2020年12月31日木曜日

録画メモ:マリーゴールド・ホテルで会いましょう

マリーゴールド・ホテルで会いましょう

さすが名優の集まりだった。「グランド・ブダペスト・ホテル」とか最近観た「ニューヨーク 親切なロシア料理店」と同じようなテイストだとは思う。

2020年12月26日土曜日

ありふれた差別 高麗博物館に行って来た

半年ほどの展示期間があったのだが、最終日の前日に駆け込み鑑賞となった。

高麗博物館の「ハンセン病と朝鮮人ー差別を生きぬいて」

新型コロナウイルス感染拡大防止のために予約制、HPから当日数時間前に予約して、なんとか滑りこんだ。

職安通りを歩いていると、向こうから知った顔が。あちらも気が付いて「あら、こんなところで」と声をかけあう。確かめなかったけれど、彼女も観てきたところなのだろうか?


展示良かった。いや、ほんと差別酷いんだけど!!

#肉球新党 の #憲法セミナー の講師もされた原武史先生の指摘がなかなか鋭い。曰く「貞明皇后の残した『負の遺産』であるハンセン病患者隔離政策への『贖罪の祈り』」 展示は、天皇家の救らい事業もハンセン病者の差別支配の政治利用の一環と指摘、「天皇制の責任は依然問われ続けている」

天皇家の責任にしっかり触れているのはさすがだ。

日本のハンセン病者絶対隔離を推進した光田なる人物は患者の無断解剖、断種手術や堕胎(法的根拠はない、という)を行い、隔離に反対の立場の医師を学会から葬り去り、しかししっかり文化勲章を受章。朝鮮人に対する差別感も酷い。まるで犯罪者扱い。まあ、こういう人物だから出世したのかなあ。吐き気がしてくる…

結婚の条件として断種させられるのだが、展示によると結婚によって男性患者の逃亡防止をねらうと。家庭を作ってしばりつけるという発想か。この人、優生思想で男女差別民族差別でがんじがらめ。ただきっとこういう人は特別じゃなかった。


図録は必見!

!!マーク

2020年12月12日土曜日

今年のクリスマスに贈る本(2020年補充)

数年ぶりで補充する、「今年のクリスマスに贈る本」

オデッサ海岸通り: 今年のクリスマスに贈る本: もう12月! というわけでありまして、今年も書きます、クリスマスに贈る本。 くろうまブランキー(こどものとも絵本) 著者 : 伊東三郎 福音館書店 発売日 : 1967-11-15 ブクログでレビューを見る» 堀内誠一さんの...

短編集の中身は猫ばかりではないのだが、猫本2冊。

借りてきたぜ~!


2020年12月1日火曜日

録画メモ:ホワイト・クロウ

 1.ホワイト・クロウ 伝説のダンサー

ロシア語で「白いカラス」というと「変わり者」という意味なのだけど、その実ロシアのカラスは黒くなかったりする。

最初に出かけた国外旅行はソ連だったのだけれど、泊まったホテルの周辺で黒くないカラスみたいな鳥を見た時に「カラスだけど黒くないなあ、いったい何なのだろう?」と思ったが、結局カラスだったようだ。


この映画でも「異端児」のことで、ソ連から西側に亡命した名ダンサーのルドルフ・ヌレエフをウクライナ出身のオレグ・イヴェンコが演じている。ヌレエフはタタール人だけど、伊ヴェンコはウクライナ人のようだ。タタール人女優チュルパン・ハマートヴァはヌレエフの師匠の妻クセニヤ・プーシキナ(プログラムには「クセーニア・プーシキン」と書いてあったが、苗字は女性形にすべきだろう)役。

2.ニノチカ
3.宝塚 「復活」



録画メモ:ホフマニアダ/ロング・ウェイ・ノース

1.ロング・ウェイ・ノース

2.ホフマニアダ ホフマンの物語


3.音楽の都サンクト・ペテルブルク


1.幸福路のチー

2.アブリルと奇妙な世界

3.アオサギとツル

4.キツネとウサギ

5.霧の中のハリネズミ


2020年11月28日土曜日

録画メモ:ラスト・ワルツ/エンツォ/シンクロ・ダンディーズ!/12人の優しい日本人

1.ラスト・ワルツ

2.エンツォ レーサーになりたかった犬とある家族の物語

3.シンクロ・ダンディーズ!

4.12人の優しい日本人

男たちが描いてきた女性像~ジェンダーの観点から読む世界文学

 上智大学ヨーロッパ研究所主催講演会「ジェンダーの観点から読む世界文学 男たちが描いてきた女性像」終了。沼野先生がプーシキン・レフ=トルストイ・チェーホフ、そして最後にちょっとだけクンデラと村上春樹を爆走解説。



男性作家から観た女性像・女性観。チャラい男性主人公に対し健気なヒロイン

プーシキン『エヴゲニー・オネーギン』レフ=トルストイ『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』チェーホフ『子犬を連れた貴婦人』『可愛い女』クンデラ『存在の耐えられない軽さ』村上春樹『海辺のカフカ』(村上春樹は一冊も読んでない)

『オネーギン』『子犬を連れた貴婦人』『存在の耐えられない軽さ』ではチャラ男と健気ヒロインが出会ってチャラ男が真剣愛にはまる(チャラ男も作者もそこで変化成長する)。ただ『戦争と平和』ではナターシャの方がむしろチャラいのではないかな

『アンナ・カレーニナ』に関しては、カレーニンはチャラいわけではなく、世間体云々というよりアンナに歩み寄ろうという部分もあったように思えるので、そんなに酷い男だとは思えないのだが。むしろヴロンスキーが、ヴロンスキーがねえ。愛するに値する男だったのか

『アンナ・カレーニナ』は主なものだけでも10本以上映画化されていて、どれも監督名よりもヒロインを演じた女優名で記憶されている、そうである。確かに監督名記憶しているのはアレクサンドル・ザルヒだけ。バレエ映画でいえばマルガリータ・ピリヒナ。これも実質プリセツカヤの映画だが。

沼野先生が何度かおっしゃっていたけれど「古典文学の登場人物は真面目に人生のことを思考している」イメージ持っている人ってそんなに多いの?割と嫌な奴・好きになれない女が出てくる(その方がドラマティックになるから?)と思っていたけど。まず『戦争と平和』のナターシャがあまり好きになれぬ

