2016年4月27日水曜日

オデッサ・コスモス: ◆КНИГА『南十字星共和国』

オデッサ・コスモス: ◆КНИГА『南十字星共和国』: 南十字星共和国 (白水Uブックス) 著者 : ワレリイ・ブリューソフ 白水社 発売日 : 2016-03-26 ブクログでレビューを見る» ロシア革命初期の混迷を生きた象徴派ブリューソフの、素朴に屈折した、夢幻・倒錯にまみれた短編...

2016年4月24日日曜日

令嬢と文人

こんな本が出ていたか。
「女傑」って言い方嫌いだけど。
コロンタイは『令嬢たちのロシア革命』で知った。
ルナチャルスキーはウラジーミルの劇場がルナチャルスキー名称だった(けれど、2011年に訪ねた時には名称が外されていた。)→消えたルナチャルスキー
それに確か下斗米先生によれば旧教徒寄りの人?
粛清対象になりかねないような外様の二人だったのでは。

ねこはすごい、ねこは偉い

ネコの身体能力・癒しの力・日本の猫文化・殺処分なののネコを巡る日本の状況について、動物学者が真摯に執筆。
科学的な叙述の合間に「その大きな瞳に魅入られると思わず寄って抱き上げたくなりますが」みたいに、猫好きモード全開なのが微笑ましい!
そんな著者もネコアレルギーを発症していたことがあるそうで、研究が続けられないかもしれない…という苦悩の時を克服しての研究の成果。猫好きは大いに頷いて読み進めるわけです。
結論は「ねこはすごい」というより、「ねこは偉い」。
そうなんです。あの体で必死に生き抜く姿が感動的なのです。
3年前に20歳で召されたうちの子も、最後の日まで自分で立って歩いてトイレに行って、全力で生き抜こうとしている様子で、ただただ感銘を受けたものでした。

日本の猫文化、確かに素晴らしいと思う。
けれど、「世界一」かというと、どうだろうなあ?
もっと当たり前に猫がうろついている光景(屋外だけではなくて)がないと、世界一の猫文化の国とは言えないように思う。

2016年4月19日火曜日

この世の終わりに

アップリンクファクトリーでロシアのコメディー映画「バイツァ・ダスト Отдать концы」のプレミア上映に行ってきた。
オンライン予約で満席になり、当日券の販売はお断りのようだった。
いつもロシア映画の上映というと、アテネ・フランセとか東京ロシア語学院とかオフシアターでの上映は特に、年配の人ばかりなのだが、今日は違った。客層が若々しい!なぜ??

17:50の回だったら沼野恭子先生のトークイベントがあったのだが、勤め人は勿論その時間じゃ無理。少々遅いが20:00の回に行った。

そうそう、こういうロシア映画が観たかった。よかった。
ソクーロフとかゲルマンとかズヴャギンツェフとかの美意識が独特すぎて、観終わって沈黙しかないような、難解な映画ではなくて、観ながらころころ笑えるような、それでいてただのコメディーではなくちょっと物悲しくもなり、というSFチックなお話。
「キン・ザ・ザ」というより、「アブドラジャン」に近く、さらに言えばアンナ・メリキャンに作風は近い。「マルス」とか「ルサルカ」に。
(この映画の監督もタイーシャ・イグメンツェヴァという女性の監督で、これが長編デビュー作。アレクセイ・ウチーチェリ門下とのこと。)
登場するのは8人の村人(男女各4人に男の子が二人、牝牛と犬(ランボーという名なのでたぶん雄犬)。
もちろんまともな人は一人もいない。
・マッドサイエンティスト風のヴァンカ
・映画好きのインテリ女性ニーナ(オリガからは父称で呼ばれる)・・・「マルス」のヒロインのようであり、小林稔侍の国税調査官シリーズのドラマに出てくる麻生祐未のようでもある。
・泥棒家業のミーシャ(「どん底」ペーペル風)
・妻のナスチャ
・全く頼りにならなそうなセーニャ
・その妻で二児スタフカとペチカの母オリガ
・犬のランボーと暮らすジーナおばさん(シャパクリャク風)
・牝牛のコンフェタをこよなく愛する元バルチック艦隊?のヴァシリエヴィチおじさん
この村ではアイロンがラジオだったりするのだが、ある時TVを見ていたら「太陽のコロナが何やらで」「午後22時(ママ)何分には世界が滅亡します」というニュースが流れる。
最初のうちこそ村人は動揺し一部泣き叫んだりするけれど、つまるところ宴会をしようということになるわけだ。
群像劇なので、「機械仕掛けのピアノのためのための未完成の戯曲」の雰囲気もある。
出演俳優で知っていた人は一人もいないのだが、皆なかなかいい感じだ。
いかにもロシアの田舎にいそうな変人たちを自然に演じている。
そうそう、映画中にジェレミー・レニエが出てくるので、嬉しかった。眼福であります。

