2013年5月11日土曜日

12人以上の優しいロシア人

手を携えて渡ってくれる人たちがいる。


そうそう、こういう人たち、いるんですよね。
(しかしロシア限定ではないでしょう。そして、ロシアでもこういう人ばかりでもないでしょう。)
私にも何度か経験がある。
車の往来が激しくて、横断するのを躊躇していたら、「一緒に渡ってあげるよ」といって、手をとって(←この動画にあるように) 、向こう側まで一緒に行ってくれる人。
最初は何か下心があるのではないかと警戒し、逃げ腰になってしまったりした。
それでも強引に引っ張って行ってくれる。
あちらの人には「子どもが道を渡るのを怖がっている」みたいに見えるのだろうか?

さて、今日はさらにハートウォーミング系の話題ということで、桑野塾に「忠犬ならぬ地下鉄“ハチ公” モスクワっ子に愛された野良犬の銅像」というお話を聴きに行った。
モスクワは、野良犬というか地域犬というかその辺をふらふらしている犬が多いところで、特に寒さよけになる地下鉄構内に住み着いている犬もかなりいるみたい。地下鉄を乗り継いで駅を渡り歩いて餌にありついているという。
そんな犬の一匹に、メンデレーエフスカヤ駅のマーリチク(坊や)がいた。
人懐こい、可愛い犬だったようだ。
駅員、駅の売店の従業員、通行人から餌をもらっている人気者だったという。
ただ、リアル・マーリチクの画像は探してもみつからなかった。
マーリチクがさらに話題になり、人気者として不動の地位を得てしまうのは、天に召されてからのこと。
マーリチクは2001年に若い女性(モデルだった)によってナイフで刺し殺されてしまう。
彼女は愛犬のテリアをトリミングに連れて行った帰り、テリトリーを侵されたと感じたマーリチクがテリアに吠えかかり、犬同士の喧嘩になったことで、恐怖に駆られて刺殺ということになってしまったらしい。不幸な事件だった。
公衆の面前で人気者の犬が無残に殺されたというので、このことはモスクワっ子たちに非常にショックを与え、マリチクのいた場所には花束と募金箱が置かれ、集まった募金約15000ドルで銅像が作られた。
この銅像の画像はたくさんアップされている。
これを見ると、確かにマーリチクは可愛い。
実によくできた銅像だと思う。
作者のアレクサンドル・ツィガリさんによれば、子どもが寄り添ったりなでたりできるようにという意図もあり、マーリチク像は低い台座で顔を見上げ耳の後ろを掻いている大変親しみやすいポーズをしている。
そして、ツィガリさんの意図のとおり、皆に親しまれている。

 
 
私も、この駅に行くことがあったら、お花を持って撫でてきたい!と切望する。
 
が、発表してくださった新聞記者の方にしろ、桑野塾の参加者の方たちにしろ、こんなに可愛い犬に対しても、さほど感動している風ではなかったのが、私にはとても意外だった。
マーリチクが亡くなった時の話や、殺してしまった女性のことが話されているときに、忍び笑いが起こっていたことにも衝撃を受けた。ちっともおかしくなんかないし、不謹慎ではないか。
マーリチクの像は、マーリチク自身を記念するに留まらず、寄る辺のない動物一般に捧げれれているもので、「Сочувствие(同情)」というタイトルだ。
銅像を建てるための募金集めの発起人には文学者や芸能人などの大物有名人が名を連ねている←ウィキペディア参照が、これだって当然のことだと思われる(ロシアに限らず、他の国でも大いにあり得たことだと私には感じられる)が、皆さんの心象は、どうも「こんなことによくもまあ」みたいなものだったようだ。
う~ん、どうしてだろう?動物と一緒に暮した事ないのだろうか?
「モスクワ駐在時にアフガニスタン帰りの運転手が「人は殺したが、犬は自分には殺せない」と言っていた、というエピソードも、ありがちな話ではある。
 
なお、ロシアにはこのマーリチクの他にも、«涙を誘う犬»のエピソードはある。
一つはサマラ州トリヤッティのベールヌィくん。
マーリチクに先立つ2003年に銅像が作られたこの犬は、渋谷のハチ公みたいな話だが、交通事故で亡くなった主人を事故現場で7年間も待っていたというシェパード。
周囲の人が餌をやったり面倒を看ていたが、その場から保護しようとしても動かなかったらしい。
もう一つは比較的最近のことで、私もこのニュースには覚えがある。
2011年ヤクーツクで、亡くなった雌犬にずっと寄り添っていた雄犬で、映画「HACHI」(リチャード・ギアのあれ。ロシアでも公開された)から「ハチコー」と名付けられた。
 
 発表してくださった新聞記者の方は、マーリチクがこんなにも話題になり、この銅像が親しまれている背景には、ソ連時代へのノスタルジーがあると指摘していた。
マーリチクが生きていた90年代末から2001年頃、ロシア社会はカオスだった。
秩序(ソ連時代にはあった)が崩壊し、助け合ってきた(はずの)人びとは争い合ったり不幸にも見て見ぬふりをするようになった、などと感じている人々(当然年配の人が多い。募金の発起人になった有名人も若い人はほとんどいない)は、テリアの飼い主の女性の行動に激しい反発を覚えたのだった。
 
とまあ、そうは言うものの、「人が自分勝手になった現在」「昔は人情があった」的なノスタルジーはモスクワ、ロシアだけではなく、古今東西存在するものではないか。
冒頭に掲げた親切な人々の映像に対してロシアだけではないだろうと思うのと同様に。


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