人生に悩んでいる真面目な人物のイメージは、今回取り上げなかったドストエフスキーの作品にあるんじゃないかしら。(ラスコーリニコフとかいろいろ苦しむ割には自省すべきところをスルーしている感じもあるけれど)ロシア文学に限らないだろうけど女性の存在都合よすぎなのは男性から観た視点だからね

2020年11月26日木曜日

録画メモ:暁の七人

 1.暁の七人(1975年)

「死刑執行人もまた死す」「ハインリヒを撃て」と同様エンスラポイド作戦の映画の一つ。

2.世界遺産 時代の記憶 プラハ

3.世界遺産 時代の記憶 チェスキー・クルムロフ

録画メモ:スターリングラード>オデッサ海岸通り: 録画メモ

1.スターリングラード(2000年)Враг у ворот 
   ジュード・ロウДжуд Лоу主演のもの。
2.スターリングラード(1993年)Сталинград
 クレッチマンТомас Кречман主演のもの。

オデッサ海岸通り: 録画メモ: フョードル・ボンダルチュク「スターリングラード 史上最大の市街戦」 トーマス・クレッチマンはドイツ映画の方の「スターリングラード」に主演(好演)しているから、ご縁があるんだろうなあ。 この映画では女性で身を持ち崩す?やけ気味のドイツ将校で、むしろ「ヒトラー最後の12日間」で...

2020年11月23日月曜日

録画メモ:未来世紀ブラジル

 ごたまぜのDVDだった

1.NHK高校講座 世界史 ロシア帝国 2015.4.21

2.料理の基本 ザ・ワールド ロシア料理 2015.5.13

3.未来世紀ブラジル

4.目で聴くテレビ(映画「ザ・トライブ」解説)2015.6.21

5.地球タクシー5ミニッツ サンクトペテルブルク

録画メモ:暗殺の森 勝利への脱出

1.暗殺の森

1.勝利への脱出
2.世界遺産 ル・アーブル
3.世界遺産 ドナウデルタ

録画メモ:7月4日に生まれて/評決 日の名残り/ナイロビの蜂 華氏451

1.7月4日に生まれて
2.評決
録画した後、放置している

1.華氏451
2.評決
あれ?

1.日の名残り
2.ナイロビの蜂

1.クレアモントホテル

ポーランド映画祭2020

 


1本目

「聖なる犯罪者」、ポーランド映画祭のポーリッシュ·シネマ·ナウらしい佳作。来年の一般公開が楽しみ。→公式サイト

救いがあるのかないのか微妙なラスト秀逸(私は好みだ)。「異端の鳥」にも通じる普通の人々の中にある排除と欺瞞と暴力に震撼する。

主人公青年、どんな罪を犯して少年院入りしたのかは明かされないが作中説教では「私は人殺し」と語っているのが比喩ではなくほんとうなのだろうか。心根の腐った悪者ではないが善人でもなく(この作品にほのぼのした善人は一人も出てこない。皆闇を抱えている)、そしてこのまま無事社会復帰できるような人物かというといやいやぶっとんでるよなあ、やっぱり、というのを、バルトシュ・ビィエレニアが狂気がかった熱演していた。

毛色は全く違うが、観客を途方に暮れさせるラストで、カネフスキーみたいな。

監督のヤン・コマサは「リベリオン ワルシャワ大攻防戦」の人か。あれ、お金出して観て損した唯一のポーランド映画であった。ポーランド映画にも駄作は存在するものだと認識させてくれた貴重な歴史的逸品。でも「聖なる犯罪者」は普通によい映画なので安心しご覧ください。

2本目(というか2枠め)、「マルツェル・ウォジンスキの世界」

「マイクテスト」「なにがあっても大丈夫」「配達されなかった手紙」

割とノーマルで、感じはいいが、それほど新鮮味はない(のは初期キエシロフスキを想起するからなのだろう)。


3本目、ポーランド映画祭「ヨハネ・パウロ2世 あなたを探し続けて」予想されたことだけど褒め称えることに終始して批判的な視点はまるでない(当然)。伝記映画でもレムとかマダム・キュリーとかアイヌ民俗学者のピウスツキ・ブロニスワフほどには思い入れないこともあって”ああそうですか”で終わった。

私はポーランド人でもカトリック教徒でもない(メソジストです)のでついついこういう冷めた評価をしてしまうけれどヨハネ・パウロ2世に心酔している方ならばっちり入れ込める作品と思う。現教皇の幅広い活動も彼が築いてきた下地あってのものであろうし。




恵比寿ガーデンプレイスのクリスマスの飾りつけ、ツリーはちっちゃくなってるし、ポインセチアは1つおきでがらがら。鉢は普通びっしり並べるでしょうに。
思いの外しょぼい。寂しい感じ。ポーランド映画祭は今日しか観に来られないので3本限りで終了

今年は新型コロナ感染拡大防止のために規模を縮小せざるを得ずゲストも呼べず、夜の回がなくて、しかし映画祭を続けてくださったことに限りなく感謝。



録画メモ:リアリティーのダンス/最強のふたり

1.リアリティーのダンス

2.最強のふたり

どういう組み合わせなんだ、と我ながら思う。

(本当はチリせめてラテンアメリカでまとめたかった。)

録画メモ:Pina 踊り続けるいのち

1.Pina 踊り続けるいのち

私が3D上映で観た初作品。

録画して自宅のTV画面で観ると普通になっているのだろうな。

放映は2014年8月23日。

2.大人の街歩き ルクセンブルク/ニッテル(ドイツ) 2014.12.25

2020年11月21日土曜日

録画メモ:陽のあたる教室/いつも心に太陽を

1. 陽のあたる教室

2.いつも心に太陽を

3.地球ドラマチック マンモス復活大作戦

何でこういうことを試みるのか、実は理解できていない

4.名曲アルバム フィンランディア シベリウス

録画メモ:戦争と平和(ヘプバーン)ひまわり

1.戦争と平和(ヘプバーン)

