムノートにはチェコ語表記が付されている。
チェコ好きの人が集まってやっているだけあって、最初の「ヴィシェフラート」は少々金管楽器の音が不安定かと思われたけれど、徐々に調子を挙げて、「ヴルタヴァ」、「シャールカ」では自然と拍手がわいてきた。
ここで休憩が入るのは勿体ない。けれどまあしかたないのだろう。
再開後の「ボヘミアの森と草原から」もよかったけれど、できれば続けて聴きたかったな。

2013年5月11日土曜日

12人以上の優しいロシア人

手を携えて渡ってくれる人たちがいる。


そうそう、こういう人たち、いるんですよね。
(しかしロシア限定ではないでしょう。そして、ロシアでもこういう人ばかりでもないでしょう。)
私にも何度か経験がある。
車の往来が激しくて、横断するのを躊躇していたら、「一緒に渡ってあげるよ」といって、手をとって(←この動画にあるように) 、向こう側まで一緒に行ってくれる人。
最初は何か下心があるのではないかと警戒し、逃げ腰になってしまったりした。
それでも強引に引っ張って行ってくれる。
あちらの人には「子どもが道を渡るのを怖がっている」みたいに見えるのだろうか?

さて、今日はさらにハートウォーミング系の話題ということで、桑野塾に「忠犬ならぬ地下鉄“ハチ公” モスクワっ子に愛された野良犬の銅像」というお話を聴きに行った。
モスクワは、野良犬というか地域犬というかその辺をふらふらしている犬が多いところで、特に寒さよけになる地下鉄構内に住み着いている犬もかなりいるみたい。地下鉄を乗り継いで駅を渡り歩いて餌にありついているという。
そんな犬の一匹に、メンデレーエフスカヤ駅のマーリチク(坊や)がいた。
人懐こい、可愛い犬だったようだ。
駅員、駅の売店の従業員、通行人から餌をもらっている人気者だったという。
ただ、リアル・マーリチクの画像は探してもみつからなかった。
マーリチクがさらに話題になり、人気者として不動の地位を得てしまうのは、天に召されてからのこと。
マーリチクは2001年に若い女性(モデルだった)によってナイフで刺し殺されてしまう。
彼女は愛犬のテリアをトリミングに連れて行った帰り、テリトリーを侵されたと感じたマーリチクがテリアに吠えかかり、犬同士の喧嘩になったことで、恐怖に駆られて刺殺ということになってしまったらしい。不幸な事件だった。
公衆の面前で人気者の犬が無残に殺されたというので、このことはモスクワっ子たちに非常にショックを与え、マリチクのいた場所には花束と募金箱が置かれ、集まった募金約15000ドルで銅像が作られた。
この銅像の画像はたくさんアップされている。
これを見ると、確かにマーリチクは可愛い。
実によくできた銅像だと思う。
作者のアレクサンドル・ツィガリさんによれば、子どもが寄り添ったりなでたりできるようにという意図もあり、マーリチク像は低い台座で顔を見上げ耳の後ろを掻いている大変親しみやすいポーズをしている。
そして、ツィガリさんの意図のとおり、皆に親しまれている。

 
 
私も、この駅に行くことがあったら、お花を持って撫でてきたい!と切望する。
 
が、発表してくださった新聞記者の方にしろ、桑野塾の参加者の方たちにしろ、こんなに可愛い犬に対しても、さほど感動している風ではなかったのが、私にはとても意外だった。
マーリチクが亡くなった時の話や、殺してしまった女性のことが話されているときに、忍び笑いが起こっていたことにも衝撃を受けた。ちっともおかしくなんかないし、不謹慎ではないか。
マーリチクの像は、マーリチク自身を記念するに留まらず、寄る辺のない動物一般に捧げれれているもので、「Сочувствие(同情)」というタイトルだ。
銅像を建てるための募金集めの発起人には文学者や芸能人などの大物有名人が名を連ねている←ウィキペディア参照が、これだって当然のことだと思われる(ロシアに限らず、他の国でも大いにあり得たことだと私には感じられる)が、皆さんの心象は、どうも「こんなことによくもまあ」みたいなものだったようだ。
う~ん、どうしてだろう?動物と一緒に暮した事ないのだろうか?
「モスクワ駐在時にアフガニスタン帰りの運転手が「人は殺したが、犬は自分には殺せない」と言っていた、というエピソードも、ありがちな話ではある。
 
