ネイサ・イングランダー『アンネ・フランクについて語るときに僕たちの語ること』
なんというか。
読後感はあまりよくない。
シーラッハみたいな感じ。
短編集だが、まあ、おもしろくなくはない。
おもしろいものもある。
冒頭の表題作が一番おもしろくないので、最初に読んでいておもしろくなくても、後の作品を乞うご期待、である。
表題作の『アンネ・フランクについて語るときに僕たちの語ること』は、レイモンド・カーヴァーの『愛について語るときに我々の語ること』をなぞっており、語り口もカーヴァーっぽいのだそうだ。
(訳者あとがきによる。私自身はカーヴァーを読んだことはなく、その作家の名前も知らなかった。)
『姉妹の丘』
これが一番おもしろかった。
列王記のエピソード(ひとりの子どもに対して母親だと主張する二人の女性をソロモン王が裁く)をもとに、第二次大戦後にヨルダン川西岸に入植してきたシオニストの女性の家族史に、パレスティナとイスラエルの軋轢が語られる。
入植地の歴史はグロテスクである。
あくまでパレスティナ人を駆逐した入植者側の視点ではあるが、シオニストの主張の根拠となる契約概念が、いかに欺瞞であるかが、幾重にも不幸な一女性の頑なな主張によって明らかになっていく。(聖書に記されている、などと言っているわけだが。)
『僕たちはいかにしてブルム一家の復讐を果たしたか』
反ユダヤ主義者と呼ばれるのは、母親がユダヤ人ではないためにラビから異教徒とみなされて学校(とたぶんそのコミュニティー)から追われた一家の子どもなのだ。
子ども同士のことだから、大人の価値観を引きずりながらばかばかしくも真剣な諍いを繰り返す。
怪しげ、というよりいい加減な護身術を教える、レフェーズニク(ソ連出身のユダヤ系の人、らしい)のボリスが何ともおかしい。ありがち。
『覗き見ショー』
『母方の親族について僕が知っているすべてのこと』
語り手の恋人はユーゴスラヴィア出身のウクライナ系の人のようだ。
『キャンプ・サンダウン』
これは一番シーラッハ風。
『読者』
作家も読者もソ連圏出身なのだろう。
通奏低音としてイサーク・バーベリの『わたしの鳩小屋の話』。
バーベリはオデッサ派の作家で、英米の作家には案外知られているようだ。
ドリス・レッシングにも、『HOMAGE FOR ISAAC BABEL』というものがある。
(「アイザック・バベルに敬意をこめて」という訳がされているとのこと。)
バーベリよ、バーベリ。
『オデッサ物語 群像社ライブラリー 1』 イサーク・バーベリ/著 群像社 1995
『現代ソヴェト文学18人集 1』 新潮社 1967
オデッサ物語,わたしの鳩小屋の話,ダンテ街(バーベリ著 江川卓訳)
『騎兵隊(中公文庫)』 バーベリ/著 中央公論社 1975
『世界短編名作選 ソビエト編』 草鹿外吉/〔ほか〕編集 新日本出版社 1978
塩(バーベリ著 西尾章二訳)
バーベリはポグロムは生き延びたけれど、粛清の犠牲になった。
『若い寡婦たちには果物をただで』
これもシーラッハ。
哲学って…。
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