2017年5月3日水曜日

5月2日オデッサ、チェルノモーレツ

3年前の惨劇を、どうして忘れようか。

 
 
日本ではもはや全く報じられることもないようですが、あの日夜11時から、チェルノモーレツ対メタリストの試合を観ようと思って、ネット上をふらふらしていたらオデッサの見覚えのある通りが映っていて、試合前のニュース映像なのだと思って観ていたのですが…(当時、ウクライナは、特に東部・南部は、分離・連邦化を進める勢力とウクライナ統一派が激しく対立するようになっていて、遂にドネツク・ルガンスクに続いてハリコフやオデッサでも「独立」を宣言する勢力が現れ、騒然としていました)オデッサの市役所庁舎、交響楽団会館、西洋東洋美術館といった街の中心部で人々がどうも暴動を起こしている様子です。

そして、気が付きました。私が観ているのはニュース映像ではなくて、暴動を起こしている人たちによるライブ配信なのだと。
最初の頃は青*黒ストライプのチェルノモーレツのユニを着た若者が数人中心にいて、苦々しい思いになりました。
チェルノモーレツのファンと言えば普通に優しい若者という思い出があって、彼らについての記憶ゆえに私はチェルノモーレツのファンになったのに。
ああした場にチェルノモーレツファンがいて実際に犯罪行為を行っているのを目にしているのだと思うと、腹だたしく、ファンである自分が揺らぐ思いがしました。
割と若い人が多く、カップルで来ている人もいるようです。
女性たちは楽しげに、ピクニックにでもきているかのような表情で火炎瓶を作っていたのです。
暴動はデモとは違って、不満や抗議を他者に伝えようとするプラカードとか横断幕とかのぼりとかはなかったし、スピーチもシュプレヒコールもなく、無言でただ破壊することが目的化しているかのような群れでした。
だから彼らの行動を観ていても意図・目的がわかりかね、事態の収拾もどうしたらつくのやら皆目わかりませんでした。
彼らが消防車を乗りまわしていたのは、あのとき既に労働会館を放火していて、消防車がそこへ向かうのを阻止して消火活動を妨害していたのだ、というのは後からわかりました。
すぐ近くに消防車がありながら、建物は燃え続け、多数の人が焼き殺されたのでした。
 
オデッサの虐殺、オデッサのジェノサイド、オデッサ-ハティニなどのロシア語が溢れたのですが、日本では私が観たのとは全然違う報道がなされました。
労働組合会館に籠った分離派の人達が自ら火をつけたとか。
火炎瓶を投げ込んでいたのはマイダン派の若者たちであるを私は実際に観ましたが、そういう風には報道されない、ということにいささか驚きました。
 
後から知ったのですが、そもそもこの暴動は、チェルノモーレツとメタリストの両クラブのサポーターがともにウクライナとウクライナリーグの統一維持を願って、鉄道駅からスタジアムまでをデモ行進したのがきっかけだったらしいのです。
(が、私はこのデモ自体は観ていません。後日メタリストの公式サイトが述べたところによれば、彼らは余計なことはせずに、まっすぐスタジアムに向かったので、暴動とは関係ない、とのこと。)
私が意識せずに暴動のライブ配信を見始めた頃には、チェルノモーレツカラーの青と黒のシャツを身につけている人が数人いたのは確かですが、試合が始まった頃にはもういませんでしたし、メタリストファンらしき人はいませんでした。
なので、サポーターが暴動を始めたというような報道も事実とは違うと思います。
彼らは真っすぐスタジアムに行き、デモの暴徒化であるかのような報じられ方は間違っていると。





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