2011年8月3日水曜日

「誓いの休暇」の青い空

オデッサ・コスモスに「100年のロシアPartⅡ」上映作品について書いた。

そのうちの一つがグリゴリー・チュフライ監督の「誓いの休暇」。
私の“生涯ベスト5”作品の一つ。

最初に観たのは、今はなき池袋のACT-Seigei Theater。
ノルウェー映画「イワン・デニーソヴィチの一日」との二本立て。
感動した。
帰りに受付の人に「アリョーシャのポスターを持って帰りたい」とねだった。
(勿論断られた。)

2回目に観たのは草月会館でタルコフスキー特集(といっても他のソ連映画の巨匠たちの作品と抱き合わせ特集)だったのではないか。
すごく好きで思い入れが強くてストーリーも大体分かっていてここで感動するぞというところもわかっているつもりだった。
しかし、上映が始まって
「???これ、カラー映画じゃなかったけ???」
私の脳内には、最初と最後のシーンは、真っ青な空と黄金色の小麦畑。
クライマックスではその中で母とアリョーシャがひしと抱き合う感動シーン…というのが出来上がっていたのだったが。

いや、勿論「誓いの休暇」はモノクロ映画なのだ。
私は、モノクロ映画に色彩を施したバージョンを勝手に記憶していたのだった。
まったく、いくら感動したからって自分で色を作るな!と苦笑した。

ということから数年、3回目に観たのはVHSテープを入手してのこと。
観てびっくり。
「あれ、これってカラー映画じゃなかったっけ?!」
何とまあ、私は再びアリョーシャと母親が最後に会って別れるシーンを“青空のもと、黄金の小麦畑の中で”と記憶してしまっていたのだった。
「ああ、そうだ。2回目に観た時、違った違ったって思ったじゃないか」
でもそのことを忘れて、間違った思い込み(というか自分の創作)の方を記憶していた。
再び苦笑。

なぜ間違って記憶するのだろう?
という最も鮮烈な体験、というか“記憶”がこれである。
思い入れが強いというのは思い込みも激しくなりがち、ということを悟る。

「ベルリン陥落」がソ連最初のカラー映画云々(註:これは誤った情報です)ということを書いていながら、どんなふうに人は事実から離れてしまうのかということにも関心が向いて、ということでもなくって、偶々新刊コーナーで目に留まったから手に取ってみた。

『子どもの頃の思い出は本物か 記憶に裏切られるとき』

アメリカではひとときUFOに誘拐されてエイリアンに虐待されたという記憶を持った人々が相当数表面化し(エイリアンはなぜかアメリカ人を好んで誘拐するらしい)、その後90年代には幼少の頃身近な人から性的虐待を受けた、それをずっと後になってから思い出したとして身内の人を告発する人々が出てくる。
特に後者の場合、心理療法家などの誘導によってそんな忌まわしい過去を“思い出した!”という場合が大変多いのだが、このセラピーが大いにいかがわしいのだ…。
いずれにしろ、記憶は過去をそのまま再現しているものではない。
本人に確信があっても、真実とは限らない。
(むしろそういう場合の方が事実かどうか怪しいのだが、陪審員などは漠然とした自信なさげな証言より、詳細で断定的な証言を信じがちなのだという記述があり、心に留めておくべきだと思った次第。)

メモ:誘導的な面接から偽りの記憶を作り出すとは(185頁:この部分はM. Bruck et al., Developmental Review 22 (2002), 520-54.からの引用(つまり孫引き)である)
…自分の先入観に一致する話だけを採用し、一致しない話を無視するのは、バイアスのかかった面接者にみられる顕著な特徴だ。自分の念頭にある考えとは別の可能性について質問することはしない。自分が持っている仮設に一致しない事実を引き出すような質問はおそらくしないだろう。さらに、子どもが自分の先入観と一致した答えをした場合には、その真偽を確かめることもしないだろう。もし、子どもが自分の先入観と一致しない話や突飛な供述をした場合には、その話を無視するか、面接者の先入観に合致するように歪めて解釈する。また、面接者の先入観に一致する答えが出るまで質問をくり返し、証言をまとめようとするだろう。

『無実を探せ!イノセンス・プロジェクト―DNA鑑定で冤罪を晴らした人々』を読んだときに、ものすごく驚きあきれてしまったことなのだが、人の記憶はそれだけでは(他の証拠なしには)かなり“怪しい”ものなのだ。
目撃証言も、故意ではないにしても、その人の思い込み・先入観にかなり左右されたものになっている。

ここでは“記憶”に焦点をあてたが、事実を曲げたり他人を誹謗中傷する類の思い込みを避けるべく、冷静に冷静に、と常に心がけるべし、と改めて誓うのでありました。
人間、予断・偏見から100%自由であるのは不可能であるにしても、それに陥らないように可能な限り努力すべきだ。

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