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2026年3月7日土曜日

「パレスチナのピアニスト」

 あんなことになってから、より心配が募る。

パレスチナ人の父、ロシア人の母。

せめてロシアにでも留学できないものかと思ったが、ロシアに行っても戦争の影響から逃れられそうにないし。

2022年7月9日イメージフォーラムで。

観た時のtweet。

(録画はない(たぶん放映されていない)のでタイトルは録画メモではない。)

録画メモ:天国にちがいない モロッコ、彼女たちの朝

 ①天国にちがいない エリア・スレイマン

2020年の東京フィルメックスのクロージング作品。有楽町朝日ホールで観た。

その後、2021年1月29日~新宿武蔵野館他で公開。プログラムあり。

②モロッコ、彼女たちの朝

2021.8~シャンテ

モロッコ初の日本公開作品らしい。

うむ、なんかちょうど写真美術館でやっているではないか。

『夜明けの祈り』『モロッコ、彼女たちの朝』『未来を花束にして』の3本って、国際女性デーにあわせてなのかしらん。

マリヤム・トゥザニ監督は後に「青いカフタンの仕立て屋」を作っている人か。

2024年9月23日月曜日

録画メモ:100人の子供が/映画はアリスから

 WOWOWでやっていたドキュメンタリー映画特集から

*映画はアリスから始まった

*100人の子供たちが列車を待っている

これは懐かしい。今は亡きBOX東中野で山形国際ドキュメンタリー映画祭の東京上映で観た、ずっと前のことだ。ラトヴィアの「踏切のある通り、ミシェル・カレフィやアモス・ギタイのパレスチナを巡る作品群・・・懐かしい。


10月からまた山形国際ドキュメンタリー映画祭の諸作品の特集上映があり、なんと「100人の子供たちが列車を待っている」のイグナシオ・アグエロ監督の新作「ある映画のための覚書」も上映されるのだ。今度も鉄道絡みの話のようだ。

カレフィ、いまはクレフィと表記するのか、「石の讃美歌」「ガリレアの婚礼」「ルート181」懐かしい作品もラインナップにある。パレスチナ特集があるからなのだが、厚有状況だから素直に喜べないな。早く、過去のことになって欲しい。

今日もフリーパレスチナのスタンディングに行く。

2023年7月23日日曜日

積読の本棚11

著者 : 平岡泰博
集英社
発売日 : 2003-11-17
2003年日時不明毎日新聞余禄
『砂漠の女ディリー』の続編。
2004年2月16日付赤旗書評欄
この頃アラビア語の勉強を始めたせいだろうか。なぜメモが残っているのか不明。

2022年10月23日日曜日

録画メモ:モロッコ/天国にちがいない

 アラビア語圏の2本

*モロッコ、彼女たちの朝

去年8月の公開時は見逃していた。シャンテでやっていたのか。

*天国にちがいない

こちらはフィルメックスで観た。そのときのつぶやき。

公開時にはパンフレット購入。


2020年8月27日木曜日

シリアにて

 8月22日、夏休みの初日、岩波ホールへ。

「シリアにて」初回、冒頭3分で思い出した。観たことあった。なのでそれぞれの夫のことも記憶に残っていたが終わったら手に汗握ってた。

イスラーム映画祭でしたか?ユーロスペースだった気がする。フライヤーとかの紹介だとあの映画だって全然気がつかなかった。女は辛いよ。まして戦争下だもの。

初回だったから上映前にご挨拶があったけど、岩波で上映する62番目の国となったのがレバノンだそうで。(勿論合作映画である。) しかし今までレバノン映画やってなかったとは意外!

レバノンは文化程度高くて映画産業盛んだった、特にアラブの娯楽映画に関してはエジプトと並んで音に聞くものだったという。レバノンの人は美しいし。戦争で疲弊した時代があったとはいえ今まで岩波ホールで上映していなかったとは信じがたい。私が好きなレバノン映画は何といっても「西ベイルート」素敵な青春映画だ。