2016年4月17日日曜日

ロシアな吹奏楽

ルネこだいらでヒネモス・ウィンド・オーケストラ第8回定期演奏会「これぞロシアな吹奏楽」という
コンサートが行われると知ったのは、図書館に置いてあった、すてきなフライヤーを見てのこと。

シューホフ・ラジオタワーを下から見上げた、ロシアアヴァンギャルドのポスターっぽいすてきなフライヤーだ。
 
 


(チケットも同デザインだった。)


しかも無料!
始まる前のロビーコンサート(女性奏者によるカルテット)もあった。

 ←これはパンフレット
キリル文字も併記されている。(キリル文字・日本語・英語の表記)
8-Я РЕГУЛЯРНАЯ КОНЦЕРТは、ちょっと不思議ではあるが。

①セミョーン・チェルネツキー 親衛迫撃砲兵行進曲 1945年頃
チェルネツキーはロシア帝国砲兵旅団軍楽隊隊長だったけれど、ソ連でも軍楽隊育成の立役者だとのこと。
軍楽隊の行進曲特集は友人からいただいたCDがあって、よく聴いているが、●●連隊行進曲とかタイトルだけで心揺すぶられるような、実際聴くと文字通り胸が熱くなるのがロシアの行進曲。
このチェルネツキーの行進曲には流行歌「カチューシャ」のメロディーが折り込まれている。

②ドミトリー・ショスタコーヴィチ
ステージオーケストラのための組曲より
Ⅰ 行進曲(映画音楽「コルジーンキナの出来事」より)
Ⅱ 抒情的なワルツ
Ⅲ 第一ダンス(映画音楽「馬あぶ」より)
Ⅳ 第二ダンス
Ⅴ 第二ワルツ(ミハイル・カラトーゾフ監督映画音楽「第一軍用列車」より。5分30秒あたりから)
Ⅵ フィナーレ
第二ワルツがとても有名なこれです。
オーケストラ・ダスヴィダーニャが詳細な解説をものしていらっしゃいます(オーケストラ・ダスビダーニャは「劇伴オーケストラのための~」と訳している)ので、今回のパンフレットの解説と共に、読み直してみた。
これまで「ジャズ組曲」として紹介されてきたが、それは本来の「ジャズ組曲第2番」(1938年作曲)が消失したことによる混乱から起こった誤解であると。
1938年と言えば粛清の最盛期、作曲家が息を潜めて一日一日を生きていた頃ですね。

③アルフレッド・リード
ロシアのクリスマス音楽
この曲だけロシア・ソ連の音楽家ではなく、リードはアメリカの作曲家。
正教会のコラールの旋律を用いている。鐘とコントラバスから始まる。

④ニコライ・リムスキー=コルサコフ
クラリネットと吹奏楽のための協奏曲 変ホ長調

⑤レインゴリト・グリエール
吹奏楽のための行進曲 作品76

⑥ニコライ・ミャスコフスキー
交響曲第19番 変ホ長調 作品46
これはちょっと最初のあたり音がよく出ていないのではと思いましたね。
ロシアの楽団はやたらガンガン迫力で押してくるのが多いけれど、このオーケストラは割と上品でおとなしい感じ。
だけど、この曲は上品さをかなぐり捨ててもがんがんやって欲しかった。

休憩後のプログラムが、リムスキー=コルサコフ→グリエール→ミャスコフスキーと年代順になっていて、歴史が追えるようで楽しかった。

アンコールは
ヨハン・シュトラウス二世
「パヴロフスクの森で」作品336
ジョン・=フィリップ・スーザ
「行進曲 雷神」

 
ロシアゆかりのヨハン・シュトラウスはいい選曲だったのでは。
「スラヴ娘の別れ」があったら泣けたと思う。




作家とサッカー15 リュドミラ・ウリツカヤ

珍しく女性作家、しかもロシアの女性の作家の作品から。
『陽気なお葬式』63ページ

こういうとき神父はいつも、幼い頃、サッカーのグラウンドに立っていたときのことを思い出した。それは彼が子供時代を過ごした戦時中のパリ郊外での記憶だ。祖父母が管理していた亡命ロシア人の子供たちのための施設の裏手にある広場で、いちばん幼かった彼はキーパーがいないからという理由でおんぼろゴールの前に立たされて、ボールなどひとつも受け止められないと知りながら、カチカチに固まってその場に立ち尽くし、恥をかく瞬間を、ただひたすら待っていた…。


