2018年1月28日日曜日

ぼくの戦争と紙芝居人生 (あしたへ伝えたいこと)

「私は戦争が嫌いだった。したくなかった。ベトナム人はみんなそうだった。でもアメリカが侵略してきたから戦った。自由と独立を守るために。戦争はたくさんの人が死ぬ。誰でも殺される。家族を殺されるのが一番辛かった。(略)戦争は人が死ぬだけだ。戦争に勝つ人はいない。過去のことは忘れて、アメリカとも、どの国とも仲良くしたい。もう二度と戦争はしたくない。」
これは宮野英也著『ぼくの戦争と紙芝居人生』に出てくるベトナム人(元解放軍部隊長)の言葉。
私は簡潔にして本質的な厭戦の気持ちが出ていて、感動的だと思ったのだけれども著者の宮野さんは「体験者の生の声を聞きたいのでいろいろ質問をした。しかし前述のような抽象的な答しか返ってこなかった」「具体的な戦争体験は語らない」「そんなこと(『ツバメ飛ぶ』に出てくる報復の実行)もあったのかもしれないといういうだけで語りたくない様子だった」といささかベトナム人の回答に物足りなさを抱いているようだった。宮野さんご自身は戦争体験者なので、ご自分の体験との比較、と言ってはなんだか、具体的な細部も気になったのかもしれない。
日本の戦争体験者は戦争の悲惨さ・被害の大きさを語るがベトナム人は具体的なことを語ろうとしない。なぜベトナム人は具体的な戦争被害を語らないのか。
そう言えば、エイゼンシュテイン・シネクラブでベトナム映画の佳作(レアもの)上映した時にも、直接戦闘場面描くような作品は少ないねって話になった。
宮野さんは、同じ民族が敵味方になって戦った残酷さゆえに「語らないのではなく語りたくない」 )「まさに筆舌に尽くせない非人間的な悲惨さ、苛酷さを目撃し、体験しているからではないだろうか」と書かれているが、その通りだと思う。
イラン映画でも戦争の描き方は、私の知る限りどちらかというと幻想的に描かれることが多い。戦争体験の再現をレアリスム手法で描くにはまだ時間を要するのだろうな、と思っていた。ベトナム人にとっても戦争体験も、声に出して語りたいものではない。語るにはまだまだ時間がかかる。癒し難い傷の大きさがそこにあるのだろう。

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