2011年8月6日土曜日

チェリョームハ、シベリアの桜




満員御礼、追加公演決定!

ロシア人向け?ロシア語の分別ごみ案内

シアターΧでネリ・マトハーノワ作「シベリアに桜咲くとき シベリアにおける日本人抑留者の生活劇」を観る。

シベリア抑留ものの演劇を観るのはたぶん3本目。
とてもわかりやすくできていて、まあおもしろいといえた。
ロシア人作家によるものだから、収容所のロシア人は大体いい人だし、メロドラマ率高くて、現実そんなに簡単なわけないだろ、と、特に経験者からすれば「そんなもんじゃない!!」と感じるであろうところが各所にあり、牡丹灯籠場面はとてもシュールだったが、日露合作でこういうものができてよかった、と心から思う。

トカレフ軍曹は、エセーニンの詩なんか口にするインテリ且つハンサム青年。
いい人なので、“やな奴”から「しかるべきところに報告するぞ」と脅され、とんでもない悲劇が?!
と気を揉んだが、大丈夫!

なぜかロシア人より日本人俳優の顔立ちの方が見分けがつきにくかった。
タイプが似ている人ばかり。
お露/ミチコ役の人が気の毒なくらい浮いていた。
綺麗な女優さんだったが。
しかし、ああいうのがロシア側の日本(女性)のイメージなのだろう。

まさに“待たれていたロシア側からの視点”なのだろう。
実際の収容所の中の生活は、日本軍の上下関係がそのまま持ち込まれ、ソ連の官僚体質もまたそのまま蔓延る、筆舌に尽くしがたい悲惨なものであっただろう。
(井上ひさしの遺作『一週間』を読むまでもなく、いろいろな証言からそれは指摘されているものだ。)
が、この劇では日本の上官は全く問題ないまともな人格者だし、ロシア人も基本的にすごくいい人ばかりだ。
トカレフ軍曹にしろ、一晩中介抱してくれた見知らぬ女性にしろ、実話でありモデルはいるというのだから、もちろん事実ではあるのだけれど、「いい話ですね」の積み重ねでこの劇は成っている。
それに、「戦争はとにかく人を傷つける、もう戦争は嫌」という、ソ連/ロシアの人たちの、それは実に本音が貫かれている。
特にそれは収容所長の妻、や看病してくれた見知らぬ女性、郵便配達の女性といった女性たちの言動に表れる。

チャンピオンズリーグプレーオフ組合せ

ルビン、あと一息。
が大変なんだけど、ダヴァーイ!

ЛИОН (Франция) - РУБИН (Казань, Россия)
リヨン(フランス)対ルビン・カザン
БАВАРИЯ (Германия) - ЦЮРИХ (Швейцария)
АРСЕНАЛ (Англия) - УДИНЕЗЕ (Италия)
ТВЕНТЕ (Голландия) - БЕНФИКА (Португалия)
ОДЕНСЕ (Дания) - ВИЛЬЯРРЕАЛ (Испания)

БАТЭ (Беларусь) - ШТУРМ (Австрия)
КОПЕНГАГЕН (Дания) - ВИКТОРИЯ (Плзень, Чехия)
ДИНАМО (Загреб, Хорватия) - МАЛЬМЕ (Швеция)
МАККАБИ (Хайфа, Израиль) - ГЕНК (Бельгия)
ВИСЛА (Краков, Польша) - АПОЭЛ (Кипр)

バーーーテーーー、バーーーテーーーのBATEボリソフ(←という風に応援するのです)、今季もグループステージで暴れてほしい!
リーグ戦では首位独走中!

2011年8月5日金曜日

ヨーロッパリーグプレーオフ組合せ

コッカーことコンスタンチン・ラウシュのハノーファー、いきなりセビージャと対戦か。

アラニヤ(いまのELの仕組みがわからないのだけれど、なぜアラニヤが出てくるのだろうか?昨季のリーグ戦では一部に降格したのに…ロシアカップ準優勝だから?という疑問を解決しないまま)はアクトベ相手に辛くも勝ちをおさめ(PK勝ちした)、プレーオフへ。
まあ一応マラッツィ。

グループ7
СТАНДАРД (Бельгия) - ХЕЛЬСИНГБОРГ (Швеция)
БРАГА (Португалия) - ЯНГ БОЙЗ (Швейцария)
ГАЗ-МЕТАН (Румыния) - АУСТРИЯ (Австрия)
РЕНН (Франция) - ЦРВЕНА ЗВЕЗДА (Сербия)
ДИНАМО (Тбилиси, Грузия) - АЕК (Греция)
ХИК (Финляндия) - ШАЛЬКЕ-04 (Германия)

