2018年4月27日金曜日

いまのロシアの芸術左翼動向

先週の土曜日、肉球新党の憲法講座を泣く泣く諦めて、桑野塾に行った。
時々思うけど、桑野塾は濃いテーマ2本は勿体ない。
濃すぎて酔う感じ。
1つに絞って欲しいなあ。

敗戦直後のモスクワ放送ハバロフスク放送局日本語番組担当の女性アナウンサーのことと、「いわば、ポスト・ソヴィエト的芸術左翼戦線」←ご本人のお話だと戦線じゃなくて前線だそうで。

ここでのお話は左翼芸術のことというより芸術左翼についてだったのだけれど、さりとて凄くインパクトのある前衛芸術やってるアーティストってわけでもなかったのだけれど…。
ロシアの左翼的な動きについては赤旗とかでも酷く冷淡というか無関心なのか殆ど話題になってない(なるとしたらプッシー・ライオットとかだもん、ああいうのは嫌い。ワタリウム美術館でВойнаも全然好きになれなかった)けど、今日取り上げられたペテルブルグの、70~80年代生まれの芸術家/活動家たちのレポは面白かった。
参加者の皆さんも、何だかこういうの(ロシアの最新芸術情報、しかも反体制のもの)に飢えていたようだ。

キーパーソンはパーヴェル・アルセニエフという1986年生まれの詩人のようで、「なにをなすべきか?」で公正な選挙を求めて電車に乗り込んでパフォーマンスやったりガスプロムのタワー建設反対の「タワー」というコロス(合唱隊)仕立ての動画作ったり。

ロシアにおける芸術左翼って?(そもそも左翼って?)、反プーチンという姿を求めるかもしれないけど、というより反グローバリズム・反資本主義なんだそうで。
アルセニエフがスーパーマーケット内をカートに乗って自作の詩をトラメガで朗読して回ったりする。
彼がかなりのハンサムなので絵にはなるが、スーパーの詩の朗読のパフォーマンスは、え?これ芸術なのか?って感じも。
さりとて政治的なアジテーションかっていうと、それにはおとなしすぎるような。
アルセニエフが役者さながらにカッコいいので(現代ロシアの文学者は大体イケメン多い。アルセニエフの所業もクリョーヒンみたいだった、いや、っていうよりも「レッズ」のウォーレン・ベイティ扮するジョン・リード??)動画を観ても様になっているように見えるけど、詩を詠んでいるだけなので、周囲のリアクションは全然ない。
だって詩の朗読は日常茶飯事のロシアですからねえ。
Войнаによるスーパーでのパフォーマンスはもっと過激で迷惑千万なものだったので、ロシアでは日常茶飯に行われている自作詩朗読を街中でやる行為とアルセニエフの行為との差異はつけがたかったが、そんな緩さが好ましい感じがした。
とにかく私はВойнаにはやだな!という感覚しかない。

モスクワ系のソッツ・アートなんかとは違う。
あの、良く言えば先鋭的で、話題になってなんぼだっていう、良識とか踏み外して犯罪行為になっても構わないというやたら挑発的な潮流とは違う。
むしろ、「おかしいと思ったら声を挙げてみない?」という、当たり前の思いを、芸術的な新鮮さは何もない(彼らが親近感を持っているという「レフ」「新レフ」「アヴァンギャルド」の焼き直しか、それにすらなっていないかもしれない)ような、もう誰かが思いついてやっていたでしょっていう手法を、路上や、店内や、駅や電車の中で、実践?挙行?している。
それらを見ていて、不覚ながら、あ、これならいいかも?と思える何かがあった。
上手く説明できてないけど、あの夏に路上で肉球新党のプラカ見た時の感覚に近いものがあった。
 

伝説的党首のご尊顔プラカ
ショウジサダムさん作、通称ロトニャンコ

あ、なんか言ってみていいかも、という気持ちにさせる敷居の低さ。
もちろん、Что делать(何をなすべきか)なんてセンス古いですね、チェルヌィシェフスキーですか?レーニンですか?と半ば呆れるし、そもそもロシア中で話題の有名グループというわけでもない(知ってる人は知ってる、という程度の知名度)。