神父のヴィクトルは祖父が亡命第一世代(ロシア革命前後)からアメリカに住む「素朴で俗っぽい」ロシア正教の神父で、自身は信仰を持たない画家のアーリクが不知の病で死に瀕するのに及んで、最近入信し熱心な正教徒となった妻のたっての願いで(亡くなる前に何としても受洗させたい)呼ばれて、主人公アーリクと対面したところ。

さすがウリツカヤ。小難しくないのでさらさら読めてじっくり心に滲みてくる。でも前作の『通訳ダニエル・シュテイン』の方が好み。主人公アーリクは何故もてもてなのかな?

2016年4月16日土曜日

壁が立ちふさがる、今まで軽く越えていた壁が

「オマールの壁」初日初回

主人公はパン屋で働き家族を養う。
ベンゼマが、マルセロがとおしゃまな批評をする(銀河集団レアル・マドリーのファンだね)妹が可愛いし、みゃあみゃあ鳴く子猫とじゃれたりもする、それ以上に幼馴染の友人の妹が大好きなオマール。
イラン映画観ていても思うが、西アジアの男の子の恋は初々しい。
そのはずなのだが、この作品は裏切りがテーマ。
占領地の人間関係には、裏切りが蔓延ってゆく。
恋にも友情にも。

オマールみたいに、家族思いで、純情で、働き者で、愛郷心のある、普通の若者が、しかし絶対に幸せになれない。
一方、二十歳そこそこのイスラエル兵たちの心根歪んだ様も、こんなでは彼らだって人間性破壊されて不幸なままだと思わせる。
刑事コロンボか古屋一行似の秘密警察に人だってそう。
誰も幸せになれない、今みたいに抑圧が続くなら、どちらの側も。

ハニ・アブ・アサド監督はスキンヘッド好きなのか?この作品でも「パラダイス・ナウ」でも主要人物は丸刈りだったけど、アダム・バクリさん現在はこんな感じ。
 
 



寡黙ながら雄弁な目。(この写真じゃわからないか。)
役者は天職なんだろうなあ。
主演、アダム・バクリさんは名優ムハンマド・バクリ(イスラエル国籍のパレスティナ人俳優で、オマー・シャリーフみたいに「ほんとはなに人なの?」言いたくなるように南方の濃い顔の役をいろいろ演じてきた人。「カップ・ファイナル」は是非ともまた観たい!)の三番目の息子。
映画中のチェイスシーンもカッコいいし、実際に舞台挨拶に現れた彼はモデルみたいだった。
アゼルバイジャン人を演じたという次作品「アリとニノ」も楽しみ。
インタビューは残念ながらアラビア語でなく英語だった。
(更に「アリとニノ」も英語らしく、残念。アゼルバイジャン人男性とグルジア人女性の恋愛ものらしい。)

「オマールの壁」パンフレット掲載にアダム・バクリさんインタビューによると西岸地区のアラビア語アクセントは彼の話すアラビア語と少し違うそうだ。「君」がエンティみたいに聞こえた。
分離壁が、イスラエルとパレスティナの境にあるだけではなく、パレスティナ自治区内にもあって、土地と人々とを分断しているということを知る。
こんなことをして。
イスラエルはよほど恐れているのだ。
壁がなくなるのにはイスラエル側が変わることが必要だが、彼らはそれが怖くてたまらないのだ。
しかし、イスラエルは一応民主的な選挙をしている国家なのだから、選挙でまともな人たちが多数派になって変わって欲しいと思う。
(彼らの不倶戴天の敵?のイランがある意味そうであるように、頑迷な保守と改革派と穏健保守との間を行き来しながらも正しい道をいつかは選択するようであってほしい。)
一方がもう一方を抑圧し続ける、それに増して国際的にも(表向きは)非難されている、そんなことは全く正義ではないし、自分自身を蝕んでいるということに、どうしたら彼らは向き合えるようになるだろうか?
例えば、南アフリカがアパルトヘイトを放棄するにはどんな道筋を通っただろうか?

