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2023年7月29日土曜日

黒海人と冶金人だって

 手始めに2014年5月2日のオデッサ・ジェノサイドについての箇所を開いてみたら、まあ割と詳しく書かれているけれど、私がリアルタイムで観たのといろいろ齟齬があるんだよな。

それにまず「五月二日、オデサのサッカー競技場で「黒海人」(オデサ)と「冶金者」(ハルキウ)の試合が行われることになっていた。いずれのチームの熱狂的ファンもマイダン支持であることで有名で」との記述に、文字通りこけそうになってしまった。(サッカーファンならまずこんなことにはならないよね。趣味の問題でもあるが、これまで見た中で一番センスない訳だと思う。「黒海人」に「冶金人」とか。)

「市街北部(競技場近く)のギリシャ広場」などで衝突が起こったとの記述(131頁)にも頭をひねる。試合が行われたオデッサの競技場は東部で、ギリシャ広場から徒歩15分くらいか?近いと言えるのかな。

というわけで、まだ読み始め。


2023年7月15日土曜日

ソ連の乗り物

 

『旧共産遺産』の方なので廃車廃船廃ロープウェイ廃観覧車など廃虚の乗り物の写真。
廃墟の趣はわかるが、やはり、現役の乗り物がよいなー。

 

キエフ・オデッサ間の寝台列車チェルノモーレツ号
(酷く揺れ、ツァーガイドさんが乗り物酔いになった)


この埃っぽさが好き


ウラジーミルの丘から見たロシアの列車

ヴィリニュスの路面電車のチケット






2022年5月20日金曜日

ナショナルな欲望のゆくえ: ソ連後のロシア文学を読み解く

 

ロシアのポストモダンをはじめソ連時代~2010年代の文学史概観。
大急ぎでなんとか読み切った。
 例えば、とにかく読後感の悪かった『図書館大戦争』
→https://booklog.jp/edit/1/4309206921
作者のエリザーロフは、インタビューによるとかなりのソ連推しなのだが、
「負の面を含めたソ連の遺産を多く引き継いだロシアとは異なり、独立とナショナリズム運動によって非ソ連化が急速に進んだウクライナで成長したことで、彼の記憶の中の理想的なソ連像はさらに強化されたのかもしれない。」
「ロシアを敵視するヨーロッパに対する不満を述べ、ウクライナに対しても”好きなだけ自身のヨーロッパ性を口にすればいい”と批判的だ。」
今現在、エリザーロフの立場は・・・。



2022年5月17日火曜日

『インフル病みのペトロフ家』公開記念・無料オンラインレクチャー <ロシア・ウクライナ・ベラルーシ映画の知られざる世界 ―今こそ知りたい現状と今後―>

 アーカイブ視聴してのメモ書き

ロシア・ウクライナ・ベラルーシ映画の関係


ウクライナ気候がいい→オデッサに映画スタジオ キラ・ムラートヴァ

ベラルーシ ほぼロシア語映画


ロシア映画の多様な世界

・セレヴレンニコフ ウクライナ人母

・多民族性

・神聖なる一族24人の娘たち マリ・エル共和国 マリ語

・マヤ タジク人労働者の映画

・キットボーイ チュクチの映画

・鳥のミルク モルドヴァ・ロシア映画 沿ドニエストル ロシア語

・Give Me Liberty ロシア人監督 アメリカのロシア人移民 介護施設のドライバー

サハウッド(サハ=ヤクート映画) 国内の賞をとっている。

寒いので映画館好き

資金豊富

フォークロアが豊か 口承文化

ソ連解体後、各共和国の公用語で作られる

・私の殺し屋 2016年

・カラス 2020年 


ウクライナ映画オールタイムベスト100

2013年以降のウクライナ事情を反映

2014.5 オレフ・センツォフ監督がロシアに拘束→人質交換で解放

2022.2.26 ロシアの映画芸術編集長アントン・ドーリンが反戦の意を表明 ズヴャギンツェフ等参加

3.16ドーリンラトヴィアに亡命

3.18ロズニツァ、ウクライナ映画アカデミーから除名

3.22 ソクーロフ インタビュー動画 誰もこんなことをする権利はない


1.火の馬 忘れられた祖先の影 パラジャーノフ ドヴジェンコの弟子

カルパチア山脈グツール人 ウクライナ語

2.大地 冒頭にひまわり

3.カメラを持った男 キエフ・スタジオ ロシア人?

