2012年8月28日火曜日

チェコっとトゥルンカ

広尾のチェコセンターに行って、トゥルンカを観てきた。

原画は3枚。
「ゾウ」1942年
「千一夜物語」1942年
「無題」1942年

書籍
「ほたるっ子」1995年アルバトロス社
「童話集」

川本喜八郎先生が愛をこめて書いた「月刊アニメ狂専誌」1978年1月20日号「特集トルンカ」をじっくりと読んだ。

トゥルンカにとって人形はアイディアや手段ではなく、「運命だった」、と川本先生はチェコの評論家の言葉を引いて解説する。

トゥルンカがパペットアニメーションを手掛ける前の、画家の時代、人形劇団をやっていた頃、グラフィックデザインを手がけていたあたりなど、初期トゥルンカの貴重な資料が多かった。

(書きかけ)

酒びたりだよ、人生は

かつて「黒田龍之助先生のご著書」で紹介した『世界のことば100語辞典 ヨーロッパ編

黒田先生はおっしゃっていた。
「著者が選ぶ最後の一単語、ヨーロッパ編ではお酒絡みの単語を選んでいる人が多いけど(注:黒田先生もウクライナ語で「ホリールカ(火酒)」をセレクト)、アジア編ではそれが一人もいないんですよねえ。アジア編を執筆された先生方は真面目ですよね。」
改めて«アルコール関連単語»を選んだ先生方を調べてみると、

☆ウォッカ:ロシア語(柳町裕子先生)
☆火酒(ホリールカ):ウクライナ語(黒田龍之助先生)
☆ビール:チェコ語(保川亜矢子先生)
☆酒:ブルガリア語(寺島憲治先生)
☆ワイン:フランス語(川口裕司先生)
☆乾杯:グルジア語(木下宗篤先生)

うむ。フランス語以外は地域的にかなり偏りがありますね。
その地域はやはり飲んだくれのお土地柄ということになるのか??

「アジアが真面目」といっても、この辞典のアジア編を担当された先生方がヨーロッパ編担当の先生方よりもそういう方面には関心が向いていらっしゃらなかったということであって、決してヨーロッパの方がアジアよりも飲酒文学が興隆してきたということでは必ずしもない、という点は、念のため指摘しておかなければならないだろう。

『バッカナリア 酒と文学の饗宴』を読むと(目次だけでも)、要するに世界中ほぼどこでも酒飲み(というか飲んだくれ)は存在するということがわかる。
もちろん、文学者=飲んだくれ、ではない。
文学者でない虎さんはいるし、下戸の文学者もいる。
まあしかし、そうは言っても読むとよくぞ皆さん人生酒びたり(レニングラード・カウボーイズ「ジンギスカン」)なものだよ。
いやはや、出てくる出てくる、酔っ払いの面々が。
中国やベトナムの文学には疎いのは承知していたが、フランス・イギリス・ラテンアメリカの文学もあんまり読んでいないので、こういった文学的教養をもっと持っていたらもっと楽しめたのだろうと思うと残念。これから読む楽しみはあるが。
(イギリスはしかし、ここで扱われているのは『火山の下』という小説でメキシコが舞台となっている。だから出てくるお酒もメスカルやテキーラなどあちらのお酒だ。)
・第2章«バルカン»
 何でそれに関心を持ったの?と思うどくろ杯の系譜。ビザンツのニケフォロス一世ゲニコス帝、キエフ・ルーシのスヴャトスラフ公。
・第3章«ドイツ»
 例外的酔いどれ詩人のゲーテ。やはり。
・第4章«ロシア»
 ドストエフスキー『罪と罰』のマルメラードフとラスコーリニコフ考察。
 ここではマルメラードフをロシア文学一の酔いどれとしているが、私としては『酔いどれ列車、モスクワ発ペトゥシキ行』のヴェネディクト・エロフェーエフをもろ手を挙げて推薦したい。
 彼なしにはロシアの酔いどれ文学は語れまい。
 それにしても、ジノビエフの『酔いどれロシア』は必読っぽい。
・第5章«チェコ»
 もちろん登場するハシェクの『兵士シュベイクの冒険』。
 が、印象的なのはヤン・ネルダ『フェイエトン』の中の短編『リシャーネクさんとシュレーグルさんのお話』で、全編頽廃的なムードが強いこの本の中で一服の清涼剤たるハートウォーミングな読後感があるので、お薦めだ。
・第6章«フランス»
 ゾラ、そろそろ再読しなければ。しかし気が重くなる。
・第7章«イギリス»
 そんな小説があるのか、そんなお酒があるのか、という発見があった。しかし悲惨だ。
・第8章«ラテン・アメリカ»
 ジン(ヒネブラ)にご注意!!
・第9章«ペルシア»
 イランはブドウの産地で(美味かどうかは知らないが)ワインも結構作られている。現代でもハーフェズはかの地に潜んでいるだろう。いや、ハーフェズの詩(訳されたもので味わうしかないのが残念だが)を読むと美味に違いないだろうと確信する。
・第10章«日本»
 概論的な記述なので、基礎知識のない私には辛い。が、これを機に読もうという気になった。
第11章«中国»
 「篇篇酒有り」の陶淵明、酒仙李白、酔吟先生白楽天、斗酒学士王績、さすが中国文学、中国詩文学。しかしここで取り上げられているのは散文の『紅楼夢』である。
第12章«ベトナム»
 おお、ベトナムまで!

などと感嘆しながら、次はヤロスラフ・ハシェクの『プラハ冗談党レポート 法の枠内における穏健なる進歩の党の政治的・社会的歴史』を手に取ったのでした。
(ハシェクといっても、元サッカー選手・監督の法曹ではありませんので、ご注意ください。)

スラーヴァの決断

猫の介護その他にかまけて、ここ2節ばかりロシアリーグの試合をあまり観ていないのだが、今日のトップニュースはリーグ戦のことではなく、

Малафеев принял решение временно приостановить выступления за сборную

スラーヴァは昨年リーグ開始前に奥さんを交通事故で亡くしている。
幼い子どもを残して、元モデルの美しい奥さんは冬の凍結した道路でハンドル操作を誤り、突然この星から旅立ってしまった。
スラーヴァは母親を亡くして悲しんでいる子どもたちのそばにもっと居てやりたいと思ったのだろう。が、昨年はアキンフェーエフが重傷を負ってしまい、ロシア代表の試合をほぼ一手に引き受ける形になっていた。
(自身怪我のためにゼニットでの試合でジェヴノフにGKの座を譲っている期間があったのだが、リーグ戦の方は、ゼニットは一昨年に続いて首位をひた走っていたのでそれでもよかったのだ、たぶん。)
今はアキンフェーエフも復帰してきたことだし、いよいよ子どもたちの傍にいるべきだという思いを強くしているようだ。

カペッロさんが次の代表戦のメンバーを発表するのにあまり時間は残されていないが、スラーヴァ、イゴリョーク(アキンフェーエフ)、シュニンの3人がこれまで指定席だったGKは、ルィジコフあたりが割って入ることになるのだろうか?

その前に、B代表の方は、本日クラスノジャンさんが発表している。
グラナト、こっちに入っているな。

Юрий Красножан огласил состав второй сборной России на матч с Турцией.

Тренерский штаб второй сборной России во главе с Юрием Красножаном определился со списком игроков, которые могут быть вызваны для подготовки к товарищескому матчу с командой Турции, который пройдет 9 сентября в Ростове-на-Дону. На данный момент в списке значится 17 футболистов, однако в нем возможны изменения, сообщает «Советский спорт».
Вратари: Александр Беленов («Кубань»), Сергей Песьяков («Спартак» М).
Защитники: Виктор Васин (ЦСКА), Инал Гетигежев, Виталий Дьяков (оба – «Ростов»), Владимир Гранат, Владимир Рыков (оба – «Динамо» М), Владимир Хозин («Алания»).
Полузащитники: Сергей Белоусов («Ростов»), Никита Бурмистров («Амкар»), Георгий Габулов («Анжи»), Владислав Игнатьев («Краснодар»), Алексей Ионов, Владислав Кулик (оба – «Кубань»), Кирилл Панченко («Мордовия»), Александр Сапета («Динамо» М).
Нападающий: Алексей Сапогов («Волга» НН). sovsport.ru
2012-08-27 17:30:16


2012年8月27日月曜日

すっかり過去のこと

などと書いてしまうと、日本にも存在している往年のファンにはおおいに失礼なことかもしれない。
御気分を害されたのなら申し訳ない。

20-11
«Спартак» неоднократно (стал/становился) чемпионам страны.

★много раз(多数回、何回も), многократно(何度も、繰り返し), не раз(一度ならず=何度も), неоднократно(一度ではなく=再三)は不完了体とだけ結合。

☆ちなみに多回体のことはмногократный вид,多回(体)動詞のことはмногократный глаголという。

よってここは不完了体を選択する。

«Спартак» неоднократно становился чемпионам страны.
スパルタークは何度もロシアリーグのチャンピオンになったことがある。

ご存知のように、90年代のスパルタークは強かった。
95年にアラニヤ・ウラジカフカスにチャンピオンの座を譲った以外は連覇を重ねていた。
それが今世紀に入るとさっぱりなのだ。
2位に滑り込んだことはあったけれど。
なぜロシアサッカー界の覇権が移り変わったのかについては、誰かが検証しているのだろう。
ロマンツェフ以下ロシア人監督にこだわっていた、とか、ロシア経済の中心が石油(ルクオイル)から天然ガス(ガズプロム)に移行したとか、スパルタークはプーチンとのコネクションが弱いのだろうかとか。

猫を訪ねて

猫の容態を伺いに、母たちが実家からやってきたので、毎朝薬を飲ませるのが大変なんだという苦労話を聞かせる。

後ろ足をふらふら、ときにぐにゃりとさせながら歩いている老猫を観て、弟は「痩せたな、切ないなあ」としきりに言う。

荻野恭子さんにいただいていた『毎日使えるおむすび便利帖』に載っているレシピを参考におむすびを作って彼らをもてなす。

・アボカドとイクラむすび
 わさびはつけなかった。
 アボカド部分はやはりスプーンですくう以外なく、醤油をすこし上からかけた。
・鶏そぼろと枝豆
 冷蔵庫にあったのが鶏ではなくて鮭フレークだったので、それと枝豆にした。
 硬めに握る必要がある。
 弟が手に取ろうとした時、大崩壊。
 味には満足していたが。
・うなきゅう
 うなぎはちょっと手が出なくてアナゴで代用。
 これも食べやすいとは言えず、実質アナゴはアナゴ、きゅうりはきゅうり、という風にばらばらに食すことになる。
・胡桃小女子
 荻野先生のレシピにはなかったが、冷蔵庫に残っていたので適当に。
 消費期限が24日までだったのは、弟には秘密だ。
(彼はこういうことに細かい。うちの冷蔵庫の中のものを食べるのはいいが、勝手に食品を捨てないようにと厳命しておいた。)
 

これらおむすびと、けんちん汁とサラダでのマリンキーヴェーチェルであった。

 
 
ワインはなし。麦茶のみ。

語尾別人名シリーズ

個人的には長い間の懸案であった「語尾別ロシアの人名」シリーズに着手した。
一か月以上投稿していなかった「12の椅子」に、その第一回「で終わる名前その①を投稿した。

ほんとうは、数の少ない ьで終わるもの(Игорьなど)かа(Никитаなど)やя(Ильяなど)で終わるものから始めようと思っていた。
それから硬子音で終わるもの(Антонなど)、最後にたくさんある-йで終わるもの(Дмитрийなど)、と構想していた。

けれど、篠塚一平選手がスパルターク・モスクワに入ったことにより、その記事を何か取り上げるつもりになり、その前に彼の名前の格変化を調べておきたかったので、こういうことになった。

2012年8月26日日曜日

ロシア・フィンランド・キプロス・柔道・ディナモ=モスクワ

政治の本は苦手なので、『プーチン2.0 帰路に立つ権力と腐敗』も、さらっと一読しただけでは何を主張しているのかよくわからなかった。

関心をひいてしまったのは、全く興味本位なことでそのことには気が引けるのだが、プーチンの取り巻きたちを列挙している箇所だ。
「プーチンとガスプロム」という項目で、
③ローテンベルグ兄弟
⑤ユーリー・コヴァリチューク
と書いてあった。