2.ひまわり

3.シリーズ世界遺産100 バイカル湖

4.名曲アルバム シェエラザード リムスキー=コルサコフ

5.名曲アルバム チェロ・ソナタ ラフマニノフ

録画メモ:グレートネイチャー/地球バス紀行/時を刻む

1.グレートネイチャー カザフスタン

2.地球バス紀行 キルギス

3.時を刻む ブハラ

4.カザフスタン

5.空白のシルクロード ウズベキスタンの世界遺産

6.空白のシルクロード カザフスタン

録画メモ:戦争と人間

 「戦争と人間」

第1部 運命の序曲

第2部 愛と悲しみの山河

第3部 完結編

残り18分

録画メモ:バベットの晩餐会

 これ、昔々同僚からBSで録画したのを借りてみたのが最初だったと思う。

後々自分で録画出来た。

じっくり味わい深い。

「バベットの晩餐会」


「ボルク/マッケンロー 氷の男と炎の男」

残り17分

録画メモ:黒澤「白痴」と林修世界の名著『罪と罰』

 今まで(かなり昔)に撮っていたもの

*黒澤明「白痴」”Идиот"

*林修の世界の名著『罪と罰』"Преступление и наказание "

最近再放送していたけれど、元々は2015年の放映だったのか。

アメリカ人のゲストを呼んで、キリスト教の背景についてはあなたには敵わない、と林先生は相手を持ち上げていたけれど、何せアメリカ人なので、特にロシア的な背景に言及があるわけではなく、キリスト教に関しても正教に造詣が深いわけでもなさそうだった。ラスコーリニコフ、名前からして”分離派”(旧教徒)を連想させるようになっているんだけれど。

NHK世界遺産100:ノヴォデヴィチ修道院

名曲アルバム:「四季」から”6月”チャイコフスキー

名曲アルバム:「ペーチャとおおかみ」プロコフィエフ

名曲アルバム:交響曲第3番”神聖な詩”スクリャービン

地球タクシー:サンクト=ペテルブルグ

戦争責任に甘すぎる、これでもドイツ映画 「キーパー ある兵士の奇跡」

 これ、インターナショナル版とかでカットしていない?主人公はドイツ軍に志願して2度勲章を授与されているけど終始「選択できなかった」=仕方なかったで連合国側の再教育失敗例か?こんなに戦争責任に甘いドイツ映画を観るのは初めて。こういう時代になっちゃったのかな。

私は残りの5%

映画で観る限りだと、主人公は戦争になったから志願して軍に入ってナチスが政権をとっていたからそれに従って戦っていたが、実際に戦闘をしてみるとなんか厭戦気分になって離脱気味になり、敗走しているところを捕虜になった、そのままドイツには戻らず、英国の地でサッカーをする機会を得て、プロにも声をかけられ、才能を開花させ、それによって英国の人々を愉しませたり奮起させたりすることもでき、ひいては英独の架け橋にもなりました、よかったですね、というものだったけれど。
主人公が悪人じゃないのはわかる。
でもシティに入った時の会見でいろいろ聞かれて結局ちゃんと答えていない。
(「戦争だったから仕方なかった、他に選択肢はなかった」という趣旨の事しか言っていない。)
ここで元ナチス兵士を、選手として仲間として温かく受け入れたシティの選手たちは凄く偉いぞ。主人公はゴールキーパーとして非常に有能で、仲間の信頼を得るのにはそれで十分だったのかもしれないが。
映画を観た後下りのエスカレーターで前を行く女性二人が「仕方なかったのよね」「志願せざるを得ない状況だったのよね」と”理解”を示していたが、私はそんなに甘い気持ちにはなれないね。
同世代でもナチスに反対した人いるのに、彼はそうではない選択をした。志願して軍に入って戦った。謝罪するとか反省の弁を述べるという描写もなかった。あれで許してくれる周囲の人達(義父・チームメイト・ラビら)が物凄く偉い。戦争で身近な人を亡くしたり自身が傷ついた人にとってそうそうできるものではなかろう。
彼がイングランドのクラブに所属しプロとしてプレイすることについて非難があったのは、彼がドイツ人で英国とつい最近まで戦火を交えた「敵国」だったところから来た人だからということではなく、ナチス兵士だったからであって、英国の人々の態度は差別とかヘイトではないのだ。
実際には、他の捕虜だったドイツ人たちが帰還した際に彼が帰国ではなく英国に留まることにしたのは、妻や義父母との繋がりが形成されたことが勿論大きいのだろうが、ドイツに残してきたものに対しては愛しさよりも忌避したい、逃れたい、過去を断ち切りたいという思いが強かったのかも知れず、ただ映画の中ではそういう風には描かれていなかったので、想像するしかない。






異端の鳥>現に存在する(今そこにある)差別と暴力に

 ※原作の『ペインテッド・バード』は未読。

「異端の鳥」場所は特定しないようにってことだけどドイツ軍ソ連軍(赤軍?)コサック入り乱れて民衆がそれにまして自主的に残酷で、ポーランド映画祭で観た「ルージャ」や「ヴォウィン」みたいでウクライナ~ポーランドをイメージしてしまった。

ああいう異質分子排除はヴォルィニに限らないのだろうが。軍やコサックみたいな武装した人が暴力的なのは当然だとして(それも十分恐ろしいしコサックの残忍ぶりは意味不明だったが)普通の村人が何かの拍子で手が付けられない暴虐を露わにするのが怖いことで全く他人事じゃない。遠くスラヴの地のこと大戦中のことでは終わらない。



人工言語スラヴィック・エスペラント(沼野充義先生が書かれた解説ではインタースラヴィク)使用というのでどんな感じかと聞き耳たてていたがたぶんエスペラント語とは違う、スラヴ系の共通語らしく作られたというので教会スラヴ語みたいなのかと想像したり。スラヴ系でない俳優の台詞がぎこちなかったのはいたしかたあるまい。

ドイツ軍はドイツ語、赤軍の人はロシア語しゃべっていた。つまりロシア~ソ連はドイツと共にスラヴィック・エスペラントが話されるこの地域の向こう側、外の世界という明確な視点が示されていた。スラヴィック・エスペラントは字幕見ながら聴いてところどころ聴き取れる程度。

あと「炎628」のフリョーラくん=アレクセイ・クラフチェンコが出ているね。「異端の鳥」で主人公演じた少年にトラウマにならないようなケアはあったと思うけど、クリモフ監督も彼に気を配ったらしく、その甲斐あってか全然トラウマになっていないみたいだな、クラフチェンコは。戦闘映画大好き俳優になっちゃったものね。「炎628」のようなファシズム告発ものではなくて、”愛国”的で好戦的で民族差別的にもなりかねないような作品にも厭うことなく(たぶん)出演しているんだから。