グループ6
ГАННОВЕР (Германия) - СЕВИЛЬЯ (Испания)
ハノーファー(ドイツ)対セビージャ(スペイン)
ЗЕСТАФОНИ (Грузия) - БРЮГГЕ (Бельгия)
ОМОНИЯ (Кипр) - ЗАЛЬЦБУРГ (Австрия)
ВАСЛУЙ (Румыния) - СПАРТА (Прага, Чехия)
ОЛЕСУНН (Норвегия) - АЗ (Голландия)
ТУН (Швейцария) - СТОК СИТИ (Англия)

グループ5
ПСВ (Голландия) - РИД (Австрия)
НАСЬОНАЛ (Португалия) - БИРМИНГЕМ (Англия)
ЛАЦИО (Италия) - РАБОТНИЧКИ (Македония)
ЛИТЕКС (Болгария) - ДИНАМО (Киев, Украина)
ШЛЕНСК (Польша) - РАПИД (Бухарест, Румыния)
СЬОН (Швейцария) - СЕЛТИК (Шотландия)

グループ4
ЛОКОМОТИВ (Москва, Россия) - СПАРТАК (Трнава, Словакия)
ロコモチフ・モスクワ対スパルターク・トルナヴァ(スロヴァキア)
ДНЕПР (Украина) - ФУЛХЭМ (Англия)
НОРДШЕЛЛАН (Дания) - СПОРТИНГ (Португалия)
СТЯУА (Румыния) - ЦСКА (София, Болгария)
МАРИБОР (Словения) - РЕЙНДЖЕРС (Шотландия)

グループ3
ХАРТС (Шотландия) - ТОТТЕНХЭМ (Англия)
ТРАБЗОНСПОР (Турция) - АТЛЕТИК (Бильбао, Испания)
ПАОК (Греция) - КАРПАТЫ (Украина)
ЭКРАНАС (Литва) - ХАПОЭЛЬ (Тель-Авив, Израиль)
ЛЕГИЯ (Польша) - СПАРТАК (Москва, Россия)
レギヤ(ポーランド)対スパルターク・モスクワ

グループ2
ОЛИМПИАКОС (Волос, Греция) - ПСЖ (Франция)
РОМА (Италия) - СЛОВАН (Братислава, Словакия)
БУРСАСПОР (Турция) - АНДЕРЛЕХТ (Бельгия)
ВОРСКЛА (Украина) - ДИНАМО (Бухарест, Румыния)
РУСЕНБОРГ (Норвегия) - АЕК (Кипр)

グループ1
БЕШИКТАШ (Турция) - АЛАНИЯ (Владикавказ, Россия) 
ベシクタシュ(トルコ)対アラニヤ・ウラジカフカス
МЕТАЛЛИСТ (Украина) - СОШО (Франция)
ШЭМРОК РОВЕРС (Ирландия) - ПАРТИЗАН (Сербия)
АТЛЕТИКО (Мадрид, Испания) - ГИМАРАЙНШ (Португалия)
МАККАБИ (Тель-Авив, Израиль) - ПАНАТИНАИКОС (Греция)

キエフ さんのコメント... 2011年8月5日2:26

「ベルリン陥落」の衝撃 にキエフさんがコメントを入れてくださったのですが、依然として、コメントをお返ししようとしても、入れられませんでした。
???
なぜ?

>別に主張は自由ですから主張したって構わないと個人的には思いますよ。
はい、勿論自由です。

>そんなに気になるのならご自分で編集なさったらどうですか?
嫌です。
そういう意向は全くありません。
きりがなくなるじゃないですか。
変な記述は山のようにあるのに。

2011年8月4日木曜日

砕かれた8月

名前を聞いて顔が思い出せる、数少ない日本人選手の一人。
理不尽。

2日前に倒れた段階で、ロシアでもウクライナでも記事になっていたが、目にはしても紹介するのは憚られた。

昨日も途中経過を報じる。
「いまだ意識は回復していない」

それが今日の午後には、速報として流れていた。

いやでも目に留まってしまう。

神様、なぜそんなに彼を愛して、お近くに召してしまわれたのですか?
(なぜ彼だったのだろうか?)