ローテンべルグ兄弟はプーチンのごく親しい友人。
特に兄のアルカジー・ロマノヴィチはプーチンの柔道のスパークリングパートナーである。
ビジネスの方は弟のボリス・ロマノヴィチの方が活発に行っているようで、ガスプロムに納入するパイプラインの会社を設立・運営している。
兄弟で「北方航路」銀行(SMP)を保有している。
プーチン、ガスプロムと結びついた富豪なのだ。
弟ボリス・ロマノヴィチの息子ボリス・ボリソヴィチ・ローテンベルグはサッカー選手だ。
86年レニングラード生まれのDFだ。
SMPはFKヒムキのスポンサーだが、ボリス・ローテンべルグ選手は2009年にはヒムキにいて、14試合に出場した。
その後アラニヤで16試合。
ディナモ・モスクワ、クバンでの出場はなく、この夏キプロスのオリンピアコス・ニコシアにローン移籍した。
フィンランドとの二重国籍で、フィンランドの年代別代表での経験がある。
ボリス・ロマノヴィチ・ローテンべルグ(お父さん)はソ連からフィンランドに帰化、そしてボリス・ロマノヴィチ・ローテンべルグの元妻イリーナ・ハラネンはフィンランド人とのこと。
この人がボリス・ローテンべルグ選手のお母さんなのだろう。
(ローテンべルグ選手が二重国籍なのは、移住先のフィンランドで育ったということと、お母さんがフィンランド人だということがあるのだろう)
この時期にキプロス移籍って、経済絡みに思えてしまう。

⑤のコヴァリチュークは単にサッカー選手と同姓なだけで、親戚関係はないと思う。未確認だけど。
コヴァリチューク選手はオデッサ生まれでモルドヴァ代表。
ユーリー・コヴァリチュークの兄弟のミハイルもプーチンの関係者。

フルセンコ元教育相もサッカー協会の会長経験者。

2012年8月25日土曜日

ガーグラ、あの一晩の想い出

シャフナザーロフは現モスフィルム所長だが、某日本人評論家に一見似ているような面構えだ。
(アルメニア人である。)
斜に構えたプロフィールで映っていることが多いが、実際の作風もそんな風にはぐらかしやおとぼけを得意とする。

一番有名なのは「ゼロ・シティ」なのだろうが、率直に言ってこの作品はあまり好きになれない。
しかしそれなりに日本でも人気のある作品だ。
あと「死という名の騎士」(「蒼ざめた馬」)も結局テロリズム肯定のようで好きではない(と言いつつ2回観ることになってしまった)。

けれど、2010年の映画祭でまとめて観た作品群「ジャズメン」「失われた帝国」「クリエール(メッセンジャーボーイ)」「六号室」で大いに観なおした。
「ゼロ・シティ」と「死という名の騎士」以外では素敵な作品を撮っているではないか。

今回のシャフナザーロフ映画祭Ⅱに行ってきて、シャフナザーロフの才能を再確認した。

私のお気に入りのアレクサンドル・パンクラトフ=チョールヌィさんが出演する「ガーグラの冬の夜」。
冒頭の3分余りのタップシーンに圧倒させられる。
こちらで85分全部観られるようだが、まずは冒頭の4分弱の部分だけでもご覧になってくださいませ。
あとラストの10分ですね。
若い時のベグロフ役の、とんでもなく足が長~いダンサーは誰?!
多少ネタばれになってしまいますが、タップの名人のチョールヌィさんは、とても抑えた演技だ。
「ジャズメン」のときは芸人ぶりをいかんなく発揮していたのだが。
アメリカの映画だと、ハートウォーミングでフショーハラショーに終わるのだろうけれど、そこはシャフナザーロフ、ぐっと余韻のある味わい深い話にしている。

「アメリカの娘」の方は、まだマシコフがロシアのアントニオ・バンデラスを気取る前の、田舎丸出しロシア人を堂々と演じていた頃の映画であった。

名門入り

Дзагоевがジャゴエフではなく、ザゴエフであるように、Синодзукаはシノヅカであって、シノジュカではないので、よろしくね!

お父さまが日本人、お母様がロシア人という、17歳のFW篠塚一平くんが、いよいよスパルターク・モスクワに選手登録されたとのことです。

"Спартак" заявил Иппэя Синодзуку для участия в чемпионате России

аで終わるСинодзукаは女性名詞変化(КарякаやХондаなどと同じ)するのは当然として、Иппэйも格変化するのか。
й語尾のСергейみたいに。
しかし、Иппэя Синодзукуという文字面を見て、かの国の人は「イッペイ・シノヅカ」とちゃんと復元できるものなのだろうか。できるのだろうなあ。

Поздравляю, Синодзука!
Вперёд, Синодзука! 



自伝を読もう

昨夜からレーピン関係のアクセスが急増しているので、なぜかと思ったら、ザ・ミュージアムで「感想をブログやツイッターで公表するのを条件に、絵の解説を聴きながら鑑賞する」という会が催されたようです。

初日に鑑賞したときのメモ書き「何という懐かしさだろう!」には展示された作品のタイトルを書き出していたのでちょっとは参考になるのでしょう。

もっといいのは『ヴォルガの船曳』(松下裕訳中公文庫1991年刊)を読むことですが。
(かなり分厚いです。)

この夏は都美術館・西洋美術館・上野の森美術館で人気展をやっているせいか、レーピン展はやや埋没気味かもしれません。
しかしレーピンが日本で観られる貴重な機会です。

私ももう一回行きたいです。
それにトレチヤコフ美術館にまだ行ったことがないので、観に行きたいです。

2012年8月24日金曜日

Дети книги "Дети Хиросимы"

一昨年ナウカ・ジャパンから出た"Дети Хиросим"―『原爆の子』ロシア語版は、長田新先生の書かれた序文を完全に訳した外国語版だという。



周辺の国の言葉で語られることとともに、核兵器保有国の言葉に訳された意義はとても大きい。
(そういう意味では、フランス語版がロシア語版の後、かなり«つい最近»の発行になったにしても、発行の意義は大きい。)

そうして地道に広がる『原爆の子』を伝える動きは、『『原爆の子』をうけついで』P165に紹介されているエスペラント訳『原爆の子』を読んだアメリカ在住の方の
「とりあえず、あの本をもう10部ばかり送ってくれ。友達の間に宣伝するのだから。代金は何とか支払うよ。」
にみるように、国外ではぼつぼつ広がっているようでほっとする。
(それに反する動きもそれ以上に進んでいるから、«被爆体験の風化»などと言われているのだろうけれど。)
「ぼくはきみらが前に出した本『きけわだつみのこえ』エス語訳で君らはアカだときめていたんだが、真実を伝えることがアカなら、リンカーンもホイットマンもアカということになる。」
(ホイットマンって誰だろう?)

昨年『原爆の子』発刊60周年、編者長田新先生没後50年を記念して、『原爆の子』をうけつぐ会が結成された。
会は、子どもたちや市民から『原爆の子』や平和についての文章を公募し、選考のうえ43編の文章を、『『原爆の子』をうけついで』として自費出版した。
今年は、青年層への追加募集・再編集を経て、本の泉社から『『原爆の子』をうけついで』の新版を8月6日に発行した。

だから、この本は『原爆の子』の子ども(Дети книги "Дети Хиросимы")だといえる。

毎年購入している岩合光昭さんのカレンダー、「いぬねこなかよし憲法9条カレンダー」の来年版の案内がやっと来た。
和猫と和犬は世界一可愛いと思う。私はなんてナショナリストなのだろうか。



早速予約した。

1年を6時間で

上野でベルリン国立美術館展を観た後、岩波で「ジョルダーニ家の人々」を観て帰宅、という一日だった。
さすがに疲れてそのまま就寝、としたかったが、友人から手紙が届いていた。
明日会ったら、伝えないと。
18日の例会に友人は来られなかったから、そのときのことを。

「ジョルダーニ家の人々」は上映時間6時間以上もの大作だ。
しかし扱っているのは1年余りのある家族の話で、例えばボンダルチュクの「戦争と平和」のような、壮大な歴史絵巻とか、数代にわたる家族の歴史を語る大河ドラマというものではない。
観に行くのは覚悟が要ったが、観てみると淡々としている割には意外と飽きはこないで楽しめた。
しかし、イタリア人ってどうしてこういう長い映画が好きなのだろうか。
(もしかして暇・・・??)
人の死が契機となるので、辛い場面はいくつもあるが。
末息子を失って、家族一人一人が苦しむが、最初のうちは残された家族は支え合えない。
秘かに慟哭している父親の姿がとりわけ胸を打った。
ここではごく簡単に印象のみ記すが、フランス人のエリート銀行員ミシェルはピクシー似(ちょっと垂れ目)で素敵だ。
ハスキーな声のヴァレンティナの明るさには救われる。

6時間の長丁場だけれど、午後1時半から9時過ぎまでなので、昼食をしっかりとっておけば途中で食事をとらなくても大丈夫だ。
(といっても、観客(年配女性多し)は休憩時間にはロビーで盛大にお弁当を広げていた。)

ベルリンは別項目で。

2012年8月20日月曜日

ろばのしっぽでもアートです

私は神道の信者ではない(特に国家神道)ので、その手の宗教行事を強要されるような雰囲気には反発しか感じないのだが。
例えば靖国神社でゲリラライブと称して天皇に対して言及したり戦犯と英霊についてあれこれ喧伝するのを表現の自由だからと看過できないとしたら、その人はプッシイライオットの刑事裁判について批判する資格がどれだけあるのだろうか、と思うのだ。

私は決して厳罰主義者ではない。
(私に判決を書かせたら執行猶予付きにばかりしそうな気がする。)

それでも、コンサバな部分はあるので、このあいだ観てきた「ひっくりかえる展」で、ヴォイナの作品には殆ど共感を持てなかった。
(端的にいうと、「それ、犯罪でしょ」という感想であったし、彼らもそれは承知の上でやっているのならそれなりの覚悟があるのだろうと思った。)

プッシイライオットのパフォーマンスが具体的にどんなものだったかは知らないのだが、実はヴォイナとメンバーは重複しているらしいので、推して知るべしのような気がする。
まあ、私の好みでないだろうことは間違いない。
(教会で無許可の政治的パフォーマンスというだけで反発を感じるが、どこまで表現の自由だとして許容できるのか、というと、「別の方法でやってくれ」でおしまいになりそうだ。)

アートだとか、表現の自由だとか言ったって、思い上がりすぎてない?

まあ、人が不快だと思うのが狙いでやっているなら、弾圧されて当然で自業自得でしょ、とまでは言わないが、覚悟は当然していただろうから、あんまり被害者然としないで欲しいといいましょうか。

それはそうと、クルィリヤとアムカルの試合だが、何よあの審判!
アムカル贔屓すぎる!
ヴェレムコが可哀そう。

2012年8月19日日曜日

いつかのために

Всё выше

Мы рождены, чтоб сказку сделать былью,
Преодолеть пространство и простор.
Нам разум дал стальные руки -- крылья,
А вместо сердца пламенный мотор.

「もっと高く」
ソ連空軍のための行進曲
通称アヴィアマルシ
パーヴェル・ゲルマン作詞

僕らは生まれた、実話でお伽噺をつくるために
空間と広大な土地を征服するために
僕らに理性を与えてくれるのは鋼鉄の腕、翼
そして心臓の代わりに炎のエンジン

ポール・エリュアールの「自由」を思わせるような書き出しだ。
歌ってみたいな、サマラの彼らが優勝した時にでも。

ロシア語のテクストはこちら

5対1で勝ったら

『ふたりのキャプテン』の著者ヴェニヤミン・カヴェーリンは、元々ファンタスチカを得意としたという。
邦訳されたジュブナイルがいくつかあるようだ。

まず入手できたのは理論社の10代のコレクションシリーズ『地図にない町で チズニナイ市奇談』。
原題:Ночной сторож, или Семь занимательных историй, рассказанных в городе Немухине в тысяча девятьсот неизвестном году

退屈より危険なものはない。退屈から残酷まではほんの一歩。
こんな言葉がペレストロイカ前の児童文学の中に潜まれていたのだから、ロシアという国は侮れない。
風の大統領の所作が何だかかの国のトップと重なって見えたりはしなかったのだろうか。

ネムーヒン市(チズニナイ市)にはサッカーチームがあり、隣接するムーヒン市(チズニアル市)とのダービーマッチは白熱するようだ。
ちょっとばかりフーリガン風の人もいたりして。(P31)
 а между мухинцами и немухинцами всегда были сложные отношения. В дни футбольных соревнований, например, хозяева поля независимо от результата дрались с гостями, а гости — с хозяевами поля.

FKネムーヒンは結構強いチームらしく、アマチュアのクラブながら(P75によれば「全ソ二部リーグ」所属だというので、現在の一部リーグに該当しそうだが、むしろ二部リーグ所属のような気がする)強豪ショフチョール・ドネツクと引き分けたことがあるのが、市民たちの自慢なのだ。
О своих достопримечательностях немухинцы любят рассказывать неторопливо, подробно. К их числу относятся Старый Трубочный Мастер и футбольная команда класса «В», однажды сыгравшая вничью с донецким «Шахтером».

