『ロシアとソ連 歴史に消された者たち 古儀式派が変えた超大国の歴史』
冬に東洋文庫で行われた講座の一つに、下斗米先生の古儀式派研究についてのものがあった。
ロシア革命には古儀式派関連の人たちが重要な役割を果たしていたという。
すっかり鵜呑みにはし難いのだが、革命と宗教について、今まで最も釈然としない思いだったのは、「教会の破壊を、無神論者の人たちがあんなにも熱心にするものだろうか?」という点だった。が、正教徒(その正統を自認する人々)に対して、ちょっと違う宗教的マイノリティーがそれまでの弾圧政策の意趣返しをする。その一環としての教会や鐘やイコンなどの破壊行為に至った。
というのなら、要するに、同じ正教徒でも、セクトの違う者が相手を徹底的に否定するという行為だったのだと考えれば、何となく納得できるような気がする。
ロシアにおける古儀式派の位置づけを、プロテスタント(カトリックに抵抗する人々、資本主義を担った)に相当するという指摘もおもしろかった。
P188
「ロシア最初の映画製作やサッカーも、古儀式派の商人たちにより慈善事業として展開した。」
具体的には?
『ロシア・サッカー物語』を読みなおしてみたが、
・19世紀末にブリテン島からロシアに来た人たち(技師・商人)がロシアにサッカーを伝えた。
・1894年ペテルブルグでロシア初のサッカークラブ«ヴィクトリヤ»結成される(イングランド人とドイツ人中心)
・1897年ペテルブルグにロシア人チームが結成される
などと書かれているが、草創期のロシア資本家(多くは古儀式派信徒だったというのが、この本での下斗米先生の主張である)が行った慈善事業の一環であったという風には書かれていなかった、
古儀式派のサッカーですが,モロゾフという一家が工場でサッカーチームを作っていたようなのです。ロシア語でググると記事がたくさん出てきます。たとえばhttp://xkkc.livejournal.com/25256.html
返信削除kamchatkaさん、こんにちは。
削除ご教示ありがとうございます。
このモロゾフさんたちは、この本にも頻繁に登場する美術コレクターのイヴァン・アブラモヴィチさんの家系なのでしょうね。
ファケル・ヴォロネジのファンクラブのサイトにも記事がありました。
http://www.fanclub-fakel.ru/news/text/1448
команд с птичьими названиями: Павлин, Ворон, Ласточка, Перепел, Кобчик и т.д.
最初のジュニアリーグのクラブが鳥の名前って可愛いなあ。
(Кобчикは去年観たサッカー映画のサッカー選手の呼び名でも出てきた。)
モロゾフ一族の家系図はウィキペディアにも載っていますが,サッヴァ・ヴァシーリエヴィチ(1770-1862)の息子4人の系統があるみたいです。サッヴァ・ヴァシーリエヴィチはファケル・ヴォロネジの記事でヴァッサ・ヴァシーリエヴィチとなっていますが,ミスタイプでしょう。サッカーを支援していたヴィクロヴィチ兄弟というのはサッヴァの長男の家系で,美術コレクターのイヴァン・アブラモヴィチは3男の家系,やはりサッカーを支援していたサッヴァ・チモフェーヴィチは4男の家系になるようです。http://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%9C%D0%BE%D1%80%D0%BE%D0%B7%D0%BE%D0%B2%D1%8B_(%D0%B4%D0%B8%D0%BD%D0%B0%D1%81%D1%82%D0%B8%D1%8F)
返信削除kamchatkaさん、詳しいお話をありがとうございます!
削除やはりモロゾフ一家は文化にスポーツにと当時のロシアを支えていたのですね。
彼らの関係がわかって、美術館もサッカーもよ親しみを感じます。
土曜にプーシキン美術館展に行って、モロゾフさんらの集めた絵画を観てきました。