オマールの側の問題。
当初は軽々と登れた分離壁(実際には「太陽が隠れるかと思うほど」(アダムさん談)で、かなりトレーニングしたアダムさんでも半分くらいしか登ることができず、上半分を登るシーンはスタントで、「サーカス団の人にしかできない」ほどの、非常に巨大な壁なのだそうだ)が、作品の終盤では思うに任せず滑ってしまい登れない。
2年という年月で身体が衰えた(逮捕・拘禁という身体的に過酷な体験はしている)ということよりも、秘密警察と関わり、内通者として見られる、友人や恋人との信頼関係に罅が入ってしまったという精神的なダメージこそが、彼を向こう側に行くのを阻んているのだろう。
故郷や愛する人々のために、屈託なく考え行動していた時には、まっすぐな心で、壁に向かい、するする登れたのだ…。
そこに赤白チェックの頭巾(アラファトさんがしていたみたいなの)を被った老人が通りかかって、彼に手を添えてくれる。
「パラダイス・ナウ」では、葛藤が最後の最後まで続くけれど。オマールはあるときには吹っ切ってああいう選択、そして行動は迷いなくしたのだろうと思う。

花束手にするアダム・バクリさん

2016年4月12日火曜日

もう二度と

第二次大戦中のドイツの田舎、前線からは遠いが、戦争によって愛する者を奪われる人々を、郵便配達員の目を通して描いている良作。ではあるけれど、途中からフラグ立っていてラストがある程度予測できてしまうのが惜しい!
3月8日、世界女性デー中央大会で、郵便局の労働組合の人たちは「二度と赤紙を配達しない」とおっしゃっていたけれど、ほんとうにそうでありますように。
主人公のヨハン(愛称ハネス)は『遺失物管理所』を思わせるような感じのいい若者なのだが。ドイツ版『厳重に監視された列車』といった感じか。


2016年4月9日土曜日

川崎市市民ミュージアム通い

渋谷から東急東横線、武蔵小杉駅からバス。
遠い。
が、今まで何度ここに来ただろう。
帰るバスの中ではいつも充足感に満ちて。

レンフィルム特集を友達に誘われて観に行って、「クリョーヒン、かっこよかった!」と感激の言葉を漏らしていたら、「クリョーヒン、いいですよね。惜しい人を亡くした。全くロシアでは芸術家が早く逝きすぎる」と後ろの席から声がした。
顔見知りではあったけれどそんなに言葉を交わしたことのないその人が思わず話に入ってきたのにも驚いたけれど、それよりも私の反応は
「亡くしたって、えー!クリョーヒンって故人なんですか?」
そんなー、という思いだった。
その日観た「愚者の挑戦」で主役を演じたセルゲイ・クリョーヒン。
本職はミュージシャン。
しかし、そのとき既にこの世の人ではなかった。
ショック。

ロプシャンスキーやロゴシュキンの作品はそれ以上に心に突き刺さった。
後に東京国際映画祭でロゴシュキン作品「チェック・ポイント」を観るために並んでいた時に、女優のСさんと遭って、「ロゴシュキン、いい作品を作るけどくら~いよね」と言ったのは、川崎市市民ミュージアムで観た「護送兵」を念頭においてだった。
これ、いつだろう?
今世紀になってから?
上映前にストライプのキラキラのラインが走る上映ホール、椅子も豪華なんだけど、いつも空いている。
プログラムがなんせマニアックだからな。

ちょっとだけ混んでいたこともあるけど(チェコアニメのときだったか)、そのときは後ろの方の席で珍しく子どもがぎゃあぎゃあ泣いていた。
ずっと泣いているので、親が周囲の人に注意を受けていた。
(これは珍しいことだった。)

もしかしたら、上映ホールよりもミュージアム部分の出かけた時の方が早かったかもしれない。

「グラフィック・デザインのモダニズム展」
これが2000年。
「ポスターのユートピア -ロシア構成主義のグラフィックデザイン-」
これが2003年。
「美術と演劇 ロシア・アヴァンギャルドと舞台芸術1900-1930 ロバーノフ=ロストフスキー・コレクション」が横浜美術館だったからこれらも横浜かと思い込んでいたら、今うちに貼ってあるポスターを見たら川崎市市民ミュージアムって書いてあるじゃないか。
これらのポスター、無料でもらえたのではなかったか。
これ以降美術館にはご無沙汰したが(岩合光昭どうぶつ写真展には行ったかも)。