なので、FKネムーヒンは市の名物の筆頭に挙げられている。(P108)
— Да, это та самая девушка, о которой писали, что она когда-нибудь непременно станет достопримечательностью, такой же, как наша футбольная команда, — говорил он. — Прекрасная, скромная девушка, и к тому же — вы не поверите — самая настоящая фея!

中央紙記者も本来の取材の傍らサッカー観戦をしていたのだ(P334)
Корреспондент обежал Немухин, заглянул на хлебный завод и застрял на футбольном матче между мухинцами и немухинцами, кончившимся вничью. Вернувшись в Москву, он написал две статьи. Одна называлась "Летающие мальчики? Вздор!". А в другой он упомянул, что у немухинцев, атаковавших ворота противника, положительно вырастали крылья.
FKネムーヒンの選手はあたかも翼を持つごとく、というが、結局この試合、引き分けているのだ。

— Как бы ты сказал, например, если бы немухинцы сыграли с мухинцами не вничью, а, скажем, пять — один?
「君ならどう言う?例えばFKネムーヒンがFKムーヒンに、引き分けじゃなくて、そうそう、5対1で勝ったら」
Леня подумал.
— Я бы оказал, что усилия немухинцев увенчались заслуженным успехом.
「選手たちの努力がすばらしい成功によって報われましたねって申し述べるでしょうか」
— Вот видишь! А надо сказать просто: "Блеск!" А если бы они проиграли?
「何だよそれ!ただ«お見事!»ってだけ言うものなんだよ。じゃあ、負けたとしたら?」
Леня снова подумал.
— Ну, может быть… "Не принимайте слишком близко к сердцу этого огорчения. Продолжайте работать, и я уверен, что в ближайшем будущем вас ожидает удача".
「えーと、たぶん…«このことでご自分を責めすぎませんように。トレーニングを続けてください。近いうちにご成功があることを信じています。»とか」
— Та-ак, — сказал с отвращением Петька. — А я бы сказал покороче: "Эх, вы, сапоги!"
「ああ、そう」ペーチカは言う。「僕なら単にこう言うよ、«おーい、君たち、できそこない!»」
(この部分の訳は理論社の小宮山俊平訳ではなく、拙訳(若干意訳)です。)

сапоги(長靴)には「無教養者、できそこない」の意味があったか。
ネムーヒンっ子のペーチカがわけあってネムーヒンに逃亡してきた少年レーニャ(本名はレオンという外国風の名前だ)に11歳の少年らしい話し方を教示する場面だが、レーニャの子どもらしからぬ丁寧な回答(特に敗戦バージョン)には親近感を持ってしまう。

私も以前は試合観戦中、選手たちに罵声を浴びせていたものだ。
ちょっとミスしただけでも「それでもプロか」みたいなことを。
日本語では言えないようなことでもロシア語だと言えてしまうので、「私はサッカーの試合を観たいのです」みたいなことを言ってみたり。
でも、今では悪口はあんまり言わなくなった。
だから「長靴」なんて言わない。
負けた時もすっかり優しくなった。
(クルィリヤもチェルノモーレツもエスパルスも常勝チームではないですからねえ。)
それはプレイをしているのが同年代の人ではなくなったせいかもしれない。

2012年8月18日土曜日

あと2週間、現時点での移籍情報

1.アラニヤ・ウラジカフカス
加入
ルドネイ(ブラジル) クルゼイロ(ブラジル)→
ドミトリー・ゴルボフ ディナモ・ブリャンスク→
ウラジーミル・ホジン トルペド・モスクワ→
カルロス・カルドソ(ブラジル) パンドゥリー(ブラジル)→
デイヴィダス・シェンベラス(リトアニア) ツェスカ・モスクワ→
♪イオアン・メリ(ルーマニア) ティミショアラ(ルーマニア)→

移籍
マラト・ビクマエフ →アクトベ(カザフスタン)
コスタ・バルバロウセス →パナチナイコフ(ギリシャ)

2.アムカル・ペルミ
加入
ヴァジム・ガグロエフ FKニージニー・ノヴゴロド→
アレクセイ・レブコ トミ・トムスク→
ミハイル・ベロフ ロコモチフ・リスキ→
♪イーゴリ・プクシチャク FKクラスノダール→
♪パーヴェル・イグナトヴィチ ディナモ・ブリャンスク→
♪ストニスラフ・マチャシュ ヴォルガリ=ガスプロム・アストラハン→

移籍
アンドレイ・トプチュ 契約解消
ラドミル・ジョロヴィチ(モンテネグロ) →セパハン(イラン)

3.アンジ・マハチカラ
加入
ラシナ・トラオレ(コートジヴォワール) クバン・クラスノダール→
フョードル・スモロフ ディナモ・モスクワ→
セルデル・セルデロフ ツェスカ・モスクワ→
♪エヴェルトン・アルメイダ(ブラジル) ブラガ(ポルトガル)→

移籍
ヤン・ゴレンダ(チェコ) →ロストフ・ロストフ=ナ=ドヌ
マハチ・ガジエフ 契約終了
♪アレクサンドル・マカロフ →シビリ・ノヴォシビルスク
ベヌア・アングブワ(カメルーン) →ロストフ・ロストフ=ナ=ドヌ
アレクセイ・イゴニン 契約終了

加入の可能性あり
ミロスラフ・ストフ(スロヴァキア) フェネルバフチェ(トルコ)
♪キリアコス・パパドプロス(ギリシャ) シャルケ04(ドイツ)
♪アクセリ・ヴィトセリ(ベルギー) ベンフィカ(ポルトガル)
×セイドゥ・ケイタ(マリ) バルセロナ(スペイン)
×ウェスリ・スナイデル(オランダ) インテル(イタリア)
(×は以前リストにあったが今回消えている人)

4.ヴォルガ・ニージニー=ノヴゴロド
加入
ドミトリー・クドリャショフ FKニージニー=ノヴゴロド→
セルゲイ・ヴァガノフ FKニージニー=ノヴゴロド→
ドミトリー・アイドフ FKニージニー=ノヴゴロド→
エゴール・タラカノフ FKニージニー=ノヴゴロド→
マチヤ・ドヴォルネコヴィチ(クロアチア) FKニージニー=ノヴゴロド→
♪シャミーリ・アシリダロフ テレク・グローズヌィ
アレクセイ・サポゴフ ゴルニャク・ウチャロフ→
♪アルトゥール・サルキソフ(アルメニア) シンニク・ヤロスラーヴリ→
♪ニコライ・ザイツェフ ガゾヴィク・オレンブルグ→
♪アルトゥール・ニグマトゥリン ツェスカ・モスクワ→

移籍
イナル・ゲチゲジェフ →ロストフ・ロストフ=ナ=ドヌ
♪アレクセイ・ポメルコ →FKヒムキ
♪ニキータ・チチェリン →ディナモ・モスクワ
♪セルゲイ・ベンジ →トミ・トムスク

5.ディナモ・モスクワ
加入
オトマン・バッカル(オランダ) PSVアイントホーフェン→
ゴルドン・シリデンフェリド(クロアチア) アイントラフト(ドイツ)→
♪デニス・コロジン ロストフ・ロストフ=ナ=ドヌ→
♪ニキータ・チチェリン ヴォルガ・ニージニー=ノヴゴロド→
♪アラン・ガタゴフ トミ・トムスク→

移籍
アレクサンドル・サメドフ →ロコモチフ・モスクワ
ウラジーミル・キセンコフ →ロストフ・ロストフ=ナ=ドヌ
ボリス・ロテンベルグ →オリンピアコス(キプロス)
トミスラフ・ドゥイモヴィチ(クロアチア) →モルドヴィヤ・サランスク
フョードル・スモロフ →アンジ・マハチカラ
アレクサンドル・エプリャヌ(モルドヴァ) →クルィリヤ=ソヴェートフ・サマラ
ウラジーミル・ソボレフ →FKヒムキ
♪アンドレイ・ヴォロニン フォルトゥナ・デュッセルドルフ(ドイツ)

加入の可能性あり
♪パウル・マシャドゥ(ポルトガル) トゥールーズ(フランス)

★序盤で躓いてしまい、先日シルキンさんが監督を辞任してしまったディナモ。サメドフに続いてヴォロニン移籍は痛いのでは?

6.ゼニット・サンクト=ペテルブルグ
加入
ルカ・ジョルジェヴィチ(モンテネグロ) モルゲン(モンテネグロ)→
♪ドミトリー・チスチャコフ ロストフ・ロストフ=ナ=ドヌ→
×レヴァン・ケニヤ(グルジア) シャルケ04(ドイツ)

移籍
♪ドミトリー・ボロジン 契約終了
♪サボルチ・フスティ(ハンガリー) →ハノーファー(ドイツ)
♪アンドレイ・アルシャーヴィン →アーセナル(イングランド)
♪アレッサンドロ・ロジーナ(イタリア) →シエナ(イタリア)
♪アイゼル・アッバソフ →クルィリヤ=ソヴェートフ・サマラ

加入の可能性あり
デニス・グルシャコフ ロコモチフ・モスクワ
シモネ・ペペ(イタリア) ユヴェントス(イタリア)
エディン・ジェコ(ボスニア) マンチェスター・シティー(イングランド)
♪ヤン・ムヴィラ(フランス) レンヌ(フランス)
♪ディミタル・ベルバトフ(ブルガリア) マンチェスター・ユナイテッド(イングランド)
♪ルイシ・ナニ(ポルトガル) マンチェスター・ユナイテッド(イングランド)
♪イブラギム・アフェライ(オランダ) バルセロナ(スペイン)
×アンドレアス・グランクヴィスト(スウェーデン) ジェノア(イタリア)
×エセキエリ・ガライ(アルゼンチン) ベンフィカ(ポルトガル)

7.FKクラスノダール
加入
ウラジスラフ・イグナチエフ ロコモチフ・モスクワ→
イーゴリ・スモリニコフ ロストフ・ロストフ=ナ=ドヌ→
ルスラン・ナフシェフ トミ・トムスク→
アンドレイ・シニツィン エニセイ・クラスノヤルスク→
セルゲイ・キスリャク ルビン・カザン→
ウラジーミル・コマン(ハンガリー) モナコ(フランス)→
※ハンガリー国籍なので本来姓→名かも知れませんが、ФНКの表記のままとしました。
移籍
アレクサンドル・クリチー(ベラルーシ) →シビリ・ノヴォシビルスク
ウラジーミル・タタルチュク →スパルターク・ナリチク
♪イーゴリ・ピクシチャク →アムカル・ペルミ
♪アンドレイ・ゴルバネツ →トミ・トムスク

8.クルィリヤ=ソヴェートフ・サマラ
加入
ピョートル・ネモフ ルビン・カザン→
エヴゲニー・バリャイキン トミ・トムスク→
アルチョム・デリキン トルペド・ウラジーミル→
ルイス・カバリエロ(パラグアイ) オリンピア(パラグアイ)→
パブロ・セバリオス(パラグアイ) オリンピア(パラグアイ)→
アレクサンドル・エプリャヌ(モルドヴァ) ディナモ・モスクワ→
♪アイゼル・アッバソフ ゼニット・サンクト=ペテルブルグ→

移籍
アントン・ボビョール →モルドヴィヤ・サランスク
ジョゼフ・ディ=キヤラ(カナダ) 契約解除
♪パーヴェル・ヤコヴレフ →スパルターク・モスクワ
♪アレクサンドル・フレブ(ベラルーシ) →バテ・ボリソフ
♪ドミトリー・モロシュ(ベラルーシ) 契約破棄

 
9.クバン・クラスノダール
加入
アンヘリ・デアリベルト(スペイン) バレンシア(スペイン)→
ダニエリ・ニクラエ(ルーマニア) モナコ(フランス)→
イブライマ・バリデ(セネガル) オサスナ(スペイン)→
♪アラズ・オズビリズ(アルメニア) アヤックス(オランダ)→

移籍
ラシナ・トラオレ(コートジヴォワール) →アンジ・マハチカラ

加入の可能性あり
ゲオルギオス・サマラス(ギリシャ) セルティック(スコットランド)
チプリアン・マリカ(ルーマニア) シャルケ(ドイツ)
クリスチアン・テナセ(ルーマニア) ステアウア(ルーマニア)

10.ロコモチフ・モスクワ
加入
ヴェドラン・チョルルカ(クロアチア) トッテナム(イングランド)→
アレクサンドル・サメドフ ディナモ・モスクワ→
♪ダメ・ンドイエ(セネガル) コペンハーゲン(デンマーク)→
♪ダリオ・クレシチ(クロアチア) PAOK(ギリシャ)→

