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2026年6月24日水曜日

摩文仁の丘

 画像は母が2013年1月にAALAのツァーで訪れた時のもの。



平和の礎に名前が刻まれたこの星子鋭郎さんは祖母の従兄弟。(確か都道府県別になっているので前後の星子さんも熊本出身なのだろうが、親戚ではないとのこと。)


沖縄戦から帰ってこなかった。

一人息子を失って、お父さんはその後自ら命を絶ったという。


私が沖縄を訪れた1990年11月にはまだ平和の礎はなかった。海岸から摩文仁の丘に登る道を、宣教師のエリザベス・クラーク先生と一緒に登っていたら、主任牧師に「Kocmaさんはクラーク先生と苦楽をともにされましたね」と親父ギャグを言われ、脱力しかけた・・・

そして、その当時は、熊本の親類が沖縄で戦死をしていたということも、祖母や母からまだ聞いていなかった。





2023年7月26日水曜日

芸術新潮2003年

 特集

12月 ロシア・イコンへの旅


SPEAK LOW 
2月 アキ・カウリスマキのメランコリーがもたらす幸福

ART NEWS
8月 あっけなくも美しく燃え ロシア前衛陶芸の理想と現実

STARDUST
4月 草の根構成主義 「ロシア構成主義のグラフィックデザイン」展
6月 棺だってオシャレしたい ロマノフ王朝展
11月 ヤツェック・スロカの東欧ブギウギ/アナ・ゼマンコーヴァ 妖花しげれる

WORLD
7月 女帝エカテリーナの夢 甦った琥珀の間
9月 夢みる飛行男 パナマレンコを満喫する

連載
四方田犬彦「あの人のボナペティ」11月イザドラ・ダンカンのキャビア食べ放題

2023年2月15日水曜日

2015年8月

* 誕生日無料になる東京富士美術館に。

*エアコン買い替え

*10日と19日新宿武蔵野館。19日は「クーキー」



*26日深夜バスで神戸経由淡路島へ。猫の墨絵の中浜稔猫美術館など。国民休暇村で天文台。

鳴門・大塚国際美術館、徳島ではロープウェイの時間に間に合わず、特に何も見られず。

なぜかお休みだった淡路人形座。







2020年9月3日木曜日

ファンタスチカ・オデッサ: いよいよスーズダリ

ファンタスチカ・オデッサ: いよいよスーズダリ:  ウラジーミルからスーズダリ、バスで田舎道をひたすら走り、途中ではうとうと⇒すやすやだったが、目覚めると教会の屋根が見えてきた。農村っぽく牛馬もいる。 (ウラジーミルはトラクター工場などがあり、鉄道も通っているが、スーズダリは農業と観光の街) 教会で(修道院で)売っている蜜酒。と...

2020年8月31日月曜日

ファンタスチカ・オデッサ: 黄金の輪の猫たち

8年ぶり、新たに投稿

ファンタスチカ・オデッサ: 黄金の輪の猫たち:  ポクロフの人懐こい猫たちは書いたと思うので、それ以降で。 ウラジーミル スーズダリ セルギエフ=ポサード

2020年6月30日火曜日

青木センセイ大活躍イルクーツクまでのシベリアの旅~『鉄路の果てに』

著者の父のシベリア抑留体験を辿る旅ながら、同伴者(スプートニク)青木センセイの存在が素敵でカワイイ。

黒パン、私はご馳走!
https://okazakira.wordpress.com/2009/06/28/%e6%9c%9d%e9%a3%9f/

著者 : 清水潔
マガジンハウス
発売日 : 2020-05-21
シベリア鉄道の旅としてはイルクーツク止まりなのだけれど、宮脇俊三『シベリア鉄道ものがたり』森まゆみ『女三人のシベリア鉄道』に続いてよいシベリア鉄道ものだった。

単なるシベリア鉄道旅行記でもないしシベリア抑留ものでもない。著者清水さんの父・祖父の体験を辿る道筋。全てが明かされるわけではなくわからないことがわかる。

日本が占領していた地域へのソ連軍の侵攻、軍関係者がいち早く情報を得てさっさと逃げてしまい、残されたのは民間人と「張子の虎」の青少年義勇兵たちだったという話は教会の方から伺った。
ソ連兵に酷い目に遭わされた、だからソ連(ロシア)を忌み嫌うと言いながら東アジア文化フェスタにロシアが参加するのを承知で特別出演された宝田明さん。
ロシア語教室初級の時ご家族がタシケント辺りに抑留されていた、そこに行ってみるためにという方がいたことを思い出す。
抑留を体験された清水さんのお父様には「平成23年」になっての賞状発布(内閣総理大臣菅直人なのであった)、それまで日本政府は何をしていたのだろうか。抑留されていた方達は謝罪も補償もされていない。治安維持法犠牲者である私の祖父母がそうであるように。


