2017年5月23日火曜日

桑野塾:ほとんど誰も観られなかったマリインスキー劇場初来日100周年展

(書きかけのメモ書き)

スミルノヴァは40歳代で亡くなっており、二人にお子さんがいたのかどうかよくわからず。
その後のボリス・ロマノフ、再婚とかしていないのか、別の女性とでもお子さんがいて、とにかく遺族がわかっていないのだろうか、と思って、帰宅してから調べたが、
・ウィキペディアには家族欄には妻がスミルノヴァであることしか載っていない
・セゾン美術館のバレエ・リュス展のカタログにもロマノフ、スミルノヴァの紹介欄はなかった。


スミルノワら 殆ど反響呼ばず(『舞踊と身体』『日本のバレエ』引用)は本当か

1922年アンナパヴロワ大反響
日本舞踊とも交流 ロンドンで関東大震災追悼の舞踊

ロシア側で研究
ペテルブルグマリインスキー劇場で6.15当日に展覧会 ゲルギエフ挨拶
駒木さんのツイッターで知る
その後ウラジオストクで巡回

妖精人形 ウィーン初演 流行った おもちゃのチャチャチャ エルミタージュ劇場ロシア初演 バクスト美術
パヴロワ ロマノフ スミルノワ チュッケティ写真
スミルノワ セゾンリュス ポロヴェッツ人の躍りに参加
ロマノフ ダンサーより振り付け師 来日前バレエリュス サロメの悲劇 夜鶯 小山内薫大田黒見ている
都新聞広告 展覧会バナー 現代芸術の精粋
午後1時 (休)な話で夜空いていなかった 帝劇男優劇
本郷座 ペトログラード名優 松井須磨子合同公演ウラジオストク
同年5月バリモント来日
瀕死の白鳥 ロマノフ振り付け
夢幻境の女王 せむしの子馬のなかの
ドリゴ 火花のワルツ?
インドの舞女 ラバヤデール
三國同盟 出演者二人?英語だと3人日露英
本野一郎 大使館に招待 政治家主導 日露戦争後の蜜月期 満州利権利害一致 手を繋ぐ 日露協約 4回 交渉しているのが本野 1916年スミルノワ提出の申請書3月 公務として 急に決まった 協約7月
国策 ファンレター東京初 帝国ホテル宿泊の外国人?
日本の皇族軍人 前年大正天皇即位式にゲオルギー大公来日の返礼で訪露 マリインスキーで主賓バレエ公演 せむしの子馬プログラム
ラスト戴冠式 ヤマトカサカ作曲ホクシュー ほくしゅう遊郭吉原のこと日本舞踊で有名 藤間トウゾウ?北州 アサフィエフ編曲

日本の民謡楽譜

ロマノフ振り付け スミルノワソロ
エレーナモチャロワ スヴェトラーナミハイロヴァ
隅田川を踊るスミルノワ 1917年絵葉書 兵庫県芸術文化センター 三越で買った?呉服
1916年の日本人はどう観たか
政治的意図を匂わせる新聞記事はない
帝国劇場初代の写真 民間 渋沢栄一ら 演目の殆どは歌舞伎

帝国劇場で上演の歌劇胡蝶の夢 ヴェルクマイスター作曲 柴田環後の三浦 1911年

1915年 夢幻的バレー 三越呉服店玩具部 人形の妖精と同じ ジョヴァンニヴィットリオローシー振り付け たかぎとくこ日本で初めてトゥーシューズでつま先立ち 特別出演

女性が舞台に立つ、女性のタイツ姿 もの笑いの種

名倉ぶんいち 坪内逍遙の教え子 瀕死の白鳥 ロードスワニング?バリモント? リアル過ぎてダメ

大田黒 音楽との融合

石井山田対談 技術的には凄いが、拒否反応

演芸画報に載ったスミルノワ女史の白鳥湖写真 舞台装置 帝劇のかきわり

杉浦ひすいのゾベイダ 演芸画報表紙 バクストとアメリカのぱくりを折衷 1913年一月号

小山内 サロメの悲劇に感銘

藤村 ダフニスとクロエに感銘

1914年夜鶯 ロマノフ振り付け フォーキン振付主体のリュス ベヌア美術 ジャポニズム 映像も舞台写真も残らず

与謝野晶子 動的現実的きびきびした生活律 女性の生き方

有島 ダンスやオペラはあまり観ていない 英語で日記 他人に読まれないように 絵まで描いている 滅多にない ディアナとパン 最終日演目差し替え シルヴィア?

大田黒 ロシアバレエ執筆

金鶏 ゴンチャロワ衣装

翌年プロコフィエフ来日

1923年ベルリンアポロ座ロシアロマンティック劇場 斉藤佳三遺品 公演パンフレット

パーヴェルチェリチシェフ

プロコフィエフにオリジナルバレエ依頼作曲空中ブランコ 19251106ゴータ初演

室内楽 シューベルト曲編曲 2002年発見

 

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