2010年11月29日月曜日

夢の対決

これがワールドカップ本大会での対戦だと、どちらを応援するかむちゃくちゃ悩ましい問題になるのですが、幸いなことに親善試合です。

Иран покупает сборную России
Сборная России сыграет товарищеский матч с командой Ирана
ロシア代表がイラン代表と親善試合

2010年11月28日日曜日

最終節

ロシアプレミアリーグの最終節。
クルィリヤは勝てば残留。
引き分けだと他の試合次第。
しかし優勝を決めたゼニットが相手。
怖くて見ていられないので、最初はサトゥールン対アラニヤを観ていた(前半)。

しかし、なぜかフルスクリーンにならず、みにくいので、今はロコモチフ対ルビンを観ている。

フペリョート、クルィリヤ!
カリャカ、古巣のために決めてくれ!

※カーリャは決めませんでしたが、クルィリヤは残留決定。
一安心。よかった。
これで2010年のシーズンは終わりました。
カップ戦は関係ないので。

行ったらやっていた

そういうわけで、ユーラシア・サロン『シベリア鉄道』で出されるピロシキ目当てで?三軒茶屋の昭和女子大学に行ったのですが、サロンに向かう前に、あら?こんなものが。



トルストイ没後100年記念 ナターリヤ・トルスタヤ絵画展

ナターリヤさん及びその作品には2008年の春、ロシア大使館でのレセプション、銀座のギャラリーでの作品展でお目にかかっていましたが、こちらの会場では今年の新作も数点あり、またウラジーミル・トルストイさん編集・藤沼貴先生監修のトルストイ博物館(@ヤースナヤ・ポリャーナ)の本などもあって、小規模ながらも充実したものでした。

本が欲しい。
『ヤースナヤ・ポリャーナに佇むL.N.トルストイの屋敷博物館』
ヤースナヤ・ポリャーナ出版社
2010年6月1日刊

日本語であれだけ充実した本は貴重だ。
ヤースナヤ・ポリャーナでは販売されているのだろう。
行きたいなあ。

行ったらいただいた

鉄ではないのだが、実はどちらかというと、寝台車の旅は苦手なのだが(一泊が限度だ)、行ってきたユーラシア・サロン『シベリア鉄道』。

実はこれが目当てだった。


ピロシキです!
挽肉入り。

著者及び経験者のお話によれば、実際にシベリア鉄道に乗って、駅売りなどで入手するピロシキはキャベツ入りが多いとのこと。

今回は机の配置が4人ずつ向かい合わせになっていて、休憩時に話はしやすかった。
でも、机によっては写真が見辛かったかもしれません。

参加者にはその道の大家らしい「先生」が数人。
物流関係の専門的なことにも話が及んでいました。

ピロシキは普通においしかった。
三宿の「サモワール」からのお取り寄せとのこと。
加えて小さなチョコレート菓子を何度も薦められ、そのたびに「はい」と言って受け取り、結局全部いただき、おいしかったが、カロリーが…。

来週は佐藤千登勢先生の『チェブラーシカ』です!

2010年11月26日金曜日

アンドレイ王子

Webアルバム、モスクワ編は、最初の10枚の後、続いていないですね。
今週はたぶんこれまで。

音楽之友社から出た『プロコフィエフ 自伝/随筆集』を読みました。
1964年12月刊行の『プロコフィエフ 自伝 評論』(園部四郎・西牟田久夫訳)の新訳版とのこと。

旧版を読んでみたい衝動に駆られた。
新訳(田代薫)はよくなっているのかどうかわからない。
ベルギー在住の演奏家で、プロコフィエフの本の訳者としてふさわしいとは思えないが、どうしてこの人になったのだろう…。

巻末の作品目録中、オペラ『戦争と平和』の初演データの配役に
「L.ペトロフ(アンドレイ王子)」
とあるんですよ。
アンドレイ王子?!
『戦争と平和』に王子が出てくるか??
訳をした人、小説を読んでいないし、オペラを観てもいないようだ。
たぶん英訳本でプリンスとか書いてあったんだろうけど、アンドレイを王子だと思ってあのオペラを観ていたら、結構な勘違いだと思う。

ロシアの夕刊紙"Вечерная Москва"の訳と思われる箇所が、「ヴェシェルナヤ・モスクワ」だったり、「夕刊モスクワ」だったり、と、訳語の不統一が散見されるところから、もしかしたら下訳をした人が複数いたりするのかもしれません。
しかし、教育人民委員のルナチャルスキーが「ルナシャルスキー」になっていたり、と、どうもчの字を「シャ」行で表記する傾向があって、気になりました。
上記の"Вечерная Москва"も、普通は「ヴェチェルナヤ・モスクワ」になろうかと。

あと、歴史用語にも相当疎いです、この人。
特にロシア革命~内戦期の記述(80ページ)で、
「シベリアを列車で横切ることがどれだけ危険だったかがわかったのは、それから長いこと経ってからだった。あるときわたしたちはチェコスロヴァキア軍隊の貨物車に長いこと移動を阻止された。やっとチェコスロヴァキアを通過することが許されるとすぐに、わたしたちの背後で国境門が閉まった。」
これを読んで、自分でわけわからなくなっていないかと思いました。
シベリアを通っているのに、なぜチェコスロヴァキアか?と疑問に思わないのだろうか。
(どうでもいいのだろうか)
白衛軍、もしくは白軍のことも、「白ロシア軍隊」とか誤解を招きかねないような訳語になっていました。

…こういうところにこそ、註をつければいいのに。

加えて、「原注」が誰の手によるものなのかが明らかにされていないけれど、なんか結構価値観の加わった記述です。
プロコフィエフ財団によるもの?

かなり重箱の隅をつつくような指摘になってしまいましたが、プロコフィエフの作品はちゃんとチェックしてよ、という思いが強いです。
「アンドレイ王子」にショック!

『プロコフィエフ 自伝/随筆集』
『プロコフィエフ 自伝 評論』

プロコフィエフの伝記なら、これが一押しです。
子ども向け。
『プロコフィエフ―音楽はだれのために? (作曲家の物語シリーズ)』

2010年11月24日水曜日

期待の若手選手トップ30

ТОП-30 самых перспективных российских игроков до 1990 г.р.
「将来が最も嘱望される1990年以降生まれのロシアの選手トップ30」
という記事がありまして。

パート1(2010年8月12日付)が30位-16位。
パート2(2010年9月2日付)が15位-1位。

これを「12の椅子」での文法解説・和訳のテキストに使おうかと、一瞬思ったのですが、読んでみると、あんまりふさわしくないのでした。

というのは、記事を読んだだけではわけがわからない、という記述が多いのです。
選手名・所属・生年月日・ポジションはデータとして最低欲しいところで、加えて今シーズンの成績とかこれまでの来歴とか出身地とかその他の情報も、と行きたいところですが、生年月日はリスト上の誰のも載っていないし、あんまり親切な記事じゃない。

リストとしては有用だと思うので、あとは自分で調べます。
気になった選手の部分を「12の椅子」に載せる、という方式にしようかと考えています。

というと、「掘り出し物」の選手じゃなくて、ある程度名の知れた選手に偏る可能性大ですけど。

30. Александр Столяренко(ЦСКА).
  アレクサンドル・ストリャレンコ(ツェスカ・モスクワ)
  1991年1月18日生まれ、ノヴォシビルスク州ズドヴィンスク出身。MF(背番号46)。父称アレクサンドロヴィチ。