れと短編サッカー映画「ナイス・シュート」原題:ملعوبةも好き。というか嫌いなレバノン映画は今までのところない。

まあこの「シリアにて」はレバノンを題材にしたものではないがレバノン人女優のディアマンド・アブ・アブードが熱演していてレバノン健在を示していて嬉しい。

2017年8月13日日曜日

2016年10月1日土曜日

落穂ひろい予定

クレドシアター



クレドシアターのプログラムを読んで「展覧会の絵」「動物たちのカーニバル」の手影絵で何度も楽しませていただいたニコリーナ・ゲオルギエヴァさんが今年亡くなられたことを知る。一つの時代が終わったと感じる。

「外套」
プーク人形劇場にブルガリアのクレドシアター公演観に行った。ゴーゴリの「外套」は2年前の来日公演でも観たけど更に凄い!観客の反応も上々。もちろん満席。
クレドシアター、前回の公演ではフライヤーなんかには「外套」は”Шинел”と併記されていたのに今回は”The Overcoat”になっていて詰まらない。
彼らは現地での言葉での上演をするので日本語の台詞をそっくり音で覚え込む努力をしているのだから、観客の私の方も一語だけでもブルガリア語に触れたい。
「父さんのすることはすべてよし」
こちらも満席。

上演後のミニトークの質疑応答で、質問者は「日本語の台詞覚えるなんて凄い」というのに、両作品とも集中していた感があるが、もちろん凄いとは思う一方、演劇人としては外国語の台詞を丸暗記して演じるということはある意味当然ではないか、とも思う。(しかも質問者が桐朋の学生さんというセミプロだったりしたのだが、「外国語の台詞はとにかく音で覚える」というのはあなたでもそういう状況に向き合うことあるんじゃないのかねと言いたくなった。)

「歌声にのった少年」
主人公のお友達(お姉さんの初恋の人??)の変貌ぶりに一瞬叫び声を挙げたくなる。

2016年4月16日土曜日

壁が立ちふさがる、今まで軽く越えていた壁が

「オマールの壁」初日初回

主人公はパン屋で働き家族を養う。
ベンゼマが、マルセロがとおしゃまな批評をする(銀河集団レアル・マドリーのファンだね)妹が可愛いし、みゃあみゃあ鳴く子猫とじゃれたりもする、それ以上に幼馴染の友人の妹が大好きなオマール。
イラン映画観ていても思うが、西アジアの男の子の恋は初々しい。
そのはずなのだが、この作品は裏切りがテーマ。
占領地の人間関係には、裏切りが蔓延ってゆく。
恋にも友情にも。

オマールみたいに、家族思いで、純情で、働き者で、愛郷心のある、普通の若者が、しかし絶対に幸せになれない。
一方、二十歳そこそこのイスラエル兵たちの心根歪んだ様も、こんなでは彼らだって人間性破壊されて不幸なままだと思わせる。
刑事コロンボか古屋一行似の秘密警察に人だってそう。
誰も幸せになれない、今みたいに抑圧が続くなら、どちらの側も。

ハニ・アブ・アサド監督はスキンヘッド好きなのか?この作品でも「パラダイス・ナウ」でも主要人物は丸刈りだったけど、アダム・バクリさん現在はこんな感じ。
 
 



寡黙ながら雄弁な目。(この写真じゃわからないか。)
役者は天職なんだろうなあ。
主演、アダム・バクリさんは名優ムハンマド・バクリ(イスラエル国籍のパレスティナ人俳優で、オマー・シャリーフみたいに「ほんとはなに人なの?」言いたくなるように南方の濃い顔の役をいろいろ演じてきた人。「カップ・ファイナル」は是非ともまた観たい!)の三番目の息子。
映画中のチェイスシーンもカッコいいし、実際に舞台挨拶に現れた彼はモデルみたいだった。
アゼルバイジャン人を演じたという次作品「アリとニノ」も楽しみ。
インタビューは残念ながらアラビア語でなく英語だった。
(更に「アリとニノ」も英語らしく、残念。アゼルバイジャン人男性とグルジア人女性の恋愛ものらしい。)