なお、ロシアにはこのマーリチクの他にも、«涙を誘う犬»のエピソードはある。
一つはサマラ州トリヤッティのベールヌィくん。
マーリチクに先立つ2003年に銅像が作られたこの犬は、渋谷のハチ公みたいな話だが、交通事故で亡くなった主人を事故現場で7年間も待っていたというシェパード。
周囲の人が餌をやったり面倒を看ていたが、その場から保護しようとしても動かなかったらしい。
もう一つは比較的最近のことで、私もこのニュースには覚えがある。
2011年ヤクーツクで、亡くなった雌犬にずっと寄り添っていた雄犬で、映画「HACHI」(リチャード・ギアのあれ。ロシアでも公開された)から「ハチコー」と名付けられた。
 
 発表してくださった新聞記者の方は、マーリチクがこんなにも話題になり、この銅像が親しまれている背景には、ソ連時代へのノスタルジーがあると指摘していた。
マーリチクが生きていた90年代末から2001年頃、ロシア社会はカオスだった。
秩序(ソ連時代にはあった)が崩壊し、助け合ってきた(はずの)人びとは争い合ったり不幸にも見て見ぬふりをするようになった、などと感じている人々(当然年配の人が多い。募金の発起人になった有名人も若い人はほとんどいない)は、テリアの飼い主の女性の行動に激しい反発を覚えたのだった。
 
とまあ、そうは言うものの、「人が自分勝手になった現在」「昔は人情があった」的なノスタルジーはモスクワ、ロシアだけではなく、古今東西存在するものではないか。
冒頭に掲げた親切な人々の映像に対してロシアだけではないだろうと思うのと同様に。


ロシアのこえのロシアのうた

読み間違えた!
「R25」かと思った。
地下鉄の改札近くに置いてあるあのフリーペーパーに、山之内重美さんのインタビュー記事が載ったのかと。
えー、どうしよう、今号を入手し損ねたぞ、誰か持っていないか尋ねなければなどと逡巡しつつあった。
しかし、それは「P25」だった。

P25 山之内重美さんを迎えて: The Voice of Russia

P25というのは、「ロシアのこえ」でやっているインタビュー番組「ピャトニツカヤ25番地」のことなんですね。
普段はラジオ番組だけれど、今回初のヴィデオヴァージョンとのことで、リンク先には30分ほどの動画があります。
従来日本で「ロシア民謡」と言われてきた歌について、山之内重美さんと日向寺康雄さんが語り合います(歌はなし。「ラジオ放送の番組MMM(「モスクワ・ミュージック・マガジン」でお楽しみ下さい。」とある)。

4夜

来週の13日から4夜連続で、セルゲイ・ボンダルチュク監督の「戦争と平和」の放映がBSプレミアムである(「オデッサ・コスモス」参照)ということがわかり、弟に録画を頼んだ。

「予約したけど、失敗したらごめん。DVD2枚に収まるの?」と返信してあった。

失敗しないでよ!撮れなかったら泣いちゃうかも。
弟はダビングをするとき、録画モードを残時間に合わせて選択するという方法を知らないのだろうか?

今週DVDにした映画
「デカローグ」1話・2話
「コンフィデンス 信頼」
「カフェ・ブダペスト」
「鍵」

「カフェ・ブダペスト」に出演したロシア人ミュージシャンはどうしているのだろう?
今聴くと、すごくレトロですね。オクジャワとかヴィソツキーみたいな、というと言い過ぎか。
もう一人のロシア人青年も、記憶していたよりずっと若い(子どもっぽい)面持ちだった。
「デカローグ」や「コルチャック先生」に出ていた美少年俳優ヴォイチェク・クラタくんも、今どうしているのか。最近出演作を観ない。

クルィリヤの試合はやっぱり昨日だったのか。
見逃した。
スパルタークに引き分け、順位は変わらず。

2013年5月10日金曜日

サマラはビールの都だったのね

「ロシアの声」でサマーラ特集です。
サッカーファンのことも出てくるのだが、クルィリヤのことは「ウィング」と呼ぶこのチーム、なんて書かれているんだ。がっかりだ~。

ロシア学生チーム、ロボカップで優勝!

