2015年9月5日土曜日

絶対名監督

川崎市民でも神奈川県民でもないのに、副都心線ができるまえなら2回乗換えたうえ武蔵小杉からバスというはるばる川崎市市民ミュージアムのシネマテークの回数券なんてものを買ってしまっているのだ。
あったはずだと探したらちゃんとあった。
この回数券はせっせとレンフィルム作品観るのに使うことになるだろう。

《川崎市市民ミュージアム特集上映》『戦争の記録と映画戦争映画の視点』

さあ観に行くぞ、アラノヴィチ。
とツイートしたら、ミュージアムの方から、今は売店カフェがなくなって、近くにコンビニもないので、食料は駅前で調達する方がよい、とありがたいアドヴァイスをいただいた。

まさに、午前午後とアラノヴィチ二本立て観る気でいたので、それじゃあ「海に出た夏の旅」並みに自力調達(鳥の卵探したりして)か?というのは冗談。
うちからピロシキ焼いていこう。
で、金曜の夜にピロシキ焼いた!

「海に出た夏の旅」は最低三回は観ているのに潜水艦攻撃場面忘れていた。「トルペド航空隊」もあんなだし、アラノウ゛ィチ得意シーンなのに。トルペドに勝るとも劣らない傑作。何度でも観たい!
この作品、好みは人それそれだろうけれど、私の中ではれっきとした美少年ものの一環だ。ロシアによくいる天才子役俳優たちではなく本物のストリートキッズを起用した、剥き出しの飢餓感に圧倒される佳作
という意味で、ボドロフの「自由はパラダイス」やカネフスキーの「動くな、死ね、甦れ!」等へと繋がった作品と言えるだろう。
ラスト近くの、胸潰れる思いのあのシーンは、レゾ・チヘイーゼの「ルカじいさんと苗木」じゃないか~!と改めて思った。
DVDにして欲しい、と思う一方、「トルペド」のDVDがあらゆる点で酷いのでそうなってほしくないのと、この作品はここへ来て観てこそなのだとも思える。
(ここは、照明が消されて上映が始まるまでの間にわくわく盛り上がる気持ちにする仕掛けがあるのですよ。)

さて、午後の「トルペド航空隊」までの時間に、無料ラウンジで持参したピロシキを食す。
挽き肉のとマッシュルームのトマト煮のと各二つ持ってきたが多すぎた→残した
「海夏」の少年たちに申し訳ない

映画待ちの人だけではないが、結構いるんだ。

「トルペド航空隊」の方は、もう既に絶賛されている作品だから、ここでまた月並みな褒めようになっても興ざめだろう。
もうこんな凄く感動する戦争映画(最狭義に言ってほんとに戦闘場面のある映画)をロシアでは撮れなくなっているのではないかという気がしてしまったりもするが、「第九中隊」「中継基地」と手を変え品を変え彼らは何かと続々と新手の戦争映画で心揺さぶってくれる、にしても、この「トルペド」がなかったら、それらも生まれてこなかったのではないか?と思わせるような、希代の名作であり、傑作だ。
今日改めて感じたのは、実際に航空隊の経験のあるアラノヴィチについては、これまではただただ”渋い男の世界”という印象が強かったが、登場する女性たちの陰影の深度は注目すべきだろうということ。
シューラ、ナターシャ、マルーシャと皆、あのヒステリックなふるまいも、強がりも、そこはかとない可憐さも、すぐそこにいる等身大の女たちである。(今のロシアの若い女性にはもはやない、かもしれないが。)
私の大好きなバフティヤル・フドイナザーロフが遂に辿り着けなかった(私に言わせれば天才・鬼才の名を恣にするミハルコフやクストリッツァ、さらには大文豪ドストエフスキーでさえもそうなのだが)境地に、老練なアラノヴィチは達している。(フドイナザーロフは永遠の少年の心のまま逝ってしまったのだ。ミハルコフやクストリッツァはその才能をもってしても男の側から(しかもモテる男性である)見た都合のいい女しか描けない。)
これもDVDでよりも、この場での上映で観たい、何度でも観たい、愛すべき戦争映画なのだ。

これまでのアラノヴィチへの言及は
アラノヴィチの“男の世界”がやってくる!
川崎はレンフィルムの宝庫

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