どうしたら、再発を防げるのだろうか?
もう二度とあってはならないことだから。

2011年8月3日水曜日

「誓いの休暇」の青い空

オデッサ・コスモスに「100年のロシアPartⅡ」上映作品について書いた。

そのうちの一つがグリゴリー・チュフライ監督の「誓いの休暇」。
私の“生涯ベスト5”作品の一つ。

最初に観たのは、今はなき池袋のACT-Seigei Theater。
ノルウェー映画「イワン・デニーソヴィチの一日」との二本立て。
感動した。
帰りに受付の人に「アリョーシャのポスターを持って帰りたい」とねだった。
(勿論断られた。)

2回目に観たのは草月会館でタルコフスキー特集(といっても他のソ連映画の巨匠たちの作品と抱き合わせ特集)だったのではないか。
すごく好きで思い入れが強くてストーリーも大体分かっていてここで感動するぞというところもわかっているつもりだった。
しかし、上映が始まって
「???これ、カラー映画じゃなかったけ???」
私の脳内には、最初と最後のシーンは、真っ青な空と黄金色の小麦畑。
クライマックスではその中で母とアリョーシャがひしと抱き合う感動シーン…というのが出来上がっていたのだったが。

いや、勿論「誓いの休暇」はモノクロ映画なのだ。
私は、モノクロ映画に色彩を施したバージョンを勝手に記憶していたのだった。
まったく、いくら感動したからって自分で色を作るな!と苦笑した。

ということから数年、3回目に観たのはVHSテープを入手してのこと。
観てびっくり。
「あれ、これってカラー映画じゃなかったっけ?!」
何とまあ、私は再びアリョーシャと母親が最後に会って別れるシーンを“青空のもと、黄金の小麦畑の中で”と記憶してしまっていたのだった。
「ああ、そうだ。2回目に観た時、違った違ったって思ったじゃないか」
でもそのことを忘れて、間違った思い込み(というか自分の創作)の方を記憶していた。
再び苦笑。

なぜ間違って記憶するのだろう?
という最も鮮烈な体験、というか“記憶”がこれである。
思い入れが強いというのは思い込みも激しくなりがち、ということを悟る。

「ベルリン陥落」がソ連最初のカラー映画云々(註:これは誤った情報です)ということを書いていながら、どんなふうに人は事実から離れてしまうのかということにも関心が向いて、ということでもなくって、偶々新刊コーナーで目に留まったから手に取ってみた。

『子どもの頃の思い出は本物か 記憶に裏切られるとき』

アメリカではひとときUFOに誘拐されてエイリアンに虐待されたという記憶を持った人々が相当数表面化し(エイリアンはなぜかアメリカ人を好んで誘拐するらしい)、その後90年代には幼少の頃身近な人から性的虐待を受けた、それをずっと後になってから思い出したとして身内の人を告発する人々が出てくる。
特に後者の場合、心理療法家などの誘導によってそんな忌まわしい過去を“思い出した!”という場合が大変多いのだが、このセラピーが大いにいかがわしいのだ…。
いずれにしろ、記憶は過去をそのまま再現しているものではない。
本人に確信があっても、真実とは限らない。
(むしろそういう場合の方が事実かどうか怪しいのだが、陪審員などは漠然とした自信なさげな証言より、詳細で断定的な証言を信じがちなのだという記述があり、心に留めておくべきだと思った次第。)

メモ:誘導的な面接から偽りの記憶を作り出すとは(185頁:この部分はM. Bruck et al., Developmental Review 22 (2002), 520-54.からの引用(つまり孫引き)である)
…自分の先入観に一致する話だけを採用し、一致しない話を無視するのは、バイアスのかかった面接者にみられる顕著な特徴だ。自分の念頭にある考えとは別の可能性について質問することはしない。自分が持っている仮設に一致しない事実を引き出すような質問はおそらくしないだろう。さらに、子どもが自分の先入観と一致した答えをした場合には、その真偽を確かめることもしないだろう。もし、子どもが自分の先入観と一致しない話や突飛な供述をした場合には、その話を無視するか、面接者の先入観に合致するように歪めて解釈する。また、面接者の先入観に一致する答えが出るまで質問をくり返し、証言をまとめようとするだろう。

『無実を探せ!イノセンス・プロジェクト―DNA鑑定で冤罪を晴らした人々』を読んだときに、ものすごく驚きあきれてしまったことなのだが、人の記憶はそれだけでは(他の証拠なしには)かなり“怪しい”ものなのだ。
目撃証言も、故意ではないにしても、その人の思い込み・先入観にかなり左右されたものになっている。

ここでは“記憶”に焦点をあてたが、事実を曲げたり他人を誹謗中傷する類の思い込みを避けるべく、冷静に冷静に、と常に心がけるべし、と改めて誓うのでありました。
人間、予断・偏見から100%自由であるのは不可能であるにしても、それに陥らないように可能な限り努力すべきだ。

