2015年8月29日土曜日

ようやくお休み①淡路島東浦

いつものように夜行バス+路線バスでの旅、今回は珍しく島へ行きました。
島っていうのは、こっち見てもあっち見ても海が見えてしまうのですね。
慣れない光景に「おおっ」て思います。
(富山に行ったとき、いつもと反対の方に山があるので随分変な気持がしたものです。)

しかし、今回ゆっくり美術館を観ることを主眼に、だいぶ予定を削って、これだけだ!というプランにしたつもりだったのに、予想外のことが次々起きて細かく計画変更を余儀なくされたのでした。

1.バスは時刻表どおりには走らない。
夜行バスは、これまでの例では予定時刻よりも早く着くことが多かった(津和野、尾道、飯田等)ので、そんなものかと思っていた。
今回目的地までは直通でなく、乗り継ぎで行くことになったのだけれど、東京→三宮が15分遅れで到着となった。
あくまで間に合えば、と思っていた乗換時間6分の乗継便には当然間に合わなかった。
しかし、15分遅れたことで、次の便(1時間後)になり、ゆっくりチケットを買い、乗り場を確認し、お昼用のヨーグルトドリンクを買い(朝食は三宮までのバスの中で持ち込んだパンを食べたが、ちょっと多めだったので、残りを昼食用にすることにした。その足しにコンビニでヨーグルト飲料を買ってきた。)、待合室でフリーWifiが仕えたのでメールをチェックし、とかやって過ごした。

三宮までの夜行バス、そして三宮から目的地までの間、バスが遅れる、それも何十分という単位で遅れるということに、「ここは日本か?」という軽い衝撃を受けていたのですが、あともう一点、驚きというか不思議でならなかったことがあります。
それは「お手洗いに石鹸が置いていない」ということです。
バスの中やバスセンター、バスターミナルに、ウォシュレットがないのは仕方ないとして、石鹸類がないのは困りました。まさかと思いました。
おしゃれな○○ソープとかでなくていいのです、古典的な緑やピンクの液体でも十分なので、設置してほしいと切に望みます。

さて、最初の写真はこれ。

 
途中下車でも観たかった、猫の墨絵の美術館。
淡路市立中浜稔猫美術館
左側にある雲みたいなのはスメナリ(鯨)の背に乗って本土から淡路島に渡る猫(後述)。
 
 
 

にゃお。
 
1階にご近所の猫たちを描いた猫群像墨絵が可愛くて圧倒的。
墨絵には独特の迫力と味があっていいですね。
垂井ひろしさんの墨絵パフォーマンスの記事)←この試合はホームのスパルタークが勝ちました。
墨絵で描かれた猫たち、墨のにじみが猫のふわっとした毛皮の様子を描くのにちょうどよいように思えますね。
自分でも描いてみたいという野望までむくむく湧き上がる始末。
 
2階にはこの地の伝説にちなむ淳仁天皇の飼っていたこまとチヨという猫の物語の墨絵が中心の展示されています。
 
ゆっくりじっくり鑑賞したかったのだけれど、本数の少ないバスを逃すと後が大変なので、後ろ髪をひかれつつ、ここ淡路市の東浦を後にしてタクシーに乗って、ちょっと離れたバス停へ(東浦インターチェンジのバス停は東浦バスターミナルからだいぶ離れた場所にある。)

東浦から高速バスで福良へ向かう中、パンとヨーグルトをいただきました。

2015年8月26日水曜日

子どもの友

「クーキー」のレビューで人形劇映画とあるのを見てパペットアニメと実写を合わせた映画でしょ、と思っていたが、パペットは手がぶらっとしていて、アニメでなくて人形遣いが動かしているのだとわかる。糸操りか棒遣いだろうが、どうやらマリオネットで、後に編集で糸を消したと知る。手が込んでいる!父に見せたかった。どんな感想を持ったろうか?

