2010年11月23日火曜日

中東欧備忘録1

以前、紙媒体で旧ソ連圏関係の書籍・演劇・映画情報を出していた頃、みやこうせいさん(ルーマニアやモルドヴァのことを「我が国」とおっしゃる)に、
「ソ連圏だけですか?東欧圏は?」
と聞かれた(というか要求された?)のだけど、うーーーーーーっ!
ソ連圏だけでも十分大変なんですよ、というのが正直な感想です。
もちろんできれば書きたいんだけど。

あと、実質的に「利益相反」になる場合も少なくないし、ですね。
(それは旧ソ連圏内でもそうなのだが。)

そんなわけで、中東欧まで手は伸ばせませんが、自分用の備忘録です。

『ボヘミアの不思議キャビネット』
マリー・ルツコスキ著東京創元社
ファンタジー。16世紀プラハ。

『それでも人生は美しい 物理学者のいた街4』
太田浩一著東京大学出版会
↑はエトヴェシュ(ハンガリー)を扱った章に出てくる。
言わずと知れた映画「太陽の雫」の台詞だ。
原爆製作にかかわったシラードなども。

『わたしは英国王に給仕した』
ボフミル・フラバル著河出書房新社
主人公、やっぱり祖国の裏切り者なのであって、あんまり好きになれないなあ。
『あまりにも騒がしい孤独』の方が好き。
映画の方も、「スイート・スイート・ビレッジ」「厳重に監視された列車」とセットのBOX販売だったから持っているけど、必ずしもお薦めではない。

サーシャ・リューシャ・ユーラ・コースチャ

このところ、「孝行息子」や「首相の息子と呼ばれて」へのアクセスが多いなあと思っていたら、ミランの期待の若手(らしい)アレクサンドル・メルケルくん、ドイツU19代表で試合に出てゴールを決めたらしいです。

去年のスポルト・エクスプレスのインタビューでは、「もうドイツ代表には出ない」と言っていたのですが、いまだロシア国籍も取得できておらず(ソヴィエツキー・スポルト2010/11/2の記事による)、先行き見えないから不安なんだろうなあ…。

かのソヴィエツキー・スポルトの記事「アレクサンドル・メルケル(ミランMF)『夢見るロシア代表でのプレイ」には、メルケルのような旧ソ連圏出身でドイツに移住したサッカー選手たちが何人か挙げられています。

*アンドレアス・ヴォルフ(ニュルンベルク) 28歳・センターバック・8試合2得点
*ユーリー・ユット(ニュルンベルク) 24歳・攻撃的MF・9試合0得点
*コンスタンチン・ラウシュ(ハノーヴァー) 20歳・レフトバック・9試合2得点
*アレクサンドル・メルケル(ミラン) 18歳・MF(中央)・今シーズントップリーグでのプレイはなし。
うち、ヴォルフについては、簡単なインタビュー記事がついています。
「許可があれば(ロシア代表でのプレイを)考えてみるだろう」

また、ユーリー・ユットについては、カザフスタン・サッカーのサイトにインタビューがありました。
http://www.sports.kz/news.php?type=main&id=0000005942&st=10
カザフスタンのカラガンダ出身。

ヴォルフはタジキスタン出身で、ドイツ移住前から親にドイツ語を習っていて、今ではロシア語は忘れてしまった、そのうち娘(1歳半)の方がロシア語が上手くなるだろう、と言い、しかしそれでもロシア代表のお誘いがあったら考えてもいい、という反応です。

同じクラブで4歳年下のユットは、ロシア語は勿論話せるけど、ドイツ語で話す方が楽、ヴォルフともドイツ語で話すし(ヴォルフがロシア語を苦手としているので当然と言えば当然ですが)、という感じです。

ラウシュについてのインタビュー記事はまだ見つけていませんが、当然のようにドイツU代表に出ています。
彼はシベリアのトミ州コジェヴニコヴォ出身。

メルケルは「ドイツじゃなくてロシア!」とこだわっていますが、他の人たちはそれぞれ事情や心意気は異なります。
彼らの心境について、ぼちぼち「12の椅子」で訳すかも知れません。

というのは、「アレクサンドル・メルケルの両親はロシア人」という情報がどこかに流れていて、おそらくそれは正しくないものだからです。
メルケルの親はやはりヴォルガ・ドイツ人だと思う。

ソヴィエツキー・スポルト:http://www.sovsport.ru/gazeta/article-item/416728
スポルト・エクスプレス:http://football.sport-express.ru/reviews/2222/

2010年11月21日日曜日

運命の30節へ

サヴィンのゴールを守り切って勝ったんだけど、他も勝っちゃったからなあ。
"КРЫЛЬЯ СОВЕТОВ" ОСТАЮТСЯ В ОПАСНОЙ ЗОНЕ.

頼むよ、アウェイでゼニット戦だけど。
あちらは既に優勝を決めている。
カップ戦が残っているから、お手柔らかにといきたいところ。
とにかく勝て!
勝てばいいのだ。
というか、勝たないとだめ!

11/28(日)14:00(日本時間20:00)
ディナモ・モスクワ対 スパルターク・モスクワ
テレク・グローズヌィ対シビリ・ノヴォシビルスク
ロコモチフ・モスクワ対ルビン・カザン
サトゥールン・ラメンスコエ対アラニヤ・ウラジカフカス
カーリャ、お願い。
クルィリヤを助けて!!!