4.ザ・トライブ

5.レオニード・オシカ 石の十字架1968未

ドヴジェンコの系統

6.ムラートヴァ 無気力症シンドローム 1989未

7.ロマン・バラヤン 夢と現実の飛翔 1989未

アゼルバイジャン生まれのウクライナ人

8.ユーリイ・イリエンコ 黒い徴のある白鳥 1971未

火の馬のカメラマン

グツール人 火の馬に似ている場面 筏下り

9.長い見送り

10イヴァン・ミコライチューク バビロン20 1979未

火の馬の主演俳優

11アトランティス 5/25~リフレクションとともに公開

12ボリス・イフチェンコ 失われた手紙 1972年未 ゴーゴリ原作

13ムラートヴァ 短い出会い 1967年未 長編第1作

14ドンバス

15ミハイル・カウフマン 春

16レオニード・ブィコフ 戦場に行くのは老人のみ 1973年未

17ヴィクトル・イヴァノフ 二兎を追って 1973年未 コメディー

18ダヴィド・チェルカッスキー ヴルンゲル船長の冒険 1976-79年未 アニメーション

19ズヴェニゴラー

20アントニオ・ルクィチ わが思考は静か 2019年未

21ユーリイ・イリエンコ 渇いた者たちの井戸 1965年未

22ロズニツァ わが喜び 2010年未 長編劇映画第1作 ロードムービー

23ユーリイ・グリツィナ varta1 リヴィウ、ウクライナ

varta1はスマホの通話アプリ ドキュメンタリー 2015年未

24ヴォロディーミル・デニセンコ 良心 1968年未 雪解け期

25ニコライ・シピコフスキー パン 1929年未 赤軍帰還兵 検閲で当時公開されなかった

26未来への迷宮 厳しい青年 ローム

27武器庫

28ヴェルトフ 熱狂:ドンバス交響曲 1931年 第1次5か年計画 農業→工業 炭田

29戦火の大地

30イヴァン・カヴァレリゼ プロメテウス 1935年未

タラス・シェフチェンコの作品をモチーフ

31ニコライ・シピコフスキー 身勝手な人間 1929年未

革命→国内線

32フェリックス・ソボレフ 私と他の人たち 1971年未

ドキュメンタリー。心理実験を基にした科学ドキュメンタリー映画

33ユーリイ・イリエンコ イワン・クパーラの前夜 1968年未

ゴーゴリ原作

34イリーナ・ツィリク 地球はオレンジのように青い 2020年

ネット上で観られる。アジアン~のウクライナ特集

シングルマザーと4人の子ども。ドンバス激戦地。長女が映画学校に進学 ドキュメンタリー

35ロズニツァ マイダン 2014年未

36ユーリイ・イリエンコ ヘーチマン・マゼッパの祈り 2001年未

コサック頭領主人公

37ヴァレンチン・ヴァシャノヴィチ 暗闇 2014年未

ドキュメンタリー アトランティスの監督 盲目の母と知的障害の息子

38ロマン・ボンダルチューク 火山 2018年未 低予算コメディー

39ヴォロディーミル・ダフノ エネイダ 1991年未

アニメーション ホメロスのイーリヤスのパロディー作品のアニメ化

40セルヒー・ブコフスキー きみの名前の綴りを書いて 2006年未

ウクライナのホロコーストのドキュメンタリー

スピルバーグのお金

41レオニード・ルコフ 愛している 1936年未

マリウポリ生まれ

42ピョートル・トドロフスキー 戦場のロマンス 1983年

43アブラム・ナロディツキー、ニコライ・ラシェーエフ ブムバラシュ 1971年未

国内戦を舞台にしたミュージカル映画

44オスタプ・コスチューク 生きている火 2016年未

ドキュメンタリー カルパチア山脈 現代

45マルレン・フツィエフ、フェリックス・ミロネール ザレチナヤ通りの春 1956年未

ソ連の雪解け映画の走り フツィエフ監督第1作

46イーゴリ・ミナエフ 1階 2001年未

フランスに移住

47イヴァン・カヴァレリゼ コリーイの乱 1933年未

ポーランド=リトアニアに立ち上がったコサック反乱

48ゲオルギー・スタボヴォイ 2日間 1927年未

正しい人間を描いた作品

49ヴォロディーミル・シェフチェンコ チョルノービリ:困難な数週間の記録 1986年未

チェルノブイリのドキュメンタリー

50ダヴィド・チェルカッスキー 宝島 1986-88年未

51ムラートヴァ 感傷的な警官 1992年未

畑に捨て子、警官が育てる。フランスとの共同制作

52ステパン・コヴァリ 路面電車9番がゆく 2002年未

短編アニメーション

53レオニード・オシカ 海水浴をする女 1965年未

短編 台詞なし

54ナタリヤ・アンドレイチェンコ シャマラ 1994年未

国内混乱 シャマラは人名 メロドラマ ドイツとの合作

55イヴァン・ミコライチューク こんなに遅く、こんなに暖かい秋 1981年未

56ロマン・ボンダルチューク ウクライナのシェフたち 2015年未

ドキュメンタリー 二人の男性が自警団活動

57フェリックス・ソボレフ 地平線への7歩 1968年未

科学実験映画

58ゲオルギー・タシン 逮捕令状 1926年未

59マルク・ドンスコイ 犠牲を払って 19557年未

60ナリマン・アリエフ 故郷へ 2019年未

クリミアを舞台、クリミア=タタール語が出てくる 亡くなった長男を故郷クリミアの亡母の隣に葬るためのロードムービー

61アレクセイ・ミシューリン、ニコライ・リトゥス ガソリンスタンドの女王 1962年未

コメディー 自家用車を持つ人が増えてきたころ

62ロマン・バラヤン 口づけ 1983年未

63ムラートヴァ 3つの話 1997年未

オムニバス

64アンドレイ・ザグダンスキー 夢判断 1990年未

フロイトの心理学に基づいて20世紀を振り返る

65ヴャチェスラフ・クリストフォヴィチ 死の友人1997年未

フランスと合作 犯罪映画

66アルトゥル・ヴォイテツキー 退屈のために 1967年未

ゴーリキー原作

67ミハイル・ベリコフ 崩壊 1990年未

メロドラマの名手の代表作

68カレン・ゲヴォルキャン 海の果てを走るまだらの犬 1990年未

アルメニア人。キエフスタジオ。ウクライナはあまり関係ない。アイトマートフ原作。オホーツクが舞台。アザラシを捌くシーン等生々しい。

69イホル・ストレムビツキー 旅人 2005年未

10分くらいのドキュメンタリー、モノクロ

70アンドリー・ドンチク 酸素不足 1991年未

エドフシナ(ロシア語)軍隊内のいじめを描いた。

71ムラートヴァ、アレクサンドル・ムラートフ われらの清きパン 1964年未

最初の夫との共同制作 ムラートヴァらしさは希薄

72スタニスラフ・ビテュツキー さようなら、シネフィルたち 2014年未

ドキュメンタリー 若いシネフィルたちのうち女性がベルグラードに進学 ウクライナにいても仕方ないし

73アナトリー・スィルィフ セルゲイ・パラジャーノフ 訪問 1994年未

パラジャーノフのドキュメンタリー

74ゲオルギー・タシン 夜の御者 1927年未

75オレシ・サーニン ママーイ 1997年未

伝説上のコサック?

76イェウヘン・シヴォクィニ 道に雪は降り積もる… 1967年未

アニメーション 年号は違う?

77ロマン・バラヤン 猟人日記”狼” 一匹おおかみ

78アリーナ・ゴルロワ 目立った兆候はなし 2017年未

ウクライナ元女性兵士のPTSD

79ナディア・パルファン ヒート・シンガーズ 労働組合合唱隊 2019年

配信している。アジアドキュメンタリー~ 暖房会社の労働組合の合唱隊

80ムラートヴァ 調律師 2004年

81アナトリー・カラシ、ヴィクトル・シュクリン 7月の雷雨 1989-91年未

ドンバスの労働者を撮ったドキュメンタリー

施設が老朽化等の問題あってストライキ実行

82アフテム・セイタブラエフ ソルジャーズ:ヒーロー・ネバー・ダイ(原題:サイボーグ)2017年

アマゾン・プライム ドンバス舞台 空港をロシア系住民から守る 感情を押し殺して職務を全うする兵士たち=サイボーグ

83オレフ・センツォフ ゲーマー 2011年未

ゲームで生計を立てる人たち

過激な発言でロシアに拘束された監督

ロシア語作品の排除主張しながらこれはロシア語

84ヴォロディーミル・・ダフノー コサックのように… 1967-95年未

3人のコサック

85ワジム・イルコフ パパはママのお兄さん 2017年未

国外向けに英語のポスター。ドキュメンタリー。シングルマザー

兄弟(ゲイ)に娘を預ける。

86アルカージイ・ネピタリュク 同行者 2017年未

低予算コメディー

87アレクサンドル・イグナトゥシャ たんぽぽが咲いた 1992年未

地方を舞台にした青春映画

88レオニード・パヴロフスキー いてくれるおかげで 2004年未

オデッサ映画スタジオ。オデッサ愛に満ちた。

89セルヒー・ブコフスキー V.シリヴェステロフ 2019年未

ドキュメンタリー

90ロラン・セルギエンコ 愛の告白 1966年未

ドキュメンタリー

91カウフマン 前代未聞の運動 1931年未

第1次5か年計画

92ムラートヴァ アメリカへの手紙 1999年未

短編

93グリゴーリイ・グリチュル=チェリコヴェル 泣き笑い 1928年未

イディッシュ語 アレイヒム 屋根の上のバイオリン弾き(牛乳屋テヴィエ)同じ原作

94ウラジーミル・サヴェリエフ 追放者 1991年未

1941年舞台ユダヤ人の逃亡生活 ドイツとの合作

95ウラジーミルデニセンコ 夢 1964年未

タラス・シェフチェンコ作品をもとに

96バビロン13 武器よりも強く 2017年未

監督グループ 2014年以降ビデオクリップ発表 ロシア支配に抗する マイダン革命について

97ヴァレンチン・ヴァシャノヴィチ ブラック・レベル 2017年未

長編劇映画第1作 普通の中年男性の日常生活 台詞がない ボルダリング趣味なのにできない

98ロズニツァ やさしい女 2017年未

ドストエフスキー原作 現代に移して カンヌで受賞

99 フェリックス・ソボレフ 生物圏!認識の時 1974年未

科学実験ドキュメンタリー

100航空都市

ドヴジェンコのトーキー


すべては燃えている 2014年 オレクサンドル・テクンスキー他

ユーロマイダンのドキュメンタリー

デモ隊が暴徒化する様子 女性は冷静だが

→オールタイムベスト100には入っていない。除外?

アジアン~で配信


ムラートヴァ モルドヴァ生まれ ロシア人の父 ルーマニア人の母

母が外国映画検閲委員で職場によく連れて行っていた

編集 台詞と映像の両面で繰り返し

遺作 永遠回帰



知られざるベラルーシ映画

ワレンチン・ヴィノグラードフ 東の回廊 1966年未

映像が斬新 ドイツ表現主義

ユダヤ人を放水して溺れさせる

反戦映画

昨日ロシアの映画館でかかっていた

ヴィクトル・トゥーロフ 私は幼年時代に生まれた 1966年未

Я родом из детства

雪解けの時期 映像が美しい

炎628

スタフ王の野蛮な狩り

ダリヤ・ジューク クリスタル 2018年

ガラス製品 ベラルーシ特産物 アメリカに行きたがっている


ロズニツァ ベラルーシ生まれ、ベラルーシでも1本とっている



ウクライナ侵攻を受けて3か国の現状と今後

ロシア

この時期に戦争映画の新作公開

ベルリン上空の両翼

最初のオスカー

ソクーロフの教え子 カンテミール・バラーゴフ 戦争と女の顔

経済制裁で国外作品枯渇(ハリウッド映画上映できず)、レパートリー不足→旧作上映、人気ユーチューバーの番組流す

映画館は夏までに半減?