2011年8月1日月曜日

「ベルリン陥落」の衝撃

ミハイル・チアウレリの「ベルリン陥落」が、“ソ連初のカラー映画”と書いてあるのを見てびっくり、というのは、昨日が初めてではありませんでした。

昨年のオーケストラ・ダスビダーニャの演奏会のプログラムノートに書いてあったのです。
「へんなのー、ソ連初のカラー映画はエックの「うぐいす」なのに。1,2年違うならともかく、「ベルリン陥落」は戦後の作品でしょ?何と間違えているのだろう???」
と、そのときたいそう訝しく思ったものでした。
演奏会の感想はこちらです。→「ショスタコーヴィチ、疾走」

昨日、「100年のロシアPartⅡ」のプログラムに「ベルリン陥落」が入っていたので、「オデッサ・コスモス」で紹介しようと、原題は何だったか確認しようと、ネットで検索してみたら、最初にウィキペディアが挙がっていたので(普段私は「ウィキペディアなどあてにならない」と端から信用していないので、特に日本語のウィキペディアは見ないし、仮に見ることがあっても他で裏を取らない限り、“証明済み”とはしないのだが)、ちらっと覗いてみたのです。
そこで

その他 [編集]
  • ソ連初のカラー映画であった。ソ連占領地区にあったアグファ社の工場で製造されたフィルムを使用して撮影した。カメラテストの結果、安定した色彩を再現できるのは曇天時のみであることが判明し、曇り空の時を伺い撮影を行った。
との件があるのを目にしたのでした。
オーケストラ・ダスビダーニャのプログラムノートを書いた方はここを参照されたのでしょうか。

では、この件を書かれた方は、何を参照してこのように書かれたのでしょうか。
ここからは私の想像です。
やはり日本語のウィキペディアで「カラー映画」を見ると、

また東側諸国でも第二次世界大戦後、ナチス・ドイツから奪ったアグファカラーフィルムを使い、1949年のソ連映画『ベルリン陥落』などのカラー映画が登場した(余談であるが、小津安二郎はアグファ・カラーの色彩を好んでおり、『彼岸花』以降のカラー作品にアグファ・カラーを用いている)。

という一文があります。
ここには、「ドイツのアグファカラーの方式でソ連が1949年に「ベルリン陥落」を撮った」旨記載されています。
一見、東側諸国がカラー映画を作ったのは戦後(ドイツからアグファを接収して以降)であるかのようにも読める文ですが、「ベルリン陥落」が「ソ連初のカラー映画である」とは書かれていません。

カラー映画を撮る方式はアグファの方式に限ったことではなく、ソ連はアグファを接収する以前に独自の方法で、「うぐいす」(1939年)や「イワン雷帝・第Ⅱ部」をカラーで撮っていました。

「ベルリン陥落」のウィキペディアを執筆された方は、もしかしたら上記の一文を、「ベルリン陥落」がソ連初のカラー映画であるかのように誤読してしまったのでしょうか。

そこには、「当時のソ連の技術ではカラー映画など作れまい」というような思い込み、偏見が入りこんでしまったのかもしれません。

殆どの人にとっては、ソ連初のカラー映画を撮ったのがニコライ・エックであろうがミハイル・チアウレリであろうがどうでもいいことでしょうから、敢えて「大間違いだ、書き直せ!」と主張しようとは思いませんが、できるだけ正しく文章を読みこむことができるように、心掛けたいものです。

ニコライ・エックは、ソ連初のカラー映画を撮り、またソ連初のトーキー映画「人生案内」を撮った人でもありました。


補遺(2011年8月6日)
キエフさんのコメント後の補足

ウィキペディアの「ベルリン陥落」について、「そんなに気になった」のは、なぜこんな、一見ありえなそうな間違い(ソ連で実際にカラー映画が制作・上映されてから10年以上たった頃の作品をそうだと思ってしまった)が起こるのか、を考えてみた、ということです。
少なくとも自分はそういうことをしたくないので。
この場合は、私の推測では、「ベルリン陥落」執筆者が日本語ウィキペディアの「カラー映画」中の記載を勘違いしてしまったのが原因であろうと。

自戒
*文章を正しく読むこと
*書かれていることが正しいのか検証すること
*書かれていないことを推測する場合、とりわけ慎重になること
(推測・解釈を事実と混同しないこと。事実と、評価・感想と、推測とは、別物である。)