クルィリヤの公式サイトの戦勝記念日をお祝いするメッセージを「12の椅子」に載せました。

さて、ビーチサッカーに続いて、ロシアがサッカー大会で優勝しました。
ロシアの学生 日本で開かれたロボットのサッカー大会で優勝: The Voice of Russia

Томские студенты победили на соревнованиях по робофутболу в Японии

От всей души поздравляем вас с победой!

2013年5月9日木曜日

ザーガ、あなたも?

6月にイスラエルで開催されるユース(1990年以降生まれ)のヨーロッパ選手権のロシア代表候補発表。
「自分も出たい」と発言していたザーガもちゃっかりメンバー入り(予選には出ていなかったはず)。
ザーガは若くして飛び級でフル代表入りしたので、U21の試合にはこれまで1試合出場のみ、でその1試合というのはフェロー諸島まで出掛けての予選だったのだけれど、ザーガのほかにも結構錚々たるメンバーだったのでこれは勝てるだろうと思ってい観ていたら、ころっと負けてしまったのだった。そのときは、ザーガ、もうU21には出てくれるなと思いましたわ。
なのに、また出るんですか?!

それはともかく、プレミアの試合でお馴染の選手も結構いて、楽しみではある。
二世君のシチェンニコフやチェルィシェフ、只今売り出し中のココラやスモル、これからの逸材(のはず)のブルラク、ショタ、それに先日初ゴールを決めた95年生まれのミランチュクもいる。もう一人の95年生まれのロバンツェフもロコモチフ。
クルィリヤからもツァラゴフとデリキンが行くので、応援しよう。

Вратари: Николай Заболотный («Ростов», 1990 г.р.), Станислав Крицюк («Брага» Португалия, 1990), Мирослав Лобанцев («Локомотив», 1995), Александр Фильцов («Краснодар», 1990).
GK:ニコライ・ザボロトヌィ(ロストフ、1990年生まれ)、スタニスラフ・クリツュク(ブラガ(ポルトガル)1990年生まれ)、ミロスラフ・ロバンツェフ(ロコモチフ1995年生まれ)、アレクサンドル・フィリツォフ(クラスノダール1990年生まれ)

Защитники: Максим Беляев («Ростов», 1991), Тарас Бурлак («Локомотив», 1990), Максим Жестоков («Волгарь-Газпром», 1991), Илья Зуев (Томь», 1994), Иван Князев («Торпедо», 1992), Арсений Логашов («Анжи», 1991), Алексей Никитин («Енисей», 1992), Денис Терентьев («Томь», 1992), Виталий Устинов («Нефтехимик», 1991), Ибрагим Цаллагов («Крылья Советов», 1990), Никита Чичерин («Динамо» М, 1990), Георгий Щенников (ЦСКА, 1991).
DF:マクシム・ベリャエフ(ロストフ、1991年生まれ)、タラス・ブルラク(ロコモチフ、1990年生まれ)、マクシム・ジェストコフ(ヴォルガリ=ガスプロム、1991年生まれ)、イリヤ・ズエフ(トミ、1994年生まれ)、イヴァン・クニャーゼフ(トルペド、1992年生まれ)、アルセニー・ロガショフ(アンジ、1991年生まれ)、アレクセイ・ニキーチン(エニセイ、1992年生まれ)、デニス・テレンチエフ(トミ、1992年生まれ)、ヴィタリー・ウスチノフ(ネフテヒミク、1991年生まれ)、イブラギム・ツァラゴフ(クルィリヤーソヴェートフ、1990年生まれ)、ニキータ・チチェリン(ディナモ、1990年生まれ)、ゲオルギー・シチェンニコフ(ツェスカ、1991年生まれ)

