2026年8月28日金曜日
録画メモ:第九中隊 オデッサ海岸通り: アルトゥールくんに会える!DVDで
2026年8月26日水曜日
録画メモ:初期ケン・ローチ
*レディバード・レディバード
*ケス
この2本はシネ・ヴィヴァン六本木で観た。前売券、入場整理券のシール№91が貼っていある
*レイニング・ストーンズ
*世界ふれあい街歩き ロンドン
録画メモ:わたしはダニエル・ブレイク
録画メモ:吠えることを諦めない~ロシア言論統制の中で
森を越えて行こう~アルトゥール・スモリヤニノフくん~兵役拒否~いろいろ交錯する…
世界のドキュメンタリー
*吠えることを諦めない~ロシア言論統制の中で(前・後編)
*アリーナとオルガ憎しみの行方~ウクライナ・ロシア オリンピックレスラーのその後
*禁じられたモスクワ 経済制裁下の市民生活
録画メモ:コゼリスク攻城戦
「コゼリスク攻城戦~モンゴル軍襲撃」
去年製作だから明らかに初見なんだけど、中身はどうにも既視感がある。ありすぎる。
タイトル忘れたけど前にもこういうの観た。ロシア人、こんな話が好きなのかな。
「映像の世紀バタフライエフェクト」
*独ソ戦~地獄の戦場
*シベリア~絶望と欲望の大地
ところで、今ポレポレ東中野で上映の「ハワの手習い」の短縮版を放映していたから録画して、一回はダビングもしたようなのだが、どのディスクに入れたのか行方不明に。
確か、サヘル・ローズさんの番組とかと一緒に入れたと思うのだが。
まあ、またそのうちダビングしようと思うが。
映画「原爆資料館~語り継ぐものたち」
元々観るつもりではあったが、被爆三世の友人が激賞したこともあって、24日にポレポレ東中野に行ってきた。
上映前に共同監督の一人、立川直樹さんのトーク(資料館前からのオンライン)があった。
8月24日は資料館(「広島平和記念資料館))が1955年に開館した日だという。
広島ホームテレビ製作のこの作品は、歴代館長の軌跡が軸となっているが、初代館長(原爆投下当日は山口県にいて2日後に爆心地に入り資料集めを始める。被爆者手帳は申請しなかったという)以降、被爆資料の収集・保管、そして展示を行ってきた資料館。7代目~9代目が被爆者館長、10代目が体内被爆者、12代目が初の被爆二世。
数回の改修・リニューアルを経て、現在は被爆再現人形など”再現もの”を控えた、遺品現物と被爆当時の写真という事実に基づく展示となっている。
苦心熟考の末にある資料館の展示物。
7代目館長高橋昭博さんは「核なき世界」を掲げたオバマ米大統領(当時)に「資料館を訪問して」と何度も手紙を書く。最初の来日時にオバマ氏は資料館を訪れず、2016年の2度目の来日で現職米大統領として初の訪問を果たす。だが、高橋さんは2011年に亡くなっていて、夫人が悔しがる様子が映る。且つ、資料館見学後のオバマ発言の空虚さよ…。ただの抽象的な言葉の羅列。この非道をやったのはどこの誰なんだ?あなたはそこで何を見たのか?
2023年広島でG7サミット開催。広島出身の岸田首相(当時)の肝いりで?サミット参加の各国首脳が資料館を訪れた、のだが…。
資料館は白く覆われ、他の見学者、市民、メディアもシャットアウト。後の取材でわかったのは「首脳たちは東館3階に集められた十数点の資料を見た」に過ぎなかったということ。
「資料館訪問が核政策や国内世論へ影響を与えることを懸念したのか」ですって???
「展示を見ることによって考えの変化が起きるのであれば、資料館の役目からすればそれは望むべきことなのに、なぜ見てくれなかったのか」(12代館長志賀賢治さん)
見学することで影響がないようにした資料館訪問ってそれ何?!