「オマールの壁」パンフレット掲載にアダム・バクリさんインタビューによると西岸地区のアラビア語アクセントは彼の話すアラビア語と少し違うそうだ。「君」がエンティみたいに聞こえた。
分離壁が、イスラエルとパレスティナの境にあるだけではなく、パレスティナ自治区内にもあって、土地と人々とを分断しているということを知る。
こんなことをして。
イスラエルはよほど恐れているのだ。
壁がなくなるのにはイスラエル側が変わることが必要だが、彼らはそれが怖くてたまらないのだ。
しかし、イスラエルは一応民主的な選挙をしている国家なのだから、選挙でまともな人たちが多数派になって変わって欲しいと思う。
(彼らの不倶戴天の敵?のイランがある意味そうであるように、頑迷な保守と改革派と穏健保守との間を行き来しながらも正しい道をいつかは選択するようであってほしい。)
一方がもう一方を抑圧し続ける、それに増して国際的にも(表向きは)非難されている、そんなことは全く正義ではないし、自分自身を蝕んでいるということに、どうしたら彼らは向き合えるようになるだろうか?
例えば、南アフリカがアパルトヘイトを放棄するにはどんな道筋を通っただろうか?

オマールの側の問題。
当初は軽々と登れた分離壁(実際には「太陽が隠れるかと思うほど」(アダムさん談)で、かなりトレーニングしたアダムさんでも半分くらいしか登ることができず、上半分を登るシーンはスタントで、「サーカス団の人にしかできない」ほどの、非常に巨大な壁なのだそうだ)が、作品の終盤では思うに任せず滑ってしまい登れない。
2年という年月で身体が衰えた(逮捕・拘禁という身体的に過酷な体験はしている)ということよりも、秘密警察と関わり、内通者として見られる、友人や恋人との信頼関係に罅が入ってしまったという精神的なダメージこそが、彼を向こう側に行くのを阻んているのだろう。
故郷や愛する人々のために、屈託なく考え行動していた時には、まっすぐな心で、壁に向かい、するする登れたのだ…。
そこに赤白チェックの頭巾(アラファトさんがしていたみたいなの)を被った老人が通りかかって、彼に手を添えてくれる。
「パラダイス・ナウ」では、葛藤が最後の最後まで続くけれど。オマールはあるときには吹っ切ってああいう選択、そして行動は迷いなくしたのだろうと思う。

花束手にするアダム・バクリさん

2015年12月13日日曜日

青いターバン

イスラーム映画祭で久しぶりにユーロスペースに行った。

劇映画「禁じられた歌声」とドキュメンタリー映画「トンブクトゥのウッドストック」はマリの古都ティンブクトゥまたはその近郊の遊牧の民トゥアレグ(自称ではケル・タマシェク)についての作品だった。
ケル・タマシェクやトゥアレグというのは初めて聞いた言葉のように思う。が、以前読んだ『アラーの神にもいわれはない』には言及があったかもしれない。衣装には青を好んで用い~やはり砂漠の民だから水は恵みとして青が愛されているのか、と思いきやむしろ空の色との認識であるようだ。で、他のイスラームの民と違って、顔や肌を曝さないような装いをするのはむしろ男性。ターバンで髪と鼻から下を覆い、ゆったりとした長袖の上衣とやはりゆったりしたズボンで体を露出させないようにしている。こういう特徴があるエスニックグループだとは、ほんと、知らなかった。


「禁じられた歌声」を観ていると、ソ連映画(グルジア)「希望の樹」が思い出された。
聖愚者的な女性の存在とか、愛する二人の運命、駆けて来て去って行く人(片や馬、片やバイクに乗っている)など。
「希望の樹」は古い因習・社会が恋人を引き裂く完全な悲恋ものだが、一方の「禁じられた歌声」は2012年1月のマリ北部独立紛争(「アサワド」独立を宣言、国際的には未承認状態)、その後「イスラーム・マグリブ諸国のアル=カーイダ機構」を名乗るいわゆるイスラーム原理主義者たち※によってティンブクトゥが占拠された当時の、その支配あるいは弾圧と、庶民の苦しみそして抵抗という、非常に今日的で社会的な要素てんこ盛りの、重たい映画であるので、単純な比較はできないが、監督はソ連の映画アカデミー出身(全ソ国立映画大学)とのことなので、同じ師匠筋かも?などど想像してしまった。
(ロシア語のウィキペディアを見たが、大学で誰に師事したかの記載はなかった。)