ヨーロッパの解放

1941年 モスクワ攻防戦 80年目の真実 2020年

タルコフスキー生誕90周年回顧

文化人アパート1階の映画館イリュジオン

「タルコフスキー。ストーカーのゾーンで」

・アレクサンドル・ゼリゴヴィチ 標的 2010年未

・アレクサンドル・ロゴシキン 第三惑星 1991年未

・アレクサンドル・カイダノフスキー 等有利の妻 1988年未

・アリ・ハムラエーフ 護衛者 1979年未

・アレクサンドル・ソクーロフ 日陽はしづかに発酵し…

・ウラジーミル・ポタポフ 調停者 1990年未

・アンドレイ・エルマシ 永遠の終わり 1987年未

・ドミトリー・スヴェタザーロフ 畜生ども 1989年未

・コンスタンチン・ロプシャンスキー 死者からの手紙

・アレクセイ・バラバーノフ 私も幸せが欲しい 2012年

・ウラジーミル・ホチネンコ ハチの群れ 1990年未

ナジム・トゥリャホジャエフ 草原 1987年未+やさしく雨ぞ降りしきる 1984年


グレプ・パンフィーロフ イワン・デニーソヴィチ 2021年

創作の自由の余地はある?

最近は完全に政権寄り ミハルコフ作品の脚本


ウクライナ

リヴィウの映画館は通常営業

キエフ 避難先の地下鉄で映画上映

5/19~火の馬 再公開予定 キエフ・オデッサ・ドニエプロペトロフスク・リヴィウ・スーミ

公開時の1965年、知識人一斉逮捕、この映画がソ連政権への抵抗のシンボル


ベラルーシ

経済制裁によりラインマップ不足。映画作家の育成も進まず。




質疑応答


・相互の映画界の人達の行き来

チェルノブイリ1986 プロデューサーはウクライナ人 ズヴャギンツェフのプロデュースもしている


・検閲

チェチェンへようこそ クナシリ は公開禁止

公開されない、早めに打ち切りの作品多い ドヴラートフは4日で打ち切り

第二次プーチン政権以降はソ連時代の公開規模ランク分けと似た状況か 中心部では上映できない


・ロシア人の描いたチェチェン人映画あるか

ロシアン・ブラザー 90年代ペテルブルク舞台 市場をチェチェン人マフィアが牛耳る→ロシアが成敗する

・チェチェンへの旅(ソクーロフ)は公開された


・監督、俳優の現況が気になる

・国外で活躍しようとしていた彼らの将来はどうなる


ロシア映画は面白くなってきたところ


国際的な舞台に立ちたいという人は国外に出るしかない?

映画祭に出られればよいが


セレヴレンニコフ

3月にロシアに出てドイツに。刑事事件は取り消されてパスポート復活。最新作「チャイコフスキーの妻」カンヌ コンペから外すようウクライナが言っている。

演劇演出した「ヌレエフ」はモスクワ上演中止

フランスのアヴィニオン演劇祭には参加 チェーホフの国葬

次回作リモノフについての映画 イーダの監督?脚本参加

ロシアで半分、残りをヨーロッパで撮る


演劇は大変そう。軒並み出国している。

体制側の人間だけが作れる事態


ソクーロフは残っている。1時間半くらいのインタビュー。ため息ばかり

ズヴャギンツェフ コロナで重体になっていた。声も戻っていない。


アジアンドキュメンタリー

バルト諸国ドキュメンタリー イースタンヨーロピアンフィルム 

・反戦に関して

2020年7月4日土曜日

人間、見習工、ルサルカ

再版、大変ありがたい。

独裁体制下でなくても科学が軍事利用や反体制派抑圧に利用されようという局面で科学者の良心が問われるのだが。
ラストはSFっていうよりかなり哲学的なのがソ連ファンタスチカのお家芸っぽくてよかった。
部下の若者たちがゆるふわなキャラでそれもよし。


2020年5月2日土曜日

6年目のオデッサジェノサイド オデッサ海岸通り: 血祭り~ХАТЫНЬ -2014

あの事件の翌日に、とにかく最初に書いた文章。

差別と分断が普通の人達を虐殺者に変貌させたのを見て、6年経った今でも、考えはまとまらないが、この日見たこと(ネットを通じてチェルノモーレツの試合を観るつもりで”オデッサのハティニ”を見てしまった)が、ヘイトスピーチを黙過してはいけないという決意に繋がっている。



オデッサ海岸通り: 血祭り~ХАТЫНЬ -2014: 数日前に手に入れたバーベリの『騎兵隊』にある有名な短篇が『血祭り』。 ただ、この短編集はブジョンヌィ将軍の騎兵隊に従軍するインテリ目線のポーランド遠征を題材としているけれど、昨日のオデッサの虐殺はバーベリのもう一つの短編集『オデッサ物語』に現れるポグロムに擬えられるだろう。 ...

2017年8月27日日曜日

オデッサの春 ユモリーナと「コメディアーダ」報告を聞く

久々の桑野塾でオデッサでのクラウンフェスティバルのレポートを聞く。
そしてクラウン達の映像も見せていただいた。
ククラチョフさんが猫劇場でやっているようなことを鶏でやる人とか、皿回しとフリスビー犬の同時並行とか、コッペリアの男性版←完璧!等々、素敵なクラウン沢山見てただただ幸せ。
紛争越えての開催実現とあって感動もひとしおでした。

で、最後にやや唐突にサバトラの猫の写真が映し出され、

講師曰く「岩合さんに教えてあげたい、オデッサは猫が多くて、しかも可愛い!
それ、知ってた。

10年前のオデッサだけど、素敵な猫たちに会えた。
私的ネコ歩き向け№1の街オデッサ。


ペテルブルグでもそうだけど、ネコの気配に満ちた街。
足元にも、

見上げても、

ねこいるいるいる。

日本で言うと尾道。
だが、こちらは美術館内にも猫様は住まうのだ。




(尾道だと折角訪ねてきた美術館を追い返されてしまう。)

オデッサと言えばあの階段…
 





なのに、それが崩落してしまったんだそうです。
その後しばらく放置されていた!
けれど、ようやく修復に乗り出し、この8月には直っていたというのですが、今度はコンクリート造りになっているっていうので、あの映画の風情を求めて訪れると厳しいのかも。

オデッサは4月1日をユーモアの日として祝日にして、愚者を祝う。
1997年当時のユモリーナでは、市民たちは市役所前から海岸通りをリュシュリュー像がある辺りまで練り歩く。これが楽しい、とおっしゃる。
ソ連圏伝統のグリャーニエ(練り歩き)なのですね。

今年のユモリーナでは、仮装大会化しており、コスプレイヤーがパレードして市民は沿道で撮影する感じに変化したとのこと。

2014年冬以来のウクライナとロシアの紛争はウクライナ南東部のオデッサにも深く傷を残し、伝統のユモリーナも2回の中断を余儀なくされ、2016年に復活。
クラウン・フェスティバルであるコメディアーダも開催が危ぶまれたのですが「こんな時だからこそ笑わせてくれよ!」という強い要望があって無事開催されました。

オデッサはロシア帝国内ではかなり新しい都市で(オデッサ>ペテルブルグ>ニューヨーク順で歴史が浅い)、国際的な港町、多民族・インターナショナルで華やかで明るくユーモア好きな人びとのいる街として発展してきました。
ソ連の中でも独特の文化が花開き、文学・演劇・映画で確固たる地位を築いてきました。
(ちなみにロシア語圏であり、ウクライナ文学の中での位置づけはちょっとわからないです。)
ソ連ジャズ発祥の地としても有名ですね。

しかし、一方で度々の戦禍に見舞われ、
 
ポグロム(ユダヤ人虐殺)も起き、犯罪率は相当に高いらしく、最近では東ウクライナ分離紛争絡みでチェルノモーレツ・オデッサ対メタリスト・ハリコフとのサッカーの試合後の暴動から多くの人が焼き殺されるという何とも凄惨な事件が起こったあの日を忘れることはできません。
(どうしよう、どうしようと思いながら何もできず、どうしてあんなことが起こってしまったのか未だに理解できない。だからだからです、考えが違うからとその存在を否定するような差別主義者を放置していたら、本当に人を焼くようになってしまうと、強く戒めて、レイシズムには抵抗していくことにしたのは。)