このドキュメンタリーが作られるきっかけになったのはこのときの「白く覆われた資料館」だった。
「語り継ぐ」こと、それを受け止めること、の意味を噛みしめる。
2026年8月22日土曜日
イベリア・イベロアメリカ映画祭97振り返り
キネカ大森まで出かけていたらしい。
スケジュールに印がついていて観たらしいのは
「100人の子供が列車を待っている」
「ルシア」
「フラメンコ」
「歌姫カルメーラ」
なのだが、「100人の子供が~」は初見ではないはずで、「ルシア」目当てで行ったのかな。
(「ルシア」はこの後何度か観ることになるのだが。)
「フラメンコ」は前年(96年)にユーロスペースで観ている(招待券で行った模様)から「歌姫カルメーラ」を観に行ったのだろうか。
この映画祭、プログラムがすごい。上記の他に
「メキシコ万歳」
「ダビドの花嫁」
「愛よりも非情」
「苺とチョコレート」
「フルカウント」
「サンタ・サングレ 聖なる血」
「アルチバルド・デラクルスの犯罪的人生」
「イル・ポスティーノ」
「アルシノとコンドル」←すごく観たい
「ラテンアメリカ光と影の詩」
「愛の奴隷」←ミハルコフの(何度も観た)じゃなくてアントニオ・バンデラスが出演している方(観てない)。
これ、2作品1プログラムが前売りで1200円だった。交通費かけても行くべきでしたね。
今でもこの映画祭続いているのだろうか。
2026年8月13日木曜日
無記憶のブラジル映画祭2013:オデッサ・スタジオ: 美しく勝つブラジル
2026年8月11日火曜日
EUフィルムデーズ2020振り返り
イタリア「小さな灯り」#EUフィルムデーズ 2020オンライン配信ラスト。美しく悲しく不思議な映画。最初にイタリア映画「木靴の樹」とか思い出すな。
#EUフィルムデーズ 今年はオンラインだったおかげで制覇できた。各国大使館や文化会館等でやっていたこじんまりした雰囲気もフィルムセンター(現国立映画アーカイブ)のスクリーンでばっちりと観られるのも良いがオンラインにはオンラインの良さがある。京橋会場では常連の煩い老人達がいたからな
https://x.com/KocmocKocma/status/1276723459679064065
例年のフィルムセンターでの上映では英語字幕のみが多くてパスしていたギリシャ映画だがこの監督さんは日本語かなり堪能なのでは?フランスの移民、レスボス島に漂着する難民、外見だけじゃ判断しかねるのだ「メルテム ー 夏の嵐」
https://x.com/KocmocKocma/status/1276026890759761921
ラトヴィア「ビッレ」 後に有名になった作家の自伝的ストーリー。とわかっているが貧困でかなり不仲な家庭のエピソードが続くので辛い。近所のドイツ人が移住していく他には世相はあまり描かれず。わけありで出生届も洗礼もせずに就学前に家に牧師を呼んで洗礼を済ますのに目が点。丁寧に作られた作品ではあるけれど作家を多少なりとも知っているラトヴィア人でなければ味わいつくせないものがあるのかもしれない。ピアノの先生も学校の先生も彼女の才能を見抜いたのは素晴らしいし貧しい両親も何とかしてくれたんだと思うと感慨深い。
https://x.com/KocmocKocma/status/1274607088488988672
2020オンラインEプロは「ヴァトレニ」をヨコハマ・フットボール映画祭で観ていて、まずはオランダ「ケースのためにできること」を観た。自閉症の子を残して親はどうすれば?住宅プロジェクト難航し万策尽きた先は、ああやはり”それ”なのかオランダだからな予想はある程度してた。そこまで行き着いちゃうのはやはりT4作戦やらナチスやらを連想してしまうわけで、それはご両親も重々わかってのことなのだろうけど、当事者自身が”それ”を選択肢に入れざるをえなくなるようじわじわ追い詰められて辛い。どうしようもなく辛い。
https://x.com/KocmocKocma/status/1273282728117469184
有名な白猫パンガ・ボン登場
私と猫のパンガ・ボン
共に打ち込む仕事あり
私はことば パンガはネズミ
夜を通して追いかける
人に賞賛されるより
書を描くが我が歓び
パンガは私を恨みもせず
共に仕事に精を出す
(どなたの訳なんだ?)
