2012年8月20日月曜日

ろばのしっぽでもアートです

私は神道の信者ではない(特に国家神道)ので、その手の宗教行事を強要されるような雰囲気には反発しか感じないのだが。
例えば靖国神社でゲリラライブと称して天皇に対して言及したり戦犯と英霊についてあれこれ喧伝するのを表現の自由だからと看過できないとしたら、その人はプッシイライオットの刑事裁判について批判する資格がどれだけあるのだろうか、と思うのだ。

私は決して厳罰主義者ではない。
(私に判決を書かせたら執行猶予付きにばかりしそうな気がする。)

それでも、コンサバな部分はあるので、このあいだ観てきた「ひっくりかえる展」で、ヴォイナの作品には殆ど共感を持てなかった。
(端的にいうと、「それ、犯罪でしょ」という感想であったし、彼らもそれは承知の上でやっているのならそれなりの覚悟があるのだろうと思った。)

プッシイライオットのパフォーマンスが具体的にどんなものだったかは知らないのだが、実はヴォイナとメンバーは重複しているらしいので、推して知るべしのような気がする。
まあ、私の好みでないだろうことは間違いない。
(教会で無許可の政治的パフォーマンスというだけで反発を感じるが、どこまで表現の自由だとして許容できるのか、というと、「別の方法でやってくれ」でおしまいになりそうだ。)

アートだとか、表現の自由だとか言ったって、思い上がりすぎてない?

まあ、人が不快だと思うのが狙いでやっているなら、弾圧されて当然で自業自得でしょ、とまでは言わないが、覚悟は当然していただろうから、あんまり被害者然としないで欲しいといいましょうか。

それはそうと、クルィリヤとアムカルの試合だが、何よあの審判!
アムカル贔屓すぎる!
ヴェレムコが可哀そう。

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