「クーキー」はさすがスヴィエラーク、心揺すぶるポイント心得ているわ。人形・ぬいぐるみ・おもちゃの冒険は先行作品がいろいろあるが、チェコの伝統とスヴィエラークの先進性と見事に融合していた。



実は数年前のバルタ監督のパペットアニメーション「屋根裏のポムネンカ」は気に入らなかったのだ。彼らしくなく、平板で。資金稼ぎのため作ったというのも頷ける。「クーキー」は作りたくて作った映画だとわかる素敵な作品。
 
ヤン・スヴィエラークが偉いのは、これまでいろいろなジャンルの作品を作って、そのどれもが大ヒットという点。(ヒロインが素敵!という作品はこれまでなかったが。「小学校」なんかには、若干女性蔑視っぽい視点があってそれは嫌な感じだった。)少年の心の大人なんだと思う。
貧しい人たち、社会から零れ落ちそうな人たちへの視線が、ジャンニ・ロダーリ『青矢号のぼうけん 』を回想させる。

「クーキー」のスヴィエラーク作品を最初に観たのは俳優座での「アミュムレーター1」。観客は4人しかいなかった(うちカップル1組)。きわもの映画だったけど、結構おもしろくて名前を記憶に留めた。「コーリャ」やチェコ映画祭で観た初期作品、「ダークブルー」も、やはり皆ボーイッシュな感性だ。
だからスヴィエラーク作品を観るといつもフドイナザーロフを思い出す。残念なことに、信じがたいことに、今年彼はこんなにも早く旅立ってしまったのだが。「クーキー」にも激しいカーチェイスがあって、乗り物狂の彼を懐かしまずにいられなかった。あの車たち、こだわりの逸品だろうね。

 
 





 
新宿武蔵野館に展示されている「クーキー」のマケット(チェコからやってきた本物とのこと)等
入手したばかりのタブレットのカメラで試しに撮影。
(容量がつかめず、自撮りになってしまったりして、苦労してとったものでございます。)

2015年8月19日水曜日

ジュード・ロウのチェルノモーレツ

映画「ブラックシー」、ばかばかしいかと思ったら結構おもしろかった。
しかし、ハベンスキーの役割は「ウォンテッド」と似たようなものだった。
おんぼろ潜水艦でもちょっと直すと動くのがロシア製たるところだな。

しかし、乗組員に悪い人がい過ぎる。
腹黒いというよりほんとに犯罪者。
それを露わになってからの対処を誤ったんじゃないかなあ。
「72M」よりは希望が持てるとはいえ、望みが薄い状況が続くのでなかなかに辛い。

セヴァストーポリの様子に感動。
(ほんとにセヴァストーポリで撮ったのかどうかは知らないが、それっぽくはあった。)

2015年8月15日土曜日

(  )のモスクワ

なんか変。

CSKAモスクワ検定けんてーごっこ

単語のつながりとしては
「中央陸軍スポーツクラブ」
ではなくて
「陸軍中央スポーツクラブ」
の方がしっくりくる。
Центральный(中央の) спортивный(スポーツの) клуб(クラブ) армии(陸軍(の生格))

正式名称にモスクワは入っていないのではないか。
ツェスカ・モスクワというときのモスクワは、名称ではなくて、所在を示すもの(ドーム・クニーギ、モスクワのね、みたいな感じ)
陸軍スポーツクラブは各地にある(あった)けれど、中央とつくのは首都だけ。
だから、ハバロフスクの陸軍スポーツクラブには中央のЦはつかず、ツェスカ(ЦСКА)ではなく、СКА(エスカー)なのだ。
で、モスクワ以外にはどこにあるのかというと、今ではソフィア(ブルガリア)くらいしか思いつかない。
以前はキエフにもあった。カリャカの出身クラブだ。カリャカがクルィリヤに移籍して以降、名称をアルセナールに変えた。その後財政的に行き詰ってプレミアから撤退した(クラブとして消滅?)。
ロシア人にとっては、敢えてモスクワとつけなくても、ツェスカと言えばモスクワのあのクラブに決まっている。国内には一つしかないのだから。
国内に同じ名前がいっぱいあるスパルタークやディナモの場合はそうはいかない。
地名をつけて(地名から作られた形容詞をつける場合や()に示してクラブ名の後ろに付す方法がある)区別することになる。
Московский Спартакモスクワのスパルターク/Спартак(Москва)スパルターク(在モスクワ)
Владимирский Торпед/Торпед(Владимир)
Новороссийский Черноморец/Черноморец(Новороссийск)
クルィリヤ=ソヴェートフやチェルノモーレツは、全ソ連的にほぼあそこのクラブね、と思われていたのだろうが、
ごくマイナーながらほかの都市にも同じ名のクラブはある。

