友人が亡くなって1年、今日は教会で記念会があった。
彼の短い生涯のその後半はまさに病との闘いだったが、決して愚痴を言わず、恨みごとも言わず、淡々と生きていたのが、今でも強い印象を残している。
教会の人たちって意外と人間関係が難しくてあちこちで陰口…みたいなものも飛び交うもので、そしてなぜだか彼の前では人は皆一種無防備になって本音を言ってしまうことがあるらしく、何か不思議な癒しの力が彼にはあるのだろうか、実は彼は教会の人たちの噂話の集積所になっていた感がある。(他人の目を気にしない性質の私は噂にもおそろしく無頓着で疎かったが。)
昨年イースターの前日、彼を天に送る礼拝で、随分涙を流した。
翌日のイースター礼拝でも泣いていた。
今日のこの日もまだまだ辛い。
あの前にもあの後にも、身を切られるような辛い思いを味わって、去年は全くヨブ記のような体験をすることになったのだった。
彼の辛い、でも敢えて言うが豊かで実り多かった生涯をともに語り合える友人たちと、今日ひととき話しあえたのはよかった。
繰り返しになるが、まだまだその先にも悲しいことがあったから。
酒井啓子先生が新聞に書いていたことだと思うが、残された者たちはどうにかしてその人の人生が意味あるものだったと納得したく、それによって悲しみから、喪失感から立ち直りのきっかけを得るのだ。
やや安易な方法ではあるが、その後渋谷に行ってカウリスマキを観た。
大好きな「トータルバラライカショー」を観た。
何度観てもやはり好きだ。
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