移籍
ウラジスラフ・イグナチエフ →FKクラスノダール
アントン・アメリチェンコ(ベラルーシ) →テレク・グローズヌィ
ミハイル・ペトルセフ →ドニエプル・スモレンスク
ニキータ・ラピン →スヴェスダ・リャザン
スタニスラフ・イヴァノフ(モルドヴァ) →シェリフ(モルドヴァ)
♪イーゴリ・ゴルバン →シグマ(チェコ)
♪セニヤド・イブリチチ(ボスニア) →ガジアンテプスポル(トルコ)

加入の可能性あり
ディエゴ(ブラジル) アトレティコ(スペイン)
×アリベルト・ジラルジーノ(イタリア) ジェノア(イタリア)

11.モルドヴィヤ・サランスク
加入
アントン・ボビョール クルィリヤ=ソヴェートフ・サマラ→
ロマン・コンチェダロフ スパルターク・ナリチク→
ドミトリー・アバクモフ カマーズ・ナーベレジュヌィエ=チェルヌィ→
♪エヴゲニー・アルドニン ツェスカ・モスクワ
トミスラフ・ドゥイモヴィチ(クロアチア) ディナモ・モスクワ→
ダリボル・ヴォラシュ(スロヴェニア) シェリフ(モルドヴァ)→

12.ロストフ・ロストフ=ナ=ドヌ
加入
アレクサンドル・シェシュコフ スパルターク・モスクワ→
セルゲイ・ベロウソフ トルペド・モスクワ→
イナル・ゲチゲジェフ ヴォルガ・ニージニー=ノヴゴロド→
ウラジーミル・キセンコフ ディナモ・モスクワ→
ヤン・ゴレンダ(チェコ) アンジ・マハチカラ→
ベヌア・アングブワ(カメルーン) アンジ・マハチカラ→
♪ニコライ・ザボロトヌィ スパルターク・モスクワ→
♪アンドレイ・イヴァノフ トミ・トムスク→

移籍
イーゴリ・スモリニコフ →FKクラスノダール
ミハル・パパドプロス(チェコ) →ザグレムベ(ポーランド)
♪ロマン・エメリヤノフ →イリイチョーヴェツ(ウクライナ)
♪アントン・コチェンコフ →スパルターク・ナリチク
♪デニス・コロジン →ディナモ・モスクワ
♪ドミトリー・チスチャコフ →ゼニット・サンクト=ペテルブルグ

加入の可能性あり
シヤンドゥ・フル(南アフリカ) マメロディ・サンダウンス(南アフリカ)

13.ルビン・カザン
加入
ミハイル・プレチケ(モルドヴァ) アカデミヤ(モルドヴァ) →
イヴァン・マルカノ(スペイン) ビリャレアル(スペイン)→
イヴァン・テムニコフ ディナモ・ブリャンスク→
♪ギョクハン・トレ(トルコ) ハンブルク(ドイツ)→
♪パヴロ・オルバイス(スペイン) オリンピアコス(ギリシャ)→
♪サロモン・ロンドン(ヴェネズエラ) マラガ(スペイン)→

移籍
ピョートル・ネモフ →クルィリヤ=ソヴェートフ・サマラ
ホナタン・バリエ →レクレアチボ(スペイン)
マラート・ドイアチ →シンニク・ヤロスラーヴリ
ソロモン・クヴェルクヴェリヤ(グルジア) →ネフテヒミク・ニジェネカムスク
セルゲイ・キスリャク →FKクラスノダール
♪ゲオルギー・ヌロフ →ネフテヒミク・ニジュネカムスク
♪ニキータ・ボチャロフ →ネフテヒミク・ニジュネカムスク
♪ネリソン・ヴァリデス(パラグアイ) →バレンシア(スペイン)

加入の可能性あり
レナート・ヤンバエフ ロコモチフ・モスクワ
×オラ・トイヴォネン(スウェーデン) PCV(オランダ)
×ラフィク・ジェッブル(アルジェリア) オリンピアコス(ギリシャ)
×ブルノ・ソリアノ(スペイン) ビリャレアル(スペイン)
×キム・チェリストリョム(スウェーデン) リヨン(フランス)
×マヌエル・フェルナンデス(ポルトガル) ベシクタシュ(トルコ)
×バフェチムビ・ゴミス(フランス) リヨン(フランス)
×エリアス(ブラジル) スポルティング(ポルトガル)
×パヴェル・ママエフ ツェスカ・モスクワ

14.スパルターク・モスクワ
加入
イリヤ・クテポフ アカデミヤ・トリヤッティ→
ロムロ(ブラジル) ヴァスコ=ダ=ガマ(ブラジル)→
♪キム・チェリストリョム(スウェーデン) リヨン(フランス)→
ヴャチェスラフ・クロトフ ヴォルガリ=ガスプロム・アストラハン→
♪フアン・マヌエリ・インサウルラリデ(アルゼンチン) ボカ・フニオルス(アルゼンチン)→
♪パーヴェル・ヤコヴレフ クルィリヤ=ソヴェートフ・サマラ→
♪イーゴリ・ゴルバテンコ ウラル・エカテリンブルグ→

移籍
アレクサンドル・シェシュコフ →ロストフ・ロストフ=ナ=ドヌ
アントン・ホディレフ →シビリ・ノヴォシビルスク
マルコス・ロホ(アルゼンチン) →スポルティング(ポルトガル)
♪ニコライ・ザボロトヌィ →ロストフ・ロストフ=ナ=ドヌ
♪アレクサンドル・コズロフ →FKヒムキ
♪フョードル・クドリャショフ →テレク・グローズヌィ

加入の可能性あり
イヴァン・ラキチチ(クロアチア) セビージャ(スペイン)
アイメン・アブデンヌル(チュニジア) トゥールーズ(フランス)
ジョン・ハイティンガ(オランダ) エヴァートン(イングランド)
♪ニコラス・ベントナー(デンマーク) サンダーランド(イングランド)
×ダヴィデ・アストリ(イタリア) カッリャリ(イタリア)
×フェリペ・メロ(ブラジル) ガラタサライ(トルコ)
×ブルノ・ソリアノ(スペイン) ビリャレアル(スペイン)

15.テレク・グローズヌィ
加入
アントン・アメリチェンコ(ベラルーシ) ロコモチフ・モスクワ→
マゴメド・ミトリシェフ スパルターク・ナリチク→
♪フョードル・クドリャショフ スパルターク・モスクワ→
♪エゼケエリ・ンドアセリ(チャド) アフリカン(チュニジア)→

移籍
シャミーリ・アシリダロフ →ヴォルガ・ニージニー=ノヴゴロド
ゼヴィク・ハイモヴィチ(イスラエル) →ハポエル・テルアビブ(イスラエル)
♪エルヴェ・ゼンゲ(カメルーン) 契約解除
♪ギ・ステファン・エスサメ(カメルーン) 契約解除

加入の可能性
ヴァレリー・ボジノフ(ブルガリア) スポルティング(ポルトガル)

16.ツェスカ・モスクワ
加入
マリオ・フェルナンデス(ブラジル) グレミオ(ブラジル)→
♪ラスムス・エリム(スウェーデン) AZ(オランダ)

移籍
♪エヴゲニー・アルドニン →モルドヴィヤ・サランスク
セルデル・セルデロフ →アンジ・マハチカラ
デイヴィラス・シェンベラス(リトアニア) →アラニヤ・ウラジカフカス
♪アルトゥール・ニグマトリン →ヴォルガ・ニージニー=ノヴゴロド
♪エヴゲニー・コブザリ →FKヒムキ

加入の可能性
♪ドゥドゥ・セアレンセ(ブラジル) アトレチコ(ブラジル)
♪オラ・トウヴォネン(スウェーデン) PSV(オランダ)
×パウリーニョ(ブラジル) コリンチャンス(ブラジル)
×マチアス・スアレス(アルゼンチン) アンデルレヒト(ベルギー)

このФНКの移籍情報リストは、例のごとく、「加入の可能性」のリストはあっても、ロシアリーグ外に移籍するかもしれない情報については載っていないのです。

国外リーグではドミトリー・ブルィキンがアヤックスからトウェンテへ。契約期間は2年。

背景の写真

「12の椅子」と「オデッサ・スタジオ」の背景の写真を変えてみました。

「12の椅子」はオデッサ港入り口。


「オデッサ・スタジオ」はオデッサの撮影所


そういうわけで、ブログは皆2007年にオデッサで撮ったものに揃えました。

このブログはまさにオデッサ海岸通りで撮ったもの。
Так Да, Одесса!はオデッサ方言と言いましょうか、「それがオデッサなんだよ」みたいな意味だそうです。

「オデッサ・コスモス」は9月1日オデッサ創立記念日の夜、オペラ劇場の裏の篝火。


「ファンタスチカ・オデッサ」はオデッサ駅。




2012年8月15日水曜日

シェヴァの最後の試合?

ロシア第二代表対ベルギーU21
17:00(日本時間22:00)~ナーベレジュヌィエ・チェルヌィ カマーズスタジアム

始まったのだけれど、ガゼータ・ルーのテキストライヴにはまだスターティングメンバーが出ていません。
ポマザン、サペタ、イオノフ、パンチェンコらは確認。
プルドニコフ。
スモリニコフ?
ヴァシン

PCののろのろ動作の内にアレクセイ・イオノフがゴールしたじゃないか。

Россия-2
ОСНОВНОЙ СОСТАВ
1. Евгений Помазан (в) エヴゲニー・ポマザン
青い服。
前半危ない場面もあったが、そつなくこなしている。
2. Виталий Дьяков (з) ヴィタリー・ジヤコフ
3. Али Гаджибеков (з) アリ・ガジベコフ
4. Игорь Смольников (з) イーゴリ・スモリニコフ
10. Виктор Васин (з)ヴィクトル・ヴァシン
5. Артур Юсупов (п) アルトゥール・ユスポフ
イエローを頂戴した。
6. Александр Сапета (п)アレクサンドル・サペタ
PKで2点目。
8. Алексей Ионов (п)アレクセイ・イオノフ
1点目。
11. Никита Бурмистров (п)ニキータ・ブルミストロフ
割と動きは良かった。
7. Кирилл Панченко (н) キリル・パンチェンコ
9. Александр Прудников (н) アレクサンドル・プルドニコフ
PKをもらったのは彼。

ЗАПАСНОЙ СОСТАВ
. Дмитрий Абакумов (в)
. Евгений Макеев (з)
. Георгий Габулов (п)
. Владимир Дядюн (н)

ТРЕНЕР
Юрий Анатольевич Красножан

Бельгия U19
ОСНОВНОЙ СОСТАВ
1. Колин Косеманс (в)
2. Жордан Фельтесс (з)
3. Ноэ Дюссен (з)
4. Павел Верстрат (з)
5. Яннес Ванстеенкисте (з)
6. Франко Сеннаро (з)
7. Алессандро Чериджони (п)
8. Флоран Кювилье (п)
9. Дилан Де Белдер (п)
10. Жор Тромпе (н)
11. Ханс Ванакен (н)

ЗАПАСНОЙ СОСТАВ


ТРЕНЕР
Марк ван Герсом

ベルギーGKのファウルでPKを得て、アレクサンドル・サペタが確実に決めて2-0.
これで前半終わりかな。

ジャジュンが出ている。
誰と交代した?
プルドニコフか?

62'
Безлихотнов вышел вместо Ионова.

72'
Ткачук меняет Бурмистрова.

ポマザンが素晴らしいセーブで失点を免れた。
75'
Отличный сейв Помазана! Кювелье исполнил штрафной метров с 25, но Евгений в красивом прыжке перевел мяч через перекладину!

15番のプラチナブロンドはイオノフと交代して入った子。
ベズリホトノフっていうのか。
90年生まれのトルペド・モスクワの選手。
(トルペドは今季一部リーグで大変苦戦している。)

彼がベルギーのファウルを誘い(レッドカード)、パンチェンコがPKを決めて3-0.
またもPKになって(ベルギーのGKが気の毒だ)、今度はジャジュン。
4-0

点差はこれだけど、3点はPKですからね。
かなりのホームアドヴァンテージなので、まず無失点で切り抜けてほしいものだが。

流れの中で得点まで持って行けないのが観ていてもどかしい。
シュートはするが、ちょっと足りない。
外してしまう。
またキーパー正面だし。
クロス合わないし。
といううちに終わりました。

点差からすると圧勝だけど、審判が大甘でした。
ベルギー、可哀そう。
お互い怪我しなかったかな?

