2020年10月21日水曜日

録画メモ フジコ・ヘミング

 「フジコ・ヘミングの時間」

「フジコ・ヘミング 教会ソロ演奏 2020 ~くすしき調べ、とこしえなる響き~」

「ニコライ・カプースチン」

「チャイコフスキーピアノ協奏曲」

冒頭のパイプオルガンの響きが懐かしいなあと思ったら何のことはない、母教会阿佐ヶ谷教会での収録でナビゲーターの陣内大蔵牧師が奏でていたのだった。いつも聞いている教会のオルガニストと弾き手は違ってもパイプオルガンの音は聞き覚えがあったという訳。

フジコ・ヘミングの演奏は勿論、実は陣内牧師の演奏が家人(ノンクリスチャン)にはうけがよかった。

録画していない「フジコ・ヘミング ソロコンサート ~いと小さきいのちのために~」もWOWOWで26日まで配信しているから視聴しておかねば。


追記:

その後になるが、別のディスクに

「フジコ・ヘミング 教会ソロ演奏 2020 ~くすしき調べ、とこしえなる響き~」

「フジコ・ヘミングソロコンサート ~いと小さきいのちのために~」

「クラシック倶楽部MAGNUMTRIO」

を録画。 「フジコ・ヘミングの時間」を一緒にできず。

「フジコ・ヘミングの時間」は2021年2月28日までWOWOWでオンデマンド配信中




天才チャペックの鋭い予言 『白い病』

 やっと読み終えた。

今読むと辛い戯曲である。

主人公医師ガレーンはアレクセイ・トルストイ(とヴィクトル・ツォイ)の『技師ガーリンの双曲線』を連想してしまうが、ガレーンさんはあくまで平和主義者のいい人だった。

未知の疫病が蔓延る中、権力者は世界征服のチャンスと戦争と武器販売に乗り出そうとするが、治療薬・治療法を開発した医師ガレーンは貧しい人しか治療をせず、権力者相手に戦争放棄を条件にして治療法を明かそうとしない。
そうこうしているうちに疫病は社会の上層にも広がる。

現代を見通しているかのようなチャペックの天才的な戯曲。
平和を願う女性達に対して取りつかれたように戦争に固執する金の亡者たち・・・『みどりのゆび』にも似ているがラストに救いはない。ハンセン病への社会の差別偏見も随所に描きこまれる。

2020年10月12日月曜日

ムヒカさんは世界一可愛い大統領(元)にして愛と闘争の男

 2本目のムヒカさん映画

「ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領から日本人へ」後半の東京外語大での講演で男子学生が「愛のために争うこともある、好きな女性を巡って他の多くの男性と争って彼女を得たいと思うのでは?」みたいな質問をしててああツイッターによくあるような女性を獲得対象にしている人かと感じてたら率直に言って前大統領を前にそういう質問の仕方をしちゃうのもう少し何とかならんのかなと思ったのだがムヒカさんはさすがにあからさまにばかにはしなかったけれど「それは多分に男尊女卑の考えですね」とびしっと述べていたのは当然とはいえやはりマラジェッツ!

ムヒカさんの言葉を正確に再現はできないが「彼女の方があなたを選ぶかどうかの問題、無意識かもしれないけど彼女は自分のためというより人類にとってよりよい選択をする」とまとめていた。君、彼女に選ばれるように自分を高め給えよと祈ってさしあげたよ。

教会には以前から「解放の神学」に憧れていたりラテンアメリカの思想に詳しい人が少なくないが私はさっぱりなのでムヒカさんの思想と行動様式に関して2本の映画を観ただけで理解はとてもできなかったが(自主管理型社会主義を目指す?)パートナーのルシア・トポランスキーさんとは信念を共にする同志なのであるから。

そう言えばルシアさんについてはクストリッツァの「愛と闘争の男」の方がきちんと焦点をあてて撮っていたな。クストリッツァ、以前は「女性の事は理解できない」と告白してて彼の作品での女性の描き方観る限りその自己認識は正しいしさすがだし(女性のことを人間として上手く描けていないのは彼に限らずスラヴ圏男性には珍しくないが、自覚しているだけクストリッツァは偉い)成長もしているものだなと思った。やはり「日本人へ」と「愛と闘争の男」はセットで観るべし。

