2016年3月13日日曜日

ショアとソビブル

 
アンスティチュ・フランセに「ショア」観に来た。
窓から見える梅の花、いいね。


「サウルの息子」観たらやはりこれを観ない訳には。
まず、昨日の夜、「ソビブル、1943年10月14日午後4時」を観て、今日は「ショア」第1部から第4部まで連続、そして完走。

そして『メダリオン』も読み直す。ごく早い時期に世に出たホロコーストを「記憶する」文学だ。被害者加害者、そして傍らにいた人。

実のところ、前の晩よせばいいのにクルィリヤ=ソヴェートフ対クバンの試合を夜更かしして観てしまった(しかも下位にあっさり負けるクルィリヤにがっくりきた)ので、途中集中力欠いてうとうとという場面もあり、インタビューに答えているのが「誰?}と置いてけぼりになることも何度かあった。
いけない、一度ざっと観るだけではわかったとはとてもいえない。
一部はヘウムノ絶滅収容所の生き残り二人をはじめとするユダヤ人生存者たち、ユダヤ人移送の列車の副運転手だった人や近所の村人などのポーランド人らの証言が中心。
最初にヘウムノ生き残りのシモンさんの歌声が披露される。
第2部では、収容所を30数年ぶりに再訪したシモンさんを、彼を覚えているポーランド人の村人が教会の前で囲み、特に女性たちは結構かしましくお喋りをするが、シモンさんが微笑を浮かべながらほぼ沈黙を守っているのが印象的だった(この長時間の映画の中で一番心に残ったシーンだ)。
やがて、「ソビブル~」でも語られたユダヤ人らの抵抗(武装蜂起計画)に話が及び、また隠し撮りではあるが収容所で働いていたドイツ人たちの証言もある。ユダヤ人の「最終解決」の段取りを何とも事務的に、冷静に語る人たちであることよ。(インタビューしているラングマン監督も人道的な態度で責めるようなアプローチはしていないし、「そんな酷いことしてないからね!」と反撃・反論ということはあんまりない。

亡命ポーランド政府要人のヤン・カルスキがユダヤ人指導者たちから助けを求められたことを語る場面は、観ていていろいろ複雑な思いが交差した。
まず、ユダヤ人が「収容所の様子が外に知られていないからいけないのだ、何とかして知らせなければ」と思うのは確かにそうなんだろうけど、そこからユダヤ人は特別、この事態は特別といった論理になってしまうのが、彼らが当時の社会状況を全て見通せているわけでもないのに、狭量にすぎないかと、素直に納得できないところだった。
まして、アジアの西で彼ら現在何をしているのか?ととても悲しくなる。

それと、ユダヤ人問題の「最終解決」に関しては、収容所においての看守役(「ソビブル~」での証言によれば実際彼らが攻撃した相手も)、移送の際の監視役など、かなりの場面でドイツ人の手下になっていたのはウクライナ兵だったようで(「ショア」の後半でも、ウクライナ人やラトヴィア人への言及があったし、数年前に観たホランドの「ソハの地下水道」でもウクライナ人が抑圧の下っ端を担っていたのが思い出される)、できれば彼らウクライナ人の証言も聴きたかった。ナチス・ドイツの協力者としての立場を、どう説明するのだろう?自分たちも被害者だとか、協力せざるをえなかったとか。
(ポーランド人が同じ町に住んでいたユダヤ人たちが移送され、彼らが住んでいたところに現在自分たちが住まっているのを、監督に取材されて答えている場面は何か所か出てくる。)

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