ロシア対コートジヴォワール
19:00(日本時間24:00)~モスクワ ロコモチフ・スタジアム
Россия
ОСНОВНОЙ СОСТАВ
1. Игорь Акинфеев (в)
2. Александр Анюков (з)
3. Георгий Щенников (з)
4. Сергей Игнашевич (з)
24. Василий Березуцкий (з)
7. Игорь Денисов (п)
8. Денис Глушаков (п)
17. Алан Дзагоев (п)
20. Виктор Файзулин (п)
23. Владимир Быстров (п)
19. Роман Павлюченко (н)

ЗАПАСНОЙ СОСТАВ
13. Антон Шунин (в)
16. Вячеслав Малафеев (в)
5. Тарас Бурлак (з)
12. Алексей Березуцкий (з)
14. Андрей Ещенко (з)
25. Арсений Логашов (з)
15. Динияр Билялетдинов (п)
18. Александр Самедов (п)
21. Магомед Оздоев (п)
9. Александр Кокорин (н)
10. Андрей Аршавин (н)

ТРЕНЕР
Фабио Капелло

Кот-д'Ивуар
ОСНОВНОЙ СОСТАВ
. Даниэль Йебоа (в)
. Сулейман Бамба (з)
. Яя Туре (п)
2. Абдул Разак (п)
. Макс Градель (н)

ЗАПАСНОЙ СОСТАВ
. Игор Лоло (з)
. Жан-Жак Госсо (п)
. Дидье Конан Я (н)

ТРЕНЕР
Сабри Лямуши

まずはブィストロフが飛ばしている。

パヴリュクのFK,コートジヴォワールの選手があからさまにハンドだったがとってもらえなかった。

コートジヴォワールの選手たちはかなり乱暴だ。
怪我させられないか心配だ。

もうアニュコフが交代。ロガショフが入る。
さっきので怪我したのでは?

今度はイグナシェーヴィチ?
ああ、そう言えばアルシャーヴィンは先発じゃなかったっけ。

パヴリュク→ココラ

ザーガがFKを決めて1-0.
さすが代表では決定力があること。
55'
ГООООООООООООООООЛ! Великолепный удар получился у Дзагоева со штрафного. Мяч влетел точнёхонько в дальний нижний угол.

しかし、ザーガ→アルシャーヴィン
(ブィストロフと交代かと思った。)
アキンフェーエフ→マラフェーエフ

最後の交代?
ブィストロフ→サメドフ

だめ。
入れられた。
フリーにしてしまったね。
カペッロさん、残念そう。
ザーガが交代してからリズムはよくない。

眠気を抑えて観た割にはがっかりする試合だった。
パヴリュクは相変わらずの外しようだったし。


ロシアU21対イスラエルU21
20:45(日本時間1:45)~ヒムキ アレーナ・ヒムキ

A代表の試合終了後、すぐ画面がU21になった。
ヤコヴレフ、走る、独走!
PK?
押さえられた。
(そんな予感がした。)

Россия U21
ОСНОВНОЙ СОСТАВ
1. Николай Заболотный (в)
2. Ибрагим Цаллагов (з)
3. Виталий Устинов (з)
4. Никита Чичерин (з)
5. Максим Беляев (з)
6. Александр Зотов (п)
7. Антон Соснин (п)
8. Павел Яковлев (п)
9. Олег Шатов (п)
10. Фёдор Смолов (п)
11. Максим Канунников (н)

ЗАПАСНОЙ СОСТАВ
12. Александр Фильцов (в)
13. Иван Князев (з)
15. Максим Жестоков (з)
14. Игорь Ламбарский (п)
16. Юрий Кириллов (п)
17. Денис Черышев (п)
18. Арсен Хубулов (п)
19. Виктор Свежов (п)
20. Шота Бибилов (п)
21. Артём Делькин (н)

ТРЕНЕР
Николай Николаевич Писарев

Израиль U21
ОСНОВНОЙ СОСТАВ
. Борис Клейман (в)
. Сари Фалах (з)
3. Офер Верта (з)
4. Бен Вааба (з)
13. Талеб Тавата (з)
. Мароан Кабаа (п)
. Орр Баруч (н)

ЗАПАСНОЙ СОСТАВ


ТРЕНЕР
Гай Лузон

午前2時過ぎると眠気が増し、殆ど観ていない。
朝起きてみると2-2の同点だった。
お疲れ様。
イスラエルには勝って欲しかったが。




④ウクライナ対チェコ
22:00(日本時間3:45)~リヴォフ アレーナ・リヴォフ

結局、シェヴァもヴォロニンもメンバーに入っていなかった模様。
(試合は全く観ていない。)

⑤アルメニア対ベラルーシ
19:00(日本時間24:00)~

⑥ウクライナ対ベラルーシ
15:55~
これは第二代表??

⑦ウクライナU21 対スロヴェニアU21
21:00~

⑧アゼルバイジャン対バハレーン
17:00(日本時間22:00)~

イランはお休みか?
いや、チュニジア戦でした。



⑨ベラルーシU21対キプロスU21 U21世界選手権(2013年)予選
完敗したようだ。
心配。

2012年8月14日火曜日

モスクワで集合

シチェンニコフ,ブルラク、そして暴走特急君がインタビューを受けています。
Капелло сказал: "Поехали!" (カペッロ曰く「さあ、行くぞ!」)

バスがいつになく豪華な気がする。 明日はシェヴァやヴォロニンの引退試合になる(シェヴァは選手としても引退してしまう)ウクライナの試合も観たい。

なぜ繰り返す

普通、市井の人というのは「名探偵」の名前なんて知らないと思う。
探偵の存在自体遠いものであることだし。

そうはいっても、架空の存在である名探偵浅見光彦の名は私でも知っている。
TVでいろいろな俳優さんが演じているのを何となく知っている。

劇団銅鑼の浅見光彦役、館野さんも、軽妙でおっとりして意外と合っている感じ。

今回の公演「遺骨」は、劇団創立40年、新稽古場杮落しを記念した公演でした。
その稽古場での公演なので、舞台は小さいです。
おまけにアリーナ形式。
舞台部分はとても小さいのに、劇団員総出演という話で、いやはやどういうことになるのでしょう?

谷田川さほさんがブログで紹介されていたように、開演前の舞台には浅見家のミニニュアセットが置かれていました。






スピーディーな展開でユーモラスな雰囲気もあり、けれども臓器移植やら人体実験やら戦中の日本の行為やら今なお続く薬害問題やら、テーマはてんこ盛りです。
いつもの銅鑼だったら、ちょっと真面目すぎて肩が凝るような気がしないでもないですが、軽快に展開していきました。

しかし、簡単には伝えきれないのでもどかしいのですが、薬害はどうしていつも同じような経過を辿るのだろう、被害者の方たちは「自分たちで最後にして欲しい、繰り返さないで」と言って製薬会社やお役所はそれを«誓約»するのだが…。
(厚生労働省前には誓いの像も建立されたのに。)
731部隊の生体実験に関わってしまった人たちにも通じることかもしれないけれど、薬を開発してより多くの人たちを助けるためには、«多少の犠牲»はやむを得ないのだ、という思考があると、そしてそこにちょっとした差別意識が入り混じると、その«犠牲»は被差別者に向かう。
どうしてもその繰り返しが断ち切れずに続いている。
幾度もそういう光景を目にしてきているので、辛い。

よりよき未来を信じたい。
(チェーホフみたいに?)

2012年8月12日日曜日

あの日に帰れたら

«Выкрутасы»(巧妙な言い逃れ)邦題「エターナル 奇跡の出会い」の中で、婚約者のいるモスクワへと行くために卑劣な手段を使って少年サッカーチームを敗戦へと誘導しようとする主人公に向かって、とある人物が忠告する。
「(試合にはあっても)人生に後半はないんだぞ」

まだあると思っていたものが、ある日突然、そうではない、もう以前のようなわけにはいかないのだ、と知らされる場面がある。

私はサッカーが好きで、だからサッカー映画も好きなんですよ、と話したら、山田和夫さんは「ハンガリー映画で「地獄のハーフタイム」っていうのがありますよ。ディナモ・キエフの«死の試合»についての映画ですよ。今度その資料を持ってきましょうね」とおっしゃった。

そのときには、山田さんに次に会うのは山田さんの受賞記念パーティーの予定だった。
まさかそのパーティーの場で、とはさすがに思わなかったが、まあ近いうちにお話が聞けるものだと思っていた。
ちょうど2年くらい前のことだ。

ところが、パーティーは開かれなかった。
山田さんは療養生活を余儀なくされることになった。
それでもまだ、「いつか」があることを願っていたのだけれど。

次はなかったんだなあ…。
まだまだいろいろお話を伺いたかったのに。


 2007年の夏にご一緒した旅行はほんとうに楽しかった。
これはオデッサ撮影所。
キーラ・ムラートヴァが活躍している(はずの)スタジオだが、活況とは言えない様子だった。



オデッサでおそらく一番有名なところ。
「戦艦ポチョムキン」で知られるリシュリュー階段。

最初に行った時は土砂降りでしたね。

ご家族(とてもご苦労されていた)に癒しと慰めが与えられますように。

嗜みとして

ボクシングの決勝で勝利したウクライナの選手がリングの上でコサックダンスもどきをやっている。
お茶目だ。

ウシクさん。
画像を入手したいものだ。

髪型もコサック風、腕にタトゥー。

両足上げも結構高く、試合そのものは観ていなかったのだけれど、闘いの後でも余裕があるのですね。

コサックというとドン・コサックとかクバン・コサックとか。
彼はウクライナのどこのご出身なのでしょうか?
キエフでもコサックグッズは割とあったけれど、コサックを売りにしているのはザポロージエあたり?

今はどうだかわからないが、ソ連の学校では民族舞踊は授業でしっかり教えていたようで、あちらの男の子に「コサックダンスやって」とせがむと、すぐその場で応じてくれます。
男の子のみならず、相当年齢の人にもつい言ってしまい、そのおじさまがほんとに踊ってくれたので感動且つちょっぴり後悔(これからは無理をさせないようにしよう)としたものです。

ウシクさんもコサックダンスの嗜みがしっかりあったようです。

これがカフカース系の選手だとレズギンカになるのですよ。
ザゴエフが時に披露するように。

追記:
ウシクさんの記事・写真・動画はこちら
写真は勝利のダンスを上から撮ったものが2枚、動画は決勝の試合を最初から判定後ダンスしてウィニングランするところまで。
ダンスの後、四方に十字をきって頭を下げるあたり、敬虔な正教徒であることを思わせます。
腕のタトゥーはすごいけど。

Все взвесив, судьи после долгой паузы отдали победу и Олимпийское «золото» Усику, который, не сдерживая эмоций, станцевал для себя и всех болельщиков Олимпийский гопак.

あちらの人はあれを「コサックダンス」ではなく「オリンピックのゴパック」というのですね。
ゴパックって、「くるみ割り人形」に出てくる速くて威勢のいいダンス曲です。

2012年8月11日土曜日

絵を聴き、音を観る

視覚しているものから響きを感じ取り、効いているものから目の前にある光景が浮かんでくるということは、普通によくあることでしょう。

美術と音楽のコラボレーションの試み、昨夜はその一つ国立近代美術館60周年企画「絵と音の対話」の第一日、「絵と音―対話的手法」に行ってきました。

プログラムはバリトンの松平敬さんがほぼ一人でこなすものでした。

音編
1.グレゴリオ聖歌:«主の祈り»、«めでたし、天の星»
2.ジョン・ケージ:«一人のための音楽»
3.ジョン・ケージ:«8 WHISKUS»
4.早坂文雄:«うぐいす»«孤独»(『春夫の詩に依る四つの無伴奏の歌』)
5.湯浅譲二:«R.D.レインからの二篇»
6.草野心平:«ごびらっふの独白»
7.クルト・シュヴィッタース:Obervogelsang,The real disuda of the nightmare
8.木下正道:«石をつむⅡ»
9.ジョン・ケージ:«アリア»

これと、開演ベルが松平さんご自身の作曲の«杉並コール»でした。

美術編
1.ヴァシリー・カンディンスキー「全体」1940年 ↓
2.クルト・シュヴィッタース「E.+E.シュヴィッタースより」1947年
3.ハンス・リヒター「色のオーケストレーション」1923年
 掛け軸状・巻物風になっていたという作品。なので、上から巻物を広げるようにして視線を映しましょうというアドヴァイスをプレトークでいただきました。
4.古賀春江「海」1929年
5.北脇昇「周易解理図(八卦)」1941年
6.若江漢宇「見る事と視える事―枝」1978年

(第二日・第三日のための絵画)
7.横山操「ウォール街」1962年
8.ゲルハルト・リヒター「抽象絵画(赤)」1994年

9.李禹煥「線より」1977年
10オスター・ココシュカ「アルマ・マーラーの肖像」1912年
11南薫造「少女」1981年
12藤田嗣治「五人の裸婦」1923年←猫・犬います
13イチムラレイ「横たわる少女」1997年

