2021年11月29日月曜日

録画メモ:薄いロシア繋がり

 昨年末に観た2本

「ニューヨーク 親切なロシア料理店」

「声優夫婦の甘くない生活」

2021年11月21日日曜日

悪は存在せずとも

タイトルどおり悪は存在せず(悪人は登場せず)可愛い猫、犬、狐は登場する。

ユーロスペースでイスラーム映画祭2021→そしてキアロスタミはつづく→フィンランド映画祭、ときてユーロライブでのドイツ映画祭。


フィンランド映画祭の「初雪」、ドイツ映画祭の「未来は私たちのもの」「マリアム エヴィーン刑務所に生まれて」と、EU内の国の映画祭ながらイラン出身の移民難民が登場する映画を観ることができ、特に昨年の東京国際映画祭で観られなかった(チケットが売り切れだった)「悪は存在せず」がここで観られるのは幸いだった。ベルリン国際映画祭金熊賞受賞ということで、一般公開も是非して欲しいものだ。

イラン映画祭でもやって欲しいが内容から言って現在の政治体制である限りあまりにも無理筋だろうな。それなら、イスラーム映画祭でも取り上げて欲しいし、死刑映画特集でもやって欲しい。

イランにおける死刑制度にまつわる4つのエピソードとあるが、死刑制度存置国なら事情はさほど変わらないのではと思っていた。焦点は死刑執行する担当者に当てられる。命令ならやれるのか?

イランは世界的に見ても死刑執行数が多い「死刑大国」の一つ。職業として、つまり刑務所勤務の一環で死刑執行に携わる人もいる一方で、徴兵された若者が偶々配属されて命令される場合もあるようだ。進んでやりたがる人はまずいない。

徴兵された兵士が出てくるイラン映画というと、離島の警備を携わっているところに都会から派遣されてきた選挙管理委員会の女性をガードする役目を仰せつかった兵士が「このまま眠れそうにないから」と引き続き夜明けの警備を担当する(だいぶ前に観たのでうろ覚え)「一票のラブレター」、アザディスタジアムでのワールドカップ予選バーレーンとの試合の警備をしている兵士が「試合を観ようとしてつかまった女の子たちのお守りをするのではなくほんとうは実家で牛の世話をしていたいんだ」と嘆いていた「オフサイド・ガールズ」が思い出される。彼らの任務も本意ではなかったようだが、死刑執行よりは何万倍もましなはず。

気が進まない、嫌だからって、命令を拒否したらどうなるのか?

「耳に残るは君の歌声」だったろうか。徴兵制のあるロシアで実際に危険な戦闘地域にやられるのは金もコネもない、逃れる術を探る情報から遮断された地方の青年で、という様子が描かれていたが、ここでもコネがなくて転属願いも出せず任期が終わるのを待つしかないとの同僚たちの言葉に一層の理不尽さを感じる。

徴兵された若者が実際に戦闘地域の前線にやられ敵を殺せと命じられるのも、死刑制度がある国で死刑執行のボタンを押すのも、国家による殺人であり結局は誰かが誰かの命を奪っているわけで、「誰か」が手を下していることになる。その人がダメージを受けないわけがない。

代替任務への振替とか、まして徴兵拒否なんてとんでもないだろうな、イランでは。ロシアは徴兵制はあって死刑執行は停止されていて、私の国では死刑制度は存置しているが徴兵制はない。イランはどちらもある。

「悪は存在せず」の各エピソードはどれも自分がそうなり得る、選択し得る道であり、制度がある限りどちらに行っても苦難は避けられない。その時抵抗を選べるのか。納得できなくても従って生き残るのか。

パナヒやマフマルバフの往年の名作を偲ばせる序盤から舞台のような台詞を畳みかけるファルハーディーっぽい場面に、近年の話題作「ジャスト6.5 闘いの証」「ウォーデン 消えた死刑囚」にあった追いつ追われつの息詰まる展開も垣間見えるし、終盤はキアロスタミの描いてきたイランの乾いた風景が現れて、イラン映画の万華鏡を見るようでもあり(いっときのイラン映画の代名詞とも言えた美少年は出てこないが)、でもこれはドイツ映画祭なのだった。




2021年11月15日月曜日

シリーズ本、やっぱり合わなかった

 

同著者の『社会を変えた50人の女性アーティストたち』が今いちだったのだが、「これはアーティスト紹介という分野に向いていない絵柄や構成なのだろう、科学者やスポーツ選手ならよいのかもしれない」と思って手に取って見た。
それぞれの分野で埋もれがちな女性たちを紹介してゆくという発想はいいのだが、やはり読みやすい本にはなっていない。
イラストが暗い地にごちゃごちゃしていて見にくい。

圧倒的にアメリカ中心の人選である(アメリカの子ども達向けにはそれでいいのかもしれない)のに加え、テレシコワで2頁使っているのにコヴァレフスカヤが「その他大勢」になっている不思議。

2021年11月14日日曜日

Память, говори! メモリアルの危機

Twitterで「不当逮捕された時は国民救援会を」という話題が今更のように挙がっている。

国民救援会については祖母が生前熱心に活動していた(市内の団体・個人にカンパを集めに回って~自分では運転できないからドライバー役の男性を従えて、って感じで~、今では考えられないかもしれないが市長や助役からもカンパを貰っていた(※一貫して保守市制だったにもかかわらず!))けれど、母ともどもそんなに熱意を持ってやっているわけではなく、会費を払ってせいぜい年に3回のカンパには応じているくらいで『救援新聞』も実はろくに読んではいない。