あんまりこれまで観たあれこれの映画に似ている似ていないと論じるのもなんだが、暴力的ではあっても映像はむしろ美しくグロいのは限定的なのでアレクセイ・ゲルマンやバラバノフじゃないからそれほど拒否感はなかった。動物虐殺場面はきつかったが。

ソ連映画で言えばエレム・クリモフの「炎628」が連想されるだろうけど(フリョーラ少年演じたクラフチェンコを冷静なソ連軍人役に起用しているのは監督が狙ったとしか思えないあざとさを感じる)映像の美学に関してはむしろクリモフの伴侶だったラリーサ・シェピチコ「処刑の丘」か。

民衆の暴力、民族浄化に至る累々とした虐殺はウクライナの歴史映画大作「ヴォウィン」が思い出される。

ハンガリーの子ども虐待扱った「誰のものでもないチェレ」や、ロシアのカネフスキー「動くな、死ね、甦れ」も連想された。





録画メモ:レジェンド・オブ・ウォー

 通常版とダイナミック完全版と最強ディレクターズカット版と3回観て(あざといな)どれもそれなりに楽しめたけど、このあいだ放映されていて録画したのはたぶん通常版。


好みなのはやはり「鬼戦車T-34」の方ですね。

https://twitter.com/KocmocKocma/status/1319670462415208455

https://twitter.com/KocmocKocma/status/1286632786552483841

2020年10月21日水曜日

録画メモ フジコ・ヘミング

 「フジコ・ヘミングの時間」

「フジコ・ヘミング 教会ソロ演奏 2020 ~くすしき調べ、とこしえなる響き~」

「ニコライ・カプースチン」

「チャイコフスキーピアノ協奏曲」

冒頭のパイプオルガンの響きが懐かしいなあと思ったら何のことはない、母教会阿佐ヶ谷教会での収録でナビゲーターの陣内大蔵牧師が奏でていたのだった。いつも聞いている教会のオルガニストと弾き手は違ってもパイプオルガンの音は聞き覚えがあったという訳。

フジコ・ヘミングの演奏は勿論、実は陣内牧師の演奏が家人(ノンクリスチャン)にはうけがよかった。

録画していない「フジコ・ヘミング ソロコンサート ~いと小さきいのちのために~」もWOWOWで26日まで配信しているから視聴しておかねば。


追記:

その後になるが、別のディスクに

「フジコ・ヘミング 教会ソロ演奏 2020 ~くすしき調べ、とこしえなる響き~」

「フジコ・ヘミングソロコンサート ~いと小さきいのちのために~」

「クラシック倶楽部MAGNUMTRIO」

を録画。 「フジコ・ヘミングの時間」を一緒にできず。

「フジコ・ヘミングの時間」は2021年2月28日までWOWOWでオンデマンド配信中




天才チャペックの鋭い予言 『白い病』

 やっと読み終えた。

今読むと辛い戯曲である。

主人公医師ガレーンはアレクセイ・トルストイ(とヴィクトル・ツォイ)の『技師ガーリンの双曲線』を連想してしまうが、ガレーンさんはあくまで平和主義者のいい人だった。

未知の疫病が蔓延る中、権力者は世界征服のチャンスと戦争と武器販売に乗り出そうとするが、治療薬・治療法を開発した医師ガレーンは貧しい人しか治療をせず、権力者相手に戦争放棄を条件にして治療法を明かそうとしない。
そうこうしているうちに疫病は社会の上層にも広がる。

現代を見通しているかのようなチャペックの天才的な戯曲。
平和を願う女性達に対して取りつかれたように戦争に固執する金の亡者たち・・・『みどりのゆび』にも似ているがラストに救いはない。ハンセン病への社会の差別偏見も随所に描きこまれる。

2020年10月12日月曜日

ムヒカさんは世界一可愛い大統領(元)にして愛と闘争の男

 2本目のムヒカさん映画

「ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領から日本人へ」後半の東京外語大での講演で男子学生が「愛のために争うこともある、好きな女性を巡って他の多くの男性と争って彼女を得たいと思うのでは?」みたいな質問をしててああツイッターによくあるような女性を獲得対象にしている人かと感じてたら率直に言って前大統領を前にそういう質問の仕方をしちゃうのもう少し何とかならんのかなと思ったのだがムヒカさんはさすがにあからさまにばかにはしなかったけれど「それは多分に男尊女卑の考えですね」とびしっと述べていたのは当然とはいえやはりマラジェッツ!

ムヒカさんの言葉を正確に再現はできないが「彼女の方があなたを選ぶかどうかの問題、無意識かもしれないけど彼女は自分のためというより人類にとってよりよい選択をする」とまとめていた。君、彼女に選ばれるように自分を高め給えよと祈ってさしあげたよ。

教会には以前から「解放の神学」に憧れていたりラテンアメリカの思想に詳しい人が少なくないが私はさっぱりなのでムヒカさんの思想と行動様式に関して2本の映画を観ただけで理解はとてもできなかったが(自主管理型社会主義を目指す?)パートナーのルシア・トポランスキーさんとは信念を共にする同志なのであるから。

そう言えばルシアさんについてはクストリッツァの「愛と闘争の男」の方がきちんと焦点をあてて撮っていたな。クストリッツァ、以前は「女性の事は理解できない」と告白してて彼の作品での女性の描き方観る限りその自己認識は正しいしさすがだし(女性のことを人間として上手く描けていないのは彼に限らずスラヴ圏男性には珍しくないが、自覚しているだけクストリッツァは偉い)成長もしているものだなと思った。やはり「日本人へ」と「愛と闘争の男」はセットで観るべし。

シネスイッチはコロナ自粛明けに「ぶあいそうな手紙」を観にきて以来だった。あれの主人公もウルグアイ人でどうやらウルグアイ独裁政権から逃れた亡命者らしかった。ウルグアイ、スアレスとか血気盛んなサッカー選手しか知らなかったが、今はムヒカさんが有名らしい。

あ、そうそう「ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領から日本人へ」でいかにも日本人向けに彼と日本との繋がりを述べていて日本からの移住者によって花の栽培を教わったりしたムヒカさんは当初はよくある「日本は勤勉で技術が凄くて規律が守られていて」等々のイメージ持っていたのだが来日して実際の日本で見るべきものはちゃんと見ている。
銀座の通りを飾る広告が西洋人ばかりで行き過ぎた西洋化した社会だということ、そんな社会で豊かなのか幸せなのか、と日本の現況を喝破していく。洞察力と言語化する力がすごい。「日本にはいくつかの顔がある」高校中退の農業従事のおじさんだが学ぶ力が際限なく恐らく投獄中に身につけた教養が豊か。やはり尊敬に値する。