14横山大観「或る日の太平洋」

15ジョン・ケージ«アリア»楽譜1958年 ↓ これなんですが
絵本のようですが、楽譜なのです。
これでどんなふうに楽譜として使うのか?と、演奏前には頭をひねりました。

プログラムノートによると、
「10種類の曲線は演奏者によって選択される10種類の唱法に対応する。」
「歌詞は5ヶ国語のテキスト断片によるコラージュ。」

左下に見える「黒い正方形は任意のノイズ」
ということで、下に掲げた写真のように、たくさん音の出るものを持ち込み、いかにも現代音楽だなあという、ひゅうひゅう、ぽこぽこ、しゃりしゃりといろいろな音を出していました。

上の「楽譜」は展示用のものでしたが、市販もされています(8000円とちょっと)。
下の「楽譜」は松平さんのもので、演奏用にいろいろ書き込みがあります。

 例えば右上のロシア語「GDE ONA」(彼女はどこ)の上には「ファルセット」と書き込まれています。
5ヶ国語とは、アルメニア語・ロシア語・イタリア語・フランス語・英語です。
アルメニア語…はどれだかさっぱりわかりませんでした。
なぜアルメニア語なのか、ジョン・ケージってアルメニア系だったの?
いえ、この曲がアルメニア人ピアニストMaro Ajemianによって初演されたものだからのようです。


告白しますと、私は以前ジョン・ケージの曲が演奏されるコンサートに行ったときは、少し眠りました。
加えて「早く終わってくれ~」という気分になりました。
しかし、今回はうって変わって楽しめました。
視覚効果がこんなにも現れるとは。
現代音楽って、どうも皆グバイドゥーリナに聞こえるのですが、今回のプログラムでは日本人作曲家の作品は雅なイメージが色濃かったし、グレゴリウス聖歌と並べても意外と合うものだなと認識できたわけです。
蛙語(今回は原語演奏のみで日本語訳なし)はドイツ語みたいだった!

美術作品の撮影は、演奏中以外であれば可でした。



2012年8月9日木曜日

カペッロさんの第一歩

月曜日に発表された、15日対コートジヴォワール戦に向けてのロシア代表
先日たくさん呼んでいたリストからだいぶ絞られました。

GKはこのあいだと同じ三人。
このところのいつもの人たち。

イーゴリ・アキンフェーエフ(ツェスカ)
ヴャチェスラフ・マラフェーエフ(ゼニット)
アントン・シュニン(ディナモ)

DF
アレクサンドル・アニュコフ(ゼニット)
アレクセイ・ベレズツキー
ヴァシリー・ベレズツキー
セルゲイ・イグナシェーヴィチ(以上ツェスカ)
タラス・ブルラク
アンドレイ・エシチェンコ(以上ロコモチフ)
に加えて
シチェンニコフ(ツェスカ)
以上7名。

リストから外れてしまったのは
ロマン・シシキン(以上ロコモチフ)
ウラジーミル・グラナト(ディナモ)
ユーリー・ジルコフ
アルセニー・ロガショフ(以上アンジ)
ロマン・シャロノフ(ルビン)

MF
ディニヤル・ビリャレトジノフ
ドミトリー・コムバロフ(以上スパルターク)
ウラジーミル・ブィストロフ
イーゴリ・デニソフ
ヴィクトル・ファイズリン
ロマン・シロコフ(以上ゼニット)
アラン・ザゴエフ(ツェスカ)
デニス・グルシャコフ
マゴメド・オズドエフ
アレクサンドル・サメドフ(以上ロコモチフ)

リストから外れたのは
マラト・イズマイロフ(スポルティング(ポルトガル))
アレクセイ・イオノフ(クバン)→B代表へ
アレクサンドル・リャザンツェフ(ルビン)
オレグ・シャトフ(アンジ)

FW
アンドレイ・アルシャーヴィン(アーセナル(イングランド))
アレクサンドル・ケルジャコフ(ゼニット)
アレクサンドル・ココリン(ディナモ)
ロマン・パヴリュチェンコ(ロコモチフ)

リストから外れたのは
アルチョム・ジューバ(スパルターク)
ウラジーミル・ジャジュン(ルビン)→B代表へ
フョードル・スモロフ(アンジ)

同日17:00~のナーベレジヌィエ=チェルヌィのカマーズ・スタジアムで行われる対ベルギー戦に向けてのロシアB代表も発表になりました。

GK
ドミトリー・アブクモフ(モルドヴィヤ)
エヴゲニー・ポマザン(アンジ)
先日のリストと同じ。

DF
ヴィクトル・ヴァシン(ツェスカ)
アリ・ガジベコフ(アンジ)
ヴィタリー・ジヤコフ(ロストフ)
エヴゲニー・マケエフ(スパルターク・モスクワ)
イーゴリ・スモリニコフ(FKクラスノダール)
こちらも先日のリストと同じ。

MF
ニキータ・ベズリホトノフ(トルペド・モスクワ)
セルゲイ・ベロウソフ(ロストフ)
ニキータ・ブルミストロフ(アムカル)
ゲオルギー・ガブロフ(アンジ)
アレクセイ・イオノフ(クバン)
アレクサンドル・サペタ(ディナモ・モスクワ)
アルトゥール・ユスポフ(ディナモ・モスクワ)
デニス・トカチュク(サリュート・ベルゴロド)

イオノフがA代表候補からこちらに移りました。

FW
ウラジーミル・ジャジュン(ルビン)
キリル・パンチェンコ(モルドヴィヤ)
アレクサンドル・プルドニコフ(スパルターク・モスクワ)
ジャジュンがA代表候補からこちらに移りました。




ミーラヤ・コノプリャンカ

マウリッツハウス美術館展のチケットを入手していたので、行かなきゃなあと焦り始めていました。
混んでいるだろうから、行くならいつ行くのか、よく考えて決めないと。

遂に行ってみたので、これから観に行く方にアドヴァイス。

1.土日は避ける。
2.何と言っても朝一番に入館する。
(夜間開館の金曜日に行ってみるのもよいかもしれない。)

目新しいことはなく、これだけです。

着いたのは8時45分頃。
東口の前に列ができていてそこに並んだら、ほどなく館内に誘導され、“炎天下で長時間待ち”ということはなく、涼しいところで待機することができました。
(チケットは予め手元に用意しておくことは言うまでもありません。)

最初から2番目のグループで入場し、周囲にお子様集団がいるのにちょっと脅威を感じながら、しずしずと会場に入ったわけですが、まあまあの混み具合です(レーピン展を比べるとよっぽど混んでいる)。

ただ、例のあの絵、「真珠の耳飾りの少女」は、最前列で観たい人用の列がつくってあり、肩越しでもよければ並ばなくても観られます、という仕組みになっています。
さして列も長くないので列に並んで見て、そのあと列の外からも観て(他の人もそうしていた)、充分あの子を鑑賞することができました。
以前この絵を観た時、「青いターバンの少女」というタイトルにも関わらず“少女”だとわからず、3,40代の女性だと思ってしまっていたものです。

この絵を過ぎると、あとは大丈夫。
ゆっくり観られます。
私がとても素敵だと思ったのはカレル・ファブリティウスの「ごしきひわ」という小さな油彩画です。
Ой, какая милая коноплянка!
コノプリャンカ
可愛らしい。

このあともう一度最初からまわってみましたが、もうたいへんな人混みになっていました。
レンブラントもブリューゲルも、さきほとは立ち止まって深く深く見入ることができましたが、もうそれは適いません。
やはり朝一番でないと。

それから、会場特設のショップは例の絵絡みのグッズが多いですが、むしろ美術館常設のお店の方が充実しているようです。
特設ショップはうさこちゃんをはじめとするオランダ発の商品も並んでいて、デルフト焼き風のバンダナなどが素敵でした。
それから『ミッフィーとフェルメールさん』というコラボの本も割とおもしろかったです。
ミッフィーことうさこちゃんは「牛乳を注ぐ女」の絵を観て「随分腕が太いわ」と指摘し、それを受けてふわふわさんは「働いている人だからね」と落ち着いた答えをする、微笑ましい光景が繰り広げられます。

そんなわけで、明日の夜は狙い目かも知れません。

会場の最後あたりに展示されていた、あの絵の衣装再現の図。
これはまあ、いいのだけれど、出品リストにもこの衣装をまとった女優の写真が場違いに載っていて、あーあという感じ。


2012年8月5日日曜日

3節の翼たち

ツェスカ対ゼニット

ツェスカは前の試合で2人の退場者を出し、ボロボロの試合をしていたので、今日のゼニットは楽勝であろうと安心していたら、案の定でした。
セマクとケルジが得点。
楽勝。

ロコはクラスノダールに負けてしまった。

今日はクルィリヤ=ソヴェートフ・サマラ対クバン・クラスノダール、22:00から。

セリョージャが帰ってきた!
お帰り、コルニレンコ。
そしてやってくれた、やはり!
クルィリヤは押しながら先制されてしまったのだが、セリョージャが同点にした。
素敵なゴールだ。

クバンの選手たちが苛立っている。
コズロフがイエローのすぐ後に、トリソフが一発レッド。
メタルルグ・スタジアムののどかな風景の中、衝立がちょっと開いて、トリソフは去っていったのでした。
今度は足をひっかけられたがカードは出ない。
フリーキックのみ。
アディショナルタイム4分。
攻めてはいるが決め切れず。

一人多いホームの試合なのに優位に試合を進めているとは言えなかったが遂に勝ち越し。

勝った。
おめでとう、ありがとう、セリョージャ。

ディナモ,一体何が起こっているの?

昨日あったその他のこと

6月に急に呼吸困難になって病院に運び込まれて一時は意識不明だった身内の人は、金曜日に無事に退院しました。
(との報告を受けました。)
これから風邪をひいたりして肺が炎症を起こしたりしないように細心の注意を払わなければいけないのでしょう。
日常生活でも活動がかなり制限されたものになるのではないでしょうか。
肉親の中でもお芝居や映画の話が弾む数少ない一人だったのだけれど、今後そんな人混みにでていけるものなのか、わからない。
それでも、この世に貢献しているという実感を得ていて欲しいので、できることをお願いしていこうか、と考えています。
経済的にはだいぶ苦しいことになることが予想されます。

そして、昨日はレーピン展を観た後、やっぱりロシア料理にしようと思って、新宿ミロード8階の「マトリョーシカ」に行って、セットメニューを注文しました。
ハト麦のサラダ・ボルシチ・ピロシキ・壺焼き(私はかぼちゃのにした)・ロシア紅茶(ジャムとワイン入り)というもの。
まあおいしいのだけれど、ロシア度はあまり高くありませんでした。
敢えて日本風にアレンジしたロシア料理ということです。
壺焼きの蓋部分のパンは抹茶入りだったりするし。
紅茶も日本風に予め中にジャムが入れてあります。
(病人用飲み物みたいだった。ワインが入っているのもそういう雰囲気を醸し出している。)
夕方は母と弟を呼んで同居猫のお誕生会にするので、小田急エースの箱寿司でテイクアウト、小田急の地下でケーキを買う…予定だったけれど、気に入ったのが見つからず、ケーキは某所で小ぶりなものに妥協しました。
実家からは飲み物類(ワイン・ビール)の提供がありました。

弟は発作後はじめて猫の様子を観て、案の定ショックを受けていました。
でも、ふらふらよろよろしながらも自力で歩きまわっているのですよ。

2012年8月4日土曜日

何という懐かしさだろう!

レーピン展の初日、開館した10時から12時過ぎまで2時間以上、たっぷりじっくり彼の絵を堪能しました。


美術館に行く前に、ここにも注目を
↓ 
"Не ждали"(思いがけなく)

"Отдых. Портрет жены художника"
(休息 画家の妻の肖像)

東急本店の外側、スターバックスの向かいの壁のショーウィンドウのディスプレイです。


先着プレゼントで「トレちゃん」と「コフちゃん」のクリアフォルダーをいただきました。
(真ん中の「チャコちゃん」は自ら購入したものです。)
奥においているのは今回のレーピン展のカタログ(左)とBunkamura広報誌です。

今回のレーピン展は、今日から10月8日までのBunkamuraザ・ミュージアムを皮切りに浜松・姫路・葉山(神奈川県立近代美術館葉山館)と巡回します。
(前半の2会場と後半の2会場では一部展示される作品が違うということが、会場に置かれていたカタログでわかりました。来年の葉山の会場にも行ってみるべきか。)

「近代ロシア絵画の巨匠、日本初の本格的回顧展」という触れ込みですが、それはちょっと看板に偽りありでは?