2020年6月15日月曜日

シベリア鉄道ものの大傑作

『鉄路の果てに』読破の前にちょっと寄り道した。

89年、旧ソ連”最晩年”のシベリア旅行なので、さすがに情報としては古くなっている部分はあるものの、今読んでも十分凄い。
さすが宮脇俊三であり、鉄ちゃん視点が行き届いているが、さすが福音館の『たくさんのふしぎ』シリーズ。マニアック一辺倒にならず小学生にもわかるであろう語り口で平明に描かれている(そのうえ、シベリア鉄道以前のシベリアについてチェーホフの著作を薦めているので完璧!)ことに感心。リアルタッチの絵もいい感じだ。


2017年9月9日土曜日

夏の広島⑥旧日銀広島支店

袋町小学校平和資料館では、友人が広島市内巡りをしているのに出会って、彼女からの情報で、日銀に行ってみた。(2017.8.5)

外観の写真を撮り忘れたのだが(迂闊)、日銀は爆心から380メートルだったが、その堅牢な造りのために、ほぼ当時のままの姿で建っている。
「そのとき」支店内にいた28人のうち18人が生き延びたとのこと。

現在は市民ホールとなっているようで、1階ではコンサートと展示が、地階では原爆写真展が行われていた。


 
イランの「メヘルナワ」というグループによる演奏
おお!女性ヴォーカル!
かの地では女性の声は誘惑だとか言って、人前で歌うのが許されないみたいなことが映画「ペルシャ猫を誰も知らない」では言われていたのだが・・・。



1階に展示されていたのは「起き上りこぼし展」
呼びかけ人は漫画家のちばてつや氏か。
真ん中の白いのがちばてつや氏作の起き上りこぼし



有名無名の方たちの作品が並ぶ。

有名、とはいえ、ちばてつやさんの作品をちゃんと読んだことはなかった。
なので、昨日(9月9日)西新宿に観に行って来た。

まあ、これについては別項で書くと思うが、満州からの引き揚げで壮絶な体験をしてきた方だ。

あれですよ、”僕たちの人生は 平和と自由求めて 生きていけばいいのさ”って、歌もあるように、何度でも起き上って諦めないで(オラシャヤーン)生きていくのだ。

地階では、うちの地元でもやっていたような原爆写真パネル展が行われていた。
(ただパネル写真の貸し出しは今後は難しいとのことで、これからは観られないかもと言われているので。)
原爆の前にはどんな町だったかを示すものも。
外国の人が多く展示を熱心に見入っていたのが印象的だった。
 

2017年9月8日金曜日

夏の広島⑤原爆と戦争展

いっけな~い。
旅行記、途切れていました。
夏が終わり気味だ。急げ。

袋町小学校平和資料館に入る前、入り口でフライヤー配っていた人がいて、隣の公民館みたいな建物で展示をやっているので見ていってください、というので、どうせだから覗いてみた。
(外はとにかく暑くて出歩きたくなくて、室内に避難。)

涼しい室内で見学だ。

第16回広島「原爆と戦争展」

これ、ほんとに充実した展示でした。
8月に戦争展、原爆パネル展示だったら、私の住んでいる市でも毎年やっているのだけど(ところが今年は、広島長崎どちらからかは「傷むので今後はもう貸し出せない」と言われてしまったらしい。「毎年同じような展示だな、少しは工夫しないと今どきの人は見なくなるぞ」とか思っていたら、同じパネル展示でもいいから記憶風化させないためにとにかく続けろって気に俄然なった)、そういったいつもの見覚えのあるような戦争についてのパネル展ではなかったのだ。

エグかった。
日本・アメリカ双方の、戦中戦後の犯罪的な行為を、冷静に指摘していた。
その後、NHKで放映されてかなりの反響を呼んだインパール作戦に関しても
「飢えと自決で死体散乱 ビルマ・インパール作戦」
「米軍は残虐だった 皆殺しする作戦だった」

アメリカの戦争犯罪についても
「終戦まぎわまで空襲」
「戦後支配の野望のために虫けらのように焼き殺した」(下関空襲)
「無差別の県民大虐殺」(沖縄戦の真実)
「基地を奪い取るための大量殺りく」(同上)
「戦争を忘れさせよ 慰霊碑許可せぬGHQ」(語られなかった東京大空襲の真実)
「原爆は戦争終結のためには必要なかった」(原水禁運動)
「原爆使用が正しいとはいわせぬ力をつくった」(同上)
と、厳しく見ている。アメリカ=正義の味方、ではない。
ああ、私の市ではとっても無理そうな展示だわ。
でも、はっきり言ってこちらの方が正しい原爆・戦争パネル展だと思うわ。

2017年8月24日木曜日

夏の広島④袋町小学校平和資料館

三瀧寺から中心部にバスで戻って、市内散策ですが、これまでは平和公園周辺の記念碑めぐりすることが多かったので、今回は公園から少し離れたところの遺跡や碑などを訪ねてみることにしました。

真心像
原爆の洗礼を受けた広島市に本拠を置く広島市信用組合が本店新築を記念してここに清純な古代の乙女の像を設置して永遠の平和と繁栄を祈念します。
昭和三十八年十月十三日   今井稔 撰
 