29. Виктор Свежов(Динамо М./Томь).
  ヴィクトル・スヴェジョフ(ディナモ・モスクワ/トミ・トムスク)
  1991年5月17日生まれ、モスクワ州クラスノゴルスク出身、MF(背番号75)。父称ウラジミロヴィチ。

28. Тарас Бурлак(Локомотив).
   タラス・ブルラク(ロコモチフ・モスクワ)※
※2009年よりヴォルガ・ニージニー=ノヴゴロドにローン移籍中
  1990年2月22日生まれ、沿海州ウラジオストク出身、DF(背番号99)。父称アレクサンドロヴィチ。

27. Сергей Емельянов(Шахтёр Украина).
  セルゲイ・エメリヤノフ(シャフチョール・ドネツク(ウクライナ)と、書いてあるのだが、
  セルゲイではなく、Роман Емельяновロマン・エメリヤノフではないだろうか?!
チェルシーのサッカーアカデミーに通ったという経歴も一致するし。
だとすると、現在シャフチョールからザリャ・ルガンスク(ウクライナ)にローン移籍中です。
  1992年5月8日生まれ、ニジェゴロツカヤ州パヴロヴォ出身、MF(背番号15)、父称パーヴロヴィチ。
  拙ブログ並びに引っ越し前のブログでも時々取り上げた、某富豪のお気に入りと噂されている若者。

26. Алексей Померко(Амкар).
  アレクセイ・ポメルコ(アムカル・ペルミ)
  1990年5月3日生まれ、ゴロドヴィコフスク出身、MF(背番号11)、父称セルゲエヴィチ。トルペド・モスクワ→アムカル・ペルミ

25. Руслан Камболов(Локомотив).
  ルスラン・カムボロフ(ロコモチフ・モスクワ)
      1990年1月1日生まれ、北オセチア・アラニア共和国ウラジカフカス出身、DF(背番号44)、父称アレクサンドロヴィチ。

24. Максим Шумайлов(Амкар/Тюмень).
  マクシム・シュマイロフ(アムカル・ペルミ/FKチュメニ)
  1990年5月2日生まれ、GK(背番号31)、父称アレクセエヴィチ。
  黒髪で、…タイプかも…。

23. Эмин Махмудов(Сатурн).
  エミン・マフムドフ(サトゥールン・ラメンスコエ)
  1992年4月27日生まれ、アゼルバイジャン共和国サアトリンスキー地区クラスノセリスコエ出身、MF(背番号67)、父称ジャブライル=オグルィ(Джабраил огры)。

22. Басель Абдулфаттах(Зенит).
      バセリ・アブドゥルファッタフ(ゼニット・サンクト=ペテルブルグ)
  1990年3月6日生まれ、シリア系ロシア人。DF(背番号47)、父称マンスール(Мансур)。

21. Ибрагим Цаллагов(Крылья Советов).
  イブラギム・ツァルラゴフ(クルィリヤ=ソヴェートフ・サマラ)
  1990年12月12日生まれ、オセチア人、MF(背番号47番)、父称ユーリエヴィチ。

20. Виталий Чилюшкин(Сатурн).
  ヴィターリー・チリュシュキン(サトゥールン・ラメンスコエ)
  1990年1月21日生まれ、モスクワ州オレホヴォ=ズエフスキー地区カバノヴォ村(Кабаново,Орехово-Зуевский район Московская область)出身、GK(背番号33)、父称セルゲエヴィチ。
  正GKのキンスキーの怪我、代役レブロフが一発レッドの退場で、急遽プレミアデビューとなったゼニット戦では緊張のあまりぴりぴりしている様子がいかにも健気でしたが、その次のロコモチフ戦で何とチームの今季初勝利に大貢献の無失点!
179㎝の身長は決して恵まれたものではありませんが、ベテランの多かったサトゥールンの、それこそ期待の星です!!
参照:今週のデビュタント

19. Юрий Кириллов(Динамо М./Алания).
  ユーリー・キリルロフ(ディナモ・モスクワ/アムカル・ペルミ)
  1990年1月19日生まれ、ウファ出身、MF(背番号42)、父称ヴャチェスラヴォヴィチ。
  ヒムキ→ディナモ→ローン移籍でアムカル。

18. Ника Пилиев(ЦСКА/Амкар).
  ニカ・ピリエフ(ツェスカ・モスクワ/アムカル・ペルミ)
  1991年3月21日生まれ、トビリシ(グルジア)出身のオセチア人、7歳の時に家族とソチに移住。
  MF(背番号70)、父称コンスタンチノヴィチ。
  ロコモチフ・モスクワ→ツェスカ・モスクワ→ローン移籍でアムカル・ペルミ。

17. Артур Нигматуллин(ЦСКА).
  アルトゥール・ニグマトゥリン(ツェスカ・モスクワ)
  1991年5月17日生まれ、GK(背番号77)、父称エドゥアルドヴィチ。
  時折疑問が投げかけられるが、同姓の元ロシア代表GKとは親戚ではないようだ。タタール人にはよくある苗字みたい。
  なぜかドーピングに引っかかって、半年間くらい出場停止になっていたように思う。

16. Дмитрий Каюмов(Спартак М.).
  ドミトリー・カユモフ(スパルターク・モスクワ)
  1992年5月11日生まれ、MF(背番号37)、父称イゴレヴィチ。

15. Евгений Башкиров(Зенит).
  エヴゲニー・バシュキロフ(ゼニット・サンクト=ペテルブルグ)
  1991年7月6日生まれ、MF(背番号69)、父称オレゴヴィチ

14. Магомед Оздоев (Локомотив).
   マゴメト・オズダエフ(ロコモチフ・モスクワ)
  1992年11月5日生まれ、グローズヌィ出身、MF(背番号27)、父称ムスタフィエヴィチ、チェチェン人(イングーシ人という情報もあり)。
  アングシュト・ナズラニ→テレクD→ディナモ・キエフD(ウクライナ)→ロコモチフ・モスクワ
  ディナモ・キエフからロコモチフにはショーミンさん絡みだったらしい。

13. Олег Шатов (Урал).
  オレグ・シャトフ(ウラル・エカテリンブルグ)
  1991年7月29日、ニージニー・タギル出身、MF(背番号27)、父称アレクサンドロヴィチ。
  
12. Александр Зотов (Спартак М.).
  アレクサンドル・ゾトフ(スパルターク・モスクワ)
  1990年8月27日生まれ、ハカシヤ共和国アクシス(シベリア)出身、MF(背番号20)、父称ウラジミロヴィチ。

11. Антон Соснин (Зенит).
     アントン・ソスニン(ゼニット・サンクト=ペテルブルグ※)
  1990年1月27日生まれ、MF(背番号53)、父称ヴァシリエヴィチ。
  ※現クルィリヤ=ソヴェートフ・サマラ所属
     ※2010年12月10日付でクルィリヤに正式に移籍

10. Павел Яковлев(Спартак М.).
  パーヴェル・ヤコヴレフ(スパルターク・モスクワ)※
  1991年4月7日生まれ、モスクワ州リュベルツィ出身、MF/FW(背番号91)、父称ウラジーミロヴィチ。
  ※現クルィリヤ=ソヴェートフ・サマラ(2010年8月20日よりローン移籍)
  クルィリヤに移籍してから4ゴール。この子のおかげでクルィリヤは降格しないで済んだ、とも言える。孝行息子だが、「養子」なので、スパルタークに帰りたいそうだ。あ、そう。
  ※2010年12月1日記:ФНКの今シーズン最優秀若手選手に選ばれました。おめでとう!