2011上映作品というけどたぶん初見。古書の話で雰囲気は「ケルジェネエツの戦い」かな。木の実→クリスタル→バイキングと冒険がランクアップしていく
https://x.com/KocmocKocma/status/1276738698000789506
2026年8月10日月曜日
録画メモ:ニューヨーク公共図書館 アイ・アム・タレント
①ニューヨーク公共図書館 エクス・リプリス
連想するのは「パブリック 図書館の奇跡」と「もしも建物が話せたら」の「ペテルブルクの国立図書館」編だな。
②アイ・アム・タレント(未見)
残1時間22分
重複して録画していた。
①ニューヨーク公共図書館 エクス・リプリス
②ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ(未見)
③吾輩はカモである(未見)
2026年8月6日木曜日
録画メモ:麦の穂をゆらす風 五つの夜に
友人から誕生日のお祝いのBlu-rayディスク
①麦の穂をゆらす風
そう、彼女はキリアン・マーフィーが「プルートで朝食を」以来好きだからな。
「ハイドリヒを撃て」も好みなんだろうか。(チェコでは冷ややかな評価だったと聞く。「また他国があの事件をやるのか、好きだね~」みたいな感じで。)
②五つの夜に
VHSからので画像はよくないが、お気に入り作品だから、と。そうなんだね。だって、去年も「五つの夜に」を贈ってくれたもの。
ちなみに、私もこういうミハルコフは好きです。
③ソビエト・ハイウェイ カザフ~グルジア
④ソビエト・ハイウェイ バルト三国
⑤世界の文学12回韓国 光州事件を描く ハン・ガン
去年のプレゼントは
①五つの夜に
②クラッシク倶楽部 ウクライナの響き
③おんがく交差点 ウクライナ出身のバス歌手 デニス・ビシュニヤ
④世界文学への招待 光州事件を描く ハン・ガン「少年が来る」
であったか。
録画メモ:エセルとアーネストふたりの物語 83歳のやさしいスパイ ジュゼップ戦場の画家
「エセルとアーネストふたりの物語」
「スノーマン」「風が吹くとき」の絵本作家レイモンド・ブリッグズが自身の両親の人生を描いたアニメーション作品。岩波ホール。
「83歳のやさしいスパイ」
驚きのドキュメンタリー映画!ドキュメンタリーですよ!すっかりドラマ映画だと思っていた。スパイ映画なのに!「ハニーランド」がドキュメンタリーだと思っていたのにドラマ映画だったのの逆。凄い。
「ジュゼップ戦場の画家」(未見)
※「エセルとアーネスト」が2019年公開で、後の2本が2021年公開なので、2021年のボックスへ。
録画メモ:マルモイことばあつめ
「マルモイことばあつめ」
公開はコロナの頃だったのか(2020年7月)。
何か映画を観に行こうとして、ヘイトカウンターのお仲間に勧められたのがこの作品だった。
観たのは実際には公開からしばらく経ってからだったと思う。シネマート新宿だった気もするし、アップリンク渋谷(まだあった)だった気もする。
一緒のディスクに入っているのは「暗数殺人」(未見)
2026年8月3日月曜日
東京イラン映画祭
いつものように、あんまり広報しない大使館情報なので、偶々前日に今年の映画祭の日程を知る。
例年、8月6日直後あたり(広島イラン愛と平和の映画祭と同時期か直後)だと思っていたら、今年は予想より早かった。
広島の方は8/1~7、旧作も多いようだ。
(ポスターのデザインは肉球新党のショウジサダムさん!)
31日は昼間は定例の発送作業が国立であるため、10時の回は観に行けず、結局オープニング式典の途中~スペシャルセッション(って何だろ?と思ったら要はまあ演奏でした)、8月1日はやはり定例の会議があり、夜は31日のスペシャルセッション出演者の方の別プログラムということのことで、8月2日を全部観ることにして、1日は見送り。
「天使たちの国」未見だが、予定が合わず、観に行けなかった。
「黄金の血」観た。初見。稀少な血液型の人の輸血の話。イランの人たち、エホバのなんたらみたいな、輸血に拒否感はないんだな。実話をもとにした再現ドラマを交えたものだけど、基本的に関係者の独白が続く構成でシンプル過ぎて
「ボディーガード」確か2回くらい観たことがある。字幕を改めたとのことだが、こちらも予定が合わず。
「No Prior appointment(事前約束なしで)」観た。
ミュンヘンで医者をしている女性が故郷イランで父が亡くなったという連絡を受けて、はったつしょうがいの息子と一緒に、気の乗らない帰郷。父の遺言とは・・・。ロードムービーかな。
「Fragrant~香気」観た。肺がん患う調香師が親戚の裏稼業も手伝って・・・という中途半端にミステリー?犯罪映画?な映画。
「風の絨毯」日本・イラン合作。