オデッサは試練を笑いで乗り越える。
やはりそうだったのだとわかって、すごくほっとしています。
今でも猫に優しい猫の街だっていうことにも。

2017年5月3日水曜日

5月2日オデッサ、チェルノモーレツ

3年前の惨劇を、どうして忘れようか。

 
 
日本ではもはや全く報じられることもないようですが、あの日夜11時から、チェルノモーレツ対メタリストの試合を観ようと思って、ネット上をふらふらしていたらオデッサの見覚えのある通りが映っていて、試合前のニュース映像なのだと思って観ていたのですが…(当時、ウクライナは、特に東部・南部は、分離・連邦化を進める勢力とウクライナ統一派が激しく対立するようになっていて、遂にドネツク・ルガンスクに続いてハリコフやオデッサでも「独立」を宣言する勢力が現れ、騒然としていました)オデッサの市役所庁舎、交響楽団会館、西洋東洋美術館といった街の中心部で人々がどうも暴動を起こしている様子です。

そして、気が付きました。私が観ているのはニュース映像ではなくて、暴動を起こしている人たちによるライブ配信なのだと。
最初の頃は青*黒ストライプのチェルノモーレツのユニを着た若者が数人中心にいて、苦々しい思いになりました。
チェルノモーレツのファンと言えば普通に優しい若者という思い出があって、彼らについての記憶ゆえに私はチェルノモーレツのファンになったのに。
ああした場にチェルノモーレツファンがいて実際に犯罪行為を行っているのを目にしているのだと思うと、腹だたしく、ファンである自分が揺らぐ思いがしました。
割と若い人が多く、カップルで来ている人もいるようです。
女性たちは楽しげに、ピクニックにでもきているかのような表情で火炎瓶を作っていたのです。
暴動はデモとは違って、不満や抗議を他者に伝えようとするプラカードとか横断幕とかのぼりとかはなかったし、スピーチもシュプレヒコールもなく、無言でただ破壊することが目的化しているかのような群れでした。
だから彼らの行動を観ていても意図・目的がわかりかね、事態の収拾もどうしたらつくのやら皆目わかりませんでした。
彼らが消防車を乗りまわしていたのは、あのとき既に労働会館を放火していて、消防車がそこへ向かうのを阻止して消火活動を妨害していたのだ、というのは後からわかりました。
すぐ近くに消防車がありながら、建物は燃え続け、多数の人が焼き殺されたのでした。
 
オデッサの虐殺、オデッサのジェノサイド、オデッサ-ハティニなどのロシア語が溢れたのですが、日本では私が観たのとは全然違う報道がなされました。
労働組合会館に籠った分離派の人達が自ら火をつけたとか。
火炎瓶を投げ込んでいたのはマイダン派の若者たちであるを私は実際に観ましたが、そういう風には報道されない、ということにいささか驚きました。
 
後から知ったのですが、そもそもこの暴動は、チェルノモーレツとメタリストの両クラブのサポーターがともにウクライナとウクライナリーグの統一維持を願って、鉄道駅からスタジアムまでをデモ行進したのがきっかけだったらしいのです。
(が、私はこのデモ自体は観ていません。後日メタリストの公式サイトが述べたところによれば、彼らは余計なことはせずに、まっすぐスタジアムに向かったので、暴動とは関係ない、とのこと。)
私が意識せずに暴動のライブ配信を見始めた頃には、チェルノモーレツカラーの青と黒のシャツを身につけている人が数人いたのは確かですが、試合が始まった頃にはもういませんでしたし、メタリストファンらしき人はいませんでした。
なので、サポーターが暴動を始めたというような報道も事実とは違うと思います。
彼らは真っすぐスタジアムに行き、デモの暴徒化であるかのような報じられ方は間違っていると。





2017年4月24日月曜日

ナチス、ヒトラーの映画の走り書き

新文芸坐
シリーズ「映画と歴史」① 映画に刻まれたナチスの爪痕
①帰ってきたヒトラー(2015・独/116分)
②アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発 (2015・米/98分)
③ハンナ・アーレント(2015・独=ルクセンブルク=仏/114分)
④アイヒマン・ショー 歴史を映した男たち(2015・英/96分)
⑤手紙は憶えている(2015・加=独/95分/PG12)
⑥アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男(2015・独/105分)
⑦独裁者(1940・米/126分/35mm)
⑧終電車(1980・仏/131分/35mm)
⑨シャトーブリアンからの手紙(2012・仏=独/91分)
⑩ヒトラー暗殺、13分の誤算(2015・独/113分)
⑪奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ(2014・仏/105分)
⑫栄光のランナー/1936ベルリン(2016・米=独=加/134分)
⑬サウルの息子(2015・ハンガリー/117分)
⑭顔のないヒトラーたち(2014・独/123分/PG12)

あと、
「ヒトラーへの285枚の葉書」 
7/8~ヒューマントラスト有楽町、新宿武蔵野館

まだまだ、ナチス、ヒトラーを題材にした映画作品は作られ続け、上映も続く。

ちょっとメモ書きしておこうと思う。
有名なの、無名なのいろいろ。
特にお薦めのものも。

感じるのは、意外と偏っているってこと。
アメリカ(つまりハリウッド作品)、あとはイギリス、ドイツ、せいぜいフランス、イタリアくらいに。
もっと素直に、被害者に目を向けようとしないのだろうか?
まず最大に被害国であったソ連の作品を知る人があまりに少ない。
絶滅収容所の多くが存在した地、ポーランドの映画は、巨匠が多くて、さすがに知名度は高いとは思うが、上映機会はかなり限られるし、こういう機会で言の葉に挙がるのももっと多くてよかろうと思う。
チェコスロヴァキア、ユーゴスラヴィア(犠牲者の数はかなり多い)、ハンガリーも、そういう土地柄なのだから、当然あるだろうと想像つくでしょ?

比較的最近の作品群

「ヒトラー~最期の12日間~」
有名ですね。評価する人も多い。

「アイアン・スカイ」
個人的にはすごくお薦め。
このノリのフィンランド、好き。

「ヒトラーの忘れもの」
辛い。なぜ双子を出す?

「ワルキューレ」

「検事フリッツ・バウアー ナチスを追い詰めた男」
法曹枠。

「シンドラーのリスト」

「ヒトラーの贋札」
個人的にはオデッサ枠。

「オデッサ・ファイル」
オデッサ(地名としては)関係ないけどオデッサ枠。

「マイ・ファーザー」
お薦め。観ていると暑苦しくて大変。クレッチマン枠。

「黄金のアデーレ」

「ヒトラー最後の代理人」

「野獣たちのバラード(ありふれたファシズム)」
鈴木瑞穂さんがナレーションの吹替え版観た。
移転前のアップリンク。観客は私だけでした!(平日昼間)

「マイ・リトル・ガーデン」
北欧映画祭で「バード・ストリート」というタイトルでやっていたのを観た。

北欧映画祭で「バード・ストリート」という題名で上映されたのを観た。(その後「マイ・リトル・ガーデン」名で一般公開)そのときの上映後質疑応答で「その原作は読んだことがある」という方がいて調べた。映画はレンブラントライトで割と美しく隠れ家を撮っていた。「戦場のピアニスト」子ども版みたいにワルシャワのゲットー内で子ども一人サバイバルする。映画だと冒険ものの要素が強くて(あと、サバイバルしてるとは思えないぽっちゃりした子が演じていたこともある)、原作の方が切実で大変。ゲットーの外でのサバイバルが同作者の「ふたつの名前を持つ少年」の原作『走れ、走って逃げろ』。
てわけで、
「ふたつの名前を持つ少年」

「1944 独ソ・エストニア戦線」
結構評判いい。
録画済みで未見。楽しみ。

「地下水道」「灰とダイヤモンド」「戦いのあとの風景」「サムソン」
ワイダまとめて。
「コルチャック先生」
美少年だったクラタくんどうしているんだろう。

「灰の記憶」
辛かった。
「縞模様のパジャマの少年」
「サラの鍵」
「黄色い星の子供たち」
「やがて来る者へ」
「ふたりのトスカーナ」
子どもが犠牲っていうのはこたえる。

「僕を愛したふたつの国 ヨーロッパ・ヨーロッパ」
「ソハの地下水道」
ホラントまとめて。

「ショア」
「ゾビブル」

「パサジェルカ」

「誰がため」

「ディファイアンス」
これより、プリーモ・レーヴィだな。
『今でなければいつ』とか。
『休戦』映画化したのが「遥かなる帰郷」
原作になかった、ソ連兵たちが戦勝記念パーティー向けに隠し芸の練習に余念ないのを救出されたユダヤ人たちが観ていて「上手いな!」とか言っているところが印象的。

「ソフィーの選択」
「夜と霧」
「海の沈黙」

「ブリキの太鼓」
「白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々」

「悪童日記」
原作がよかっただけに、映画はインパクト弱い。
是非入れて欲しかったのはおばあちゃんがユダヤ人たちに食糧を援助する場面だったが。あれは省くな!