トミ・トムスク対ロストフ・ロストフ=ナ=ドヌ
ゼニット・サンクト=ペテルブルグ対クルィリヤ=ソヴェートフ・サマラ
スパルターク・ナリチク対アンジ・マハチカラ
ナリチク、フペリョート!!!!
アムカル・ペルミ対ツェスカ・モスクワ
応援したような、したくないような、アムカル。

8月23日

ウェブアルバムがようやく8月23日のモスクワに入りました。
この日はモスクワ観光でした。
赤の広場やらクレムリンやら。
そして午後はセルギエフ・ポサードへ。

この日、川本喜八郎先生が亡くなっていたことは、帰国後すぐに母から知らされました。
諸葛亮孔明の没した日でもあるとのこと。

父を失った後も、同居していたわけではないので、比較的すぐに日常に戻った(ような気がしていた)。
けれど、川本先生が旅立たれてしまって、今度こそほんとうに、父を永久に失った気がする…。

昨日は川本先生を偲ぶ会が行われました。
父の写真とともに、出席し、川本先生を偲びました。

『三国志』『新・平家物語』の人形たちと

諸葛亮孔明

関羽

劉備玄徳

張飛(と劉備)
新・平家物語の人形たち


人形たちのご挨拶(三国志名場面集の操演がありました)

諸葛亮孔明(操演は中国の劇団の方です)

曹操



こちらはお持ち帰りのお品。
北陸製菓のライチゼリーのおまけのフィギュアだそうです。
曹操と呂布。

「空に太陽や月があるように、川本先生の人形がこの世に存在しているのが自然だったのだけれど、それはとっても凄いことだったのだ。」(不正確な引用)
と、ある方が書かれていましたが、同感です。

ありがとうございました。

2010年11月20日土曜日

モスクワの始まり

やっと、旅行の写真がモスクワになりました。
最初の10枚アップ。
クレムリンに着いたところ。

2010年11月17日水曜日

苦手な感嘆文

黒田龍之助先生の元で、ロシア語のイントネーションのレッスンを受けていた時のこと。
平叙文や疑問文はまあまあなのだが、感嘆文は今一つというご指摘を受けた。

本物のロシア人みたいに、きれいにイントネーションがつけられないのは、彼らの感情の発露を、日本人の私としては何だか大袈裟に感じて、恥ずかしくなってしまうから、というのがあります。

「なんて綺麗なの!」
「なんと偉いんでしょう!」
とか、そんなことでそんな風に言わないよ、いちいち、みたいな。
日本人の場合、もう少し、語彙が限られているのだ。
「えー、すごーい!かわいいー!!」程度に。

それはともかく。
本日のラジオ講座でヴィーカさんがおっしゃっていたことによると、
Какая прелесть!(なんてすてきなんでしょう)は、「ハンサムな男性を見た時にも使う」
そうなので、是非どんどん使いたいです。
(男性でも使うけれど、女性が使う方が多いともおっしゃっていました。)
Какой молодец!(なんて偉いんだ!)
は、早速使えますね。
というか、マラジェッツやマラッツィは普通に使っているけど。

U21の試合で、ロシアはアウェイでフランスに勝利。
得点したのはアラン・ガタゴフ。
Какой молодец!
零封したGKのザボロトヌィもね!

二都の夜景

夏のロシア旅行の3日目の写真がようやくウェブアルバムに。
午前中ツァールスコエ・セローのエカテリーナ宮殿、午後はペテルゴフの下の公園の噴水見学、それから夕食で「ロシア村」という少々子ども騙しみたいなアミューズメントパーク内の民族料理のレストランへ。
この旅全体が強行軍だった中で、ペテルゴフからロシア村に着いたのが6時ごろ、夕食は7時にならないとレストランが開かないらしく、このロシア村でぽっかりと時間が空いてしまった。
少々の遊具(一応古代ロシアゆかりのものらしくしている)、体験施設(織物とか鍛冶屋とか)、ちょっとした牧場っぽいもの(いたのは羊とリスと鶏)、それにお土産屋さん。
まあ、正直言ってたいしたことなかった。
切手も売っていなかったし。

その後プルコヴォ空港へ。
21:30頃着き、この時点では辛うじて日の名残りがありましたが、飛行機に乗り込む頃には月が昇り、夜の気配。
そして22:30に飛び立った時。
ペテルブルグの夜景が飛行機の窓から眼下に広がっていました。
街の灯りが華やかに煌めき、ほんとうは写真を撮りたいところだったのですが…。
離陸時の機器使用にひっかかりそうだったので、断念しました。
隣席が添乗員さん(おっかないタイプ)だったということもありますが。

そしてモスクワ。
モスクワの街の灯。
あれがクレムリン。
と、はっきり見て取れる五角形、その周りの光の環がサドーヴァヤ・カリツォー、その外側にまた環状道路。
地図のままに黄金色の光が、それはもう美しく輝き、「翼よ、あれがモスクワの・・・」みたいなことをつぶやくたくなるくらいでした。
こちらも写真に撮りたかったけれど、やはり隣の添乗員さんがおっかなかったので撮らなかった…。
実際の着陸まではかなり時間をかけてモスクワの空を旋回していたので、チャンスは結構あったんですよね。

モスクワのドモジェヴォ空港に着いたのが23:30頃。
ここからヒムキ方面のホテルまではモスクワをほぼ縦断して北上すること約2時間。
長い一日が終わり、4日目はいよいよモスクワです。

ペテルブルグ・モスクワとも、空から観た夜景はいいようもなく美しかった!
写真に残せなかったのは残念ではありますが、目の裏にしっかり留めて思い出すようにしたいです。