それでも救援新聞の毎号の1面をチラ見するだけでも、救援会が扱っている活動は

1.冤罪裁判支援(先日の最高裁裁判官国民審査でも、冤罪事件再審開始を妨害した裁判官についての資料を機関紙「救援新聞」から得た)

2.政治弾圧事件救援

3.人権侵害・政治弾圧に対して闘った人達の記録・顕彰

なのだろうなということはわかる。(カンパ集めが夏冬のボーナス時に加えてもう一回あるのは毎年3月18日に行われている❝解放運動犠牲者❞の合同追悼会に向けてのカンパがあるからだ)

人権侵害・政治弾圧に対して闘った人達を❝解放運動犠牲者❞と呼ぶのは、特高警察によって虐殺されたプロレタリア作家の小林多喜二、岩田義道、野呂栄太郎あたりならともかく、治安維持法がなくなった現在、あからさまに弾圧を受けたというのではなくても「人類の平和と自由のために活動して生涯を終えた人」全般のことを指しているわけだけれど、言葉がなんというか壮大に感じられるかもしれない。しかしまあ、私はごくごく緩いことしかしていないが、現在でも覚悟を持って信念に基づいてコミュニストであることを貫いたり、労働組合の本来の役割を果たそうとしたり、差別に対して否と言い続けることは、❝解放運動犠牲者❞であると言ってしまってもいいくらい大変なことなのだろうと思う。

国民救援会は❝解放運動犠牲者❞の合同追悼会を主催しているが、治安維持法犠牲者達の名誉回復・賠償を求める活動をしているのは『治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟』で、母はこちらの方は真面目にやっている(それも最近になってのことだけど)。

政治弾圧、特にファシズム・独裁に抗する運動、反植民地活動によって受けた被害への謝罪や補償は「世界各国で進む」と、同上の同盟が進めている「治安維持法犠牲者に国家賠償法の制定を求める請願」の署名用紙には書いてあり、

*ドイツ:ナチス犠牲者に年金支給

*イタリア:反ファシスト政治犯に終身年金支給

*アメリカ:第二次大戦集強制収容された日系人に大統領が謝罪、一人当たり2万ドル支払い

*スペイン:フランコ独裁犠牲者の名誉回復と補償

*チリ:ピノチェト軍事政権下の犠牲者と家族に年金支給、子弟に奨学金

*韓国:日本の植民地支配と闘った「愛国者」表彰、年金支給

*オーストラリア:先住民に対する差別・虐待を謝罪

*イギリス:ケニア反植民地運動弾圧に対する補償

という各地の状況が挙げられている。

時の政権による弾圧・人権侵害について、後の政権が謝罪して、犠牲者の名誉回復を行い、金銭的にも補償をするという流れは、ものすごく悲しいことに日本では行われていない。なので、母を含めて犠牲者家族らはずっとずっとずっと謝罪と賠償を求めている。しかしとても悲しいことに普段も選挙時も殆ど話題にもニュースにもならずスルーされっ放しだ。治安維持法が人道に反する悪法だったことを、まずは認めるべきだが、それを認めると謝罪と補償という話になるからか、それすらやらないというのが日本という国だ。

こういうときに持ち出すのはこれまた悲しいのだが、中国も「文化革命」犠牲者への名誉回復はやっているし、ロシアもソ連時代の粛清犠牲者に対して名誉回復と謝罪は(当人たちにとっては極めて不十分で莫大に手間がかかる手続きを経るようではあるが)やっているのに、日本はそれら以下です!!!

という感じの流れで今まできた。

そしてロシアで粛清をはじめとする政治弾圧の犠牲者の掘り起こしや顕彰、というより記憶に刻む地道で膨大な作業を進める中心的な役割を果たしてきたのがメモリアル(Мамориал)という人権団体である。

こちらのデータバンク、『囁きと密告 スターリン時代の家族の歴史』を読んだ際に、有名サッカー選手イーゴリ・ネットの兄弟レフ・ネットのことを検索してみたことがある。→ここ

このメモリアルが危機に瀕している。

ここへ来て、ロシア社会の締め付けが進んで、ここまで退潮してしまうのか、というのはまたまた大ショックだ。まさかここまで、と私の想像力を超えてしまう。(こんなところ、日本に似ないでくれ…というか、競い合って一緒にだめになっていっている)




半年くらいかかったか。
やっとやっと、『囁きと密告 スターリン時代の家族の歴史』上下2巻を読み終わった。

レフ・トルストイの大河小説よろしく、500人もの人々が登場する、ソ連を生きた人たちの歴史であって、感想を述べるのはほんとうに難しい。

普通の人たちもたくさん登場するが、作家・俳優・映画監督等知識人たちも大勢出てくる。
最も登場回数が多いのは作家のコンスタンチン・シーモノフ。
端的に言うと、スターリン時代を生き抜くために身近な人(妻・娘も含めて)を見捨てた人であり、仕方なかったのかもしれないが酷いなあ…と舌打ちしたくなる人物だったのだが、晩年は案外誠実に自らの過ちに向き合ったようで、少々救われた思いに至る。

著名なサッカー選手イーゴリ・ネットの兄、レフ・ネットは下巻からの登場で、本文では2箇所、しかし著者あとがきでもスペシャル・サンクスに名前が挙がる。
彼は、「名誉回復」申請を、積極的に拒否したという(下巻405ページ)。
我々に対し犯罪を犯した国家に、名誉回復を請い願うなんてナンセンス!というわけだ。
レベラヴなんだね。カッコいい。
(勿論、名誉回復を申請するのも当然の権利である。)

https://kirakocma.blogspot.com/2012/03/blog-post_7515.html