まずもって、映像の美しさは特筆すべきだろう。
ロングショットの多用はタルコフスキーやソクーロフを思わせる。
ああいう人たちが支配する地域では、なぜかサッカーが禁止され、「違反」した少年が処刑されたなんていうニュースも目にしたが、この映画では鞭打ち刑が言い渡される。
音楽やっていて捕まって同様に鞭打ちされる女性は、刑を執行されながらそれでも歌う。
歌って抗議、というより、その心境をそのまま吐露する。
それは壮絶な姿だ。
対し、違反とされたサッカーをそれでも止められるわけがなくて、少年たちがとった手段は”エアサッカー”とでもいうべき、ボールなきサッカーで、あたかもボールを蹴り、ドリブルし、阻み、シュートし、セーブしようとし、ゴールパフォーマンスをし、といったシーンがえも言われぬ美しさで心を打つ。本気で泣けてくる。
いや、実はばればれだろ、という突っ込みはなしで。
(ゴールも撤去した方が安全だよね、とは思った。)

「トンブクトゥのウッドストック」の方は、2011年1月に、ケル・タマシェクの民が一堂に会し、また外部の人々にも自分らの文化の発信をすべく開催された音楽祭「砂漠のフェスティバル」(音楽だけでなくラクダレースなんかもあるが)の、つまり上記の政変やアルカイーダ系の人々による占拠・支配の直前のドキュメンタリーだ。
あ、こういう自らの国家を持たず幾つかの国にまたがって分布する形で遊牧あるいは放浪する人たちが年に一回とか集まって絆を確かめ合うって、見たことあるじゃん、そう、ロマの人たちのあれと似ているかもって思った。
ケル・タマシェクの人たちの音楽は、きっといろいろあるのだろうけれど、音楽祭でやっていたのは、アフリカの伝統的な楽器というわけではなくて、エレキとかドラムなんかも用いながらのものだったりした。
ギターは「禁じられた歌声」でも出てきて、身近な楽器なのだろう。
イランあたりでも聞かれるような、女性の特色ある発声もあった。

(ゲストトークでも、青木ラフマトゥさんが実際にその声を出してくださった。)

※字幕では「サラフィスト」という言葉が当てられていた。


2013年12月14日土曜日

君はどこに行ったの?

「自由と壁とヒップポップ」初日初回に駆け付ける。
上映後に監督の舞台挨拶。
アラブの、パレスティナのヒップポップのグループを撮ったのが女性だとは、挨拶で前に出てくるまで知らなかった。


「この世も捨てたもんじゃない」という言葉には救いを感じるが、現実はかくも厳しい。
映画のパンフレットを読んでも現在の消息が知れないミュージシャンたち、ラミとビラール、PRのメゾとカナアーンはどうしているのか、とても悪いことが起こっているのでは?と暗鬱な気持ちにもなる。

私は普段はラップとか、この手の音楽は聴かない。
だから、音楽としての良し悪しは判断しかねる。
アラビア語がそんなにわかるわけでもないし。
単語がところどころ聞き取れるだけだ。
それでも、彼らをすごく魅力的な人たちだと感じる。
(特にPRのムハンマドさんが素敵だと思う。)

私は、プシーライオットとか、ヴァイナーとか、殊更に反社会的なことを売りにしている人たち、規定や制約を踏み越えること自体に存在意義を置いているかのような人たちには反感を持つ。大嫌い。
(プシーライオットは反プーチンなのではない。アンチ正教なのだ。プーチンでもメドヴェでも、政治権力と結びついた宗教を批判するという姿勢についてはそういう立場もありだと思う(というか正しい)が、人の迷惑を全く省みないような主張の仕方が大人じゃない。)
DAMやPRはそういうのとは違う。アーティストで言えばDJの方がずっと近い。
(あと、「ペルシャ猫を誰も知らない」に出てきたイランのミュージシャンたちより、実力も上のような気がする。あ、イランの彼ら、すごく魅力的で好きですけど。)

「自由と壁とヒップポップ」、是非観て欲しい映画。


そのあと、一つ用事を済ませて、時間ぎりぎりでこちらに。

 「聖なる夜の上映会」@本郷中央教会

 
最近見直しが始まっているバウエルの「瀕死の白鳥」
柳下さんのピアノと新井さんのチェロ
スニークプレビューも楽しかった。
 
でも、ベツレヘムやヤッファや、パレスティナの地の人々のことを思うと聖なる夜も気が重くなる。


2013年12月9日月曜日

スウェーデン→ポーランド→パレスティナ

スウェーデン映画祭は6日に終わって、思いのほかよかった。
私はベルイマンが好きになれず、北欧映画にも「暗い」という苦手意識があったのだが、なかなかよいラインナップだったと思う。
外れはなかった。
(ドキュメンタリーの「パルメ」や数本のコメディー映画など、後日もう少し詳しく書きたい。)

