積読、というより、棚の奥にひっそり横たわっていたままだった。
もっと早くに読むべきだったのに。
相磯まつ江先生の来し方を書籍化したものを、ずっと前に上司からいただいていて、今になって読み始める。
相磯先生、「日本初の労働弁護士」だったのか。
学校を卒業して結婚・離婚を経て、夜学に通って司法試験合格、労働弁護士としての駆け出しの日々において、当然と言えば当然だが『虎に翼』以上に凄まじい男尊女卑の壁にぶち当たりながらも突破して道を切り開いてきた人生。
(初の女性裁判官の『虎に翼』の場合、やはり最初からエリートで、まあそのエリートながらも男女差別に苦労したというものだったが、相磯先生は農家の生まれだ。)
法曹界、とりわけ民主法曹というべき「労働弁護士」の世界で、労働組合で、悲しいことにさもありなん・・・という女性蔑視発言や待遇(旬報法律事務所よ、相磯先生に職印すら作ってあげなかったのかい!)をくぐり抜け、飛び越えてきた、偉大な女性弁護士の軌跡を、読みながらわくわくしている(女性差別の描写には怒りが煮えくり返るが)。
相磯先生、「日本初の労働弁護士」だったのか。
学校を卒業して結婚・離婚を経て、夜学に通って司法試験合格、労働弁護士としての駆け出しの日々において、当然と言えば当然だが『虎に翼』以上に凄まじい男尊女卑の壁にぶち当たりながらも突破して道を切り開いてきた人生。
(初の女性裁判官の『虎に翼』の場合、やはり最初からエリートで、まあそのエリートながらも男女差別に苦労したというものだったが、相磯先生は農家の生まれだ。)
法曹界、とりわけ民主法曹というべき「労働弁護士」の世界で、労働組合で、悲しいことにさもありなん・・・という女性蔑視発言や待遇(旬報法律事務所よ、相磯先生に職印すら作ってあげなかったのかい!)をくぐり抜け、飛び越えてきた、偉大な女性弁護士の軌跡を、読みながらわくわくしている(女性差別の描写には怒りが煮えくり返るが)。
しかし、夫の芹澤先生にしても、”通称でも芹澤姓を名乗って欲しいと求めた”のか。当時の時代状況からすると当たり前なのかもしれないけれど、残念な感じはある(結局、相磯先生の説得で納得されたとはいえ)
それと、当時の社会党はだいぶまともだったんだなあというのも、かなり時代を感じさせる。今は昔なりけり。