名誉回復と補償金支払い、ロシアでさえしているのだ

 ロシア語の原題は"Былое в памяти моей"(私の記憶の中の過去)。

日本語の改題はドラマチックになりすぎている感じがしないでもない。ナギさんの人生はドラマチックではあるけれど、訳者解題にあるとおり「ナギさんは数奇な人生を送ったとも言えるし、平均的なソ連人だったとも言える。」革命記念日に生まれたこととそんなに関係はなかったな。



まず、幼年時代の日本滞在記は、子どもの目で見聞きした日本の文化についての説明が興味深かった。
また、この時代(1930年代)には外国人、とりわけソ連人であった筆者が子どもであっても日本人から酷く差別や嫌がらせを受けていたことが記されており、今さらながら申し訳ない気持ちになる。

ソ連帰国後の少年~青年期の「人民の敵」の子として、またユダヤ系としての過酷な経験の記載も日本語として読めるのは貴重。
ただ、イスラエルに対する思いは、筆者がユダヤ系である以上冷静になれないのだろうか。6日戦争(第3次中東戦争)でのイスラエル軍の行為に関して「民族の誇り」を感じ祝祭的なムードに浸っているようなのがいささか衝撃だった。
1957年のモスクワでも世界青年学生祭典のときのイスラエル代表との交流についても
「敵に囲まれた若い国家は、どうしても欠かせない真の平和を目指している。世界中にいる真の友は、イスラエルの成功と困難に心から共感しているのだ…。」(282頁)
と、とても共感できないようなことを書いてしまっている。

また、第三章「父のファイル」でスターリン体制下で粛清(銃殺)された父(ハンガリー・アヴァンギャルドの芸術家モホリ=ナジ・ラースロー~本書では「モホイ」とあるがウィキ先生によると誤読とのこと~の兄弟で、自身はロシア革命と内戦でソ連側捕虜となりその後ソ連国籍を取得しジャーナリストとなってタス通信記者として日本に赴任、帰国後外国のスパイとの容疑で逮捕された)について、スターリンの死後から雪解け期、凍てつきの時代、ペレストロイカ、ソ連解体を経てロシア共和国となって、父の記録にアクセスし、KGB,裁判所の手続きを経て名誉回復をしていく過程が記され、貴重だ。
もちろん、筆者は補償金を受け取っても政府当局の態度には満足するわけはなかった。
1956年の名誉回復証明書については、「同情、ましてや罪悪感のかけらもない。名誉回復を命ずる―さあ、名誉回復されました。満足してください。失ったものの補償金さえ払ってあげるんですから。」(といわんばかりだ。)(371頁)
1988年最高裁軍事部回答では「不当に裁かれたナギ、アレクセイ・リヴォヴィチに関してあなたとあなたのご家族を襲った悲劇の大きさに鑑み、心よりお悔やみ申し上げます」とあり、「手紙のトーンが変わるのに32年かかった」と筆者は記す。(379頁)
酷いよね、酷いよね。(けれども、ソ連~ロシアはともかくスターリン時代の粛清犠牲者に対して名誉回復をして補償金を払っているのだ。犠牲者や犠牲者の家族が納得できる形ではないにせよ…ご承知のとおり、日本は治安維持法犠牲者に対して補償をしていないし名誉回復もしないままだ。)
また、有名な人権団体「パーミャチ(記憶:よく「メモリアル」と紹介される)」の協力を得ているのかどうかは一切わからなかった。

筆者は1930年生まれでデュッセルドルフでご健在とのことだ。

2020年9月26日土曜日

ビアトリクス・ポター最後のお話 黒猫キティの冒険

 

洗濯屋のティギーおばさんも登場する(活躍する)、ポターの遺作(絵が一枚残されていて、後は原題の画家が補って描いた)。お嬢様猫キティーの冒険はあひるのジマイマやこねこのトムの冒険のようにかなり怖い体験となる。りっぱなうさぎは振舞はベンジャミン・バニー氏っぽいけど青い服だからピーター・ラビット?
助かってよかったけどちょっと自分勝手なキティーであった。
一方、ウィンキーピークスはさて。

家人が図書館から借りてきた。 「ポターの本だけど、絵はポターじゃないんだよ」と言うのでどういうことかと思ったら、ポターはキティの絵を一枚残しただけで生前は出版されなかったお話に、別の画家(現代の人)が挿絵を描いて100年経って完成させて日の目をみたというもの。 まごうことなきピーター・ラビットの世界の絵本。画風はさすがに全然違うけれど。

2020年9月19日土曜日

RBG永眠

ギンズバーグというと、今でも小説家のナタリヤ・ギンズブルグの方を想起してしまうが、今日は”RBG”でお馴染み、アメリカ最高裁判事ルース・ベイダー・ギンズバーグの訃報に接した。

85歳。

彼女については昨年「RBG 最強の85歳」というドキュメンタリー映画と「ビリーブ 未来への大逆転」というドラマ映画が相次いで日本で公開されたのだが、「RBG」の方を4月4日にヒューマントラスト有楽町で「僕たちは希望という名の列車に乗った」と一緒に観たが(混雑具合は「RBG」>「僕たち」だった)、「ビリーブ」の方は見逃していた。

「RBG」よりは「僕たちは希望という名の列車に乗った」の方が印象深かったので、特に感想のメモを残していない。RBGという人物は、とても努力家の秀才で、パートナーに恵まれたアメリカのエリート法曹の女性で、とても手の届く世界の人に思えなかった。


その後、見逃していた「ビリーブ」については、今年の夏休み中にWOWOWのオンライン配信で「RBG」とセットでやっているのを知り、ようやく観ることができた。(両方観た。)

ドキュメンタリーの「RBG 最強の85才」では努力に努力を重ねる無敵で最強の女性法曹、しかも最高の夫と共に生きて、恵まれた人生送っている特別な天才って感じでとても親しみが沸く人には思えなかったが、「ビリーブ 未来への大逆転」では挫折と失敗を繰り返して進んでいくのがよかった。

