2012年8月4日土曜日

何という懐かしさだろう!

レーピン展の初日、開館した10時から12時過ぎまで2時間以上、たっぷりじっくり彼の絵を堪能しました。


美術館に行く前に、ここにも注目を
↓ 
"Не ждали"(思いがけなく)

"Отдых. Портрет жены художника"
(休息 画家の妻の肖像)

東急本店の外側、スターバックスの向かいの壁のショーウィンドウのディスプレイです。


先着プレゼントで「トレちゃん」と「コフちゃん」のクリアフォルダーをいただきました。
(真ん中の「チャコちゃん」は自ら購入したものです。)
奥においているのは今回のレーピン展のカタログ(左)とBunkamura広報誌です。

今回のレーピン展は、今日から10月8日までのBunkamuraザ・ミュージアムを皮切りに浜松・姫路・葉山(神奈川県立近代美術館葉山館)と巡回します。
(前半の2会場と後半の2会場では一部展示される作品が違うということが、会場に置かれていたカタログでわかりました。来年の葉山の会場にも行ってみるべきか。)

「近代ロシア絵画の巨匠、日本初の本格的回顧展」という触れ込みですが、それはちょっと看板に偽りありでは?


左の黄土色のカタログは1975年に行われた「19世紀から現代 ロシア・ソビエト国宝絵画展」。
会場は日本橋三越。
カタログにチケット半券が挟まっていました(カタログの手前)。
レーピンの代表作「ヴォルガの船曳き」が知られるようになったのは、このときの展覧会もかなり寄与しているのでしょう。
(この時のこの絵のタイトルは「ボルガの曳舟人」となっている。)
アイヴァゾフスキーの「荒海」、シーシキンの「麦」などの帝政ロシア時代の名画とともにソ連の美術家ピメノフ、ポノマリョフ、サラホフらの作品が、わずか2週間ほどですが、デパートの美術館で展示されていたとは感慨深いです。
ソ連の画家の作品は日本の個人蔵となっています。
今では展覧会に出てくる機会も殆どないでしょうね。

右の白いカタログは1978年の「ロシア絵画の巨匠 レーピン名作展」。
これも会場は日本橋三越(その後奈良県立美術館と東京国際美術館に巡回と書かれている。東京国際美術館ってどこにある(あった)のだろう?)。
今回のレーピン展にもやってきた作品も多くこのとき日本に来ていたのですね。
「皇女ソフィヤ」
「自画像」
「樫の木材の十字架行進」エスキース
「巡礼者(«クールスク県の十字架行進»のためのエチュード)」
「イワン雷帝とその息子イワン」エスキース
「画家V.K.メンクの肖像」
「懺悔の拒否」(今回の展覧会では「懺悔の前」というタイトルになった)«Отказ от исповеди»
「決闘」

この展覧会はレーピンの作品展であり、トレチヤコフだけでなくロシア美術館やハリコフ美術館所蔵の作品もあったのでした。
黒田先生の授業で使った教科書に載っていた「試験勉強」もあって、懐かしい!

この二つはおそらく祖母が観に行ったもの。
(母は行った覚えはないと言っています。)
でも、このカタログを私はなぜだか何回も繰り返し観ていて、あたかも自分で展覧会に行って観た体験があるかのような感覚に陥ってしまいます。

