2020年6月13日土曜日

作家とサッカー24 オタ・パヴェル

久しぶりのこのシリーズですが、スポーツジャーナリスト出身のオタ・パヴェルなのに、今までここに書いていなかったか。



 そのころ、ヴィクトリア・ジシコフ*1の熱烈なファンである、ジシコフ出身の印刷工、ベーダ・ペロウトゥカが、自前の古ぼけたトラックに奥さんのヴラスタを乗せて、クシヴォクラート地方へと通っていていた。
*1 プラハ3区のジシコフ地区に本拠地を構えるプラハで最も歴史の古いサッカーチームの一つ。
(20ページ『パイクで勝負』)

おやじは、誉れ高い砲兵である男たち、つまり、ロンドンのアーセナルが競技に使っていたのと同じ、イギリス製のボールをぼくらに買ってくれた。小さな空き地でぼくらは数知れぬ勝負と試合を行い、とうとうある朝、ぼくは指の関節を外すはめとなった。
(23ページ『シーマ岩の下で』)

 いかだの上でぼくらの借り物の舟も休んでいる。一部リーグを全戦こなしたサッカー選手のように、ピンク色の絆創膏をしていた。
(106ページ『のっぽのホンザ』)

「これってえことは、こりゃあ、おまえさんが釣ったんだな。全部で十一匹もあるじゃないか。十一匹といやあ、まるでレトナーのサッカー場*でサッカーをやっているみたいだぜ。詩のように、極上の燻製になるだろうよ。」
(183ページ『金のウナギ』)
*プラハ7区レトナーにあるスタジアム。スパルタ・プラハのホームスタジアム。

 しかし、ぼくが納屋から運んでいったのは、盆に載せられた、十一尾のぼくの金のウナギたちだった。青、黄、赤の三色になったACスパルタの美しいリボンで束ねられていた。フランツィ・ヤノウフ氏がぼくのためにそれをウナギに結び付けてくれたのだ。
(185ページ『金のウナギ』)

「こりゃあ、食えん。フランツィのとんちきめ。加減せずに味付けして、また自分のあの栄誉あるスパルタのことでも考えていたな。塩辛すぎだ。」
(186ページ『金のウナギ』)


すでに邦訳のある『美しい鹿の死』でも既に躍動感あふれる描写で心揺すぶられたが、その姉妹編のようなこの作品は作者の没後に世に出たようだ。
出世作となった『摩天楼のはざまのドゥクラ』(1962年プラハのサッカークラブ、ドゥクラの米国遠征随行経験を記したもの)をはじめ”スポーツ選手を取り巻くドラマを鮮やかに描き出した作品”(本作品あとがきより)の数々を読んでみたい。邦訳を望む。

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