インタビューでは過去の挫折についてはそんなに語りたくはなかったのかもしれなくて、とにかくばりばり時代を切り開いてきました、という感じになっていたのに対して、「ビリーブ」だと時代柄法曹も女性差別がふんだんにあってロースクールで学ぶのにも教職から嘲笑され嫌味を言われる(同様の言説は日本の司法界でも当然あって、それはそれはそっくりなのに苦笑せざるをえなかった)。法律事務所への就職は尽く断られる。というわけで、当初は法廷に立って弁論する道が開かれず、大学に残るしかなかった。

そうか、この人も決して人生上手くいっていたわけじゃないんだ、ということは、ドラマ映画の方で知った。

彼女の主張で賛成しかねるものも幾つかはある。女性の残業規制は女性差別だから撤廃を、というのは方向が逆(過労死する自由か?男女とも規制すべきでしょ)。その辺り、やはり彼女もアメリカの社会・法体制下での時代の子なのだと思う。AOCことアレクサンドリア・オカシオ・コルテスに感じるのとは全く違う。

しかし、マイヤ・プリセツカヤのときも思ったけれど、ずっとずっとお元気で活躍されるという気がしていた。



2020年9月3日木曜日

ファンタスチカ・オデッサ: いよいよスーズダリ

ファンタスチカ・オデッサ: いよいよスーズダリ:  ウラジーミルからスーズダリ、バスで田舎道をひたすら走り、途中ではうとうと⇒すやすやだったが、目覚めると教会の屋根が見えてきた。農村っぽく牛馬もいる。 (ウラジーミルはトラクター工場などがあり、鉄道も通っているが、スーズダリは農業と観光の街) 教会で(修道院で)売っている蜜酒。と...

2020年8月31日月曜日

ファンタスチカ・オデッサ: 黄金の輪の猫たち

8年ぶり、新たに投稿

ファンタスチカ・オデッサ: 黄金の輪の猫たち:  ポクロフの人懐こい猫たちは書いたと思うので、それ以降で。 ウラジーミル スーズダリ セルギエフ=ポサード

2020年8月29日土曜日

見逃していたが追っかけた「コリーニ事件」

 『コリーニ事件』、原作を読んで”お気に入り”として某所で感想文も書いていた。(といってもワールドカップアジア予選イラン対韓国の試合観ながらの不真面目なものだったが。)


時間は待ってくれない
フェルディナント・フォン・シーラッハの初の長編『コリーニ事件』の邦訳が刊行された。酒寄進一訳東京創元社。シーラッハは本職は刑事弁護士というドイツの作家だ。これまで訳出されている短編連作集『犯罪』『罪悪』も評判になったが、この新刊本はさらに話題を呼んでいる。
この小説の冒頭はいきなりの殺人シーン。被疑者はドイツに長く滞在し働いてきたイタリア人元機械工コリーニ。殺害後の執拗な死体損壊の様子からして深い怨恨がありそうだ。
そして2章では、新米弁護士が休日に国選事件担当の電話が入るのを待機している。私たちにとってはお馴染みといえる場面だ。では、この作品はこの新米弁護士ライネンの刑事弁護奮闘記なのか?否。
ほどなく、被害者はライネンの友人の祖父だったことが分かる。彼は一度は弁護人を辞任しようとするのだが・・・。
なるべくネタバレしないようにしながらも結論を書くと、この小説のテーマは171ページ以下十数ページの証人尋問手続きでのライネンと学者とのやりとりに尽きる。
刑事弁護は初めてのライネンがその事実にどうやって行き着いたのかは明かされないし、親しくしていた友人の祖父の過去を知ったことをどんな風に受け止めたのかは、特に気になるところだけれど、作者のシーラッハはエモーショナルな表現を極力排しているので、行間を読むしかない。結末も、ある意味予想どおりだが、そうならざるを得ないのも理解できる。ドイツのみならず、日本でも、この事務所で扱った事件(民事だけど)でも、幾度となく立ちはだかってきたあの問題があるのだから・・・。
公訴参加代理人(被害者家族側の弁護士)を務める大物弁護士は言う。「わたしは法を信じている。きみは社会を信じている。最後にどちらに軍配があがるか、見てみようじゃないか(略)この裁判はもううんざりだ」倫理と法律の規定が鋭く対立するかに思えるとき、人は、とりわけ法律家は、どうするべきだろうか?
この小説はドイツ連邦共和国の刑法典の盲点をあぶりだした。この作品の中では動かしがたい法律上の壁であったそれは、この小説が世に出てから数ヵ月後の2012年1月に、法務省内の『再検討委員会』が設置されたことによって見直しの機運が出てきたとのことだ。
 繰り返すが、「これはドイツの話だ」で終わらせるわけにはいかない。日本では裁判上ではその法理論は崩せなかったし、再検討をうながすような法改正の動きも表立っては未だないのではないだろうか。

「私は知っています。多くの方たちにとっては、金銭はまったく補償にならないことを。その方たちは、苦難が苦難として承認され、自らが被った不法を不法と名付けられることを望んでいます。(略)あなた方の苦難を私たちは決して忘れません。」(2000年にドイツ連邦共和国議会においてヨハネス・ラウ大統領(当時)が行った演説より)※小説とは直接関係はありません。


なので、映画も必ず観たいと思っていたのに、せっかく新宿武蔵野館で上映していたというのに、新型コロナですっかりスケジュール調整が狂ってしまい(短縮業務のうちは仕事の後映画に行くというのも心理的に憚られた)気が付くと夜の回はやっていなかったので、二番館目当てということになった。渋谷アップリンクファクトリーでやっていて、しかもそこはミニシアターエイドで指定した映画館だった(アップリンクに纏わる某事件が明るみになったのは指定した後だったのでちょっぴり後悔しないでもなかった)が、「ハニーランド」も続けて観るつもりで、はるばる都外の、新百合ヶ丘までも出かけてしまった。




 弁護人ライネン以下、各キャラクターは原作とは少しずつ設定を変えているが、ライネンはまず登場してきて「あら、コリーニと同郷のイタリア人設定にしたのかしら?」と思ったらなんとトルコ人設定に改変?!(母親がトルコ出身者なのか?)
このトルコ系というのが映画では割と強調されている感じ。
(原作では恐らくライネンはドイツ系であろうしマイヤー家の男子フィリップと同じ寄宿学校で学んだエリート階層であり、事件を追及することによりこのエリートからこぼれ落ちかねない恐れを抱え込みながら弁護して行くわけなのだが。)

