2020年8月3日月曜日

この夏、映画が駆け抜ける その3 ドヴラートフ レニングラードの作家たち

ドヴラートフとハチャトゥリャンの共通点、アルメニア系のソ連人。



「ドヴラートフ レニングラードノ作家たち」当初4月末公開の筈だったのを待って待って待ち尽くした。
本来4月25日公開のところ、「6月以降に延期」になり、結局実際に公開あいなったのが6/20だった。
2か月待たされた、というよりも、日本で公開されると知った日からか?この映画の存在を知った日からか?
(この映画は2018年制作だが、タリン時代のことを題材にして書かれた『妥協』を基にした「素晴らしき時代の終わり」という映画が2015年にロシアで公開されているのだという。)
いや、もっと前からだ。
ドヴラートフの訳書を改めて手に取ってみると、『わが家の人びと』が1997年、『かばん』が2000年。
えっ?2000年って20年前ではないか!
NHKラジオロシア語講座応用編を聞いていたのが1996年度後半。
そのときからだと24年だ。
ドヴラートフの映画を観て、ドヴラートフのことを皆でお話することのときを、とうとう迎えられた。

勿論初日に行った。初回ではなくて2回目の沼野充義先生と守屋愛先生のトークショーがある回。


❝「ドヴラートフ」初日イベントで上映後の沼野先生、守屋先生のトーク、何より監督インタビュー動画が観られたのが良かった。ドヴラートフという人物について監督自身は会ったことないが小説の主人公のドヴラートフは作り上げたものという解釈、それ故のあの映画、納得がいく❞ 
当日のツイッターでは私はこう書いた。

ドヴラートフは小説のドヴラートフをイメージしていたので「そうか、そんななのか」と思ったがエレーナはほぼイメージ通り。ブロツキーは「一部屋半」イメージ強いので初見では?!でも朗読は似ているそうで。

監督のアレクセイ・ゲルマン息子、普通に才能ある人だと一目でわかるわけだけど、どうしても父親に言及されちゃうのが可哀想(ボンダルチュク以上にされちゃってる)なので、父は父と思って敢えて触れないように私はしたい。次作以降は呪縛も解けていくのだろうか。

とは言いつつ、先だってこんなツイートしていた。
❝いきなり比べるのはあれだがゲルマン息子、父ゲルマンより良い。好み。小説のドヴラートフの軽みを敢えて全く出さず鬱々として始まり凍てついたまま終わる傑作。「一部屋半」とセットで再見したい。❞

アレクセイ·ゲルマン息子監督、「宇宙飛行士の医者」は好きな俳優たち(メラブ・ニニーゼやチュルパン・ハマートヴァ)が出てるのに全然好きになれず、合わない、私には良さがさっぱりわからないと思ったけど、この「ドヴラートフ」は拒絶反応全く起きなかった。何だろう、題材の親しみ易さ?(とにかく永らく待っていた!)結局私は文芸もの好きなのだって、ことなのだろうか。

沼野先生がトークで指摘していたことだが、ドヴラートフもブロツキーも(その他の周辺の芸術家たちもたぶん)反体制活動をせっせとやっていたわけではないのだ。
「俺は拒否しているわけじゃない。同意できないだけなんだ」という映画中のドヴラートフの台詞が語るように、「ソ連の社会主義って凄いですね」と積極的に称えることをしなかった人達なのだ。
ソ連の体制側がそういう人たちがどうにも許せなくて追い出してしまったわけだけど。

とにかく、ブロツキー繋がりでフルジャノフスキーの「一部屋半」を観たいな。

❝「T-34 レジェンド・オブ・ウォー」上映に併せて「鬼戦車T-34」も上映して欲しいし、「ドヴラートフ レニングラードの作家たち」に併せて「一部屋半或いは祖国への感傷旅行」もやって欲しい。勿論「僕の無事を祈ってくれ」も観たい。❞

(と思ったら、「鬼戦車T-34」こと「ひばり」はシネマヴェーラの「ナチスと映画Ⅲ」特集のプログラムに入っており、無事再見することができた。)


「EUフィルムデーズ終わったらまた観に来る。そう言えば本来はユーロの最中なんだよね。」
初日に鑑賞して帰る道すがらそう思った。決意していた。

初日のイベント付きの回はかなり密で盛況だった「ドヴラートフ」だが、その後あっという間に回数が少なくなって夜の回がなくなっていて、平日観に行くことができなくなっていた。
そして、気が付くと…
7/30までしかやらないの???しかも朝しかやらないのか。
酷い~!
しかもしかも7月25日(土)、26日(日)は休映!!!やる気あんのか!
と文句たらたらの私であったが、有休とって27日(月)に2回目を観るべく昼間に出かけてみると、観客は3人きりだった。館内寒々としていた。震えながら凍てつきながら観ていた。

























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