Полузащитники: Никита Безлихотнов («Торпедо», 1990), Шота Бибилов («Волга», 1990), Сергей Брызгалов («Спартак» М, 1992), Максим Григорьев («Локомотив», 1990), Алан Дзагоев (ЦСКА, 1990), Роман Емельянов («Ильичевец» Украина, 1992), Александр Зотов («Томь», 1990), Дмитрий Каюмов («Спартак» М, 1992), Юрий Кириллов («Динамо», 1990), Алексей Миранчук («Локомотив», 1995), Сергей Петров («Краснодар», 1991), Алексей Померко («Химки», 1990), Иван Соловьев («Динамо» М, 1993), Антон Соснин («Кубань», 1990), Арсен Хубулов («Алания», 1990), Денис Черышев («Реал» Испания, 1990), Олег Шатов («Анжи», 1990).
MF:ニキータ・ベズリホトノフ(トルペド、1990年生まれ)、ショタ・ビビロフ(ヴォルガ、1990年生まれ)、セルゲイ・ブルィズガロフ(スパルターク・モスクワ、1992年生まれ)、マクシム・グリゴリエフ(ロコモチフ、1990年生まれ)、アラン・ザゴエフ(ツェスカ、1990年生まれ)、ロマン・エメリヤノフ(イリイチョーヴェツ(ウクライナ)、1992年生まれ)、アレクサンドル・ゾトフ(トミ、1990年生まれ)、ドミトリー・カユモフ(スパルターク・モスクワ、1992年生まれ)、ユーリー・キリロフ(ディナモ、1990年生まれ)、アレクセイ・ミランチュク(ロコモチフ、1995年生まれ)、セルゲイ・ペトロフ(クラスノダール、1991年生まれ)、アレクセイ・ポメルコ(ヒムキ、1990年生まれ)、イヴァン・ソロヴィヨフ(ディナモ・モスクワ、1993年生まれ)、アントン・ソスニン(クバン、1990年生まれ)、アルセン・フブロフ(アラニア、1990年生まれ)、デニス・チェルィシェフ(レアル・マドリード(スペイン)、1990年生まれ)、オレグ・シャトフ(アンジ、1990年生まれ)

Нападающие: Артем Делькин («Крылья Советов», 1990), Максим Канунников («Амкар», 1991), Александр Козлов («Спартак» М, 1993), Александр Кокорин («Динамо», 1991), Андрей Панюков («Химки», 1994), Федор Смолов («Анжи», 1990), Павел Яковлев («Спартак» М, 1991).
FW:アルチョム・デリキン(クルィリヤ、1990年生まれ、マクシム・カヌンニコフ(アムカル、1991年)、アレクサンドル・コズロフ(スパルターク・モスクワ、1993年)、アレクサンドル・ココリン(ディナモ、1991年)、アンドレイ・パニュコフ(ヒムキ、1994年生まれ)、フョードル・スモロフ(アンジ、1990年生まれ)、パーヴェル・ヤコヴレフ(スパルターク・モスクワ、1991年)

1990年生まれ
GKニコライ・ザボロトヌィ(ロストフ)
GKスタニスラフ・クリツュク(ブラガ(ポルトガル)
GKアレクサンドル・フィリツォフ(クラスノダール)
DFタラス・ブルラク(ロコモチフ)
DFイブラギム・ツァラゴフ(クルィリヤーソヴェートフ)
DFニキータ・チチェリン(ディナモ)
MFニキータ・ベズリホトノフ(トルペド)
MFショタ・ビビロフ(ヴォルガ)
MFマクシム・グリゴリエフ(ロコモチフ)
MFアラン・ザゴエフ(ツェスカ)*
MFアレクサンドル・ゾトフ(トミ)
MFユーリー・キリロフ(ディナモ)
MFアレクセイ・ポメルコ(ヒムキ)
MFアントン・ソスニン(クバン)
MFアルセン・フブロフ(アラニア)
MFデニス・チェルィシェフ(レアル・マドリード(スペイン))*
MFオレグ・シャトフ(アンジ)
FWアルチョム・デリキン(クルィリヤ)
FWフョードル・スモロフ(アンジ)

1991年生まれ
DFマクシム・ベリャエフ(ロストフ)
DFマクシム・ジェストコフ(ヴォルガリ=ガスプロム)
DFアルセニー・ロガショフ(アンジ)
DFヴィタリー・ウスチノフ(ネフテヒミク)
DFゲオルギー・シチェンニコフ(ツェスカ)
MFセルゲイ・ペトロフ(クラスノダール)
FWマクシム・カヌンニコフ(アムカル)
FWアレクサンドル・ココリン(ディナモ)*
FWパーヴェル・ヤコヴレフ(スパルターク・モスクワ)