9. Фёдор Смолов(Динамо М./Фейенорд Голландия).
  フョードル・スモロフ(ディナモ・モスクワ/フェイエノールト(オランダ))
  1990年2月9日生まれ、サラトフ出身、FW(背番号24)、父称ミハイロヴィチ。
  ディナモ・モスクワ→フェイエノールト(オランダ)へローン移籍。
  2008年グラナトキン・メモリアルトーナメントに出場し、大会得点王となる。
  2009年夏にはレアル・マドリードが関心を示す。
  現在オランダのフェイエノールトにローン移籍中。
  ※2010年12月、期間満了でディナモに帰還。

8.   Александр Кокорин(Динамо М.).
  アレクサンドル・ココリン(ディナモ・モスクワ)
  ニックネームは「ココラ」、結構アイドルです。
  1991年3月19日生まれ、ヴォロネジ出身、FW(背番号99)、父称アレクサンドロヴィチ。
  ユースではロコモチフ所属だったが、2008年ディナモ・キエフに移籍。17歳でプレミアデビュー(サトゥールン戦であった)。

7.   Максим Канунников(Зенит).
  マクシム・カヌンニコフ(ゼニット・サンクト=ペテルブルグ)
  1991年7月14日生まれ、ニージニー・タギール出身、FW(背番号99)、父称セルゲエヴィチ。

6.   Георгий Щенников(ЦСКА).
  ゲオルギー・シチェンニコフ(ツェスカ・モスクワ)
  1991年4月27日生まれ、モスクワ出身、DF(背番号42)、父称ミハイロヴィチ。
  父親のミハイルさんは競歩のスポーツマスター。1996年オリンピックの銀メダリスト。
  DFの若手は貴重!ロシア代表の未来がその肩にかかっているよ!!
  2009年ロシアプレミアの最優秀若手選手。

5.   Александр Козлов(Спартак М.).
  アレクサンドル・コズロフ(スパルターク・モスクワ)
  このリストの選手でも最も若い、1993年3月19日生まれ、モスクワ出身、FW(背番号49)、父称セルゲエヴィチ。
  2010年4月25日対スパルターク・ナリチク戦でロシアプレミアデビュー。

4.   Александр Меркель(Милан Италия).
  アレクサンドル・メルケル(ミラン(イタリア))
  このリストで唯一ロシア国籍を持っていない選手。
  1992年2月22日生まれ、アルマ・アタ(カザフスタン)出身、MF(背番号52)、父称ヴァシリエヴィチ。
  「ソヴィエト在住ドイツ人」の家庭に生まれ、6歳の時に家族とともにシュトゥットガルトに移住し、ドイツ国籍取得、これまではドイツのユース代表で活躍。
  16歳の時にアレクサンドル・フレブのエージェントの助けを得てミランに加入。
  ロシア代表入りの希望を表明している。
  ミランでは今シーズン未だトップリーグでの出場機会はないものの、CLの選手リストには載っているので、今後カップ戦では登場してくるかもしれない。  

3.   Денис Черышев(Реал Испания).
  デニス・チェルィシェフ(レアル・マドリード(スペイン))
  1990年12月26日生まれ、ニージニー・ノヴゴロド出身、FWまたはMF(中央・左)、父称ドミトリエヴィチ。
  父親はロシアの有名なサッカー選手であるドミトリー・チェルィシェフ。
  6歳の時にスポルティング・ヒホンの下部組織に入り、その後ブルゴス、レアル・マドリードのそれへと移った。

2.   Алан Гатагов(Локомотив).
  アラン・ガタゴフ(ロコモチフ・モスクワ)
  1991年1月23日生まれ、北オセチアのウラジカフカス出身、MF(背番号81)、父称マラトヴィチ。
  弟ソスランもロコモチフの選手。

1.   Алан Дзагоев(ЦСКА).
  アラン・ザゴエフ(ツェスカ・モスクワ)
  1990年6月17日生まれ、北オセチアのベスラン出身。MF(背番号10)、父称エリズバロヴィチ。
  2008年のロシアプレミアの最優秀若手選手。  

このうちザゴエフ、エメリヤノフ、ストリャレンコはユーリー・コノプリョフ名称サッカー・アカデミーというサッカースクールの出身です。
HPによれば、FKトリヤッティとFKアカデミアと、二つのユースクラブを擁するらしい。
キリルロフもウィキペディアにはアカデミア出身と書いてあるので、HPの「我らがスター」欄には、可哀想に挙げられていなかったけれど、コノプリョフ出身ということになりそうです。

2010年11月23日火曜日

アホイ!絵本原画と人形劇

千葉市美術館まで、とにかく遠い!
駅(JR千葉駅)からもちょっとあります。
が、モノレールは高いし、モノレールの駅だって間近と言うわけでもないので、千葉駅から歩きました。
但し、モノレールの駅まで上がって行って、定期券売り場で、展覧会の前売り券を買ってから。

千葉駅前にはこんなものが↑
一緒に行った母が紙吹雪が落ちてないかチェックしていましたが、さすがにきれいに片づけられていました。
さすがマリーンズファン。

千葉駅前の掲示板にありました。
が、そんなに宣伝はされていなくて、ひっそりしていました。
モノレールの駅の売り場にはポスターもチラシも案内も何もなく、ほんとに売っているのかな?という雰囲気でした。

さて、駅前通りをてくてく歩き、思ったよりずっと小さかった公園の傍らを通り、まだまだ歩いて「広小路交差点」まで来て、曲がって中央市役所・千葉市美術館前にやってきました。

開館15周年記念
世界の絵本がやってきた
ブラティスラヴァ世界絵本原画展チェコの人形劇展


隔年開催で野間コンクールと入れ替わりに開かれている、ブラティスラヴァの世界絵本原画コンクールの入賞作品の原画。
2009年はスペインのタシエスさんがグランプリでした。
暗い色調で力強い輪郭を持つ絵。
はっきり言うと不気味で、一見子ども向けではないかも。
戦争反対を訴えているという。

金のリンゴ賞
ベラルーシのパーヴェル・タタールニコフさん『アーサー王物語』とロシアのボリス・ザビローヒンさん『ロシアの昔話集』はゴージャスで、これまた子ども向けには思えない。
というか、豪華で誰が買うのか?という気もする。
絵は結構好き。
図録に本自体が掲載されていないのが残念。
(展覧会の会場には展示してあります。)
『アーサー王物語』は何故英語本なのだ??