「フランス組曲」
これも原作からのカット場面が多くて残念。

「さよなら子供たち」
「鯨の中のジョナ」
古典

「暗い日曜日」
「太陽の雫」

「名もなきアフリカの地で」

「ブラックブック」
お薦め。ミヒャエル・バラック似のゼバスチャン・コッホ枠。

「善き人」
「あの日 あの時 愛の記憶」
「アドルフの画集」
「わが教え子、ヒトラー」
「ドイツ零年」
「さよなら、アドルフ」
「あの日のように抱きしめて」
「敵こそ、我が友 〜戦犯クラウス・バルビーの3つの人生〜」
「愛を読むひと」
「コロニア」

「僕の村は戦場だった」
ブルリャーエフ枠。

「モレク神」
ヒトラーに似すぎているレオニード・モズゴヴォイだが、「ストーン クリミアの亡霊」ではチェーホフ、「牡牛座」ではレーニン演じているんですよ!信じられます?さすが役者だ。


「炎628」
デートで観に行くべきではなかった編。(帰路、互いに沈黙のままでした。)
これ、視覚だけじゃなくて、スープ(キャベツのスープじゃないかな)腐臭が漂ってくるような、泥沼ではぬめぬめした感触がしてくるし、五感に響いて、ぼろぼろになってしまう、”最強”の戦争映画。決して村の炎上シーンとラストの衝撃だけじゃないです。
でも、フリョーラ役のクラフチェンコは、このときは「あんまり美少年じゃないし、俳優続けそうにないな」と思ったんだけど、その後アクション映画によく出ている。社会性の強い作品には出ていなそうに思う。人の人生わからない。

「処刑の丘」
でもエレム・クリモフの奥さんであるラリーサ・シェピチコはもっと凄い。
忘れ難いのが、雪原のシーツの場面。
レジスタンスの二人が訪ねて食糧貰いに行こうとした(懇意にしている女性がいるはずだったのでは)村が、行ってみると、跡形もなく焼き尽くされている、のではなくて、無人の雪原に家の壁と干したシーツがあるだけっていう、鮮烈に白い白い場面。
村人の生活が突如断ち切られての虐殺を暗示させる。
ラスト、裏切者に対しての視線が容赦ない。

「海に出た夏の旅」
お薦め。
実はあんまりナチスは出てこないか(ドイツ兵はいる)。
でも、ソ連のストリート出身の可愛い子が大量に出演するので絶対お薦め。
アラノヴィチの、大好き「トルペド航空隊」とも甲乙つけがたい作品。


「英国王給仕人に乾杯!」
よりは
「厳重に監視された列車」
だな。

(勿論書きかけです)


2015年10月25日日曜日

黒いピエロ ヴェルチンスキーの長い道

昨日は早稲田のキャンパスへ。
桑野塾へ。
武隈喜一さんによる報告「黒いピエロは何を歌ったのか?―亡命の歌手ヴェルチンスキーを聴く」を拝聴する。
内容に関心が凄くあったのもあるのだけれど、春の学期にロシア語を教わったХ先生にお会いできるのではないかという算段もあった。
今期は曜日が変わって春の授業を継続できず、違う先生になってしまったため、お詫びをしたかったのだが、Х先生の連絡先を伺っていなかった。
Х先生は桑野塾で報告されたこともあり、もしかしていらっしゃるのでは?と思ったのだが…。

それはさておき、ヴェルチンスキーである。

オデッサ海岸通り: 長い道を: 年齢がばれてしまうかもしれないが、その曲、私は「花の季節」で習った。 いや、今教科書を広げてみて、何の書き込みもないところをみると、授業ではやらなかったのかもしれない。 でも、私はリコーダーを吹くのが好きだったので、授業でやらなかった曲も、教科書に載っていたのは全部自分なりに...

※ここでボリス・フォーミンと書いているが「フォミーン」が正しいようです。訂正します。

以前昭和女子大学で催されていたユーラシアサロン(ユーラシアブックレットの著者を囲む会)で、歌手・女優でロシア歌謡のオーソリティである山之内重美さんが講師となった回の様子を書いた拙ブログ記事だが、この名曲「長い道を」を歌って世界中に広めたのが、亡命歌手アレクサンドル・ヴェルチンスキー。

武隈喜一さんの新著については、オデッサ・コスモスで「是非読んで」という下手な文を書いたところだが、私が書いたのより、お仲間の大島さんのレビューを読む方がいい。
なかなか読みやすくていい本なのでどうぞどうぞパジャルスタ。



この「長い道を」を歌っていた歌手のアレクサンドル・ヴェルチンスキー、まさかとは思ったが、女優のマリアンナ&アナスタシヤ・ヴェルチンスカヤ姉妹のお父さんだった!うわー…。桑野塾って凄い。
桑野塾の皆さんには(そしておそらく世間的にも)、ヴェルチンスカヤ姉妹では妹のアナスタシヤの方が評価は高いようだが、姉のマリアンナはマルレン・フツィエフ監督の「私は二十歳」のヒロインとして記憶に留められ、もうこの一作だけで必要にして十分だと言える。「私は二十歳」のアーニャのいないソ連映画が考えられるだろうか??
アナスタシヤは早稲田の演劇博物館にサイン入りポスターがあったと思うが、コージンツェフの「ハムレット」でヒロインのオフィーリヤを演じたほか、「アンナ・カレーニナ」「戦争と平和」などの文芸大作、忘れてならないのは佐藤千登勢先生著『DVDで愉しむロシアの映画』で触れられた「両棲人間」のヒロインである!!あと、ニキータ・ミハルコフと結婚していたことがあって、息子のステパンが「第九中隊」のプロデユーサーとかしている。

桑野塾で得た驚愕の史実はこれに留まらず、沼辺信一さんが、「トルーマン・カポーティのルポ『詩神の声聞こゆ』に登場するネルヴィツキーという歌手=ヴェルチンスキーである(Нервитский➡ Вертинскийのアナグラム)」というネタを提供する。(→元記事

ヴェルチンスキーの歌う曲
「小さなクレオールの子」
「オウムのフローベル」
「私が言わなければならないこと」(1917年10月)
「三人のパジ」(作詞テッフィ)この曲が唯一長調
「最後の手紙」(原詩エセーニンの遺書だが大胆に改変)
「異郷の町々」
そしてもちろん「長い道を」
を聴く。
テッフィの詩の歌以外は短調でノスタルジックな哀愁漂う、いかにもなロマンス。

おまけ:
桑野塾でいただいた、カザフスタンはアルマトィのチョコレート、の包み紙。

チョコは美味しかった。べとっとプルーン入り。これをラミネートしてリボンをつけ、栞を作ります。

2014年12月30日火曜日

我が人生最悪の年その2

昨年、つまり2013年はこれまでのほほんと生きてきた私にとって大きな試練の年だった。
受難週にボランティア活動を一緒にやってきた教会の友人、復活週の月曜日に20年一緒に生きてきた愛猫を天に送り、夏には身内も失った。
職場での問題もあって、”一身上のこと”では、間違いなく最悪の年だと言えた。
あんまり立ち直りも早くはなくて、黙ったまま事情を話せない、知人からの通知に返事ができない(事情を書こうとすると泣けてしまう)という状態でもあった。
不義理をした人たちには申し訳ないと思っている。