1992年生まれ
DFイヴァン・クニャーゼフ(トルペド)
DFアレクセイ・ニキーチン(エニセイ)
DFデニス・テレンチエフ(トミ)
MFセルゲイ・ブルィズガロフ(スパルターク・モスクワ)
MFロマン・エメリヤノフ(イリイチョーヴェツ(ウクライナ))
MFドミトリー・カユモフ(スパルターク・モスクワ)

1993年生まれ
MFイヴァン・ソロヴィヨフ(ディナモ・モスクワ)
FWアレクサンドル・コズロフ(スパルターク・モスクワ)

1994年生まれ
DFイリヤ・ズエフ(トミ)
FWアンドレイ・パニュコフ(ヒムキ)

1995年生まれ
GKミロスラフ・ロバンツェフ(ロコモチフ)
MFアレクセイ・ミランチュク(ロコモチフ)

戦争は終わった


Замечательная поздравительная анимация 9 мая Букет красных тюльпанов, праздничный салют
BEST-ANIMATION.RU - ЛУЧШИЕ АНИМАЦИИ, АНИМАЦИОННЫЕ КАРТИНКИ, ОТКРЫТКИ ИНТЕРНЕТА

 今回の戦勝記念日を祝うアニメーションは、真面目にソヴィエト風のものが多い。
昔の国旗に表された鎌とハンマー、それに花火の取り合わせだ。
 
 とにかく、平和のあらんことを。

 われわれは人間として心からの和解(フェアゼーヌング)を求めております。
 まさしくこのためにこそ、心に刻むことなしには和解はありえない、という一事を理解せねばならぬのです。
(略)
 もしわれわれの側が、かつて起こったことを心に刻む代りに忘れ去ろうとするようなことがあるなら、これは単に非人道的だというにとどまりません。(略)
 われわれ自身の内面に、智と情の記念碑が必要であります。
(リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー)
 
 
クルィリヤのサイトにお祝いのメッセージが載っているのはもちろんのことだったが(これについては「12の椅子」に解説めいたものを書いた)、じゃあウクライナはどうなのか?
というと、チェルノモーレツのサイトを見たら、控え目にお祝いをしていた。
まあ、ウクライナと言ってもオデッサだから。
 
というのは、オデッサはウクライナでも東半分の方だし、激戦地だったところだとしてソ連の英雄都市の称号を最初に授けられた一つだから、戦勝記念日にとりわけ意義を持たせるのも無理からぬものだとは思う。


 

2013年5月5日日曜日

11人もいて

「12の椅子」に久しぶりに新しく投稿した。
クルィリヤ=ソヴェートフの創立記念日の話。

でも、さきほどディナモとの試合には負けてしまった。
クルィリヤ=ソヴェートフ・サマラ対ディナモ・モスクワ
試練の時が続く。
ディナモは一気に順位を挙げた。
最初の躓きさえなければ、優勝争いしたのにね。

さて、今日は府中グリーンプラザのけやきホールに「カプースチンのしらべ 11人もいる!」に行ってきた。
このコンサートのチラシは、たぶんオーケストラ・ダスビダーニャでいただいていたのだろう。
作曲者のカプースチン(このコンサートは全曲カプースチンの作品なのだ)が何者かについては多少書いていあるのだが、主催者・演奏者が何者かについては全くの謎という、不思議なチラシだった。

ウクライナ生まれで、「クラシックでありながらジャズ風の曲を書く」というので、アップリンクに何度かロシア・ジャズを聴きに行った身としては、無関心ではいられない。
カプースチンという名前には聴き覚えはなかったけれど、あの«ホット・ロマンチカ&クール・ファンタスチカ»のお二人のように、楽しませていただけるのではないだろうか?と期待して、府中に赴く。

けやきホールは府中駅からすぐ、でも入口が地味で暗くてあんまり美しくはない。
しかも、ロビーの受付近くのソファーに腰掛けて待とうとしたら、真新しいドレッシングのようなものがこぼれているのだった。
誰かが(おそらく出演者の一人)が直前にそこで食事をしてこぼしたようだ。公共の場を汚さないように!こぼしたり落としたら後始末はきちんとしよう。
受付にいるお嬢さんたちも堂々とそこで食事をしていたが、あまり感じのいいものではない。
皆さん、明るく「いらっしゃいませ~!」という雰囲気ではなく、愛想が悪いわけではなく、仲間内だけで盛り上がっているというわけでもなかったが、コンサート開催に慣れているようではなかった。