ムサーコフが日本の資金をあてにして作った「母」を思い起こすような微妙な駄作。
「沼地の涙」たぶん初見。とはいえ、イラン・イラク戦争激戦地で行方不明になった兵士の家族の話、なんか見覚えある気がしないでもなく・・・でもそれは「遺灰の顔」のDNA鑑定の話とごっちゃになっているのかな。シリアスで重たい話だった。最後の葬儀場面の映像と音楽は実際の殉教兵士の葬儀のときのものとのこと。
これが今回の映画祭で一番の収穫。
スペシャルセッションは後に書くつもり。
いつもよりも、イランの政府の主張をはっきり出していて(ミナブの犠牲者の子どもたちの追悼)、こういう情勢だからかもしれないが、今までになく混んでいる映画祭だった。
Twitterの相互さんテヘラン・カトウさんを初日にお見かけした。いろいろな方たちに話しかけられていた。
2026年7月30日木曜日
録画メモ:12か月の未来図/大人は判ってくれない
「12か月の未来図」(2019年公開@岩波ホール)はバンリュー(フランス団地映画)かつ教室映画の一つなんだが、「パリ20区、僕たちのクラス」(2010年)の方がサッカーネタがあって、強烈に記憶しているのに比べると印象薄い。生徒の年齢はもっと下。
「大人は判ってくれない」はトリュフォーの有名作品。
2026年7月28日火曜日
録画メモ:暗い日曜日
「暗い日曜日」
これ、好きだった。一人の女性(ハンガリー人か)を巡る、レストランオーナー(ユダヤ人)、ピアニスト、常連客のドイツ人(ナチ)。
自殺大国であったハンガリーでの、自殺ソングで有名な「暗い日曜日」誕生のフィクションなので、作中やはり自殺場面があるのだが、それより他殺の描き方が深い。うわああ。
名曲アルバム
「慰め」第3番 リスト
「チャールダーシュの女王」カールマン
感動地球紀行 ハンガリー
2026年7月25日土曜日
録画メモ:タレンタイム~優しい歌 グランド・ブダペスト・ホテル 善き人のためのソナタ
①グランド・ブダペスト・ホテル ②善き人のためのソナタ
「 タレンタイム~優しい歌」
2019年ヤスミン・アフマド没後10周年記念特集@イメージフォーラム
他の映画もよかったが、遺作のこれは特に滲みる。
最近、友達がヴァイオリンの発表会で夫さんの二胡とのデュエットをしたと聞いて、この作品を思い出してしんみりした。音楽映画で、マレーシアの民族を超えた青春映画で、ほのぼのしみじみ、今観かえしてまた泣けてくる。
石井桃子さんのことば
「私は子どもたちからアラビアン・ナイトを取りあげる政府が出てきたら、命がけで戦う」
赤旗2007年4月6日付「文化の話題」欄より
以前に書いたことがあると思うが、高校卒業の折、恩師(世界史)からマカレンコを読むように勧められた。
素直に聞き入れ、母と、吉祥寺の美和書房に行って、マカレンコ全集を買った。
そして、素直に読んでいたのだが、「子どもにお伽噺なんて与えたらだめ」みたいな言葉にあたって挫折した。それは絶対に違うだろ!と思ったのだ。
後に就職して、職場の同僚と話していて、教育学部出身の彼女もマカレンコを読んでいて、同じ個所で躓いたのだと聞いた。
さらに後に、ロシア・ソ連の絵本の歴史を知ると、革命直後のロシア・アヴァンギャルドの時代には確かに民話とかに依拠したお話ではなく、身近なあれこれとか、あるいはもっとナンセンスだったり抽象的な題材の凄い絵本など児童文化の高揚期であったりもしたとわかるのだが・・・
お伽噺否定は直感的に「違う!」と思ったものだった。
その時代に生きていたらきっと粛清されるんだろうな。
マカレンコについてだが、後に恩師からは「あれを真に受けたのか?」と言われた。
2026年7月24日金曜日
オデッサ海岸通り: 録画メモ:WOWOWワイダ特集 +α
2026年7月23日木曜日
2026年7月22日水曜日
日本人の「戦争は嫌だ」
何となく、日本人って戦後ずっと「やっぱり戦争だけは嫌だ」という思いを持ち続けたのかと思っていた。
母方の祖父母は言うまでもなく、治安維持法制下で戦争反対を言って弾圧され、戦後も一貫して平和運動をしていた。母は69署名を最晩年まで続けていた。
父方の過去にはあまり詳しくないが、台湾から引き揚げた前後大変苦労しているのは確かで、父も私が頼んだら戦争体験記を一応は書いてくれた。母が書くものほど強烈ではないが、その分正直に書いてくれたのだと思う。音楽の試験で、軍の飛行機の音を聞かされて飛行機の種類を当てるというもので、さっぱり聞き分けられず適当に解答したら評価は3だった、友人たちも皆そうだった、というもので、ネット上では「軍国少年だったから全部分かった」みたいな話が多い中で、父には珍しく法螺話ではなく実際の体感を思い出して書いてくれたんじゃないかなと思う。