でも、異論派のときの、プラカ掲げるのに、飼い猫を信頼できる友人に預けて息子を実家に託し全て覚悟して広場に向かったという抗議行動のスタイルとは、やはり時代は変わったんだろうなと思う。
(モスクワ系の過激で挑発的な一派よりは緩さが目立つ彼らにしても、電車で対話をけしかけるパフォーマンスではその後郊外の駅で降りてデモをやって逮捕者出したりしているから、今の日本での市民グループやぼっちたちの抗議とは事情は違うことは想像できるけれど。)

この緩さで大丈夫なのか?と思うかもしれないけど、例えば”タワー”に関しては、そのパフォーマンスが功を奏してとばかりは言えないにしろ(世界遺産の景観が傷つくだろうとかユネスコからの懸念もあった)ガスプロムタワー建設は計画の見直しをせざるをえなくなった(中心部→郊外)わけで、ささやかなれども成果を得ることができているじゃないか、とほっとさせられる。





録画メモ

海は燃えている
劇場公開時見逃していた。

録画メモ

「レッズ」
ウォーレン・ベイティとダイアン・レインの。
ずっと前に録画してVHS→DVDにしたのは画質がぼろぼろでしたから、BSプレミアムで放映してくれた!
ちょっと見たらちょうど半ばでインターナショナルが流れていた。
会議場。
レーニンも出てくる。
そしてインターミッションへ。

2018年4月26日木曜日

録画メモ

「イマジン」
当然ポーランド映画枠。
(ポーランド語じゃないけど。最初にポーランド映画祭で観た。らしい傑作だと思った。ポーランド映画、凄い。)
ラヴストーリーっぽい扱いになっていたが、視覚障害者のノーマリゼーションの問題提起としてずきずきする映画だった。

2018年4月15日日曜日

国会前でにゃあにゃあ言って来た。

私が撮った動画はにゃあにゃあ言っている場面じゃないんですが。
決壊直後の、かなり前の方の模様です。
(注意;結構音は大きくて割れています。)


2018年4月13日金曜日

ラフマニノフの想い出

平野恵美子先生の訳(共訳)なんだな。まだ殆ど読めていないが。ラフマニノフの周辺の人達の回想の選訳(原書は大変な大部なのだそうだ)。

録画メモ

ヴァーサス
ハード・コア

録画しただけで観ていない

2018年4月10日火曜日

パスハのスイーツ

パスハ

コンデンスミルクのシャーベットみたいな味
(つまりとんでもなく甘い)

クリーチ
蝋燭型のドライフルーツケーキ。
それに蝋燭をたてる。


2018年4月4日水曜日

2018年4月1日日曜日

聖土曜日、青葉町4丁目の桜吹雪

団体申し込みをしていた肉球新党見学学習会@ハンセン病資料館


13時~語り部佐川修さん講演ビデオ視聴
14時~社会啓発課長儀同さん講話
15時~資料館内見学
16時~園内見学

1時間刻みだけどそれぞれ時間足りないくらい充実のプログラム
(お菓子食べる暇なし)

さすが肉球新党党員さんたちで、質疑応答も活発だった。

ビデオでは非常に慣れたご様子で講演されていた佐川修さんは、今年の1月25日に86歳で亡くなった。
資料館1階には追悼コーナーができていた。
講話でも語られた、1953年の国会陳情等の患者さんたちの運動。
患者さんたちの代表が各地の療養所から全生園に密かに集まり(当時の状況では各療養所に強制隔離されているので、無断で抜け出すのは逃亡であり、処罰対象なのだ)、国会要請行動へ行こうというときに園の上部に情報が洩れ、彼らは全生園の最寄り駅である秋津や清瀬で患者さんたちを拘束しようとしていたので、その裏をかくために未明に出発して、最寄りではない駅である東久留米と所沢まで徒歩、そこから乗車して国会に向かった(東久留米からは西武池袋線で池袋に向かって丸の内線、所沢からは西武新宿線で新宿に出たのだろうか)、というエピソードを、ビデオの中の佐川さんはすらすらと語られていた。
SNSはおろか電話も自由には使えない状況だったろうに、各地の方たちとどうやって連絡をとり、意思確認をしていたのだろうか。