しかし、内容はとてもおもしろかった。
確かにジャズ風だけれど、セルゲイ・クリョーヒンとかブートマンとか、あらゆることがありのアトラクションやパフォーマンスに満ち溢れた「ロシア・ジャズ」の世界とは一線を画す、しっかりクラシックの範疇のコンサートだった。
カプースチンが大好きで楽しそうに弾いている人と、苦労して弾いているようでこちらがはらはらしてしまう人とがいたが、「こんな作曲家がいるのか!」「こんな曲があるのか!」と新鮮な感動があった。

プログラムは第1部がピアノで
1.シンフォニエッタop.49より第一楽章 序曲(連弾)
2.異なる音程による5つの練習曲op.68より第1曲・第2曲・第5曲
3.変奏曲op.41
4.8つの演奏会用練習曲op.40

第2部は弦楽器や管楽器を加えた作品で
5.11の楽器のための協奏曲op.90
(弦楽五重奏+木管五重奏)+ピアノ
6.ピアノ五重奏
7.フルート、チェロとピアノのための三重奏曲op.86

何度も書くが、刺戟的でおもしろかったが、特に親しみやすく楽しめたのが1.と3.5.だ。

5月の復活

Христос воскресе! Воистину воскресе!

Замечательная поздравительная анимация Пасха Зайчик, бабочки, пасхальные яйца, пасха, надпись Христос Воскрес, поздравление с Пасхой в стихах!
BEST-ANIMATION.RU - ЛУЧШИЕ АНИМАЦИИ, АНИМАЦИОННЫЕ КАРТИНКИ, ОТКРЫТКИ ИНТЕРНЕТА

5月に復活大祭というのは、ブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』のモスクワのようであり、カトリックやプロテスタントが祝った3月31日とこんなに日をおくのも珍しいことではないだろうか。 (だいたい2週間くらい後のことが多いような気がしている。)

このあいだのイースターは、本来とても喜ばしいことなのに、悲しく沈んだ思いでいた。
周囲の人たちにいろいろ慰められて、それはとても感謝している。
それでもきっと、これからは2013年のイースターはそういう思いで振り返るのだろうと思う。

ベゲモート、何とかやっていこうと思うよ。

2013年5月4日土曜日

ダスヴィダーニャ・レーピン

これが見納めになるのかもしれない。
レーピン展の巡回最後の地、神奈川県立近代美術館葉山館である。
…あるいは、モスクワのトレチヤコフ美術館まで観に行けばいいのだろうけど。

この葉山の美術館には、ユーリー・ノルシュテイン展のときに一度赴いている。
京急線新逗子駅前のバス停で、ムソルグスキーさんがお迎えだ。


「海に恋した美術館」というだけあって、一色海岸を臨む丘に建つこの美術館、
♪青い海 青い空 沖をゆくヨットの ヨットの影♪(「海の賛歌」)
思わず中学時代に歌った合唱曲のフレーズが出てくるような、美しい風景が眼下に広がる。
展望台より。伊豆半島が見える

トンビが空を舞っている。
食べ物を狙われるから注意としつこいくらい書かれている。
 
美術館のレストランは小さくてしかも高い※ので、遊歩道を出てあずまやでお弁当をいただくのがよいのだが、その際にはくれぐれも注意を。
※私はそれでもレストランに入ろうかと思ったのだが、同行者の一言によって否定された。レーピン展コラボメニューのビーフストロガノフが2500円だった。

ここでもまたじっくり絵を観て巡る。
10時過ぎに着いて、1時間半くらいかけて観た。
ザ・ミュージアムのときと少々展示品に入替がある。
こちらには科学者メンデレーエフの肖像画などがあった。