スロヴァキア勢健闘とのことだったが、特に私が気に入ったのはマルチナ・マトロヴィチョヴァーさんの『トレーシーの虎』。
ウィリアム・サロヤン原作。
うーん、こういう子ども向けのものも書いていたのか、サロヤン。

日本作家の作品はなぜか猫多し。
あべ弘士さんの『ねこのおいしゃさん』
ささめやゆきさん『だんまり』
高畠純さん『どうするどうするあなのなか』

人形劇の方は、展示がシンプルすぎて工夫が足りないように思えました。
チェコの人形って、ヤン・シュヴァンクマイエルの作品にもよく登場するけれど、まともに無気味ですよね。
可愛くない。
のが圧倒的。
そういう糸操り人形が単にずらずら吊るされて展示されています。
頭部に棒がついているだけの、本当に単純な作りの操り人形もあります。

家庭用の人形劇場セット。
自分で手作りしましょうタイプのものやら、緞帳や背景を取り換えられたり、上下の照明付きのものやら、なかなか面白い。
これ、あちらではほんとうに一家に一つ(以上)あるものなんです。
キエフの洞窟修道院の敷地内にあった演劇博物館にも、こういうもの(もっと大きい)がありました。

かつて、黒田龍之助先生は「ああいう人形が家の中にあったら、私は嬉しくないです」とおっしゃっていて、確かに瀬名先生が絵本に描くようなキャラとは全然違うわけだけど、うちには普通にこういうのあったなー。
ズデニェック・ポドフルスキーの人形だったら。
スペイブルとフルヴィーネクの糸操りは、ごく小さいものを、母の同僚の方からチェコのおみやげにいただいていたのに、子どものことだから私と弟はさんざん乱暴に扱って、手の部分が伸びきってしまっています。
ごめんね、お二人。
展覧会場にあったのはかなり大きいサイズのものでした。

イジー・トルンカの人形は、伝統的なチェコの人形と比べると、すごく可愛らしい。
一つ一つアニメーション作品が思い浮かんで懐かしい。
そして川本喜八郎先生。
先生はやはりポヤルとともに、トルンカの正統な筋だ、と感じます。

最後の体験コーナーには、やはり操演のプロが常時いてほしかったな。
千葉には立派な人形劇俳優がたくさんいるんだから。

ミュージアムショップはあまり充実していません。
というか、この展覧会自体、商売っ気は全くありません。
展示された原画の絵本もあんまり売っていませんし、絵はがきは全くありません。
図録も上述したように、絵本自体の写真が載っていないので寂しいです。

展示数はまあ普通ですが、じっくり観ていくと、そのうち時間がなくなり(何せ遠くから来ているので)、人形劇映像上映(40-50分)が観られませんでした。
だから大変だけど、また行こうかなあ。
(二回観に行くなら、実は年会費払って会員になった方がお得。)
会期は12/5(日)までだから、苦しい・・・。

巡回する来年のうらわ美術館でも同じ映像を上映するのだろうか???

野間コンクールでは、大挙応募して、必ず入賞するイランからは、今回は入選作はなかったようで、ファルシド・シャフィエイさんの『お砂糖でできた人形』の絵本の展示があっただけでした。
表紙を観ただけですが、よさそうでした。
既視感はありますが。

中東欧備忘録1

以前、紙媒体で旧ソ連圏関係の書籍・演劇・映画情報を出していた頃、みやこうせいさん(ルーマニアやモルドヴァのことを「我が国」とおっしゃる)に、
「ソ連圏だけですか?東欧圏は?」
と聞かれた(というか要求された?)のだけど、うーーーーーーっ!
ソ連圏だけでも十分大変なんですよ、というのが正直な感想です。
もちろんできれば書きたいんだけど。

あと、実質的に「利益相反」になる場合も少なくないし、ですね。
(それは旧ソ連圏内でもそうなのだが。)

そんなわけで、中東欧まで手は伸ばせませんが、自分用の備忘録です。

『ボヘミアの不思議キャビネット』
マリー・ルツコスキ著東京創元社
ファンタジー。16世紀プラハ。

『それでも人生は美しい 物理学者のいた街4』
太田浩一著東京大学出版会
↑はエトヴェシュ(ハンガリー)を扱った章に出てくる。
言わずと知れた映画「太陽の雫」の台詞だ。
原爆製作にかかわったシラードなども。

『わたしは英国王に給仕した』
ボフミル・フラバル著河出書房新社
主人公、やっぱり祖国の裏切り者なのであって、あんまり好きになれないなあ。
『あまりにも騒がしい孤独』の方が好き。
映画の方も、「スイート・スイート・ビレッジ」「厳重に監視された列車」とセットのBOX販売だったから持っているけど、必ずしもお薦めではない。

サーシャ・リューシャ・ユーラ・コースチャ

このところ、「孝行息子」や「首相の息子と呼ばれて」へのアクセスが多いなあと思っていたら、ミランの期待の若手(らしい)アレクサンドル・メルケルくん、ドイツU19代表で試合に出てゴールを決めたらしいです。

去年のスポルト・エクスプレスのインタビューでは、「もうドイツ代表には出ない」と言っていたのですが、いまだロシア国籍も取得できておらず(ソヴィエツキー・スポルト2010/11/2の記事による)、先行き見えないから不安なんだろうなあ…。

かのソヴィエツキー・スポルトの記事「アレクサンドル・メルケル(ミランMF)『夢見るロシア代表でのプレイ」には、メルケルのような旧ソ連圏出身でドイツに移住したサッカー選手たちが何人か挙げられています。

*アンドレアス・ヴォルフ(ニュルンベルク) 28歳・センターバック・8試合2得点
*ユーリー・ユット(ニュルンベルク) 24歳・攻撃的MF・9試合0得点
*コンスタンチン・ラウシュ(ハノーヴァー) 20歳・レフトバック・9試合2得点
*アレクサンドル・メルケル(ミラン) 18歳・MF(中央)・今シーズントップリーグでのプレイはなし。
うち、ヴォルフについては、簡単なインタビュー記事がついています。
「許可があれば(ロシア代表でのプレイを)考えてみるだろう」

また、ユーリー・ユットについては、カザフスタン・サッカーのサイトにインタビューがありました。
http://www.sports.kz/news.php?type=main&id=0000005942&st=10
カザフスタンのカラガンダ出身。

ヴォルフはタジキスタン出身で、ドイツ移住前から親にドイツ語を習っていて、今ではロシア語は忘れてしまった、そのうち娘(1歳半)の方がロシア語が上手くなるだろう、と言い、しかしそれでもロシア代表のお誘いがあったら考えてもいい、という反応です。

同じクラブで4歳年下のユットは、ロシア語は勿論話せるけど、ドイツ語で話す方が楽、ヴォルフともドイツ語で話すし(ヴォルフがロシア語を苦手としているので当然と言えば当然ですが)、という感じです。

ラウシュについてのインタビュー記事はまだ見つけていませんが、当然のようにドイツU代表に出ています。
彼はシベリアのトミ州コジェヴニコヴォ出身。

メルケルは「ドイツじゃなくてロシア!」とこだわっていますが、他の人たちはそれぞれ事情や心意気は異なります。
彼らの心境について、ぼちぼち「12の椅子」で訳すかも知れません。

というのは、「アレクサンドル・メルケルの両親はロシア人」という情報がどこかに流れていて、おそらくそれは正しくないものだからです。
メルケルの親はやはりヴォルガ・ドイツ人だと思う。

ソヴィエツキー・スポルト:http://www.sovsport.ru/gazeta/article-item/416728
スポルト・エクスプレス:http://football.sport-express.ru/reviews/2222/

2010年11月21日日曜日

運命の30節へ

サヴィンのゴールを守り切って勝ったんだけど、他も勝っちゃったからなあ。
"КРЫЛЬЯ СОВЕТОВ" ОСТАЮТСЯ В ОПАСНОЙ ЗОНЕ.

頼むよ、アウェイでゼニット戦だけど。
あちらは既に優勝を決めている。
カップ戦が残っているから、お手柔らかにといきたいところ。
とにかく勝て!
勝てばいいのだ。
というか、勝たないとだめ!