左の黄土色のカタログは1975年に行われた「19世紀から現代 ロシア・ソビエト国宝絵画展」。
会場は日本橋三越。
カタログにチケット半券が挟まっていました(カタログの手前)。
レーピンの代表作「ヴォルガの船曳き」が知られるようになったのは、このときの展覧会もかなり寄与しているのでしょう。
(この時のこの絵のタイトルは「ボルガの曳舟人」となっている。)
アイヴァゾフスキーの「荒海」、シーシキンの「麦」などの帝政ロシア時代の名画とともにソ連の美術家ピメノフ、ポノマリョフ、サラホフらの作品が、わずか2週間ほどですが、デパートの美術館で展示されていたとは感慨深いです。
ソ連の画家の作品は日本の個人蔵となっています。
今では展覧会に出てくる機会も殆どないでしょうね。

右の白いカタログは1978年の「ロシア絵画の巨匠 レーピン名作展」。
これも会場は日本橋三越(その後奈良県立美術館と東京国際美術館に巡回と書かれている。東京国際美術館ってどこにある(あった)のだろう?)。
今回のレーピン展にもやってきた作品も多くこのとき日本に来ていたのですね。
「皇女ソフィヤ」
「自画像」
「樫の木材の十字架行進」エスキース
「巡礼者(«クールスク県の十字架行進»のためのエチュード)」
「イワン雷帝とその息子イワン」エスキース
「画家V.K.メンクの肖像」
「懺悔の拒否」(今回の展覧会では「懺悔の前」というタイトルになった)«Отказ от исповеди»
「決闘」

この展覧会はレーピンの作品展であり、トレチヤコフだけでなくロシア美術館やハリコフ美術館所蔵の作品もあったのでした。
黒田先生の授業で使った教科書に載っていた「試験勉強」もあって、懐かしい!

この二つはおそらく祖母が観に行ったもの。
(母は行った覚えはないと言っています。)
でも、このカタログを私はなぜだか何回も繰り返し観ていて、あたかも自分で展覧会に行って観た体験があるかのような感覚に陥ってしまいます。

右の奥のカタログは1996年に小樽のペテルブルグ美術館で行われた「レーピン ロシアの心」展。
表紙は「サトコ」。
「試験勉強」は、この展覧会では「試験の準備」というタイトルでした。
(このページに附箋が貼ってありました、きっと授業でやったから。)
「ヴォルガの舟曳き人」にはここで直接対面したのです。
そして、ここで大感動したのは「何という広大さよ!」"Какой простор!"
この絵には、後に東京富士美術館かなんかでも再会したのではなかったか。
今回のレーピン展と作品が重ならないのはサンクト=ペテルブルグの国立ロシア美術館所蔵作品の展覧会だったからです。
私がレーピンの名を知ったのはかこさとし先生の『うつくしい絵』を読んでのこと。
この本には「思いがけなく」(上の写真)と「ヴォルガの船曳」(邦訳自伝のタイトルにもなっているとても有名な、あの作品)が載っていました。
そしてこれらの絵は私の心に強く残りました。
黒田先生の授業で、「試験勉強」が教科書に載っていて、先生が「皆さんはレーピンは知っていますよね?どんな作品を描きましたか?」とおっしゃったとき、「皇女ソフィヤ」「イワン雷帝とその息子」「思いがけなく」などがすらすらと出てきたのに、なぜか「ヴォルガの船曳」を思い出せなかった。
黒田先生に「もっと有名なのがあるじゃない」と指摘されたのに、出てこなかった。

そんな思い出もあって、「思いがけなく」の前で、しばし立ちつくしていました。
リューダさん、カーチャさん、リディヤ・イヴァノヴナさん、マリヤさん、かつてのクラスメイトのかたたちとの楽しい会話を思い起こす…。

さて、そんなイリヤ・レーピンの絵は、どうしてこんなに親しみを感じるのだろう?
私はロシア・アヴァンギャルドが好きなのですが、あれらには美術の理論などは脇に置いて、ひたすらエモーショナルな部分で「好き!」と反応するのです。
レーピンはそういうのに比べれば至極まっとうな系統なわけだけれど、ただのリアリズムではなくて、懐かしくてロマンを含有した良さを味わえるのです。

レーピン展作品リスト(ザ・ミュージアムでのもの)
殆どの絵には、キャプションというかきちんとした解説文が伏してあって感心しました。

Ⅰ 美術アカデミーと«ヴォルガの船曳き»
3 手紙を読むポプリーシチン ニコライ・ゴーゴリの小説『狂人日記』の挿絵 1870年
14 老女の肖像 1871-1873年 ※レンブラントの模写
1 ワシリー・レーピンの肖像 1867年 ※弟。音楽家。ヴォルガ旅行にも同行。
15 ウラジーミル・スターソフの肖像 1873年  «Портреи В. В. Стасова»
7 船曳き «ヴォルガの船曳き»の秀作 1870年 «Бурлак»←祝ブルラク、ロシア代表仮選出。
6 船曳き «ヴォルガの船曳き»の秀作 1870年  «Бурлак»
11 ヴォルガの船曳き(習作) 1870年
10 ヴォルガの船曳き(習作) 1870年
8 ヴォルガ川のシリャーエヴォ渓谷 «ヴォルガの船曳き»の準備素描 1870年
4 ヴォルガ川にて―舟のある風景 «ヴォルガの船曳き»の準備素描 1870年
12 浅瀬を渡る船曳き 1872年 «Бурлак идущение в брод»

Ⅱ パリ留学:西欧美術との出会い
20 パリ、モンマルトルへの道 1875-1876年
16 傘をもてあそぶ婦人 «パリのカフェ»習作 1874年
19 祈るユダヤ人 1875年 «Еврей на молитве»
17 幼いヴェーラ・レーピナの肖像 1874年 «Портрет В.И. Репиной, дочери художника в детстве»

Ⅲ 故郷チュグーエフとモスクワ
22 チュグーエフ近郊のモフナチ網羅 1877年
45 夕べの宴 1881年 «Вечорнищц»
36 農家の中庭  1879年 ※「新兵の見送り」のためのスケッチ 
21 護送中― ぬかるみの道 1876年 «Под конвоем по грязной дороге»
32 故郷へ―過ぎ去った戦争の英雄 1878年 «На родину» герой минувшей воины
56 鉄道監視員、ホチコヴォにて 1882年
41 ドネツ河岸のスヴャトゴールスキー・ウスペンスキー修道院の眺め 1880年
42 コサック、ワシーリー・タルノーフスキー «トルコのスルタンに手紙を書くザポロージャのコサック»と«夕べの宴»のためのスケッチ 1880年
40 コサックの頭部、銃、馬具の部分  «トルコのスルタンに手紙を書くザポロージャのコサック»のためのスケッチ 1880年
80 帽子をかぶったザポロージャのコサック、手紙を書くコサック、ザポロージャのコサックの帯を締め上半身裸の男性側面像、紙を持つ手 «トルコのスルタンに手紙を書くザポロージャのコサック»のためのスケッチ 1880年代末
29 ザポロージャのコサック «トルコのスルタンに手紙を書くザポロージャのコサック»の最初の構想 1878年
44 トルコのスルタンに手紙を書くザポロージャのコサック(習作) 1880年
23 長輔祭 1877年 «Протодиякон»
33 修道女 1878年 «Монахиня» ※モデルは妻の姉で弟ワシリーの妻
34 皇女ソフィヤ ノヴォデヴィチ修道院に幽閉されて1年後の皇女ソヴィヤ・アレクセエヴナ、1898年に銃兵隊が処刑され、彼女の使用人が拷問されたとき。 1879年
26 樫の森の十字架行進―奇跡によって現れたイコン(習作) 1878年
49 背の曲がった男 1881年 «Горбун»
28 巡礼者たち 1878年 «Богомолки-странницы»
48 巡礼者・巡礼者の杖の尖端 «クールスク県の十字架行進»の習作 1881年
27 貴族の請願者 1881年
60 タチヤーナ・マーモントワの肖像 1882年 «Портрет Т.А. Мамонтовой-Рачинской» ※原題では二重性。文学者ラチンスキーの妻。
59 少年ユーリー・レーピンの肖像 1882年 «Портрет сына художника»
37 あぜ道にて―畝を歩くヴェーラ・レーピナと子どもたち 1879年
58 休息―妻ヴェーラ・レーピナの肖像 1882年 «Отдых. Портрет жены художника»
24 画家ワシーリー・ポレーノフの肖像 1877年 «Портрет Поленова»
47 エリザヴェータを演じる女優ペラゲーヤ・ストレーペトワの肖像 1877年
51 ユーリヤ・レープマンの肖像 1881年
30 政治評論家イワン・アサーコフの肖像 1878年 «Портрет рублициста И.С. Аксакова»
46 作曲家モデスト・ムソルグスキーの肖像 1881年 «Портрет композитора М.П. Мусоргского»
白っぽい背景が作曲家を周囲から浮き出しているように見せている。彼の死の約10日前に完成。
62 工兵将校アンドレイ・デーリヴィクの肖像 1882年 «Портрет военного инженера А.И. Дельвига»

※ここに家族写真の展示
31 自画像 1878年
57 休息―妻ヴェーラ・レーピナの肖像(習作) 1882年
53 モスクワの・イリヤ・レーピンのアトリエにて― 1882年
自筆の書き込みで読みにくかったが、登場人物の名前。
Кузнецов, Бодаревскiй, Остроухов, Суриков, С.Н. Матвеев
55 少女アダ 1882年
自筆でАдаの書き込み
70 懺悔の前 1879-1885年 «Отказ от исповеди»

Ⅳ 「移動派」の旗手として:サンクト・ペテルブルク
79 思いがけなく 1884-1888年 «Не ждали»
89 1581年11月16日のイワン雷帝とその息子イワン(習作) 1883、1899年 «Иван Грозный и сын его Иван 16 ноябля 1581 года.»
66 画家ウラジーミル・メンクの肖像 1884年 «Портрет художника В.К. Менка, Эскиз»
61 画家イワン・クラムスコイの肖像 1882年 «Портрет художника В.И. Крамсого»
71 画家グリゴーリー・ミャソエードフの肖像 1884-1886年 «Портрет художника г.г. Мясоедова(1834-1911)»
г.г. は生没の年代(1834-1911)にかかるものだと思われるが、苗字の前の位置に書かれていた。
64 集会 1883年 «Сходка»
68 キャベツ 1884年 «Капуста, этюд»
63 パリのペール・ラシェーズ墓地内のコミューン犠牲者の壁の前における年忌追悼集会 1883年
78 ワルワーラ・イスクル・フォン・ヒルデンバント男爵夫人の肖像 1889年 «Портрет баронессы В.И. Икскуль фон Гильденбондт»
82 ピアニスト、ルイーザ・メルシー・ダルジャントー伯爵夫人の肖像 1890年 «Портрет пианистки гр.Луизы Мерси Д’аржанто»
作曲家キュイの友人だった、ベルギー人ピアニスト。この絵もキュイが注文した。病に伏しており、この絵でも身を横たえている。作品完成の10日後に亡くなった。ルノワールの描く女性風の優しい顔立ち。
73 ピアニスト、ゾフィー・メンターの肖像 1887年
83 イタリア人演劇女優エレオノーラ・ドゥーゼの肖像 1891年
77 手術室の外科医エヴゲーニー・パーヴロフ 1888年
86 コンスタンチン・コンスタンチーノヴィチ大公の肖像 1891年
額縁の上部に«15 dERаhР(?)1883» ←(?)部分はψを逆さにしたような文字。аもhの左右逆みたいな形。Rに見えるのはк、hに見えるのはБなのだ。これはдекабряのことのようだ。
額縁の下部に«23 аПРђа(?) 1891» ← これはаплеряのことのようだ。会場では全く判読できず、やっと今になってわかった。
大公のイズマイロフスキー連隊勤務期間を示しているそうです。
81 作曲家セザール・キュイの肖像 1890年
«Портрет композитора Ц.А. Кюи»
「情熱の日音楽祭」の展示など、音楽界ではツェーザリ・キュイの表記が普通だと思われますが、なぜか会場ではフランス風にセザールになっていました(82の絵の解説文中でも)。カタログでは「セザール(ツェーザリ)・キュイ」。
87 ピアノを弾くセザール・キュイ 1892年
84 ソファーで読むレフ・トルストイ 1891年
92 レフ・トルストイの肖像 1901年
74 文豪レフ・トルストイの肖像 1887年 «Портрет писателя Л.Н. Толстого»

Ⅴ 次世代の導き手として:美術アカデミーのレーピン
95 ゴーゴリの「自殺」 1909年
88 決闘 1897年 «Дуэль»
98 負傷者 1913年
モデルはコルネイ・チュコフスキー。
91 日向で―娘ナジェージダ・レーピナの肖像 1900年
96 ナターリヤ・ノルドマン=セーヴェロワの肖像 1910年
ナターリヤは後妻(教会では認められなかった)。 
97 ウラジーミル・コロレンコの肖像 1912年
93 パーヴェル・トレチャコフの肖像 1901年 «Портрет П.М. Третьякова»

ミュージアムショップでも、美術館向かいの洋書屋さんでも、ロシア関連本の販売が行われていたけれど、自伝『ヴォルガの舟ひき』(松下裕訳中公文庫)は並んでいなかったような。
絶版?
この機会に再販してくれるとよかったのに。


長寿を授かって

同僚の娘さんは小学校4年生で、今年からは学童保育がない。
夏休みに入って、残業がままならず、大変そうだ。

さて、数年前にその娘さんと人形芝居で顔を合わせた時に
「うちの猫は16歳なんだよ」
と写真を見せながら話したら、案の定目を丸くしていた。
小学校低学年の子どもにとって、16歳というのは途方もなく「大人」であり、場合によっては「高齢」だ。
この猫が16歳だって?!