それで、今年はまあそこまでは酷いことは起こらないのではないか、もう少しいいことがあるのではないか、と思っていた。

でも、今年も、率直に言うとあまり良い年ではなくて、悲しいことがたくさんあった。
もう過去は戻ってこないのだと思い知らされる。

一身上のことはともかく、サッカーに関しては、去年以上に悪いことが起こり、間違いなく最悪の年となったのがこの2014年であった。

まず、贔屓のクルィリヤ=ソヴェートフ・サマラがとうとう降格してしまったこと。
プレミアから一部リーグになったことで、選手たちもかなりチームを去ってしまった。
それで一シーズンでプレミアに復帰してくれるといいのだが(かつてのチェルノモーレツ・オデッサみたいに)、現在4位。
予断を許さない。
そしてクルィリヤとともに、ヴォルガ・ニージニー=ノヴゴロドも降格してしまったのだ。
ロシアプレミアリーグ創設以来、ずっとその地位を守ってきたクルィリヤ(二都以外のクラブでは唯一降格を経験せずずっとプレミアにい続けていた)と違ってヴォルガは一部とプレミアを行ったり来たりのヨーヨー状態だったのだが、このところ元ロシア代表で固め、私が応援し続けていたカリャカをはじめ、ブルィキン、スィチョフら馴染みの選手が多かったから、クルィリヤの次に贔屓にしていたのだが、やはり経済力では地方都市のクラブはモスクワのお金持ちクラブに対抗するのは難しいのだ、今回もプレミアの座を守ることはできなかった。

そして、遂にカーリャが、アンドレイ・カリャカが、ヴォルガとの契約を終了した後、次の行く先を探すことができずに、現役を引退することになったこと。
ここ何年かは、そろそろかなあと恐れながら、冬と夏の移籍市場の時期を過ごしていた。
でも、その前にそういうニュースが目に入ってしまった。
好きな選手はたくさんいるけれど、引退して泣いてしまったという選手はこれまでカーリャを含めて3人である(たぶん)。
エスパルス一筋だった大榎克己さん。
清水在住の友人がメールで知らせてきた。
そのときはまだ大丈夫だという心情だったけれど、翌日の新聞で活字になったのを目にしたらなぜか涙がぽろぽろ流れ出てしまった。

あとはアジアのカリスマFW,、アリ・ダエイ。
彼はプレイング・マネージャーとして優勝を手にして、選手としては有終の美を飾っての引退だったはずだ。けど、その後の指導者としての実績はまだまだ評価されるようなものがない。

そして、カーリャだが、彼の故郷ドニエプロペトロフスクが(ドンバスほどではないにせよ)争乱に晒されたことを思うと、これまた心痛む。
ロシア国籍を得て、ロシア代表を選択したことで、カーリャが「現役最後のクラブはドニエプルで」などとは考えていなかったとは思うが、どんな思いであのあたりのニュースを見守っていただろうかと、考えれば考えるほど切ない。

そしてそして、最悪だったのはオデッサのジェノサイドだ。
その一端をライブ配信で観てしまったこと。
観ていても、そこで人が殺されようとされているのに、自分はまったく無力で、何をしてよいのか全く分からずに呆然としてしまったこと。
チェルノモーレツ・オデッサとメタリスト・ハリコフの試合を観るつもりだった。
その試合の前に計画された両チームのファンたちによる、ウクライナ統一維持を支持するデモンストレーションが、後の暴動、ひいてはクリコヴォ広場前の建物への放火、虐殺と直接の関係はない、と私は今でも信じているが、追悼の言葉を述べず、事件そのものがなかったかのようにふるまうチェルノモーレツの態度には非常に不信感を持った。
(これまでここここあるいはここに書いたが、まだ気持ちは整理できていない。)
ファンを辞めた方がいいのではないかと考えたし(それでもやめられなかったが)、しばらくはサッカーの試合を観ることに罪悪感というのだろうか、息苦しさと言うのか、一種のトラウマがあった。
今でも・・・そう、あの日で私のサッカー観戦はもはや無邪気なものではなくなったのだ。





酷い年だった、としかいいようがない。

せめて、エスパルスがどうにか残留を決めたのが救いだ。
でも、ゴトビさんが去って、大榎さんが後任になってのこと。
ゴトビさんは試合会場でジュビロファンからいわれなき誹謗中傷を受けたこともあったし(ジュビロファンの方には蒸し返すようで申し訳ないが、やはり忘れえないことだ)、東日本震災と福島原発事故後Jリーグの外国人選手・スタッフが相次いで日本を離れる中、ずっと清水に留まってエスパルスと共にいてくださった。感謝する。
この先のゴトビさんに栄光と平安とを切に願う。
この、ゴトビさん解任と大榎さん監督就任に関しては、元野球選手の高木豊さんのブログを読んだ(ヤフーニュースかなんかで知ったのだと思う)。現在高木さんの息子がエスパルスにいるのだということだ。
高木豊さんは俊足のスター選手だったという印象と持っていた(私はパ・リーグ、特に今は亡き近鉄バファローズのファンだったのでセ・リーグのことはあまりよく知らない)が、ゴトビさんへの感謝の念と大榎さんへの期待をこめた感動的な文をものしていた。
高木さんがこれだけの名文を書くような人だとは、正直言ってとても意外だった。見直した。高木さんのお子さんがすばらしいサッカー選手になってくれればよいと願う。

それにしても。
来年は、もうカーリャはいないのだ。
もうすぐそういう日が来る、と知っていたのに、やはり全然覚悟ができていなかった。

2014年9月1日月曜日

知識の日

С днем знаний!

今日は「知識の日」、新学年の日です。
写真は2007年9月1日のオデッサのレストランで。
「知識の日」をお祝いするカードです。

女の子用


男の子用

お隣で悪ガキ達・・・もといお子様たちの入学祝が行われていましたが、当人たちは途中で退屈してレストランを走り回っていました。
TVではツェハノフスキーのアニメ「金の鍵」(ソ連版ピノキオ)をやっていました。
学校サボるとだめだよというメッセージか。

また、オセチアのべスラン(アラン・ザゴエフの故郷)で武装勢力が学校を占拠、多くの犠牲者を出した事件があった日ということも忘れられません。
ザゴエフ自身は2000年にサッカー留学でウラジカフカス、モスクワへと転居していますが、犠牲になった子どもたちもサッカーその他才能と可能性を秘めた子たちだったろうと思うとやりきれないものがあります。

2014年6月29日日曜日

ポグロムとジェノサイド



ようやくバーベリの『騎兵隊』を読み終えた。
読み始めたのが4月の終わり。
そもそもこの本を手に入れたのは、会議に行った先のとある会館にリサイクル本コーナーがあって(一律50円だった)、そこで偶然巡り合ったのだ。
何だか知らないけど、以前は埼玉の方の塾の所蔵だったらしい。(上の写真参照)

大型連休が始まる頃、初めの方の短編『血祭り』を読んでいた。
そんな中で、5月2日の晩、あれに出くわしてしまった。

あの日、チェルノモーレツの試合を観ようとして、映っていたのがオデッサ中心街での騒乱。普通の若者に見えた。主張を述べるわけでなく、ただ投石していた。もはやデモではなく、暴動。青黒のレプリカユニの若者も数人。彼らは試合開始の頃にはいなくなっていたけど。それから恐ろしいことが・・・。
後にロイターが「労働組合会館の火事は、中にいた親露派の失火が原因か」みたいなデタラメ記事を平気で配信するのであきれ果てたものだが、(右派セクターに煽られたにせよ)普通の若者たちが、ちょうどサッカーの試合で発煙筒をピッチに投げ込むような感覚で(←勿論それも許せないことだが。シュニンが負傷したケースがあることだし!)、火炎瓶をがんがん建物に投げ込んでいたのだし、消防車や救急車が向うのを妨害したりもしていた。
その様子は、元々試合を観るつもりだったネット配信の中継で、図らずも実際に観てしまった。

ショックだった。
眠れなかった。
『血祭り』という言葉が頭を巡った。
バーベリのもう一つの代表作『オデッサ物語』に描かれる、ポグロムの再現か??
それとも、「炎628」。

何が起こったのか、いまだに私にはよくわからない。
あんなに多くの人が亡くなったのに、あまりに報道は少ない。無視されていると言ってもいいくらい。
そして私が観たことと、全く違うことが報じられたりしている。
ただ、私自身が観たものも、あの事件のごく一部だ。
観始めた時には既に「チェルノモーレツとメタリストのファン合同のデモ」ではなくなっていて、主張を述べるのではなく、単に投石し続ける暴動になっていたので、ウクライナ統一を願ったデモがなぜ暴力的なものに変わってしまったのかそのきっかけもわからないし、試合が終わった頃、まだ騒乱は終息する気配はなく、逆にもっとずっと恐ろしいことが起こりそうだったが、私には最後まで観る勇気がなくてリアルタイムで配信していたその映像を消してしまったので、ほんとうの惨劇が繰り広げられたというその場を直接は観ていない。