11/28(日)14:00(日本時間20:00)
ディナモ・モスクワ対 スパルターク・モスクワ
テレク・グローズヌィ対シビリ・ノヴォシビルスク
ロコモチフ・モスクワ対ルビン・カザン
サトゥールン・ラメンスコエ対アラニヤ・ウラジカフカス
カーリャ、お願い。
クルィリヤを助けて!!!

トミ・トムスク対ロストフ・ロストフ=ナ=ドヌ
ゼニット・サンクト=ペテルブルグ対クルィリヤ=ソヴェートフ・サマラ
スパルターク・ナリチク対アンジ・マハチカラ
ナリチク、フペリョート!!!!
アムカル・ペルミ対ツェスカ・モスクワ
応援したような、したくないような、アムカル。

8月23日

ウェブアルバムがようやく8月23日のモスクワに入りました。
この日はモスクワ観光でした。
赤の広場やらクレムリンやら。
そして午後はセルギエフ・ポサードへ。

この日、川本喜八郎先生が亡くなっていたことは、帰国後すぐに母から知らされました。
諸葛亮孔明の没した日でもあるとのこと。

父を失った後も、同居していたわけではないので、比較的すぐに日常に戻った(ような気がしていた)。
けれど、川本先生が旅立たれてしまって、今度こそほんとうに、父を永久に失った気がする…。

昨日は川本先生を偲ぶ会が行われました。
父の写真とともに、出席し、川本先生を偲びました。

『三国志』『新・平家物語』の人形たちと

諸葛亮孔明

関羽

劉備玄徳

張飛(と劉備)
新・平家物語の人形たち


人形たちのご挨拶(三国志名場面集の操演がありました)

諸葛亮孔明(操演は中国の劇団の方です)

曹操



こちらはお持ち帰りのお品。
北陸製菓のライチゼリーのおまけのフィギュアだそうです。
曹操と呂布。

「空に太陽や月があるように、川本先生の人形がこの世に存在しているのが自然だったのだけれど、それはとっても凄いことだったのだ。」(不正確な引用)
と、ある方が書かれていましたが、同感です。

ありがとうございました。

2010年11月20日土曜日

モスクワの始まり

やっと、旅行の写真がモスクワになりました。
最初の10枚アップ。
クレムリンに着いたところ。

2010年11月17日水曜日

苦手な感嘆文

黒田龍之助先生の元で、ロシア語のイントネーションのレッスンを受けていた時のこと。
平叙文や疑問文はまあまあなのだが、感嘆文は今一つというご指摘を受けた。

本物のロシア人みたいに、きれいにイントネーションがつけられないのは、彼らの感情の発露を、日本人の私としては何だか大袈裟に感じて、恥ずかしくなってしまうから、というのがあります。

「なんて綺麗なの!」
「なんと偉いんでしょう!」
とか、そんなことでそんな風に言わないよ、いちいち、みたいな。
日本人の場合、もう少し、語彙が限られているのだ。
「えー、すごーい!かわいいー!!」程度に。

それはともかく。
本日のラジオ講座でヴィーカさんがおっしゃっていたことによると、
Какая прелесть!(なんてすてきなんでしょう)は、「ハンサムな男性を見た時にも使う」
そうなので、是非どんどん使いたいです。
(男性でも使うけれど、女性が使う方が多いともおっしゃっていました。)
Какой молодец!(なんて偉いんだ!)
は、早速使えますね。
というか、マラジェッツやマラッツィは普通に使っているけど。

U21の試合で、ロシアはアウェイでフランスに勝利。
得点したのはアラン・ガタゴフ。
Какой молодец!
零封したGKのザボロトヌィもね!

二都の夜景

夏のロシア旅行の3日目の写真がようやくウェブアルバムに。
午前中ツァールスコエ・セローのエカテリーナ宮殿、午後はペテルゴフの下の公園の噴水見学、それから夕食で「ロシア村」という少々子ども騙しみたいなアミューズメントパーク内の民族料理のレストランへ。
この旅全体が強行軍だった中で、ペテルゴフからロシア村に着いたのが6時ごろ、夕食は7時にならないとレストランが開かないらしく、このロシア村でぽっかりと時間が空いてしまった。
少々の遊具(一応古代ロシアゆかりのものらしくしている)、体験施設(織物とか鍛冶屋とか)、ちょっとした牧場っぽいもの(いたのは羊とリスと鶏)、それにお土産屋さん。
まあ、正直言ってたいしたことなかった。
切手も売っていなかったし。

その後プルコヴォ空港へ。
21:30頃着き、この時点では辛うじて日の名残りがありましたが、飛行機に乗り込む頃には月が昇り、夜の気配。
そして22:30に飛び立った時。
ペテルブルグの夜景が飛行機の窓から眼下に広がっていました。
街の灯りが華やかに煌めき、ほんとうは写真を撮りたいところだったのですが…。
離陸時の機器使用にひっかかりそうだったので、断念しました。
隣席が添乗員さん(おっかないタイプ)だったということもありますが。

そしてモスクワ。
モスクワの街の灯。
あれがクレムリン。
と、はっきり見て取れる五角形、その周りの光の環がサドーヴァヤ・カリツォー、その外側にまた環状道路。
地図のままに黄金色の光が、それはもう美しく輝き、「翼よ、あれがモスクワの・・・」みたいなことをつぶやくたくなるくらいでした。
こちらも写真に撮りたかったけれど、やはり隣の添乗員さんがおっかなかったので撮らなかった…。
実際の着陸まではかなり時間をかけてモスクワの空を旋回していたので、チャンスは結構あったんですよね。

モスクワのドモジェヴォ空港に着いたのが23:30頃。
ここからヒムキ方面のホテルまではモスクワをほぼ縦断して北上すること約2時間。
長い一日が終わり、4日目はいよいよモスクワです。

ペテルブルグ・モスクワとも、空から観た夜景はいいようもなく美しかった!
写真に残せなかったのは残念ではありますが、目の裏にしっかり留めて思い出すようにしたいです。

2010年11月15日月曜日

ペテルゴフ、終了!!

終わった、終わった!



いたずら噴水や
ローマの噴水
トリトンの噴水

3日目もあと少し。

2010年11月14日日曜日

黄金時代の絵本

上野・国際子ども図書館




「絵本の黄金時代 1920-1930年代 子どもたちに託された伝言」展
1.アメリカの1920-1930年代の絵本
2.ソヴィエトの1920-1930年代の絵本
3.黄金時代への道 と称して「黄金時代」前史、ジャポニズム、モダニズム、日本の絵本
4.フランスの1930年代の絵本
5.日本への伝承
6.美術家の絵本
だいたいこんな構成。

アメリカの絵本には猫がたくさん出てくる。
ガアグの『100まんびきのねこ』↑にとどめをさすけど。
移民作家たちにはハンガリーのミシュカ・ピーターシャム、ロシアのフェードル・ロジャンコフスキー、アーチバシェフら。
北欧からの画家・作家もいる。
この時代のことなので、<Our Lenin>なんて絵本も作っていたのですね。
ポタムキンというのはロシア人っぽい名前だけど。
この時期出版社の担当者には女性が多かったようだが、良家のお嬢様が名門女子大を卒業後の進路として、出版社の児童文学担当、という流れがあったという話。


ソヴィエト編は、まさに「ソヴィエト」部分はまあまあだった。
最初の方、ウラジーミル・レーベジェフ、ウラジーミル・マヤコフスキー、ウラジーミル・コナシェーヴィチと、偶然にもウラジーミルさんが3人並んでいた。
充実してはいたけど、先行のロシア絵本の展覧会で観たものが多く
←これの『ロシア児童文学の世界』など。

(ポスターになるなど、一応この展覧会の目玉であろう『海と灯台についての私の本』↓は初見だろうが)、既視感強し。

 そして、内側の展示「ロシア絵本の歴史」部分は、悲しいほど空白が目立った。
ビリービンの本が並べられているだけ…。
もっと少し工夫が必要では?