ほんとに不便なところにあるのに、もう数えきれないくらい通っている気がする。

古き良きレンフィルム

今年も(実は今年限りになるかもしれないが)川崎市市民ミュージアム通いをすることになりそうだ。

4/2~4/24音楽家の人生
「パガニーニ 愛と狂喜のヴァイオリニスト」
「若き日のショパン」☆
「ナンネル・モーツァルト 哀しみの旅路」★

4/29~5/5
ポーランド映画祭2015in川崎
アンジェイ・ワイダと戦争
「世代」★
「地下水道」★
「灰とダイヤモンド」★
「サムソン」★
ポーランド映画の都・ウッチ
「身分証明書」★
「エヴァは眠りたい」★
「ヴァバンク」★
「約束の土地」★

5/7~5/15
戦後ポーランド映画の系譜
「熱病」
「白鳥の歌」
「マテウシの生活」

5/21~5/29
セミョーン・アラノヴィッチ監督特集
「海に出た夏の旅」★
「トルペド航空隊」★
「ヴィオラソナタ・ショスタコーヴィッチ」★
「私はスターリンのボディガードだった」★

★は観たことあるもの。
☆は今日観た。

川崎市市民ミュージアムでスカラチケットを出したら受付の女性に期限付きになったこと(新チケットは診察券みたいなカードにスタンプ押すスタイルになったようだ)、期限が1/16までなのは以降年度末までリニューアル休館になること、来年度から「市直営から民間になる」旨説明をされた。
(おおかたはツイッター上で情報を得て知っていた。)
名残惜しい。
4枚残っていたスカラチケット、今日1枚使って残り3枚。
これからどうしようか。今年10回観るだろうか?「パガニーニ」と「ナンネル」は川崎まで行って観るまでもなく、ポーランド映画祭は観たいがなかなか予定が。アラノヴィチはなんとかしよう。8・9月の戦争映画と秋のオリヴェイラ、旅映画で何本になるか?

川崎市市民ミュージアムで今日入手した年間スケジュールによると、アラノヴィチ以外のレンフィルム作品とか今年度は上映しないということなのかしら?ロプシャンスキーとかアサーノワとか。泣けるな。

映画「若き日のショパン」

川崎市市民ミュージアムのラウンジ、結構盛況。今日はポーランド映画だからポンチキ、ではなく、ビーツの炊込みご飯のおむすびとセロリのマリネを持参。「若き日のショパン」観た。

「若き日のショパン」は1951年のモノクロ作品。主人公はじめポーランド青年はきらきらした瞳の古風な美形。
それより楽しめるのは終盤革命プロパガンダで期待に応えてくれること。
時代柄そんなもんでしょ。
ショパン自身は何を考えているのかははっきりせず、祖国に対しても情熱と言えるほど熱くならないが。
全体的にはソ連などでよく作られた教養映画みたいな雰囲気。
「ヨハン・シュトラウス 白樺のワルツ」
「フランツ・リスト 愛の夢」
あたりと同じ香り。

ダンスホールでの舞踊シーンが一番の見せ場ではないかと思える(舞踊に詳しくないので舞踊の名称はよくわからないが)。

(どこまで歴史に忠実なのかわからないが)ポーランド国外に出てからのショパンは
ちょっと悩んで「革命」作曲→コンサート(好評)
亡命者会議で”ポーランド未だ滅びず”大合唱→街頭へ
ここはパリ?ゼネストっぽく、民衆がラ・マルセイエーズを歌っているぞ
「革命」演奏
友人と通りを行くショパン「終わったのはわれわれの青春だ」=革命は終わっていない?!
終了
(ちょっとぽかんとする)



2016年4月7日木曜日

オデッサ・コスモス: ◆КНИГА『陽気なお葬式』

滑り出し、中盤はよくって、ソ連から亡命した画家のアーリクを巡る女性たち(+男性たち)の来し方を肩肘張らずに語っているみたいでよかったが、最後の方で失速した感。

オデッサ・コスモス: ◆КНИГА『陽気なお葬式』: 陽気なお葬式 (新潮クレスト・ブックス) 著者 : リュドミラ・ウリツカヤ 新潮社 発売日 : 2016-02-26 ブクログでレビューを見る» さすがウリツカヤ。小難しくないのでさらさら読めてじっくり心に滲みてくる。でも前作の『通訳ダニエル・シュテイン』の方が好み。主人公アーリ...

さすがウリツカヤ。小難しくないのでさらさら読めてじっくり心に滲みてくる。でも前作の『通訳ダニエル・シュテイン』の方が好み。主人公アーリクは何故もてもてなのかな?