「人民共和国」を名乗る人たち側の流す映像には、案の定「炎628」やジェノサイドに準えたものが多かったのだけれど、不思議に「ポグロム」という言葉は使われていなかった。
オデッサで起こった大量虐殺というと、私は真っ先にこの言葉を思い浮かべたのだけれど。

(そのあたりのことは、直後(5月3日~7日)にこのブログに書き留めておきました。)

分離・独立派の人たちは、キエフの政権側を、特に右派セクターのことをファシストと呼んでいて、その所業をジェノサイドと言う。
つまり、ファシストのナチスが行った人道に反する行い=ジェノサイドは、絶対的な悪であり、犯罪であると、大いに主張できるけれど、オデッサの住民がオデッサのユダヤ人を襲撃したポグロムについてはオデッサ、ウクライナの方々としてはなんか後ろめたくて使いづらいのだろうか。

何度も書いたことだが、2007年にオデッサの文学博物館を訪れた際に、バーベリらオデッサ派の人たちの資料があったであろう部屋は「リモント(改修中)」で観られなかった。
評価が定まらないゆえの、意図的な「リモント」であったのかどうかは、何とも言えない。


ウクライナリーグ2014-2015シーズンは7月26日開幕であるとのことだが、チェルノモーレツはあの事件についていまだ沈黙しているし、わだかまりが残り過ぎて、観る気になれない・・・かもしれない。




2014年5月7日水曜日

見たことと見なかったこと

思い出したくない。
しかし。

誤って思い込んだことを記憶に留めないように、整理はしておこう。

見たもの
試合開始の15分くらい前(日本時間22:45頃)から試合が終わった頃まで(日本時間深夜1:00頃)の騒乱のライブ映像。
最初のうちは投石だったが、広場を映すようになってから火炎瓶も投げられていた。
映像が広場からアレクサンドリスキー大通りになったあたりから、右派セクターらしき人が目立つ。
試合開始1時間くらい(後半開始あたり)で、建物が燃えているのが見えた。
消火活動は全く行われていなかった。
その前段階で消防車が行くのをウクライナ統一派の人が阻止していた。
警察官たちはやってきても静観していた。

見ていないもの
チェルノモーレツとメタリストのファンたちが共同で行ったというデモ。
私が見た時には既にデモではなく、暴動だった。
メタリストファンらしき人は見えなかった。
チェルノモーレツのユニを着ている人はいたが、キックオフ(日本時間23:00)くらいからはいなくなっていたのに気がついた(やはり試合を観ているのだろうと思った)。

また1:00くらいには見るのをやめたので、燃えている建物から人が飛び降りたりといったのはライブでは見ていない。
試合が終わったと言うのもあるけれど、ウクライナ統一派の人たちがリンチめいたことをしているのが映って(幸いなことにそこで画面が固まった)、もう嫌だ!と思ったのもある。それで消した。


元々サッカーファンたちが始めたデモがなぜあんな風になったのか、その原因は(私自身は見ていないですが)デモに対してその主張に反対の側(つまりゲオルギーリボンの人たちの方)が力を行使したからではないか、と推察される。
最初に手出しをしたのはオレンジの人たちの方ではないか、と。
しかしその後、私が観た局面においては独立・連邦化支持の人(ウクライナ統一支持の人より年代が高そう)は圧倒的に形勢不利なようだったので、何もせず静観している警察はどちらの味方に見えたかというと、青*黄の人たちに加担している風に感じられた。
建物に火をつけたところは見ていない。
すでに火の手が上がっているのを見た。
だからどちらが火をつけたか断言はできないが、少なくとも建物周辺にいたウクライナ統一派は消火活動を妨害していたし、火炎瓶を投げているのは見えた。






2014年5月5日月曜日

花の代わりに

犠牲者には花を、特にカーネーションを捧げるようだ。

花ではなくて折り鶴です
 
 
鶴を折ったところで知った。
「鶴は翔んでゆく」「アンナ・カレーニナ」のタチヤーナ・サモイロヴァが80歳の誕生日であった4日に天に召されたとのこと。
数あるアンナ・カレーニナの中でもサモイロヴァが断然秀逸だった(次点プリセツカヤ)。
それに何と言っても「鶴は翔んでゆく」は奇蹟の名作。
古き良きソ連映画の金字塔。
Вечная память, Татьяна!

チェルノモーレツの沈黙

『憎むのでもなく、許すのでもなく ユダヤ人一斉検挙の夜』(ボリス・シリュルニク著林昌宏訳吉田書店2014年刊)を読む。

著者が書いている、フランスで上映された初のカラー映画だったとソビエト製の映画って、何だったのだろう?
(注:「フランスで上映された初のソ連製カラー映画」ではない。フランス初カラー映画上映がソ連映画だったというのだ。)
著者が書いたあらすじには、「お金がないために結婚できないカップルが同志スターリンに助言を求める」というのだが・・・。
著者は名前から推察されるように、両親がポーランド系ユダヤ人。
両親を始め多くの親戚が収容所で亡くなっている。
周囲のフランス人はボリスという名前からロシアを連想し、ドストエフスキーとフランスの文学者の比較といった課題が与えられると君にはおあつらえだったんじゃないかと言ったり、サッカーの試合でフランスとソ連が対戦する時どちらを応援するのかなどと尋ねたりしたそうだ。
本人はフランス人だと思っていても周囲はユダヤ人、ロシア系の、という視線。
著者の養父的な存在だったエミールという男性(戦後著者をひきとった叔母の同居者)が、実は右翼に近しかったらしいこと、その彼がチェコ出身の若者の面倒をみていたことなど、人間一筋縄ではいかないなと思う。

さて、昨日行われた、ロシアプレミアリーグの首位決戦、ロコモチフ・モスクワ(2位)対ゼニット・サンクト=ペテルブルグの試合の前に、2日のオデッサ及びスラヴャンスクの犠牲者たちへの5分間の黙祷が行われた。

Матч начался почти в полной тишине — фанаты обеих команд перед игрой договорились пятиминутным молчанием почтить память погибших в трагических событиях на Украине.

試合は1-1の引き分け。
首位ゼニットは勝ち点60.
二位のロコが勝ち点59で追う。

ほんとうは残留争いの方が私にとっては深刻だが、ここでは書かない。

ウクライナリーグの方はどうだったのか。
まず、チェルノモーレツの対戦相手のメタリストは公式HPに声明を出し、その文中で哀悼の意を表している。

Фан-поезд вернулся домой из Одессы

Вместе с тем, мы очень сожалеем о произошедшем в Одессе и сочувствуем семьям погибших и раненых.

まあ、我がクラブはオデッサの騒乱には関わっていません、という表明が主な目的ですが。
実際、私が観たところ、メタリストっぽい人はいなかったのだから、「デモをした後、試合時間にはスタジアムに移動し、そのまま列車でハリコフに帰った」というのは事実だろう。

対し、チェルノモーレツは現在のところ何も表明していない。
哀悼の意を表することも、騒乱に関して遺憾の意を表すこともしていない。
チェルノモーレツのファンの方は騒乱に関わったのは明らかだ。
虐殺に手を下した一味にも加わっていたとは思いたくないが(何度も書くが、試合時間になってからはチェルノモーレツのユニを着た人は見えなくなっていた)。

Маряки, скажите, пожалуйста, правду...

2014年5月4日日曜日

チェルノモーレツのファンたちは

2日に起きたハティニ・2014年オデッサ版、その場にチェルノモーレツのファンと思しき人たちがいたことはこれまでにも書いた。

試合の15分くらい前から、私は暴動の動画のライブ配信を観ていたのだが、彼らの姿は試合が始まった頃から見えなくなったので、さすがにスタジアムに向かったか、それは遠くて無理にしてもTVやネットで観戦するためには石なんか投げていたのではできないのだから、暴徒の群れからは抜けたのだろうか、と思っていた。
その後の虐殺の結果を知ると、そうであって欲しい、彼らは放火や殺戮に関しては手を下していなかったのだと、信じたい。

実際にはどうだったのかはまだわからないのだが、そもそもの暴動の発端となったのは、チェルノモーレツとメタリストのファンが共同して企画したウクライナ統一を訴えるデモだったとのこと。

Активист о событиях в Одессе: Бандеровцы кричали: «Русские, горите!» より

Все началось с того, что в пятницу, после футбольного матча одесского «Черноморца» с харьковским «Металлистом», местные ультрас решили пройтись по центру города с лозунгами о единстве Украины. Навстречу им вышли сторонники федерализации.