戦時中の痛ましい事件の描写も、原作よりは残酷エピソードが割愛されてかなりソフトだ、と言える。(いや、それでもナチスだから人々を虐殺しているんだけどね。)

小説では丁寧にやりとりしていた時効に纏わる法律の趣旨と成立過程も、映画では最後ちかくで駆け足で畳みかけていた。ちょっと物足りない気はするけれど、映画で説明するのは難しいだろうから仕方ないか。ただ、原作小説が話題になることで法制度を変えたという点は指摘して欲しい。あのままか、と思わせるとね。


2020年8月27日木曜日

シリアにて

 8月22日、夏休みの初日、岩波ホールへ。

「シリアにて」初回、冒頭3分で思い出した。観たことあった。なのでそれぞれの夫のことも記憶に残っていたが終わったら手に汗握ってた。

イスラーム映画祭でしたか?ユーロスペースだった気がする。フライヤーとかの紹介だとあの映画だって全然気がつかなかった。女は辛いよ。まして戦争下だもの。

初回だったから上映前にご挨拶があったけど、岩波で上映する62番目の国となったのがレバノンだそうで。(勿論合作映画である。) しかし今までレバノン映画やってなかったとは意外!

レバノンは文化程度高くて映画産業盛んだった、特にアラブの娯楽映画に関してはエジプトと並んで音に聞くものだったという。レバノンの人は美しいし。戦争で疲弊した時代があったとはいえ今まで岩波ホールで上映していなかったとは信じがたい。私が好きなレバノン映画は何といっても「西ベイルート」素敵な青春映画だ。

れと短編サッカー映画「ナイス・シュート」原題:ملعوبةも好き。というか嫌いなレバノン映画は今までのところない。

まあこの「シリアにて」はレバノンを題材にしたものではないがレバノン人女優のディアマンド・アブ・アブードが熱演していてレバノン健在を示していて嬉しい。

2020年8月24日月曜日

レトロ駅舎よさようなら(原宿駅)

 高校の最寄り駅だった国立駅は駅前放置自転車ワースト1で名を馳せたこともあったが、桜並木の大学通り、旭通り、富士見通りの文教地区の割とオシャレな街並みとともに、赤い三角屋根の駅舎が忘れ難い。

高校時代、そして卒業後、被爆者援護法制定要求の駅頭署名などで駅や駅前を利用していても特にレトロとか感慨もなく普通に通り抜けたり待ち合わせしたりしていた。当然写真を撮ることもなかった。

が、その駅舎は一度は人々の前から去ったが、なんだかんだ言って「帰って来た」のだと。

2018年12月2日ヘイトスピーチのカウンターで日曜の朝から出かけた時は建築中で、横断幕を持って工事中の南口に立ったな。寒かった。

復活の駅舎の公開は4月3日だ、と今も国分寺に住んでいる同窓生が年賀状で教えてくれたけれど、ウィルス感染拡大防止のために延期になり、6月から開館、7月からイベントも行われるようになったらしい。

この休み中に行って来るかな。国立にはもう東西書店も野ばら手芸店もなくなってしまったが。

昨日は #0823NHK前抗議 #ひろしまタイムラインは差別扇動を認めてコメントを出せ で代々木公園はNHK前まで行って来たのだが、渋谷からじゃなくて原宿から行った。

開始時間の18時をまわりそうだったけど、原宿駅で写真を撮らずにいられなかった。

原宿駅の駅舎も、8/24から取り壊しが始まってしまうという。


NHK前のスタンディングは18時から19時ちょうど、黄昏の薄闇からとっぷりと夜空になって三日月が参加者に微笑みかけているような、昼間の暑気もだいぶ和らいで、ただ立っているのもそんなに苦にはならない(気候としても時間的にもちょうどよい)スタンディングだった。呼び掛けた方の締めの挨拶を聞くと、期間限定の川本喜八郎先生のアニメーションンの配信を何としても観たいという気持ちがあるものだから、そそくさと原宿駅に向かった。しかしそこで再び足を留めて駅舎に名残を惜しんだ。

国立駅の駅舎とは違って、原宿駅の駅舎にはさほど思い入れはない。

高校時代には偶に竹下通りに遊びに来ていたけれど、中国雑貨のお店「大中」はもうないんだよね。

勤めるようになってから、特にメーデーを代々木公園でするようになってからは5月1日に人混みの駅を抜けて公園へと急ぐ年中行事になっていたと思い出す。この通路を歩いて行った…

Ну, прощайте, моя родная станция "Харадзюку"!






2020年8月13日木曜日

誰がために

 

了您和我的自由!

 

За вашу и нашу свободу!

 

あなた達と私達の自由のために!

 

Za vaši i naši svobodu!


Za naszą i waszą wolność!

 

For our freedom and yours!


オリジナルのポーランド語では「私たちとあなたたちの自由のために」なのが、1968年プラハ事件に抗議するモスクワ市民が手にしたプラカでは「あなたたちと私たちの自由のために」と逆になっているのは、ロシアからの独立を求める人たちに対してのロシア(ソ連)の不服従派が応答した形になっているのかな、と想像する。

だとすると、チェコ語ではさらにそれをひっくり返して「私たちとあなたたちの~」にした方がよかったかもしれない。

中国語ではこのスローガンは使っていないようだが、意味は通じるとネイティブの方に言われたので書いてみた。
中国での戦争と人権侵害に対して謝罪・和解を経ていない日本から「人権守れ」「民主主義守れ」と言われたら、中国政府にとっては”お前が言うな”だろうけれど、モスクワの赤の広場からプラハ事件に抗議した人たちに擬えて、日本語はロシア語の表現に倣った。
中国語はオリジナルのポーランド語の表現をなぞった。

画像はポクロフのドライブインにいた猫様です。

2020年8月11日火曜日

イラン映画祭

 「東京イラン映画祭」の名前で赤坂コミュニティぷらざで行われるのは今年で3回目、映画祭としては5回目とのことで、肉球新党で広島に行った2017年、広島のミニシアター横川シネマで「広島イラン 愛と平和の映画祭」があり、その作品を東京でも上映されるというので、大井町まで観に行った。そのときが通算2回目の映画祭ということになるのだろう。それ以来出かけている。