儀同課長の講話のレジュメは何と9頁もの大作!
加えてパワーポイント駆使しながら詳細な解説。
元々隣接の研究所でハンセン病の菌について研究されてきた方なので、病気そのものの話が詳しいのは勿論だが、なぜ日本で差別の歴史がこうまで長く続いたのか、誰の責任か?今後どうしたら?という指摘も適格だった。

勿論、国の責任が最も重い。
らい菌の伝染性は弱く、普通に治る病なのに、法律で患者の隔離を強制し続けた。
憲法違反の法律を90年代後半になるまで廃止にしなかった。
日本がやっていたのは、病気の根絶ではなくて、患者という存在を社会から抹殺するようなもの(終生隔離・断種と中絶)。
それは優生思想・民族浄化と結びつく。

しかし、医療従事者・研究者・法曹・教育関係者・報道関係者・宗教家は、それぞれの立場で知りながら見てみぬふりを続けてきたし、或いは利用したのかもしれない。
世界の潮流から完全に反した深刻な人権侵害を問おうとしてこなかった。
患者・元患者らの集会・デモ・国会陳情等の行動を、皆無視し続けた、という。

ただ、儀同さんの指摘する「世界では開放医療に向かったのに日本”だけ”が強制隔離政策を続けた」という「世界」が所謂先進諸国なのか(私はそう思った)他のハンセン病患者の多い国なのか本当に日本以外の全ての国なのかを確認したい。
例えば、戦前日本が占領支配していた朝鮮半島や台湾などは日本の支配を脱した後どういう方向に行ったのか、質問しようとしたら、他の質問に答える形で「韓国や台湾は日本のように隔離すべしという偏見が続いたが」みたいなことをちらりとおっしゃっていたが、それは現在はどうなっているのか?

他人事ではないのだ。
確かに、少なくとも96年らい予防法廃止前後に社会的に大きな動きがあってそれが報じられ、自分も物心はとっくについていた筈なのに、それについて何事か心に受け止めていた記憶は恥ずかしながら全くない。
薬害エイズ、薬害ヤコブ病など、薬害被害者やその家族の行動は覚えているのに。

儀同さんのレジュメに書かれている言葉
(一部要約)
「無知は罪」
「差別意識は無自覚」
「誰もが持つ内なる差別意識を認識することが差別者にならない第一歩」
「同じ過ちを繰り返さぬよう、偏見差別人権侵害の歴史を後世に伝えるのは私たち市民の役割」

あと、気になったこと。
現在では、日本国内で新たにハンセン病患者とされる人は年間2~7名で、多くは在日外国人だという、レジュメ2頁目の解説の中で、
・日本人の新患者は、2011年の60歳の方を除くとこの間(2008~2015年)全て70歳以上の方(総数8名)。高齢のため免疫能の低下によりって昔感染していたのが発病するパターン。
・対して外国人は20~30歳代主流(同期間で総数28名)。
「感染していても母国であれば発病しなかったであろう方が来日して長時間労働など過酷な環境で免疫能力低下して発病したのではないか」
⇒それって、現在の日本での外国人労働者の非人間的な労働環境を反映しているってことでは・・・。(嘆息。「母国であれば発病しなかったであろう」←この言葉が重い!)

多磨全生園は桜吹雪で美しい光景。

資料館2階の窓から
いつもは菜の花が同時に咲いているとのことだが、今年は桜の開花が早まってしまって同時多発にはならず

 

資料館側からの入り口付近 

入所者さんたちの住まいの周辺には菜の花畑もあった。



花と緑に溢れる園内。
でも人権侵害の酷い歴史を抱えていることから目を背けてはいけない

桜の花びらの絨毯の中、猫様が通ってゆく