作品リストをつきあわせた結果、ザ・ミュージアムでは展示されず、ここ葉山で観られる作品は次のとおりだ。
・玄関で ニコライ・ゴーゴリの小説『狂人日記』の挿絵 1870年
・スターヴロポリ近郊のヴォルガ河岸の漁師たち «ヴォルガの船曳き»の準備素描 1870年
・ヴォルガ川の秋 1870年
・ソフィア・シェフツォーワの肖像 1872年
・フョードル・チジョーフの肖像 1877年
 銀行家・鉄道家・作家・歴史学者だった。レーピンが立ち寄った朝、亡くなっていた。その場で書きとめたスケッチ。知人の急死という場面でもさすがの画家魂と言えようか。
・エミーリア・プラーホワとラファイール・レヴィーツキーの肖像 1879年
・«宣伝家の逮捕»習作 1879年
・クロレヴェツの帯の断片、腰に巻かれたクロレヴェツの帯と結ばれた2本の短剣 «トルコのスルタンに手紙を書くザポロージャのコサック»習作 1880年
・料理女 1881年
・ユーリヤ・ヤクープの肖像 1881年
・«新兵の見送り» 1882年
・ふたつの人物像、その頭部 «思いがけなく»の習作 1883-1884年
・アトリエにて 1884年
・エジンバラ大学のガウンを着た化学者ドミートリー・メンデレーエフの肖像 1885年
・畑のレフ・トルストイ «農夫―畑のレフ・トルストイ»の習作 1887年
・少年ユーリー・レーピン 1880年代
・「チェック(王手)」レフ・トルストイ 1891年
・ピアンに向かって 1905年
・1917年―カザン大聖堂の前で 1917年

ワンフロアでの展示であるのはザ・ミュージアムと同様だが、なんといっても広い!
贅沢に広々としている。
一つの壁面に、絵が一枚ないし三枚程度と、実にゆったりしている。

さて、絵を観終わった後は、こちらにもどうぞ!
必見です。



美術図書室のレーピン関連資料
(メモ書きを起こしたものですが、不正確です。)

1トレチャコフ美術館 2005年トレチャコフ美術館
2ロシア絵画の巨匠レーピン名作展1978年
3トレチャコフ・プーシキン2大美術館展1975年伊勢丹
4「第九の怒涛」を中心とするロシア美術館名作展 富士美術館1977年
5ロシア近代絵画の至宝トレチャコフ美術館展1993年都美術館
6ロシア宮廷美術展エルミタージュ美術館所蔵品による 1992年三重県立美術館
7国立ロシア美術館展2007年都美術館
8ファブリ世界名画集89レーピン平凡社1972
9図録トレチャコフ美術館1989年
10RUSSLAN DAINTINA?Peter Le?(←普段書き慣れないラテン・アルファベットで書いた自分の字が読めない…)
11レーピン伝 福田新生洋々社昭和31年
12エルミタージュ プーシュキン ロシア トレチャコフ ソ連国立美術館近代名画展カタログ1966年西洋美術館
13第二回ロシア・ソビエト国宝絵画展1976年三越
14~16RUSSIA!
17世界美術館の旅小学館2002年

展示資料
1レーピン 大月源二 青木書店1953年
2レーピン 嵯峨公栄 三杏社1952年
3レーピン伝 福田新生 洋々社1956年
4レーピン名作展図録 1978年
5レーピン ロシアの心図録 1996年
6レヴィーツキー撮影ゲーリツテイン版 「ニワ」第12年第14号1881年4月4日表紙にあるアレクサンドル2世
(「思いがけなく」の絵の中で、壁にかかっている絵の中の一つ、暗殺されたアレクサンドル2世の絵の元になった新聞資料)
7I.E.グラバーリ&I.S.ジリベルツテイン レーピン ソビエト科学アカデミー 1948-49年
8アトリエのレーピン (はがき) 1900年頃
9イーゴリ・グラバーリ ソビエト科学アカデミー レーピン 1963-64年

冗談でしょう、バラバノフさん

アレクセイ・バラバノフ作品、もう一つは「私も幸せが欲しい」"Я тоже хочу"
なんだかなあ、劣化版シャフナザーロフ(「ゼロ・シティ」)っていう感じがしなくもない、21世紀の「ストーカー」??というものでした。
(註:ストーカーといっても付き纏い行為をする人ではなくて、ストルガツキーのストーカー(密猟者)です。)

ラストに出てくる監督役は自身が演じ、生意気な予言者の若者がピョートル・バラバノフってクレジットにあったので息子さんなのか?