Q:CSKAモスクワは( )のモスクワ中央陸軍スポーツクラブのこと。
この問題は、どう変えたらいいだろうか?
(だいたい、モスクワとあって、ロシアと入れられないような輩がいるとも思えないような、ほぼ愚問…)

Q: CSKAモスクワは、モスクワの(  )中央スポーツクラブのこと。

とか、

Q: CSKAモスクワは、モスクワの陸軍中央(  )クラブのこと。

あたりだろうか?
サッカークラブじゃなくて、スポーツクラブだよ、という意味で。
(ロシア語ではサッカーはフットボールであって、頭文字Sにはならないが。)

2015年8月9日日曜日

ФНЛロシア全国リーグ第5節結果

少々遅くなってしまいましたが、8月3日に行われた第5節の結果です。

ルチ=エネルギヤ・ウラジオストク 2-2 バルチカ・カリーニングラード
エスカー=エネルギヤ・ハバロフスク 1-1 シビリ・ノヴォシビルスク
エニセイ・クラスノヤルスク 0-4 スパルターク-2・モスクワ
トミ・トムスク 1-3 アルセナール・トゥーラ
ガゾヴィク・オレンブルグ 1-0 ゼニット-2・サンクト=ペテルブルグ
FKチュメニ 1-0 カマーズ・ナベレジヌィエ=チェルニ
トルペド・アルマヴィル 0-0 FKトスノ
シンニク・ヤロスラーヴリ 1-0 バイカル・イルクーツク
ソコル・サラトフ 2-0 ヴォルガ・ニージニー=ノヴゴロド
ヴォルガリ・アストラハン 2-1 ファケル・ヴォロネジ

М  Клуб И В Н П Мячи Очки
1 ↑ ГАЗОВИК 5 4 0 1 7-1 12
2 ↑ АРСЕНАЛ 5 3 2 0 10-5 11
3 ↓ СИБИРЬ 5 3 2 0 6-2 11
4 ↑ СПАРТАК-2 5 3 1 1 8-5 10
5 ↑ СОКОЛ 5 3 1 1 6-3 10
6 ↓ ЛУЧ-ЭНЕРГИЯ 5 3 1 1 6-4 10
7 ↓ ТОМЬ 5 3 0 2 12-9 9
8 ↓ БАЛТИКА 5 2 3 0 7-5 9
9 ↓ ЗЕНИТ-2 5 2 2 1 7-6 8
10↑  ВОЛГАРЬ 5 2 1 2 7-5 7
11↑  ШИННИК 5 2 1 2 6-5 7
12↓  ТОСНО 5 2 1 2 4-5 7
13↓  ВОЛГА 5 2 1 2 2-4 7
14↑  ТОРПЕДО АР 5 0 5 0 0-0 5
15↑  ТЮМЕНЬ 5 1 1 3 3-5 4
16↓  ЕНИСЕЙ 5 1 1 3 2-7 4
17↓  ФАКЕЛ 5 1 0 4 5-8 3
18↓  СКА-ЭНЕРГИЯ 5 0 3 2 2-4 3
19  БАЙКАЛ 5 0 0 5 2-9 0
20  КАМАЗ 5 0 0 5 0-10 0

第6節
8/10
13:30 バイカル対ヴォルガリ
16:00 トミ対トスノ
16:00 カマーズ対ルチ=エネルギヤ
17:00 チュメニ対スパルターク-2
18:00 ゼニット-2対シンニク
19:00 ヴォルガ対トルペド
19:00 アルセナール対ガゾヴィク
19:00 ファケル対エニセイ
20:00 バイカル対エスカー=エネルギヤ

2015年8月8日土曜日

暑い中西へ東への誕生日

実は珍しく寝坊した。
(寝たのが3時過ぎだったので、6時台に起き上った。その後もだらだらして、朝食が8時台になった。)
出かけるのが遅くなり、美術館に着いたのが致命的に遅くなる。

何せ出かけ先が暑くて寒い八王子だったから。
八王子でもただの八王子ではない。ひよどり山を越えた向こうの山の中腹だ。
東京富士美術館、レオナルド・ダ・ヴィンチと「アンギアーリの戦い」展。


