2021年6月27日日曜日

難民になったねこ クンクーシュ

 

泣けた。

ここではハッピーエンディングだけど、猫のクンクーシュと家族のようにトルコ~ギリシャ経由でヨーロッパへと逃れる難民は今も続いていることを思うとまた泣ける。
どんなに大切に思っていても猫を連れて行けなかった人達が大多数であろうし、連れ出せても無事で済まなかったことも多いだろう。

『レストラン「ドイツ亭」』

 


フランクフルト・アウシュヴィッツ裁判に関わった通訳を主人公にした小説なので、覚悟はしていたものの、これでもかというような人間関係の崩壊が悲しい。

人はなぜ犯した罪を認めようとしないのか?
平然と否認するのか?

を、若い世代が向き合う話とも言える。なかなか厳しく重苦しく息苦しい。

ちょうど判決後に家政婦さんが夕食の片づけをしながら鼻歌で”You'll never walk alone”を歌っている光景が綴られている。判決は1965年8月。

2021年6月20日日曜日

2021年6月10日木曜日

せなけいこ絵本『まほうつかいとねこ』

 


黒田龍之助先生は猫よりもうさぎがお好きで、せなけいこ先生のご本も猫よりうさぎの方が主だったけれど、この猫の本は素敵。
世界中の黒猫飼い、白猫飼いの人々に捧げたい。
そうよ、うちにいる猫様が黒であろうと白であろうと可愛い。魔女たちの寛容と多様性を認める世界にウラー!
なので母もこれを読んで言ったのは
「三毛猫がこんなに可愛いなんてこの子が来るまで知らなかったよ」
「岡谷の武井武雄さんの美術館(イルフ童画館)にまた行きたい」
「せなさん、これは貼り絵ではないのかな?」
だったが、まほうつかいとしろねこが窓から雪を眺めている絵と、「つぎの まんげつの ばんが たのしみです。」の絵は、やっぱり貼り絵なんじゃないかな?
最後のページのしろねこちゃんの笑顔が本当に幸せそう。

2021年6月8日火曜日

半年がかり(それ以上)の『少年と犬』

 


東日本震災で飼い主を亡くした一頭の犬の短編連作ロードストーリー。感動はするけれど関わった人がどんどん死んじゃう不吉の犬って感じもする。それでも寄り添っていた瞬間はまさに慰めと癒しだったはず。

何十人も予約していてやっと借りれたと思ったのに家族が先にさっさと読んで私が読まないうちに図書館に返してしまった!という悲劇が起こり何で勝手に返してしまうのよ!と口論になった半年前。もう一度リクエストし直してやっとまた私の番が巡って来て今度こそ読めた。

映像化が楽しみ:アンナ・ツィマ『シブヤで目覚めて』

 

自分の日本近代文学の知識の蓄積の無さをこれほど情けなく思ったことはないが、それでも楽しく読めた。
ヤナを巡る人々がそれぞれ一癖も二癖もあっておもしろいのと、川下なる作家の大正昭和期の私小説の部分も含め、訳出の苦労がしのばれる。
渋谷は主に映画を観に行く街で、ユーロスペース近くのホテル街は足早に通り過ぎるが、そこに「思い」が漂流しているものなのか?
川越は仕事で法務局や役所に行ったことがあるだけだから、訪ねてみたくなった。

早くも舞台化・映画化を夢見る。チェコにはこういうのが得意な異能の映像作家がいると信じる。

2021年6月2日水曜日

録画メモ:イーダ/赤い闇~スターリンの冷たい大地で

ポーランド映画祭の超!人気作品「イーダ」

去年公開されたアグニェシュカ・ホランドの「赤い闇 スターリンの冷たい大地で」
ポーランド語タイトル:Obywatel Jones、ウクライナ語タイトル:Ціна правди、ロシア語タイトル:Цена правды(真実の代償)


「イップマン」それに「剣の舞 我が心の旋律」に比べてもディスプレイは新聞雑誌記事紹介のみでしょぼかったが仕方ないだろうな。


主人公ジャーナリストに感情移入し難い。狂気じみていて呆れてしまう。ポーランド人俳優殆どいない(って書いたけど「ゆれる人魚」「マチルダ禁断の恋」のミハリナ・オルシャンスカがチョイ役で出てる)。

監視を振り切ってのウクライナ取材、いやに土地勘あるじゃないかと思ったら、プログラム記載の年譜や沼野充義先生の解説を読んだら外交顧問時代に訪れたことあったし母親は同郷ウェールズの実業家の孫たちの家庭教師をスターリノ(現ドネツィク/ドネツク)でしていた縁もあったと知る

ウクライナ寒村の風景は中央アジア映画祭その他で観た「タシケントはパンの町」で衝撃を受けたぐちゃぐちゃぶりが引き継がれていて割と本物だと感じる。でもどちらかというとホロドモールそのものの告発より当時事実を知りながら伝えなかった人達がいて伝わらなかったことの検証なのではないだろうか



というわけでいかにもな人肉喰らう場面は勿論挿入されているけれど、ホロドモールがこんなに凄かったんですよという映画ではなくて、飢餓の事実を伝えようとして斃れた人、気付きながら他の”大義”のために見て見ぬふりをした人、強要されて揺れ動いた人…ジャーナリストや政治家の有り様を提示している。