3.ではビリービンとリシツキー。
また、フランス部門にロジャンコフスキーがいっぱい。
あとエクステルも。

6.はミロとローランサンです。


また噴水。
ペテルゴフじゃなくて、上野の公園のです。

バテー、5連覇

残り1節残し、バテー・ボリソフ優勝、ベラルーシ王者に。

そして、バテーのHPによると、ボリソフに2012年完成予定で新スタジアムができるそうです。
今のスタジアムはFIFAの(UEFAのも)基準を満たしていないからと、ヨーロッパカップ戦などの試合を行えず、バテーはCLやELのホームゲームをミンスクのスタジアムで行っていたのでした。
ミンスクのって、ライヴァルチームのスタジアムですよ。
アウェイみたいなものです。

新スタジアムが完成すると、ボリソフでホームゲームができます。

2010年11月13日土曜日

96点目

昨日の対アムカル・ペルミ戦。
1点先制、追いつかれ1-1になって、67分。



美しい。
彼らしいミドル。
ちょっと疲れたようなおっさんぽいゴール後パフォーマンス。
スタジアムのナレーターが「アンドレーイ・カリャーカ!」と観客とともに。
でも、このあと追いつかれて、試合は引き分けだった。

95点目はトミ・トムスク戦。
日本人のいるクラブだと、取れる。
でも、ツェスカ戦ではだめだったが。

親切すぎる注解

新潮文庫版太宰治『津軽』の注解は凄いらしい。
(マンガ「野田ともうします」に登場する、と出版ダイジェスト№154『愛書狂』より孫引き)

*呉服店 和服の織物を扱う店
*さるまた 男が用いる、腰やまたをおおう下着の短いももひき

などなど。

確かにすごい。

しかし、その昔私も『プロメテウス』という長編小説(ガリーナ・セレブリャコワ作)を読んでいて、

*モーツァルト

に注がついているので、何て書いてあるのかと思って巻末の注を見ると、
「音楽家」
とあり、生没年が書き加えてあっただけなのに、驚愕したという経験をしています。
感動のあまり、友人に話したら、
「モーツァルト知らない日本人がいるかよ!」
と言われましたよ。

モーツァルトを知らない日本人、いるかもしれないけど、よりによってセレブリャコワなんかを読むような人が知らないとは思えないな。

上述の『愛書狂』は、岩波文庫『浮雲』2004年改版の詳細な注については、「明治と言う時代の可視化への挑戦」と、称賛。
藤沼先生の岩波文庫『戦争と平和』、望月先生の『アンナ・カレーニナ』の解説は、丁寧で、だけども「親切すぎる注解」ではない。
すばらしい読書ガイドだ。
そんな親切ななら歓迎。
『浮雲』は未読。
読まなければ。
先日、元クラスメイトから『二葉亭四迷伝』をいただいた。
とてもいい本だからね、と薦められて。
読もう。

CISカップ2011情報

「12の椅子」にCISカップについての速報を載せました。
もうそんな時期か。

改めて、旧ソ連の国の中でも、AFC加盟のリーグについては情報を得にくいな~と感じました。
たぶん春秋制なんだろう。

キルギスはやる気になっているのか、キルギスサッカー協会のサイトにニュースが載っていた。
«Кубок Содружества» вновь в Санкт-Петербурге?
「へー、モスクワじゃないんだあ」という雰囲気ですね、キルギスにとっても。
ところで、キルギスチャンピオンはどこ?
誰が参加するのでしょうか?
これか→«Нефтчи» - ЧЕМПИОН
ドルドイ=ディナモの連覇ならず。

トルクメニスタンやタジキスタンはさらにわからない。
勉強しよう。

ペテルゴフの噴水、佳境に

ピカサのアルバム「ツァールスコエ・セローとペテルゴフ」、20枚追加。

いろいろな噴水。



в квартете (カルテットでは)

「12の椅子」に書いた「バテー、おめでとう」では、

БАТЭ прошел четыре тура в квартете Е без поражений и, набрав 10 очков, ниже второго места уже не опустится.

という露文の文法解説をしているのですが、グループリーグの1グループが4クラブごとになっているので「カルテット」という単語を使っているのがちょっと凝っています、というところ。

さて、今日は銀座のヤマハホールに、モスクワ・カルテットのグランプリ・コンサートを聴きに行きました。

上司の一人の持ち込んだ無理難題に悩まされた一週間だったが、結局解決せず。
来週に持ち越しになったのが心残りながら、開演ぎりぎりにホールに滑り込むことになったのでした。

ドムラと作曲・編曲担当のツィガンコフさんとグースリとピアノのシェフチェンコさん夫妻と、バラライカのザジーギンさんとピアノのゴトリブさん夫妻という、二組の夫妻によるカルテット。

第一部がいわゆる西欧音楽のプログラム。
*ロッシーニ:歌劇「セビリアの理髪師」序曲
*サラサーテ:カルメン幻想曲
*フロロフ:「ポーギーとベス」の主題による幻想曲
*ラフマニノフ:エレジー イタリアンポルカ
*パガニーニ:ヴェネツィアの謝肉祭
(定訳だと「ベニスの謝肉祭」かな)

第二部はロシアの民族音楽中心のプログラム。
*ブダーシュキン:四重奏コンチェルト「一週間」と「トロイカ」
*アリャビエフ:「ナイチンゲール」
*ツィガンコフ:ロシア民謡変奏曲
*スヴィリドフ:組曲「吹雪」よりロマンス
*ツィガンコフ:序奏とチャルダーシュ
*ツィガンコフ編:ロシア音楽メドレー「カリンカ」→「ヴォルガの船曳歌」→「ステンカ・ラージン」→「百万本のバラ」→「カチューシャ」→「ポルシュカ・ポーレ」→もう一度「カチューシャ」→「カリンカ」

アンコール
「二つのギター」(+「黒い瞳」をアレンジ)
「行商人」

ロシア音楽の方がノリはいいです。
聴衆の方も。
楽しかった。

2010年11月11日木曜日

シェフチェンコ、ゴール!!

今朝起きて、ウクライナカップの結果をチェック。

★スターリ・アルチェフスク対ディナモ・キエフ
おおー、シェフチェンコがゴールだ!おめでとう!!
スターリのヴャチェスラフの方だけど。
アンドレイの方のシェフチェンコは出場せず。
残念。シェフチェンコ対決ならず。
そして残念。ヴャチェスラフのスターリは2-3で敗退。
ミレノフスキーが2点。
それにオウンゴールがなければ。

★カルパティ・リヴォフ対アルセナール・キエフ
0-2でアルセナールの勝ち。

★シャフチョール・ドネツク対メタルルグ・ザポロジエ
1-0で順当にシャフチョール。
といってもぎりぎりか。

★ザリャ・ルガンスク対ドニエプル・ドニエプロペトロフスクは、1-1で延長戦、そしてPK戦へ。
4-5でドニエプル。
白熱した試合でした!

