主人公はパン屋で働き家族を養う。
ベンゼマが、マルセロがとおしゃまな批評をする(銀河集団レアル・マドリーのファンだね)妹が可愛いし、みゃあみゃあ鳴く子猫とじゃれたりもする、それ以上に幼馴染の友人の妹が大好きなオマール。
イラン映画観ていても思うが、西アジアの男の子の恋は初々しい。
そのはずなのだが、この作品は裏切りがテーマ。
占領地の人間関係には、裏切りが蔓延ってゆく。
恋にも友情にも。
オマールみたいに、家族思いで、純情で、働き者で、愛郷心のある、普通の若者が、しかし絶対に幸せになれない。
一方、二十歳そこそこのイスラエル兵たちの心根歪んだ様も、こんなでは彼らだって人間性破壊されて不幸なままだと思わせる。
刑事コロンボか古屋一行似の秘密警察に人だってそう。
誰も幸せになれない、今みたいに抑圧が続くなら、どちらの側も。
ハニ・アブ・アサド監督はスキンヘッド好きなのか?この作品でも「パラダイス・ナウ」でも主要人物は丸刈りだったけど、アダム・バクリさん現在はこんな感じ。
寡黙ながら雄弁な目。(この写真じゃわからないか。)
役者は天職なんだろうなあ。
主演、アダム・バクリさんは名優ムハンマド・バクリ(イスラエル国籍のパレスティナ人俳優で、オマー・シャリーフみたいに「ほんとはなに人なの?」言いたくなるように南方の濃い顔の役をいろいろ演じてきた人。「カップ・ファイナル」は是非ともまた観たい!)の三番目の息子。
映画中のチェイスシーンもカッコいいし、実際に舞台挨拶に現れた彼はモデルみたいだった。
アゼルバイジャン人を演じたという次作品「アリとニノ」も楽しみ。
インタビューは残念ながらアラビア語でなく英語だった。
(更に「アリとニノ」も英語らしく、残念。アゼルバイジャン人男性とグルジア人女性の恋愛ものらしい。)
「オマールの壁」パンフレット掲載にアダム・バクリさんインタビューによると西岸地区のアラビア語アクセントは彼の話すアラビア語と少し違うそうだ。「君」がエンティみたいに聞こえた。
分離壁が、イスラエルとパレスティナの境にあるだけではなく、パレスティナ自治区内にもあって、土地と人々とを分断しているということを知る。
こんなことをして。
イスラエルはよほど恐れているのだ。
壁がなくなるのにはイスラエル側が変わることが必要だが、彼らはそれが怖くてたまらないのだ。
しかし、イスラエルは一応民主的な選挙をしている国家なのだから、選挙でまともな人たちが多数派になって変わって欲しいと思う。
(彼らの不倶戴天の敵?のイランがある意味そうであるように、頑迷な保守と改革派と穏健保守との間を行き来しながらも正しい道をいつかは選択するようであってほしい。)
一方がもう一方を抑圧し続ける、それに増して国際的にも(表向きは)非難されている、そんなことは全く正義ではないし、自分自身を蝕んでいるということに、どうしたら彼らは向き合えるようになるだろうか?
例えば、南アフリカがアパルトヘイトを放棄するにはどんな道筋を通っただろうか?
オマールの側の問題。
当初は軽々と登れた分離壁(実際には「太陽が隠れるかと思うほど」(アダムさん談)で、かなりトレーニングしたアダムさんでも半分くらいしか登ることができず、上半分を登るシーンはスタントで、「サーカス団の人にしかできない」ほどの、非常に巨大な壁なのだそうだ)が、作品の終盤では思うに任せず滑ってしまい登れない。
2年という年月で身体が衰えた(逮捕・拘禁という身体的に過酷な体験はしている)ということよりも、秘密警察と関わり、内通者として見られる、友人や恋人との信頼関係に罅が入ってしまったという精神的なダメージこそが、彼を向こう側に行くのを阻んているのだろう。
故郷や愛する人々のために、屈託なく考え行動していた時には、まっすぐな心で、壁に向かい、するする登れたのだ…。
そこに赤白チェックの頭巾(アラファトさんがしていたみたいなの)を被った老人が通りかかって、彼に手を添えてくれる。
「パラダイス・ナウ」では、葛藤が最後の最後まで続くけれど。オマールはあるときには吹っ切ってああいう選択、そして行動は迷いなくしたのだろうと思う。
花束手にするアダム・バクリさん
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