2026年1月26日月曜日

不明の人形劇写真(猿・赤鬼青鬼)

 これがわからない!





表紙に書いてあるのでいくと「三枚のお札」だが、赤鬼青鬼や猿が出てきたっけ?山姥と小僧じゃなかった?



猿が出てくる人形劇番組だと「さるじぞう」?

人形劇「白鯨」

 これ(父のアトリエで見つけた写真)はNHKで放映されたものなのかな?(1989年頃)

『白鯨』ってメルヴィルの長編小説だよね。何分の番組になったのだろう?

なお、鯨のパペットの写真はない。







パオパオチャンネル??

 昔(1989年頃)の10チャンネル(テレビ朝日)のバラエティー番組の中に人形劇コーナーがあったのか。

Twitterには何度か書いたが、父がしばしば「最近のNHKは子どもの文化(父に言わせると人形劇のことだが)に金をかけようとしない、枠を削ろうとしている。こっちは商売あがったりだ」と愚痴を言っていたので、「NHKがだめなら民放にあたってみたら?」と、釈迦に説法的なことを言ったら、「いやいやいや、民放なんて!NHK以上に駄目だから!NHKはね、腐ってもNHKなんだ」と父は言ったのだった。

これ、どの時点で言ったのだったかな。「三国志」と「平家物語」の間だったかな。「平家」も済んで、「項羽と劉邦」についてNHKと交渉している頃だったのかな。

民放がNHK以上にダメダメと言ってはいるが、多少は民放の仕事もしていたようで、パオパオチャンネルというバラエティー番組?の仕事もしていたらしい。







2026年1月25日日曜日

うま年

 今年はうま年なので、年賀状は『くろうまブランキー』にしようかなと思ったり、でもやはりブランキーはクリスマス向きだし、あんまりお正月って感じじゃないとなと思い、クリスマスは前年に続いてブランキーにしたけれど、年賀状は結局、「三国志」のメカ馬にした。

メカ馬
(年賀状に使ったのとは別の画像です)

で、その前にもう一つ候補があって、それは人形劇団貝の火さんのレパートリー「スーホの白い馬」。その白馬の写真も、父のアトリエから出てきていた。ただ、舞台写真ではなくて、アトリエ内のごちゃごちゃした中で撮っている写真だから、まったく映えないのと、「スーホ」もお正月向けのめでたいお話ではないからやめた。





同じ写真帳の中に「ダルー 藤井氏デザイン」と書かれた写真の束もあり、ダルーって何だろうとおもったら、これは「ピコピコポン」の中のキャラクター(悪役)なんだそうだ。




思い出のコンサート⑥

 第16回東京の夏音楽祭2000 『新バビロン』~ショスタコーヴィチの完全版スコア日本初演

+『爆弾花嫁』@オーチャードホール

職場の同僚の父上が三井系会社の社長だったおかげで、招待券を「これ、プログラム付きだから」と同僚からいただいて(同僚は音楽好きだがショスタコーヴィチには興味がなかったのだろう)特等席で鑑賞させていただいた。(友人は自腹でずっと後ろの席だった。申し訳ない。)

エイゼンシュテインシネクラブのおばさまたちも皆していらしていたな。

彼女らには不評だった前座の『爆弾花嫁』(日本にフィルムがなくて、ロシアのアルヒーフから取り寄せたプリントでの特別上映)の演奏付き上映だが、映画作品自体はそれほど悪くはなかったと思う。ただ音楽が作品に合っていたかというと微妙。昔の、いかにもどたばた喜劇にコンピュータープログラミングの「ひゅ~~~」というような音がどうも気がそがれるような気分になってしまう。若い感性なら新鮮に思えたのかもしれないが、私はコンサバなので。

それに対して、ショスタコーヴィチと映画はがっちり合っているように感じられ、改めてショスタコーヴィチ凄いなと思った。まあ、なんというか、ショスタコーヴィチの音楽って、その映画にあてて書かれたものでなくともぴったり合っているように思えてしまう魔力があるようなのだが(「ポチョムキン」とか)、これはそれ用に作曲したものだからなおさらだ。

「新バビロン」はその後サイレントのままで何度も観た。主役級の男性がどうにも情けない、ありがちな”悲恋もの”。パリ・コンミューンをソ連が描くとこうなる典型で、嫌いじゃない。


2026年1月22日木曜日

思い出のコンサート⑤

 山田美帆ピアノリサイタル@東京文化会館小ホール 2000年3月2日

封筒の裏に2曲の曲名をメモ。アンコール曲であろう。

*F.プーランク「3つのノヴェレッテ」より№1

*I.アルベニス「スペイン組曲」より「アストゥリアス」

本編の方の曲はドビュッシーの「子どもの領分」やシューベルトの「4つの即興曲」、ヘンデル、ブラームス。

2026年1月21日水曜日

思い出のコンサート④

 ハリーナ・チェルニー=ステファンスカ ピアノリサイタル ショパンの夕べ@品川きゅりあん大ホール

ハリーナ・チェルニー=ステファンスカは、この4年後に亡くなってしまったのだが、この時はまだまだずっとこれからもショパンを弾いていくのだろうという感じのいかにもポーランド的なピアニストだった。

どういうわけか、あまり客の入りが良くなくて(こんな巨匠のコンサートなのに!)、彼女自ら「もっと前の席に移動してきて聴いてください」と言っていた。

プログラムは勿論オールショパン。

3月18日だから、青山での墓参を済ませて品川に行ったのだったのかしらん。