今回初めて気が付いたが、会場の赤坂コミュニティぷらざ、外壁に朝顔とほおずきを這わせているのだった。




無料で予約不要のイラン映画祭、今まで完全にノーチェックだったが、感染拡大防止のために整理券交付になった(名前と連絡先を記入)。非接触型体温計で検温もする。

1本めの「母性」はある姉妹の恋愛結婚の破局で、悲しくて誰も幸せにならないお話だった。やるせなさ満開。

2本め「18%」イラン·イラク戦争の化学兵器被害者のドキュメント短編。時系列がややわかりにくくスリリングでもあるが、ある意味イランのプロパガンダかと思うほどえげつないまでに負傷した傷を見せつけられて辛い。一般公開のみならず日本のTVでも放映すべきではないか。ただ被爆者の写真と同様に水ぶくれと火傷のシーンが放映を難しくするのかもしれない。)

イラン·イラク戦争の被災者の話、しかも国際法違反の化学兵器被害者の話だが、相手国イラクへの批難めいた論調は一切なかった。ただ被害の酷さと治療した日本人医療関係者への感謝が際立った。

3本め「別荘の人々」だがタイトルは内容と一致していない。イラン·イラク戦争時の軍司令官達の妻や子ども達が何故か空襲も頻繁にある田園の施設に住んでいて、配達人が来る度に誰かが殉教?とぴりぴりしていて、という銃後の悲話を描いている。ただただ悲しかった。

イラン映画祭4本め「アーザル」バイク乗りの勝ち気な奥さんが商売頑張る話かと思いきや火曜サスペンス劇場的ハプニングで家庭崩壊、周囲の人達概ねいい人だけど運命の歯は狂いだすと止まらない。そこでラストか、だった。明るい作品が一つは観たかった。








2020年8月3日月曜日

この夏、映画が駆け抜ける その3 ドヴラートフ レニングラードの作家たち

ドヴラートフとハチャトゥリャンの共通点、アルメニア系のソ連人。



「ドヴラートフ レニングラードノ作家たち」当初4月末公開の筈だったのを待って待って待ち尽くした。
本来4月25日公開のところ、「6月以降に延期」になり、結局実際に公開あいなったのが6/20だった。
2か月待たされた、というよりも、日本で公開されると知った日からか?この映画の存在を知った日からか?
(この映画は2018年制作だが、タリン時代のことを題材にして書かれた『妥協』を基にした「素晴らしき時代の終わり」という映画が2015年にロシアで公開されているのだという。)
いや、もっと前からだ。
ドヴラートフの訳書を改めて手に取ってみると、『わが家の人びと』が1997年、『かばん』が2000年。
えっ?2000年って20年前ではないか!
NHKラジオロシア語講座応用編を聞いていたのが1996年度後半。
そのときからだと24年だ。
ドヴラートフの映画を観て、ドヴラートフのことを皆でお話することのときを、とうとう迎えられた。

勿論初日に行った。初回ではなくて2回目の沼野充義先生と守屋愛先生のトークショーがある回。


❝「ドヴラートフ」初日イベントで上映後の沼野先生、守屋先生のトーク、何より監督インタビュー動画が観られたのが良かった。ドヴラートフという人物について監督自身は会ったことないが小説の主人公のドヴラートフは作り上げたものという解釈、それ故のあの映画、納得がいく❞ 
当日のツイッターでは私はこう書いた。

ドヴラートフは小説のドヴラートフをイメージしていたので「そうか、そんななのか」と思ったがエレーナはほぼイメージ通り。ブロツキーは「一部屋半」イメージ強いので初見では?!でも朗読は似ているそうで。

監督のアレクセイ・ゲルマン息子、普通に才能ある人だと一目でわかるわけだけど、どうしても父親に言及されちゃうのが可哀想(ボンダルチュク以上にされちゃってる)なので、父は父と思って敢えて触れないように私はしたい。次作以降は呪縛も解けていくのだろうか。

とは言いつつ、先だってこんなツイートしていた。
❝いきなり比べるのはあれだがゲルマン息子、父ゲルマンより良い。好み。小説のドヴラートフの軽みを敢えて全く出さず鬱々として始まり凍てついたまま終わる傑作。「一部屋半」とセットで再見したい。❞

アレクセイ·ゲルマン息子監督、「宇宙飛行士の医者」は好きな俳優たち(メラブ・ニニーゼやチュルパン・ハマートヴァ)が出てるのに全然好きになれず、合わない、私には良さがさっぱりわからないと思ったけど、この「ドヴラートフ」は拒絶反応全く起きなかった。何だろう、題材の親しみ易さ?(とにかく永らく待っていた!)結局私は文芸もの好きなのだって、ことなのだろうか。

沼野先生がトークで指摘していたことだが、ドヴラートフもブロツキーも(その他の周辺の芸術家たちもたぶん)反体制活動をせっせとやっていたわけではないのだ。
「俺は拒否しているわけじゃない。同意できないだけなんだ」という映画中のドヴラートフの台詞が語るように、「ソ連の社会主義って凄いですね」と積極的に称えることをしなかった人達なのだ。
ソ連の体制側がそういう人たちがどうにも許せなくて追い出してしまったわけだけど。

とにかく、ブロツキー繋がりでフルジャノフスキーの「一部屋半」を観たいな。

❝「T-34 レジェンド・オブ・ウォー」上映に併せて「鬼戦車T-34」も上映して欲しいし、「ドヴラートフ レニングラードの作家たち」に併せて「一部屋半或いは祖国への感傷旅行」もやって欲しい。勿論「僕の無事を祈ってくれ」も観たい。❞

(と思ったら、「鬼戦車T-34」こと「ひばり」はシネマヴェーラの「ナチスと映画Ⅲ」特集のプログラムに入っており、無事再見することができた。)


「EUフィルムデーズ終わったらまた観に来る。そう言えば本来はユーロの最中なんだよね。」
初日に鑑賞して帰る道すがらそう思った。決意していた。

初日のイベント付きの回はかなり密で盛況だった「ドヴラートフ」だが、その後あっという間に回数が少なくなって夜の回がなくなっていて、平日観に行くことができなくなっていた。
そして、気が付くと…
7/30までしかやらないの???しかも朝しかやらないのか。
酷い~!
しかもしかも7月25日(土)、26日(日)は休映!!!やる気あんのか!
と文句たらたらの私であったが、有休とって27日(月)に2回目を観るべく昼間に出かけてみると、観客は3人きりだった。館内寒々としていた。震えながら凍てつきながら観ていた。