今日(7月20日)の赤旗に「戦争はいやだ! 戦後日本の命脈をたどる」という連載記事の「上」が載っていて(毎月1回掲載だそうだ、次回は一か月先?上下になるのか、上中下になるのか)、日本国憲法草案の戦争放棄の支持は70%に及んでいた(1946年5月27日)→しかし、47~48年冷戦・朝鮮戦争を経ると早くも再軍備に賛成する人が多数になった、とこの記事にはある。
「自分の国を守るためにはやむを得ない」という条件付き戦争肯定が、戦争絶対否定を圧倒的に上回るようになったのだそうだ。53年で条件付き戦争肯定75%、戦争絶対否定15%。
これは意外だった。最初に書いたように、日本人は「戦争はもうこりごり」と思って「戦争は絶対嫌」と思い続けたと思っていたから。
ところが。
ここからまた風向きが変わったというのだ。
原水爆禁止運動・母親運動・基地闘争が起こり、活発化し、60年の安保闘争への発展する。
戦争絶対否定の日本は、むしろここからだったようだ。記事には「憲法の平和主義の定着」と書かれている。
1967年条件付き戦争肯定21%、戦争絶対否定77%
今日の記事は「敗戦から1960年代後半」までだったので、これ以降の時代の分析は8月後半になるようだ。
2026年7月19日日曜日
書きました:高校生につなぐ戦争証言
2026年7月15日水曜日
録画メモ:パリ20区、僕たちのクラス
2026年7月13日月曜日
録画メモ:コッホ先生と僕らの革命 僕たちは希望という名の列車に乗った
コッホ先生と僕らの革命
僕たちは希望という名の列車に乗った
感想は残していなかったか。これだと2019年4月4日に「RBG」と一緒に観たって書いてあるが、パンフレットは2019年5月17日発行なんだよな。
世界ふれあい街歩き ライプツィヒ
世界のドキュメンタリー 命をつなぐ動物園
世界の窓 リブリャナの「ロシアの家」
※コッホ先生と僕らの革命 はもう一つディスクがあって、そちらは「戦場のアリア」と一緒に録画していた。2014年6月のこと。
2026年7月12日日曜日
録画メモ:スターリンの葬送狂騒曲 僕の大事なコレクション
スターリンの葬送狂騒曲
僕の大事なコレクション→チェルノモーレツファンの子の下手な英語でガイドするロードムービーで、お気に入り。正式のDVD(かBlu-ray)も買ったんじゃなかったかな。
2026年7月10日金曜日
録画メモ:汚れたミルク~あるセールスマンの告発 サラエヴォの銃声
別のディスクになってしまったが、ダニス・タノヴィッチ監督の2017年公開作2本
「汚れたミルク~あるセールスマンの告発」
「サラエヴォの銃声」
2026年7月3日金曜日
親和性強い「ポーランド」と『暗黒」と「SF」
目黒シネマで「石炭の値打ち」を観た際に、”ポーランド暗黒SF”の映画特集があるのを知って、ただそこでは観ることがかなわず残念に思っていたら、なんと阿佐ヶ谷で上映あるじゃないか!
と、さらに有難いことに、「ソヴィエト映画特集・愛にまつわる6つの物語」と同時期。
最初は(これは本来意に反するものだったが)「ザレチナヤ通りの春」と「祝賀の夜」を観た次の時間帯で、「ゴーレム」を。
なぜ、意に反するなのかというと、多幸感の強い「ザレチナヤ」と「祝賀」でしみじみ幸せにな気分を暗黒SFでぶち壊したくなかったからなのだが、予想通りいや~な気分にしてくれる暗黒SFだった(ゴーレム)
次に「宇宙戦争・次の世紀」
これもまた期待以上に誰もが不幸せになる世界滅亡まっしぐら作品。
いいぞ、この調子だ!と昨日の「オビ・オバ 文明の終わり」と「ガガ 英雄たちに栄光あれ」で無事に4作品完走。
ロプシャンスキーっぽい世界観だね~
「死者からの手紙」では、ブィコフ老人と子どもたちの聖なる存在が際立つラストだったけど、「オビ・オバ」はひたすら醜い・・・真に迫る醜悪さ。
最後の「ガガ」はコメディー要素も強かった。
2026年6月24日水曜日
摩文仁の丘
画像は母が2013年1月にAALAのツァーで訪れた時のもの。
平和の礎に名前が刻まれたこの星子鋭郎さんは祖母の従兄弟。(確か都道府県別になっているので前後の星子さんも熊本出身なのだろうが、親戚ではないとのこと。)
沖縄戦から帰ってこなかった。
一人息子を失って、お父さんはその後自ら命を絶ったという。
私が沖縄を訪れた1990年11月にはまだ平和の礎はなかった。海岸から摩文仁の丘に登る道を、宣教師のエリザベス・クラーク先生と一緒に登っていたら、主任牧師に「Kocmaさんはクラーク先生と苦楽をともにされましたね」と親父ギャグを言われ、脱力しかけた・・・
そして、その当時は、熊本の親類が沖縄で戦死をしていたということも、祖母や母からまだ聞いていなかった。
2026年6月11日木曜日
録画メモ:二位じゃだめなんです!の運動靴と赤い金魚+クローズ・アップ+ダヴィッド・オスストラフ
二位じゃだめなんです!優勝でもだめなんです!