右の奥のカタログは1996年に小樽のペテルブルグ美術館で行われた「レーピン ロシアの心」展。
表紙は「サトコ」。
「試験勉強」は、この展覧会では「試験の準備」というタイトルでした。
(このページに附箋が貼ってありました、きっと授業でやったから。)
「ヴォルガの舟曳き人」にはここで直接対面したのです。
そして、ここで大感動したのは「何という広大さよ!」"Какой простор!"
この絵には、後に東京富士美術館かなんかでも再会したのではなかったか。
今回のレーピン展と作品が重ならないのはサンクト=ペテルブルグの国立ロシア美術館所蔵作品の展覧会だったからです。
私がレーピンの名を知ったのはかこさとし先生の『うつくしい絵』を読んでのこと。
この本には「思いがけなく」(上の写真)と「ヴォルガの船曳」(邦訳自伝のタイトルにもなっているとても有名な、あの作品)が載っていました。
そしてこれらの絵は私の心に強く残りました。
黒田先生の授業で、「試験勉強」が教科書に載っていて、先生が「皆さんはレーピンは知っていますよね?どんな作品を描きましたか?」とおっしゃったとき、「皇女ソフィヤ」「イワン雷帝とその息子」「思いがけなく」などがすらすらと出てきたのに、なぜか「ヴォルガの船曳」を思い出せなかった。
黒田先生に「もっと有名なのがあるじゃない」と指摘されたのに、出てこなかった。

そんな思い出もあって、「思いがけなく」の前で、しばし立ちつくしていました。
リューダさん、カーチャさん、リディヤ・イヴァノヴナさん、マリヤさん、かつてのクラスメイトのかたたちとの楽しい会話を思い起こす…。

さて、そんなイリヤ・レーピンの絵は、どうしてこんなに親しみを感じるのだろう?
私はロシア・アヴァンギャルドが好きなのですが、あれらには美術の理論などは脇に置いて、ひたすらエモーショナルな部分で「好き!」と反応するのです。
レーピンはそういうのに比べれば至極まっとうな系統なわけだけれど、ただのリアリズムではなくて、懐かしくてロマンを含有した良さを味わえるのです。

レーピン展作品リスト(ザ・ミュージアムでのもの)
殆どの絵には、キャプションというかきちんとした解説文が伏してあって感心しました。

Ⅰ 美術アカデミーと«ヴォルガの船曳き»
3 手紙を読むポプリーシチン ニコライ・ゴーゴリの小説『狂人日記』の挿絵 1870年
14 老女の肖像 1871-1873年 ※レンブラントの模写
1 ワシリー・レーピンの肖像 1867年 ※弟。音楽家。ヴォルガ旅行にも同行。
15 ウラジーミル・スターソフの肖像 1873年  «Портреи В. В. Стасова»
7 船曳き «ヴォルガの船曳き»の秀作 1870年 «Бурлак»←祝ブルラク、ロシア代表仮選出。
6 船曳き «ヴォルガの船曳き»の秀作 1870年  «Бурлак»
11 ヴォルガの船曳き(習作) 1870年
10 ヴォルガの船曳き(習作) 1870年
8 ヴォルガ川のシリャーエヴォ渓谷 «ヴォルガの船曳き»の準備素描 1870年
4 ヴォルガ川にて―舟のある風景 «ヴォルガの船曳き»の準備素描 1870年
12 浅瀬を渡る船曳き 1872年 «Бурлак идущение в брод»

Ⅱ パリ留学:西欧美術との出会い
20 パリ、モンマルトルへの道 1875-1876年
16 傘をもてあそぶ婦人 «パリのカフェ»習作 1874年
19 祈るユダヤ人 1875年 «Еврей на молитве»
17 幼いヴェーラ・レーピナの肖像 1874年 «Портрет В.И. Репиной, дочери художника в детстве»