2013年5月2日木曜日

憲法史・憲法学

英米法を履修したのはずっと前のことで、そのときはとてもおもしろく学んだ記憶がある。
日本法は周知の通り大陸法系なので、英米法はその発想からして新鮮で、戸惑いつつも、これまで知らなかったことに触れるのが楽しかった。

『アメリカが劣化した本当の理由』は、タイトルだけからするとなんかいい加減な印象を持つかもしれない。
が、これはアメリカの憲法史概説なのだ。

いやあ、だいぶ忘れてしまっていた。
というより、私が履修したのは英米法のごく基礎的なところだったから、アメリカ憲法についてはそもそもあまり突っ込んで授業で扱っていなかったのかもしれない。
その後、仕事上その他で独学したこともなきにしもあらず、であったが、この本の大部分の記載に新鮮な驚きを覚えた。まるで今まで一回も習ってこなかったことのような。

一票の格差がものすごいことになっている、というのは知っていた。
それだけでなく、準州(というより非州地域という言い方がこの本ではされている)においては、参政権をはじめとする憲法上の権利が保障されていないという事実には唖然とする。

エカテリーナになれなかった王妃

デンマークという国は映画界ではなかなか健闘している。
でも、デンマークの歴史についてはよく知らなかった。

「ロイヤル・アフェア 愛と欲望の王宮」のヒロイン、デンマーク王妃カロリーネ・マティルデはイギリス王ジョージ2世の孫、ジョージ3世の妹、ヴィクトリア女王の大叔母。
夫となったデンマーク王クリスチャン7世は奇行が目立つ人で、世継ぎが出来た後は夫婦関係は冷えており、王妃は王の侍医として現れた自由思想を持つドイツ人(平民)と禁断の恋に陥り、一時はこの侍医が実権を握って、進歩的な改革に着手して大量の法律を発布するのだが、どうやら行きあたりばったりの面が強かったらしく財政的に行き詰まっていき、保守派のクーデターによって挫折する。二人の恋も最悪の結果に終わる。(としっかりネタバレしているが、実話なので勘弁していただこう。)

時代から言っても、エカチェリーナ2世の即位とカロリーネ・マティルデが王妃となったのは2年違いであり、同時代の人だ。
啓蒙思想を実践するなら、断固として、夫を追い落としてでも自ら実権を握るくらいでなければいけなかったのだろう。

侍医と王・王妃の関係は、ニコライ二世・アレクサンドラ・ラスプーチンのようでもある。

王妃役は先日の「アンナ・カレーニナ」でキティ役だった人。
セルゲイ・ボドロフ作品にも出演しているそうだ(しかも、今年日本でも公開予定だ。)
侍医のヨハン・フリードリヒ・ストルーエンセ役はマッツ・ミケルセン(マス・ミケルセン)。
最近の北欧映画界きってのスターで、よくみかける。「誰がため」で観たのが最初だった。「シャネル&ストラヴィンスキー」ではロシア語をしゃべってピアノも弾いていた(かなり苦労したらしい)。
さすがに渋くていい男です。(が、現実社会ではこの手の男性の良さは私は理解できずスルーしてしまうのだろうな、ついつい若い人に目が行ってしまうのだ。)

あと、ル・シネマでは、もうすぐジェレミー・レニエ映画をやることがわかった。
早速前売り券を買ったのだった。

2013年5月1日水曜日

私は二十歳、だった

久しぶりにお祝いアニメーションを。

Красивая анимация поздравление 1 мая Дети летают в небе на воздушном шаре
BEST-ANIMATION.RU - ЛУЧШИЕ АНИМАЦИИ, АНИМАЦИОННЫЕ КАРТИНКИ, ОТКРЫТКИ ИНТЕРНЕТА

映画「私は二十歳」では、職場の人たちと楽しそうにメーデーを祝う60年代のモスクワの人たちが描かれる。
古き良き時代であろうか。

今では大々的にお祝いはしていないのか。
でも一部リーグのサイトにはお祝いのメッセージが掲載されていた。

С днем весны и труда!

ウファもトルペドも、がんばってはいるのだが。