相変わらず”綺羅星の如く”巨匠が途切れないイラン映画だが、これはね、当初からのイラン映画の王道、労痛き子どもがひたむきにがんばる(周囲の大人は無理解)お話で、とてもとても懐かしい。素直に感動。
妹の運動靴をなくしてしまい、ひとまずは二人で運動靴を共用することになり、男女別学、二部制なのか午前午後とかで通学時間がずれているのを利用して、一方が学校が終わったら走って待ち合わせ場所へ、そこで靴を交換し、受け取ったらダッシュして学校へ・・・を繰り返す兄妹。
元祖イランのかわいい子映画「友だちのうちはどこ?」がそうだったように、可愛い子が走る、走る、走る、懸命に走る。
マラソン大会の賞品が運動靴なので、それを獲得すべく、アリ君は走り続けるが、全然長距離走の走り方じゃない、常に全力疾走っぽい。観ていて苦しいよ。
妹のザーラが通う女の子たちの小学校、今観ると、2月末にアメリカ・イスラエルによって虐殺された少女たちが脳裏に浮かんでやはり辛い。この子たちを攻撃するなんて全く酷い連中だ。おまけにワールドカップは…。
録画メモ:オデッサ海岸通り: キーラのカレーニナ+ロリータ(ナイトレイではない)
2026年6月9日火曜日
録画メモ:裏切りのサーカス フィラデルフィア
「裏切りのサーカス」は2012年7月1日シャンテで鑑賞。
Tinker, Tailor, soldier, spy
元歌はマザーグースの
Tinker, tailor,
Soldier, sailor,
Rich man, poor man,
Beggarman, thief.
鋳掛け屋 仕立屋
兵隊 船乗り
金持ち 貧乏人
物乞い 泥棒
数え歌。将来の職業、または結婚相手の職業を占う。
カンバーバッチが出ていたのか。
「フィラデルフィア」
2026年6月3日水曜日
やっとお目見えチュルリョーニス
1992年世界に先駆けてチュルリョーニス回顧展を催したセゾン美術館はほんとうに偉大だったな。
34年前、知名度なんて殆どないままの日本初公開(というより旧ソ連圏外初公開だったのでは)にもかかわらず、早々にカタログが売り切れたという。日本人の心の琴線に触れるものがあるのだろう・・・
残念ながら、このときは観ていない。
1994年8月にリトアニアに行った時、ヴィリニュスもカウナスも、縁の土地であるにもかかわらず、少なくとも外国人向けにはチュルリョーニスを紹介しようという雰囲気ではなかった。私もチュルリョーニスの名前だけは知っていたものの、かの地で何か探求しようという気にはなっていなかった。
(杉原千畝に関して言うと、地元の関心度・知名度は決して高くなかったと思う。)
チュルリョーニスに関心を持ったのは、芸術新潮2010年10月号の特集記事『チュルリョーニスを知っていますか?』までくだるのだが、それでも15年半前になるのか。
それによると、彼はリトアニア民族主義者で、リトアニアの民謡や神話に親しんでいたものの、リトアニア語には不慣れで、ポーランド語が母語だったようだ。(文学者の妻ソフィアに翻訳を頼んでいたという。)
スライドトークで紹介された作品
①森の囁き 油彩 1904年















