これを観て、すっかり疲れて、ゼニットの試合は観なかった。
そしてこちらも残念。
勝つか引き分けで優勝が決まるところでしたが。
そして、私としては早くゼニットには優勝を決めてほしかったのですが、なぜかこんなときに、あんな相手に負けちゃったんだよね。
何やってんの、ゼニット。
困るなー。
最終戦は優勝を決めて気楽に臨んで欲しいものですよ。
クルィリヤのファンとしては。

2010年11月10日水曜日

ウクライナ・カップ準々決勝

只今、ザリャ・ルガンスク対ドニエプル・ドニエプロペトルフスクの延長戦。1-1.
どちらを応援するか、決めかねていますが、さっきロマン・エメリヤノフは交代してしまいました。
セレズニョフはイエローをもらってしまいました。

他の試合
スタールィ・アルチェフスク対ディナモ・キエフ
★ヴャチェスラフ・シェフチェンコ対アンドレイ・シェフチェンコ、たぶん初対決。

カルパティ・リヴォフ対アルセナール・キエフ
シャフチョール・ドネツク対メタルルグ・ザポロジエ

あと、ロシアプレミアのゼニット対ツェスカも1:00からある。
勝つか引き分けでゼニット、チンピオ~ン!優勝決定。
最近、あんまり圧倒的ではなくなったゼニット。
ツェスカが相手だったら本腰入れるだろうか。
油断せずに勝て!!

ツェスカは、かつてアキンフェーエフの控えだったヴェニヤミン・マンドルィキンが交通事故を起こし、脊髄損傷の重傷。
心配だ・・・。
ヴェーニャ。

ザリャ対ドニエプルはPK突入。

泣ける!

木漏れ日のそろそろ「あー、今年もポーランド語でカードが書けないなー」と思う季節だ。
祖母のペンフレンドだったポーランド人女性に、毎年クリスマスカードを出しているのだが。

祖母が亡くなったことを知らせる手紙は、祖母の友人に頼んでエスペラントで書いていただいた。
そうそう祖母の友人に頼るわけにもいかず、以後のグリーティングカードは見よう見まねのポーランド語、少し難しいことを伝える時にはロシア語で書いている。
先方からはエスペラント、もしくはロシア語の手紙が届く。

母がダヌタ・シャフラルスカさんの写真を観て、
「ワルシャワのあの人って、こんな感じなのかしらね」
と言った。
そう、たぶん。

去年、「大阪ヨーロッパ映画祭in 東京」で観た「美しく生きて ダニエラと犬」は、「木洩れ日の家で」という邦題で岩波ホールで来春公開だそうだ。
出演当時91歳だったというダヌタ・シャフラルスカさんは、それでもドロタ・ケンジェルザヴスカ監督の話では、素で演技するととてもお元気で、「もっと老人ぽく演技して!」と<指導>したそうです。

以下は、以前のブログに書いた感想。

ポーランドのキーラ・ムラートヴァって感じかな。
 右はプロデューサー。
まず映像が美しい。特に子どもと、女性(年配の)。
今まで観た「グーチャ」と「僕がいない場所」(参照:http://www.oeff.jp/article442.html及びhttp://www.pioniwa.com/backno/iam.html及びhttp://boku-inai.jp/top.html)は子どもが主人公でしたが、今回観た「美しく生きて~アニエラと犬」撮影当時92歳のベテラン女優ダヌタ・シャフラルスカ初主演。素敵です!
ポーランドの女優さんてすごいなあ。
お亡くなりになったけど、「ニキフォル」のクリスティーナ・フェルドマンとか。
頼りにしていた息子は、可愛がり過ぎたゆえにダメ男になっており(子ども時代が可愛いのに醜いおっさんになってしまっている。外見のことじゃなくて)、お嫁さんの方がまともだった。(深い溜息)「柔らかい手」の息子の嫁も確かそうだったが。
私の人生、何だったの???
しかし・・・そこは先手を打つのだ。だてに長生きしているわけじゃないのよ。
ムラートヴァの「調律師」は人のよいリッチなマダムおばあちゃまの話だったが。
かくて、アニエラの財産の行方は・・・。
で、やはり子どもが可愛いです。
「ドストエフスキー」とあだ名されるフョードル(これもニックネームらしいが)役のカミル・ビタウくんとか、お茶を持っていく男の子とか、なんとも言いようがなく可愛い。(ヴォイチェフ・クラタみたいに凄い美少年!という感じではなく、シンパチーチヌィな感じ)
カミルくんは観たことあるかと思ったら「僕がいない場所」に出演している(主役ではない)。
パイオニアさん、配給していただけますかね・・・。

最優秀若手選手候補

ザーガ(Дзага)ことアラン・ザゴエフ(Алан Дзагоев)が、イタリアのトゥットスポルト紙の選ぶ、90年以降生まれの若手ベスト40人に選ばれたとのこと。

вратарь: Де Хеа (Атлетико, Испания).
GK:デ=ヘア(アトレチコ、スペイン)

защитники: Контенто (Бавария, Германия), Матип (Шальке, Германия), Муньос (Палермо, Аргентина), Мусаччио (Вильярреал, Аргентина), Рафаэль да Силва (Манчестер Юнайтед, Бразилия), Сахо (ПСЖ, Франция).
DF:コンテント(バイエルン、ドイツ)、マチプ(シャルケ、ドイツ)、ムニオス(パレルモ、アルゼンチン)、ムサッチオ(ビリャレアル、アルゼンチン)、ラファエル・ダ=シーバ(マンチェスター・ユナイテッド、ブラジル)、サホ(パリ・サンジェルマン、フランス)

полузащитники: Брахими (Ренн, Франция), Каналес (Реал, Испания), Де Йонг (Твенте, Голландия), Дельфунесо (Астон Вилла, Англия), Дуглас Коста (Шахтер, Бразилия), Дзагоев (ЦСКА, Россия), Эриксен (Аякс, Дания), Гётце (Боруссия Дортмунд, Германия), Азар (Лилль, Бельгия), Какута (Челси, Франция), Кроос (Бавария, Германия), Льяич (Фиорентина, Сербия), Мерида (Атлетико, Испания), М'Вила (Ренн, Франция), Нинис (Панатинаикос, Греция), Пьянич (Лион, Босния), Рамирес Перейра (Болонья, Уругвай), Давид Родригес (Порто, Колумбия), Уилшир (Арсенал, Англия).
MF:ブラヒミ(レンヌ、フランス)、カナレス(レアル・マドリード、スペイン)、デ=ヨング(トウェンテ、オランダ)、デリフネコ(アストン・ヴィラ、イングランド)、ドゥグラス=コスタ(シャフチョール、ブラジル)、ザゴエフ(ツェスカ、ロシア)、エリクセン(アヤックス、デンマーク)、ギョトツェ(ボルシア・ドルトムント、ドイツ)、アザル(リール、ベルギー)、カクタ(チェルシー、フランス)、コロオス(バイエルン、ドイツ)、リヤイチ(フィオレンチーナ、セルビア)、ピヤニチ(リオン、ボスニア)、ラミレス=ペレイラ(ボローニャ、ウルグアイ)、ダヴィド・ロドリゲス(ポルト、コロンビア)、ウィルシャー(アーセナル、イングランド)