アストラムライン「袋町」駅地下道出入り口にある説明

昼食はショップ併設のカフェのようなところで冷製パスタ。
しかし、注文してから前日夜もスパゲティだったことを思い出したのですが。


道の向かいに袋町小学校平和資料館が見えます。
続々と入館する人。
先生に引率された小中学生や、グループ行動らしき生徒さんたち、大人たちも集団で、次々に入っていくのが見えます。




リーフレット、日本語のものは品切れになっていました。
残っているのは英文のみ。
先生なのかな?生徒さんたちに説明をしていた男性が「土日は小学校が閉まっているので補充できなくてすみません」とおっしゃっていたけれど、5日土曜にお昼になくなってしまっていて、明日も続々訪問者がありそうなのに…。
Webからダウンロードしてプリントアウトすることは可能(私はそうしていた)ですが、残念なことです。

袋町小学校は爆心地から約600メートル。
1945年8月6日当時、学校にいた児童160人と教職員16人、うち生き残っていたのは校長・教頭と児童3人のみ。
当時としては珍しかったのではなかったかと思われますが、西校舎は地下室付きの鉄筋コンクリート造りの校舎で、ここの地下室にいたり、グラウンドから運動靴を取りに戻ったという偶然により生き延びたようです。
(地下室に詳しい証言や説明の展示やビデオがあります。)
木造校舎部分は当然ながら倒壊・焼失しました。

焼け残った西校舎は翌日から救護所となりました。
そして、壁には、被爆者の消息を知らせる伝言が数多く残されました。
それが現在でも保存されています。

伝言について詳細な説明をしてくださった。

壁に残る伝言文字現物

地下の扉

各地の学校から折り鶴や寄せ書きが送られている。
ここでも折り鶴を捧げて来ました。

袋町小学校の校庭では盆踊りの準備が進められていました。

2017年8月20日日曜日

夏の広島④三瀧寺(続続)

先を急ぎましょう。
三瀧寺の残りの写真です。
その名の由来の三つの滝(駒ケ滝、梵音の滝、幽明の滝)、被爆建物(鐘楼・三鬼権現堂・鎮守堂)。


補陀落の庭に注ぐ滝は枯れちゃっていた。
本堂下から参道の方に水が流れるように誘導されている。
確かに涼し気な雰囲気だが、(日陰だし)それでも汗が噴き出てくる。
夏は暑い。(結論)








2017年8月10日木曜日

夏の広島③三瀧寺(続)

三瀧寺の入り口にこんな案内板がありましたが、


本堂の奥、三瀧の名水を汲むところで、何やら動くものが・・・。

え?
ほんとにイノシシが出現?!
どうすれば?
と、本気で怖かった。

でも怖かったのは相手の方も同じだったと思われる。
すばしこく、目も止まらぬ逃げ足で社務所の方へ。

一応、追ってみて、そっと覗いてみたら、う~~む、なんだかタヌキ(我が家のダーチャ=父のアトリエ@千葉の横芝)かハクビシンのような。

社務所から、「クゥクゥ」と呼び声が聞こえて、お寺の方が現れ、おっしゃるには
「猫でしたでしょ?」

いえ、猫様ではありませんでした!
タヌキみたいでしたけど、と言うと、その方曰く
「それじゃあ、アナグマですよ。ときどきいるんです。」
あ、アナグマですか。ポターの描くアナグマ、トミー・ブロックが目に浮かぶ私。
「猫かと思って呼んだんですけど、返事がなかったですね」
三瀧寺の猫様は「クゥ」というお名前らしい。
(今回、猫様には結局会えなかった。猫様は→こちら)

イノシシじゃなくてよかった~。
どうしていいかわからなくて一瞬立ちすくんでしまったよ。

あとは蝶とカナヘビみたいなキラキラ光るトカゲがいました。


三瀧寺の名水は平和記念式典に献水している清水16か所の一つだそうです。
名前の由来となった三つの滝のうち幽明(ゆうみょう)の滝があって、ここで水を汲むのですが、大きなペットボトルのおじさんがずっと水を汲んていて近づけませんでした。
(書きかけ)

2017年8月9日水曜日

夏の広島②三瀧寺

こちらのお寺は鐘楼の前に、「拝観料200円入れてください」という箱が置いてあるのですが、案内のハンドアウト類は一切ありません。
(お金は帰りでもよいと書いてあるし。)
説明板はありますが、見逃す可能性もありますし、予めWEBから案内図を入手しておかれることをお薦めします。

広島駅からバスで約30分。(JRだと2駅。)
中心部からはかなり離れている山にあります。
広島に原爆が落とされた際には、救護所となりました。
また、鐘楼・三鬼権現堂・鎮守堂は被爆建物です。
※爆心地から約3.18km



(あまりにも普通に建っているので、そうは見えなかった。三滝山に切れ込む谷の底に位置しているのが幸いして被爆の際にもほとんど無傷だったといいます。)

これ、鐘楼を越えて茶堂・本坊までの参道は、広電の電車の敷石だとのこと。
↓


そして、アウシュビッツ犠牲者供養平和宝塔。
ここにまず、
 
 
 
折り鶴を捧げました。

そして、原爆慰霊三十三歌碑



③に続く。