その猫は19歳になりました。
С днём рождения!

С днем рождения Маленькая прелестная девочка в голубом платье
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今日はみなし誕生日で、お祝いします。
先週、脳卒中?を起こして、どうなることかと思ったけれど、食欲も旺盛なままで、一所懸命歩いて、甘えて、相変わらず私のよき同居者であってくれている。

Спасибо!!

2012年8月3日金曜日

80周年

タルコフスキー記念映画祭が、8月4日からと迫っていたので、急いで「オデッサ・コスモス」に記事を書いた。
もう少し丁寧な文章を書きたかったが。

ユーロスペースと同じビルのオーディトリウムではアンゲロプロス追悼特集をやっている。

タルコフスキーは全部観たことがあって、DVDなどもそれなりに持っているが、アンゲロプロスはいくつか未見のものがあるのでこの際だから行きたい。
が、時間帯が…。

2012年8月2日木曜日

一枚目のピッツァは上手く焼けるか

①カペッロさんが選んだ選手たち
   ロシアA代表は8月15日にコートジヴォワールと親善試合を行います。
 モスクワ時間19:00~モスクワのロコモチフ・スタジアム


вратари Игорь Акинфеев (ЦСКА), Вячеслав Малафеев ("Зенит"), Антон Шунин ("Динамо");
GK
イーゴリ・アキンフェーエフ(ツェスカ)
ヴャチェスラフ・マラフェーエフ(ゼニット)
アントン・シュニン(ディナモ)

защитники Александр Анюков ("Зенит"), Алексей Березуцкий, Василий Березуцкий, Сергей Игнашевич, Георгий Щенников (все - ЦСКА), Тарас Бурлак, Андрей Ещенко, Роман Шишкин (все - "Локомотив"), Владимир Гранат ("Динамо"), Юрий Жирков, Арсений Логашов (оба - "Анжи"), Роман Шаронов ("Рубин");
DF
アレクサンドル・アニュコフ(ゼニット)
アレクセイ・ベレズツキー
ヴァシリー・ベレズツキー
セルゲイ・イグナシェーヴィチ(以上ツェスカ)
タラス・ブルラク←おお、ブルラク登場!
アンドレイ・エシチェンコ
ロマン・シシキン(以上ロコモチフ)
ウラジーミル・グラナト(ディナモ)
ユーリー・ジルコフ
アルセニー・ロガショフ(以上アンジ)
ロマン・シャロノフ(ルビン)

полузащитники Динияр Билялетдинов, Дмитрий Комбаров (оба - "Спартак"), Владимир Быстров, Игорь Денисов, Виктор Файзулин, Роман Широков (все - "Зенит"), Алан Дзагоев (ЦСКА), Денис Глушаков, Магомед Оздоев, Александр Самедов (все - "Локомотив"), Марат Измайлов ("Спортинг", Португалия), Алексей Ионов ("Кубань"), Александр Рязанцев ("Рубин"), Олег Шатов ("Анжи");
MF
ディニヤル・ビリャレトジノフ
ドミトリー・コムバロフ(以上スパルターク)
ウラジーミル・ブィストロフ
イーゴリ・デニソフ
ヴィクトル・ファイズリン
ロマン・シロコフ(以上ゼニット)
アラン・ザゴエフ(ツェスカ)
デニス・グルシャコフ
マゴメド・オズドエフ
アレクサンドル・サメドフ(以上ロコモチフ)
マラト・イズマイロフ(スポルティング(ポルトガル))
アレクセイ・イオノフ(クバン)
アレクサンドル・リャザンツェフ(ルビン)
オレグ・シャトフ(アンジ)


нападающие Андрей Аршавин ("Арсенал", Англия), Артем Дзюба ("Спартак"), Владимир Дядюн ("Рубин"), Александр Кержаков ("Зенит"), Александр Кокорин ("Динамо"), Роман Павлюченко ("Локомотив"), Федор Смолов ("Анжи").

FW
アンドレイ・アルシャーヴィン(アーセナル(イングランド))
アルチョム・ジューバ(スパルターク)
ウラジーミル・ジャジュン(ルビン)
アレクサンドル・ケルジャコフ(ゼニット)
アレクサンドル・ココリン(ディナモ)
ロマン・パヴリュチェンコ(ロコモチフ)
フョードル・スモロフ(アンジ)

たくさん呼んだな。
ここから絞るのですね。

②クラスノジャンさんが選んだ選手たち
ロシアB代表は8月15日モスクワ時間17:00~ 場所はA代表と同じ?で、ベルギー戦。
Юрий Красножан огласил список игроков второй сборной России на матч Кубка Вызова против Бельгии.

対ベルギー親善試合に呼ばれた選手たち

Вратари: Дмитрий Абакумов («Мордовия»), Евгений Помазан («Анжи»).
GK
ドミトリー・アバクモフ(モルドヴィヤ)
エヴゲニー・ポマザン(アンジ)

Защитники: Виктор Васин (ЦСКА), Али Гаджибеков («Анжи»), Виталий Дьяков («Ростов»), Евгений Макеев («Спартак» М), Игорь Смольников («Краснодар»).
DF
ヴィクトル・ヴァシン(ツェスカ)
アリ・ガジベコフ(アンジ)
ヴィタリー・ジヤコフ(ロストフ)
エヴゲニー・マカエフ(スパルターク・モスクワ)
イーゴリ・スモリニコフ(FKクラスノダール)

Полузащитники: Никита Безлихотнов («Торпедо» М), Сергей Белоусов («Ростов»), Никита Бурмистров («Амкар»), Георгий Габулов («Анжи»), Александр Сапета, Артур Юсупов (оба – «Динамо» М), Денис Ткачук («Салют» Бг).
MF
ニキータ・ベズリホトノフ(トルペド・モスクワ)
セルゲイ・ベロウソフ(ロストフ)
ニキータ・ブルミストロフ(アムカル)
ゲオルギー・ガブロフ(アンジ)
アレクサンドル・サペタ
アルトゥール・ユスポフ(以上ディナモ・モスクワ)
デニス・トカチュク(サリュート・ベルゴロド)

Нападающие: Кирилл Панченко («Мордовия»), Александр Прудников («Спартак» М).
FW
キリル・パンチェンコ(モルドヴィヤ)
アレクサンドル・プルドニコフ(スパルターク・モスクワ)

③ピサレフさんが選んだ選手たち
ロシアU21代表は8月15日モスクワ時間20:45~アレーナ・ヒムキで対イスラエル戦

Вратари: Николай Заболотный («Ростов»), Андрей Зайцев («Зенит»), Александр Фильцов («Локомотив» М).
GK
ニキータ・ザボロトヌィ(ロストフ)
アンドレイ・ザイツェフ(ゼニット)
アレクサンドル・フィリツォフ(ロコモチフ・モスクワ)


Защитники: Максим Беляев («Локомотив» М), Максим Жестоков («Химки»), Иван Князев («Кубань»), Виталий Устинов («Нефтехимик»), Ибрагим Цаллагов («Крылья Советов»), Никита Чичерин («Динамо» М).
DF
マクシム・ベリャエフ(ロコモチフ・モスクワ)
マクシム・ジェストコフ(ヒムキ)
イヴァン・クニャゼフ(クバン)
ヴィタリー・ウスチノフ(ネフテヒミク)
イブラギム・ツァラゴフ(クルィリヤ=ソヴェートフ)
ニキータ・チチェリン(ディナモ・モスクワ)

Полузащитники: Шота Бибилов («Волга» НН), Александр Зотов, Павел Яковлев (оба – «Спартак» М), Сергей Петров, Виктор Свежов (оба - «Крылья Советов»), Антон Соснин («Кубань»), Денис Черышев («Реал» Мадрид Испания), Арсен Хубулов («Алания»).
MF
ショタ・ビビロフ(ヴォルガ・ニージニー=ノヴゴロド)
アレクサンドル・ゾトフ
パーヴェル・ヤコヴレフ(以上スパルターク・モスクワ)
セルゲイ・ペトロフ
ヴィクトル・スヴェジョフ(以上クルィリヤ=ソヴェートフ)
アントン・ソスニン(クバン)
デニス・チェルリシェフ(レアル・マドリード(スペイン))
アルセン・フブロフ(アラニヤ)

Нападающие: Артем Делькин («Крылья Советов»), Максим Канунников («Зенит»).
FW
アルチョム・デリキン(クルィリヤ=ソヴェートフ)
マクシム・カヌンニコフ(ゼニット)

追記
クルィリヤからはベラルーシ代表が3人、対アルメニア親善試合に招集されました。

Три футболиста "Крыльев Советов" вызваны в сборную Беларуси.

Три футболиста "Крыльев Советов" - Сергей Веремко, Сергей Корниленко и Дмитрий Верховцов, получили вызов в национальную сборную Республики Беларусь, информирует официальный сайт самарского клуба.

セルゲイ・ヴェレムコ(GK)
セルゲイ・コルニレンコ(MF) オリンピックOGでもあった
ドミトリー・ヴェルホフツォフ

夢見る頃を過ぎても

エジプトが先制してしまったな。
ベラルーシは殆ど防戦一方だったが遂に破られた。
コルニレンコがねえ。
BATEの人たちと連携が上手くいっていないようだ。
正直全然得点しそうに見えないのだ。
セリョージャ、帰って来てくれそうかな。

23-26
Ему было уже двадцать лет, но он всё ещё (верил/ поверил), что сможет стать футболистом.

☆ всё ещёは不完了体と結合
☆всё ещё не は完了体・不完了体どちらとも結合

ゆえに不完了体を選択する。

Ему было уже двадцать лет, но он всё ещё верил, что сможет стать футболистом.
彼は既に20歳だったが、サッカー選手になれるだろうと相も変わらず信じていた。

それは厳しい話だ。

ヨーロッパ映画の子役たちは、「将来何になりたいのか」と尋ねられると大抵「サッカー選手、それか俳優でもいいかも」なんていう風に答えていることが多い。
そんな«才能がなくもない若者»が、プロとしてやっていくかどうか自問しその夢を断念するのは、やはりミドルティーンの頃ではないだろうか。
と、「SWEET SIXTEEN」のマーティン・コムストンとか。
先日知ったことだが、歌手のイラクリーさん(←ロコモチフのサッカースクールに在籍していたとのことだ)もその手あいだ。



2012年8月1日水曜日

おかいどくやすいといすやくどいかお

コルニレンコがサマラにご帰還いただけるかどうかが懸っている、エジプト対ベラルーシ戦、噂によるとベラルーシではあまり話題になっていないらしく(オリンピック出場はベラルーシサッカーにとって初めての国際舞台であるにも関わらず)、放映はアラビア語のしか見当たらない。

実況がやたら興奮しているように聞こえるが、これが普通なのかもしれない。

さて、間が空いたが、練習問題の続きだ。

23-23
Как ни странно, но даже после отъезда десяти лучших игроков за границу команда всё ещё (выиграла/выигрывала).

☆всё ещё(相変わらず)は不完了体と結合
☆всё ещё неは不完了体・完了体の双方と結合

ゆえに上記の文は不完了体を選択する。

Как ни странно, но даже после отъезда десяти лучших игроков за границу команда всё ещё выигрывала.

どんなに奇妙でも、とっておきの選手たちが10人も国外に移籍してしまってからでもこのクラブは依然として勝利したのだった。

ベラルーシの選手は「お買い得」だという。
(私はアルメニアなんかもいいと思う。)
そんなわけで、このオリンピックに出場しているBATEボリソフの選手にも欧州のクラブのスカウトたちが目を光らせていることだろう。
そして、10人もの欧州移籍が・・・なんてことに―はならないと思うが。

あと、ヴォロニンがドイツに戻ってしまったディナモ・モスクワも問題だ。