нападающие: Андре (Динамо Киев, Бразилия), Балотелли (Манчестер Сити, Италия), Бебе (Манчестер Юнайтед, Португалия), Коутиньо (Интер, Бразилия), Дестро (Дженоа/Интер, Италия), Эрнандес (Палермо, Уругвай), Кркич (Барселона, Испания), Лукаку (Андерлехт, Бельгия), Македа (Манчестер Юнайтед, Италия), Пачеко (Ливерпуль, Испания), Педерсен (Виллем II, Норвегия), Ривиер (Сент-Этьен, Франция), Сальвио (Бенфика, Аргентина), Шюррле (Майнц, Германия).
FW:アンドレ(ディナモ・キエフ、ブラジル)、バロテッリ(マンチェスター・シティ、イタリア)、ベベ(マンチェスター・ユナイテッド、ポルトガル)、コウチーニョ(インテル、ブラジル)、デストロ(ジェノア/インテル、イタリア)、エルナンデス(パレルモ、ウルグアイ)、クルキチ(バルセロナ、スペイン)、ルカク(アンデルレヒト、ベルギー)、マケダ(マンチェスター・ユナイテッド、イタリア)、パチェコ(リヴァプール、スペイン)、ペデルセン(ヴィレムⅡ、ノルウェイ)、リヴィエル(セント=エニエン、フランス)、サリヴィオ(ベンフィカ、アルゼンチン)、シュルレ(マインツ、ドイツ)

キリル文字からの書き起こしなので、且つ知らない選手が多く(イングランドプレミアだの、リーガ・エスパニョーラだの、殆ど観ないので)、変な表記になっている箇所が多いかと思います。

う~む、旧ソ連圏で、ザーガ1人きりの選出とは寂しい。
それに、アジア・アフリカからは1人も選ばれていない。

Дзагоев претендует на звание лучшего молодого футболиста мира

2010年11月7日日曜日

フィンランド湾到達

ペテルゴフの噴水はまだまだ続く。
今日はイヴの噴水、そしてフィンランド湾。

2010年11月6日土曜日

事実を

НМさん、覚えている?

私たちにとってあなたは憧れの先輩だった。
すごい人気だった。
たぶんあなたやあなたの友人たちが思っている以上に。

かっこよかったから。
姿恰好が、じゃなくて、言うこと・書くことが。
弁舌さわやかだった。
素敵だった。

覚えているかしら?
「НМさん、なぜ弁護士になりたいんですか?」
と、私が無遠慮に質問したことを。
私たち、あなたがジャーナリストになるのではないかと。
思っていた、と言うより、夢見ていた、希望していた・・・のでしょうね。
だから、あれは「なぜジャーナリストではなくて法曹を目指すの?」という意味だったんだけど。

あなたの答えは
「自分は人を裁く性質ではない。だから裁判官にはなれない。同じ理由で検察官にもなれない」
だった。

だからあなたは弁護士になった。

死刑冤罪事件。
あなたらしいです。

私から言われなくても、と感じるのでしょうが、私のとても尊敬する法律家が言った言葉です。
「裁判では、まず事実。2にも事実。3も事実。4も事実。最後にどうしようもなかったら法理論」
(でも実際にはなかなか真実が事実として裁判上に採りいれられなかったりする。)

来りませ、真実よ。
一日も早く雪冤がなりますように。

2010年11月5日金曜日

BATEボリソフ、ヨーロッパリーグ決勝トーナメント進出決定!

БАТЭ вышел в плей-офф Лиги Европы

БАТЭ прошел четыре тура в квартете Е без поражений и, набрав 10 очков, ниже второго места уже не опустится.

あと2戦残して、グループ2位以上確定。

グループはディナモ・キエフ(ウクライナ)、シェリフ・ティラスポリ(モルドヴァ)、AZアルクマール(オランダ)。
AZの替わりに、ゼニットかツェスカが入れば、CISカップみたいだったけど。
ディナモ・キエフとユニフォームが似ていて、複雑な思いに駆られる。
シェリフも捨てがたいし。

9/16 ディナモ・キエフ2:2BATEボリソフ
9/30 BATEボリソフ4:1AZアルクマール
10/21 シェリフ・ティラスポリ0-1BATEボリソフ
11/4 BATEボリソフ3:1シェリフ・ティラスポリ

来シーズンは是非CLで活躍してね。
またレアル・マドリードとかを震え上がらせてみせてよ。

2010年11月4日木曜日

スタジアム

久しぶりに「オデッサ・スタジオ」に記事を書きました。
今日のサッカー映画はあの名画です。

2010年11月3日水曜日

トルストイと過ごした午後

午後、と言ってもとっぷり暮れてしまった。

予約不要入場無料。
茶菓付き。
たっぷりお話を聞き、「トルストイのワルツ」やクレズマー音楽を聴き、レフ・トルストイやソフィヤ夫人の映像を観て、グルジアワインの試飲まで。

アレクサンドル・アレクサンドロフさんというペテルブルグの若き研究所員はエゴール・チトフ風。
レフ・トルストイの死の前後の、ロシア国内の新聞・雑誌・電報の情報を集めて分析した論文を書いて評判だとか。
どなたか邦訳をお願いします。
いくらでも話し足りない趣きのババエヴァさん。最後に紹介してくださった『トルストイ事典』『トルストイと同時代人』はロシアであっという間に売れてしまったと言うだけあって重宝しそうだった。これも邦訳が欲しい・・・。
あまりお話しする時間のなかったアメリカの研究者のメジボフスカヤさん。アメリカの文豪や思想家・哲学者らとレフ・トルストイというのも確かにおもしろいテーマだ。
数年前に読んだ中村喜和先生の『武器を焼け――ロシアの平和主義者たちの軌跡』を思い出す。


フォーラム受付にいた、ロシア文豪マトリョーシカ。
年代の新しい順で、アントン・チェーホフ>フョードル・ドストエフスキー>レフ・トルストイ>アレクサンドル・ゲルツェン>イヴァン・トゥルゲーネフでした。

意外と会場いっぱいに混んでいましたが、年齢層はかなり高かった。

最後の会場からの質問はなかなかおもしろかったです。
アレクサンドロフさんに対して「映画「終着駅」に描かれているトルストイらについてはいかがか?」
「観ていない(ということは、ロシアではこの映画は未公開なのか?)が、聞いたところによるとベストではないということだ。ソ連映画のゲラシーモフ作品がお薦め」というお答えでした。

ババエヴァさんに対して「今のロシアでトルストイ作品はどのように読まれているのか」
実際に教えていらっしゃる生徒さんたちへのアンケートに基づくお答が興味深かった。
9年生から10年生になるお休み中の課題で『戦争と平和』を読むことというのがある(10年生の文学の授業で扱う)ので、この時期の最大の悩みごとと言うと『戦争と平和』ということになる、負担だし作品そのものは好きではない、という生徒が多いが、必修から外すべきではないという人が多い。
それはやっぱりロシアの精神、ロシアの文学を体現するものだから。

若い時に自国の文学をちゃんと読んでいないとなあ…。
激しく後悔する。

懲りずに噴水の続き

季節感全くなく。

ペテルゴフの噴水の写真を10枚追加。
アダムの噴水やフランスの噴水。




一昨日の記事に秘かに動画も追加。
たいしたものではありませんが、噴水の様子が少しだけわかります。

2010年ツァールスコエ・セローとペテルゴフ

2010年11月2日火曜日

いよいよサムソン像

今頃になってペテルゴフの写真ですよ。
「獅子の口を裂くサムソン像」とか。




「噴水?今の季節向けじゃないわ!」と親に言われましたです。
はい、そのとおりで。

2010年ツァールスコエ・セローとペテルゴフ