満員御礼、追加公演決定!
ロシア人向け?ロシア語の分別ごみ案内
シアターΧでネリ・マトハーノワ作「シベリアに桜咲くとき シベリアにおける日本人抑留者の生活劇」を観る。
シベリア抑留ものの演劇を観るのはたぶん3本目。
とてもわかりやすくできていて、まあおもしろいといえた。
ロシア人作家によるものだから、収容所のロシア人は大体いい人だし、メロドラマ率高くて、現実そんなに簡単なわけないだろ、と、特に経験者からすれば「そんなもんじゃない!!」と感じるであろうところが各所にあり、牡丹灯籠場面はとてもシュールだったが、日露合作でこういうものができてよかった、と心から思う。
トカレフ軍曹は、エセーニンの詩なんか口にするインテリ且つハンサム青年。
いい人なので、“やな奴”から「しかるべきところに報告するぞ」と脅され、とんでもない悲劇が?!
と気を揉んだが、大丈夫!
なぜかロシア人より日本人俳優の顔立ちの方が見分けがつきにくかった。
タイプが似ている人ばかり。
お露/ミチコ役の人が気の毒なくらい浮いていた。
綺麗な女優さんだったが。
しかし、ああいうのがロシア側の日本(女性)のイメージなのだろう。
まさに“待たれていたロシア側からの視点”なのだろう。
実際の収容所の中の生活は、日本軍の上下関係がそのまま持ち込まれ、ソ連の官僚体質もまたそのまま蔓延る、筆舌に尽くしがたい悲惨なものであっただろう。
(井上ひさしの遺作『一週間』を読むまでもなく、いろいろな証言からそれは指摘されているものだ。)
が、この劇では日本の上官は全く問題ないまともな人格者だし、ロシア人も基本的にすごくいい人ばかりだ。
トカレフ軍曹にしろ、一晩中介抱してくれた見知らぬ女性にしろ、実話でありモデルはいるというのだから、もちろん事実ではあるのだけれど、「いい話ですね」の積み重ねでこの劇は成っている。
それに、「戦争はとにかく人を傷つける、もう戦争は嫌」という、ソ連/ロシアの人たちの、それは実に本音が貫かれている。
特にそれは収容所長の妻、や看病してくれた見知らぬ女性、郵便配達の女性といった女性たちの言動に表れる。
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