(ここには「試合の後で」とあるが、「試合の前」である。)

これまでにも書いたように、私が観ていた頃には、それはもうデモではなかった。暴動だった。
主張の訴えなどなかった。ひたすら投石が行われていた。
ただ、それが”過激派”という言葉にイメージされるような、顔を隠していたり武器を持っていたりするようなのではなくて、素手で投石し、しきりと携帯電話などでその場を撮っている、一見普通の若者たちだった。
試合が終わった頃にはそれが火炎瓶になり、労働組合会館の惨状への繋がるが、ギリシャ広場からアレクサンドリスキー大通り、そしてクリコヴォ・ポーレへと向かう中で、群衆の中に明らかに「これが右派セクターなんだな」とわかる姿の人たちが見えるようになり、通りにいる人たちが不快そうな顔をして遠巻きに見て、それでもやはり携帯で撮影していたのだった。

建物への放火はかなり早い段階だったのだろう。
直前に記事に書いたように、彼らは消防車を乗っ取った揚げ句、鐘を鳴らして乗りまわして会館のすぐ前に乗り捨てていた。
建物が燃えているのが見えた時、私はなぜ消さないのか、消防車があんなに近くにあるのにと思い、故意に消火を妨げているのだとまでは意識が及んでいなかった。
(いや、実はそうは思いたくなかったということかもしれない。なぜ消火しないのかと思う一方、放水車代わりに暴徒に水を浴びせもしないのかとも思っていた。)
そのあたりで試合は終わったので、ライブ配信を観るのもやめてしまったので、その後の「ハティニ2014」は朝のニュースで知った。
40人余りを焼き殺した建物を背景に笑顔で映っているカップル(「ここはウクライナだ」と書かれたものを持っている)。

暴動の様子を当事者がライブ配信していることもそうなのだが、「ここはウクライナだ」と自らの蛮行を喧伝する神経も、私にはわからない。
彼らの中に、チェルノモーレツのマフラーをした人がいないとは限らないが・・・。

オデッサはこれまでに何度かのポグロムを経験してきた。
その新たな一ページが昨日書かれた。

2014年5月3日土曜日

今日になってわかったこと

На Украине объявлен двухдневный траур по погибшим в Одессе.
オデッサの犠牲者のために二日間の服喪が告げられた。

何故オデッサであんなことが?

予兆はなかっただろうか?
ありましたよね。
オデッサ関連のニュースの中に「右派セクター」という言葉が出てくるたびに、嫌なことにならなければいいがと感じながらも、まさかそんな風にはなるまいと、それは予想と言うより希望にすぎなかったのだけれど。

オデッサは、暫定政権に反対する勢力が独立を宣言して「人民共和国」を名乗っていたが、ドネツクやスラヴャンスクなど東部の諸都市のように力ずくで行政機関を占拠していたわけではなく、なんかゆるい運動という印象を持っていた。
数日前にスラヴャンスクでの暫定政権政権側の軍隊(でしたよね)による攻撃で犠牲になった人々の追悼の集いをクリコヴォ・ポーレ公園で行っていた。
検問所を作っていたのは「右派セクター」の方で、モルドヴァ(ないし沿ドニエストル)からロシア系の人やロシアにシンパシティーを持つ人が流入しないようにという意図があってのことだとのこと。
そして幾つか彼ら絡みの事件が起こっていて、それから銀行のATMが連続爆破されるというニュースもあって不穏な空気は高まっていた。
今思えばなのだが、このあたりで芽を摘んでおくべきだったのではないだろうか・・・。
いや勿論キエフでだって「右派セクター」の制御などできていないのだから、不可能に近いのだろうけど。

それから。
昨日の暴動の参加者だが、顔を隠して(黒い帽子みたいので)いかにもファシストですと言わんばかりの、これが噂の右派セクターねとわかるような人が現れたのは、私がライブ配信を観だしてから約2時間経って、チェルノモーレツの試合も終わった頃だった。
最初の頃は青*黒ストライプのチェルノモーレツのユニを着た若者が数人中心にいて、私としては非常に苦い心境になっていた。
チェルノモーレツのファンと言えば普通に優しい若者という思い出があって、主に彼らについての記憶ゆえに私はチェルノモーレツを応援している(2007年当時、所属選手が誰なのかも把握しておらず、ウクライナのリーグと言えばディナモ・キエフかシャフチョールかドニエプルかという単なる浮ついた鍵括弧つきのファンにすぎなかったのだ)のだから、ああした場にチェルノモーレツファンがいて実際に犯罪行為を行っているのを目にしているのだと思うと、腹だたしいというか、いえそれでもファンはやめませんけど。
それとあとは一見普通の人たちで、若者が多く、女性もいる。
女性たちは楽しげに、ピクニックにでもきているかのような表情で火炎瓶を作っていた。
要するに、「右派セクター」は私の感覚からすると100%いっちゃっていてまともに相手をするような人たちではないのだけれど、かの地では彼らが市民の中に入り込んでいるという現実が眼前にあったのだ。

既に書いたことだと思うが、暴動はデモとは違って、不満や抗議を他者に伝えようとするプラカードとか横断幕とかのぼりとかはなかったし、スピーチもシュプレヒコールもなく、無口でただ破壊することが目的化しているかのような群れだった。
だから彼らの行動を観ていても意図・目的がわかりかね、事態の収拾もどうしたらつくのやらと案じるばかりだった。
昨日観ているときには不思議だった彼らの行動も惨劇が起こった今なら理解できる。
彼らが消防車を乗りまわしていたのは、あのとき既に労働会館を放火していて、消防車がそこへ向かうのを阻止して消火活動を妨害していたのだ。
すぐ近くに消防車がありながら、建物は燃え続けていた。
(その後多数の人が焼き殺された。)
私が思っていた以上に、彼らの悪意は深かった。

オデッサ、2007年9月1日の夜


(まだ書きかけ)

血祭り~ХАТЫНЬ -2014

数日前に手に入れたバーベリの『騎兵隊』にある有名な短篇が『血祭り』。
ただ、この短編集はブジョンヌィ将軍の騎兵隊に従軍するインテリ目線のポーランド遠征を題材としているけれど、昨日のオデッサの虐殺はバーベリのもう一つの短編集『オデッサ物語』に現れるポグロムに擬えられるだろう。

デモとは違って、暴動は、自分たちの主張をわかってもらおうとするものではなくて、「敵」を滅ぼすために、また住民たちに恐怖を植え付けるために、ただただ暴れまわっている。
無気味なほど何も言わず(だいぶ経ってから「ウクライーナ」を連呼する声が聞こえはしたが)書いたものも手にせず、最初はそれでも投石だった。
それから火炎瓶になって、放火して、リンチで数人を、燃えている労働組合会館に閉じ込めて焼死させたのが三十数名(現在のところ)。
ポグロムはこんな風におこるのか。

チェルノモーレツの試合の少し前から、暴動のライブ配信を観ることができてしまって、ただ観ていても言葉もなかった。
暴動を起こしていたのは、右派セクターに、気になるのはチェルノモーレツのユニを着ている人々が散見し(ウルトラスと呼ばれていた)、それと一見普通の若者のように見えた。
若い女性たちもほぼ気軽に火炎瓶をつくっていた。
警察の人たちは、警棒使って蹴散らす・・・ようなことはせず、ただ静観。
(ただ、ユニの人たちは試合が始まったあたりからあまり見えなくなった。)

今朝のニュースでは「ハティニの2014年版」として、酷い写真があがっている。

どうか慰めと癒しを。



 
 
2007年に行った時のオデッサの市庁舎(上)とデ・リパス通りのスーパーマーケット(下)
昨日観ていた映像にはこのあたりが映っていた。