誕生日だったので、チケット代は無料(このオレンジのチケットがお誕生日券であるらしく、各所でおめでとうございます、と言われる。アーモンドマカロンも誕生日プレゼントの一環です。美術館内のカフェレストランで1000円以上の利用でいただけるというもの。)

適当に空いていて快適だった。
さすがに平日の日中、訪れるのは、創価学会の地域の活動家、熱心な信者さんたちという雰囲気だ。他の美術館と少し違う客層。

午後は、というより夜に向けて、八王子から千葉は幕張まで東京縦断。
はるばるたどり着いた京葉線海浜幕張駅に降り立ち、神田外語大学まで歩く。
広い敷地に大きな企業のビルがぼんぼんと建っている様子が、かつての横浜みなとみらい、ウォーターフロントと言われたビッグサイトあたりに似ている。
時間帯のせいか都会の風景なのに人影がまばらで不安感が募る。
そしてとにかく暑い…。

そして、シンポジウムが始まると今度はとても寒い。

「スラヴ文学は国境を越えて」は、つつがなく終わる。
ただ、時間がなくて残念だった。
冊子の配布があり、パネリストの発言は概ねそれに載っているのに、その内容をわざわざ発言→翻訳の手間でシンポジウムの時間の大半を使ってしまったのが勿体なく感じた。

それから、まずこのことだけ指摘しておく。
ミハイル・シーシキンさんの発言の冒頭にあった映画「アトランティス」について。
1997年に国際交流基金で開催された北欧映画祭で観た時の解説は、今般のシーシキンさんの説明と異なっているが、私は北欧映画祭の担当者の方の発言の方が正しいと思う。

シーシキンさんは、この映画はロシア公開用に通常版のハッピーエンドではなくバッドエンドに大きく変えた特別版が用意され、それがロシアで人気を博した、と書かれている。

北欧映画祭ではハッピーエンド版とバッドエンド版の両方を上映してくれた。
(ラストの3分くらいが違うだけである。)
ロシア人が悲劇を好むというのはよく知られていて、当時の映画はハッピーエンドのものでもロシア向けには悲劇で終わるバージョンを作って、ロシアでは悲劇バージョンを公開していたのだという。
ところが、この「アトランティス」の原作者は「この作品は原作通りに作ること!勝手に悲劇に変えてはいけない、ロシア版作成禁止!!!」を厳命していた。
にもかかわらず、だ。
映画製作者としては儲けたいがために、やっぱり悲劇で終わる版を作ってしまったのだ。
でも、原作者の目が光っているのでモスクワやペテルブルグあたりではそれは上映できない。
そこらあたりでは通常版を上映。
「でも、ウラル越えたら大丈夫だろう!ばれないぞ」と、言わばシベリアバージョンを作ってしまい、エカテリンブルグあたりでそれを上映していました、という説明であった。
そういう説明があったうえで、通常版上映→シベリアバージョン上映があったのだが、昔の人気作品も現代感覚で観ると、ハッピーエンドの方が悲劇的で、バッドエンドの方が喜劇じゃないか、と思えるようなものなのだ。少なくとも、日本の観客にはシベリアバージョン(何せ最後の3分で無理やり違うエンディングにしている)は大爆笑で受け入れられていた。

2015年8月2日日曜日

親ソ仏蘭西からこてこて露西亜へ

先週は日曜の「サン・ソレイユ」から始まって土曜まで丸一週間、クリス・マルケル漬けの日々だった。

メドヴェトキンのことはマルケルの「アレクサンドルの墓 最後のボルシェビキ」のおかげで知った。マルケルについてもこの作品しか知らなかったし、メドヴェトキンもこれで知った「幸福」しか観ていない(という認識だった)。
メドヴェトキンの他の品も観たいと切望するが、マルケルについては今回の特集でメドヴェトキン再発見だけの人じゃないと今更知った。いや、それどころじゃなくいろいろマルチな人だったということだ。
私は今までマルケルのことを酔狂で思想的にもとんがった芸術家なのだろうと思っていたので、なんていうか、不思議にファンが多いみたいなことに驚き、未だにアテネ・フランセでの雰囲気が謎で仕方ない。
皆に好かれているフランスのオールドコミュニスト?
ゴタールらのジガ・ヴェルトフ集団に対し、マルケルのメドヴェトキン集団。
何がわからないって、きっとフランスのコミュニストについてなのだろうな。
(映画「オーケストラ」のノリもちょっとわからなかったところがあった。フランス共産党の人のソ連またはロシアに対しての心象ってどうよ?みたいに。今度、友人に聞いてみよう。)

