2017年8月30日水曜日

チリの闘いからノスタルジーまでの狭間で

 去年「チリの闘い」を観て振り返るのによい頃だったのみならず、起こったことをなかったことにする、忘却させようとする何やらが蠢くのを感じる今日この頃誠にタイムリーな企画になってしまったこと。「ピノチェト・ケース」「チリ、頑固な記憶」「サルバドール・アジェンデ」のDVDも是非作って!

圧倒的な情熱を込めた「チリの闘い」から癒しと慰めにフォーカスされていくような「光のノスタルジー」「真珠のボタン」に至る途上にあるこれらの作品、再見して改めて感動する。DVD化望みます。

「チリ、頑固な記憶」ようやくピノチェトが失脚して、作家オルテガが送った楽譜で若い楽隊がベンセレモスを演奏して街を歩く。涙ぐむ人、Vサインする人、物珍しそうに見守る若い人。23年ぶりだったと。
「チリの闘い」上映前後の若者達の発言も興味深い。ネタばれすると、ショックで泣き出す。
ドキュメンタリー観る前は「共産主義者を駆逐するためには犠牲もやむなし」みたいなこと言う人もいるのだ。ピノチェト政権下で生まれ育った若者の中には。(「ピノチェト・ケース」ではピノチェトの友人が他の南米の国と比べると犠牲はちょっとだった」と堂々と言っているけど。)観た後の衝撃の涙は尊い。

「ピノチェト・ケース」において、ピノチェト告発に関しては、当初チリ本国で人身保護命令申立をすれどもすれども却下され続け、英国滞在中のスペインでの告訴で事態が動き、英国でも引渡に関して司法界で綱引きが行われ…と、人権の国際化の流れと法曹の国を越えた連帯が感動もの。
このドキュメンタリーには、当然ながら、アルゼンチンの独裁政権に対する言及もちらっと出てきます。
ただ、少なくとも日本では(世界的には不明)ピノチェトに比べてビデラの悪の知名度はかなり低いですね。告発側の文化人に、チリには大物が多いようなのが、その差になっているのでしょうか…。
この私のツイートに関して、ピノチェトがほぼ単独の独裁だったのに対して、アルゼンチン等は陸軍による集団的なものだったからではないかとの興味深い示唆をいただいています。
そう言えば、私がアムネスティに入った頃(1990年代)は、中南米独裁政権への抗議と彼の地の良心の囚人支援が盛んに行われていたのだけれど、責任者を明らかにして処罰してくださいという手紙を何度も書いていた…。
あと、スペインのフランコ独裁とポルトガルのサラザール独裁の違いについては、市之瀬先生が書かれていたなあ。

8月27日日曜日夕刻、渋谷ハチ公前でヘザー・ヘイヤーさん追悼集会に参加しました。
「チリ、頑固な記憶」でのピノチェト政権下友人を殺された人が言う「過ちは多くのことを忘れようとしたこと。彼の死をもっと泣けばよかった。」という言葉が思い出されてならないのです。

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