ポーランド映画祭は、「期待ほどではない」とか書いてしまったが、ごめんね。
いいのもあった。
だけど、やはりポーランド派やモラルの揺らぎ派の圧倒的存在感からすると、今どきのポーランド映画は小粒感が否めない。
でも昨日観た「イーダ」はさすが(でも雰囲気はクラシックである)。
今日観た「沈黙」は古典の部類だろうが、傑作。
(欲を言えば、スタシェクが司祭かに焦点を絞った方がよかったようにも思える。)

ポーランド映画祭は、去年もなのだけれど、かなり混む。
DVDは出ているのに、ワイダの作品の上映がある日が特に混む。
立ち見も出る。
そして観客は圧倒的に男性(おじいちゃんたち)で、お手洗いは男性側がずらりと並んでいて、女性は並ばずに済む。
チェコ関連のイベントだと、美大生かデザインスクールの学生かという感じの若い女性が多いのに、ポーランドでは様相が全く異なる。
これは謎。
ポーランド映画でのおじいちゃん率の異常な高さ。
ポーランドにはガーリーな要素が少ないのだろうか?

ポーランド映画祭では毎度同じ予告を見せられる。
ミカ・カウリスマキの新作と、パレスティナ映画「自由と壁とヒップポップ」。
ミカさんの方も観には行くつもりだが、予告編はさすがに観飽きた。
でも「自由と壁と~」(←この邦題は今一つ)は毎回しっかり観ている。
これは必見必聴だろう。
抑圧された社会の中でのサブカルチャーとしてのミュージシャンたちというと、「ペルシャ猫を誰も知らない」(最近出演アーテイストが惨劇に見舞われたことが記憶に新しい)が思い出される。
ロウハニさんが大統領になり、風向きは少しよくなって、彼らの未来も開けてきているだろうか?
それを思うと、パレスティナのミュージシャンたちも、希望を持ち続きて欲しいと思うし、映画を観たり、彼らの曲を紹介したりで、微力ながら何かできたらと思う。

予告編でも紹介されている印象的な曲はこれ。
Dam - Who's The Terrorist? (Meen Erhabi?) Lyrics Video (HD)  ! دام مين إ...
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「誰がテロリスト?」
誰がテロリスト?
俺がテロリスト?
ここは俺の祖国だぜ 
誰がテロリスト? 
お前だよ 
お前が横取りしたんだろ
先祖を殺し 
俺を殺し 
法に聞け? 
敵のお前が 
弁護士で裁判官
それで俺は? 
死刑囚だ
少数派のままでいろと?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



アラビア語はすっかりお休み状態なのだが、アナー(私)やアンタ(お前(男性に向かって))という単語が聞き取れる。
「ミン・ナラービー」の「アラービー」がテロリストっていうことかな?
女性のミュージシャンもなんか魅力的。
普段はラップやヒップポップは効かないが、こういうのにはなぜか惹かれる。


2011年12月29日木曜日

毎年恒例

母と弟とともに、父の墓参。
先にお墓の掃除をしてくださっている方がいた。
雲ひとつないよい天気で、供えた花も青空に映える。
昨年は水道管が凍っていて水が出なくて、管理事務所の水道まで水を貰いに行ったのだが、今年はその点大丈夫だった。
(ただ、管理事務所は年末年始休業になっていたようだ。)

只今、年賀状作成中。
160枚くらい。
秋に撮った写真を使おうかと思っていたけれど、どうもあんまりぱっとしないので、別のパターンにした。

途中で母の年賀状作成を手伝った(というより題材選びからレイアウト、印刷、宛名作成まで私がやった)。
こちらは35枚。

自分の年賀状は印刷し終わって、手書きの一言部分を難儀しながらやっている。

そしてこれも冬休み恒例、アラビア語入門の復習。
今日は3課と4課。
アナー・ヤーバーニー/ヤーバーニーヤ:私は日本人(男性)(女性)です。
マー・ハーザー?:これは何ですか?

