2019年11月2日土曜日

夜明けは静かに 「少女は夜明けに夢をみる」

 

イラン映画「少女は夜明けに夢をみる」

初日初回に来た甲斐があった。
うらああ!初日プレゼント💝 のクリアファイル





上映後の監督さんトーク、次の作品についても言及。続編というか少女たちの何人か再登場。しっかり信頼されてる 少女たちのその後はやはり気になるところでこれまでのイラン映画の監督さんみたいに面倒見ちゃうとかありなのかと思いながら観てた 

プログラムは珍しく縦書き。
監督さんサイン(ペルシャ語でも!)いただけた。



なかなかに興味深いコラムやインタビューあり。
採録シナリオが載っているのも最近にしては珍しいかも。

監督が少女たちと信頼関係を築くために最初”Amoo(父方のおじ)”と自己紹介したが効果なく”Daei(母方のおじ)”を呼称したらうまくいったとある。
最初の呼び方”Amoo(父方のおじ)”で少女たちとの信頼が生まれなかったのはまさに「おじさん」から虐待を受けているケースが多かったから。
少女たちの殆どがトラウマになるような性体験を持ち男性によって傷つけられている。多くは身近な男性によって、だ。(イランもなんだ。)

イランが死刑存置国だという事実も観ていて心を重たくさせる。父を殺した少女がいる。虐待する父を、母や姉とともに殺した。応報的な刑法では人を殺せば死刑。イランはそういう法制度だった。未成年でも正当防衛的な殺人であっても。それが最近法改正があったというし(子どもの権利の観点から)、賠償金を支払うことで遺族が許せば死刑回避できる仕組みもある…お金の問題で解決できるのかと言うとなかなか難しい気もしてしまうが…自分の身を守るための殺人ではNPOが募金活動をすることによって場合によっては執行当日にようやくお金が達して執行中止というケースもあったと監督がインタビューで述べている(プログラムに書いてある)。
こういった活動をするNPOの対象は主に女性の加害者、スタッフも女性が中心。
女性たちが連帯して罪を犯してしまった女性を支援しようというものができていっている。それは一方で社会があまりにも女性に対して苛酷だからなのだけど。
更生施設の中の雰囲気も、それぞれを責めることなく、共感して泣き出す場面(アヴァ→651)あり、抱き合って別れを惜しむシーンあり、で共生の力を感じた。
入ったばかりで食欲が沸かず浮かない顔のハーテレに「ちょっとだけでも」とピザを勧める仲間もいたし。
施設を出た後、そういう助け合いはどこまでできるのだろう?

イランの社会については直接は知らない(旅行ですら行ったことがない)。
が、「セールスマン」などの最近のイラン映画(アスガー・ファルハディ作品に集中してしまうが)を観る限り、法制度などは女性差別が歴然として存在し続けているが、社会における女性への圧力というのだろうか、日本だと一方的に女性の落ち度を非難する傾向があるのに対し、イランの場合それはちょっと違う気がしている。「なぜ~~しなかった!」という怒号よりは肩を抱いて「大変だったね」と言ってる、そんな場面をよくみる。

0 件のコメント:

コメントを投稿