実は珍しく寝坊した。
(寝たのが3時過ぎだったので、6時台に起き上った。その後もだらだらして、朝食が8時台になった。)
出かけるのが遅くなり、美術館に着いたのが致命的に遅くなる。
何せ出かけ先が暑くて寒い八王子だったから。
八王子でもただの八王子ではない。ひよどり山を越えた向こうの山の中腹だ。
東京富士美術館、レオナルド・ダ・ヴィンチと「アンギアーリの戦い」展。
誕生日だったので、チケット代は無料(このオレンジのチケットがお誕生日券であるらしく、各所でおめでとうございます、と言われる。アーモンドマカロンも誕生日プレゼントの一環です。美術館内のカフェレストランで1000円以上の利用でいただけるというもの。)
適当に空いていて快適だった。
さすがに平日の日中、訪れるのは、創価学会の地域の活動家、熱心な信者さんたちという雰囲気だ。他の美術館と少し違う客層。
午後は、というより夜に向けて、八王子から千葉は幕張まで東京縦断。
はるばるたどり着いた京葉線海浜幕張駅に降り立ち、神田外語大学まで歩く。
広い敷地に大きな企業のビルがぼんぼんと建っている様子が、かつての横浜みなとみらい、ウォーターフロントと言われたビッグサイトあたりに似ている。
時間帯のせいか都会の風景なのに人影がまばらで不安感が募る。
そしてとにかく暑い…。
そして、シンポジウムが始まると今度はとても寒い。
「スラヴ文学は国境を越えて」は、つつがなく終わる。
ただ、時間がなくて残念だった。
冊子の配布があり、パネリストの発言は概ねそれに載っているのに、その内容をわざわざ発言→翻訳の手間でシンポジウムの時間の大半を使ってしまったのが勿体なく感じた。
それから、まずこのことだけ指摘しておく。
ミハイル・シーシキンさんの発言の冒頭にあった映画「アトランティス」について。
1997年に国際交流基金で開催された北欧映画祭で観た時の解説は、今般のシーシキンさんの説明と異なっているが、私は北欧映画祭の担当者の方の発言の方が正しいと思う。
シーシキンさんは、この映画はロシア公開用に通常版のハッピーエンドではなくバッドエンドに大きく変えた特別版が用意され、それがロシアで人気を博した、と書かれている。
北欧映画祭ではハッピーエンド版とバッドエンド版の両方を上映してくれた。
(ラストの3分くらいが違うだけである。)
ロシア人が悲劇を好むというのはよく知られていて、当時の映画はハッピーエンドのものでもロシア向けには悲劇で終わるバージョンを作って、ロシアでは悲劇バージョンを公開していたのだという。
ところが、この「アトランティス」の原作者は「この作品は原作通りに作ること!勝手に悲劇に変えてはいけない、ロシア版作成禁止!!!」を厳命していた。
にもかかわらず、だ。
映画製作者としては儲けたいがために、やっぱり悲劇で終わる版を作ってしまったのだ。
でも、原作者の目が光っているのでモスクワやペテルブルグあたりではそれは上映できない。
そこらあたりでは通常版を上映。
「でも、ウラル越えたら大丈夫だろう!ばれないぞ」と、言わばシベリアバージョンを作ってしまい、エカテリンブルグあたりでそれを上映していました、という説明であった。
そういう説明があったうえで、通常版上映→シベリアバージョン上映があったのだが、昔の人気作品も現代感覚で観ると、ハッピーエンドの方が悲劇的で、バッドエンドの方が喜劇じゃないか、と思えるようなものなのだ。少なくとも、日本の観客にはシベリアバージョン(何せ最後の3分で無理やり違うエンディングにしている)は大爆笑で受け入れられていた。
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