メドヴェトキン自身のドキュメンタリー映画はまだ観ていない(と思う)から何とも言えない面はあるが、マルケルの作品を観る限り、ドキュメンタリーといってもいわゆるドキュメンタリーじゃない、プロパガンダというべきなのか、主張が、主観が、前面にきている芸風なので、「えー、あなた、ほんとにそうですか?」とか突っ込みたくなる場面がしばしば出てきてしまうドキュメンタリーなのだよね。(ジガ・ヴェルトフもそうだけど、マルケルのはより理屈っぽく哲学の風味が効いている。メドヴェトキンは、いやメドヴェトキンの「幸福」の話ですけれどね、あれはあれでぶっとんでいるけど、ドキュメンタリーではなくて劇映画で、寓話的で素敵です、大好き。)

SFの「ラ・ジュテ」(「死者からの手紙」「ミュージアム・ビジター」のロプシャンスキーを思い出した)は置いといて、思い出の「アレクサンドルの墓」、月曜日の「不思議なクミコ」、火曜日の「美しき五月」と観続けることによって彼の作品に慣れてきたせいか、木曜日の「A.K.ドキュメント黒澤明」と「アンドレイ・アルセニェヴィチの一日」あたりになると、意外と普通のドキュメンタリーに思えてきた。で、実は「アンドレイ・アルセニェヴィチ」は観たことあるのを思い出した。たぶんアテネ・フランセでだろう。トークでの言及があったように、タルコフスキーは結構明るくて悲壮な感じはない。病気が発覚していないせいもあるのだろう。しかし、元々映画製作の現場では生き生きはつらつしていたのかもしれない。
金曜日、「アレクサンドルの墓」再見。確かに二度目でわかったことがいろいろある、ような気がする。(ソ連映画の知識も蓄積されてきたので。)いつかまた観たいと思う。「幸福」その他メドヴェトキン作品を観たい。メドヴェトキンはドキュメンタリー作家というより、プトゥシコに先んじるような特撮映画の人だったのかもしれないな。と、教会爆破の逆回転シーンを観て思う。
土曜日の「笑う猫事件」でまたわけわからなくなるのだが。でも、「笑う猫」は実在した(実際に行動された)芸術及び政治行動で、記憶に引っかかっていた種々の出来事(ルペンがジョスパンを破って大統領選決選投票に行ってしまったこと、それに圧倒的多くのフランス国民が反発したことなどなど。ディフェンディングチャンピオンだったフランス代表がワールドカップで惨敗したことなんかも)大変に懐かしい。

あと、8月7日と9月21日に企画がある。
8/7はウィークデイの日中から夕方で、神田外語大学での「スラヴ文学は国境を越えて―ロシア・ウクライナ・ヨーロッパと日本」と掛け持ちはきつい、いや無理だろう。メドヴェトキンの「幸福」とジガ・ヴェルトフの「カメラを持った男」の上映があって、フランスからのゲストも魅力的なのに・・・。
9/21の方は連休ただなかで、チラシには場所が書いてないようだけど、どうやらアップリンクらしい。
「クリス・マルケルはなぜ猫好きか」って、理由なんてあるのだろうか?

というわけで、マルケルにまだ感覚が麻痺しているような状態だが、今日はオーケトラ・ダヴァーイを聴きに行った。
演奏前後のアナウンスは日本語とロシア語の2か国語放送。
チケットもロシア語表記がありがたい!(欲を言うならフォントをもっとオシャレにしてほしい。)
演目も有名なバレエ組曲を二つ、ストラヴィンスキー「ペトルーシカ」とプロコフィエフ「ロメオとジュリエット」全曲版より。
アマチュアであるので、管楽器なんぞは今一つという場面も多かったけれど(「ペトルーシカ」のお祭り場面なんか、もっと気分が高揚して盛り上がるものだと思っていたのに、あら?という感じで通り抜けて行ってしまった)、有名な割には通して聴く機会は意外と少ない曲を聴けて、貴重な経験だった。