まだ年賀状は終わらないけれど、ブログの記事を二つくらい書いて、「一言」はできるところまでやって今日は打ち切りにする。
明日早朝に第一弾を投函しに行く。

そういうわけなので、年賀状は2012年も元旦には届かない見込みです。
皆さますみません、毎度のことながら。

2011年12月28日水曜日

思い出そう

久しぶりにアラビア語を打った。
アッサラーム・アライクムとラー・シュクランを。
短い冬休みに、一日2課ずつやってみよう。

アラブ人の名前
イブラーヒーム:アブラハム
アブドッラー:神のしもべ
ハサン:よい、ハンサムな
ジャミール:美しい
(女性名はジャミーラ)
ユーハンナー:ヨハネ
ジルジース:ゲオルギウス

NHKラジオアラビア語講座「アリフからはじめよう」(2003年秋冬)第7課より

2011年11月27日日曜日

オリーブの木

だれも、悪をもって悪に報いることのないように気をつけなさい。
お互いの間でも、すべての人に対しても、いつも善を行うよう努めなさい。
テサロニケⅠ5-15

Смотрите, чтобы кто кому не воздавал злом за зло; но всегда ищите добра и друг другу и всем.
1-е Фессалоникийцам.

今日の聖句ではなく、説教の中で先生が読まれた句。

礼拝の中で紹介された、パレスチナオリーブの木キャンペーンのカレンダー。
限定20部だというので、急いで買いに行った。
残り2部になっていた!
ぎりぎり間に合い、入手できた。

このカレンダーは、JAI(東エルサレムYMCAとパレスチナYWCA共同のパレスチナ支援活動)が東日本大震災の被災者支援のために無償で提供してくださったもので、売り上げは被災者支援のために寄付されるとのこと。
(カレンダーのほかに、美しいパレスチナのフォトカードも提供を受けた。)
1部500円。

アラビア語と英語との表記で、教会員のTさんが日本語訳をつけてくださった。
震災被災者支援になることについては無論異論をはさむ余地はない。
ただ、本来のパレスチナの人々のためにも、何事かしたくはあった。
それは別個に寄付をする、そしてカレンダーを見つつかの地の人々のために祈りを捧げることで、ささやかな支えとなりたい。

オリーブの木キャンペーン

卓上カレンダーにしては、ちょっと大きめ。
どこに置こうか?
(それを考える前に、いわば衝動買いしたであった。後悔はしていない。)


カレンダー部分と写真・説明文部分が表と裏になるようにできている。
日本語訳によると、3月の頁には水問題が取り上げられている。
元来パレスチナの地は水が不足することはなかったのに、占領者イスラエルは水資源問題でもでもこの地の約四分の三を占領し、パレスチナ側は苛烈な水不足に陥っている。
にもかかわらず、この地ではパレスチナ人は所有地内であっても新たに井戸を掘ることは許されていない。
八方ふさがりの様相を示している。
こんな中で、冒頭の聖句のような「悪をもって悪に報いることのないように」なんて言えるのは、神様だけだ、きっと。

今年の東京国際映画祭で観た「ガザを飛ぶブタ」(観客賞を受賞した)でも、オリーブの木は、パレスチナ人の生活の糧として登場するのだが、インティファーダの報復としてイスラエル側に切られてしまうのだ。
随所にユーモアが盛り込まれた作品ではあったが、こんな切ない場面もあった。
これが現実だ。
なので、キャンペーンで植樹された1500本余り(2011年4月現在)のオリーブも、無事なのだろうか、と気がかりだ。
(この映画のレビューはまだまとめていないが、主人公のパレスチナ人漁師はイスラエル(ユダヤ)人が、その妻をシリア人が、ロシアからの占領地ユダヤ移民をチュニジア出身のフランス人(監督夫人で「100%アラブである」と自己紹介していた)が、自爆テロを勧めるイスラム急進派の民兵?の一人を金髪碧眼のユダヤ系の俳優が演じるなど、俳優が演じる役と実際の民族的ルーツをわざとクロスさせて、いかにもごった煮風の雰囲気を出している、意欲作ではあった。一般公開されるといいのだが。)

アラビア語の月の名前や曜日の名前は、これでばっちりわかるようになりたい!