2014年5月3日土曜日

今日になってわかったこと

На Украине объявлен двухдневный траур по погибшим в Одессе.
オデッサの犠牲者のために二日間の服喪が告げられた。

何故オデッサであんなことが?

予兆はなかっただろうか?
ありましたよね。
オデッサ関連のニュースの中に「右派セクター」という言葉が出てくるたびに、嫌なことにならなければいいがと感じながらも、まさかそんな風にはなるまいと、それは予想と言うより希望にすぎなかったのだけれど。

オデッサは、暫定政権に反対する勢力が独立を宣言して「人民共和国」を名乗っていたが、ドネツクやスラヴャンスクなど東部の諸都市のように力ずくで行政機関を占拠していたわけではなく、なんかゆるい運動という印象を持っていた。
数日前にスラヴャンスクでの暫定政権政権側の軍隊(でしたよね)による攻撃で犠牲になった人々の追悼の集いをクリコヴォ・ポーレ公園で行っていた。
検問所を作っていたのは「右派セクター」の方で、モルドヴァ(ないし沿ドニエストル)からロシア系の人やロシアにシンパシティーを持つ人が流入しないようにという意図があってのことだとのこと。
そして幾つか彼ら絡みの事件が起こっていて、それから銀行のATMが連続爆破されるというニュースもあって不穏な空気は高まっていた。
今思えばなのだが、このあたりで芽を摘んでおくべきだったのではないだろうか・・・。
いや勿論キエフでだって「右派セクター」の制御などできていないのだから、不可能に近いのだろうけど。

それから。
昨日の暴動の参加者だが、顔を隠して(黒い帽子みたいので)いかにもファシストですと言わんばかりの、これが噂の右派セクターねとわかるような人が現れたのは、私がライブ配信を観だしてから約2時間経って、チェルノモーレツの試合も終わった頃だった。
最初の頃は青*黒ストライプのチェルノモーレツのユニを着た若者が数人中心にいて、私としては非常に苦い心境になっていた。
チェルノモーレツのファンと言えば普通に優しい若者という思い出があって、主に彼らについての記憶ゆえに私はチェルノモーレツを応援している(2007年当時、所属選手が誰なのかも把握しておらず、ウクライナのリーグと言えばディナモ・キエフかシャフチョールかドニエプルかという単なる浮ついた鍵括弧つきのファンにすぎなかったのだ)のだから、ああした場にチェルノモーレツファンがいて実際に犯罪行為を行っているのを目にしているのだと思うと、腹だたしいというか、いえそれでもファンはやめませんけど。
それとあとは一見普通の人たちで、若者が多く、女性もいる。
女性たちは楽しげに、ピクニックにでもきているかのような表情で火炎瓶を作っていた。
要するに、「右派セクター」は私の感覚からすると100%いっちゃっていてまともに相手をするような人たちではないのだけれど、かの地では彼らが市民の中に入り込んでいるという現実が眼前にあったのだ。

既に書いたことだと思うが、暴動はデモとは違って、不満や抗議を他者に伝えようとするプラカードとか横断幕とかのぼりとかはなかったし、スピーチもシュプレヒコールもなく、無口でただ破壊することが目的化しているかのような群れだった。
だから彼らの行動を観ていても意図・目的がわかりかね、事態の収拾もどうしたらつくのやらと案じるばかりだった。
昨日観ているときには不思議だった彼らの行動も惨劇が起こった今なら理解できる。
彼らが消防車を乗りまわしていたのは、あのとき既に労働会館を放火していて、消防車がそこへ向かうのを阻止して消火活動を妨害していたのだ。
すぐ近くに消防車がありながら、建物は燃え続けていた。
(その後多数の人が焼き殺された。)
私が思っていた以上に、彼らの悪意は深かった。

オデッサ、2007年9月1日の夜


(まだ書きかけ)

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