Ⅲ 故郷チュグーエフとモスクワ
22 チュグーエフ近郊のモフナチ網羅 1877年
45 夕べの宴 1881年 «Вечорнищц»
36 農家の中庭  1879年 ※「新兵の見送り」のためのスケッチ 
21 護送中― ぬかるみの道 1876年 «Под конвоем по грязной дороге»
32 故郷へ―過ぎ去った戦争の英雄 1878年 «На родину» герой минувшей воины
56 鉄道監視員、ホチコヴォにて 1882年
41 ドネツ河岸のスヴャトゴールスキー・ウスペンスキー修道院の眺め 1880年
42 コサック、ワシーリー・タルノーフスキー «トルコのスルタンに手紙を書くザポロージャのコサック»と«夕べの宴»のためのスケッチ 1880年
40 コサックの頭部、銃、馬具の部分  «トルコのスルタンに手紙を書くザポロージャのコサック»のためのスケッチ 1880年
80 帽子をかぶったザポロージャのコサック、手紙を書くコサック、ザポロージャのコサックの帯を締め上半身裸の男性側面像、紙を持つ手 «トルコのスルタンに手紙を書くザポロージャのコサック»のためのスケッチ 1880年代末
29 ザポロージャのコサック «トルコのスルタンに手紙を書くザポロージャのコサック»の最初の構想 1878年
44 トルコのスルタンに手紙を書くザポロージャのコサック(習作) 1880年
23 長輔祭 1877年 «Протодиякон»
33 修道女 1878年 «Монахиня» ※モデルは妻の姉で弟ワシリーの妻
34 皇女ソフィヤ ノヴォデヴィチ修道院に幽閉されて1年後の皇女ソヴィヤ・アレクセエヴナ、1898年に銃兵隊が処刑され、彼女の使用人が拷問されたとき。 1879年
26 樫の森の十字架行進―奇跡によって現れたイコン(習作) 1878年
49 背の曲がった男 1881年 «Горбун»
28 巡礼者たち 1878年 «Богомолки-странницы»
48 巡礼者・巡礼者の杖の尖端 «クールスク県の十字架行進»の習作 1881年
27 貴族の請願者 1881年
60 タチヤーナ・マーモントワの肖像 1882年 «Портрет Т.А. Мамонтовой-Рачинской» ※原題では二重性。文学者ラチンスキーの妻。
59 少年ユーリー・レーピンの肖像 1882年 «Портрет сына художника»
37 あぜ道にて―畝を歩くヴェーラ・レーピナと子どもたち 1879年
58 休息―妻ヴェーラ・レーピナの肖像 1882年 «Отдых. Портрет жены художника»
24 画家ワシーリー・ポレーノフの肖像 1877年 «Портрет Поленова»
47 エリザヴェータを演じる女優ペラゲーヤ・ストレーペトワの肖像 1877年
51 ユーリヤ・レープマンの肖像 1881年
30 政治評論家イワン・アサーコフの肖像 1878年 «Портрет рублициста И.С. Аксакова»
46 作曲家モデスト・ムソルグスキーの肖像 1881年 «Портрет композитора М.П. Мусоргского»
白っぽい背景が作曲家を周囲から浮き出しているように見せている。彼の死の約10日前に完成。
62 工兵将校アンドレイ・デーリヴィクの肖像 1882年 «Портрет военного инженера А.И. Дельвига»

※ここに家族写真の展示
31 自画像 1878年
57 休息―妻ヴェーラ・レーピナの肖像(習作) 1882年
53 モスクワの・イリヤ・レーピンのアトリエにて― 1882年
自筆の書き込みで読みにくかったが、登場人物の名前。
Кузнецов, Бодаревскiй, Остроухов, Суриков, С.Н. Матвеев
55 少女アダ 1882年
自筆でАдаの書き込み
70 懺悔の前 1879-1885年 «Отказ от исповеди»