シネスイッチはコロナ自粛明けに「ぶあいそうな手紙」を観にきて以来だった。あれの主人公もウルグアイ人でどうやらウルグアイ独裁政権から逃れた亡命者らしかった。ウルグアイ、スアレスとか血気盛んなサッカー選手しか知らなかったが、今はムヒカさんが有名らしい。

あ、そうそう「ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領から日本人へ」でいかにも日本人向けに彼と日本との繋がりを述べていて日本からの移住者によって花の栽培を教わったりしたムヒカさんは当初はよくある「日本は勤勉で技術が凄くて規律が守られていて」等々のイメージ持っていたのだが来日して実際の日本で見るべきものはちゃんと見ている。
銀座の通りを飾る広告が西洋人ばかりで行き過ぎた西洋化した社会だということ、そんな社会で豊かなのか幸せなのか、と日本の現況を喝破していく。洞察力と言語化する力がすごい。「日本にはいくつかの顔がある」高校中退の農業従事のおじさんだが学ぶ力が際限なく恐らく投獄中に身につけた教養が豊か。やはり尊敬に値する。




名誉回復と補償金支払い、ロシアでさえしているのだ

 ロシア語の原題は"Былое в памяти моей"(私の記憶の中の過去)。

日本語の改題はドラマチックになりすぎている感じがしないでもない。ナギさんの人生はドラマチックではあるけれど、訳者解題にあるとおり「ナギさんは数奇な人生を送ったとも言えるし、平均的なソ連人だったとも言える。」革命記念日に生まれたこととそんなに関係はなかったな。



まず、幼年時代の日本滞在記は、子どもの目で見聞きした日本の文化についての説明が興味深かった。
また、この時代(1930年代)には外国人、とりわけソ連人であった筆者が子どもであっても日本人から酷く差別や嫌がらせを受けていたことが記されており、今さらながら申し訳ない気持ちになる。

ソ連帰国後の少年~青年期の「人民の敵」の子として、またユダヤ系としての過酷な経験の記載も日本語として読めるのは貴重。
ただ、イスラエルに対する思いは、筆者がユダヤ系である以上冷静になれないのだろうか。6日戦争(第3次中東戦争)でのイスラエル軍の行為に関して「民族の誇り」を感じ祝祭的なムードに浸っているようなのがいささか衝撃だった。
1957年のモスクワでも世界青年学生祭典のときのイスラエル代表との交流についても
「敵に囲まれた若い国家は、どうしても欠かせない真の平和を目指している。世界中にいる真の友は、イスラエルの成功と困難に心から共感しているのだ…。」(282頁)
と、とても共感できないようなことを書いてしまっている。

また、第三章「父のファイル」でスターリン体制下で粛清(銃殺)された父(ハンガリー・アヴァンギャルドの芸術家モホリ=ナジ・ラースロー~本書では「モホイ」とあるがウィキ先生によると誤読とのこと~の兄弟で、自身はロシア革命と内戦でソ連側捕虜となりその後ソ連国籍を取得しジャーナリストとなってタス通信記者として日本に赴任、帰国後外国のスパイとの容疑で逮捕された)について、スターリンの死後から雪解け期、凍てつきの時代、ペレストロイカ、ソ連解体を経てロシア共和国となって、父の記録にアクセスし、KGB,裁判所の手続きを経て名誉回復をしていく過程が記され、貴重だ。
もちろん、筆者は補償金を受け取っても政府当局の態度には満足するわけはなかった。
1956年の名誉回復証明書については、「同情、ましてや罪悪感のかけらもない。名誉回復を命ずる―さあ、名誉回復されました。満足してください。失ったものの補償金さえ払ってあげるんですから。」(といわんばかりだ。)(371頁)
1988年最高裁軍事部回答では「不当に裁かれたナギ、アレクセイ・リヴォヴィチに関してあなたとあなたのご家族を襲った悲劇の大きさに鑑み、心よりお悔やみ申し上げます」とあり、「手紙のトーンが変わるのに32年かかった」と筆者は記す。(379頁)
酷いよね、酷いよね。(けれども、ソ連~ロシアはともかくスターリン時代の粛清犠牲者に対して名誉回復をして補償金を払っているのだ。犠牲者や犠牲者の家族が納得できる形ではないにせよ…ご承知のとおり、日本は治安維持法犠牲者に対して補償をしていないし名誉回復もしないままだ。)
また、有名な人権団体「パーミャチ(記憶:よく「メモリアル」と紹介される)」の協力を得ているのかどうかは一切わからなかった。

筆者は1930年生まれでデュッセルドルフでご健在とのことだ。