Ⅳ 「移動派」の旗手として:サンクト・ペテルブルク
79 思いがけなく 1884-1888年 «Не ждали»
89 1581年11月16日のイワン雷帝とその息子イワン(習作) 1883、1899年 «Иван Грозный и сын его Иван 16 ноябля 1581 года.»
66 画家ウラジーミル・メンクの肖像 1884年 «Портрет художника В.К. Менка, Эскиз»
61 画家イワン・クラムスコイの肖像 1882年 «Портрет художника В.И. Крамсого»
71 画家グリゴーリー・ミャソエードフの肖像 1884-1886年 «Портрет художника г.г. Мясоедова(1834-1911)»
г.г. は生没の年代(1834-1911)にかかるものだと思われるが、苗字の前の位置に書かれていた。
64 集会 1883年 «Сходка»
68 キャベツ 1884年 «Капуста, этюд»
63 パリのペール・ラシェーズ墓地内のコミューン犠牲者の壁の前における年忌追悼集会 1883年
78 ワルワーラ・イスクル・フォン・ヒルデンバント男爵夫人の肖像 1889年 «Портрет баронессы В.И. Икскуль фон Гильденбондт»
82 ピアニスト、ルイーザ・メルシー・ダルジャントー伯爵夫人の肖像 1890年 «Портрет пианистки гр.Луизы Мерси Д’аржанто»
作曲家キュイの友人だった、ベルギー人ピアニスト。この絵もキュイが注文した。病に伏しており、この絵でも身を横たえている。作品完成の10日後に亡くなった。ルノワールの描く女性風の優しい顔立ち。
73 ピアニスト、ゾフィー・メンターの肖像 1887年
83 イタリア人演劇女優エレオノーラ・ドゥーゼの肖像 1891年
77 手術室の外科医エヴゲーニー・パーヴロフ 1888年
86 コンスタンチン・コンスタンチーノヴィチ大公の肖像 1891年
額縁の上部に«15 dERаhР(?)1883» ←(?)部分はψを逆さにしたような文字。аもhの左右逆みたいな形。Rに見えるのはк、hに見えるのはБなのだ。これはдекабряのことのようだ。
額縁の下部に«23 аПРђа(?) 1891» ← これはаплеряのことのようだ。会場では全く判読できず、やっと今になってわかった。
大公のイズマイロフスキー連隊勤務期間を示しているそうです。
81 作曲家セザール・キュイの肖像 1890年
«Портрет композитора Ц.А. Кюи»
「情熱の日音楽祭」の展示など、音楽界ではツェーザリ・キュイの表記が普通だと思われますが、なぜか会場ではフランス風にセザールになっていました(82の絵の解説文中でも)。カタログでは「セザール(ツェーザリ)・キュイ」。
87 ピアノを弾くセザール・キュイ 1892年
84 ソファーで読むレフ・トルストイ 1891年
92 レフ・トルストイの肖像 1901年
74 文豪レフ・トルストイの肖像 1887年 «Портрет писателя Л.Н. Толстого»

Ⅴ 次世代の導き手として:美術アカデミーのレーピン
95 ゴーゴリの「自殺」 1909年
88 決闘 1897年 «Дуэль»
98 負傷者 1913年
モデルはコルネイ・チュコフスキー。
91 日向で―娘ナジェージダ・レーピナの肖像 1900年
96 ナターリヤ・ノルドマン=セーヴェロワの肖像 1910年
ナターリヤは後妻(教会では認められなかった)。 
97 ウラジーミル・コロレンコの肖像 1912年
93 パーヴェル・トレチャコフの肖像 1901年 «Портрет П.М. Третьякова»

ミュージアムショップでも、美術館向かいの洋書屋さんでも、ロシア関連本の販売が行われていたけれど、自伝『ヴォルガの舟ひき』(松下裕訳中公文庫)は並んでいなかったような。
絶版?
この機会に再販してくれるとよかったのに。


2 件のコメント:

  1. 伊藤公紀(東京都)2012年8月21日 21:03

    詳しい解説ありがとうございました。どこかで「サトコ」を見たと思っていましたが、このブログを拝見して1996年の小樽の美術展だということが分かりました。レーピンの絵の素晴らしさを考えると、なぜメジャーな美術館でやらないのか不思議です。

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  2. 伊藤公紀さん、こんにちは。
    コメントをありがとうございます。

    伊藤さんも小樽まで観に行かれたのですか?
    あそこでレーピンを観られたのは贅沢な思い出だったのかと今では思います。

    今回レーピンの作品を観て、全く観飽きることのない素晴らしい絵だと改めて思うのです。
    レアリスムと言われることが多いですが、そこにロマンやドラマを感じさせる凄い絵ですね。

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